「教育を語りあおうよ音楽CafeーBarで」って何?

《きっかけ》---------

「何でこんなこと始めたの?」ってことですよね。

そして、「何をやろうとしている企画なのか?」ってところが、いま一つ分かりにくいかと。

そこでここでは、《問題提起》、《問題解決の糸口》、《企画の目的》、《内容(1・2・3)》と、項目ごと、これらについて順にご説明させていただこうと思います。

 

ですが、先ずはその《きっかけ》から。

 

今でこそ、シンガー・ソングライターとしての活動が中心ですが、実は30年余りに渡って教育に携わり、その教育の現場で多くの子どもたちと様々な形で(高等学校教諭、進学塾講師、オルタナティブスクール職員として)関わらせてもらってきた者で、主に中学生・高校生たちと共に過ごしてきました。

(*2013年からは生活の中心を徐々に音楽活動へと移行しつつあったので非常勤講師や専任講師という立場ではありましたが、最終的には2019年3月まで教育現場に立ち続けました。)

 

その教育現場に居ながら、ある違和感を強くもつようになったのは西暦2000年頃からです。

「この子たち、目まぐるしく変化していくであろうこれからの社会や世界で、ちゃんと生き抜いていけるだろうか?」

「このままの学校教育で、より良い(好い)社会を築き上げていく人材など育つのだろうか?」

と。

その当時(2000~2010年頃)も、受け持っていた子どもたち(高校生たち)からは「先生の数学の授業わかりやすい!」などと言ってもらえて、有難いことに、そんな子どもたちの声に助けられてはいたものの、私自身は何か腑に落ちないものをどこかに感じながらで居ました。当然、「子どもたちの現在を活かすことと共に未来を見据えた教育を!」と、それは私なりに挑みもしたのですが、いま現在に至って当時を振り返ると、その10年ほどの間は右往左往していただけであったように思います。とは言え、一方では、こんな試行錯誤も無駄ではなかったと感じます。

その後、2010年から始めた音楽活動が思わぬヒントを届けてくれました。

音楽活動を通じては、特にライヴツアーなどで各地を巡っては、様々な地域の人たちとも、またこれ以前まででは出会えなかったような人たちとも交流する機会があって、恐らく、教育現場での経験とこれとが相まってだろうと思うのですが、

「本当に大切なことって、こういうことなんじゃないの?」

といった、それはこの時点では自身の感覚としてでしかなかったものの、何やらヒントめいたものが徐々に明らかになってきたのです。

しかしながら、私個人の感覚や経験則のそれだけで終えてしまってはならないと考えて、2012年頃からは、教育学、哲学、心理学、社会学、経済学、政治学などこれら各分野の基礎的な内容と共に、関連の学術分野における最新の研究成果なども調べて、当初それは“今更”といった感じも正直なところあったのですが、あらためてきちんと学んでいこうと、そう決めて取り組むことにしたのです。

そして、自身が教育現場で経験・実践してきたこと、音楽活動を通じて感じ得たヒント、学術分野における研究成果や理論から学び得ていること、これら総てを併せて、自分自身の考えをまとめ上げておくことも必要に思い、「日本の公教育の在り方」、「自立と自律のための教育」の探求に取り組むようになったというのが、ここまでの経緯で、こうして現在に至っています。

 

こんな私ではありますが、音楽活動を続けながら、これでも、割と真面目に取り組んでいるのですよ、はい(笑)。

 

そんなわけで、この企画「教育を語りあおうよ音楽Cafe-Barで」では、私が探求してきたことをお伝えしたいといった思いもあって、一部分ではこうした事にも時間を割くのですが、と言って全てを見通せているわけではないので、それよりも、様々な立場の人たちと意見交換を重ね、一緒に知恵をめぐらし考え合っていく、このことの方を大切に、かつ重要視して進めていきます。またその方が現実的に物事も動いていく、と考えています。

ただ、熱心に意見や議論を交わし合っていると、こうした「教育」等をテーマにした場合、遂、冷静さを失って、その本来の目的よりも意見・議論を闘わせることばかりにエネルギーが注がれることもありがちかと。

