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2018年

2月

20日

今日の一曲 No.72:ブラームス作曲「クラリネット五重奏 作品115」(レオポルド・ウラッハ&ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団)

「今日の一曲」シリーズの第72回。

72枚目にご紹介する盤も前回に続いてブラームスの楽曲を取り上げますが、話としてはまったく違う頃の話でもあり、前回との繋がりもなく書くことになろうかと・・・。

また、ブラームスの音楽との出会いについても、第11回(2016/12/15)の中で書いたこともあって、今回は省かせていただきます。

では(前置きが長くなりましたが、はじまり、はじまり~)。

・・・・

・・・・

またここ最近、この盤の音がやけに心地好く耳に届く。

 

ところで、コーヒー好きである。それも温かいのに限る。

(コーヒー好きであることは、ライヴに来ていただいている方であったり、このブログでの「ライヴ報告」をお読みいただいている方ならお気づきだったかな?)

 

喫茶店、カフェ、・・・等に寄ったときに注文するのは、そのお店それぞれのブレンド・コーヒー。もちろん、「ホットで・・・」ということになる。

ゆっくり時間を掛けて味わう。徐々に冷めつつもそこに伴うコーヒーの味の変化も楽しむ。

たま~に、残念にも、がっかりさせられるお店があれば、偉そうにも二度と入らない。

だから、東京都内の他にも、ライヴ活動で何度か訪れたことがある各地には、お気に入りのお店(喫茶店、カフェ)が勝手ながらあって、そこに通う。

 

3年ほど前から時折だけれど、ローストした豆を買ってきて手回しのコーヒーミルで、ガリガリ・・・、ゴリゴリ・・・、ググググ・・・、スー・・・っと、自身で豆を2杯分だけ挽いては、沸かした湯をほんの僅かに冷ましたなら、小ぶりのポットを手でゆっくり静かに傾けてドリップ・・・などなどのこともして、少々の贅沢をしている。

だけれど、どうやらあまりセンスがないらしく上達していない(汗)。お気にりのお店でプロに淹れてもらったコーヒーの方が当然のことながら、はるかに美味い(笑)。

 

それでも、自分で淹れたコーヒーの味わいを深めてくれる味方が居ることに、最近になって気が付いた。

 

その味方とは、・・・クラリネット奏者のレオポルド・ウラッハ(ヴラッハ)とウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の演奏で、ブラームス作曲「クラリネット五重奏 作品115」を収録した盤だ。ここから現れる音たちは、1951年の録音で、その後に1976年に再版した・・・でも、これはLPレコード盤だ(笑:上の写真)。<さらに最近CDでも再版されているようです>

 

このLPレコード盤を手にしたのは2009年頃のこと。

抱えた病気が重くなって2度目の社会的リタイヤにまで追い込まれたところから(2004年)、ようやく社会復帰して、

<何とかやっていけそうだ>

という感覚をもち始めたばかりの頃だ。

その日は、三鷹や吉祥寺、さらに下北沢周辺を、ほぼ一日中掛けて中古レコード店の各店を順に巡っていた。こうして出会った盤だ。

どうやら、クラリネット奏者ウラッハのシリーズとして出されたLPレコード盤で、このとき、もう1枚同じく、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団との演奏で、モーツアルトの「クラリネット五重奏」を収録した盤も一緒にあったので、少し無理をして同時に2枚とも購入した(汗)。

 

帰宅して、早速、レコード・プレーヤーに置いて針を乗せてみると、盤の状態もとても良好だった。この50年代のモノラル録音がなんとも耳に優しい。それだけでなく、モノラルの割にはホール感ある残響が薄く微かでありながら丁度好い具合にあるのが、温かく拡がりさえも感じさせてくれる。

 

「あれ?」と思った方はこのブログをよく読んでいる方ですね~。

これまでクラリネットに絡む話題のときは必ずと言って、「カール・ライスター」というクラリネット奏者の名前が出てきた。

淀みのない透明感のある音色に精密かつ高度なテクニックを魅せつけて、遂、「完璧」と言いそうになる完成度の高い音楽で魅了するクラリネット奏者の名前だ。・・・ベルリン・フィルの首席クラリネット奏者としてだけでなくソロ活動も含めて、特に、1970年代後半頃から2000年頃までに掛けては精力的に演奏活動とレコーディングに挑んだクラリネット奏者だ。

 

対して・・・、

今回のこの盤で紹介しているレオポルド・ウラッハとコンツェルトハウス四重奏団(録音当時は、アントン・カンパー、カール・マリア・ティッツェ、エーリッヒ・ヴァイス、フランツ・クヴァルダがメンバー)は、彼らはいずれも、同時にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者で、主に1930年頃から1950年代に活躍している。

きっと、それでだろう、その伝統的でウィーンフィル独特の柔らかく包み込むようなアンサンブルは、精密とか高度なテクニックというよりは、人間的で、心情豊かな響きをもたらしてくれる。

ウラッハのクラリネット自体もそうで、4人の弦楽器アンサブルに溶け込みながら、さらに穏やかで包容力のある音色で、「ゆったりとお聴きください」とでも語ってくるような演奏だ。

これらの演奏がもたらしてくれる音たちは、更に、ブラームスが作曲した「クラリネット五重奏 作品115」という楽曲で表現される音の一粒一粒も、楽曲全ての流れにも真に合致している。だから、この上ない優しさと温かみのある心地好さを届けてくれる。

 

つまりは、自分で淹れたコーヒーも、極上の味わいへと(少し盛り過ぎか?:笑)錯覚を引き起こしてくれて、これがますます勝手なる心地好き(よき)時間へと誘ってくれるのだ。

こうして、

 「ん~、美味しいねぇ~」

となる・・・(笑)。

一時の幸せ感なんて、こんな錯覚が切っ掛けでもよいのかも知れない・・・と、思えてくる。

 

さてと、もう一杯、コーヒーの御かわりを・・・。

 

2018年

2月

15日

今日の一曲 No.71:ブラームス作曲「ピアノ協奏曲第2番」(ルービンシュタイン&オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団)

「今日の一曲」シリーズの第71回です。

71枚目の盤、これはもしかしたら名演・名盤の一つでは?と思えるLPレコード盤です。第6回(2016/11/03)で、ホルスト作曲の組曲「惑星」をユージン・オーマンディ指揮でフィラデルフィア管弦楽団演奏のLPレコード盤と一緒にご紹介させていただきましたが、今回はその続編的な話になります。

それでは、・・・・

・・・・

高校に入学したちょうどその頃に手にした一枚のLPレコード盤・・・ホルスト作曲の組曲「惑星」はユージン・オーマンディ指揮でフィラデルフィア管弦楽団の演奏のものだった。

洋服職人の叔父の影響でだろう、3歳の頃からクラシック音楽やストリング・アレンジの映画音楽などをレコード盤を通して聴くことは生活の中にあった。むしろ、物心ついた年齢には自らも好み、選んで、これらの音楽を聴くようになっていた。

その中で、ユージン・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団という組み合わせは、当時の高校生コゾウにも強いインパクトを与えたフルオーケストラの響きだった(ここまでの内容は、第6回(2016/11/03)にも記載)。

 

以来、月々もらっていた小遣いを貯めながら、家の近所にある例の物静かそうなオジさんが独りで営んでいるレコード店に度々立ち寄っては購入の機会を待ちきれない思いで過ごしていた。

<ユージン・オーマンディとフィラデルフィア・・・>

レコード店に立ち寄る度に呪文を唱えるがごとく胸裏で呟いた。

 

半年近くは経過していたと思う。

高校1年生の夏も過ぎて2学期も始まっていたから・・・。少しばかり美しくない話ではあるのだけれど(恐縮ながら)、この頃、現在から思えばストレス性のものだったのかも知れない・・・ひどい下痢を繰り返し起こしていて2学期早々3日ほど学校を休んだりもした。

にもかかわらず、何故か病院にも行かないでいた。両親にも伝えなかった。きっと、下痢の症状と学校に行きたくない気持ちは繋がっているという自覚があったからだろう、言えなかったのだ。学校を休んだ日も、おそらく下痢を理由にしないで嘘をついてごまかしたように想う。

9月の終わり頃か10月に入っていたか?・・・この頃、だいぶ下痢の症状は和らいできていたものの、相変わらずその症状は数日おきに繰り返していた。学校が休みの日・・・日曜日か祝日だったか、それともこの季節は文化祭や体育祭が続いてその代休だったか・・・、ようやく貯まった小遣いを持ってレコード店へ。

もう狙いは定まっていた。

物静かそうなオジさんにもこの一週間ほど前に正式な予約ではないけれど、小遣いが貯まったら購入することを宣言しておいた(笑)。

<ユージン・オーマンディとフィラデルフィア・・・>

またも呪文のように胸裏で呟きながら、その盤が置かれているはずのラックに手を伸ばした・・・

「あれっ?」

・・・

「ああ、ゴメンなさい、これだよね」

・・・

「えっ?あ、ありがとうございます」

 

オジさんは、お目当ての盤を別にして取っておいてくれた。

ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団、ここに、アルトゥール・ルービンシュタインのピアノが加わっての演奏、ブラームス作曲「ピアノ協奏曲第2番」、1971年の録音で1975年発売のLPレコード盤だ(上の写真)。実際には発売になって1年後くらいに手にしたことになる。

 

付属の解説書によれば、指揮者のユージン・オーマンディは録音当時72歳、ピアノのアルトゥール・ルービンシュタインは84歳、いずれも東ヨーロッパ出身で第1次世界大戦を経てアメリカ人として演奏活動を続けることになったという。ルービンシュタインに至ってはルービンシュタインが10歳までブラームスも生きていたという。

 

よく高年齢の演奏家たちの演奏を、技術的なキレよりも円熟した云々などと評したモノを読んだり聞いたりするけれど、実際にはそんなことではなくて、技術の高さを含めて言い尽くせないほどの超越したものを常に感じる。

この手に入れた盤からもそうで、ブラームスはピアノ協奏曲を2曲しか創っていないのだけれど、明らかに「陰・陽」の「陽」を表現しているのがこの「第2番」の方だ。それを、オーマンディもルービンシュタインも若々しく明瞭な音を引き出して、時に力強く、しかし、奥深い響きと演奏運びは穏やかな高揚感をもって終始奏で、あるいはコントロールしている。ここに交わるフィラデルフィア管弦楽団の響きは広大な奥行と拡がりを魅せつけて、もっと言えば、大宇宙にでも解き放れたような無限な解放感を届けてくれる。・・・同時に、古典派の形式と構造的な音楽を踏襲しながらもその旋律やオーケストレーションはロマン派を代表するブラームスならではの新鮮な風がこの「ピアノ協奏曲第2番」からも感じられて、オーマンディとルービンシュタインとフィラデルフィア管弦楽団の演奏がこれにも適って、まさに名演・名盤に思える。

・・・当時の下痢気味の高校生コゾウが感じていた記憶を土台に現代の私の感想を上乗せしてはいるけれど、感じ方はそう違ってはいないはずだ。・・・同じ人間で、きっと大した進歩もしていないだろうから(苦笑)。

 

この名演・名盤、もしかすると、このストレス性胃腸炎(?)を治すには効果があったのかも知れない。なぜなら、このLPレコード盤を聴いてから後々、下痢の症状はほぼ治まったのだった。嘘のようなホントの話(たまたまなのだろうけれど・・・(笑))。

ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団、ピアノがアルトゥール・ルービンシュタインの演奏で、ブラームス作曲「ピアノ協奏曲第2番」・・・好い~薬です。

・・・なんてね(笑)。

 

2018年

2月

11日

今日の一曲 No.70:ハーブ・アルパート(Herb Alpert)「マジック・マン(MAGIC MAN)」

「今日の一曲」シリーズの第70回。

70枚目の盤をご紹介させていただきながら、その中の一曲とともに、今回もまた様々勝手に語らせていただこうかと思います。

前回、チラッとだけ触れたこの方のアルバム(LPレコード盤)をもとに・・・、では・・・。

・・・・

・・・・

 前回、第69回(2018/02/08)に登場の・・・一緒に食堂で定食をガッツいて食べていた大学の先輩(1つ上)は、その井上陽水の大ファンという食堂のオバちゃんの紹介で知り合った。きっと、入学して数か月過ぎても大学生活に馴染み切れていない若ぞうを見かねてだったのだろう・・・音楽好きという共通項を探り当ててくれたオバちゃんのお節介かつ優しさから生まれた縁だった。

で、もともとはこの先輩から、ハーブ・アルパート、1979年のアルバム「ライズ」(LPレコード盤)を聴かせてもらったのが切っ掛けだった(第10回(2016/12/12)に記載:このときはアルバム「ライズ」の中から「アランフェス」を紹介)。

 

あえて分かりやすく区分けした言い方をすれば、70年代後半から80年代前半の「フュージョン系ジャズ」または「フュージョン系ポップス」と呼ばれる音楽、そのトランペット奏者であり音楽プロデューサー。

「ハーブ・アルパート」と言えば、やはり「ライズ」は最高でご機嫌な一曲だ。

・・・と言っておきながら、この「今日の一曲」シリーズでは未だ詳しくは紹介していないのだけれど・・・素直じゃないから(笑)。

 

よく憶えている景色の1コマ・・・。

この頃には珍しく専攻するゼミの研究室に入り浸っていることもなく、早目にアパートの自室に帰ってボーっとしていた。

夕方、あまり遅い時間帯ではなかったと思う・・・松山千春さんがDJをつとめるラジオ番組があった。

当時はラジオというと、私的には、大抵、FM局のものを好んで聴いていたのだけれど、たまたまAMラジオのバンド上でチューナーを探っていたところ、「面白そうだな」となって選局した番組がこれだった。

アパートの木枠の窓ガラス越しに見える外の景色・・・少し離れた小学校の校庭の際に並んだ桜や銀杏の木々の葉が秋色に、でも、この日は、弱い雨がしとしとと降っていて、鎮まった感じのトーン(色調)に映って見えていた。

 

「少し強い雨が降る中、車を運転しているときでさぁ、フロントガラスに落ちて車のワイパーに弾かれる雨粒と、前方の濡れた道路と一緒に過ぎて行く景色とが重なる様が、カーラジオから聴こえてきたこの曲とぴったり合った感じがしたんだよねぇ・・・」

「・・・では、今日、最後の曲は、ハーブ・アルパートでマジック・マン、松山千春でした」

(すみません、この部分の会話文は正確さを欠きますが、おおよそ、こんなことをおしゃっていたと思います)

・・・・

<雨かぁ~>

眺めていた窓外の景色と、ラジオから聴こえてきた松山千春さんの語りとが、何だか少し重なった気がした。

そして、

『マジック・マン(MAGIC MAN)』

が聴こえてくる。

・・・・

<新しいアルバムを出していたんだなぁ~>

・・・・

ハーブ・アルパートのトランペットは・・・、

トランペットという楽器がもつそれならではの音を張ったハイトーンや煌びやかな音色で華やかに演じて魅せたりが決してない。

まったくその逆だ。

落着き払って語りかけてくる。甘く囁いたりもする。熱く語るときもあるけれど、内面にしまってあるその何割かは内に秘めたままで何処か大人な語り口で情熱さえも表現する・・・。

その分、余計に聴く人(私)の内側を揺さぶる。

が、「マジック・マン」は、また更に(アルバム「ライズ」に比べて)、より大人っぽく、より紳士的に、聴こえてくるのだった。

 

再び窓外に目を向けると、夕暮れというよりは雨のせいだろう、辺りは薄暗くなってきていて街灯にも灯かりがともるのが見えた。

 

<ラジオの電源はOFFにして・・・と>

<さてと、行くかな・・・>

 

当然のことのように(?)・・・、傘をさしながら船橋市と習志野市の境くらいのところにある例のレコード店へと向かった。

ハーブ・アルパート、1982年のアルバム「マジック・マン(MAGIC MAN)」(LPレコード盤)を手にするために(上の写真:笑)。

 

2018年

2月

08日

今日の一曲 No.69:井上陽水「ワカンナイ」(アルバム「ライオンとペリカン」より)

「今日の一曲」の第69回になります。

今回は(も?)時系列的に、あちらこちらへと時代を行ったり来たりになるかも知れませんが、ご容赦のほどを・・・(汗)。

では書かせていただきます。

・・・・

・・・・

大学生時代、木造アパート4畳半一間の部屋を借りていた。その部屋から50歩も歩くか歩かないところに、値段も安くて食べる量としても十分のメニューが揃った食堂があった。中華のメニューが中心で特に焼き餃子は絶品で、他にも、ハンバーグ定食や生姜焼き定食、焼き魚定食などもあって下宿する学生たちに合わせたメニューも多い・・・が、それだけではない居心地の良さもあってここには通った。自炊を断念した平日の夕食、日曜日などの休日の朝食兼昼食はここでほとんどを食した。

 

ある日の夕食どき、同じ大学の先輩と(第10回に載せたハーブ・アルパートのLPレコードを聴かせてくれた人)この食堂に入った。

「いらっしゃい!」

元気なオバちゃんの声が迎え入れてくれる。

中学生と高校生の二人の娘さんがいるというオバちゃんは45歳前後くらいだろうか・・・、威勢の良い声とはギャップがあって、割りとスラっと背の高い、さぞ、もっと若い頃は男性ファンも多かったであろう美人タイプだ。・・・というのが、この食堂の常連ともいうべき当時の男子学生たちの偏見っぽい評価だった。ま、好評であったのだ。

 

この日はたまたまカウンター席に座ったので、カウンター越しにオバちゃんとお喋りをしながらになった。でも、先輩と二人で定食をガッツクようにして食べながらで・・・、

「昨日はお店閉まってたね?」

・・・

先輩曰く、

「そりゃぁ、決まってるでしょ・・・」

「陽水だよね?・・・オバちゃん」

 

「ごめんね~、前もって知らせるの忘れちゃったんだよ」

「まあ~でも、もう、みんな分かってるかなと思って・・・」

 

「え?何?」

「ヨウスイ?」

 

「そう、オバちゃんが井上陽水のライヴに行くときはお店は臨時休業というわけ」

 

「オバちゃん!井上陽水のファンなの?!」

 

「もう大好き!デビューして直ぐくらいからだから10年くらいだね」

・・・・

と、オバちゃんは忙しく中華鍋やらフライパンを操りながらもお喋り全開。その脇では、無口なオジさん(オバちゃんの旦那さま)がコツコツと盛り付けをしている。

・・・・

こんな具合に、オバちゃんが井上陽水ファンであることを知って間もなくのことだった。FMラジオで通常番組の放送時間を少し延長して特別企画で井上陽水のスタジオ・ライヴが放送された。

おそらく、オバちゃんが語る井上陽水論とFMラジオのスタジオ・ライヴに簡単に洗脳されたのだと思う。数日のうちに、これまでも幾度か登場の船橋市と習志野市の境くらいにあるレコード店へ・・・もちろん、井上陽水の最新アルバムを買いにだ。

井上陽水、1982年のアルバム「ライオンとペリカン」(上の写真)。もちろん、LPレコード盤だ。

<なんだかオトナなアルバムだな~>

夜の男女が色っぽくも上品に描かれている楽曲たちが並べらている・・・というのが印象。(・・・当時の若ぞうの感想だよ。)

 

その中で、当時の社会状況や世の中を俯瞰的に眺めては少々の皮肉というスパイスを効かせているような楽曲があった。

B面の4曲目、「ワカンナイ」。

宮沢賢治のメモ帳に残されていたという誰もがきっと知っているであろう詩・・・

『雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ・・・・』

その詩をモチーフに、井上陽水流にアレンジされた歌詞がやや強い調子の音に乗せられて表現されている曲だ。

雨にも風にも負けないでね

暑さや寒さに勝ちつづけて

一日、すこしのパンとミルクだけで

カヤブキ屋根まで届く

電波を受けながら暮らせるかい?

 

南に貧しい子供が居る

東に病気の大人が泣く

今すぐそこまで行って夢を与え

未来の事ならなにも

心配するなと言えそうかい?

 

君の言葉は誰にもワカンナイ

・・・・

・・・・

 

中学生の3年間は図書委員だった。

中学1年生のときに初めて同じクラスになって、

<ステキなコだなぁ>

と、当時のガキが心の奥底に感じてたと思われる女子と一緒の図書委員になった。

(あの~、決して意図的に図書委員になったのではない・・・(汗・笑)。)

明るくて朗らかそうで、バスケットボールが上手で、勉強もできそうで、ちょっと男前なところもある女子・・。

言ったら、無い物ねだり的な憧れからだったようにも・・・。

図書委員は昼休みと放課後に図書室で本の貸し出しと返却に応対する当番があって、当番のときにはこのコと受付カウンターに居るわけなのだけれど、暇なことも多く、かと言って、上手い具合に会話を続けられそうにもないアセリばかりで過ごすようになっていた(汗・笑)。

よく憶えていない・・・何かの切っ掛けはあったはずなのだけれど・・・、まずは、「銀河鉄道の夜」というタイトルだけで本棚から引っ張り出してきたこの作品を、その受付カウンター内で読みながら過ごすことにした。それ以来、宮沢賢治作品を続けて読むようになると、やっぱり賢い・・・このコは、宮沢賢治作品をネタに話題を振ってきて受付カウンター内を和やかな場にしてくれた。

中学2年生の後半くらいだったか、このコは転校してしまった。

図書委員はその後も続けた。

宮沢賢治作品も読み続けた。中学生当時のガキが、宮沢賢治が描く世界のその深くまでを理解していたとは思えないけれど、その言葉や語の音の独特なリズム感が何とも心地好く感じながらページを捲っていったことだけはよく憶えている。

3年生のときには図書委員長になった。・・・なんだか笑える。

 

井上陽水の「ワカンナイ」を聴く度に、それはこの盤を手にした大学生の頃からその後も、そして現在もそうで、心奥底には微妙な痛みを感じてならない。

つい思慮深くもなく行動する行為や偽善的な振る舞いへの忠告であるようで、これらへの反省を促してくるかのような痛み・・・なのか。それと同時に、中学生の頃のあまりにぎこちない心の奥底をほじくるような痛み・・・もなのか。・・・それはよく「ワカンナイ」。

 

2018年

2月

03日

今日の一曲 No.68:ストラヴィンスキー作曲 バレエ「春の祭典」(カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団より)

「今日の一曲」シリーズの第68回。

今日は節分、皆様は、豆まきをしたり、恵方巻を食べたりされるのでしょうか。

節分、そして、明日には立春を迎えます。私の中では、この一曲がそれと繋がってしまいます。それでは、今回も書かせていただきます。

・・・・

・・・・

「鬼はぁ~そとぉ~!」

「福はぁうち、福はぁ~うちぃ!」

 

大きな声が東北なまりの独特のイントネーションで近所中にも響き渡る。一年に1度か2度くらいしか見られない父の笑顔とその姿だ。毎年、節分の日だけは穏やかに過ごせた。

 

山形県出身で塗装職人の父は、気性の激しい方の人だった。もっともこの当時、建築現場等で働く職人さんたちは皆こんな感じなのだろう・・・と、幼い日の私は勝手にそう理解することにしていた。

そんな日常は、何だか訳の分からないうちに大きな怒鳴り声とともに頭を小突かれたり、頬を平手で引っ叩かれたりで、特に夕食どきにお酒が入るとその確率は大いに高まった。

「何か気のさわることを口走ったのだろう」

と、幼い当時(4歳くらいから小学校2年生くらいまでの間)は、こうして納めるしかなかった。

5歳下の妹が生まれて妹が3歳くらいになると、父も普段から幾分穏やかになったようには感じられたけれど、父への恐怖は変わらないままで、節分の豆まきのときに何故かご機嫌な父の様子は反って奇妙にしか映っていなかった。それでも平穏が確保された日ではあった。

 

さて、1964年の2月に、それは録音された。

イーゴル・ストラヴィンスキー作曲、バレエ「春の祭典」、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だ。

残念なことに、所有しているのはその後リマスターされて1996年に再版されたCDだ。

同曲で、レナード・バーンスタイン指揮でイスラエル交響楽団が演奏したのを収録したLPレコード盤も持っていた。とてもお気に入りの盤だったのだけれど、いつの間にか見当たらなくなって(泣・汗)、それで、このCDを買った。

 

雪解けの地面の下では、目を覚ましたり、あるいは芽を伸ばそうと、動物も虫も植物も・・・、その生命たちが春という季節を待って準備を始める。やがて、ゆっくりと静かに、または、力強く勢いよく、その姿を現す。

が、大自然の営みに常にあるのは、「命を育む生のエネルギー」と、ときに災害をも招く「破壊と恐怖のエネルギー」の両面だ。

ストラヴィンスキーの「バーバリズム(民族主義的原始主義)」の音楽は、拍子の激しい入れ替わりを伴う強烈なリズム表現を中心に、加えて、管弦楽楽器の一つひとつの特性を重ねて創り上げた無調の音の響きで、大自然の生々しさを表現して迫ってくる。

バレエ「春の祭典」は、第1部に「大地礼讃」(序奏・春のきざしと乙女たちの踊り・誘拐・春の踊り・敵の都の人々の戯れ・賢人の行列・大地のくちづけ・大地の踊り)、第2部に「いけにえ」(序奏・乙女たちの神秘な集い・いけにえの賛美・祖先の呼び出し・祖先の儀式・いけにえの踊り)で構成されている。

 

・・・これが、私には、節分の「豆まき」と重なって想えてしまう。

 

このCDを手にした1996年頃というと、私も二人の子の父親になっていた。

長女が5歳、長男が3歳の頃だ。

節分の日の豆まき・・・夕食の時間を前に鬼のお面を被ってその役に徹する。二人の子どもたちは昼間のうちに保育園で豆まき会をしてきていて、場を盛り上げるのも上手だ(親バカも含んで:笑)。

鬼を恐がって部屋中を逃げ回ったり、一転して、幾粒かの豆を投げて反撃に出たり、その絶妙なバランス具合で、豆まきをなかなか終わらせようとはしない。

「鬼はぁ~、そとぉ~!」

姉弟の連携ぶりもアピールしながらお見事。

そこに鬼への反撃のときだけかぁ~?・・・夕食を支度していたはずの妻までが加わってきて・・・(笑)。

遂には、鬼は本当にヘバッテ、床に倒れて込んで、「降参、降参」となる。

「福はぁうち、福はぁ~うちぃ~!」 

子どもたちから元気よく発せられる掛け声のイントネーション、・・・それは不思議と誰かのと似ている(笑)。

 

日々、笑顔も笑い声も絶えなかった。

 

ちなみに、この頃、私の父は・・・、そう、孫たちから見れば、常に笑顔の「福の神」でしかなかった。

 

2018年

1月

27日

今日の一曲 No.67:Godiego(ゴダイゴ)「MONKEY MAGIC(モンキー・マジック)」(アルバム「西遊記 」より)

「今日の一曲」シリーズの第67回目です。2018年に入ってから現代音楽などのマニアックよりな音楽の紹介が続いたので、今回はいたって大衆的な音楽を・・・。

・・・・

以前にも書かせていただいたけれど、高校2年生の秋頃からある出来事(2つ3つの事が重なった)を境に人が変わったように・・・本人がそう思い込んでいるだけかも知れないけれど(汗)、馬鹿は馬鹿なりに高校生活を前向きに過ごそうと決心した。

決心したところで急に物事が好転するわけでも、すんなりと思い通りに事が進むわけもなく、将来への展望はまったく掴めないでいた。当然のことながら自立する覚悟も力も身についていなかった。

当時の正直な心境としては、時間稼ぎの意味もあったのだけれど、もっと何かを身につけないことには社会に出で通用しないという自覚くらいはあった。それで、大学進学を目指すことにした。まあ、思慮深さにも欠ける高校2年生が掲げた目標はこんなものだ(汗)。

 

受験勉強も、それを言うにはあまりにお粗末で、中学校の内容を見直すことの方が殆んどだった。

でもね・・・、

常々思っていることに、「私は人との出会いだけは幸運・強運だなぁ・・・」ということ。

この当時も、優秀なる頭脳をもちながらもこんな馬鹿者の勉強につき合ってくれるお人好しな友人がいてくれたり、「そんなのお前には無理、無理」などと言わずに、言葉だけであっても、「がんばれよ」と応援をしてくれる仲間連中がいてくれた。

これらの幸運・強運をエネルギーに変換できない人間であってはならないと思うのだった。受験勉強が続けられたのは周囲の人たちのお蔭でだ・・・現在から振り返ってみてもそう思う。

学校が休みの日もほぼ一日中部屋に籠って勉強をした。昼食後の1時間ほどは近所のレコード店にふらっと出掛けたり、夕食後1時間ほどはテレビを視たりするくらいはあったけれど、それ以外は受験勉強に時間を費やした。

部屋をうろうろ歩きまわりながら暗記をしたり、決してお行儀良く机の前に座ってばかりではなかったけれど・・・。

 

高校3年生になっていたと思う・・・、日本テレビ系列で「西遊記」という番組があった。孫悟空役に堺正章さん、猪八戒役に西田敏行さん、沙悟浄役に岸部シローさん、そして、「きれいな人だなぁ~」と青年も思っていた(笑)・・・玄奘三蔵(三蔵法師)役に夏目雅子さんが演じて、広い世代に渡って人気になったテレビ・ドラマだ。

毎週の放送時間を夕食後の休憩時間に当てた。・・・いや、ただ誘惑に負けただけだ(笑)。

 

この「西遊記」のオープニングから挿入歌、ドラマ中の音楽の全てを担当していたのが「Godiego(ゴタイゴ)」だった。

リーダーでキーボードのミッキー吉野、リード・ヴォーカルのタケカワ・ユキヒデ、ベースのスティーヴ・フォックス、ギターの浅野孝巳、ドラムスのトミー・スナイダーがメンバー。

ロックを基調とする音楽を中心に、当時は、映画、CM、ミュージカルなどにも次々と活動の場に広がりを見せて、革新的でもあるその高い演奏テクニックを伴ったサウンドと音楽性は大衆を魅了しつつあった。

 

それは高校生の一人にも刺激的で面白く感じられる音楽だった。

 

まもなく、「Godiego」の3枚目のアルバムとして、「西遊記」のサウンド・トラック盤が発売された。もちろん、LPレコード盤だ(上の写真:ジャケット裏面側、メンバーが西遊記のキャラクターに扮している)。

収録曲は全12曲。ドラマのエンディング等にも流された「GANDHARA(ガンダーラ)」もオリエンタルなサウンドで大ヒットしたけれど、当時の高校生的には、メンバーの高い演奏テクニックと元来のロックバンドとしての「Godiego」が楽しめて、あり余るエネルギーやら鬱憤やらも含めて満たしてくれるサウンド感は、オープニング曲の「MONKEY MAGIC(モンキー・マジック)」にあった。

 

