久しぶり過ぎる 「今日の一曲」シリーズ、今回は、その第123回です。
10日ほど前のこと。「音と脳(Of Sound Mind)」(ニーナ・クラウス 著、伊藤陽子訳、紀伊國屋書店)という本を読み終えたところから或る楽曲が私めの頭の中で鳴り始めて、更には繰り返されましてね。ま、この本のせいだけではなく、他にも最近の出来事のあれもこれもが重なってかとは思うのですが・・・。
そんな次第で、今回は、このところ私の頭の中で繰り返し鳴っていた曲を所有のアナログ・レコード盤よりご紹介しつつ、またいつものように諸々語らせてもらいます(*私がつき合っていかなければならない障がいと今後の音楽活動についても少しお話させてもらいます)。
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《少し前に読んだ本のこと》
出会い手にしたその本を繰り返し少なくとも3回は読む、これも私の習慣の一つ。
で、10日ほど前まで読んでいた本が「音と脳(Of Sound Mind)」(ニーナ・クラウス 著、伊藤陽子訳、紀伊國屋書店)。
私にはたいへん面白く、また学ぶことの多い事柄ばかりに感じた。私が日々取り組んでいること・・・音楽活動および子どもたちの学びのサポート・・・にも役立ちそうなことが色々と書かれていた。
この本がテーマにしているのは「サウンドマインド」だ。
「サウンドマインド」とは? この本の文中から一部を抜粋させてもらうと、「音と、音と脳とのかかわりと、それが私たちに及ぼす影響である。これらをひっくるめて、サウンドマインドとよぶ」と書かれている。
主な内容としては、音を構成する要素について、に始まって、人の聴覚器官とこれに関わる細胞や器官・組織の仕組み、人の音要素の処理の仕方とその仕組み、鳥類・動物・虫・植物これらと音との関係、バイリンガルの人、スポーツ選手、音楽家などのそれぞれにみられる聴覚および脳の働きの特性、何らか聴覚に障がいがある人へのサポートと教育のそれへアプローチ。騒音とは何か?騒音が及ぼす人体への影響。個々人が育むサウンドマインドにおける生活環境とその影響等、これらの事柄が科学的な知見と併せて様々な角度・視点から書かれている。
10日ほど前までに繰り返し3回読んで、先ずは一旦ここまで。
読み終えたところで先ず思ったことは、あらためて『音楽って大切だなぁ』ということ。
音楽を聴くこともだけれど、人が自身で身体を用いて音楽を演奏すること・・・楽器を奏でたり声に出して歌ったり・・・は殊更大切なのだなぁと、私がこれまでに思っていた以上にその重要さを感じた次第だ。
《世界というか、世の中というか》
さて、一方で、このところの、そのぉ~、世界というか、世の中というか、世間というか、こうしたものが、なんだろうな、バランスを欠いているような、少しばかりおかしな具合になっているような・・・戦争や紛争があちこちで起きては未だなかなか解決しないままにあること、地球規模で起きている急激な気候変動これへの各国が足並みを揃えて行うべく対策が一向に進まないこと、AI技術の進歩に対してこれに伴うあれもこれもの対応・対策が遅れていること、そして、これらが総じて興奮した状態に偏り過ぎているように思えるのだけれど・・・などと感じてしまっている私は、その私なる者の内の何処かなのだろうね、よく分からないけれど、奥深いところのそこいらへんで起きているモヤモヤ・ザワザワしたものを音楽に在る何かに幾らかばかりでも収めてもらおう、などと思うこと度々で・・・。ま、現実逃避旅のようなものかもね、自身の奥深いところで起きているそれから一時の間だけでも解放されたい、といったことを求めてしまうのだな。
《ごちゃ混ぜになって鳴り始めた音楽》
でね、「音の脳(Of Sound Mind)」を読み終えた頃から或る楽曲が私めの頭の中で鳴り始めちゃったのだな。またこれが数日経過してもふとしたときに頭の中で繰り返し鳴ってしまって・・・。
おそらくは、読んでいた「音と脳(Of Sound Mind)」から感じたことと、世界やら世の中やらの色々なことに影響された自身のその内で起きていることとの、これら両方がごちゃ混ぜになったのだろう。
更に、繰り返されるその楽曲は頭の中で鳴っているだけではどうにも済まなくなって・・・。