そこで、「音楽Cafe-Bar」という幾分かリラックスできてゆったりと落ち着いた雰囲気の場が必要に思いました(哲学カフェのように)。それで、はじめた企画(2018年~)です。

 

【補足説明】

*「公教育」とは?・・・国や地方自治体が公共の制度・政策として、教育機関(幼稚園・小学校・中学校・高等学校・大学・専門学校(認可校)等の公立も私立の学校も含めて)を通じて実施する教育のことです。

 

*「自立と自律」については、後の《問題解決の糸口》で詳しく述べることにします。

 

《問題提起》---------

ここから述べることは、何も、皆さんを、また社会を、不安にさせるつもりで言うわけでは決してなく、希望もあるからこそ《問題提起》させていただく、先ずは、そのようにご理解いただきたく存じます。

 

こうして、教育現場での経験と併せて学問的な探求もここに重ねながら、先ほど述べた「違和感」や「腑に落ちないこと」などとも向き合っていると、そこには“日本の子どもたち”、またこれを“全て子どもたち”と言っておくべきかと思うのですが、日本の子どもたちはいま当に危機的状況のその瀬戸際に立たされている、ということが明らかになってきたのです。

それは、今後ますます目まぐるしく変化していくであろう社会・世界にあって、今後ますます予測不可能な事態が増していくであろう社会・世界にあって、

「日本の子どもたちを取り巻く環境と機会には『深刻な問題』がある」

といったことで、この“深刻な問題”を、具体的に、但し、一括りに申し上げるのなら、

「日本の子どもたちには、いま、彼らのその将来を『危うい状況』へと追い込んでしまうであろうことが、社会または大人たちの手によって、日々日常的に、またそれは無意識的に繰り返されてしまっている」

ということになります。

また、ここで言う「日本の子どもたち・・・」について、これをもう少し明確に示すならば、それは、いじめの問題を抱えた子ども、虐待の問題を抱えた子ども、自殺にまで及んでしまった子ども、ネット犯罪を繰り返してしまう子ども、など、こうした個別の問題のこれらを抱えた子どもたちを指すのではなく、むしろ、これらのすべてと、更には、学業成績が優秀な子どもも、抱えた病気や障がいなど特にない子どもも、経済的に比較的恵まれた子どもも、家族と仲良く過ごしている子どもも含めてで、繰り返しますが、つまりはほぼ全てであって、“日本の全ての子どもたち”を対象に、これを指して申し述べています。

 

何んとも悲観的な言葉ばかりが並びますが、こうした現状および現実態を、それは冷静に、皆さんと共に見据えていって、解決へと少しずつでも結びつけていけたらと思います。

当然、“これは極端な偏った意見だ”とお考えになる方もいらっしゃるかと。勿論、そう受け取っていただいても構わないと思います。ただ、“深刻な問題”のこれをまったく無視するような状況でないことだけは、ご理解いただきたく存じます。

厳しい状況のその度合は兎も角としても、子どもたち皆がピンチなんだよぉ~、とそう申し上げたいのです。

これも繰り返しますが、この項目の冒頭で述べた通り、“希望もあるからこそ《問題提起》させていただいている”のです。

 

【補足説明】

*ここで述べている“全ての子どもたち”に該当しない例外的な子どもたちも、現時点では、それは僅か少数になるとは思いますが、実際には居ると考えています。この“僅か少数の子どもたち”に関しては、同ホームページ「読楽論文」のページで公開中のエッセー「新型コロナウイルス対策と日本の社会を『自立と自律』の教育から視る」の《第1章:日本の社会と教育の現状》の終盤、“少数の大人”に触れて述べさせていただいている部分があるのですが、これとほぼ同様に考えて良いかと思います。ただ、こうした子どもたちの身にも、先に述べたような「深刻な問題」及び「危うい状況」は徐々に及びつつあると申し上げておきます。

 

では、“日本の全ての子どもたち”に関わるその「深刻な問題」及び「危うい状況」について、もう少しだけ詳しくご説明申し上げましょう。

ただ、ここでもまた、その概略に留めることと致します。

なぜなら、真に詳細を述べるとなると、それは膨大な量となり、またそれ相当の長文をここに書き記すことになってしまうからです。ご容赦のほとを。

 