LPレコード盤に針を乗せたなら、メンバー一人ひとりの技量と持ち味が真に混ざり合わさって化学反応したかのような振動までが伝わってくる。

少々短絡的な当時のひとりの高校生の感じ方に過ぎない(・・・のでお許し願いたい)のだが、この一曲の音で一瞬にしてご機嫌になれた(笑)。

やっぱり、浅はかな馬鹿な高校生だったかな?(笑)。

受験勉強の応援曲の一曲に聴こえていたのかも・・・。

「さあ、勉強、勉強、・・・」

「アイツらの温かい気持ちを無駄にす(る)んじゃないぞ・・・」

と、自分に言い聞かせて・・・。

 

さて、このあと、奇蹟的にも大学に合格してしまうのだった(笑)。

 

2018年

1月

18日

今日の一曲 No.66:ヴィラ・ロボス作曲 「木管五重奏『コーラス形式で』」(アンサンブル・ウィーン=ベルリン)

「今日の一曲」シリーズの第66回目です。今回は、当時のクラシック音楽界の中で、スーパー・スターたちの共演とも言える演奏を収録した盤とともに、一曲をご紹介させていただきます。

それでは・・・・、

・・・・

ドイツ式クラリネットの音色は、またフランス式のとは明らかに異なる主張をもって耳に届く。

<第19回目:2017/02/04 にも載せたけれど・・・>

高校生のときに、国内のクラリネット奏者の第一人者と評された村井祐児さんのリサイタルが、当時としては珍しく(東京の田舎町方面では)、自宅から比較的近いところで開かれて、運良くチケットを手にすることもできて、初めて、生で、プロのその演奏を聴いた。

これはフランス式クラリネット。

でも、これを切っ掛けにクラリネットの音色に魅了されていった。

そのうちに、ベルリン・フィルの首席クラリネット奏者でもあったカール・ライスター演奏のLPレコード盤に出会った。モーツアルトのクラリネット協奏曲が収録された盤だ。

「ちがうっ!」

クラリネットだけど、違うのだ。

で、フランス式とドイツ式があることを知った。

カール・ライスターの奏でるクラリネットはドイツ式だった。

・・・・・

フランス式の音色は、やや渋みがあって、豊かな表情と味わい深さを感じられて、これが心地好く感じられる。

ドイツ式は、これよりも、もう少しだけ、紳士的・貴婦人的というか、気取った感じをも演出して聴こえてくる。

 

高校生以来、クラリネットで演奏される楽曲に様々触れるようになると、ドイツ式では、カール・ライスターの音色とその演奏に更なる魅力を感じるようになっていった。それで、カール・ラースターを追いかけているうちに・・・・出会った盤が、

「アンサンブル・ウィーン=ベルリン」・・・1983年にウィーン・フィル管弦楽団、ウィーン交響楽団、ベルリン・フィル管弦楽団のヨーロッパ3大オーケストラに所属してそれぞれの楽器で首席奏者を務める5人の演奏家が集結、同1983年5月に録音、1984年に出されたLPレコード盤だ。

フルート奏者はヴォルグガング・シュルツ(ウィーン・フィル)、オーボエ奏者はハンスユルグ・シェレンベルガー(ベルリン・フィル)、ファゴット奏者はミラン・トゥルコヴィッチ(ウィーン交響)、ホルン奏者はギュンター・ヘグナー(ウィーン・フィル)、そして、クラリネット奏者はカール・ライスター(ベルリン・フィル)。80年代のクラシック音楽ファンなら誰もがその名を知っている5人による木管五重奏団、その演奏が収録された盤ということになる。

 

このLPレコード盤には、ハイドン(本当はプライエルかも?)作曲のディベルティメント、ダンツィやイベールの木管五重奏の定番ともいうべき作品が収録されている。が、そこに・・・、

 

「なに、なに、なに・・・」

「へえ~っ!凄い!・・・面白い!」

B面の最後に収録された作品とその演奏に、一気に五感が奪われるのだった。

あまりに無秩序に変化しながら進行する音たちは、でも決して不自然な変化ではなくて、南米民俗音楽の匂いを時折に漂わせては、更に僅かながらバッハのオルガン曲のような音の重なり方のスケールをも響かせて、聴き手を翻弄するかのように聴こえてくる・・・・

「この楽曲って?」

・・・・エイトール・ヴィラ・ロボス作曲、「木管五重奏『コーラス形式で』」という作品だった。

直ぐに、付属の解説書に目を通すと、ヴィラ・ロボスは、スペイン系の父とインディオの母との間にブラジルはリオ・デ・ジャネイロで生まれた現代音楽作曲家(1887年~1959年)だった。バルトークなどの影響も受けているらしい。

この何とも異端な現代音楽が、伝統あるヨーロッパのオーケストラに属する5人の名手たる演奏家たちから繰り出される妙技によって次々と表現されていくのだから、

「こりゃぁ~、たまらんっ!!」

 

現在に至っても、またもや興奮してくる(笑)。

 

クラリネット奏者カール・ライスターから「アンサブル・ウィーン=ベルリン」というスーパー木管五重奏団に辿り着いたのではあるけれど、当時の1984年頃というと、20歳代前半でもあって、クラシック音楽の古典派やロマン派の作品よりも、丁度、現代音楽にますますハマっていた頃でもあって、だから、まんまとタイミングよく、ヴィラ・ロボスのこの作品に一気に吸い込まれてしまったというのもあるだろう。

・・・

ん?・・・例の社会人1年目から2年目の頃とも重なっていたから、もしかすると痛みや傷口をこの曲でも埋め合わせていたかも知れない・・・。だけれど、この一曲に関してはその印象は全くない。何よりも、初めて盤に針を乗せたときの印象が強すぎて・・・(笑)。

 

2018年

1月

14日

ライヴ報告:「ほっと楽しやハートライヴ(第12夜)」を終えて ~ほぼ(笑)満員御礼・感謝・感謝~

1月13日(土)、『ほっと楽しやハートライヴ(第12夜)』のご報告です。

 

冷え込みが一段と厳しい昨夜の東京・阿佐ヶ谷、「ライヴ小屋 Next Sunday」に用意した座席はほぼ埋め尽くされるほどで、それだけの人が足を運んでくださった。ほぼ・・・「満員御礼」とのなったライヴ会場を見渡しながら、感謝、感謝しかなかった。

ゲスト出演者の方たちの魅力も勿論のこと、営業にご尽力いただいた「H氏」のお蔭もあってかと・・・(笑・でも感謝)。

 

今回のゲスト出演者は出演順に、

岡本直史さん、ひらげエレキテルさん(&ギター・サポート「地蔵郎」こと井上さん)、吉浦隆司さん(奈良県から)、ピロシキアンサンブル(カノミ&さとこ)さんの・・・いつもよりも多い4組の方にご出演いただいた。

ゲスト出演者のライヴを、客席に居ながら拝聴・拝見して、それはそれは十分に堪能させてもらった。ゲスト出演者それぞれのライヴの感想などを、ここに半端に書けば反って野暮になりかねない。ライヴ中のトークではお話しさせていただいたけれど、ここでは詳細は記さないでおくことにしよう(・・・ライヴ会場に居合わせた人どうしにしか分からないことがあるかと)。ともかく、居心地好く過ごさせていただいた。

 

さて、さて、すっかりお客さんモードになっている自身に、

「お前は出演者だぞ!」

と、胸裏で叱咤激励する。

で、最後に自身がステージに立った。

進行が予定よりもオシている(遅れている)。

21時15分。10分オシだ。

遅い時間にも関わらず、客席は席を立たずに待っていてくれている。

感謝、感謝、そして、謙虚な思いにさせられる。

演奏を開始・・・

「心にある足」、

「ねじれの位置」、

トークを挟んで・・・

ゲスト出演者の紹介とそのライヴの私的な感じ方などを話させてもらって・・・、

客席から誕生日も祝っていただいいて・・・

「桜、夢色」

・・・ステージ直ぐ上のエアコンの風をまともに喉で受けてしまい(事前に切ってもらうのを忘れた~ぁ)、ちょっとアクシデント(笑、失礼)。

トークを挟んで・・・

「ほっと楽しやハートライヴ」をプロデュースする思いと願い、そして、今後のこと等・・・

「朝陽は空色を変えて」

・・・演奏入る前、沢山の拍手をいただいて、演奏途中に、うっかり感極まってしまって(涙、ごめん)。

・・・・・

<ええっ!!アンコール!!>

・・・

「木漏れ日の願い」

・・・今宵、居合わせた皆様への感謝と、幸せや好き(よき)人生を願って、でも、今度こそ、半分は冷静に演奏させていただいた。

 

本当に、本当に、皆様、ありがとうございました。

 

<追記として・・・(失礼ながら・・・)>

しばらく(半年あるいは1年)、愛間純人の演奏をライヴハウス等で聴くことはなくなるかと思いますが(教育・福祉・住民交流などへの出演の御依頼があれば飛んでいきます!)、必ずやバージョンアップした『ほっと楽しやハートライヴ(第13夜)』をお届けできるように戻ってまいります。それまでお待ちいただきたく存じます。

それと・・・、

これまでの『ほっと楽しやハートライヴ』にゲスト出演してくださったアーティスト(ミュージシャン)さんたちのライヴは、音楽スタイルこそ違いますが、愛間純人と似通った音楽魂(?)をお持ちの方々のライヴです。この方々のライヴにも是非とも足をお運びいただきたく存じます。

 

2018年

1月

08日

今日の一曲 No.65:Lionel Richie(ライオネル・リッチー)「SE LA(セ・ラ)」

新成人の皆様、おめでとうございます。

「ブログ」をお読みいただいている方の中には10代・20代の年齢の方もいらっしゃるようですので、私のようなオジさんにならないことを祈りながら(笑)、ご自身とその周囲の方々と共に好き(よき)人生を歩まれることを願っております。

さて、「今日の一曲」シリーズは第65回目。何故にこれまで紹介していなかったのかが不思議・・・?・・・今回は、お気に入りの中のお気に入りのLPレコード盤とともに、ある一曲をご紹介させていただこうかと思います。

・・・・

・・・・

「世の中には、こんなにも素晴らしい人間がいるものなんだぁ~」

「ああ~、救われたぁ~」

「なんてラッキーなんだろう!!」

 

(これまでも度々、本ブログで書かせていただいているけれど・・・)

 社会人1年目、就職した職場の派閥争いのどちらにも加わらないでいたら干されてしまって、2年目はアルバイト3件を掛け持ちで喰いつなぐハメになった。

が、ここで、「救世主」現る。

現場責任者(トップ)が交代して、派閥争いに明け暮れていた職場を一新。私を陰ながら庇(かば)い続けてくれた数少ない元同僚を通じて、社会人3年目の私もその職場へと戻った。

「救世主」となった上司は、若手から中堅を中心に社員全員対して、業界での基本のイロハからチャレンジしていく筋道さえも指し示してもくれて、徹底的に鍛えてくれた。そのリーダーシップぶりは厳しくもあったが、「育てよう」という愛情らしきものが常に感じられた。それと、もう一つ、ユーモア・センスに溢れた方でもあったということだ。だから、特に不器用で出来の悪い部類であったであろう私めは、この上司の職務室に呼ばれて叱られることも多かったのだけれど、それは嬉しくもあった(言っておくが「M」ではない・・・(笑))。

こうして、叱られながらも「良い仕事とその姿勢」を覚えて、同時に、職場の人間関係も良好になっていく様を感じながら、充実した日々を過ごし始めていた。

 

一人、上司が替わっただけで、こんなにも職場もそこで働く人たちの姿や顔付きまでが変わる・・・毎日が驚きと衝撃の連続だった。

何を目的とした職種かということは選択時にもちろん欠かせないことだけれど、職場環境を含めて、どんな人が上司であったり、どんな先輩がいるのか、その職場の雰囲気・・・などなどは、やはり、最重要事項だ。職場仲間と共に自分自身も目的に向けて最大限に能力を発揮できるか否かに関わってくる。それを体験、実感した。何よりも、「充実感」であったり「楽しさ」を感じられる職場であれば、困難な仕事に遭遇しても優れたモチベーションとチームワークで立ち向かえることができる。

・・・もしも、あたなが、現在あまりに改善の見込みが立たない職場で苦悩ばかりを抱えているようなら、転職を考えて準備をしても良いかと思う。特に、独身であったり、30歳くらいまでは(ある程度見通せるなら何歳であっても)、むしろ積極的に考えても良いかと感じる。

 

さて、当時、大のお気に入りになった盤がある。

Lionel Richie(ライオネル・リッチー)、1986年発表のアルバム「DANCING ON

THE CEILING(ダンシング・オン・ザ・シーリング)」(全8曲収録)・・・もちろん、LPレコード盤だ。

 

レコード店で買ったときは、日本でも話題になっていた「SAY YOU, SAY ME(セイ・ユー、セイ・ミー)」を、じっくりと聴いて味わいたいというのが一番の目的でだったが、実際に、レコード盤に針を乗せて聴くと・・・、なんと、アルバム全体、ライオネル・リッチーの深くも重すぎない独特の響きを伴った歌声が、どの楽曲とも上手い具合に共鳴し合って・・・、

「ん~っ!最高!」

共鳴し合ったその音の振動は、身体の奥深くまで、そのまま伝わってくるようだった。

 

続けて、2度目、3度目と繰り返して聴く・・・

A面の2曲目、「SE LA(セ・ラ)」が、中でも、何とも心地好くさせてくれる。レゲエ調のリズムとアレンジに乗って、遂、上体を左右に横揺らししながら聴いてしまう。その心地好い感じを継続させながら、歌詞とその訳詞を覗いてみた。

You know sometimes I sit wonder

Just how this world be

If we had all the people laughing

And everybody living in harmony

・・・・・

・・・・・

All the children

Tell me about the children

We've got to help them now to survive

One world,one heart,is our salvation

Ooh,ooh,ooh

Let us keep the dream alive

<訳詞:Kuni Takeuchiより>

ときどきじっと考えてみるのさ

この世の中どうなっていくのかとね

すべての人々を笑顔にすることができたなら

みんなが仲良く生きて行けるのに

・・・・

・・・・

すべての子供たちよ

子供たちの話をしておくれ

生き残るためには彼らを救わなければ

ひとつの世界、ひとつの心こそ我らが救い

オー、オー、オー

僕らの夢をいつまでも

・・・・

あの頃、経験したこと・・・、それは、争っても、いがみ合っても、誰にとっても何も価値あるものは生まれなかった。「救世主」が表れてから、確かな技量を身に着けるための厳しさはあったけれど、皆が理解し合って、共有・共感し合って、一歩一歩を歩みはじめると、次々と、本来の目的へと近づいている実感は達成感や充実感をも味わせてくれた。更に、上等な?ユーモア・センスにも触れながら笑い声も漏れる時間が増えて、それは「面白い挑戦」の日々へと繋がっていった。

 

当時もこんな思いと、丁度、重なって聴いていたのかなぁ~・・・。

そして、現在の心境とも・・・さらに重なって・・・、Lionel Richie、「SE LA」という一曲を、いま(現在)、あらためて聴く。

やっぱり、上体を左右に横揺らししてしまう。

「心地好いねぇ~」

・・・(笑)。

 

2018年

1月

03日

今日の一曲 No.64:上原ひろみ「WAKE UP AND DREAM<新しい始まりへ>」~新年を迎えて・その3~

「今日の一曲」シリーズの第64回目。

元旦の第62回目(真島俊夫「3つのジャポニスム」)、2日の第63回目(武満徹「5人の打楽器奏者とオーケストラのための”FROM ME FLOWS WHAT YOU CALL TIME”」)に続いて、 2018年、新年の三箇日は、いつもの音楽一曲(LPレコード盤またはCD)のご紹介とともに、新年を迎えての心境も併せて書かせていただいております。

では、はじめさせていただきます。

・・・・

早朝、少々の寝ぼけ眼を徐々に振り払うように東側の窓を開けると、今朝も元旦から連日続いて、上空高く藍色の星空には濃い橙色が低い位置から彩りを加えていた。

でも直ぐに踵(きびす)を返して、今朝は西側の窓も間もなく開けた。

<もしかして、昨夜の「スーパームーン(大きな満月)」が西の空に降りてきているかも知れない・・・>

と、寝ぼけた感覚の割には脳裏にふと、ひらめいたからだ。

「おお、まん丸のお月様!」

思わず、いつもの独り言を吐きながらも感激。

当然のことながらスーパームーンではないのだけれど、昨夜見せつけてくれたスーパームーンの風格を残して、まん丸の月は、くっきりと西の空の低いところまで降りてきていた。

今朝に限っては、西の空を眺めながら一つ深呼吸。ひんやりと冷たい外気を身体に巡らせた。

 

さて、今朝の選曲は、昨朝よりも更に時間は要らなかった。

部屋のレコードラックに並べられたLPレコード盤とCDを、ざぁっと一度見回しただけで、

<今朝は、これ!>

胸裏で明確な決断をして、一枚のCDを取り出した。

 

ジャズピアニスト上原ひろみが、コントラバス・ギターのアンソニー・ジャクソンとドラムスのサイモン・フィリップスと組んで創り上げたアルバム「SPARK」だ(2016年2月にリリース)。

このアルバム、9曲が収録されているけれど、アルバム全体がクラシック音楽で言うなら「組曲」のように9作品のテーマの一つひとつが連動して綴られていく。

1.SPARK<心突き動かす衝撃、一瞬にして世界が変わるその瞬間>

2.IN A TRANCE<想いはあふれ、我を忘れる>

3.TAKE ME AWAY<どこか遠くへ、まだ見つけていないどこかへ>

4.WONDERLAND<たどり着いたその先は、ワンダーランド>

5.INDULGENCE<瞬間に溺れ、時が止まる>

6.DILEMMA<進べきか、戻るべきか>

7.WHAT WILL BE,WILL BE<運命の導くままに>

8.WAKE UP AND DREAM<新しい始まりへ>

9.ALL'S WELL<終わりよければすべてよし>

 

上原ひろみの音楽は、このアルバムの楽曲のみならず、どの作品にも、斬新、革新、刺激・・・などの興奮気味な第一印象で迫ってくるのだけれど、必ず、どこかで、優しく、柔らかく、潤いあるオアシスのような場を与えてもくれる・・・。

 

さらに、組曲のように9曲が並べられたこのアルバムでは、アルバム全体を通して、そのオアシスとなる一曲が存在する。

8曲目「WAKE UP AND DREAM <新しい始まりへ>」だ。

この一曲だけが、上原ひろみが一人で奏でるピアノ・ソロの楽曲なのだ。

それは、日の光を反射させて煌びやかに瞬く川面のような分散和音と、その穏やかで豊かな水量の川の流れを想わせる(イメージさせる)フレーズ感の長い旋律とが、まさに自然発生的に相まって、一台のピアノから次々と奏でらていく。

 

目を閉じて聴いていると、静かな呼吸を蘇らせてくれる。

<「新しい始まりへ」・・・か>

胸裏で呟くと、また少し一度だけ深い呼吸になった。

が、またすぐに静かな呼吸に戻る。

 

そのうちに気付くと、昨朝も自問自答した覚悟を確かめていた。

<日本の子供たちを救わないと・・・>

また、胸裏で、でも、やや強く呟く。

 

日本の小学校、中学校、高等学校での学校教育はもう20年は遅れているだろう。専修学校や大学の存在、入試の仕組みを含めても、学校と称される場所は、子供たちの「自立と自律」を殆んど育てられずに社会へと放り込んでいる。そこには悲惨な現状が待ち受けているというのは、もう稀ではない。一部の限られた教師や学校だけが現状を何とかして解決しようと思考錯誤を繰り返して取り組んでいるだけで、たまたま、こうした教師と学校に出会った子供はむしろラッキーでしかない。そもそも、仕組み・システムに問題があるのだから、ひとりの教師や一つの学校だけでなかなか解決するのも難しい。このまま、社会に「自立と自律」を身に着けていない大人が溢れたなら日本という国の未来は衰退の一途を辿り、日本人の幸せは、もう望めなくなる。学校教育システムの大変革は待ったなしだと感じる・・・、では、何をどうするのか?・・・を、提案していく機会と実践を通じて、周囲の人たちからの協力も得て、日本の社会に僅かひとかけらだけでも投じることはできないだろうか。

(ここで記載することではなかったかな?・・・具体的な提案は別のところで、いずれ記載するかと思います。ともかく、学校・教育関係者の方が「素人が何を言っているんだ」など、不機嫌な思いをされたなら、深くお詫び申し上げます。が、共に御思案いただけたらと存じます。)

(さて、話題を戻そう)

・・・でも、こんな、あんなを、ここ3年ほど(私も遅れているのだけれど)真剣に考えてきていて、ここからの自分自身と向き合う時間を、ここで聴いている音楽で一旦は心鎮めてからにしている。

 

上原ひろみ、「WAKE UP AND DREAM <新しい始まりへ>」から溢れ出る音たちは、今朝も、優しくて、あたたかくて、・・・そのオアシスに心を預けるていると、身体の奥深いところから湧きあがってくるものは、またしても目頭を濡らすのだった。

「ふう~っ・・・」

深く長い息を吐いては・・・

「今朝も、好い(イイ)朝だね~」

またまた、ここで呟く独り言と一緒に・・・(笑)。

 

2018年

1月

02日

今日の一曲 No.63:武満徹 作曲「5人の打楽器奏者とオーケストラのための ”FROM ME FLOWS WHAT YOU CALL TIME”」~新年を迎えて・その2~

「今日の一曲」シリーズの第63回目。昨日の2018年元旦に載せた第62回目に続いて、今回も新年を迎えての心境を交えながら書かせていただこうかと・・・。

では・・・

・・・・・

今朝は少々ゆっくり目の起床か・・・?

<ん?(午前)6時半過ぎかぁ~>

カーテンと東側の窓を開けると、今朝も同じに、上空高い星空の下側には綺麗にやや濃い橙色が空に彩りを加えていた。

ゆっくりと深呼吸をして冷え切った外気を身体に通すと、

「さてと・・・」

「何を聴こうかな」

(昨日と同様の独り言(笑))

昨日と同じに部屋のレコードラックの前にしゃがんで、それを見渡した。が、今朝はその選択に昨日ほど時間は要らなかった。

昨日、元旦の朝は「和」を感じたくなって、邦人作品で、和のテイストと和楽器を用いた楽曲、真島俊夫作曲の「3つのジャポニスム」を選んだ。

今朝も続けて、

<邦人作品だな・・・>

という想いが既に胸裏にはあって、

<でも、大自然や宇宙観を想像したい感じかなぁ~>

と、直ぐに想う(イメージする)のだった。

それで・・・、

<今朝はこれだね!>

と、胸裏で勢いよく吐きながら、LPレコード盤とCDを並べたレコードラックから1組のCDを取り出した。

2011年5月、指揮者の佐渡裕は、小学生の頃から夢みていたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演を果たした。そのコンサートのライヴ盤2枚組CDだ。

このうちの1枚に、武満徹 作曲「5人の打楽器奏者とオーケストラのための ”FROM ME FLOWS WHAT YOU CALL TIME(フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム)"」が収録されている。

武満徹がカーネギー・ホールから創設100周年記念として委嘱を受けて、1990年10月19日に、小澤征爾の指揮でボストン交響楽団と打楽器アンサンブル「ネクサス」によって初演された楽曲。

 

CDに付いていた解説と併せて、更に自分勝手にイメージを膨らませながらCDを聴く。

青・赤・黄・緑・白の5色を割り当てられた5人の打楽器奏者がオーケストラを囲むように配置されて演奏する姿・・・。

楽曲全体は、楽章に分けられてはいないのだけれど・・・、

「序」→「独奏者たちの登場」→「微風」→「予感」→「高原」→「環状の地平線」→「風が吹く」→「予感」→「蜃気楼」→「ひるがえる風の馬」→「約束の土地」→「生と歓びと悲しみ」→「祈り」

・・・と、テーマをもって区切られている・・・これらもイメージして聴く。

武満徹ならではとも言える弦と管の楽器各種が重なね合わさって生まれる独特の和音と旋律の動き、ここに5人の打楽器奏者が、移り変わりいくテーマとともに、様々な打楽器(この楽曲ために作られた打楽器も含めて)を用いて、常に厳かに、でも、一打一打または連続的に、繊細にだったり福與かにであったり、表情を微小にも時に大胆にも表現して・・・、これらが自分勝手なイメージをますます膨らませてくれる。

 

「心地好い(イイ)ねぇ~」

いつもの独り言(笑)を呟くと、ふうっ・・・と長めに息を吐いた。

人の営みと自然の大きさが相まって大宇宙への拡がりを感じながら、2018年、2日目の朝を過ごす。

 

1月13日(土)には、自らが企画する『ほっと楽しやハートライヴ(第12夜)』を、4組のゲスト出演者も招いて開催する(詳細は本ホームページの「ライヴ・スケジュール」で)。今日も明日もだけれど、ライヴ当日までは、このライヴのための準備をただただ重ね続ける。

 

ただし、このライヴを終えた後は・・・例年通りはない。

このホームページの「ライヴ・スケジュール」をご覧いただいて、ご心配やお気遣いいただいた方もいらして恐縮しているところでもあるけれど、何もスケージュールは入っていない。

音楽活動の進め方を、これまでとは変えようと考えている。

音楽活動を通じて、あるいは併行して、「自分がやらなければならないのかなぁ~・・・」と感じていることがある・・・。

行動を起こすなら、それはきっと簡単ではない、新たなチャレンジになる。思慮深く確りと考えて、いろんな人の協力が得られるのか(ご協力いただけるように)、知恵を振り絞って、時間も掛けて準備・行動する必要がある。

2018年の新年を迎えて、いま一度、自分自身にその覚悟を問いかける。

 

それでも、聴こえてくる武満徹の音楽「5人の打楽器奏者とオーケストラのための ”FROM ME FLOWS WHAT YOU CALL TIME”」は、澄み渡る遠くの宙を仰ぎ見るかのような心持ちにもさせてくれるのだった。

 

やっぱり・・・今朝も・・・、

「気持ち好い(イイ)朝だねぇ~」

と、またしても・・・独り言(笑)。

 

2018年

1月

01日

今日の一曲 No.62:真島俊夫 作曲「三つのジャポニスム」~新年を迎えて~

2018年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

「今日の一曲」シリーズ、新年は第62回目からのスタートになります。

それでは、・・・・

・・・・

元旦の早朝

「ん~・・・あ~」

あくびをしながら、掌を広げては同時に腕をやや高い位置へと伸ばしながら上体全体を使ってノビをした。

寝不足気味もあってか?・・・ややボーっとしている。

<お正月、何か「和」を感じたい気分かなぁ~・・・>

などと、自身の胸裏で起こる呟き事を確かめながら部屋のレコードラックの前に座り込んだ。並べられたLPレコード盤やらCDをぼんやりと眺めた。

「これかな・・・?」

と、独り言(笑)。

レコードラックから取り出した盤は・・・、

指揮・渡邊一正、シエナ・ウインド・オーケストラが演奏をして、2016年1月に、邦人作品の7作品を集めてライヴ録音した「邦人作品集」のCD。

 

「さてと、どれを聴こうかな・・・」

また、独り言(笑)。

「ん~・・・」

で、2018年元旦、初音楽は、真島俊夫 作曲「三つのジャポニスム」を選択。

「三つのジャポニスム」は、題名の通り3つの楽章・・・

第1楽章:鶴が舞う

第2楽章:雪の川

第3楽章:祭り

で、構成されている楽曲。

2001年に東京佼成ウインド・オーケストラの当時の常任指揮者であったダグラス・ボストックの委嘱により真島俊夫が作曲したということらしい。

 

<「和」だね~>

元旦の早朝を、音楽とともに堪能!