いや、普段から似たようなことはよくあるのだけれどね・・・。
ぅんもう仕方がないなぁ、といったことで、部屋のレコードラックから一枚のアナログ・レコード盤を取り出してきた、というわけだ。
《吹奏楽曲では新作が次々と》
部屋のレコードラックから取り出してきたのは「吹奏楽コンクール自由曲集’84」。
吹奏楽曲を集めたアナログ・レコード盤だ。
私が吹奏楽曲を色々と聴くようになったのは18歳頃からだ。
20世紀初頭及びこれ以降に作られたクラシック音楽や現代音楽に興味をもち始めたことがきっかけで、これと重さなって、現代の作曲家の新作が次々と現れる吹奏楽曲にも徐々に関心が向くようになって、こうした流れで吹奏楽曲を聴くようになった。
「吹奏楽コンクール自由曲集’84」には指揮者フレデリック・フェネルと東京佼成ウインドオーケストラとに依る演奏が全7曲収録されている。
吹奏楽に詳しい人に依れば、この盤、「吹奏楽コンクール自由曲集・・・」とのタイトルが表記されてはいるけれど、特段、吹奏楽コンクール向けの楽曲が収録されているわけでもないようだ。それより、広く多くの人に吹奏楽を広めたいという目的で、吹奏楽のために書かれた新譜楽曲の紹介、吹奏楽に親しむ中学生や高校生向けに、日本の吹奏楽の発展に、といったことの方を主とした盤なのだそうだ。80年代を中心に毎年CBSソニーから出版されていた盤のようだ。
ちなみに私はご紹介の盤を含めて同じシリーズの盤を82年版から87年版まで所有している。6枚ともそれぞれその当時に購入した盤だ。
ってなわけで、「今日の一曲」シリーズの第123回、今回は、ここ10日間ほどに渡って私の頭の中で繰り返し鳴り続けていた曲、これを「吹奏楽コンクール自由曲集’84」からご紹介させてもらうことに。
アルフレッド・リード作曲「ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)」。
《まさに『ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)』なのだよ》
アルフレッド・リード作曲「ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)」は、「吹奏楽コンクール自由曲集’84」のA面最後(3曲目)に収録されていて、・・・繰り返しになるけど・・・指揮者フレデリック・フェネルと東京佼成ウインドオーケストラとの演奏に依るものだ。
当時、吹奏楽においては世界的に高い評価を受けていた指揮者フレデリック・フェネル(1914~2004年:アメリカ)、当時の日本では唯一のプロの吹奏楽団であった東京佼成ウインドオーケストラ、この両者の共演を収録した盤だ。
ここからはジャケット裏面の解説文を参考に私めの少しの知識と個人的な感想を交えて書かせてもらう。
作曲者のアルフレッド・リード(1921~2005年:アメリカ)は、吹奏楽曲中心に200作品以上を作曲したアメリカを代表する作曲家のひとりで、音楽教育にも精力的に取り組んでいた人であるらしい。
特にマイアミ大学音楽学校の教授を務めていた1966~1992年においては吹奏楽曲を最も多く書いていて、併せて、アメリカ各地でバンド・クリニックなどを開催しては、アマチュア音楽愛好家から音楽家としてプロを目指す人たちまで広く様々な人たちに向けて音楽や楽器の魅力を伝えつつ演奏技術向上・養成に力を注いでいた、とのこと。
また、日本との関わりも深く、1981年に初来日してからは何度も日本の吹奏楽ファンや中学生・高校生向けにバンド・クリニックを開くなど、日本の吹奏楽の発展にも大いに貢献した人のようだ。
こうしたなか、「ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)」は、1983年12月にシカゴで開催となった吹奏楽のためのバンド・クリニックで発表された曲だ。このバンド・クリニックで演奏することになっていたヴァンダークック音楽大学が事前にリードに依頼して創られた曲で、バンド・クリニック当日はリード自身の指揮によって初演が成された、ということだ。
曲は、全体を通して比較的速いテンポで華やかなイメージをもって展開される(楽譜上では「Allegro Brilliant(速く、輝かしく)」と表記がされているらしい)。演奏時間は4分半ほど。