先ず一つ。

現在およびここから先の「急速な変化や予測不可能な要素を多分に含んだ出来事が増えつつある社会・世界」にあって、いま既に日本の人々のうちの多くが、それは子どもから大人までの多くが、「各人が『自立』して生きていくために真に必要となる能力(「自律の力(自律)」)が十分に育成されない中に居て、またこの能力を十分に養い備えもつことができないままで生活をしている」ということです。

そして、いま現在のままでは・・・、これを特に未来ある子どもたちの身に置き換えた場合には、これら必要な能力を養っていくにはますます困難な環境に子どもたちのその身が置かれているという現状と併せて(これには、日本人と呼ばれる人々がかつて古き時代から培い備え持っていた「共感する力」を、現在に至っては、これを養い磨いていくための環境を多くで失いつつあることもまた大きな要因の一つであると考えられるのですが)、・・・それも子どもたちは無自覚のうちにこうした環境に置かれてしまい、これら必要な能力を備えもつにもこれを得る機会には、教育(公教育)の場を含めてこれに出会い恵まれることは殆んどない状況にあると言えます。つまり、『自立』して生きていくために本来であるなら身に付けるべきその土台ともなるべき能力(「自律の力(自律)」)が乏しいまま大人へと成長していってしまう・・・そんな現状に立たされ続けていくことになります。

また、いま申し述べたような現状については、本来であるならば頼りになるはずの学校など「教育(公教育)の場」に真っ先に目が向けられて当然で、その為、確かに、「教育(公教育)の場」においてが、いま最も深刻であると言わざるを得ないのですが、これにはこれだけに限らず、「家庭」や「地域社会」でも、「日本という国の社会全体」においてもそうであるということがその深刻さを生んでいると言えるでしょう。

更にこのことを日本の社会全体その将来へと置き換えた場合には、「自立」して生きていくために真に必要な能力(「自律の力(自律)」)を十分に備えもつことができずに、ここから先の社会に対して、「バランスを欠いたままの大人」が今後ますます増えいくことを意味します。そして、子どもたちもまた、「バランスを欠いたままの大人」に混ざって育っていくことになります。

いったい、どんな日本の社会になってしまうのでしょうか?

が、これについては既にいろいろな形で社会的な問題や事件となって現れ始めていて、そうした出来事から、皆様ご自身もその危うさを感じる瞬間は時としてあるのではないでしょうか。

 

繰り返しますが、これらは「いま現在のままでは・・・」という前提で申し上げていることです。

 

そして、もう一つ。

先に述べた問題と決して無関係ではない事柄を、いま目の前で起きている実態の、その例を上げて申し上げましょう。

例えば、2020年度から小学校・中学校・高校で順次完全実施となる「アクティブラーニング:主体的・対話的で深い学び」や、そう遠くない将来に導入されるであろう「人工知能AIによる学びの個別化」これらについてです。

申し上げておきますが、私個人は、こうしたことが導入されることについてのこれ自体には、賛成な方です。

しかしながら、これらは、いま現在のこのままでは、「ここから先の時代にも即した先進的で良質な教育をしますよ~」と言いながらも恰好だけの見せかけに過ぎないものばかりが増えてしまいかねない、そうした状況にあります。

それは公教育の現場においても、塾や教材販売などに関わる教育ビジネス業界においてもで、多くは実際の運用に当たって正確かつその本来の意味を理解するといった認識が十分に成されていないために引き起こされます。誤った理解や認識不足から、教育を提供する側は然したる罪悪感もなく無自覚なまま先に上げたような無責任な行為に及んでしまいます。

そして、提供される側の子どもたちやその保護者たちの側がこれに気付くことはたいへん困難で、それだけに、事は深刻な問題であり、その解決も急務であると言えるわけなのですが

しかしながら、現在までのところ、国(文科省等)や教育業界、社会全体で、こうした問題を解決するような実効的な手立ては何も進められていない、とまぁ、残念ながらこれが実態です。

 

ぅん、哀しいね~(涙)。

だから、皆さん、特に子育て中の親御さんたちは、騙されないようにねぇ~。

 