思わずニンマリ・・・していたかも(笑)。

 

第1楽章の「鶴が舞う」、釧路湿原に生息する丹頂鶴の求愛ダンスを表現しているという。・・・扇子と団扇も楽器がわりに、木管群の高音楽器(ピッコロやオーボエ、ソプラノ・サックスなど)が聴こえてきて、鶴の動作と情景が浮かぶ。

第2楽章の「雪の川」、しんしんと降り積もる雪の情景が浮かぶ。pp(ピアニッシモ)の演奏が続いて、あくまでも耳をすまして聴く静けさを味わう音楽。そこに、竹鳴子がカラカラと・・・。

第3楽章の「祭り」、青森の「ねぶた」をモチーフに変奏されていく。しめ太鼓や和太鼓、あたり鉦や手平鉦、竹刀を切って作った太鼓のバチ、・・・が使われて、和打楽器を中心に賑やかに演奏される音たちが日本の祭り風景を想い浮かばせてくれる。

楽曲全体は、現代的なポップで新鮮なアレンジが響きの土台になっている。が、各楽章のテーマに、それらを表現する和のテイストが上手い具合に混ざり込んで、これが心地好い。

 

<選曲、成功!!>

胸裏で呟き自己満足。

すっかり、目が覚めた。

元旦の早朝、カーテンと東向きの窓をそっと開けた。

上空の藍色に、東の空がほんのりと橙色の彩りを加えていた。

そろそろ、昇ってくる・・・初日の出。

「好い(イイ)朝だ」

またまた、独り言(笑)。

ひんやり冷たい空気を相手に、一つ深呼吸をした。

 

2017年

12月

30日

今日の一曲 No.61:ケツメイシ「ライフ イズ ビューティフル」~命を救ってもらった一曲~

「今日の一曲」シリーズの第61回目。前回の第60回目の終盤に書かせていただいた頃のこと、この一曲で、私は今日まで生き長らえてきたと言ってもよいかと、感じています。

では、・・・・

・・・・・

2007年、夏のある早朝のこと。

それでも通勤や通学で、そこそこ人通りのある市街地の路上、足を停めてその歩道脇にうずくまった。

<もうダメだ・・・>

胸裏で呟いた。

しばらく動けなかった。

通り過ぎる人の大抵が気味悪そうに避けて通り過ぎて行く中、スーツ姿の、私よりは少しだけ若そうだけれど、40歳代くらいの男性が声をかけてくれた。

「どうしましたか?、大丈夫ですか?」

<タクシーをつかまえていただけますか?>

通院している病院へも割と近い・・・はずだ。

「救急車を呼んだ方が・・・」

と言い掛けて、タクシーが走ってくるのが男性の視界に入ったらしく、

「あっ、タクシーつかまえますね」

・・・・・

幸運にも、タクシーを直ぐにつかまえてもらった。

男性にお礼もそこそこに、タクシーに乗り込んで5年以上通院している病院へと向かった。

・・・・・・

・・・・・・

何もできなくなった。2度目のリタイヤだ。

2度目は厳しい現実を突きつけてきた。

1度目のときは、3カ月半の休職が受け入れられて、社会保険の「傷病手当金(正式名称ではない)」で、家族の生活もギリギリ繋ぐことができた。が、2度目は、「傷病手当金」は認められなかった。加えて、病状はかなり悪化していて半年後の職場復帰も叶わず退職をせざるを得なくなった。わずかな退職金が出ただけだった。事実上の解雇だったのだろう。

生活の見込みが立たないとなれば、私より先に原因不明の病気を抱えてしまっていた妻も耐えられなかったのは当然で、家族も離れていった。

会社とも、妻とも、交渉をしたり、話をしたりの余地はあると・・・そう思い願うのだったけれど、身体はまともに動かせる状態ではなく、病院と、その後の実家での自宅療養中、ベッドで横になっているしかない間に、事はすべて済まされていくのだった。事の成り行きを両親から聞かされるだけで、イイ歳した大人が、ベッド上の布団にもぐっては幼い子のように泣きじゃくるだけの毎日だった。

 

さらに、仕事人間が作り上げてきた人間関係とは実に薄っぺらいものだと思い知らされるのだった。プライベートを通じても友人と思っていたのは私の勝手な想い違いに過ぎなかった。リタイヤして半年ほどの間に、私と通じてくれる人間は、両親を数えに入れても片手で足りた。

 

翌年の春を迎えていた(前回の第60回目の終盤にも書かせていただいた・・・2008年の春)。

近所を15分程度、たまに散歩するくらいに身体は回復していた。

部屋で音楽を聴こうという「体力・気力?」くらいは戻ってきたようにも・・・。でも、こうして少し身体が良くなってくると、どうしても先のことを考えるようになるのだった。そして、それを考える度に、脳裏に浮かび、胸裏で呟くのは・・・、

<生きていけるのか・・・?>

<もう死んでもいいのかなぁ~>

結局は、この2つの自問自答する言葉だけ。

 

この2つの言葉を僅かずつでも薄めてくれるもの・・・「片手で足りる数」に入っていた2人の友人から時折届くメール、そして、持っていたLPレコード盤とCDが届けてくれる音楽たち、それらを聴く時間だった。

何とか・・・命を繋いでいた。

 

これより遡って、数か月前の冬の寒い季節、部屋のベッドに横になりながら1時間ほどラジオを流し放しにしていた頃のこと、印象的に耳に入り込んできた一曲があった。「ケツメイシ」の音楽だった。

で、数か月して、ふと、想い出した。

<あっ、そう言えば、『ケツメイシ』・・・>

季節が温かくもなって、少しは動ける身体にもなって、近くの・・・と言っても歩くと20分ほど掛かるCDショップへ独りでは難しく、父の運転する車に乗せてもらって買いに行った。

ケツメイシのアルバム「ケツノポリス5」をだ。

 

アルバム「ケツノポリス5」は特別の存在になった。

このアルバムに収録されている15曲のうち、特に、12曲目から15曲目の4曲は、この当時、何度も繰り返して聴くようになった。

特に・・・の特に・・・になるのだけれども、12曲目の「ライフ イズ ビューティフル」は、『この命を救ってもらった』・・・そう思える一曲となった。

君が流した涙が いつか花を育て咲かせて

君の目の前に 広がるはずだから

君が乗り越えた壁は いつか君を守る盾となって

君のそばで いつまでも支えるだろう

・・・・

苦労 苦悩 超えた自分に

おはようハロー もう辛くないよ

泣いたり 悩んだりするから 人生は美しい

・・・・

(歌詞のすべてを載せるわけにはいかないので停めておくけれど・・・)

歌詞として並べられた一つひとつの言葉が、その言葉のすべてが、心の奥底にまで染み入って、その奥深いところにある何かを温かく包んでくれるかのように、また優しく揺さぶるかのように響いてくるのだった。

<とにかく生きてみよ>

と・・・。

 

その後、身体も心も、その回復とともに、市や医療・福祉関係、様々な相談機関を介して、そこで知り合った人たちのフォローもいただきながら、でも、それは決して簡単ではなかったけれど、少しずつ、少しずつ、「生きる手段」を見出していくことに繋がっていった。

 

ケツメイシの「ライフ イズ ビューティフル」、もちろん、これだけが全てではないのだけれど、この一曲との出会いがあって、現在もここに生きて居られる・・・これも確かなことだ。

『音楽に救われたのだ』・・・愛間純人の音楽活動の原点はここにある。

 

皆様、よい年をお迎えくださいますよう・・・、心より願っております。「ライフ イズ ビューティフル」!!きっと・・・。

 

2017年

12月

21日

今日の一曲 No.60:ワーグナー作曲 歌劇「さまよえるオランダ人(全曲)」(カイルベルト&バイロイト祝祭劇場合唱団・管弦楽団、他)&さだまさし

「今日の一曲」シリーズも、今回で第60回目、60枚目の盤とともにご紹介することになるわけだけれど、歌劇曲は初めてです。

 

・・・・・

ライヴの中盤頃だろうか、バイオリンのソロでその演奏は始まった。

・・・・

今から思えば

貴方がワーグナーの

シンフォニーを聞きはじめたのが

・・・・・

何故ならそれから

あなたは次第に

飾ることを覚えたから

・・・・・

当時は大学生で4畳半一間の部屋を借りて生活をしていた。

その部屋に大の字になって寝転んでは天井板の木目をぼんやりとした視線でなぞりながらFMラジオを聴いていた。

そこに、さだまさし、「交響楽(シンフォニー)」が流れてきた。『さだまさし、東大寺落慶法要ライヴ』の中の一曲として・・・。

事前のエアー・チェックで、ライヴすべてが放送されるというので待ち構えるようにして部屋に籠っていた・・・1980年の秋のこと。

さだまさしファンには申し訳ないけれど、当時、それまでは、シングルカットされた曲くらいしか存じ上げていなかった。それでも、このライヴはラジオ越しながら、とても面白く、深い興味へと誘(いざな)ってもくれた。

 

ところで、「ワーグナー」というと、やはり歌劇曲という印象が中学生くらいときからあって、それも、フル・オーケストラを存分に響かせ、華やかさに留まらない「豪華絢爛」と「威厳」を併せ持った音楽という認識でだ。だから、さだまさしの「交響楽(シンフォニー)」の歌詞にあった「ワーグナー」が、これと直ぐに結びついた。

ただ、幼少の頃から大抵のどんな音楽も面白く聴きながら育ってきたはずが、唯一、歌劇(オペラ)のセリフを兼ねた何やら大げさな歌いっぷりだけは、どうにも身体に染み入ってこないのだった。加えて、歌劇をまともに聴くとなると2時間半から3時間は要するが故に、腰を据えてそれだけの時間を割いて聴くことの機会も経験もなかったからだろう・・・、結局のところ、歌劇だけは幾分離れたところにその存在を置きっ放しにした。

 

8年くらいが経過。

社会人として仕事にもそろそろ自信をもちはじめていた。多少の波風が立っても狼狽えることもなく、ほとんど「恐いものナシ」になりかけていた。・・・現在から思えば、これも愚かなことなのだけれど・・・(前回、第59回目の前半に記したのとほぼ同じ頃のこと)。

 

そんな頃、時折ふと、いや度々、脳裏に、さだまさしの「交響楽(シンフォニー)」の例の歌詞とフレーズが、何故だろうか、繰り返されるのだった。

同時に、

<傲慢になっていないか?>

<何か見失ってはいないか?>

などと、僅かながら胸裏を過ぎる(よぎる)ものを感じるのだった。

が、それは、すぐに消えて無くなった。正確には自らが打ち消していたのかも知れない・・・。

・・・・

こんな脳裏や胸裏で起こる現象と並行するかのように、ワーグナーの音楽を、歌劇を、じっくりと聴きたいという思いが突如として湧き起こってきた。そして、その思いはますます膨らんでいく。・・・何らかの繋がりでなのか、あるいは無関係なのか、ともかく、時期としては重なった。

重なるときは重なるもので、このタイミングで、やはりワーグナー作曲の歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー・全幕(小澤征爾指揮)」がテレビ放映されて、それを視聴する機会を得た。

<スゴイ、面白い!>

音楽だけでなくて、舞台装飾、衣装、演出も、

<まさに総合芸術だ!!>

と、初めて歌劇なるものに感動する自分を知った。

・・・・

すぐに、市販のビデオ(当時はVHS)を当たってみたけれど販売はされていないようだった。レーザーディスクでなら幾つかはあったものの高価でもあり、プレーヤーは更にとんでもなく高価で・・・<ムリ>。

映像も伴ってこそ楽しめる歌劇とは思っていたのだけれど、そこは諦めることにした。

それで、(これまでも何度も登場している例の・・・)自宅近くの物静かそうなオジさんが一人で営むレコード店へ行って相談した。小学生の頃から通うレコード店だ。

オジさんは面倒な顔ひとつせずにレコード店用のカタログで調べてくれた。まあ、一見して店は暇そうでもあったのだけれど・・・(失礼しました)。そのうちに幾つかのLPレコード盤が候補に挙がった。

 

選んだのは、「さまよえるオランダ人」、LPレコード盤で3枚(6面)セットのものだ(上の写真)。

ヨゼフ・カイルベルト指揮、バイロイト祝祭劇場合唱団・管弦楽団、アストリッド・ヴァルナイ(ソプラノ:ゼンタ役)、ヘルマン・ウーデ(バリトン:オランダ人役)、ルドルフ・ルスティヒ(テノール:エリック役)、ルートウィッヒ・ウェーバー(バス:ダーラント役)、エリーザベト・シェルテル(メゾソプラノ:マリー役)、ヨゼフ・トラクセル(テノール:舵取り役)、ヴィルヘルム・ピッツ(合唱指揮)・・・による1956年録音で、1979年に再版されたLPレコード盤だった。

 

手にしたLPレコード盤、まず1枚目のA面に針を置く。

LPレコード盤3枚すべてを通して聴くとなると、約2時間半ほど掛かる。どうしても、盤2枚を聴いたところあたりで一旦停めて続きの3枚目を聴くことになったりで、盤を手にしたその日を含めて、以来、全曲を一度に通して聴くことなく、2~3回ほど盤に針を乗せただけで、あとはレコード・ラックに納めたままになった。身勝手な忙しさを言い訳にして。

・・・・・

(更に、約19年の時を経て)

・・・・・・

2007年の夏、それは遂に2度目・・・抱えていた病気の症状が再度悪化して社会からリタイヤした。1度目よりも悪い状態で約1年半にも及んだ。かなり厄介な状況にも陥ってしまい、この間に多くを失った。まずは経済的なことが大きかったのだけれど、こうなると、それまで築いてきたはずの人間関係も、友人関係も、そして、家族までも・・・だった。(1度目にリタイヤした時の様子は、第52回目(2017/10/11)と第53回目(2017/10/15)に記載させていただいた。)

 

2008年の春を迎えて・・・

40代後半の年齢にもなって、今更、両親に甘えるというのはあまりに心苦しかった。だけれども、選択の余地はなく、実家の両親のもとで自宅療養を続けていた。

近所を15分~20分ほど散歩をしたりするくらいには回復していた。少し身体も動かせて、家の中で出来ることを何か探そうかという気持ちも湧いてくると、

<(部屋で)何か音楽を聴こうかな・・・>

という気持ちも少しずつ戻ってきた。

 

時間だけは十分にあった。

 

ある日、思い出したようにレコード・ラックから仕舞い込んだままになっていたLPレコード盤のセットを取り出した。

3枚のLPレコード盤・6面を、約2時間半、ノンストップで、じっくりというよりは、何も考えず、何も思わず、ただただスピーカーから鳴らされる音を新鮮な空気を吸い込むようにして、窓ガラス越しの春の日差しにも柔らかさを感じながら、・・・部屋のベッドで仰向けに横たわっては白い天井板の薄っらと描かれた模様をぼんやりとした視線でなぞりながら、流れてくるワーグナーを聴いていた・・・。

聴こえてくるワーグナーの音楽が、「豪華絢爛」や「威厳」というので留まるのではなく、「あたたかさ」と「豊潤な包容力」をも更に併せ持って感じるのだった。

<もう少しだけ生きてみるか・・・>

胸裏で呟いた。

 

歌劇「さまよえるオランダ人」は、少々乱暴な例えで言うなら、日本の古典的な怪談噺のようでもあり、ディズニー作品なら「美女と野獣」を悲劇的にしたような物語でもあるのだけれど・・・、作曲者であるワーグナー自身は、『愛による救済』を大きなテーマとして掲げて創り上げた作品の一つであるということらしい・・・。

 

2017年

12月

08日

今日の一曲 No.59:チャンス作曲「朝鮮民謡の主題による変奏曲(佐渡裕&シエナ・ウインド・オーケストラ)&ダニー・ケイ

ご無沙汰しておりましたぁ~、「今日の一曲」の第59回目。

 

80年代の前半、新社会人として大人社会の恐ろしさを味わされた後、80年代後半頃から90年に入った頃は、その反撃に出たかのように、「飛ぶ鳥落とす勢い」とまで周囲から囁かれながら20代の若いエネルギーそのままを勢いに仕事人間へとハマり込んでいった。それは苦い経験の後であったためか、他人への信頼を諦めてだった。だから、「仕事が出来る人」などと少しは評価されていたものの、プライベートな時間も含めて、きっとロクな顔つきをしていなかったに違いない。

 

そんな折、テレビ画面にたまたま目を注ぐと、ニューヨーク・フィルハーモニックが妙な音を鳴らしている。客席も笑い声に溢れている。指揮者は主席のズービン・メータではない・・・。

「誰だぁ~?」

「このオッさん観たことあるけど・・・」

・・・

大オーケストラを目の前に、面白、おかしく指揮をする人物は、次々と客席を笑いの渦に変えていく。思わず、テレビ画面に引きつけられて一緒になって声に出して笑ってしまった。

ダニー・ケイ(Danny Kaye)だ。

当時の個人的な認識では、コメディ俳優、そして、国連・ユニセフ親善大使として児童施設などを訪ねながら世界の子供たちと触れ合う活動もしている人・・・というくらいだったけれど。

テレビ画面に映し出されていたのは、後々まで語り継がれることになる1981年のダニー・ケイとニューヨーク・フィルとの共演のショーで、7~8年して再放送として放映されていたのを目にしたらしい。

ショーのある一場面、ステージ上のニューヨーク・フィルのメンバーの何人かにダニー・ケイが出身地を聞いてまわっている。メンバーが出身の国名を応えると、ダニー・ケイがその国でポピュラーとされている童謡や民謡を歌ってみせるのだった。

韓国出身のヴァイオリン奏者のところでだった・・・、

アリラン~、アリラン~・・・・

きれいな旋律をゆったりと流れるようにダニー・ケイが丁寧1フレーズだけを歌ってみせた。幾度か耳にしたことがある聞き覚えのある旋律だった。ただ、朝鮮半島域を代表するような歌であることは、このとき初めて知った。(*歌詞については諸説あるようですが・・・)

ダニー・ケイとニューヨーク・フィルによって創り出された和やかで勝手に笑い声がこぼれてしまうショーを画面越しに視ながら、この時、きっと、自身が失いつつある何かを感じて息を深く吐き出したはずだ。

瞼に熱いものがこみ上げてきたことを鮮明に記憶している。

・・・・

約10年の時を経て・・・。

国内では数少ないプロの吹奏楽団(創設は1990年)「シエナ・ウインド・オーケストラ」が遂に指揮者・佐渡裕と組んで動き出した。そして、1999年、佐渡裕&シエナ・ウインド・オーケストラの演奏を録音したCD が初めてリリースされた。

20歳少し前くらいから現代音楽にも興味をもちはじめて、少しずつ、吹奏楽曲の面白さにも虜になっていた。 

当然のごとく、即購入(上の写真)!

 

このCDの中に、ジョン・バーンズ・チャンス(John Barnes Chance)の1965年の作品で、「朝鮮民謡の主題による変奏曲(Variations on a Korean Folk Song)」が収録されている。

あのとき聴いた「アリラン」の旋律が、冒頭、ゆったりとしたテンポの中、木管群のあたたかな響きを伴ってシンプルに美しく流れ始める。一転、速いパッセージに変奏されたり、金管、打楽器を伴って力強くにも華やかにも変奏されて、テンポやリズム、ダイナミック・レンジも緩急織り交ぜられて次々へと展開されていく。が、そこには優し気で美しい「アリラン」の旋律の源泉が忘れさせまいと確りと残っている。終盤は、大きな拡がりをもって全てを包み込むかのように朗々と高らかに歌い上げられて締めくくられる。

 

当時、長女は小学生で、長男を保育園へ送り届けてから職場へと向かうという生活に変わっていた。我が子、あるいはそれと同じ年齢くらいの子供の姿を目にして眺めては、度々「平和」という文字が脳裏に浮かぶのだった。仕事人間化はあまり修正できていなかったけれど、はしゃぐ子供たちの姿が近くにあって、そのお蔭で、少しは優しい想いを願い、祈る瞬間くらいはあった。

 

更に20年近くが経過した現在、朝鮮半島情勢もそうだけれど、日本の社会も日本人も、随分と危ういように思えて、あまりに見失ってしまっているものが多過ぎるように感じてならない。・・・などと、すっかりオジさんになって胸裏に納め切れずに、ただの独り言として、愚痴を吐く(苦笑)。

 

ユーモアは笑顔をもたらして人々の間に共有感を生む。優しく美しい旋律はその心をほぐして和ませてもくれる。

・・・そんな「今日の一曲」でした。

 

2017年

12月

07日

ライヴ報告:2つのAnniversary Live ②「日吉 Nap 16周年」編

(ライヴ報告が前回も含めて、だいぶ遅れております(汗)。)

~前回のブログの続きで・・・~

 

「やっぱ、痛いなぁ~」

「歌うのはダメだったかなぁ~?」

 

前日に、阿佐ヶ谷は「ライヴ小屋 Next Sunday」さんの『12周年 Anniversary Live 最終日』に出演して最終出演者として締めくくらせていただいた。楽しくも好感触な夜から一夜明けて、12月1日(金)のことだ。

洗面所の鏡を覗き込んで、下あご右側付近の腫れ具合をじっくりと観察していた。

この一週間ほど前、口腔外科での術後に主治医に聞こうとして喉元まで出しかけて呑み込んだものは、

「音楽をやっていてライヴで歌ったりもするんですけど、大丈夫ですか?」

ってこと。恐い気がして聞けなかった。

 

「やっぱり、右側だけあごが、十分に開かないなぁ~・・・」

 

顔面右半分の腫れも少し残っている。声帯付近にまで僅かに腫れと痛みを感じるけれど、ウォーキング・アップを兼ねて声出しをすると、声自体には、さしたる影響はなさそうだ。

 

2つめのAnniversary Live となる会場へと向かった。

電車を乗り継いで約2時間、横浜・日吉、「日吉 Nap」さんに到着。

サウンドチェックは時間を掛けずに済ませた。最近はいつもそうしているのだけれど、今回は少し理由が違う・・・(汗)。

 

ともあれ、日吉に来たなら、サウンドチェック後は、「珈琲屋いこい」さんには必ず立ち寄るのが私の中での慣わし。

店内のBGMは鳥のさえずりや水流の音で、静けさと共にゆっくりとコーヒーを味わう。

コーヒーを啜りながら、『日吉 Nap 16周年 Anniversary Live 月間・初日』であること、そのイメージを再度繰り返して丁寧にライヴの流れを固めて、覚悟もする。当然、ライヴの流れは本番中に客席の雰囲気にもレーダーを巡らせて瞬時に判断する感覚的なものが最終決定をさせる。だからガチガチには固めはしない。でも、覚悟は確りと芯を定めておく。

 

この日の出演者は出演順に、

「ENCOUNTER(Vocal & A.Guitar)」さんのお二人、「戸塚絵理(Vocal & A.Guitar)」さん、「コヤマヨリコ(Vocal & Piano)」さん、「葛西正志(Vocal & A.Guitar)」さん、で、この日も私めは最後に。

 

コヤマヨリコさんと葛西正志さんとは2度目、ENCOUNTERさんと戸塚絵理さんとは初めまして、だ。

19:00スタート。

客席でライヴを楽しむ。

皆さん、独自の世界観とこだわりを持って、それぞれが客席に届ける確かな技術を身に着けていらっしゃる。前夜ほどまでには個性はバラついてはいなけれど(笑)、この夜も十分に面白い。

 

ただ、4組2時間以上もライヴを聴くと、正直、どこかに疲れも感じている。

これは、客席のお客様も同様なはずだ。

そんな感覚も踏まえて、5番目最終出演者としてステージへと上がる。

<いつもよりも、あっさりと、トークも短めに・・・>

<主張し過ぎず、歌と演奏だけを丁寧に聴かせられるように・・・>

・・・・

客席は、じっくりと耳を傾けていらっしゃる感じ。

ありがたい。

 

この日、同時間、同空間を共有くださった皆様、本当にありがとうございました。あたたかな客席でした。感謝、感謝。

「日吉 Nap」さん、16周年、重みがあります。おめでとうございます!

 

2017年

12月

04日

ライヴ報告:2つのAnniversary Live ①「Next Sunday 12周年」編

ご報告がたいへん遅くなってしまいました~。その原因も含めて・・・(汗)

 

「ああ~、まだ、(下あご右側が)腫れて少し歪んだ顔だなぁ~」

「右側のあごが十分に開けない、まいったなぁ~・・・」

丁度1週間前、突然の痛みを感じて口腔外科で手術をした。緊急性があるということで直ぐに受け入れてもらった。歯科医院・口腔外科なるところへ出向いたのは、子どものとき以来、47~48年ぶりくらいだろうか。

術後の翌日もカフェでの短いライヴがあって、顔が歪んだかと思うほどひどく下あごの右側が腫れたまま、「目を閉じて聴いてください」と、お客さんにお願いしながらライヴをした。

 

11月30日(木)、だいぶ腫れは引いてきたものの、自分の顔っぽくないような・・・。そして、この日、東京・阿佐ヶ谷にある「ライヴ小屋 Next Sunday」さんでは、11月を「12th Anniversary(12周年記念)月間」として日替わりで少し特別なライヴが開催されていて、その最終日を迎えようとしていた。

 

出演者は、出演順に・・・、

「びゃっきー(Vocal & Piano)」さん、「クルブシAtari(Vocal & A.guitar & Piano)」さん、「岩田亮(Vocal & Guitar)」さん、で、私くめは4番目、最後に出演する。

他の出演者さんは以前から知る人たちばかりだ。

が、12周年の Anniversary Live を、最終日・最後を締めくくるのが自分であることに、いつもとは少し違う責任を感じて臨もうとしていた。

 

19:00、ライヴがスタート!

自分の出番まで客席で聴く。

ざっくりとその音楽たちを聴いてみただけでは、私を含めて4人に共通した音楽性や音楽観は、まったくない。それぞれが異なるスタンスの音でありライヴ進行だ。なんだか、この統一性のないバラバラ感が面白過ぎるライヴの一夜が展開していく。唯一、「ライヴ小屋 Next Sunday」さんの12周年記念を祝おうという思いだけは、どのステージからも伝わってくる。

こんなバラバラ感の良さは、「ん~」、「へぇ~」、「そうかぁ~」、・・・と、やたら勉強になるというか刺激になる。お三方とも以前から知る人たちだけれど、決して同じところには留まってはいなかった。音楽もライヴも覚悟も確実に進化している。

そう感じられると、嬉しくなって、徐々に集中力も高まってくるのだった。

 

さて、私の出番。

せっかくの Anniversary Live に、右側のあごが十分に開けない感触と痛みもあって、万全な身体ではない状態に、たいへんな失礼さを感じてステージに立った。それでも、あたたかな音、丁寧な演奏、クスっと笑えて、でも真剣なライヴをと、いつものように心掛けた。

きっと、愛間純人らしい歌声とギターの演奏をお届けできたかと・・・。ただ、腫れてる下あごのせいでトークの活舌が少々鈍かったかな・・・(汗・笑)

まぁ、どうにか、Anniversary Live としても締めくくれたのでは・・・。

 

この日も、楽しいライヴの一夜を体感したのだった。

 

共に同時間・同空間に居合わせた皆様に、感謝、感謝です!ありがとうございました。

「ライヴ小屋 Next Sunday」さん、12周年、おめでとうございます!!

 

2017年

11月

17日

今日の一曲 No.58:TOTO「ロザーナ(ROSANNA)」(アルバム「TOTOⅣ 聖なる剣」より)

「今日の一曲」の第58回目。

(前回の第57回目(2017/11/12)と併せてお読みいただくと流れがわかりやすいかと存じます。)

 

造波機でコントロールした水槽の波を見つめながら集めた実験データは、実験を共にした4人で協力し合って整理をした。その後は、実験データは共有するものの、4人別々の「卒業研究」テーマにしたがって、地味~な作業を、ときに孤独にコツコツと進めるのだった。

例えで簡単にその一つを紹介すると、コンピュータ解析に利用する理論式とそのプログラミングの仕方をコンピュータから得られる理論値と実験データとを比較しながら最適な解析方法を探る・・・とか、他にもアプローチの方法は様々だけれど。

同研究室に所属する大学生は私たち4人だけではなくて、同期生13人に、大学生活5年目、6年目というややユニークな先輩がそれぞれ1人ずつ、合計15人。他、院生(博士課程)4人が所属していて、大学生の「卒業研究」にもアドバイスをくれた。

でも、もっとも強力な「頭脳」となったアドバイザーは同期の中にいた!研究室紅一点の彼女にどんなに助けられたか(前回の第57回目にそれとなく登場させておいたのだけれど・・・気付いたかな?)。彼女について語るのは今回はここで停めておこう。またいつか・・・。

さて、この合計15人が、「卒業研究」を研究論文として、いよいよ形にしていく段階に入ると、研究室内は、常にこのメンバーで埋め尽くされる状態になっていた。一つ下の3年生の後輩たちも研究室に自然と遠慮して立ち寄らなくなる。

そんな研究室内にほぼ一日中籠る日が続いて・・・季節はそろそろ秋を迎えようとしていた。

 

卒業要件の科目や単位数は、「卒業研究」を除いては3年生までに満たしていて、なにも4年生になってから出席しなければならない講義も無かったのだけれど、深くない興味本位で、「哲学」と「経済学」を履修していた。

その「哲学」の講義がはじまる10分前くらいになると、決まって、別の研究室に所属する坂井(仮称)というヤツが、「哲学」の講義がある別棟までを一緒にと、私の所属する研究室に立ち寄ってくれた。

「おい、行こうぜぇ~」

と、研究室のドアをノックもせずに開けては、室内を見渡して私を探す素振りもなく、少々だらしない低音の声を発すから、研究室内では皆が黙々と作業を続けていてはくれるものの、彼に対してのヒンシュクの空気が、毎回、漂う。

<ごめん、ごめん・・・> 

を、顔面で作りながら身体も少し屈ませて、片方の掌を眉間の前に立てた仕草で、私が慌てるように研究室を離れるのも、また、常だった。

 

坂井は同じ学科で、大学入学以来、音楽談義をする仲間のひとりでもあって、初めから気が合った。彼は洋楽のポップスやロックの話題に明るかった。もう一つはオーディオ機器にメチャクチャ詳しかった。それは、坂井が彼のお父さんから受け継いでのことらしく、彼の自宅には、割と上等なオーディオ機器が揃ってしるらしい話を前々から聞かされていた。

「なぁ、一度、俺ん家に遊びに来て、家(ウチ)のオーディオで聴いてみてくれない?」

と、何度か誘われていた。

この日も、目指す講義室までを別棟をつなぐ渡り廊下を通って歩いていく間、同様な話になった。

<実質4ヵ月もしたら卒業かぁ~・・・>

<一度、行って聴かせてもらおうかな・・・>

という思いに遂になって、「哲学」の講義の後は、研究室がある元居た棟までを歩く間を互いの都合を突き合わせることになった。そして、彼の自宅にお邪魔させていただく日時が決まった。

・・・日曜日だったか、祝日だったと記憶している。

 

昼過ぎて午後2時頃だったと思う。早速、オーディオがセッティングされた広さ十分の洋間(10畳くらいだろうか)に通された。一瞬にして一目見ただけで分かる高価そうなオーディオ機器が並んでいた。

アンプ類は真空管アンプまで置いてあった。スピーカーはステレオで2系統に分けて流せるようにもなっている。レコード・プレーヤー(ターンテーブル)そのものも見るからに重厚感のある立派なもので、レコード針も、どうやら上等な部類のものだった。坂井の丁寧な説明を受けながら、贅沢にも一つひとつを覗き込むようにして、ゆっくりと時間を掛けて、まずは観察させてもらった。

 

「じゃあ、何か聴いてみようか!」

と、坂井からの提案に頷いたのだったが、彼の中ではもう選曲は決まっていた。

彼が手に持っていたのは・・・、TOTOの最新アルバム「TOTO Ⅳ 聖なる剣」、もちろんLPレコード盤だ(上の写真と同様)。

このLPレコード盤、当時、デジタル時代の到来にその技術はますます加速していた頃にあって、レコーディングとマスタリング、加えて盤の製造方法にいたるまで、最新のデジタル技術や新素材技術が盛り込まれた盤だった。

・・・などという説明も彼がしてくれて、上等なオーディオ器材で聴くことになった。

「TOTO」のメンバー、デビット・ペイチ(Kb & Voc)、ジェフ・ポーカロ(Drs & Perc)、スティーブ・ルカサー(Guitar & Voc)、スティーブ・ポーカロ(Kb & Voc)、デビット・ハンゲイト(Bass & voc)、ボビー・キンボール(Voc)、彼らから奏でられる音たち、そのサウンドも彼らが追及した最新の音であり、まさにテクニカル!

<整い過ぎるほどに洗練されたサウンド!>

<これがロック?>

<でも、これはこれでロックということかぁ~・・・>

などなど、戸惑いと葛藤が内なるところで繰り返し起きてしまう。

それは、アルバムA面の1曲目「ロザーナ(ROSANNA)」から、もう、いきなりだった。曲の冒頭から既に伝わってくる振動やら響きでさえ、これまで聴いた他とはまったく別モノに感じられるのだった。

これで終わらない・・・・!

「真空管アンプでも聴いてもらおうかな、でも1曲だけな」

坂井の更なる提案に、

「おおっ」

としか応えられないで頷いた。

高品質なオーディオ機器が置かれた部屋に案内されて、ここに居ながら、ここで鳴っている音、ここで聴いている音、その音の総てに、テクニカルの凄さを、ただ、ただ、魅せつけられ、圧倒されるばかり・・・。

・・・・

現在になって思い起こせば、それは、『TOTOの優れた演奏とレコーディングエンジニアたちの卓越した技能、最新デジタル技術と、積み重ねられてきた最高峰のアナログ技術とが、真にすべて融合しての凄さ』・・・ということだったのだろう。

・・・・

何度も、大きく息を吸い込んでは、暫く溜め込んでから、その息を長く吐き出したような気がする。

・・・・ 

夕食もごちそうになって、夕食後も、彼が持っているLPレコード盤を紹介してもらいながら、何枚かを聴かせてもらった。

で、そのまま泊まらせてもらった。

結局、夜更けまで音楽談義は止らなかったというわけで。

 

翌日から、また、研究室に居続けた。聴いたTOTOのサウンドがあまりに強烈過ぎて、数日間は脳裏に焼き付いたようにリピートされた。

一種の洗脳か・・・?