冒頭、早速、金管群の明るく華やかさのある響きと上昇音階的なフレーズとでワクワクする・・・高揚感とはまた少し違う・・・期待感をくすぐるような音たちが放たれる。このワクワク感の在る音のこれは後のフレーズへも引き継がれていくのだけれど、木管群の細やかな流れのあるフーガ的なアレンジが途中に在って、曲全体は華やかで輝かしくも決して荒ぶることのなく気品在るままを終始保って奏でられていく。
特徴的なのはリズムで、7/8拍子や8/8拍子の変拍子によってめまぐるしく展開していくなか、これに付点のリズムも合わさって、弾むように、軽やかに踊っているかのように、または朗らかに笑い合うかのように、こうしたリズムが前面に表れる。いや、リズムだけでなく、この変拍子に乗っかっているメロディラインに優しさがあるからそう感じるのかも知れない。
要は、バランスが好い(良い)、ってことかも。
こうした華やかで気品在る音の響きに変拍子を伴った特徴的なリズムとここに伴うメロディによって、「喜び」、「朗らかさ」、「自由さ」といったものが感じらる。奏でられる「音の楽しさ」が詰め込まれているように思える。まさに、『ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)』なのだ。・・・私の極々個人的な感想だ。
《私に起きている聴覚障がい(過敏性)》
(*ここからは、ちょっとばかり話題が逸れたように感じるかも知れないけれど、読者の皆様には続けてお読みいただきたくお願い申し上げます。)
本ホームページ「ブログ」では一昨年くらいから「ライヴ報告」などで少しずつ匂わせてきたのだけれど、実は、私、4年半くらい前から聴覚障がい(過敏性の類らしい)の症状があってね・・・診断を受けたのが4年半くらい前。5~6年前から少々の自覚はあったのだけど・・・。
但し、これは通常の健康診断などで行われる聴覚検査では「異常なし」と判断される範囲のもの。日常生活においては全く支障がない。
困ったなぁ、と感じるのは生業の一つとしている音楽活動の、そのうち特にライヴ活動のときだ。
PA等の音響器機に依って音を客席へと届ける場合、ライヴ会場の広さや創り、そこで出される音量や音質等によっては演奏者から直接出される音とスピーカーから出てくる音と会場に反響・反射する音とがそれぞれ別個に細部にまで渡って聞こえてきて、結局のところ、それぞれから発せられ生じている音のこれらがごちゃ混ぜになって聞こえて、自分が演奏しているそれがいったいどのような音を出しているのか、全く分からなくなってしまうのだな。
最初に違和感を覚えたのは、他者様のライヴを拝見・拝聴していてだった。4~5人組のロック系バンドが数組出演して演奏を聴かせてくれていたのだけれど、あれもこれも様々な音が聞こえてくるだけで届けてくれているであろうその本来の演奏の音が全く分からないのだ。そのうちに自身のライヴでも、こんな具合に、自分の演奏している音が徐々に掴み難くなってきた。
それでも、これへの対処方法については気付いたことがあって、それは演奏する自身に向けられているモニター用スピーカーの音を切ってもらう、という方法。これで、大方、ライヴハウス等の何処おいても演奏できる感触を掴んだのだよ(*他者さまのライヴを拝見・拝聴するときは音楽関係者専用のイヤマフを装着して対応していました)。
暫くの間はこれでよかったのだけれど・・・。
が、ここ2年くらいは徐々に悪化してきていて、モニター用スピーカーの音を切ってもらっても通用しないことが少しずつ増えてきている(*現状では、ライヴ会場によっては支障なく演奏できる所も僅かながら在って、これがせめてもの救いです)。
《生音ライヴへと ~「ほっと楽しや・・・」は終幕へ~》
そんなわけで、ライヴハウスやライヴカフェ等の、その殆どで行っているマイクやスピーカーなどPA器機を通して音を客席へと届ける、これに依るライヴを、この先において私はそう遠くないうちに出来なくなる。
音楽活動の中心に据えてきた「ほっと楽しやハートライヴ」もあと1回、出来ればあと2回開催したいけれど、そろそろ終幕へ、ということになるだろう。
では、今後はどうするのか?