これらの現状を総じて申し上げれば・・・、

子どもたちへの教育(公教育)について言えば、「子どもたちが本来もっている能力を豊かに伸ばして育て上げていく教育」=「各人が『自立』して生きていくために真に必要となる能力(自律の力(自律))を育成していく教育」これは、日本の教育(公教育)では、依然、成されないまま放置されているということです。

また更にこれを日本の社会全体として捉えた場合には、「バランスを欠いたままの教育」と「バランスを欠いたままの社会」の悪循環とでも言うべきでしょうか。

もしも、これらの問題をこのまま放置するならば、子どもたちの能力育成や教育の問題だけに留まらず、それは日本という国が、

「常に変化を伴う社会・世界に対して、そこで生きていくために必要な能力を十分に備えもたない人々が増え続ける」

「より良い(好い)社会・世界へと提案・構築していくことができる人材が育成されない」

「急速な変化や未知なる問題・未曽有の出来事にも対応し得る人材が育成されない」

といった社会崩壊および国家崩壊への道を辿ることになろうかと。

 

そして現状は、

「もういくら何でもマズイんじゃないの?」

といったところまできているかと思います。

 

そうは言っても、これらの問題を解決する道(方法)が決してないわけではありません、「希望」はあるのです。

次は、これらの問題を解決するためのその《問題解決の糸口》について述べさせていただきます。

 

【補足説明】

*「自立」および「自律の力(自律)」についても「自立と自律」とともに、後の《問題解決の糸口》で詳しく述べることにします。

 

*ここで述べている「共感する力」とは、「他者の痛みを自然と(=見返りを期待する思惑などなく)思いやる心の感度」のこれに、「自らの思考力と行動力」を併せ伴うもののことを言っています。ただ単に、他者や多数側に歩調を合わせるといった意味ではありません。自ずと(自然と)他者を想う感度と共に、自らの思考と自らの行動のその働きがあってこその「共感」を指しています。・・・「共感」という言葉は色々な意味に解釈されることがあるので念のため明記しておきます。尚、「共感する力」については、同ホームページ「読楽論文」のページにて公開中のエッセーで詳しく述べさせていただいています。

 

*「アクティブラーニング:主体的・対話的で深い学び」と「人工知能AIによる学びの個別化」に関しては、その本来の狙いが見失われることなく正しい認識のもとに運用されるのであれば、好ましい手段・手法の一つであると、個人的には思っています。・・・誤解無きよう(汗・笑)。

 

*日本の国家としての学校教育(公教育)が形創られていったのは明治維新以降ということになります。その後の各時代によって学ばせようとしていた知識や教育内容および制度等は歴史的な流れからも様々に形を変えてはきましたが、根本的な教育手法は明治時代の中期から現在に至るまで長きに渡って、「コンテンツ・ベースの教育」と呼ばれる「他者(教師)から得た情報・知識を正確に蓄えることができる人材の育成を優先に進めていく教育」を土台とした教育手法が中心的に用いられてきています。それは教育のシステム(仕組み)のその大部分がこれを前提としたシステム(仕組み)で形成され続けていることもまた大きな要因の一つです。しかしながら、現状およびこれから先の社会・世界を見据えてはここにそぐわない、遅れた「教育(公教育)」であり、劣化した「システム(仕組み)」であると言わざるを得ないかと思います。

 

*もちろん、日本の教育(公教育)現場を個別に眺めれば、これまでも、また現在も、先の時代を真に見据えた教育を目指して熱心に取り組む教師がいて、こうした教師が集まった学校では様々に工夫がされた教育も実践されているのですが、それは、ここに出会えた子どもたちに限っての「ラッキー(幸運)でしかなく、たまたま・・・」です。現状において実質的には、日本の学校教育(公教育)の「教育手法の土台」および「システム(仕組み)全体」はそうなっていません、日本国内に広く行き届いているわけではありません(汗・泣)。

 

*上記「コンテンツ・ベースの教育」に対してあるのが「コンピテンシー・ベースの教育」で・・・これは、「情報・知識を蓄えたところで終えてしまうのではなく、情報・知識をもとに何ができるのかを考える能力(思考力)の育成、他者と共にコミュニケーションを図りながら問題・課題を解決していく能力(実践的スキル・行動力)の育成、これら能力を合せもった人材の育成を目的にした教育」とされています(狭義的な意味では)。・・・先に述べた「アクティブラーニング:主体的・対話的で深い学び」も、本来はこの「コンピテンシー・ベースの教育」を土台とした手法の一つです。