研究室を抜け出たある夕刻、レコード店へ行っては同LPレコード盤を買ってしまった(笑:上の写真)。

 で、この「ロザーナ」も、その後行った最後の実験、その最中に流すBGM用のカセットテープにダビングされるのだった(笑)。

 

2017年

11月

12日

今日の一曲 No.57:ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)「ハートブレイカー(Heartbreaker)」

「今日の一曲」の第57回目。

 

幼少のときから、この歌声を耳にしてきたことになる。

グラミー賞、その「女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞」を3回、「女性ベストR&Bヴォーカル賞」1回、エルトンジョンらと共演しての「ベスト・ポップグループ賞」1回を受賞。

バート・バカラック作の楽曲を歌うR&Bシンガーとして、1963年のデビュー以来、特に1970年頃の彼女の活躍ぶりは、やはり、幼き日の私に、よく、クラシック音楽や映画音楽のレコード盤を聴かせてくれた洋服職人の叔父からと、更に、塗装職人だった父の見習いで我が家に居候していたグループサウンズ好きの叔父から伝えられる情報の中にあった。

 

「ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)」。

その名前を小学校の2年生くらいのときには知っていた。

 

幼少期から小学5年生の頃までは、聴く音楽と言えばクラシック音楽が殆んどだった。少しずつ日本のポップスや歌謡曲を聴くようになって、それから、洋楽のポップスやロックなども自ら好奇心を抱いて積極的に聴くようになったのは中学生になってからだった(切っ掛けは第36回目(2017/06/08)に記載(笑))。が、このアホ中学生は、その名前を忘れてしまっていた(汗)。

 

高校生から大学生の頃にかけて、ビー・ジーズ(第22回目:2017/02/11に記載)やバリー・マニロウ(第27回目:2017/04/23に記載)も好んで聴くようになって、その延長線上に、ある日、懐かしさを憶えるその名前と歌声がFMラジオから甦ったかのように聴こえてきた。

「おおっ!そうだよ、ディオンヌ・ワーウィックだよ!」

4畳半一間の木造アパートの部屋、独りきりで居るだけなのに、吐き出した声は大き過ぎたかも・・・。

<これじゃヤバイ奴だよ(汗)>

と、胸裏で呟いたところで遅かった。

バニー・マニロウのプロデュースで、「涙の別れ道(I'll Never Love This Way Again)」という曲だった。この曲で9年振り3回目のグラミー賞を受賞。そして、更に数年後、ビー・ジーズのバリー・ギブのプロデュースで、「ハートブレイカー(Heatbreaker)」が、同名のアルバムとともにアメリカやヨーロッパでヒットして、日本でも知られるようになった。この情報もFMラジオから流れてきた歌声でだった。

 

ふところ具合と相談して、でも数日内には、LPレコード盤を買いに行った(上の写真)。

 

丁度この頃、足先から胸の辺りまでをすっぽり覆うゴム製の長靴を履く日が続いた。

いや、魚釣りではないよ(笑)。

25メートルプールよりは少し小さいのかな・・・、でも簡素な屋内プールといったところだろうか。

腰の高さほどの水を張って、あらかじめ、胸の高さくらいあるアクリル製で直径約50cmの円筒形構造物をその中央に固定させておく。指先ほどの小さな精密測定器を構造物の10ヵ所ほどに慎重に張り付けて、測定器から受信した信号を波形化して記録する装置へとつなぐ。プールの端には造波機が設備されていて、波長や波高をコントロールしてプール内にいろいろな波を起こすことができる。・・・大学内の施設、実験用の水槽だ。

環境条件をできるだけ同じにして多くのデータを集めたいので、3日間くらいを昼夜を通して、時には徹夜で作業をすることも。

大学生4人に同研究室の院生(博士課程)1人が付いて、「卒業研究」(文系学部・学科では「卒業論文」というらしいのだが)のための実験を重ねていた。

同じ実験データを使用するものの、私を含む大学生4人が書く「卒業研究」レポートは、それぞれ違うことをテーマに、異なるアプローチで仕上げるのだった。同学科内でも学生へのゼミ指導が最も厳しい研究室と言われていて敬遠する学生も少なくなかった。そのため幾分不人気な研究室に属していたのではあったが、「卒業研究」のために研究室の先生が提示してくれる題材は、どれも、一流大手企業であったり、最先端の技術開発をしている企業からの依頼を兼ねていて、第一線の研究・開発に関わっている充実感が大いにあった。

 

実験日の予定が具体的に決まると、その度ごとに(結果的には年4回に分けてになった)、実験中のBGM用にと、カセットテープを用意するのは私だった。自然の流れでというか、当然のように、同実験を共にする院生を含む4人から仰せつかったお役目だった。

・・・

「選曲は任せるからさぁ」

<勝手に好きに選んじゃおうっと>

「あっ、もしもできたら「・・・」っていう曲も入れておいて」

「それだったら、俺も、「・・・」っていう曲、入れられる?」

「私も、「・・・」を、お願いできるかな」

<なんだ、結局、けっこう注文あるじゃない~(苦笑)>

・・・

自分勝手にやるなら大して時間は掛からないのだけれど、他人の趣向も入れながらは割と難しい。自分好みの音楽と併せてリストアップして曲順を考える・・・これだけで数日間を掛ける。

リストを整えたら・・・、

一曲、一曲を、カセットテープに入れ込んでいくのだけれど、このダビングを開始する前に、曲ごとに数十秒間ほど聴きながら録音レベル(録音される音量)もチェックして、そして、つまみを調節する。

これで、ようやく1曲をダビング。

実験最中のBGMに使用するので、こんなときのカセットテープは普段は使用しない長めの90分テープ、これを3本。この他にも前々から作ってあったカセットテープから数本を選んで持参する。

<はい、OK!>

・・・

なんだか、実験日前に、すでに約1名だけが、もう事を成し遂げたような気分になっている(笑)。

ディオンヌ・ワーウィックの「ハートブレイカー」も、こうしてカセットテープにダビングした一曲だった。

 

バリー・ギブのプロデュースだけあって、アルバム全体が「ビー・ジーズ」っぽさが強い。

聴くときの気分やタイミングによっては、それが心地好いと感じたり、少し、「ビー・ジーズ」過ぎるかな、と、正直、邪魔に思えたりすることも。それでも、40歳を過ぎたディオンヌ・ワーウィックの、喉奥、声帯で確りと発せられた振動音が、骨格・身体に響き渡って鳴らされている、その歌声と歌唱の魅力は、決して歪められることがなくて・・・、最終的には、ディオンヌ・ワーウィックの芯とも言える何かが伝わってくる。

特に、アルバムタイトルにもなった「ハートブレイカー」からは、そんなディオンヌ・ワーウィックが一番に感じられる。

 

時代や世代の幾つかを越えながらも、やはり、「一流のR&Bヴォーカル!!」、ディオンヌ・ワーウィックだった。

 

さて、一流大手企業や最先端技術をいく企業の開発と研究にも役立つ「卒業研究」レポートを、その後、4人の大学生は仕上げることができたのでしょうか?

4人とも無事に卒業したのだから、きっと、それなりのものは書いて、発表もしたはずなのだけれど・・・(笑)。

 

2017年

11月

06日

今日の一曲 No.56:ムソルグスキー作曲 組曲「展覧会の絵(ラヴェル編曲版)」

「今日の一曲」の第56回目。

 

展覧会会場に入ると、最初の作品に出合うまでのしばらくを、トランペットの厳かな響きが「プロムナード」としての旋律を奏で演出する。また次の作品までの間を、変奏された別の「プロムナード」が繋ぐ。

・・・モデスト・ムソルグスキー作曲、組曲「展覧会の絵」、モーリス・ラヴェル編曲のオーケストラ・バージョン。

 

中学2年生のときに、ようやく手にした盤は、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、1965年に録音がされているLPレコード盤だ(1970年代前半にリマスターされた盤だとは思うのだけれど・・・)。

 

さて、つい、3週間ほど前、知り合いから招待状が届いて、「美術の祭典・東京展(第43回)」が開かれた東京都美術館(東京・上野)へ行ってきた(2017/10/26のブログに詳細を記載)。

 

「展覧会」、「美術展」というと・・・、

 

小学生の低学年で既に、学校のお勉強に不向きなのか、通知表には「アヒル(5段階で2)ばかりを並べてっ!」と両親からよく叱られていた。手先も不器用で図画工作にしても自分のイメージしたものに近づくことがない不器用さだった。

比較の対象になったのは妹。

ハキハキと喋って、明るく元気、小学校・中学校での成績も優秀。手先も器用で、図画工作(美術)や家庭科の裁縫等でも、校内の優秀作品として選ばれて、地域もしくは都内の展覧会などによく展示されるのだった。

それを、その度ごとに観に行った。兄として・・・。

「妹さんは色々とご活躍ねぇ~、お兄ちゃんも頑張らないとね」と、親戚の家、学校や近所の大人たちが掛けてくれる言葉は励ましのようには聞こえない。ただの決まり台詞のように捉えることにしていた。

むしろ、自慢の妹が褒められているのだと・・・。

 

・・・で、この文字と言葉の響きは、どうしても、先に、小学生から中学生の頃のこうした情景を想い出させる。

 

美術館を廻るなどは大好きと言っていい。

とくに、大学生になった頃からは、アルバイトなどもして自分でお金を貯められるようになると、美術館だけではなく、博物館も含めて上野には2~3ヶ月に一度は出掛けるほどで、社会人になってからも年に一回くらいは愉しむ場にした。

 

卑屈な感情の方が勝たずに済んだのには、小学校3年生のときのクラス担任の先生がくれた言葉が、ずうっと胸裏に支えとしてあったからだ。

 

「図工」の授業中のことだった。

水彩絵の具で絵を描いていた。うっかり、塗ろうとしていた色とはまったく違う色の絵の具を、描いていた画用紙の上に落としてしまった。

しかも、雪景色の背景を描いているところに黒か藍色系の濃い色をだ。

「あっ!」

「もう、失敗だぁ~」

「はじめから描き直しだぁ~」

自身への愚かさと怒りとが入り混じったように、明らかに毒を含んだ口調で吐き出した。

すると、先生が、目をいつもよりも大きく見開いたかのような表情で急ぎ席に近づいて来た。背後から暫らく静かに画用紙上に起きた状況を眺めていた。

が・・・、

『失敗なんてないの!』

と強い口調で言い放った。

クラス中の人が、きっと、皆が、こっちを向いた。

先生はパレット上に数種類の色を並べてから少しだけ水を含ませた筆にそのうちの一色だけをそっと付けて、その絵筆を私に持たせた。

絵筆の運びを指示されるのだったが、それがとても丁寧だった。

絵筆を持った方の手を包むかのように初めのうち時折先生の掌が重なって、その加減を伝えてくれる。

頃合いを視ながら、先生は再び、パレットに出した色から具合良く筆に色を付けては僅かに水で湿らせたその絵筆を私に持たせて絵筆の運びを指示する。

先生の必死さが伝わってくるようで、私自身、自分も必死に絵筆を運ばなければと思った。

同じような作業が、でも、少しずつの変化を確かめながら繰り返された。

・・・

奥行のある色合い深い雪景色の背景を伴った絵が仕上がった。それは嬉しくなるほどの出来栄えだった。

 

以来、絵を描くのが好きになった。

好きになると、自ら工夫しようという気持ちも芽生えたのか・・・。

不器用な手先は、小学校入学と同時に、1・2年生のクラス担任だった先生から元々の左利きを無理やり右手で使うように強制されていたからでは?・・・と疑いはじめて、図工や体育の時間などは、右手も左手も作業や動作に応じて勝手に使おうと自分で決めることにした。それからは、苦手なほどではなくなっていった。

小学生の高学年の頃には、音楽の他にも、図工(美術)と、あとは体育は、自身の中では得意科目の方になりつつあった。・・・妹には敵わないにしても・・・。

 

ムソルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」という楽曲に出会ったのも、そんな小学校の高学年、5年生ときだった。

既に好んで習慣的に視聴していたテレビ放送のクラシック音楽番組でだった。原曲であるピアノ独奏の「展覧会の絵」が映像とともに流れた。そのピアノ演奏が凄まじいほどのテクニックだということは少し見入っただけで理解できた。迫力と威厳をもって、この耳と目に飛び込んできたのだった。 

「すげぇ~!」

(この楽曲との出会いについては、第14回目(2016/12/28)に同様な記載で、イギリスのロックバンド「ELP」の「展覧会の絵」をご紹介しながら書かせていただいた。)

 

10作品の絵画をイメージして表現されたこの楽曲に直ぐにハマっていった。こうなると、放課後、学校の図書室を何回も利用し続けて調べ尽くすのだった。これも小学3年生のときから身に着けさせてもらった習慣が源にあったからだ。たとえ、学校のお勉強はダメでもね・・・。

モーリス・ラベルによるオーケストラ・アレンジの「展覧会の絵」があることも、このときに知った。

「オーケストラ作品の「展覧会の絵」も早く聴いてみた~い!」

「ん~、レコード盤で欲しいなぁ~」

と、憧れのような想いも湧く。

他に、建築家であり美術家であったヴィクトル・ハルトマンの死を悼んでの作品だったことも知った。あとは、密かに政治批判的なメッセージを含んでいたのでは?・・・などという説は、当時はまだ意味不明な事柄ではあったけれども、「サスペンスドラマか・・・」といった解釈で興味を掻き立てられるのだった。

 

月々のお小遣いを貯めながら、これだと思えるレコード盤にも出会い手にしたのは、音楽と美術と体育だけは優秀な成績の中学生になれた?・・・妹には到底敵わないにしても・・・(笑)、そんな、中学2年生のときだった。

 

 LPレコード盤をプレーヤーに乗せて針を落とす。

プロムナードの旋律とその変奏によって、10作品の絵画、一作品一作品が音で表現されて繋がれていく。ピアノ独奏とはまた異なる別次元の新たなイメージを生み出して聴こえてくるのだった。艶やかさ、奇妙さ、恐ろしさ、滑稽さ、ダイナミックさ、・・・すべてがそうで、感動的でもあった。

当時の中学2年生が眺めていた10作品が具体的にどんなふうに映っていたかまでは想い出せないけれど、きっと、神秘にも満ちたワクワク感満載の展覧会会場であったにちがいない。

 

すでに、この頃、自慢の妹は、将来を美術の道へと歩むか、それとも獣医師の道を目指すか、2つのうちの1つと決めていた。

その兄は・・・、

「将来・・・って?」・・・(苦笑)。

 

ただ・・・、

『失敗なんてない』・・・それが全てではないにしろ、粘り強さから何かを見出したり、事を成し遂げたりできる・・・そんな実感を少しずつ身に刻み込んでいた・・・のかなぁ~。

 

2017年

10月

31日

今日の一曲 No.55:ふきのとう「影法師」(アルバム「思い出通り雨」より)

「今日の一曲」の第55回目。

前回の第54回目(2017/10/19)とほぼ同じ頃ではあるのだけれど、どうやら、そこに書かせてもらった「コッキーポップ」や「ポプコン」から知った音楽ではなかったように記憶する。

彼らも、その「ポプコン」の北海道大会で入賞か優勝かをした経歴の持ち主ではあるのだけれど、これらのことも、今回ご紹介する盤を手にした後、しばらくしてから徐々に知った。

 

「ふきのとう(山木康世・細坪基佳)」、6枚目のアルバム「思い出通り雨」。1978年のリリースで・・・、もちろん、LPレコード盤だ(笑)。

 

少しは真面目な高校生になって・・・、当の本人は、「生き方を変えるんだ!」と誓うほど心を入れ替えて過ごしているつもりで、こうして約10ヶ月、高校3年生の夏も過ぎた頃のことだ。大学進学にまで到達できるかなどといったことは見通せるような状況にはなかったが、受験勉強なるものに、特に休日は殆んどの時間を自宅に閉じこもってまで、ただ、ただ、取り組んでいた。

 

ほんの時折り、休憩がてら1時間ほど、近所にある(「今日の一曲」で何度も登場している)例のレコード店へと、特別な目的もなく、物静かそうなオジさんが一人で営んでいるその店で、アナログ・レコード盤に触れたくなって出掛けるのだった。

この日も、昼食後に休憩がてら、ふらりと出掛けた。

店に入ると、癖のようになってもいて、まずは、店奥のクラシック音楽系の盤が並ぶラックへと手を伸ばす。次にジャズや洋楽系へ、ポップス、ロック、流行真っ只中のディスコサウンド系やダンスミュージック系・・・、そして、当時は「ニューミュージック」と呼ばれた日本のポップスやロック、歌謡音楽へと・・・。でも、嗅覚が働く周辺に的を絞り込んで順に手を伸ばす。

 

ふと、ラックから手先で引き揚げたレコードジャケットに目が停まる。 

「ふきのとう」・・・?

脳の奥の方で「聞いたことがある名前だよ」と、ささやかれて、同時に、「フォーク系のグループだよなぁ~」・・・という認証が行われる。

それで・・・、

「聴いてみよう」

となったのだけれども、明確な目的もなく店に入ったのだった。

財布を覗くと、

「わぁ~・・・」

小声であっても完全に口から漏れ出していたと思う。

足りるだけの中身がないのだ。

オジさんまでもが残念そうな表情になる。

自転車で片道10分かぁ・・・と思いながら、机の引き出しにしまってある貯金箱の中身の記憶も呼び起こしてみる。

・・・

結局、すぐさま再度来店したときには、オジさんの顔もほころんだような・・・、いや、呆れていたのかも知れない。

・・・

というわけで、購入したときのことが確りと記憶されている。

 

この「今日の一曲」で幾度となく触れている通り、当時は、シンセサイザーなどの目覚ましい発展で、様々に、もう溢れるほどに、新しい音楽とサウンドが次々に産み出され、同時に日本では、シンガー・ソングライターの存在が一気に増していっている時代にあった。

 

「ふきのとう」のことをあまり知らずに、買ってきたばかりのアルバム「思い出通り雨」なるLPレコード盤に針を乗せてみる。

A面1曲目の「影法師」が、スピーカーから鳴りはじめた。

アコースティックギターの「スリーフィンガー」というらしいのだが軽快な分散和音が、シンプルな8(エイト)ビートのベースとドラムに乗って聴こえてくると、そこに、リコーダーがやさしく演出を加えている(*アレンジは、瀬尾一三)。

 

「フォークソング、フォークサウンドだ!」

「フォーク・デュオのハーモニー!」

そして、

「なんか、懐かしい~ィ」

と思えてしまう・・・たかだか十数年しか生きていない高校生のくせに・・・(笑)。

フォーク系の良さは、そのうちに歌詞までもが確りと身体に染み入ってくるような深さがあるところで、一層、懐かしさと歌詞から感じる風景が拡がる。

「影法師かぁ~」

無邪気に野っ原(のっぱら)を飛び回っていた幼い頃を思い出させてもくれる・・・。

 

それは、ほっとしていられる時間・・・になったのだと思う。

 

当時は「詰め込み主義の教育(高校生の教科書内容は科目に関係なく現在の高校生の約1.5倍から2倍近いくらいだったらしい)」と「ペーパーテスト重視の評価」。進路指導も「圧倒的な偏差値重視」。それをテレビなどで論じている評論家や教育関係者の言葉は馬鹿々々しく聞こえていた・・・。

「誰がそこで何を言っていても、今の仕組みが今すぐ変わるわけでもない。この仕組みの中で、今、高校生として生き抜かなければならないのだよ。大人たちの、お偉い方々の都合で作られている仕組でしょ?・・・子供たち、中学生・高校生たちを真剣に育てようと思ってできた仕組みじゃないでしょ・・・?」

・・・当時、わかったふうなだけの高校生が心の中で溜め込んでいたものでもあった。

 

レコード盤を丁寧にしまうと、また、問題集とノートを開いては、奥歯を噛み締めて気持ちを集中させた。

「やれることを、やり尽くそう。」

・・・

「ふきのとう」の温もりある音が、いま少しだけ、脳裏に残響としてあった。

 

2017年

10月

27日

ライヴを訪ねて:カノミさんの企画「歌を歌い、音を奏でる、その22 ”夜” 」へ

21日(土)の夕刻、台風が近づいているらしい。が、きっと、行いが良いのだろう、雨も風も少し弱まってくれている。

「行いが良い」は、私ではないよ、今夜、この地でライヴをされる方たちのこと(笑)。

 

そうかぁ・・・、前夜も、ここ東京・阿佐ヶ谷に居た。自身のライヴ出演があって、出演後も終電ギリギリまで居たのだった(詳細は、2017/10/21のブログ「ライヴ報告」に記載)。

 

お昼過ぎの午後の時間帯、都内(京王井の頭線沿線)のカフェで、その場に居合わせたお客様を前に20分ほど歌いギターを奏でさせていただいた。カフェのマスターの意向で不定期・非公表のランダムな日時で半年前くらいから平均して月に2回ほど出演させていただいている。

この日は、そこからJR阿佐ヶ谷駅へと移動してきてだった。

午後5時半を少し過ぎている。

 

ギターをそのまま背負って他人様のライヴを訪れるというのは抵抗があって、それに客席が狭いところに窮屈で迷惑にもなる気がして、少々不安ではあるのだけれど、こうした場合には駅のコインロッカーに預けることにしている。で、途中のターミナル駅のコインロッカーに預けてきた。

 

小腹も空いてきて、ライヴのオープン時刻までにも1時間ほどある。

前日も立ち寄ったカフェへ。

コーヒーとイングランド風プディングを味わいながらもボケーっとしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。

むしろ、少し慌てるようにしてカフェを出て、目的地である「イエロービジョン」へとやや足早になって向かった。

 

カノミさんの企画ライヴ、

「歌を歌い、音を奏でる、その22 ”夜” 」

 

心地好い夜にしてくれる・・・疑いもなく期待を膨らませて訪ねた。

カウンター席に腰掛けて・・・と。

 

出演者は、順に・・・

カノミさん(Flute & S.Sax & Sampler.sys & Vocal & etc. による即興的音楽)、高井息吹さん(Vocal & Pianoによるジャズ・テイスト的な音楽)、SAWADA(S.Drumによる即興音楽)さん、そして最後に、この3人での即興セッション。

 

3人の音楽とその演奏のそれぞれが、会場内の空気と一体となって、響いてきて、振動してきて、身体に染み込んでくる。そのうちに、脳内が楽になって、身体全体までが緩まって、「ここに居いる」ことを許されているような感覚を得ていた。

客席はすべてが埋まっていて、演奏が始まる前に、知る人の顔もあったり、見知らぬ顔もあったり・・・、この種のライヴにこれだけの人が集まることはとても喜ばしく思った。更にそれよりも、演奏が始まってからは、この客席も、ただただ静寂な一体感だけが存在しているかのようで、この方が嬉しく感じるのだった。

 

やはり、来てよかった!

好き一夜になったぁ~!

 

カノミさん、SAWADA(私のCDの音響担当でもある)さん、お二人とは、私の音楽活動の初期からお世話になって仲良くさせていただいている。ライヴ終了後はそれぞれと一言二言交わして、早々に会場を後にした。

 

脳内も身体も、これらの音楽からいただいたものを手放したくはない様子があって・・・そう、まだまだ、独りでじっくりと今宵の音の世界に浸っていたかった・・・それでだ。

 

<写真等の掲載がないのも同じようなことです。カメラは持参していたのだけれどね(笑)。>

 

2017年

10月

26日

番外編:芸術の秋その一日「東京展(第43回)」へ

10月、東京は「秋」を感じる日がない・・・。

11月下旬から12月中旬くらいの気温だそうで、低体温症にでもなりそうだ。そこに冷たい雨が降る日が続く、かと思えば、9上旬くらいに逆戻りしたような気温の高い日が突然1日だけあったり・・・。

「狂ってるなぁ~」

と、胸裏呟く。

身体を良好な状態に保つのが難しくなっている。

 

美術展の招待状と案内のリフレットが届いた。

「第43回 東京展」。

作品を出展した知人からだった。

しばらくご無沙汰してしまっているのだけれど、招待状を届けてやろう・・・という対象に思ってもらえただけで、有難い気持ちになった。

 

13日(金)、正午過ぎ、手ぶらでと・・・したいところだがそうもいかず、いつもの荷物を背負って自宅を出る。電車を乗り継いでJR上野駅公園口に降り立ったのは午後2時近く。

どんよりとした灰色の雲ながら雨粒は小さく、ポツリ、ポツリ。傘は開かずに「東京都美術館」へと歩いた。

上野という場所に訪れたのが2年振りくらい。

博物館や美術館を廻るのも好きで一時期は2~3ヵ月に一度はそんなことをしていた頃もあったが、ここ数年は、すっかり忘れていた。

 

目的の展示会場へ。

「東京展」は初めて。

絵画(油絵、水彩画、他にも)、版画、イラストやコミックアート、絵本や雑貨デザイン、造形作品など・・・公募によって集めらた様々な美術作品が、ある程度分野別に4つの展示室に分けられてそこにあった。

 

ゆっくり、のんびりと廻った・・・フウではあったはず。

が、作品の前に立つと、作品によっては、息を思わず殺しながら緊張して眺めさせられる瞬間も少なくなかった。

そう、美術館での鑑賞は、展示内容に関わらず、内面を色々な方向へと揺さぶられるので、思いの外、エネンルギー量が必要なことを忘れていた。

おそらく入館して1時間以上が経過した頃、展示半ば辺りで、置いてあった椅子に腰掛けては瞼を閉じて休息を摂った。1分間ほどだけ。

その後は再び同じペースで、ゆっくりと展示作品を観て廻った。

 

途中、知人の作品に目を停めた。

人柄が滲み出ている・・・というのは、やはり、知人だからそう感じるのだろうか。懐かしい思いで、知人との想い出も手繰り寄せながら、更に「えこひいき」したい気分も加わって眺めた。

 

午後4時を過ぎた頃、美術館の外に出ると、雨足は少しだけ強くなっていた。

ふう~っと、ため息をついた。

すぐ後に、

「寒い~」

と、声に出したように思う、そして、傘を開いた。

 

さてさて、40分ほどで到着できるはずの都内のライヴ会場へと向かった(笑)。

ね、アートな、まさに「芸術の秋その一日」。

ただ・・・「秋」という部分だけは疑問符がつきそうだなぁ~(苦笑)。

 

2017年

10月

22日

ライヴ報告:「ライヴ小屋 Next Sunday」~冬眠に入らなくてよかったぁ(笑)~

少し遅くなりましたが、「ライヴ報告」です。

 

20日(金)、東京・阿佐ヶ谷も弱くはあったけれど雨は降り続いていた。

 

ちょうど一週間前、臨時のアルバイトで入ったときに、いつもPA(音響等)を担当してくださる澤田さんから、「20日はやれないんだぁ~ゴメン」と言われていた。

で、PAは誰が担当なのか少し不安に思いながら、JR阿佐ヶ谷駅南口からライヴ会場である「ライヴ小屋 Next Sunday」までを歩いた。アーケードのある商店街を貫けていくので傘を差さなくて済む。

 

「Next Sunday」に着くと、セッティング準備に動く背中は見慣れた姿だった。

「坂元さ~ん、ああ~、よかったぁ~」

と、いきなり声に出して呼び掛けたから、坂元さんは少し首を傾げて振り向いたが、

「お久しぶりです」

と、いつもの丸い目をそのままで返してくれた。

 

サウンドチェックは10分も掛けずに良好な感触。

PA(音響等の担当者)というと、CD制作時のサウンドエンジニアでもある澤田さんと同じほどに、坂元さんもまた信頼を寄せているPAさんの一人だ。

 

さて、オープンの時刻までに1時間以上もあったので、一度、外に出ることにした。JR阿佐ヶ谷駅周辺の商店街をぶらついて、そのうちにJR駅を挟んでまったく反対側のカフェへ。

 

ライヴの全体像を想い浮かべながら、コーヒーを・・・。

セットリストは?・・・本番になって変更することもあるけれど、トークの柱とする話題を定めたら、その絡みであまり違和感のないように幾つかのパターンをイメージしておく。こうして、ライヴへの心の準備も徐々に整えていって・・・。

 

オープン時刻少し前には「Next Sunday」に戻った。が、いつもよりもボケーっとしている感覚が多めであることの自覚だけがあるままで、19時、この夜のライヴがスタート!