一つのヒントとしては、これも長く続けてきていることなのだけれど(11~12年間)、ほぼ毎週(金・土・日曜日のうち1~2日)、都内の、街中に在る喫茶店やカフェや居酒屋さんなど普段は音楽イベント等を一切していないお店で特別に20分ほどの時間をいただき演奏させてもらっている「生音ミニライヴ」・・・短時間であることに加えて店側の意向もあって事前に告知していない・・・、これの「ミニ」ではない生音ライヴを、併せて「ほっと楽しやハートライヴ」と同様の意図・・・「ゆったり、まったり、クスッと笑えて楽しく」(敢えてわざわざ盛り上げていくことをせずに、心を幾らかでも鎮めてゆったりとした気持ちで音たちに耳を傾けてもらえるようなライヴ)・・・をもったライヴを、新たな企画として考えている。
現在、準備を少しずつ進めているところだ(*主には会場探しで、生音でライヴをさせていただける場所、生音の響きが心地好い会場を探して、少しでも可能性がありそうな所を見つけては店主さんと様々交渉させてもらっています)。
《最後まで『ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)』を》
まぁ、正直言って、なかなか難しい現状にはあるのだけどね。生音で1時間半~2時間くらいの音楽ライヴをOKしてくれて且つ生音でイイ感じに響く会場(ライヴハウス等)を見つけるのって・・・他にも費用のことなども絡むと余計に・・・なかなか難しいのだな。「生音でもイイよ」と言ってくれるゲスト出演者も限られるだろうしね。
それから、1年に1回または2回行ってきたライヴ・ツアーも出来なくなりそうだ。これまで巡ってきたライヴハウスやライヴカフェは生音で聴いてもらうようなそういった会場ではないのでね。残念だけど、これは潔くあきらめようかな? と思っている(・・・いや、あきらめていないかも?)。
というわけで、「生音で演奏する」をライヴ活動の中心に据えるということは、これまでの活動よりも先細ってしまう、このことは否めないかも知れない。
それでも、「愛間純人」というシンガー・ソングライターが届けることのできる精一杯の好き(良き)音楽、好き(良き)ライヴは、ここから先は「生音で届ける」がベストなのではないのかなぁ、と考えている。
そりゃぁ、表面上では、先細って見えてしまうかも知れないけれど、現状に合わせて出来得るベストを追求して届ける音のそこには、きっと、これまでの活動で感じ得たり知り得たりした景色・・・これらも十分に楽しく貴重で素晴らしいと感じられる経験『ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)』になっているとは思うのだけれど・・・のこれらとはまた違う、別の新たな『ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)』が待っているように想えるのだな。
そう、『ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)』をもって現世(?)でのその人生を終えたい、そのために今を生き続けているのだろう、私めは・・・。なんちゃって。
とまぁ、些かあちこちへと話が散らかってしまった気がしないでもないけれど、「今日の一曲」シリーズの第123回、今回は、アルフレッド・リード作曲「ヴィヴァ・ムシカ(音楽万歳)」を、指揮者フレデリック・フェネルと東京佼成ウインドオーケストラとの演奏に依るこれを収録した「吹奏楽コンクール自由曲集’84」(アナログ・レコード盤)よりご紹介しつつ、またいつものように諸々語らせてもらった。
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*いつものことながら悪文が並ぶ長文を最後までお読みくださいました読者の皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
*猛暑や酷暑までが続く夏、どうか読者の皆様もお身体およびお心を大切にしながらお過ごしいただきたく存じます。

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