 

 

《問題解決の糸口》--------

ここからは、厳しい現状を踏まえながらも、「希望」へと繋がるその道(方法)について述べさせていただきます。

 

さて、常日頃から、日本の社会で日々起こる問題とそしてそこにあり続ける様々な課題の、これらそれぞれ個々の問題・課題に深く関わって御尽力されている方々のその姿勢と対応には本当に頭が下がる思いでいます。また、この方たちの取り組みがあって、いま、まだ、日本の社会も教育も、ぎりぎりのところで辛うじて成り立っていると、そのようにも感じます。

が、広く社会全体を見渡して、これら各個別の問題・課題に共通して潜めく根本へと切り込んだ対策と実践については、「何も」とは言わないまでも、ここに対して具体的に実効性を伴った策・提案・事例を示したものがないというのも現在のところまでの実態であるように思います。

 

そして、前述の《問題提起》に示した事柄についてこれを解決へと導くためには、こうした各個別の様々な問題・課題に共通して潜めく根本へと切り込んだ対策と実践に取り組む必要があるかと。

 

先ずは、前述の《問題提起》に記した通り、「バランスを欠いたまま・・・」であるなら「バランスを取る」ことです。

ただし、ここにおける「バランス」は、

『如何なる時代や社会・世界を目の前にしても、様々な個人がその能力を活かし合って生きていくためのバランス』

でなければなりません。

それはどうしたって、社会・世界は常に変化していくのであって、そこで個々人は生き抜いていくだけの力を養い備えもつ必要があるわけで、しかも、他者との共存も無視はできないのです。

 

そして、「バランスを取る」ためには、

「シーソーでも何であっても『軸』が必要だよね・・・」、

「どこを『軸』にするかを明確にしないとバランスも取れないよね・・・」

ということになるわけですが、当然のことながら、この「軸」となるものを見出すこと、またこれを提示して社会で共通了解可能な道筋を得ることは、価値観がますます多様化する現代社会においては大変難しいことです。

ただ、こうした社会の流れを恐れて必要と考えられるものまでも提示しないでいては、何一つとして問題の解決に向けて始めることはできません。そこで、これら社会の流れを恐れずに、それは私なりにではあるのですけれど、経験的なことと学問的なことの探求を重ねていくなかで見出していったその「軸」となるものを、ここで(この企画や自作の資料を通じて)提示することにしたのです。

 

その「軸」とは、決して自由を制限するものではなく「お互いの自由を守るための軸」(=「自由の相互承認」という教育哲学分野での考え方が基)だということ。それともう一つ、「個人一人ひとりにとって根幹をなす目標にもなり得る軸」だということ。

こうして辿っきた先に見えてきたもの、それがここでの大テーマ、

「自立と自律」

というわけです。

 

***このページ下段に載せた資料「子どもたちの自立力育成を探求して(第1編・詳細編)」、同じく資料「第2編」(特に(第1編・詳細編)の12ページ)も併せてご覧いただきたいのですが、その一部を抜粋して、「自立と自律」、「自立」、「自律」それぞれについて要点を述べた部分だけをここに記載させていただくと、

●『個々人が如何なる境遇にあろうとも、そして個々人がどのような道を辿って生きていくのかその生き方は様々で自由であるにしても、決して逸れてはならない共通した「道標」・「軸」として考えられるのが「自立と自律」です。』(・・・言い方を換えると、個々人は「自立」および「自律」を目標にこれを目指して歩みますが、これを歩んでいく過程は様々で自由であるということです。)

●『自立:各人がその能力を活かして、また他者の能力と活かし合って、その社会と調和して生活し続けていくこと <目指すべき行動面での目標>』(・・・「その社会」とは常に変化を伴うものと考えて、これを前提としています。)

●『自律:自立に必要な知識や教養および思考力と実践的スキル(行動力)を絶えず身につけていくと同時に、自らこれら能力を総合的にコントロールする能力(統合能力を含めて)を身につけていること <自立に必要な能力面での目標>』