出演者は、順に・・・

じぱんぐ今中さん(Vocal & A.Guitar)、モイモイさん(Vocal & Piano)、私めは3番目の出演、続いて、弥勒のマルさん(Vocal & E.Guitar)と、一人35分間を、歌い、ギターやピアノを奏で、まあ、ちょっと妙でもある組み合わせのブッキングライヴにも思えるのだったけれど、それは、面白くもあり、案外奥深さのある音楽感性がそれぞれによって披露されていく様は癖になりそうな楽しさでもあった。

 

この夜も、居合わせた皆様へ、「感謝」と「有難い」という思いが、それは、「お蔭さまで・・・」というものと一緒に、自身が歌い奏でたライヴを終えた瞬間にはもう既に湧き起こっていた。

タイトルの副題に、「冬眠に入らなくてよかったぁ(笑)」としたのは、この夜、愛間純人のライヴに居合わせた人達だけがわかるキーワード・・・(笑)。

要は・・・、

「たいへん楽しゅうございました!」

「皆様、ありがとうございました!」

ということなのだけどね・・・、あとは内緒。

 

出演者すべてのライヴが終了して・・・、

初めましての「モイモイ」さんとは、ピアノ演奏や音楽創りのことなどでお話をさせていただいた。この流れで、モイモイさんはグランドピアノを前に、「忘れちゃったなぁ~」と言いながらもショパンやバッハの楽曲を弾いて披露してくれた。

以前から親しくさせていただいている「じぱんぐ今中」さんと「弥勒のマル」さんとは、彼らに、PA担当の坂元さんやみやこ店長さんも交じってカウンター席とこれを挟んで既に世間話やらで盛り上がっている様子。この夜に限っては、ここへはあまり入り込まずにおいた。楽し気な会話の様子を眺めているだけで心が温まるようにも感じて、少し離れたところで椅子に腰かけて辛口のジンジャーエールを飲み干すまで独りくつろいだ。

 

あれ?・・・すっかり長居し過ぎてしまった。終電ぎりぎりの時刻に気付いた。

週末の混み気味の車中で揺られながら、

「できる限りは、一回一回のライヴを、演奏もまた音の一つひとつを、大切に大切に・・・」

と、更なる誓いを胸裏で呟いては帰宅の途についた。

 (ここでの「できる」とは歌い演奏できる身体の状態が続くこと)

 

*上の写真は、ライヴ後に出演者一同で記念撮影

*下の写真は、「Next Sunday」さんの入口のライヴ案内板

 

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2017年

10月

19日

今日の一曲 No.54:相曽晴日「舞」(アルバム「トワイライトの風」より)

「今日の一曲」の第54回目。

 

中学生・高校生の頃、そして、大学生生活を送っていた時代、これらの音楽たちにも多くの刺激をもらった。

現在の音楽創作・音楽活動につながる影響は、結果的にではあるけれど多分にここにもあったと言ってよいかと・・・、同時に振り返えってみて、とてもラッキーな時代を生きさせてもらったと感じる一場面だ。

 

それは、1971年から1986年までの間、ラジオで放送されて、内、1976年から1982年頃はテレビでも放映されていた。ヤマハ音楽振興会が主催する「ポプコン(ポピュラー・コンテスト)」と連動して、受賞者やこれを切っ掛けにプロ・デビューしたミュージシャンらを紹介する音楽番組で、長年に渡って大石吾郎さんが司会を務めていた。

私めと同世代であったり、ここに近い世代の方々は、よくご存知かと・・・、「コッキーポップ」という番組。

 

特に多感な時期であったであろう中学・高校生時代とテレビ放映がされていたそれとが丁度重なった。

だから、私的には、日曜日正午過ぎのテレビ画面から届けられる「コッキーポップ」が事の始まりとなった(笑)。

 

自分で(自分たちで)作詞・作曲をして、その楽曲を、自分で(自分たちで)演奏し歌う・・・「シンガー・ソングライター」という言葉を知ったのも、どんな人たちのことを言うのかも、正確に理解したのは、この番組からだったように思う。

 

年代は順不同だけれど(しかも想いつくままの列挙だけで恐縮です)・・・、「小坂明子」、「中島みゆき」、「八神純子」、「谷山浩子」、「長渕剛」、「円広志」、「伊丹哲也とSide By Side」、「チャゲ&飛鳥」、「雅夢」、「あみん」、「NSP」、「世良公則とツイスト」、「クリスタルキング」、などなど・・・、ソロ、デュエット、デュオ、バンドまで・・・、話題となって、ヒット曲としても認識されて、トップ・アーティストとして長く音楽界で活躍するミュージシャンまで生み出した。それはそれは絶妙のタイミングで刺激と面白さを与えてくれた。ラッキーな体感の一つだった。

 

でもね・・、80年代に入った頃からだったかな・・・、

「コッキーポップ」が音楽番組として視聴者から広く支持を集め、「ポプコン」もいよいよ盛んになって多くから注目を浴びて、どちらも、その存在が更に拡がろうとしていた頃だったと思う。ところが、時がここから進むにつれて、楽曲やミュージシャンのアートやアーティストとしての個性や才能よりも、目先優先の商業目的とした価値の方が、じりじりと、そのうちに、圧倒的に勝りはじめたように感じた。

単なる偶然なのかも知れないけれど、ほぼ同じタイミングで、急激にメディアとしての注目度も反対に落ち始めていったように思えた。周囲に居た音楽好きな友人らとの話題からも薄れていった。

「コッキーポップ」も「ポプコン」も、大衆の受け皿になりつつあったのだろうけど、音楽好きの中でも、「少しだけマニアック寄りな」を感じていたかった人に支持されて拡がりつつあったものであって、「完全な大衆」へと無理強いをし過ぎたのではと・・・。

83年にはテレビ放映はなくなり、再び、深夜の時間帯でのラジオ放送だけになった。

・・・

などと、現在ではなく・・・当時、生意気にも分かったふうな現象分析をして、勝手な結論付けをして、そろそろ自身の青春とも言える時期とオサラバする言い訳の材料の一つにしていたふしも・・・。そんな冷ややかな眺め方で自身もこの番組から離れていった。

「マニアックな音楽好き」でも「大衆的な音楽好き」でもなく、「中途半端な音楽好き」のしたことは、こんなだった。・・・現在に至って俯瞰的に捉えると、それまでに沢山の「ラッキー」をもらっただけに、残念でもあり悔しくもあって仕方がなかったのだろう・・・(苦笑)。

 

そんな身勝手で中途半端な音楽好きが、「コッキーポップ」からいただいたラッキーを、最後のものとして受け止めたのが・・・、

相曽晴日というアーティスト、そして、アルバム「トワイライトの風」に収録された楽曲たちだった。

 

テレビ放映が終わった直後だったか(?)、深夜ラジオの「コッキーポップ」で出会ったように記憶する。

ファースト・アルバムでもある「トワイライトの風」は、82年のリリース。もちろん、LPレコード盤だ(笑)(上の写真)。

 

先ずラジオから聴こえてきたのは、アルバムの中の「トワイライト」という曲。歌声と歌いまわしに独特な世界観があって、これらがメロディとも好い関係を創り出していた。何処からともなく新鮮な風がそっと部屋に入ってきたかのように感じて心地好い。

 

当然のように数日内にはレコード店へと向かった。この頃は、そう、例の船橋市と習志野市の境くらいのところにあるレコード店へだ。

買ったLP盤を手にして部屋に戻ると、早速、レコードプレーヤーに乗せて針を落とした。

それからは、A面、B面、どちらも、じっくりと、独りを味わいながら全曲を聴いた。

 

こうして新しい盤をひと通り聴き終えたところで、決まって、しばらくしてから脳内に優先的に残ったフレーズが無限ループとなって再現されるのだった。

 

今回は、A面の4曲目「舞」・・・ザビのフレーズがそうだった。

・・・

もう忘れていいですか

粉雪が舞い踊る

もう忘れていいですか

空はすみれ色に

・・・

 

寂し気な歌詞が軽やかなワルツ風のリズムとテンポに乗せられた優し気なメロディとともに歌われる。

アルバムを通して爽やさと温かみのある印象の歌声が、この曲に限ってだけ、ほんの1フレーズ、強い芯を感じる声が混じって表れるのだった。

 

当時から数えて何十年もが経過した現在も、ふと、突然、脳内に無限ループとなって再現される、

・・・

相曽晴日、「舞」・・・。

・・・

・・・

もう忘れていいですか

空はすみれ色に~

・・・

つい、空を見上げて、その仰ぎ頭上に広がる「すみれ色?」を想像する。

「ほんと、何にも分かっていない若ぞうだったなぁ~」なんて、独りで恥ずかしくもなるのだった。

えっ?現在もあまり変わらないか・・・(笑)。

 

2017年

10月

15日

今日の一曲 No.53:サラサーテ作曲「カルメン幻想曲 作品25」(五嶋 龍(ヴァイオリン)より)

「今日の一曲」の第53回目。

このシリーズ、時系列に沿うことは滅多にない・・・。でも、今回は、前回の第52回目の続編という感じに・・・。

 

まずは、今回ご紹介する曲と盤だよね。

 

ヴァイオリンの超絶技法の色々を楽しむには、お薦めのCDだよ!

ヴァイオリニスト五嶋龍が17歳の頃に演奏した10作品、これらを収録して、2005年8月に発売となったCDだ(上の写真)。

中でも、今回、取り上げてご紹介したいのは・・・、

パブロ・デ・サラサーテ作曲、「カルメン幻想曲 作品25」。

 

当時、このCDについては、宣伝にノセられた感じも否めなくもないのだけれど、発売前から興味があって早々と購入を決めていた。

 

が、これまで何度も登場してきた例の実家近くにあったレコード店、そう、私の小学生時代から社会人になるまでを眺めてくれていた・・・物静かそうなオジさんが一人で営んでいたレコード店は、この4年前だったか5年前には店を閉じていた。

だから、とあるチェーン店のCDショップに買いに行った。

 

話は、一旦、さらに時代を遡るけれど・・・、

 

1990年代に入ると、ほぼ、CDの時代に。

レコード店に気まぐれに立ち寄っては、アナログ・レコード盤が納められたラックに手を伸ばし、指先で軽くつまみ上げては瞬時に表紙のジャケットを眺めて直ぐさま元に戻す、その安全かつ素早い動作を繰り返してお目当てのレコード盤を探し出す・・・そんなことも出来なくなった。やがて、私を見守ってくれていたその近所のレコード店も姿を消した。

一方、30歳代そこそこにして、転職した先でも経験と実績が認められたのか重責を任される立場に。35歳を過ぎると、ますます「仕事人間」としてのみに磨きが掛かり、職場では「飛ぶ鳥落とす勢い」の如く・・・。

 

現在(いま)から振り返ると・・、アン・バランスな感じが垣間見える。

2000年を過ぎてからは、「今日の一曲」の第39回目(2017/06/20)や 前回の第52回目(2017/10/11)に書いたような状況が待ち構えていた。

 

話を戻そうね。

 

2005年の夏、復職して1年半が経過していた。

通院しながら、薬の服用は絶対だった。

職場では重責の任も解かれて少し気が楽になるかと思えたのだが、新しい事業が動きはじめたばかりのところで私が休職した為に、急に後を任された新しい担当責任者も実際には不慣れであったり、入社1~3年目の若手が右往左往している場面も。そのフォローに目をつむれず、会社がせっかく退勤定時の帰宅を約束してくれたのに、そうもいかない日がちょくちょく・・・。

 

「愚かだとお思いになりませんか・・・?」と、当時の自分に言ってやりたくなる(汗・苦笑)!

 

が、自宅に帰って、家族の顔を眺めて、声を聞いて、夕食後には落ち着いた時間くらいは確保していた?・・・つもり。

そんなひと時、好んで度々聴くようになったのが、今回ご紹介のCDというわけだ。

 

17歳が奏でるエネルギッシュで活き活きとした音色に、ヴァイオリンの超絶技巧の確かさまでが加えられて伝わってくる振動は、希望に満ちて聴こえるのだった。

CDの最後に収録されている楽曲、サラサーテ作曲の「カルメン幻想曲 作品25」は中でも特別に聴こえた。

 

「カルメン」というと、歌劇「カルメン」で音楽を担当したフランスの作曲家ビゼーのが先ずは元祖かと。

ビゼーの歌劇「カルメン」がもとになって、「カルメン組曲」やバレエためのカルメンなど、様々な人たちによってアレンジを加えたものや発展して新たな形となって世に送り出された作品も数々。フィギュアスケート競技のために選曲・アレンジされたり・・・、日本では70年代後半から80年代のアイドルブーム絶頂期に出現した「ピンクレディー」の振付けと伴に歌う大衆音楽にもなって・・・、ん?、飛躍しすぎたか・・・(笑)。

 

で、「カルメン幻想曲 作品25」も・・・、

ビゼーが作曲したものをモチーフに、スペインを代表するヴァイオリニストでもあったパブロフ・デ・サラサーテがヴァイオリンの超絶技巧とスペイン風な音をたっぷり詰め込んで作曲したと云われる曲だ。

 

先にも記した17歳の若き才能溢れる五嶋龍のヴァイオリン演奏と、サラサーテが伝承しようとした超絶技巧とスペイン音楽との融合への並々ならぬ情熱が、更にここに相まって、ほとばしる輝きを放ちながら、それは我が身を支えてくれる・・・・そんな力強さを感じさせてくれた。

そう、夜、ほんの少しの間、明日を安心していたいという思いに応えてくれていたのだった。

 

少しして、CDの音が止むと、錠剤と少量の飲料水をふくみながら喉奥へと流し込む。あとは、この身体は横に倒すしかなくなる。

隣の部屋では、実は私より先に原因不明の病を抱えていた妻に、長女と長男が話掛けて、どうやら3人で他愛もない話を繰り広げながらも、はしゃいでいる声がしていた。

・・・

「守ってあげなければ・・・」

・・・・

と、胸裏で呟くうちにも瞼は閉じられる・・・。

 

当時、「カルメン幻想曲 作品25」から注がれるエネルギーが、この危うさを含む日々にあって、どんなにか支えになっていたことだろうう・・・。

 (この約1年後、二度目のリタイヤを経験する。)

 

2017年

10月

11日

今日の一曲 No.52:久石譲 作曲「イメージ交響組曲 『ハウルの動く城』」(チェコ・フィルハーモニー管弦楽団)

「今日の一曲」の第52回目。

 アニメ映画の音楽は初めて!

でも、我ながら思い入れの強い一曲で・・・(笑)。

 

久石譲作曲、「イメージ交響組曲『ハウルの動く城』」、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、2004年1月に出されたCD(右の写真)。

 

これ、映画のサウンド・トラック盤ではないよ。

 

宮崎駿監督のアニメ映画「ハウルの動く城」の公開は2004年の11月。

これより前に、どうやら、作曲家久石譲が純粋にオーケストラの音楽作品として、多くの人たちに届けたいとの想いがあって(そりゃ、関係者は映画の宣伝効果も狙ってのことだろうけど・・・)、世に送り出されたCDのようだ。

 

さて、ご存知の通り、ブログ「今日の一曲」は音楽の紹介だけではないのだけれど・・、そろそろこの頃のことについても・・・、自身、覚悟をもって、・・・でも、少しずつ、ここに書き残しておこうと思う。

 

体調の異変に気付いた2001年頃のことは以前に少し書かせてもらった(第39回目2017/06/20)。病院で診察と診断を受けたのは2002年の秋。その後は通院と薬を服用しながら仕事を続けていた。

職場を定時に帰宅させてもらえるようにはなったものの重責を担う立場からは逃れることができなかった。

・・・って、この場に及んで何やってるんだろうねぇ~と、現在なら私自身でもそう思うよ(汗・苦笑)。

 

でだ・・・、遂に、社会からリタイヤした。

・・・と言っても、このときは、この後の2度目のリタイヤからすればマシで(マシと言うのも決して適切な表現ではないけれど)、なぜなら、会社は休職を認めてくれたので、社会保険から(?)「傷病手当金(正式名称は違う)」として月々の給与の実質約7割程度の支給が認められた。2003年12月中旬から約4カ月間の休職。

 

この間、家族4人を支える家計も現実は考慮せざるを得ない。家計も自身の病状もギリギリのところを探りながら、もちろん、家族や主治医とも相談して、病院に通院しながら自宅療養することにした。

どんなに家族を不安にさせたかと思う。

 

こんな状況と状態の中で、理解したことの一つに・・・、

身体も精神も、どん底に近い状況下では、不安を感じても何をどうするかまでの思考はできなくなる。これまで大好きだった音楽さえ、まったく聴こうとはしない、聴きたくもなくなる・・・ということだった。

 

毎日、部屋で横になって寝ているだけになった。

 

間もなく、2004年の正月を迎え、また少しして誕生日も迎えた・・・はずだったが、当時のことは、まったく覚えていない。

きっと、家族が気遣って特別なことはしなかったのかも知れない。

 

ようやく回復の兆しを自覚するようになったのは3月中旬頃。

近所を軽く散歩する。軒先に咲く花々が目に映り、春の暖かい空気も感じられて救われるような想いにもなった。

4月、散歩の距離も徐々に伸びて・・・、というより、職場復帰を目指して体力回復を目的に意識的に散歩の距離を長くしたように思う。

 

こうして、世の中と接点のある場所へと最初に出掛けた先は、CDショップ。

・・・ホント、我ながら笑える(苦笑)。

少し身体が回復しただけで「音楽馬鹿」も復活するのだ。

これには、家族もあきれた様子だった。

 

そんな家族(妻、長女、長男)の誰が聴いても喜ぶかも・・・と勝手に想いながら手に取ったのが、今回、ご紹介のCDだ。

 

自宅に帰って、CDを聴く。

10作品の交響組曲が収録されている。

聴こえてくる作品の一つひとつが、久石譲らしいメロディ・ラインやコードをここそこに感じられるオーケストラ作品たちだった。

『ハウルの動く城』のアニメ映像を勝手に想像してしまうような・・・。

でも、これらより、もっと身体の奥深いところに染み渡ってくるようなものがあった。

「チェコ・フィルらしい厳かで深み渋みのある響きだぁ~」

という、真に、オーケストラそのものの響きだった。

 

特に、最後の10番目に収録された作品、「ケイヴ・オブ・マインド」・・・

冒頭のトランペット・ソロが決して華やかにではなく温かく、やがて静かに、そっと、オーケストラの楽器群が加わって、優しさと柔らかさが滲み溢れ出てくるように奏でられていく・・・同時に、確りと重厚な響きが力強く、でも、包容力をもって支えているようでもあり・・・、

「少しだけ未来を望んでも良いのかなぁ~・・・」

と思えた。

 

その年の11月末、休日の早朝(・・・と言っても8時頃だけど)。ひんやりとした空気も心地好いほどに晴天が拡がる。

映画館の受付でチケット購入と座席の予約を早々に済ませて、近くのファミレスで朝食を注文していた。

アニメ映画『ハウルの動く城』を観覧するのに備えてだ。

中学生にもなった長女が「一緒に観に行く!」と着いてきた。

いや、違う・・・な。

長女は、職場復帰して半年ほどの父親を思いやって、つき合ってくれたのだ・・・。

一緒に来れずに少し尖ってしまった長男は、少年野球チームでユニホームを砂埃だらけに汚している頃だった。

 

2017年

10月

07日

ライヴ報告:日吉Nap『ROOTS vol.21』

昨夜、6日(金)のライヴ報告だよ。

 

東急東横線「日吉」駅の西口に降り立った。どしゃ降りの雨だ。

天気予報を事前にチェックしていたものの、ギターを背負っているので、雨も、こうにまで、どしゃ降りとなると、防水ケースと傘をもってしても、あまりヨイ気はしない。

 

なだらかな傾斜を上がりながら商店街を進んで、少しして脇の路地へと徒歩3分もすると、目的地であるライヴ会場に到着。

サウンド・チェックは時間を掛けずに済んだ。音の好みを理解してもらっている。・・・マスター、さすが!助かる~っ!

 

で、本番前に、日吉に来たら、「珈琲屋いこい」さんに立ち寄るのが私だけの勝手な慣わし(笑)。

どしゃ降りの雨のことよりも、静かに、徐々に、ライヴへの気持ちにフォーカス、その準備をここで整える。

 

「日吉Nap」さんに出演させていただいた。

この夜は、「日吉Nap」さんの『ROOTS (ルーツ)vol.21』という企画で・・・出演者の初期の頃のオリジナル曲、または、音楽活動をはじめる切っ掛けになったアーティストさんのカバー曲を、ライヴ中に披露する・・・というのが必須。

 

出演者は私を含めて通常よりも少々にぎやかに6人(上の写真)。

出演順に、篠崎洋輔さん、たんじかおりさん、左右田真司さん、涼夏彩さん、愛間純人、池谷唯さん。

ヴォーカル&アコースティック・ギター、または、ヴォーカル&ピアノ、弾き語りばかりとはなったが、楽曲の音楽性や歌声の聴かせどころが各々まったく異なって個性が際立つも、演奏自体どれをとっても確りしたもので、・・・取りあえず自分のことは置いといてもだよ(笑)・・・客席に居る間中、面白み十分のライヴの一夜だった。

 

他の出演者さんは30分のライヴであるところを、恐縮ながら、私めだけ40分の時間をいただき5番目に出演した。

『ROOTS(ルーツ)』というお題に、自らのオリジナル曲「心にある足」を歌い演奏して、トークでは、この曲への想いを、創作時から演奏するときの心持ちなどを交えて、客席に向けて、はじめて明らかにした。

 

うふふん(笑)・・・ブログでは語らないよ。

ライヴに居あわせた人たちの特権だよね(笑)。

 

40分間のライヴ、しっかりと耳を傾けて聴いていただけたように感じた。有難い・・・本当に。

 

ライヴの度に毎回、自身で体感するすべてが肥やしになっていく実感を得る。これも真に有難い。

更に、こうしたブッキング・ライヴは、出演しながら他の出演者さんのライヴも聴かせて観させていただくことで、とても、とても、勉強になる。が、この日は特にだった。

どんなことが「特に・・・」かって?

それは内緒でしょ(笑)。

 

でもね・・・、 

愛間純人に残されている時間は決して多いとは言えない。だから、やれることを、やれそうなことにも、とにかく、日々、チャレンジしながら重ねていこうと・・・あらためて思いながら帰宅の途についた。

・・・日吉から自宅までは電車を乗り継いで2時間・・・やっぱり旅だなぁ~。

 

あっ、そうそう、私のすぐ前に出演された涼夏彩さん、涼夏彩さんのCDと私のCDのサウンド・エンジニア(音響担当)さんは共通の人・・・澤田守秀さん、ドイツで音楽活動もされている。

この日のブッキングは偶然ではあったものの、ライヴ後に、二人でレコーディング中やミキシング最中の苦労話やらで勝手に盛り上がった。周囲はそんな繋がりを知らないから、「なんだこの二人・・・」みたいな空気になっていたかも・・・(笑)。

 

2017年

10月

06日

今日の一曲 No.51:リスト作曲「ハンガリー狂詩曲 第2番」

「今日の一曲」の第51回目。

 

リスト作曲「ハンガリー狂詩曲 第2番」をご紹介しながら、いつものことながら、あれこれと語らせていただこうかと・・・。

 

とは言っても、この曲、クラシック音楽と呼ばれる中でも、クラシック音楽ファンならずとも比較的多くの人が作曲者のリストの名前を含めて耳にしたことのある広く知られた曲なので、楽曲の説明など、私ごときの蘊蓄をたれるまでもないように思う。

でも、少しだけ・・・(笑)。

 

19世紀のハンガリー出身の作曲家であり、編曲家であり、ピアニストであったリスト。「鍵盤の魔術師」などとも称される天才中の天才だったらしい。

そのリストは自身の出身であるハンガリーの独自の文化や民族音楽・舞踊を取り入れた作品を「ハンガリー狂詩曲」として、たしか・・・19作品だったかな(?)創り上げている。

中でもよく知られているのが、第2番と第6番。

 

・・・という知識は、小学校の3年生くらいのときにはあった。

誰でも興味・関心をもった事柄は、すぐに覚えて、なぜか記憶にも残っている。

 

この曲との出会いは4~5歳くらいのとき、以前よりこのブログ「今日の一曲」をお読みいただいている方は状況を容易にご想像いただけるかと・・・、

そう、洋服職人の叔父(母の弟)が我が家に遊びに来る度に持ってきてくれたレコード盤、その中の1枚(SP盤)に「ハンガリー狂詩曲 第2番」があった。それを聴いたのが最初だった。

管弦楽のオーケストラ・バージョンのものだった(どこのオーケストラの演奏かまでは憶えていない)。

冒頭の重々しい響きと大きな車輪がゆっくり力強く回りはじめたときのような重量感のあるテンポ、一転して、リズミカルで飛び跳ねて動き出したくなるような軽快な当に舞踊曲的なフレーズ。この両極端で単純明快な音楽が幼い私に『面白さ』を印象づけた。

だから、「ハンガリー狂詩曲・・・」というと、管弦楽の割と大きな編成の楽曲なのだと思い込んでいた。

 

それは小学校の3年生まで続いた。

 

その小学3年生のときの音楽の授業で事件は起こる(笑)。

先生がレコード盤を1枚取り出して、教室の大きな2台のスピーカーから音を鳴らしてくれた。

ピアノ曲だ。

冒頭の重々しい響きと重量感たっぷりのテンポ!

<ハンガリー狂詩曲 第2番・・・だ!>

「この曲、知っているヒト~!」

そっと手を挙げる・・・

が、手を挙げながら、すごい戸惑いがあった。・・・現在も確りと記憶に残っている。

<だけど、ピアノ曲だよなぁ・・・?>

3人か4人が手を挙げていたと思う。

他の子が当てられて答えた。

「ハンガリー狂詩曲」

「正解~!」

・・・・

その日だったか、翌日だったか、数日後だったか、そこまでは憶えていないけれど、放課後、学校の図書室に行って、リストとハンガリー狂詩曲について調べたのだった。

もちろん、原曲は、ピアノの独奏曲。

ついでに、上記に記したような知識が頭の中に入り込んで残ったのだった。

音楽の授業で先生に質問はしなかった。独りで、そっと図書室で調べた。きっと、自分だけで確認したかったのだろうね・・・。

 

時代は一気に飛んで、1999年から2000年頃。

フジコ・ヘミングがその不遇の時代をも乗り越えてきたピアニストとして、日本で大ブレーク。

独特のテンポ感と呼吸感をもった演奏に多くの人が関心を寄せた。

楽曲の持ち味が崩壊してしまうギリギリのところでのテンポ感、そして、呼吸感だ。良し悪しというよりもスリル満点『面白さ』のある演奏だ。もちろんテクニックがお粗末ではこのような演奏はできない。

ピアノの演奏に詳しい人からすると、左手で弾いている音がやや強いなどという人もいるようだが・・・、聴き応えは十分だ。・・・個人的な感想だよ。

 

更に数年して・・・、あまり書くとプライバシー云々になるので詳しく書けないが・・・、長女がフジコ・ヘミングのリサイタルへ行って来た。メッセージカードを添えた花束をステージ上のフジコ・ヘミングに直接渡すことができて、握手まで交わしてきて、大はしゃぎ。数日後だったか、直筆サイン入りの礼状の葉書まで届いて、またまた大喜び。

で、ある日、フジコ・ヘミングのCD(上記の写真)を聴いていたのは長女だった。

このCD、リスト作曲の「ラ・カンパネラ」がタイトルになっているが、7曲目に「ハンガリー狂詩曲 第2番」が収録されていて、そのうちに部屋に聴こえてきた。ハンガリー狂詩曲とフジコ・ヘミング、この上ない双方の『面白さ』が聴こえてきた。思わず、自身の小学3年生のときのことを想い出したのだった。

CDを聴いている長女もちょうど同じ頃の年齢になっていた・・・。

 

2017年

10月

04日

今日の一曲 No.50:ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)「オール・アット・ワンス(ALL AT ONCE)」

「今日の一曲」シリーズも今回で第50回目。

 これまで、アナログ・レコード盤42枚(LP盤が36枚、SP盤が6枚)、CD7枚を紹介させていただいた。すべて、所有の盤だよ・・・少し自慢気?(笑)。

加えて、私めのしょうもない想い出話も一緒にね・・・(汗・笑)。

 

では、50枚目の盤であり、50曲目にご紹介するのは・・・、

 

1985年のホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)のアルバム「そよ風の贈りもの(YOU GIVE GOOD LOVE)」の中から・・・、

 

ん?・・・もちろん、LPレコード盤だけど・・・(笑:上の写真)。

 

 A面の2曲目に収録されている「オール・アット・ワンス(ALL AT ONCE)」。

 

ディオンヌ・ワーウイックと比較されながら、その後を継ぐ実力派の女性ヴォーカルとして全米で注目を浴びる中、間もなく、直ぐに、第28回グラミー賞の最優秀女性ポップ・ヴォーカル賞を受賞。

ルックス的な要素も多くの大衆に支持された要因にはあると思うけど、それより、彼女の魅力ある歌声とその歌唱力の方が圧倒的だったに違いない。

 

余談だけど、ディオンヌ・ワーウイックの盤はまだ紹介していなかったね~・・・いずれまた。

 

ホイットニー・ヒューストンの活躍ぶりはこれ以上ここで語らないでもご存知の方も多いかと思うのでやめておきますね。そう言えば、彼女が主演した映画「ボディーガード」も映画館に観に行ったなぁ~。

 

85年というと、私がどんな状況にあったかは、度々このブログ「今日の一曲」でも書かせていただいている。

そう、社会人3年目だ。

社会人1年目、職場のイイ大人たちがホントくだらない派閥争いをする中で、どちらにも付かないでいたら2年目は干されてしまい、でも、強力な救世主とも言える上司の着任もあって、その元の職場に戻ることになった社会人3年目・・・という話だ。あとの詳細は今回は省くことにして。

(「もう何度も読んだよ~」と飽き飽きしている方にはゴメンなさい。)

 

当時は実家に一度戻っていた。

近所の例のレコード店へご紹介のホイットニー・ヒューストンのアルバムを買いに行った。

相変わらず、商売っ気のない、物静かそうなオジさん一人が営んでいる。

オジさん・・・、そう、考えてみると、私が小学5年生くらいから社会人になるまで、15年間以上も私がレコード盤を買いに来る姿を見ていることになる。でも、オジさんの方はまったく年齢そのままのような少しも老けてきた感じがない・・・。小学生の私が眺めていたオジさんのままのような・・・。えっ?最新AIを組み込んだアンドロイドだったりして・・・。現在なら、そんな想像もしたくなるけど・・・でも、まさかね(笑)。

 

以前にもどこかで書いた覚えがあるけど・・・、

80年頃からは、アナログ・レコード盤に何度も針を乗せて聴くことはしない。カセットテープにダビングしておいてカセットテープで聴く。こうして、アナログ・レコード盤は良好な状態で保管する・・・当時の常識だった。

 

自宅に帰ってすぐに、買ってきたLPレコード盤に針を乗せて同時にカセットテープへのダビングを開始する。

 

ホイットニー・ヒューストンの歌声が響き渡ってくる。

 

で、「オール・アット・ワンス(ALL AT ONCE)」の話だね。

 

ご紹介のアルバムに収録されたどの曲もが、当時、多くの人が聴き惚れた曲であったと思うし、実際にヒット・チャートの上位曲にもなった。

が、個人的には、やはり、この曲だ。

ホイットニー・ヒューストンの歌唱のあらゆるテクニックとその歌声の表情と魅力が、シンプルなフレーズを何度も繰り返すだけのこの曲に、濃縮して詰め込まれているように聴こえてくるのだった。

 

ALL AT ONCE・・・~

 というフレーズの彼女の歌声を聴くだけで、その度に、当時は、涙が溢れそうになった。

そう、ダビングしたカセットテープのこの曲だけを、何度リピートして聴いたことだろう・・・。

 

この前年、今から考えてもあまりに理不尽に思えるような流れで職場から突然干される目にあった・・・その恐れ、その呪縛からは、まだ解かれていなかったのかも知れない。

「突然に、一瞬にして・・・(すべてを失うことも・・・)」

 

ただ、ホイットニー・ヒューストンの歌声は、歌詞の内容とは別に、何かに立ち向かっていこうとする希望のようなものも感じて聴こえてくるのだった。わずかに差す光のように感じるものがこの歌声から胸に沁みてきて、聴く度に目頭を熱くさせた。

 

まぁ、当時の個人的な勝手な解釈で聴いていたというだけなのだけどね(苦笑)。

 

痛く辛い思いや、悔しくて苦い体験も、そこからくる恐怖感も、ホイットニー・ヒューストンの「ALL AT ONCE」に包み込んでもらっていたような・・・、そんな「今日の一曲」でした。

 どうしてもの時は、涙するのも大切かもよ・・・。

 

2017年

10月

01日

今日の一曲 No.49:シューベルト作曲「弦楽五重奏曲ハ長調作品163(ブダペスト弦楽四重奏団&ハイフェッツ(チェロ))より」

「今日の一曲」の第49回目。

今回はクラシック音楽、中でも、ほんの少しマニアック寄りな曲になるかな?・・・そんな一曲(レコード盤)をご紹介させていただきながら、いつものようにあれこれと(笑)。

 

で、その一曲とは・・・、

シューベルト作曲「弦楽五重奏曲ハ長調作品163」。ブダペスト弦楽四重奏団にチェロ奏者ハイフェッツが加わっての演奏を、1962年1月にニューヨークで録音されたLPレコード盤とともにご紹介させていただく(上の写真)。

 

ジャケットが油絵の抽象画が描かれていて、どう、惹かれませんか・・・(笑)?