といった定義で、現時点(2018年12月時点)では提示させていただいております。

尚、資料では、この「自立と自律」を目指す上で必要となる「日々の育成・養成面での目標」といった特に「自律の力(自律)」の育成および「自由の相互承認」の感度を養うのための方法論的な原則と、「土台となる心理面での目標」といったこれら能力・感度を身につけようとするときに人の内面に関わる指針もまた一緒に提示しています。***

 

決して簡単ではないのでしょうけれど、「自立と自律」を『軸』とした目標とこれを具現化する手法を見出していくことによって、前述の《問題提起》に記した問題の多くがその根本的なところから解決できるのではないかと考えています。

例えば一つには、学校教育(公教育)では、「コンテンツ・ベースの教育」に偏っている現状から「コンピテンシー・ベースの教育」も上手に組入れていって、両者のバランスを整えた教育システム(仕組み)と教育手法を見出すことができれば、「自立と自律」を目指した教育はその実現に近づいていくと思います。

それは将来、これら「自立と自律」を「軸」にして育った子どもたち(人たち)が社会へと活躍の場を拡げていったとき、この人たちの手によって「誰もがその能力を活かして社会と調和して生きていく、自由で平和に共生できる世界」を築いていくことに、それはたとえ僅かずつ徐々にであってもそこへと繋がっていく、そう考えています。

少々綺麗ごとを言い過ぎたかな?

 

また現時点での私個人の考えでは・・・、これについては“実質的な意味にいおいて”、日本の「法」はそれを謳っているにも関わらず実際現状ではそうなっていない、こうした観点から申し上げるのですが・・・、日本の教育(公教育)システム(仕組み)全体も、「自立と自律」を「軸」としたシステム(仕組み)に変えていく必要があると思っています。

しかしながら、それは急速な変化・変容であってはならない、“早期に取り掛かって少しずつ時間を掛けて変えていくのが良いと考えています。

確かに先に述べた《問題提起》からすれば急ぐ必要があるのですが、ただ急ぐだけであっては、その新たな教育を受ける子どもたちの成長と社会の変容とが結局は喰い違いを起こすように思います。つまりは、教育という部分のシステム(仕組み)だけ新しく付け替えても、真なる意味をもつものにはならない。これまで私たちが辿ってきた道と、その道を私たちがどのように歩んできたのかを無視することなく、過去・現在の歯車とも力強く噛み合うが如く将来・未来へと進めていく必要がある、と考えます。

 

まぁ~、ここまで色々とごちゃごちゃと述べてまいりましたが、もう少し平易な言葉で申し上げるのであれば、子どもから大人まで、誰もが、「よく学び・働き、よく遊び、よく眠る」ことができる教育や社会の仕組みにならないものかなぁ~、ということを大真面目に考えているわけでして、これを皆で考え取り組んでいくことができればと思っている次第です。

 

いずれにしても、先ずは、どちらの方向に進むのか、その目指すべき方向性を示す「道標(みちしるべ)」となる「軸」を携えて歩んでいくことが大切に思います。

何も「自立と自律」が全てで絶対的であるなどとは考えていませんが、現時点では、

「自立と自律」

が提案し得る大テーマとなります。

これを基に、様々な立場の人たち、多くの人々と共に語り合い意見を交わし合いながら、皆様と共に、より現実的な「道標(みちしるべ)」・「軸」を見出すことができればと思っています。

 

【補足説明】

*「自由の相互承認」の感度を養うことと、先に述べた「共感する力」を磨き養っていくことは非常に近い事であるように思います。いま失いつつある「共感する力」のこれを補い、また少しでも取り戻すためにも、「自由の相互承認」の感度を高めていくことは重要だと考えます。

 

 

《企画の目的》----------

1)ここまで述べてきた《問題提起》、《問題解決の糸口》を基に、様々な立場の人たち相互が、忌憚なく意見を交わし合い、知恵を出し合っていける場(環境と機会)を提供します。

その上で・・・

2)日本の社会において、日本の教育(公教育)において、

➀「個々人が『自立と自律』を目指した行動と能力を身につけていく」そのための方法・仕組み。

②「未知なる問題や未曽有の出来事にも対応し得る人材の育成」および「より良い(好い)社会へと提案・構築していくことができる人材の育成」そのための方法・仕組み。

・・・といったような事柄を中心に、こうした「自立と自律」を具現化するための方法・仕組み(=「よく学び・働き、よく遊び、よく眠る」を実現する教育・社会の仕組み)を、対話や意見交換を重ねながら見出していくことを目指します。

 

3)上記の1)と2)を進めていくために、具体的には・・・

①幅広く様々な立場にある大人の皆さんに参加を呼び掛けて行います。

・子育て中の親御さん、保護者

・幼稚園の先生

・小・中学校・高校などの先生

・スクールカウンセラー

・保育士

・地域ボランティア

・企業等の人事(教育)・採用担当者

・・・などなど。

②互いの意見や考え方を尊重し合う場、先ずはこれを前提とします。

③皆で「共通了解可能」な道筋や方策を探り、またこれを見出すことを目指します。

④適度な緊張とリラックスさのある環境を用意するために「音楽Cafe-Bar」で行います。

・・・これらを基本ルールに、和やかな雰囲気の中で、様々な人たちと共に、皆で深い思考と活発な意見交換を重ねていくことができればと思います(哲学カフェのように)。

 

《内容1:講演と相互対話》------

*****************

上記の《企画の目的》にしたがって、大テーマ「自立と自律」を4つの面から考えます。

 1.子どもの能力の特性 

 2.学校教育(公教育)

 3.家庭での子育て 

 4.地域社会との関わり

*****************

①上記の1.~4.それぞれの問題点や問題解決の糸口の基本となり得る事柄については、愛間純人から「講演」という形(各15分程度)で参加者の皆さんにご説明させていただきます。

②上記①を踏まえて、途中、内容ごとに、任意3~4人のグループに分かれて参加者どうしで、考えや意見を交わし合っていただいたく時間、相談し合っていただく時間など、「相互対話」の機会をつくります。

 

《内容2:音楽ライヴ》-------

これらの間に、あたたかく優しさのある(…と聴いてくださる方々から言っていただくことが多い)アコースティックな音と歌声の「音楽ライヴ」を挟み、リラックスできる時間と空間をお届けします。

難解な問題・課題に向き合いながらも、幾分か非日常的なリラックスできる空間と時間を演出します。またこれによって、豊かな発想と知恵を持ち寄り合うことが参加者互いの間で生まれたなら、と考えています。

 

《内容3:振り返りと共通了解》---

終盤は、《内容1》全体を振り返って、会場にお集まりいただいた皆さんでゆっくりと過ごしていただきながら、ここで出された問題点や提案・意見を整理していきます。そのなかで互いが共通了解でき得る道を探ります

 

《簡単に言ってしまうと・・・》-----

子育て・教育について「自立と自律」をテーマ

「講演」+「対話」+「音楽」

によって、和やかに、活発に意見交換し合える・・・市民向け『白熱教室』と言ったところでしょうか。

 


《実際に開催したときの様子は?》

2019年5月31日(金)、東京・三鷹市のライヴスペース「おんがくのじかん」を会場に、2回目となる「教育を語りあおうよ音楽Cafe-Barで(Vol.2:三鷹編)」を開催しました。

 今回は、中学生・高校生を子にもつ保護者の方が多かったです。皆さんが真剣に私の話(歌も)に耳を傾け、熱心に意見を交わし合ってくださいました。

 

詳しくは、2019年6月3日の「ブログ」をご覧いただけたらと思います。

 



次回の予定は→「ライヴ・スケジュール」でご確認いただきますようお願い申し上げます。


*ご意見・ご提案、ライヴのご依頼、ご相談等(特に、ご質問は大切に思っております)のある方は、「ライヴのご依頼・ご相談」のページをご確認いただいた上で、「メール・ボックス」から送信していただきますよう、お願い申し上げます。


《資料を公開》

子どもたちの自立育成を探求して(第1編・詳細版)

全48ページより以下を抜粋

子どもたちの自立育成を探求して(第2編)

全69ページより以下を抜粋