 

「今日の一曲」の第20回目(2017/02/06)で、ハイドン作曲の弦楽四重奏曲「ひばり」をご紹介しながら、11年間務めた職場を退職する数日前に職場の先輩から貴重なLPレコード盤をいただいた話も併せて載せた。この貴重なLPレコード盤で「ブダペスト弦楽四重奏団」を知った。

 

以来、「ブダペスト弦楽四重奏団」に興味をもち始めて、他の曲のレコード盤やCDを探したのであったが、当時は直ぐに手に入れることができなかった。

新しい職場に移って3年くらいしてからだったと思う。あっという間にCDの時代を迎えて、LPもSPも、アナログ・レコード盤は一般のレコード店からその姿を完全に消していたのだった。この頃から、吉祥寺、三鷹、下北沢などで中古レコード店を探し見つけては、仕事帰りや休日に足を運ぶようになった。

で、何処の中古レコード店だったかは憶えていないのだが、今日ご紹介の盤を偶然にも見つけたのだった。

「やったぁ~!」

胸の内で大いに叫んだ!

声には出していなかったはずだが・・・たぶん(汗・笑)・・・。

 

1962年当時の録音が感じられる音が収められていた。

弦と弓とが触れて起ちあがる音とそれらが弦楽器のボディに共鳴する響き、ただそれだけが録られていた。

ホール録音ではなく、録音スタジオでマイクや様々な器材を目の前に奏者たちは録音したことが容易に想像できる。

少々レトロな気分を味わいながら聴くことができる盤だ。

 

あまり詳しいわけではないのだけれど・・・、

このシューベルトの弦楽五重奏曲というのは、弦楽アンサンブル曲としては滅多にない編成のようだ。

バイオリン奏者2人とビオラとチェロ奏者の通常の四重奏の編成にもう一人チェロ奏者が加わっての五重奏曲。チェロが2本になる編成は珍しく、シューベルトならではのサウンド感覚でもあったようだ。

ハイドンやベートーヴェンなどの偉大な先輩作曲家とともに生きた若きシューベルトの挑戦だったのかも知れない・・・などと勝手な想像しながら聴いたりもする。

 

小学校や中学校の音楽の授業で、シューベルトのことを「歌曲の王」などと称して覚えさせられたが、なんだかなぁ~・・・と少し尖ってみたくなる。こうして、弦楽アンサンブルや交響曲の作品だってあるのに・・・。って、ムキになることもないかぁ~(笑)。

 

当時、新しい職場では、その前までの経験も評価されたらしく直ぐに重責を担う立場に。毎日がチャレンジでやりがいも感じていた。が、当たり前なのだが、すべてが想い描いたように事が運ぶわけではない。立ち向かえば、逆風に押し戻されそうなときもある。

 

しずかに瞼(まぶた)を閉じる。

時折り、このレトロな音ともに聴こえてくるシンプルな弦楽アンサンブルの響きに、シューベルトがもしかしたらチャレンジに挑みながら書いた作品なのかも知れないと想像を膨らませて、これらを重ねて聴くと、当時の私の背中を押してくれるようにも聴こえるのだった。

繊細な曲の構成にも、チェロ2本分の力強さがここにあったのかな。

 

2017年

9月

21日

今日の一曲 No.48:久保田早紀「碧の館」

「今日の一曲」の第48回目。

少し間が空いてしまったかな・・・。少々体調面を整える必要があって休養しておりました(汗)。

 

さて、ここのところ、クラシック音楽や現代音楽など、ややマニアック寄りの音楽紹介が続いたかも・・なので、今回は日本の大衆音楽の中から・・・。

と、言っても、「J-POP」という用語は使われていなかった頃のことで、当時、なんともザックリとした「ニューミュージック」と呼ばれた中にあった音楽だ。

 

1980年前後のこと。

79年、「異邦人」という曲でデビュー、アルバムに収録された各曲もそれまでとは少々テイストの違うメロディラインとアレンジ・・・、これが大衆を一気に引き寄せて関心を集めた。

インドから中央アジア?、西ヨーロッパの山奥地、南米の秘境?・・・、または、まったく別の次元の異空間?・・・などを想像させてくれる詞・曲とサウンド。

 

「久保田早紀」というシンガー・ソングライターの登場だった。

 

レコーディングに加わっているミュージシャンも、斉藤ノブ、羽田健太郎、芳野藤丸、島村英二、・・・そうそうたるメンバー。

中でも、久保田早紀の音楽を大いに引き出したのは、萩田光雄のアレンジだろう。

・・・あくまで個人の感想だよ。

 

1979年に、「異邦人」も収録されたファースト・アルバム「夢がたり」がリリース。すぐに買いに行った・・・この頃はこのブログで何度も登場している船橋市と習志野市の境くらいのところに部屋を借りていたときで、そこから徒歩15分ほどのレコード店。

翌年80年に、セカンド・アルバム「天界」がリリース。シングルカットされた曲としては、「25時」が収録されている。これもすぐに同じレコード店で買った(上の写真)。

一応、記しておくけれど、両盤ともLPレコード盤だ(笑)。

 

ファースト・アルバムも久保田早紀の音楽がそこに関わる人達の手によって、その世界が大いに表現されているアルバムに感じた。

が、セカンド・アルバムは、久保田早紀自身がより濃く表れているように思えた。シンガーとしての久保田早紀の歌声とその歌唱テクニックは魅力を増していた。盤を手にしてから直ぐに感じたことだった。

 

やさしくもあり、時折妖しげにも感じる声に、確かに響く歌声・・・。当時20歳頃の私めには魅力的である以外は何もなかった。間違いない。

 

そのセカンドアルバムに、「碧の館」という曲が収録されている。

アレンジの薄い曲だ。

杉本清志と吉川忠英のガットギター2本と斉藤ノブのパーカッションだけ。そこに、久保田早紀の歌声が乗る。

 

 20歳頃、音楽界は、世界も日本も、本当に後にも先にも無いほどの勢いで発展を遂げていたり、試されていたり、挑み続けられていて、ジャンルを問わず、とにかく賑わっていた。

そんな当時の社会現象にも触発されて、自身も、クラシック音楽、ジャズ、ロック、ポップス、フォーク、カントリー、吹奏楽曲、現代音楽・・・・様々な音楽を聴いた。

一つひとつの音楽は常に刺激を与えてくれた。

 

一方で、何んとか合格したのであろう大学に通いながらも、自信の無さや将来への不安は拭えていなかった。ただ幸運にも、多くはないけれど、周囲の友人や先輩たちに支てもらいながら生きていられた・・・(これらのことも以前に書いたけどね)。

 

気付くと、コレッ!と思う音楽はアレンジの薄いものが多い。

静かに耳をすませて、心鎮めてスピーカーから鳴る音を好んでいる。

 

えっ?暗い20歳?・・・(笑)。

いや、今思うと、あまりに急激に動き始めた世界や社会を、少し時を停めて静観したい気分だったのかなぁ~。

 

そんな気分を無意識に抱えたところに、久保田早紀のやさしくも時折妖しげな歌声をじっくりと聴いて味わえるのが、「碧の館」だったのかもしれない・・・。

 

2017年

9月

08日

ライヴ報告:『ほっと楽しやハートライヴ(第11夜)』

昨夜、7日(木)。

右側に、妙な男3人の写真・・・(笑)。

あたたか音楽空間『ほっと楽しやハートライヴ(第11夜)』は、東京・阿佐ヶ谷の「ライヴ小屋 Next Sunday」さんで、出演者、客席の皆様、スタッフさんたち、ここに居合わせた皆で、好き空間と好き時間を創り上げることができたかと・・・。

 

自らがプロデュース&出演するこのライヴも11回目を迎えることができた。この日は、ある意味スゴ~イ(音楽・歌とギターの演奏でだよ(笑))お二人、菅野忠則さんは横浜から(写真右側)、松濱正樹さんは兵庫から(写真左側)、それぞれゲストにお招きして、スリーマン・ライヴ。

 

簡単に「奇蹟」なんて言葉は使うものではないかも知れないけれど、菅野忠則さんとも松濱正樹さんとも、出会って次の再会の仕方が何とも偶然に偶然が重なったとしか思えないご縁があって、その後お付き合いさせていただいている。それで、今回はお二人を一緒にお招きしたという次第で。

 

1番手は菅野忠則さんにステージへと上がっていただき、2番手に松濱正樹さん。お二人のライヴを客席でじっくりと聴かせていただく。

それはこのあと、自分がステージに上がることを忘れるほど、「もう自分はライヴをしなくてもヨイのでは?」なんて思うほど(笑)。それほどまでに惚れ込んで聴き入ってしまう。

同時に、客席全体もゆっくりと確実に一体感が創られていく感じがした。

 

すっかり出来上がってしまったお客さん気分から必死になって切り替えて出演者としてステージに立つ(汗)。

が、意外とスッと心が穏やに切り替わって、夏のツアーから引き続いて、「有難い」という想いだけのただ一つが湧いてきた。

ギターの弦を1本弾いて、愛間純人のライヴをスタートさせた。

ある程度予定していた5曲を演奏し切った。

「もう一曲!!」の声と拍手をいただいた。

「有難い」

・・・

「さて何を演奏しようか・・・」

普段のライヴでは滅多には演奏しない「木漏れ日の願い」を選曲。

この日の客席の空気感を感じながら、それを呼吸感に替えて演奏しようと心がけた・・・。

 

出演者、客席のお客様、スタッフさんたち、皆が共有しあって、ゆったり、まったり、クスッと笑えて楽しく・・・、心がかよいあう空間と時間を創り上げることができたライヴの一夜に。

真に、『ほっと楽しやハートライヴ』が・・・居合わせた音を楽しむ皆の気持ちで、今宵も成立した。

 

皆様に感謝申し上げます。

ありがとうございました。

(*この下にも写真があるよ。)

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2017年

9月

01日

今日の一曲 No.47:シューマン作曲「トロイメライ(子供の情景 作品15より)」

「今日の一曲」の第47回目。

今回は、シューマン作曲「トロイメライ」を御紹介させていただきながら、あれこれと・・・(汗・笑)。

 

クラシック音楽ファンのみならず多くの人が耳にしたことがある曲かと。

その「トロイメライ」とは「夢」を意味するらしい。

シューマンが作曲した「子供の情景 作品15」は、ピアノ独奏曲として13の小品曲で構成されている。シューマンが恋愛中のその御相手クララ(後のシューマン夫人)に贈った作品でもあるらしい。「トロイメライ」はその「第7曲」にある。

だからなのか、「子供の情景」としながらも、その中の「トロイメライ」からもそう感じるのだけど、無邪気さや純粋さに少しロマンチックな愛らしさを感じるような・・・。

 

少し、またまた私的に振り返させていただくと・・・、

4歳から5歳頃によく聴いていた一曲にあった「トロイメライ」は、アナログ・レコードのSP盤からで、チェロの独奏にピアノ伴奏がついたアレンジのだった。

そう、以前から何回か書かせてもらっている洋服職人の叔父が所有するものだった。私が幼い頃に叔父が家に遊びに来ては置いていってくれたレコード盤の中にあった。

「トロイメライ」というと、小学生の頃までは、チェロという楽器の形状とその響きが頭の中で浮かび上がってくるのだった。いや・・・現在もそうかも・・・。

ゆったりと、あたたかくて、包み込んでくれるような安心感のある響きを・・・。

 

さて、時が経過して、前回の「今日の一曲」とほぼ同時期か少し後だったと思うのだが・・・、

「スタニスラフ・ブーニン」のピアノ独奏リサイタルのチケットがひょんなことから手に入った(悪いことはしていないよ(笑))。

まぁ~、若き日のブーニン、神経質な仕草が度々あらわになるリサイタルだった。優れた技巧の演奏には大いに納得したが、正直、あまり楽しくは過ごせなかった。

1985年の「ショパン国際コンクール」で19歳で優勝して以来、日本ではブーニン・ブームとも言える異常な人気ぶりが背景にあった。1988年にドイツ(当時の西ドイツ)に亡命。それから2年後くらいに来日したときのリサイタルだったように記憶する。それでも記念にと思って、帰宅する前に、ロビーで売られていたCDの中からその一つを購入した。

「子供の情景 作品15」など、この日のリサイタルでは演奏されなかった曲が収録されているCDをわざわざ選んだと思う(上の写真)。

 

これより数日後にこのCDを聴く。収録されている「子供の情景 作品15」は、美しく、繊細で、かつ、一粒一粒の音が変幻自在に表情を魅せてくれる・・・そんな演奏に感じた。そう、技巧的な面は決して前面には感じない。

それは、「トロイメライ」も・・・。無邪気な子どもが見る夢を、静かに、そして、自然に笑みがこぼれるかのような表情で見守りたくなるように感じられるのだった。

 

当時は、自身にも、目の前に、この遺伝子やら血を受け継ぐ存在が生命を宿しはじめた頃であった。

シューマン作曲、「子供の情景作品15」より「トロイメライ(夢)」を、今日の一曲として、ご紹介させていただいた。

 

2017年

8月

27日

今日の一曲 No.46:キングズ・シンガーズ「結成10周年記念コンサート(ライヴ収録盤)」

「今日の一曲」の第46回目。

今回は、イングランド出身のアカペラ男性6人のヴォーカル・グループ「キングズ・シンガーズ」、その結成10周年記念コンサートをライヴ収録したLPレコード盤をご紹介させていただく。

 

もちろん、また、あれこれと私的なことも少しだけ語らせていただこうかと・・・(笑)。

 

ご紹介の盤は、「キングズ・シンガーズ」結成10周年記念コンサート(1978年5月1日:ロイヤル・フェスティバル・ホール(ロンドン))そのままをライヴ録音した2枚組のLPレコード盤だ。

 

で、ごめんなさい。今回は反則しま~す(汗)!

「今日の一曲」の一曲だけの紹介ではなく、ライヴ収録盤でもあり、このLPレコード盤すべて丸ごと、ご紹介させていただくことに・・・。

 

「キングズ・シンガーズ」の存在を知ったのは少し遅すぎたぁ~。

当時は、例の様々あった職場も活気づいてきて、個人的にも社会人として仕事に少し自信がもてるようになってきていた。ん~・・・27歳~28歳頃かな。もちろん、この職場の救世主でもあり尊敬すべき上司であるその方からは、まだまだ叱られることも度々ではあったものの・・・(汗・笑)。

 

ある日の夜、何気にテレビの電源をONにしてチャンネルを幾つか選択し始めたところで、音楽番組が映されている画面を暫く眺めた。主にクラシック音楽を紹介するような番組だ。

コンサートホールのステージには蝶ネクタイ姿の男たち6人がアカペラで合唱を聴かせている。が、それだけではない。何やら客席から笑い声やリアクションによる拍手までもが遠慮なく交差するのだった。

「え~!何、何、・・・!」

「楽しそう!!」

「いや、いや、いや・・・、綺麗なハーモニー!」

これが、第一印象だった。

・・・と、

テレビに映されているコンサートは、もう終わりの方であったのだ。

アンコールの拍手。

アンコールは、2~3分の短い曲で。演奏が終わると再び客席から湧き起こる拍手。あまり間を空けずに再び2~3分の短い曲。終わるとまたまた客席から湧き起こる拍手。

テレビ放映はここまで・・・。10分ほどしか視聴してないのに・・・。

画面のテロップとアナウンスで、この数ヶ月前の「キングズ・シンガーズ」来日コンサートの録画であったことを理解した。

 

数日後、レコード店へ。

当時はアナログ・レコード盤から、そろそろCDの時代に移ろうとしていた。アナログ・レコード盤のスペースは減りつつあって、新作の盤はCDばかりで、半々くらいの割合で店頭に並べられていた。

 

近所から順に少しずつ都会方面へとレコード店を何件か巡って「キングズ・シンガーズ」の盤を探すが見つからない。

また、数週間して、「ん?」と思い立った。中古レコード店へと向かったのだった。自宅からは随分と都会方面の東京・三鷹の中古レコード店で発見!

今回のご紹介の盤は、ここで購入したのだ。ラッキー(笑)!

 

この盤を手に入れて、「キングズ・シンガーズ」を初めて詳しく知った。そして、これよりも約10年も前に、10周年記念コンサートがあったことを知って更に驚かされた。もっと早く知りたかったぁ~。

 

収録のLPレコード盤は、1枚目には主にクラシック曲が、2枚目にはポピュラーな曲が、コンサートのプログラムの構成通りに収録されている。

完璧なハーモニーと巧みなアンサンブルが、まったくゴマカシ無しのアカペラで繰り出される。

加えて、客席の笑い声や拍手などの楽しい空気感が伝わってくるようなライヴ収録盤で、でも、聴かせどころは客席も合わせて確りと耳を澄ませて聴き入っている。まさに、ステージと客席が一体となっている様子が実感できる盤だ。

 

もしも、自分が演奏する側だったら、「キングズ・シンガーズ」のように、ステージと客席とが一体感のある楽しいコンサート、もっと言うなら、お客さんどうしも繋がっていくようなライヴをやりたいなぁ~・・・なんて、妄想でしかない想像をしながら、聴いていた。当時は、自分が演奏をする側になることは100%あり得ないことだった。

 

洗練された高い技術と音楽性を表現しながら、派手な演出は無くても、極々自然に、客席を楽しませて、和ませて、皆が一体となっていくコンサートやライヴ、「これだ!」と強く感じた当時だった。

 

もしかすると、この感覚が残っていて、現在、自身がプロデュースして開催している『ほっと楽しやハートライヴ』に繋がっているのかも知れない。

 

ほっこり、心温まる「キングズ・シンガーズ」の結成10周年記念コンサートを収録したライヴ盤を、「今日の一曲」として(今回は反則で一曲ではないけど・・・)、ご紹介させていただいた。

 

2017年

8月

23日

今日の一曲 No.45:F・シュミット作曲「(6本の)クラリネットのための六重奏曲(フランス・クラリネット六重奏団より)

「今日の一曲」の第45回目。

今回は、少しだけマニアックな音楽かな?

F・シュミット作曲「(6本の)クラリネットのための六重奏曲・作品128」を紹介させていただきながら、いつものように勝手に語らせていただこうと・・・(笑)。

 

これまでも、クラリネットという楽器にハマった経緯やフランスの音楽に関心を寄せた話については、幾度か書かせていただいている。

読まれた方は記憶にあるだろうか?

「クラリネットのような人になりたい」

と語ったほどだ(笑)。

それと、フランスの現代音楽作曲家のF・シュミットの楽曲を取り上げるのも2度目になる。第23回目(2017/02/16)では、吹奏楽曲『イチオシ曲』として、「ディオニソスの祭(通称「パリ・ギャルド」が演奏)」を紹介させていただいた。

 

で、本題に。

 

今回ご紹介の曲は、クラリネットだけの六重奏曲。中学生や高校生の頃に吹奏楽部などに入っていた人はご存知かも知れない。でも、あまり日本人全般に馴染みのある音楽とは言い難いかな・・・。

 

編成は、E♭クラリネット(高音域のクラリネット)、B♭クラリネット(一般に言うふつうのクラリネット)2本、E♭アルト・クラリネット(中音域のクラリネット)、B♭バス・クラリネット(低音域のクラリネット)、E♭コントラ・バス・クラリネット(最低音域のクラリネット)の6本・5種類のクラリネットで演奏されている。

 

ご紹介の盤は、「フランス・クラリネット六重奏団」の演奏を1992年に収録、1994年にフランスとオーストリアで発売となった輸入盤CDになる(上の写真)。

当然のことながら(?)、この演奏で使われているクラリネットは「フランス式クラリネット」(ドイツ式でなく)ということになる。

 

*E♭・・・ミの♭(フラット)のこと、ピアノのミの♭がこの楽器のドの音として記譜される。

*B♭・・・シの♭(フラット)のこと、ピアノのシの♭がこの楽器のドの音として記譜される。

 

・・・って、私もクラリネットにハマる機会がなければ、クラリネットという楽器にこんなにも種類があって、クラリネットだけで成り立つアンサンブル曲があるなんて、知ることも、聴くことも、そして驚くことも、無かったと思う。

 

F・シュミットの楽曲は、クラシック音楽が、バロック、古典などの時代から印象派の作品の時代に至るまで、脈々と積み重ねられてきた「形式」と「脱形式」のどちらも肯定的に捉えて、そこに新たな表現を求めた現代音楽に感じる。あくまでも私的な感じ方だよ。

この「(6本の)クラリネットのための六重奏曲」も4つの小品から成っているが、「形式」(秩序)的に感じたり、「脱形式」(無秩序)的に感じたりが、何とも個人的には丁度良く散りばめられているように感じる。ここに、「心地好さ」と「楽な感覚」があって、「安心感」と「自由さ」を同時に感じる。

5種類・6本それぞれのクラリネットの独自の音色と響き、混じり合って共鳴するアンサンブルの音が確りと届いてくる。更に、「ディオニソスの祭」のときにも書き記したように、シュミットの特有の音使いには、フランス語発音の言葉や会話が聞こえてくるかのようで・・・面白い。

 

さて、この音楽と出会った頃というと・・・。

地獄を見て救世主とも出会った職場から既に離れていた。ただ、その職場での約11年間で身に着けたスキルが幸運にも活きて、転職2年目にして新しい職場でも重要な役職に就かせてもらった。やりたいように思いっきりさせてもらっていた。その代わり、当然、その責任もプレッシャーも全て引き受けながらだった・・・。

 

そんな責任もプレッシャーもある仕事を離れた時間に、ふと独りで聴く音楽だった。

「形式」(秩序)と「脱形式」(無秩序)が織りなすバランスの面白さが、仕事での責任やプレッシャーからきっと解放してくれたのだと思う。心身を楽にしてくれて、ひと時、頭の中も空っぽにできた。

F・シュミット作曲「(6本の)クラリネットための六重奏曲」を、「今日の一曲」として御紹介させていただいた。

 

2017年

8月

19日

ライヴ報告(夏のライヴ・ツアー⑦ 東京に帰ってきたよ~ライヴ最終日 編)

昨夜18日(金)、「夏のライヴ・ツアー」も、無事、東京に帰ってきて最終日を迎えた。

その締めくくりは、愛間純人のホーム・ライヴ会場とも言える阿佐ヶ谷の「ライヴ小屋 Next Sunday」さんでのライヴだ。

 

ツアー中、いつもの2倍は食べていたのではないだろうか・・・、が、東京の自宅に戻って体重計に乗ると、なんと、1.5㎏の減。あれ?理想体重から約マイナス(-)4㎏まで減ってしまった。連日の移動は、これほどエネルギーを消費するものなのか・・・?

 

さて、ツアーの最終日に御一緒した出演者の皆さんは、顔馴染みの方々ばかりで、この日の出演順に、「じぱんぐ今中」さん(上の写真・右端)、「AKI」さん(上の写真・左から2人目)、「村松飛鳥」さん(上の写真・右から2人目)。

愛間純人は4番目(最後)に出演させていただいた。

 

この日のライヴ、今回のツアーを通して感じたり印象的だったことなどをトークに交えながら報告させていただいた。やはり、その中心は、「謙虚さ」と「感謝」についてになった。

演奏も、ツアー中から重要視してきた呼吸感とテンポ感を、この日も大切にしながら歌いギターを奏でることを心掛けた。

客席に届いたかな・・・?

届いたように感じ取ったのだけど・・・(笑)。

熱心に聴いてくださっている客席の様子に、ライヴ進行中も常に心遣いくださっている音響さん・スタッフさんたちの様子に、この日のライヴでも、心強く、心地好く、ステージに立たせていただいた。それは有難い・・・、そんな「謙虚さ」と「感謝」だ。

 

また、顔馴染みの出演者で繋ぎ合えた心地好いライヴの一夜にもなったかと・・・。出演者それぞれのユニークさやオリジナリティが炸裂したライヴであったと同時に・・・、とにかく、面白い!!音楽表現って深い!・・・と、客席にいながらも、ステージ上に立って演奏・ライヴをしていても、あらためて感じさせられた。

 

そんな好き(よき)ライヴの一夜で、「夏のライヴ・ツアー」を締めくくることができたかと思う。

今宵、共に過ごしてくださった皆様、本当に、ありがとうございました。

 

様々プライベートな事情もあって2年半ぶりのツアーになって、ややハードルが高過ぎるかなぁ?と感じていた部分もあった。けれども、今回、「夏のライヴ・ツアー」を断行して本当によかったと、今、思えている。

各地で、出会い、再会して、共に過ごしてくださった皆様に、心より深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

本当、言葉にならないほどです!

感謝、感謝、ただただ感謝です。

 

 *この下にも写真があるよ。

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2017年

8月

17日

ライヴ報告(夏のライヴ・ツアー⑥ 静岡・黒川さんらと「楽しい」を感じて 編)

PCの不具合などで、日を遡っての「ライヴ報告」が続いています。ご容赦のほどを・・・。

 

9日(水)の京都「Blue Eyes」さんでのライヴを終えたところで、今さらながら今回のツアーで体感していることの深さを感じていた。

10(木)の朝、マズイ!少し寝坊した!

前の週の後半に東京からそして横浜を出るときは夏らしさもなく涼しいほどだった。それが、奈良、大阪、京都と、いずれも35℃を越える猛暑日を身体は味わって、オジさんには少々堪えているかも・・・(汗・笑)。

 

さて、昼前には京都を離れた。

今回は贅沢にも新幹線「こだま」を利用して、夕方17:00頃にはJR静岡駅から徒歩10分ほどにある「LIVEHOUSE UHU(ウーフー)」さんへ。

静岡市も蒸し暑い。

 

ボスことシンヤさん、店長のテツさんが迎え入れてくれた(下の写真)。2年半ぶりの再会だった。

少し一息ついて休憩を・・・と思ったのだが、「サウンドチェックをしちゃいましょう」とテツさんから声を掛けられて、到着早々、ギターを取り出した。

2年半振りだけどテツさんは分かっていた。直ぐに心地よい音をPAで操作してくれた。

 

さあ、この日は、「黒川浩和」さん主催・企画の『音楽酒場』というライヴに、そのお仲間たちの「ナカムラタツキ」さん、「ツダイーン(二人組)」さんに、黒川さんの御厚意あって混ぜていただいた。

 

19:00スタート。

ナカムラタツキさん、身近な生活に溢れる情景や心情を、どこかユーモラスっぽくにも感じさせる音楽で、それをギターまたはウクレレともに自由さをもった歌声で届ける。それを客席に居て楽しませてもらった。

 

さて、自身のステージへ。

既に、何か楽しい雰囲気が漂っている今夜のライヴ会場で、もしかしたら、いつもより最初から飛ばし気味の演奏とライヴになってしまったかなぁ~(汗・笑)。が、前後の出演者の雰囲気も考えて、セットリストは幾分かしっとりとした曲を並べて届けてはみたのだけど・・・。

ま、愛間純人が重ねてきている音楽とライヴは、この夜もお届けできたかと・・・。

 

客席に戻って、「テクノ・パフォーマー」として表現する「ツダイーン」のお二人のライヴ。お二人とは3年くらい前に一度御一緒していて、そのスタイルは存じ上げていた。そのテクノ・サウンドとステージを動き回り歌いあげるパフォーマンスを十分に楽しませてもらった。

 

最後にステージに上がったのは、もちろん、主催の黒川浩和さん。確かな声量と歌唱力に加えて丁寧なギター演奏、カントリー&ブルースな音楽に乗せて歌詞の言葉も大切に聴かせ届けてくれるのを、じっくりと楽しませてもらった。

 

4組がそれぞれの音楽表現とライヴ・スタイルを貫きながらも、これらを繋いでいくことのできた本当に楽しいライヴの夜になった感じがした。愛間純人の企画する「ほっと楽しやハートライヴ」とも重なるコンセプトを感じた。

ここに混ぜて演奏させてもらえたことに、感謝、感謝しかなかった。

「楽しい」をあらためて感じさせてもらえた。そんな感謝でもある。

 

ライヴ後に出演者全員で集合写真(上の写真)。

最後に、シンヤさんが作ったカレーライスを堪能して、「UHU」さんを後にした。

 

同時間、同空間を共に過ごしてくださった皆様、「UHU」のシンヤさんとテツさん、主催の黒川さん、本当にありがとうございました!

 

*この下にも写真があるよ。

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2017年

8月

17日

ライヴ報告(夏のライヴ・ツアー⑤ 京都・BlueEyes 謙虚な気持ちで 編)

PCの不具合などあって日を遡っての「ライヴ報告」が続いています。ご容赦のほどを・・・。

 

さて、9日(水)の朝は、京都は阪急烏丸駅近くのまたしても「スタバ」ではじまった。遅い朝食と昼食を兼ねてコーヒーを飲みながら、夜に出演する「Blue Eyes」さんでのライヴ(約40分間)のザックリとした構成を考える。

セットリスト(曲目や曲順)とトークにどんな話題を取り上げるかだ。

ライヴをはじめたばかりの頃は、2週間くらい前から構成を練ってほぼ100%ガチガチに構成を固めて本番に臨んでいた。最近は、前日か当日になってからザックリと50%くらいだけ軸を決めておいて、残りの50%はライヴ会場に入ってから、その会場の空気感や他の出演者さんのリハーサルの様子によって決めている。本番になってから客席の雰囲気で変更することもある。この方が、「今」という心境でライヴっぽさが表れるかなぁ~?・・・と。

 

京都・四条大宮の「Blue Eyes」さんに入る前に、前日も声出しに行った四条大宮駅近くのカラオケ店に立ち寄った。この日は軽く30分だけ喉を温める程度に。

16:30過ぎに「Blue Eyes」さんに到着。

早速、マスターが迎えてくれた。2年半振りの再会だ。

10分ほどのサウンドチェックを終えたところで、ママとの再会。

ママには約2年半の近況を報告をさせてもらった。・・・というより、ママが上手に喋らせてくれたのだ。

 

この日は、スリーマン・ライヴ。

「西堀ゆきお」さん、「YO-EN」さん、そのお二人の間で2番に出演させていただいた。

 

西堀さんの歌詞とギター・アレンジにその個性が歌声とともに響いてくるのを感じながら客席で過ごさせてもらった。

 

そして、自身がステージへ。

本番のトーク中だった。予定もしていなかった言葉が自然と湧き起こって発した。

「『謙虚な気持ち』でここに立たせてもらえている」と・・・。

日々、一日一日を重ねる経験と出会いや再会によって新たな心境が持たされることを、この瞬間に感じてだった。

愛間純人が日々重ねてきた音楽とライヴを真にお届けできたかと・・・。

 

客席へ戻って、YO-ENさんのライヴに耳を傾けた。懐かしさと新しさが同居する音楽表現は確りとした歌声とギターの演奏に乗って届いてくるのを感じた。

 

ライヴ後に、特に西堀さんとは様々音楽活動や音楽創りのことなどを、たっぷりと話をした。なんと同学年の年齢であることも判明(笑)。

 

上の写真は、YO‐ENさん、マスターとママ、スタッフさんの写真。

 

「謙虚な気持ち」と、そして、やはり「感謝」、これらを確りと心に刻まされる好き(よき)ライヴの一夜を過ごさせていただいた。

この日、「Blue Eyes」で共に過ごしてくださったお客様、出演者、関係の皆様、本当にありがとうございました。

 

*下にも写真があるよ。

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2017年

8月

16日

ライヴ報告(夏のライヴ・ツアー④ 大阪→京都 番外編)

PCの不具合があって、日を遡っての「ライヴ報告」が続いています。ご容赦のほど・・・。

 

大阪・総持寺「チェンノガット」さんでの「リリー船」主催・企画『愛間純人を囲んで』という有難すぎるライヴに出演させていただき、その興奮状態で眠れないかと思いきや・・・2年半ぶりのツアーで疲労の方が上回っていたらしく、ぐっすりと眠ったらしい。

7日(月)の朝は、大阪・高槻市内で迎えた。台風5号が四国から関西方面へと近づいているらしい。どうも、ツアー前からPCだけでなくネットの不具合らしくスマホも不調で、気象情報の詳細も確認しにくい。とにかく、早目に京都市内に移動した方が良いようだ。

夕方には京都のライヴハウス「拾得」さんのオープンマイクに参加したいのだが・・・。

 

当初の予定をだいぶ早めて、9:00には大阪・高槻市を離れて阪急京都線で9:30頃には京都「烏丸」駅到着。駅の地下街から外に出ると雨風ともにやや強い。

確か・・・「スタバ」が近くにあったはず(笑)。

2年半前の記憶も役立って、京都烏丸でも「スタバ」に入って朝食、2時間ほど留まらせてもらった。外が眺められる席に居ながら風雨が強まりつつある様子も眺めていた。

15:00までは予約したカプセルホテルに入れないので、その後は烏丸駅と隣接の四条駅の地下街でスペースの空いた場所に荷物やギターを置いて身体を休めながら読書。原田マハ著の小説「生きるぼくら」の続きを読み進めて過ごした。

カプセルホテルにチェックインした頃は、外を少し歩くだけで傘も役立たずで身体は雨に簡単に濡れてしまうほどだった。背負うタイプのギターケースであったので、念のため携帯のビニール・カッパでそれを包んでギターは守った(笑)。

 

夕方まで何度か外の様子を見に行ったり、テレビで気象情報を確認したり・・・、結局、「拾得」さんへ向かうことは断念せざるを得なかった。ん~残念。

ホテル内のコインランドリーで衣類の洗濯をしたり、小説「生きるぼくら」の続きを読んで過ごした・・・。その読み終えるもう少しのところで、どうやら、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 

8日(火)は、もともとフリーの日に当てていた。

正直、身体に疲労感があって心なしか身体が重い。余計な移動等はしないで、できるだけゆっくりと過ごすことにした。で、申し訳ないが、「ガスト」と「サイゼリア」でほとんどの時を過ごさせてもらった。

 

ただ、前日に、まったく声を鳴らしていないので午後からは四条大宮のカラオケ店で1時間半ほどウオーミング・アップを兼ねて歌いに行った。翌日、その四条大宮の「Blue Eyes」さん(上の写真)でのライヴにも備えて・・・。

2017年

8月

15日

ライヴ報告(夏のライヴ・ツアー③ 大阪・有難い歓迎に涙 編)

PCの不具合があって、日を遡っての「ライヴ報告」が続いています。ご容赦のほどを・・・。

 

8月6日(日)、奈良市での朝を迎えた。前日に入った奈良市総合観光案内所内の「スタバ」で、午前中は朝食&時間つぶしを兼ねて読書をすることにした。

前日に奈良到着早々に声を掛けてくれた気の利く店員さんがこの日も居てくれた。やはり、ほっとさせられる言葉を掛けてくれた。愛間純人の音楽・ライヴもこんな存在になれたら理想なのだけど・・・ね。でも、日頃から積み重ねたまずは人柄だなぁ~・・・などと思ったりして。

 

14:30にJR大阪駅近くの「ヨドバシカメラ」で吉浦隆司さんと待ち合わせて、この日のライヴ会場に向かった。

吉浦隆司が「俺も参加させてくれ」と熱望するので、主催・企画の「リリー船」に事前に1ヶ月ほど前に連絡を取ってお願いした結果、連日に渡って、吉浦隆司と一緒のライヴが叶ったというわけだ。

 

ライヴ会場は、阪急京都線「総持寺」駅から徒歩7分ほど、「チェンノガット」さんだ。本日の出演者でもある「テルマエ立川」さんのイタリアン・バーのお店だ。

早目の16:40頃に到着。

簡単にサウンド・チェック。テルマエ立川さん自らがPAを担当する。音が好い(よい)!

 

ライヴ案内板を見て、驚き!!

「愛間純人さんを囲んで・・」となっている!(上の写真)。

有難く、嬉しい限りだ。

で、少し緊張してきたぞ(笑)。

 

17:00、出演者が集まってきて・・・18:00スタート。

主催・企画の「リリー船」こと、日高さん。

日高さんと組んで「おもちゃ箱」として出演するギタリストのTossyこと平岡さん。日高さんと平岡さんは、京都の「音やママ」の紹介で3年半前からお付き合いさせていただいている。大阪・高槻市での恩人だ。

日高さんの柔らかい歌声と平岡さんのテクニックも魅せつけてのギターが聴かせてくれる。

 

で、日高さんと平岡さんの紹介で、その3年半前に高槻市のライヴ・フェスティバルに飛び入り参加することになって、テルマエ立川さんと出会った。テルマエ立川さんはヴォーカル&ギターで心深きロックな弾きと歌を聴かせてくれる。

 

風笛&弥生さんのお二人とは、初めまして・・・。風笛さんはインストのギター弾き、弥生さんはピアニストだが、この日は、弥生さんがヴォーカルで風笛さんがギター伴奏で出演。が、お二人とも楽器演奏者ならではなのだろう、心地好い呼吸感をもって聴かせてくれる。

 

吉浦隆司さん、「今、俺はこう歌い、こうギターを鳴らしたいんだ」という潔い覚悟が見えてくる。音楽はテクニックだけではないと思わせられるライヴで惹きつける。

 

でもって、この日の最後に出演させていただいた。

その愛間純人は、有難い歓迎ぶりの中、アンコールも含めて結局は60分以上を歌い演奏。もう、あまりに熱心に聴いてくださるから、ライヴ途中から感激で溢れ出そうになる涙をこらえながらになった。

大阪に居ながら、まるでホーム会場でのライヴのようだった。

 

共に過ごしてくださった皆様に、この上ない感謝、感謝。

言葉で言い尽くせないほどで・・・でも、ありがとうございました。

(*この下にも写真があるよ)

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2017年

8月

14日

ライヴ報告(夏のライヴ・ツアー② 奈良・吉浦隆司との再会編)

PCの不具合があって、「ライヴ報告」が日を遡ってのご報告になっております。

 

8月4日(金)の「日吉Nap」さんでのライヴを終えて、東急東横線でJR横浜駅へ。東口からバスが発着する「YCAT」へと案内表示板を頼りに少しだけ迷ったものの時間に余裕をもって着いた。

 

23:50の夜行バス「やまと号」に乗車。直前になっての情報で、ギターは乗せてくれないこともあると聞いて心配していたが、あっさりとトランクに乗せてくれた。それと、アイマスクを持参してよかった。ぐっすり眠れたというわけではなかったが、7時間以上のバス移動がさほど長く感じたわけでもないので、うとうとしながらも眠れたのだろう。

 

5日(土)、朝 7:15頃、JR奈良駅前で降車。

新しく整備されたJR奈良駅を見るのは初めてだった。その景観の好さに思わず写真に納めた(この写真も載せようと思ったら容量オーバーでアップできない?残念)。

と、空腹感に気付いた。前日の昼から何も食べていなかった。

駅すぐ近くの「奈良市総合観光案内所」内にある「スタバ」に入った。店員さんがとても気の利く感じの人で注文時の少しの会話にほっとさせられた。身体を休ませながらのんびり朝食。コーヒーを味わいながら、持ってきていた本を取り出して読書。原田マハ著「生きるぼくら」。

 

奈良市でのライヴは、吉浦隆司さん(上の写真)からのお誘いがあってスケージュールに言わば急遽入れ込んだ。

吉浦隆司さんとは、東京で10年以上もお付き合いがあった。私が長く病気を抱えていた間には多くの人が離れていったが、吉浦隆司さんは離れずに常に励ましてくれた数少ない友人の一人であり、大げさでなく「命の恩人」だ。

 

その吉浦さんとの待ち合わせも夕方にということだったので、まずは、春日大社へとお参りすることにした。ゆっくりと三条通りを歩いて。午前中はこうして春日大社および奈良公園内で過ごした。それにしても日本人観光客はいないのか、聞こえてくる言語は、中国語(北京語、広東語)?、東南アジア圏の国々の方の言語?、はたまた南米圏の国々の方の言語?・・・これらばかりが飛び交っていた。

 

午後は、JR奈良駅の反対側(西口側)へ出た。なんだか不思議な形をした、でも美しい姿の建造物と庭が目に入ってきた。これが「なら100年会館」かぁ~。何も催し物はやっていなかった。しい~んとした会館内を歩かせてもらった後、同会館内のカフェへ。3人ほどしかいない静~かな空間で、遅めの昼食と休憩そして読書。

 

16:30に吉浦さんとJR奈良駅前で待ち合わせて、ようやく再会。1年半ぶりだ。おしゃれなカフェに入ってお互いに似合わないケーキを食べながら近況を報告しあった。

 

いよいよライヴ会場へ・・・。

案内されたのは、「Music Stage Pick」さん。JR奈良駅から直ぐの三条通り沿いだ。

 ブッキング・ライヴと聞いていたが、どうやら、店のマスターが恒例にしている常連の出演者によるオープンマイク形式の企画のようだ。

 

15分間程ずつ2回のステージの時間をいただいた。

ま、アウエー感たっぷりだった。

それでも、自身が積み重ねてきたはずの音楽と姿勢を限られた時間で表現尽くすことしかいない。そんな思いでいたら、自身で思っていた以上に好い集中でステージに立てた。

常連どうしで盛り上がる中、熱心に耳を傾けて聴いてくださる方もいらした。 もちろん、誘ってくれた吉浦さんの視線も温かかった。これらに感謝しながら愛間純人の演奏・ライヴを続けた。

 

他の出演者のライヴと客席を眺めながら・・・音楽との触れ方に様々複雑な思いで考えさせられたりもした一夜だったが、ツアーで訪れてこそのこの何かを、心地好くも感じた。

 

気付けば23:00を過ぎている。やはり夜行バスでは十分に眠れていなかったのか、睡魔と疲労感が急激に襲ってきた・・・。

 

奈良の皆様、ありがとうございました。

吉浦隆司さん、感謝、感謝です。

 

2017年

8月

13日

ライヴ報告(夏のライヴ・ツアー① 横浜・日吉編))

PCの不具合もあって、日を遡っての「ライヴ報告」になっています。ご容赦のほどを・・・。

 

今回は、「夏のライヴ・ツアー」から、そのスタート日、8月4日(金)、横浜・日吉でのライヴのご報告。

 

東京から離れてのライヴ・ツアーは約2年半ぶりになった。

父が他界して80歳を越えた母が実家に一人、その母も目の手術を受けての治療などあって、私が長期に東京から離れるのは難しくなった。幸いに母の目は片方は何とか見えるようで、最近は片目だけの生活に慣れてきた様子。そこで、今回は1週間だけの短いライヴ・ツアーだが、2年半ぶりに東京から外に出させてもらった。

 

まずは、8月4日(金)、横浜・日吉にある「日吉Nap」さんで「MCの輪」という企画の中に出演させてもらった。

「MCの輪」という企画は、同日出演者(この日は4人)が順に次の出演者にお題(質問)を出して、これを受けた出演者は出されたお題(質問)にMC(トーク中に)で必ず応えるというものだ。

 

この日は最後の出番だったので、私からは一番手のコヤマヨリコさんに「どんな音楽を聴きながら育ったか?」のお題を出した。コヤマさんは二番手の「あおいあお」さんに「好きな風景は?」を、あおいさんは三番手の「左右田真司」さんに「夏の好きな食べ物は?」というお題を出した。

音楽スタイルは4人それぞれで違いもあるのだが、互いの出演者を感じ取りながらのこの企画は、当初に想っていた以上に、出演者どうしでの一体感を生んだ。それぞれの音楽表現を繋ぎながらライヴ一夜を通しての温かな雰囲気が演出された。

 

あれ?愛間純人へのお題がないけど・・・。三番手の左右田さんが、お題を出すことを忘れてライヴを終えてしまった(笑)。

 

4番手、最後にステージに上がらせてもらった。

2曲を演奏して自己紹介や曲紹介を簡単にトークした後に、客席に残っていた左右田さんにその場でお題を出してもらった(笑)。「子供の頃はどんな遊びをしていたのか?」というお題をいただいた。3曲目を演奏した後に応えさせてもらった(笑)。

この日は、5曲を演奏、トークを交えて約40分間のライヴをさせてもらった。

 

楽しいライヴの一夜、そして、「夏のライヴ・ツアー」の好き(よき)スタートとなった。

 

ライヴ後、いつもなら出演者やマスターとゆっくりとお喋りをするところなのだが、その時間の余裕はなく、急いで片付けて、「日吉」から「JR横浜駅」に向かった。

東口を出たところにある「YCAT」に発着する23:50の夜行バス「やまと号」に乗るためだ。それで奈良市へと向かう。・・・って、「YCAT」の場所がよく分かっていない・・・(汗)。

 

 

2017年

8月

12日

ライヴ報告(夏ライヴ 7/21 「Next Sunday」編)

PCの不具合があって、ブログが更新できずにおりました。ご心配をお掛けしました。

7月中旬頃まで日を遡って順にライヴ報告させていただきます。

 

今回は、7月21日(金)、阿佐ヶ谷の「ライヴ小屋 Next Sunday」さんに出演させていただいたライヴからご報告させていただく。

 

実は、5月に、ここ「Next Sunday」さんで同日出演者として御一緒した岩田亮さんと、「すぐに再度ご一緒しましょう」ということになって、この日に組んでいただいたブッキング・ライヴだった。そこに、6月に御一緒した密田剛志さん、そして、10年以上のお付き合いがあって1年ぶりの再会となった岡本直史さん(上の写真)が加わった。

・・・音楽としては、もしかしたら妙な?組み合わせであったかも(笑)。

 

この日は、一番手としてステージに立たせていただいた。

ん~、少々、真とも過ぎる面白みに欠ける演奏だったかな・・・?などと反省じみたことを感じないわけでもないが、この日の客席の空気感と、この日の愛間純人、その双方から生み出されるものは他にはそうそう無かったようにも思える。

・・・なんてね、どう理屈をこねても、愛間純人が積み重ねてきた音楽やライヴ・パフォーマンスは、それらしく客席へと届けられたかと・・・(笑)。

そうそう、この日のPA担当は、ドイツから帰国したばかりの澤田守秀さん。私のCD制作時の音響さんだよ。安心してステージに立つこともできた。

 

他の出演者さんのライヴも客席に居ながら興味深く、面白く、聴かせていただいた。

 

ライヴ後には、久しぶりに再会した岡本直史さんと長々と様々話し込んでしまった。これもまた好き(よき)時間だった。

 

同空間・同時間を御一緒した皆様、本当にありがとうございました!

 

(*下の写真は、店頭のこの日のライヴ案内板)

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2017年

7月

12日

今日の一曲No.44:チャイコフスキー作曲「ヴァイオリン協奏曲」(ブロニスラウ・ギンペル&ヨハネス・シュラー&バンベルク交響楽団)

「今日の一曲」の第44回目。

 

今回は、チャイコフスキー作曲「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調作品35」を紹介させていただきながら、諸々書かせていただこうかと。

 

僅かな記憶で当てに出来ない部分もなくもないが、小学3年生の頃だった思う。4年生のときには学区の変更があって徒歩5分ほどで通えてしまう新しい小学校へ移るのだから、これよりは以前のことのはずだ。やはり、3年生のときだったとする根拠らしいものはある(汗)。

 

その当時に、クラシック音楽やその演奏家を紹介するようなテレビ番組が放送されていたのだろう、初めうちは、さほど強い関心をもってテレビの前で視入っていたわけでもなかった。そのうちに、ダイナミックな音楽が聴こえてきて一気に引きつけられた。映像に目をやると、どうらや盲目の方がヴァイオリンを演奏されている。音ともに迫力あるそのヴァイオリニストの演奏姿に、ますます引き込まれるのだった。

 

これが記憶の中にある、チャイコフスキー作曲「ヴァイオリン協奏曲」との最初の出会いだ。

映像に視た盲目のヴァイオリニストは、「和波たかよし」さんだったのだと思う。後に中学生くらいになってから、様々調べながら、おそらくそうであったのだろう・・・という結論に至った。

 

「今日の一曲」の第2回目(2016/10/04)に載せたチャイコフスキー作曲「ピアノ協奏曲第1番」を知る切っ掛けも、たまたまテレビから聴こえてきた音に衝撃を受けてだった。どうやら、幼いときから敏感にチャイコフスキーの音楽に反応してしまう自分が居るようだ。丁寧に記憶を辿ると何か理由らしきものがあるのかも知れないなぁ〜・・・。

そんな小学生時代からそれ以来、何かとチャイコフスキーの音楽は重要なタイミングで心の奥底に残るような存在にもなる。

 

ところが、高校生くらいからは、何故か、悪いジンクスを思い起こさせる存在になってしまう。心の奥底に傷を残すような・・・。別にチャイコフスキーが悪いわけでもないだろうに・・・。まったく、チャイコフスキーさんに失礼な話なのだが、チャイコフスキーの音楽を聴くと、好からぬ事態が自身に降りかかってくるというジンクスだ。社会人になってもこのジンクスは崩れることなく、おかしな話だが、正直、今でもチャイコフスキーの楽曲を聴くことには少々の恐れがある(汗・笑)。

 

話が脱線しているような?・・・(笑)。

話を戻そう。そう、「ヴァイオリン協奏曲」の話にね。

 

で、テレビから聴こえてきた印象深いこの曲がチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」だということは、当時の小学3年生には理解できていなかった。第1楽章の力強いフレーズと盲目のヴァイオリニストのエネルギッシュな演奏姿だけが脳裏に焼き付いて残っていた。

 

中学1年生になって、様々なクラシック音楽が収録されたLPレコード盤の全集を買うのだが(買うまでの経緯は第1回(2016/07/20)に書かせていただいたので今回は省く)、この全集の中の1枚から、遂に、脳裏に焼き付いて残っていたフレーズが耳に飛び込んできた。

これも度々記してきていることだが、この全集、全集とは言え、あなどれない名演奏が数多く収録されている。・・・って、現在になって気付き驚いている。

ヴァイオリンがブロニスラウ・ギンペルで、ヨハネス・シュラーの指揮、バンベルク交響楽団の演奏のものだ(上記の写真)。

 

初めて、この盤をレコードプレーヤーに乗せて針を置いた中学1年生は、「この曲だ!」と気付いた。長い間、脳裏に焼き付いて残っていたヴァイオリン協奏曲の音と響きは、真にこれだった。感動のあまり涙ぐんでもきて・・・慌てて涙をさりげなく拭った。周囲には誰も居なかったので知られずに済んだのではあるけど、少し恥ずかしくも感じた。

現在はオジさんである者にも、かつては、こんな純粋な頃もあったという鮮明な記憶だ(笑)。

小学3年生から中学1年生になるまで、曲名も作曲者名も確認する切っ掛けがないまま、秘めたような想いで心の内の何処かで抱えていたのかも知れない。

家族の中で「音楽好き」というのは私め一人だけで、当時の小学生が確認するには切っ掛けがなかなか無かったのかなぁ〜。

それだけに、その分、感動的な再会となったのだと思う。

現在のようなインターネット社会なら小学生でもすぐに確認できただろうにね。ま、長い時を経てきたからこそ、感動的な涙の再会に繋がったのだから、速い解決ばかりが全てではないのだろうけど・・・。

 

現在もこの曲を聴く度に(恐る恐る?)、小学生の頃にテレビで視た盲目のヴァイオリニストの演奏姿と、中学1年生が涙ぐんでレコード盤を前に聴いていた場面が、重なり合うようにして時を遡って浮かび上がってくる。

そんな懐かしく純粋な感動を届けてくれるチャイコフスキー作曲「ヴァイオリン協奏曲」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

 

2017年

7月

07日

今日の一曲 No.43:マーラー作曲 交響曲第8番「千人の交響曲」(小澤征爾&ボストン交響楽団・タングルウッド祝祭合唱団)

「今日の一曲」の第43回目。

 その前に・・・

ここ数日間、大雨や洪水、土石流などによる災害、また大きな地震もありました。これら自然災害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。同時に、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

今回は、マーラー作曲の交響曲第8番「千人の交響曲」。小澤征爾指揮、ボストン交響楽団とタングルウッド祝祭合唱団の演奏で、1980年収録のLPレコード盤とともに、紹介させていただこうと思う(上の写真)。

 

第9回目(2016/12/03)では、マーラーの交響曲第2番「復活」(ズービン・メーター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)を紹介させていただき、1986年頃当時の「マーラー・ブーム」と最新技術「スーパー・アナログ・ディスク」に、まんまと乗せられた感じを含めながらマーラーの音楽を知った切っ掛けを主に書かせていただいた。

 

私がレコード店で実際に手にしたのも、上記の第2番「復活」の方が先で(1986年)、今回ご紹介の第8番「千人の交響曲」のLPレコード盤はその半年くらい経ってからだった。

まぁ、「マーラー・ブーム」に引き続き乗せられていた部分も若干あったことは否定しないが、第2番「復活」を何度も繰り返し聴くようになって、マーラーの音楽の心地好さや味わい方を知るに至り、次なるマーラーの交響曲を自ら求めたことを強調しておきたい。

・・・そんな主張はいらない?(汗・笑)。

 

で、自宅近所の例の物静かそうなオジさんが一人で開いているレコード店に行くのだった。マーラーのLPレコード盤が置かれたラックを前にして、この頃にはそれはもう熟練技の域に達していた手さばきでジャケットを素早く安全に摘まみ上げては元に戻す作業を、そう、3、4回ほどは往復した。

マーラーの交響曲だけでも何種類もの盤が置いてあったが、最終的には直感で選んだ。・・・??

いいや、日本人指揮者である小澤征爾が実績を重ねて世界に認められつつあった頃で、その小澤征爾さんがボストン交響楽団の創設100年を記念してレコーディングに臨んだ盤であったことに関心が及んで選んだと思う。

確かに、この盤も「デジタル・レコーディング」という当時の最新録音技術を売りにしていたので、またしても、結局はそこに誘導された・・・というのも少〜しだけあったかも知れないが・・・(笑)。

 

さて、このLPレコード盤を手に取ってから、付属の解説や、他の音楽関連の書籍で後々調べて知ったことだが、どうやら、マーラーの策にまんまとハマったらしい。

第2番「復活」と第8番「千人の交響曲」は、マーラーがこれらの曲の意図やメッセージとしてその繋がりを強く意識した2曲らしいのだ。第2番「復活」の延長線上に更なる深い表現を求めて第8番「千人の交響曲」を創り上げたとか・・・。

見事に(見事かどうかは別だが・・・)この順番でチョイスしたことになったというわけだ。・・・偶然だけど、チョット自慢げ(笑)。

 

第8番「千人の交響曲」、この盤に初めて針を置いて、実際に耳に届く音を聴いたときには、そのスケールの大きさと繊細さは第2番「復活」で繰り返し味わった心地好さがここにもあったという感じだった。だけど、それよりも、もっと開かれた、もっともっと広い場所へと拡張された外の世界へと連れ出してくれるような感覚になった。

マーラーが意図したことなどこの時はまだ知らなかったが、聴こえてくる音と響きに、自然と心も身も感じ取れていたような・・・、それとも、これもマーラーの策にハマったということのなのか・・・?

 

「千人の交響曲」というのは、マーラーが名付けたものではなく、セールス側の戦略があったようだ。それでも、実際に、850人を超える演奏者によって成立する楽曲だそうで、そこに集結する大きなエネルギーを、マーラーは信じて、きっと巧みに計算もして、この世界観を表現したのだろうと想像したくなる。

 

このLPレコード盤を聴き終えたときは、いつも、開かれた想いと同時に、穏やかな優しい気持ちにさせられる。そんな、マーラー作曲の交響曲第8番「千人の交響曲」を、小澤征爾指揮、ボストン交響楽団とタングルウッド祝祭合唱団の演奏が収録されたLPレコード盤とともに、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

 

2017年

7月

04日

今日の一曲No.42:浜田省吾「ラストショー」(アルバム「愛の世代の前に」より)

「今日の一曲」の第42回目。42枚目に御紹介する盤と一曲は、これまで紹介してきた中にも時折あったが、「ジャケ買い」その中の1枚になる。

 

 浜田省吾のアルバム「愛の世代の前に」、1981年のLPレコード盤だ(右上の写真)。今回はその中の一曲をあえて選んで、「ラストショー」を紹介させていただく。

 

「ジャケ買い」に至るにも幾つかのパターンがあるように思うが、この1枚は、まさに自ら積極的に「ジャケ買い」を望んで「ジャケ買い」した盤だ。

 

かと言って、「浜田省吾」さんをまったく存知上げなかったわけではないよ。当時は情報源として主にラジオ(FM)を聴いていたので、ラジオで流れてくる曲くらいは知っていて心地好く聴いていたと思う。

 

 が、ともかく、このLP盤は、「ジャケ買い」大成功の1枚なのだ。

このジャケットに惹かれた思いを上の写真だけで共有することは難しいかも知れない。実際のLP盤の大きさで手に取って眺めてこそ、このジャケットの魅力が伝わるのかな。

キャデラック?・・・アメ車らしい赤い車と夜の街をバックにした構図、シンプルだけどその色合いとコントラストが、「ん〜!カッコイイ!」。当時、咄嗟に目に飛び込んできたそれを手に取った。

 

20歳前後の頃のこと、度々登場する船橋市と習志野市の境辺りで4畳半一間の部屋を借りていたその頃だ。そこから歩いて15分ほどのところにあったレコード店には2〜3日に一度は通っていた(笑)。

例のごとく素早い手さばきでありながら柔らかく安全に、レコードジャケット摘まみ上げては元に戻す。

もちろん、音楽雑誌やラジオを聴くなどして、事前に情報を入れて狙いを定めてレコード店を尋ねることもしたが、あまり情報のないままに、レコード店でこうして探し廻るのが当時としては楽しみだった。

いつもの愚痴になるが、CDの時代になると、この楽しみは無くなってしまうのだよ・・・。

 

さて、こうしてレコード店に通い詰めて見つけ出した「ジャケ買い」の1枚なのだが、実際に4畳半の部屋に帰って、プレヤーに盤を乗せて針を置くと、これまた、ジャケットからのイメージも併せてアルバムすべてが、収録された曲すべてが、一体感があって素敵でカッコイイ音楽たちだった。

浜田省吾だと誰もがすぐに認識できる独特の歌声も重なって、レコード店で手にしたときの期待感をはるかに超えたものだった。とても嬉しくなった。

 

あえて、ホント、あえて一曲を挙げると、B面の2曲目に収録された「ラストショー」は、当時の時代を象徴するサウンドでもあり、当時の心内を気持ち良いほどにスカッと清々しくもしてくれた。恋人との別れの曲であるはずなのだが・・・。

何かを吹っ切って前に進もうとする感じが自身の想いと重なったのだろう。このときに、何を考え、何を想っていたかは現在となってその記憶は正確には残っていないが、4畳半一間の一人暮らしの部屋で、この曲を聴きながら、静かにじっくり噛み締めるように、でも、前を向いた気持ちで聴いていた記憶だけは確かだ。

 

目の前を無駄なく過ごそうと、それなりに懸命に生きていたとは思うが、自分自身が想うよりも将来への展望が見出せずにいた、そんな日々を送っていた頃だったと思う。

だから、「ラストショー」が終わりの歌ではなくて、次への始まりのように感じられて、そこに何かを求めながら聴いていたのかも知れない。

 

「ジャケ買い」も最高の1枚だった浜田省吾のアルバム「愛の世代の前に」より「ラストショー」を、今日の一曲としてご紹介させていただいた。

 

2017年

7月

01日

今日の一曲 No.41:グレンジャー採譜・編曲の組曲「リンカーンシャーの花束」(フレデリック・フェネル&クリーブランド・シンフォニック・ウィンズ)

「今日の一曲」の第41回目。

あれ?・・・いつ?・・・どこで?・・・手に入れたLPレコード盤だろう?・・・というのが1枚だけある(汗)。吹奏楽曲が収録された盤だ。

 

その中から今日ご紹介するのは、パーシー・グレンジャー採譜・編曲の組曲「リンカーンシャーの花束(Lincolnshire Posy)」、フレデリック・フェネル指揮、クリーブランド・シンフォニック・ウィンズ(ウィンド・アンサンブル)の演奏で、1979年録音・1980年発売のLPレコード盤(輸入盤)に収録された1曲だ。

 

この「今日の一曲」で度々登場する自宅近くのレコード店でもなく、船橋市と習志野市の境くらいにあるレコード店でもなく・・・、おそらく、何かのついでに、新宿や下北沢か吉祥寺のレコード店を廻りながら、たまたま見つけて買った盤なのだと思う。

だから、実際に手にしたのは、1980年〜83年のまだ学生の頃で吹奏楽曲にも関心を持ちはじめた時期か・・・、でなければ、1990年前後で、社会人として仕事にもようやく自信がもてるようになってからのことだ。

もしかしたら、1990年に、世界最高峰の吹奏楽団の一つ、イーストマン・ウィンド・アンサンブルが来日したコンサートに行ったので、その頃に手にしたのか・・・。

 

いずれにしても、イーストマン・ウィンド・アンサンブルの創設者であり、吹奏楽の世界で最も注目されていた指揮者フレデリック・フェネルに興味があって、この盤を手にしたことは間違いない。

加えて、イギリス(イングランド)をテーマにした吹奏楽曲が集められていることにあったはずだ。

当時、日本では吹奏楽というと、アメリカの吹奏楽曲を収録した盤が圧倒的に多く、コンサートなどで演奏される楽曲もそうで、これらは華やかなるキレのある管楽器・打楽器の響きが先行する楽曲が主なだ。それに対して、イギリスの古き文化や風土から重ねられてきたイギリス(イングランドやウェールズ)の吹奏楽の響きはこれとは対照的で、ふくよかで温かみのある管楽器を中心とした響きが特徴で、個人的にはこちら側に興味があった。

このLPレコード盤を見つけたとき、イギリスの吹奏楽をアメリカ人のフレデリック・フェネルがどう聴かせてくれるのか?・・・に、大いに興味をもって手にしたはずなのだ。

 

で、当時からすぐに気づいていたかどうかは疑問だが、演奏しているクリーブランド・シンフォニック・ウィンズは、アメリカの5大オーケストラの一つクリーブランド交響楽団の管楽器・打楽器のメンバーで構成された吹奏楽団だ。しかも、クリーブランド(オハイオ州)は指揮者フレデリック・フェネルの出身地だ。その地で録音した盤でもある。

 

こんなにも興味をそそられるものが詰め込まれたLPレコード盤だったのだ。

その中でも、組曲「リンカーンシャーの花束」は、イングランドのリンカーンシャー地方の現地の人たちから採聴した6つの民謡を、グレンジャーが採譜、それを吹奏楽に編曲した曲だそうだ。

そのまま6つの組曲で構成されているのだが、調や拍子が一定ではなく複雑になる箇所もある。それは現地の人が歌うそれを忠実に再現しようとした狙いがあってということだ。

グレンジャー自身はオーストラリアの出身で、ピアニストとしてヨーロッパを中心に活躍した人らしい。

 

・・・などなど、この盤が輸入盤で、解説が英文で書かれているために、この英文をざっくりと訳して大まかには読み取るのだが、盤を手に入れてから後々自身で様々調べたであろうメモが残っている。

今ならネット検索で直ぐだが、当時だから英和辞典を片手に音楽関連の辞典などを探りながら図書館で調べたのだ。この盤に限らず、楽曲や作曲者について詳しく知りたくなると、必ず図書館へ行って調べることをしていた。若いときはこれも趣味のうちだった。

このメモを見ると学生時代の感じには思えないので、1990年頃に手にした可能性が高い。だとすると、下北沢か吉祥寺・三鷹の中古レコード店を廻りながら買ったのかな・・・。

 

さて、今日ご紹介のLPレコード盤のその演奏は、上記に記した事柄が、うまぁ〜く、見事なくらいバランス良く混じり合った音と響きとなって届いてくる。特に、グレンジャーの組曲「リンカーンシャーの花束」は、採聴した民謡のフレーズが面白みを感じさせてくれながら、イングランドっぽくもあり、アメリカっぽくもあり、吹奏楽ならではの管楽器の音圧の豊かさがそのサウンドから堪能できる。私的過ぎる感想だが、これは名演と言えるかと・・・。

「今日の一曲」では初めてのことだが、当時ではなく、現在この瞬間に聴きながらでの感想だ。

 

この盤を聴きながら、残してあったメモ用紙も眺めながら、当時の何かを想い出すかと期待しながらブログに起こし始めたのだが、自分でもあきれるほど、まったく想い出せない(汗)。

 

パーシー・グレンジャーの採譜・編曲の組曲 「リンカーンシャーの花束」、フレデリック・フェネル指揮、クリーブランド・シンフォニック・ウィンズの演奏を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

 

2017年

6月

27日

今日の一曲 No.40:USA for AFRICA「WE ARE THE WORLD」

「今日の一曲」の第40回目。

40枚目に紹介する盤は、「そう言えば、こんなLPレコード盤も持っていたなぁ〜」と思い立って、取り出してきたのだけど・・・。

 

「USA for AFRICA」の「WE ARE THE WORLD」、1985年に出されたLPレコード盤だ(右上の写真)。

 

当時をあまりご存知ない方へ「USA for AFRICA」について、まずは紹介させていただこうかと・・・。

 

1984年、アフリカにおいて飢餓で苦しむ人々の救済を目的に、ボブ・ゲルドフの呼び掛けで、イギリスとアイルランドのロックやポップスのアーティストが集結して「Band Aid(バンド・エイド)」を起ち上げ、チャリティー・プロジェクトを成功させた。

これに影響を受けた形で、ハリー・ベラフォンがアメリカとカナダでも同様なプロジェクトを立ち上げた。曲は、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作、クインシー・ジョーンズがプロデューサーを担当して、アメリカとカナダの有名アーティストが集まって、1985年の1月にレコーディングが実現した。レコード制作・製造・販売にかかわる者が、すべての純益を「アフリカ救済基金(USA for AFRICA)」に寄付するというこのチャリティー・プロジェクトには、総勢45人のアーティストが参加した。

いろいろと一部から批判もあったりで様々エピソードもあるようだが、更なる詳細について知りたい方は、他のサイトでご確認いただけたらと・・・。

 

当時の私と言えば、以前より時折載せてきた話になるが(最近では第38回目にも)、社会人3年目で、アルバイト3件を掛け持ちの厳しい生活をしていた社会人2年目からは幸運にも救済されたところだった。もとはと言えば、社会人1年目の理不尽とも思える出来事(今回は詳しくは載せないが・・・)のせいでだったが、ある秀でた人格と能力を兼ね備えたリーダーの登場によって、問題の種が一掃された元の職場へと呼び戻され復帰が叶ったのだ。

 

が、一度打ち砕かれて失った自信や希望は、そうそう簡単には取り戻せずにいた。将来への展望が開けるような感覚までにはなかった。

 

そんな頃、アフリカでの飢餓救済のためにイギリスやアメリカのアーティストたちが起こしたチャリティー・プロジェクトは、日本でも大きく取り上げられて、話題性としても大いに拡がりのあるものだった。

まぁ〜、見方を変えると、日本もバブル期に入りつつあって実態のない経済的な裕福感を錯覚してのことであったのかも知れない。

 

おそらく、当時は、拡がる話題性にまんまと触発されてしまったのだろう。この頃はまだ財布の中身は少々厳しい状況であったはずなのだが、自宅近所の例の物静かそうなオジさんが一人で開いているレコード店へ行き、今日ご紹介のLPレコード盤を購入した。

まじまじとジャケットを時間かけて眺めては、唇を嚙み締めたような表情で?・・・自分を納得させながら財布からお金を取り出した。そのレコード代金をレコード店のオジさんに手渡した。このときの記憶が不思議なくらい鮮明に残っている。

 

「WE ARE THE WORLD」、上記にも少し記したが、色々とご批判の面も確かにあったかと思うのだが、実際、初めてこの盤に針を置いて聴いたときには、45人のアーティストが、たった一つの楽曲を、代わる代わるにその歌声を聴かせて繰り出してくる迫力、二人、三人、そして、合唱へと、アーティストどうしが共に響かせ合う威力は、それまでに他のものでは体感したことのない感動を、この盤の音から感じた。

 

ただし、当時は、あくまでも興奮することなく静寂な想いで聴いたことを憶えている。

このLPレコード盤を手にしながら、「少しは何かの役に立ったのかなぁ〜」と考えていたからだ。

 

この後の社会人4年目、5年目と、秀でた人格と能力を兼ね備えたリーダーのもとで、鍛えられ、我が人生も逆転攻勢に一気に転じることにはなるのだが・・・このときには、まだまだ、ただ、ただ、生きるのに必死だった。

 

でも、「生きる」とは、「先ずはこういう事だ」と日々実感して生活していたときであったようにも思う。現在から振り返ると、このピンチな生活も無駄ではなかったように思えてくるし、まだまだ恵まれていたと、そう思えてくる。少し美談にまとめ過ぎか?(笑)。

 

さてさて、現在、アフリカは、イギリスは、アメリカは、世界は、日本は・・・?、ん?・・・・何やら世界中が危なっかしくないか?

 

6月23日(金)のライヴでも、「慰霊の日」、「沖縄戦」についてもふれさせていただいたところではあるが・・・、「一つひとつの命を、人一人ひとりの命を大切にすること」は、人類の根源的な思考・思想であるべきではないだろうか。・・・と、わざわざここに書き記そうかと思ってしまうような時代になっているのだとすれば、危ういなぁ〜(悲)。

 

「USA for AFRICA」で「WE ARE THE WORLD」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

・・・ん〜・・・当時、それでも、この曲で少しくらいは光も感じられて、自身も救われていたのかも?・・・。

 

2017年

6月

24日

ライヴ報告(梅雨の晴れ間ライヴ・沖縄戦にもふれて「Next Sunday」編)

昨夜、6月23日(金)は、東京・阿佐ヶ谷にある「ライヴ小屋 Next Sunday」さんに出演させていただいた。

同日出演者は、出演順に、大口沙世(Vocal & Piano)さん、蜜田剛志(Vocal & Piano)さん、山西理彩(Piano)さんで、いずれの方とも、これまでに何度かライヴで御一緒していたりで仲良くさせていただいている方たちだ。

お三方が演奏されるピアノ、それが同じSTEINWAY&SONS(スタインウェイ)のグランド・ピアノであっても、当然、お三方それぞれの響きや音鳴りがあって、大口さんと蜜田さんはそれぞれの歌声をそのピアノの演奏と共に、そして、山西さんはピアノだけで真っすぐに、その音たちをそれぞれに届けてくれたように感じた。

客席に居る間、味わい深い、とっても心地よい想いで楽しませていただいた。

元来、ピアノ演奏が好きだというのもある。残念ながら自身は手が出せなかった楽器だが・・・(汗・笑)。でも、ホント、ピアノって好いなぁ〜。

 

・・・んなふうに客席で過ごしたものだから、これだけで心が満たされて、このまま自宅に帰っても良いような気分に(笑)。

 

まあ、そんなわけにはいかないので・・・4番目の出演者としてステージに上がらせていただいた(40分ほどのライヴ)。

 

この日はPA担当が坂元さんで、信頼し切ってステージに立てたこともあるのだが、「この日ならでは」のその思いのままに、その呼吸感と間で、歌い、ギターを演奏させていただいた。加えて進行のトークでも・・。

 

もちろん、客席の呼吸感も感じ得ながら進めたつもりなのだが・・・、これが、この日のライヴとして好ましいものだったかはお客さま各人が知るのみで・・・。

 

さて、「この日ならでは」というのは、6月23日だからだ。

沖縄は(個人的には「日本国中が・・・」と言えるようでなければと思っているが・・・)、「慰霊の日」だ。

僅かながらでもご縁があって約30年間で6回だけだが沖縄を訪れる機会があった(うち、途中9年間は病気で行けなかったが)。

その度ごとに、沖縄の人から沖縄戦に関する話などを聞く機会もいただいて、十分ではないかも知れないが私なりに勉強する機会を重ねてきた。

それで、「この日ならでは」という思いと覚悟をもってステージに立たせていただいたというわけだ。「この日ならでは」で歌い、演奏をして、トークでは、沖縄戦のことにもふれさせていただいた。

 

客席のお客さまは、もしかしたら違う楽しみ方を愛間純人のライヴに期待して客席に居らしたかも知れないのだが、それでも、熱心に耳を傾けていただけたかと・・・。

 

この日、同時間・同空間を共に過ごしてくださいました皆様に心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

2017年

6月

20日

今日の一曲No.39:ラヴェル作曲「バレエ組曲 『ダフニスとクロエ』」(小澤征爾、ボストン交響楽団)

「今日の一曲」の第39回目。

ここのところ、都合もあって続けて紹介していた70年代前半頃のSPレコード盤からは一旦離れることにしよう。

いつものLP盤へ・・・。

 

今日ご紹介の曲は、モーリス・ラヴェル作曲、バレエ組曲「ダフニスとクロエ」。小澤征爾指揮、ボストン交響楽団、タングルウッド・フェスティバル合唱団による演奏で、1975年収録のLPレコード盤だ(上の写真)。

 

実際にこのLP盤を手にしたのは2001年頃だったと思う。

クラシック音楽のレコード盤で「ジャケ買い」はまずあり得ないことなのだが、この盤は「ジャケ買い」だ。

 

そろそろ、この頃のことについても書き記しておこうかな・・・。

 

体調の異変に少し気付きはじめた?頃だ。

職場では重要な責任を担うようになって7〜8年が経っていた。

今になって振り返ると、その責任だけでなく、自分自身でも勝手に、「良い仕事を」、「質の高いものを」、「社に貢献を」、「家庭・家族を裕福に」・・・などなど、更に自ら課していた。知らず知らずうちに大きなプレッシャーにしてしまっていたのだろう。

もっと言えば、一番いけないのは、単純に自らに課していたのなら未だしも、何かしらの「見返りを期待」していたことが最悪を招いたと言える。

今なら、わかるのだけどなぁ〜。

が、当時は、疑わずにまっしぐらに突き進んでいた。周囲からも評価されている声を聞き、これらを鵜呑みにして思い込んでいた。愚かだね〜。

 

少しの休日に、少しの休養のために、音楽を聴くことがもう手段になっていた。これは、もう危険信号が点滅している状態なのだが・・・。

もちろん、身体は異変を察知し始めてサインを発していたのだ。身体を動かなくしようとしていた。つまり、疲労感が常に襲い、思うように身体は動かなくなり始めていた。

「少しは休養をとらいないと・・・」という程度にしか自覚していなかった。「たまには定時に退勤しなくては・・・」と想い出すかのような自覚が精々で、まともに退勤した日のほんのたまぁ〜に、仕事帰りに、これより数年前から休日などに出掛けて行った下北沢の中古レコード店に立ち寄るようになった。

 

そう、90年代後半には、完全にCDの時代になっていて、アナログ・レコード盤は中古レコード店に行かなければ手に入らなくなっていた。

 

 が、その中古レコード店に足を運んでも、どんな音楽、どんな盤を探したらいいのか、もうそんな思考も働かなくなるほどの身体の不調に陥っていた。例のごとく、レコード盤を摘まみ上げて探る手元の素早さは、もはや無く、無気力にも近い状態だった。

それでも、ふと、摘まみ上げたLPレコード盤のジャケットが目に留まった。

今日ご紹介のLP盤だ。

深みある鮮やかな赤い背景に、太陽を描いたのか中央に大きな黄色い大輪の絵柄はインパクトがあった。この大きな絵柄全体をバックにしてステージに立つバレエ・ダンサーたちがやや小さく見えて写っている。

輸入盤だ。

少し目をこらしてアルファベットの文字を追うと・・・

ラヴェルの「ダフニスとクロエ」、若き日の小澤征爾がボストン交響楽団を指揮したときのもののようだ。楽曲は聴いたことはあったが、盤では持っていなかった。

きっと、少しだけニンマリできた一瞬だったと思う(笑)。

 

自宅に帰って早速、盤に針を乗せて聴いてみると、様々を考えずに聴ける音楽だった。このことがとても心地好く感じられた。少しだけ、バレエのそのシナリオをイメージして聴いてもいた。特に、3部の中間部から終盤に掛けては、気持ちを優しくにも、豊かにも、そして、少しの元気ももらえたような気がした。当時のことだ。

 

が、まっしぐらに突き進むことに囚われて、こんな風にごまかしながら過ごして、きちんと立ち止まって自身を直視しなかったために、自覚するより先に身体の異変はますます悪化する一方だった。

この2年半後には一度目の休職(二度目もあるのだよ)をして治療に専念することになってしまう。音楽までも一旦聴けなくなってしまうのだが、おそらく、そうなる前に手にした最後のLPレコード盤だったかと思う。

 

クラシック音楽のレコードさえ「ジャケ買い」になってしまったのだが、ひと時の救いであったことに違いはない・・・ラヴェル作曲、バレエ組曲「ダフニスとクロエ」、小澤征爾指揮、ボストン交響楽団、タングルウッド・フェスティバル合唱団による演奏、そのLPレコード盤を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

 

2017年

6月

18日

今日の一曲No.38:チューリップ「心の旅」

「今日の一曲」の第38回目。

第35回目から、70年代前半頃のSPレコード盤の曲を、こちらの都合もあって(笑:第36回目に記載)続けて紹介させていただいている。

 

クラシック音楽を中心に聴いて育ってきた少年も、小学校の高学年から中学生くらいになると、周囲の様々な刺激を受けて、おこづかいを貯めながら比較的安いSPレコード盤を自分で買いに行くようになった。その頃のSPレコード盤だ。

 

その懐かしきSPレコード盤の中から今日ご紹介するのは、チューリップの「心の旅」だ(上の写真)。

 

チューリップについて、または「心の旅」について、広く大衆に世代も越えて御存知の方は多いかと・・・。ここでの説明は必要ないように思うので今回は省かせていただく。

 

中学2年生のときだった。

チューリップが「心の旅」の大ヒットで全国的に知られるようになってから一年くらいが経過していたと思う。

その頃の放課後のある日のことだった。

音楽室で先輩たちの男女5名が、ギター(2)、ベース、ピアノ、ヴォーカルでの編成で、このチューリップの「心の旅」を練習?いや、もうこの時は演奏披露会のような状況だった。聴きに来ていた者も10数名以上は確実に集まっていて、私も聴く側の一人だった。

この演奏が完成度が高くて(当時の印象でだけど・・・)、テレビやラジオから聴いていたチューリップの「心の旅」より引きつけられるものがあった。感動したのだった。

当時、田舎の中学生が音楽を生で聴く機会などは滅多になかったものだから、その生の演奏の威力・魅力は半端ではなかったのだ。加えて、それを身近な同じ中学校の先輩たちが演奏しているという出来事だけで、多いに感動を呼んだのだろう。

それは、私だけでなく、聴きに集まっていた者皆が感じていたと思う。

確かに冷静に聴き比べたら、決してチューリップの演奏を上回っているはずもないのだけどね・・・(笑)。

 

で、単純というか、思慮深くないというか、この先輩たちの「心の旅」に刺激をされて、例の自宅から歩いて20分ほどのところにある物静かそうなオジさんが一人で開いているレコード店で、今日ご紹介のSP盤を買ったのだった。

 

「♫ あ〜、だから今夜だけは〜 ♫」

 

の冒頭の部分は、あらためて買ってきたレコード盤に針を落として聴いてもインパクトのあるフレーズだった。

 

時は一気に、ん〜・・・、11年くらい経過。

社会人として3年目とその後の数年間のことだ。

 

「今日の一曲」を以前よりお読みいただいている方にはもう御存知いただいている話になるが・・・、

社会人1年目に職場の派閥争いのそのどちら側にも付かないでいたら自分が干されてしまい、2年目はアルバイトを3件かけ持っての生活。ところが、3年目に救世主が現れ、派閥争いをしていた職場を一掃して私を呼び戻してくれた。

この優秀なる頭脳と人格を、すぐ近くで体感できたことはそうそうない人生の幸運の一つだと感じている。

強力なリーダーシップにはユーモアのセンスも多分にあって、職場は2年前が嘘のように活気に包まれ一つにまとまっていった。

仕事を終えた後に職場仲間で呑みに食事にという機会も自然と増え、このリーダーを囲んでといった会も仕事の区切り目ごとに設けられるようになった。当時のことだ、カラオケが準備された場所が大抵だ。

で、そのカラオケの閉めの曲となれば、

 

「♫ あ〜、だから今夜だけは〜♫」

 

と、意気揚々と皆で歌うのが恒例になった。

 

中学生時代に聴いた先輩たちの演奏も、秀でたリーダーを囲みながら職場の皆が歌うカラオケも、その場その場にあるエネルギーに、勢いや活気があることが前提と言えそうだ。チューリップの「心の旅」という曲そのものにもパワフルなエネルギーが宿っていそうな・・・。

聞くところに寄ると、九州から全国展開をという狭間に立たされていたチューリップが、もう後がない状況の中で創り上げた曲が「心の旅」だっだとか・・・。

 

チューリップの「心の旅」を、満ち溢れたエネルギーに触れて過ごしていた二つの時代ともに、「今日の一曲」としてご紹介させていただいた。

 

2017年

6月

16日

ライヴを訪ねて「ピロシキアンサンブル、コトノハ、伊藤悠紀」

下書き状態から結局はアップするのが遅くなってしまった(汗)。

 

6月11日(日)のこと・・・。

日曜日でありながら、この日は、自身のライヴもなく(良いこととは言いにくいが・・・)、と言って、やらねばならないと思っていた事を後回しにしても、東京・阿佐ヶ谷にある「ライヴ小屋 Next Sunday」に遊びに出掛けた。

なぜなら、大好きな、仲良くさせていただいている3組のアーティストさんが、一同に出演するライヴがあったからだ。

 

カノミさんと島さんのお二人が組むアコースティック・ワールド・ミュージック、その世界をギターと様々な小物楽器を奏で、歌い、ときどきダンスも披露(笑)してくれる「ピロシキアンサンブル」さん。

ガット・ギターともに優しくも時に力強く歌い、ノリはパンク・ロック?という「コトノハ」さん。

自然(特に森や木々)をテーマに独特の音の重ね合わせによるピアノ演奏(インストゥルメンタル)を聴かせてくれる「伊藤悠紀」さん。

 

「ピロシキアンサンブル」さんのお二人とは7年ほどのお付き合いがあって、「コトノハ」さんとは知り合って4年ほど、いずれの方々も、『ほっと楽しやハートライヴ』にもゲストとして数回ご出演いただいている。

 「伊藤悠紀」さんとは半年ほど前にブッキング・ライヴで御一緒して以来となる。いずれ、彼にも『ほっと楽しやハートライヴ』にご出演願えたらなぁ〜と考えている。

 

つき合いがあるから行ったわけではない。

その音楽に触れたかったからだ。

そして、会って、皆の顔を見たかったからだ。

 

この日のライヴの感想を下手に文章にするのも野暮だ。

とにかく、やはり、良かったし、好かった。

とても好き(よき)時間を過ごさせていただいた。

感謝。

ありがとうございました。

 

2017年

6月

15日

今日の一曲No.37:はしだのりひことシューベルツ「風」

「今日の一曲」の第37回目。

第35回目から続けて懐かしい感じの70年代前半頃のSPレコード盤を紹介している。

 

前回の第36回目から少しだけ時を巻き戻して、小学6年生の頃へ。

初めて自分でレコード店へ行ってSP盤を買ってから(第35回目で紹介)半年くらい後のことだったと思う。

ただ、SP盤としては、今日ご紹介の盤の方がそれよりも数年前に出されていたものらしく1969年とある。

「はしだのりひことシューベルツ」のA面に「風」、B面に「何もいわずに」が収録されたSPレコード盤だ(上の写真)。

 

「はしだのりひことシューベルツ」について、あらためてジャケットの裏面を見ながら簡単に紹介させていただくと・・・、

当時、同志社大学4年生だった はしだのりひこをリーダーに、その後輩の越智友嗣、同じく井上博と、立命館大学の3年生だった杉田二郎も加わっての4人で、1968年に結成したフォーク・ユニットらしい。

 

さて、当時、小学6年生の少年は、A面の「風」という曲に目的があって買ったという記憶だ。ただ単に、自らが聴きたいという欲求だけではなかった気がする。学校の音楽の授業でだったか行事関係でだったかで、「風」を合唱することになってだったはずだ。

 

小学校低学年の頃にあったGSブームが去って少しするとフォーク・ソングという枠の音楽が随分と耳に入ってくるような時代になっていたことを憶えている。自身は相変わらずクラシック音楽を聴くことの方が多かったが、それでも、小学校の昼休みに、「Peter Paul & Mary(ピーター・ポール・アンド・マリー)」の「PUFF(パフ)」が流れていたりで、フォーク・ソングという音楽の存在を認識するのは簡単だった。

 

で、「風」というフォーク・ソングは、「原曲はどんな人が歌って、どんな演奏なんだろう?」という初めは少しの興味だけだった。学校で配られた楽譜にだったか、合唱用の歌集だったか?・・・、作詞が「北山修」、作曲が「はしだのりひこ」とあったので、自身で「はしだのりひことシューベルツ」に辿り着いたという記憶だ。

 

調べ始めたら、少しの興味だけのものも本家本元を確りと聴きたくなったのだよね。それで、例の物静かそうなオジさんが一人で開いている地元のレコード店へ。

既に3〜4年ほど前に出されたレコード盤がこのレコード店にあるのか?・・・そこからだった。

目立つところには置かれていない様子・・・、同類のジャンルのラックからレコード盤を静かに1枚1枚めくり上げながらチェックしていく。この頃から徐々にレコード盤の探し方と例の素早い手さばきを習得していったのだろう(笑)。でも、この当時はまだまだゆっくりと、そっと、レコード・ジャケットをチェックするのが精一杯だった。

え?店の人に聞いたら?・・・って、現在の私とは違うのだよ。非常に内向的な性格だったのだ。そんなことは出来ない・・・(汗)。

そのうちに、「あったぁ〜!」・・・きっと、小声だが心と共に叫んだはずだ(笑)。

 

フォーク・ソングという枠の音楽を、レコード盤で買った最初の1枚になった。

あ〜、確かに、第35回目で、初めて自分で買いに行ったレコードとして紹介した「青い三角定規」もフォーク・ユニットだった。でも、その「太陽がくれた季節」はフォークというよりはポップス要素の方が多分に感じられた音楽だ。やはり、「はしだのりひことシューベルツ」の「風」がフォーク・ソングという枠の音楽をレコード盤で何度も繰り返し聴いた最初の曲だったと、当時の小学6年生も思っていたはずだ。

 

振り返らずただ一人一歩ずつ

振り返らず泣かないで歩くんだ

 

曲全体の印象は、寂しいというか無力さを感じるのだったが、終盤のこのフレーズからは当時の小学6年生も少しだけ勇気らしいものをもっらた記憶がある。

はしだのりひことシューベルツの「風」を、「今日の一曲」としてご紹介させていただいた。

 

2017年

6月

09日

番外編:「最強の食事」お試しのその後のその後

先月の何処でだったか、ライヴ後に出演者どうしの他愛もない話の中で食事の話題になった。それで、あらためて、このことを再度ブログにアップしておこうと思い立った。

 

デイヴ・アスプリー著「最強の食事」(ダイヤモンド社)を参考に、昨年の9月頃から自身の生活に取り入れることは可能か、ことに、日本の食卓で手に入れやすい食材等で実践可能か試してきた。

また、現実的な食費の範囲内で可能なのかも課題にしてきた。

2016年11月24日のブログでは、「『最強の食事』お試しのその後」と題して失敗談も含めてご報告させていただいた。

さて、更に6ヵ月以上が経過したところでのご報告というわけだ。

 

先に結論から言うと、良好だ。

身体のだるさや重さを感じる日が、ほぼ無くなった。

 

日々の主なメニューは、

<朝食>

*納豆(しらす干し、長ネギを刻んだものを入れて)に亜麻仁油を小さじ一杯程度混ぜる

*味噌汁(わかめ、キャベツ、ホウレンソウ、シジミなどをそれぞれ具にして具は少量)

*アボカド半個(またはブロッコリー、カリフラワー)

*ホット・コーヒー(ブラック)にエクストラ・バージン・ココナッツオイルをスプーン一杯半程度入れてよく混ぜる

 

<昼食>

*野菜サラダ(レタス、キャベツ、キュウリ、ニンジン、大根、アボカド(半個)、ミニトマトは湯通ししたもの・ブロッコリー、カリフラワーなど・・・)にエキストラ・バージン・オリーブオイルまたは亜麻仁油を小さじ2〜3杯ほど混ぜる

*ホット・コーヒー(ブラック)

*ゆで卵か温泉卵1個(週に3日〜4日)

 

(週に2回くらいは、ランチを外で特にメニューに制限なく食べる、こうした日の夕食は野菜中心の煮物やサラダだけ)

 

<夕食>

*和定食(魚、野菜炒め、野菜や豆類の煮物など、漬物少々など)っぽいメニューの日が多い。ごはん(白米)はお茶碗一杯は食べる。

 

(週に1回くらい、友人と外食するときなどは特にメニューに制限なく食べる)

 

ここまでが、三食の基本。

ポイントは、良質なオイルを摂取することに重点を置いていること。コーヒー豆も割と上質なものを挽いていることだ。

これらによる最大の利点は、三食の食間中は空腹感に襲われない。だから我慢もいらない。

 

この三食を基本にしていると・・・、

例えば、知り合いや友人の誘いがあって、午後のティータイムにケーキを食べるとか、夕食に友人や仲間と呑んだり食べたりの会に呼ばれたりがあっても、そうそう連日ではない限り(週に2回程度までなら)、特に体調に影響はないように感じる。

むしろ、これらを実践する前までよりも心配がなくなり自由になった感じがする。

一時期、気にし過ぎて、食べる量が少なくなり過ぎたのだと思うが、体重が減り過ぎて、集中力やパフォーマンス全体にやや悪影響があった。

 

上記にあるくらいに適度に自由度があるほうが良好に感じる。

ただし、「十分に嚙みながら食すること」、「腹八分目を心掛けること」だけは常だ。

 

あとは、自己観察を重ねてからではないと実践できないことだが、翌日に、少しでも身体が重い、だるい・・・など、わずかにでも感じた日は、昼食または夕食を完全にぬいて(ファスティング)リセットに近いことをしている。

現在は滅多にないことだが(月に一食ほど)、2〜3ヵ月ほど前頃までは、2、3週間に一食くらいの割合で行ってリセットしていた。

 

現在は、体調は良好。以前にあった疲労感やだるさみたいなものは一切解消されている。

体調の良さを裏付けるものとして、毎日、腸が「快調」だ。

・・・しゃれではなくて(笑)。

 

とにかく、1年前、2年前に比べたら、とても身体が楽だ。

 

結局、様々試しながら、ここに落ち着くまでに9ヵ月ほど掛かったけれど、結果、よかったかと思う。

今後も決めつけないで、自身の身体を観察しながら進めていこうと思っている。

 

 個人個人の身体状態や生活パターンが異なるので、自分自身で確認するほかに方法はないのだが、何かの参考になれば・・・。

 

さて、このブログとは別に、昨日アップした「今日の一曲:No.36」も、お読みいただき、お楽しみいただければと存じます(笑)。

 

2017年

6月

08日

今日の一曲No.36:Carpenters「I won't last a day without you」

「今日の一曲」の第36回目。

前回に続いて懐かしいSP盤レコードから紹介させていただく。

というのも、古いSP盤は、レコード・ラックの少し取り出しにくいところにまとめて置いてあって、実際には、しまい込んであったのを、前回の第35回目を書くときに、久しぶりに、まとめて全部取り出したのだ。

(第30回目と第31回目で紹介した貴重な例のSP盤は、また別に保管してあるのだけど・・・。)

「あれ?こんなのいつ買った?」なんていう盤も出てきた(笑)。

こんな都合で、古いSP盤の紹介がしばらく続くと思う。

 

で、今日、ご紹介のSP盤とその曲は、Carpenters(カーペンターズ)の「Sing(シング)」ではなくて、このB面の「I won't last a day without you」だ(上の写真)。

長い曲名だね(汗・笑)。

 

第21回目(2017/02/09)で、Queen(クイーン)の「BOHEMIAN RAHPSODY(ボヘミアン・ラプソディ)」を紹介したときのを読まれた方は、Carpenters の話について、既にご想像がつくかと・・・(笑)。

では、まずはその期待を裏切ることなく再度簡単に書かせていただく。

 

中学1年生のときに同じクラスに、勉強もスポーツも良くできて、美人で、皆に好かれるような、完璧にも見えてしまう憧れのような存在の女子がいた。同級生とは思えない大人な感じさえした。

もっとも、当時の私がこれまた出来の悪いガキでしかなかったから余計に劣等感を感じるしかなかったのかも知れない(笑)。

で、彼女がCarpenters を好んでよく聴いていることを知った(どうやって知ったかは今回は省略、詳しくは第21回目にある)。

 

少々軟弱な動機もあったことは否定しないが、彼女が切っ掛けで、Carpentersをはじめ、洋楽なるものを広く聴くようになった。

もちろん、軟弱な動機だけではないよ(自己弁護?)。

それまでクラシック音楽や洋画のインストゥルメンタル系音楽を中心に、他には少しだけ、日本の歌謡曲、GS、フォークなどを聴いていたのだが、事、音楽の話題でまったく知らないということがあるのは自分で許せなかった。

「音楽だけは色々と聴く耳をもっているのだ」という妙なプライドがあって、当時、そんな意地みたいなものの方が強かったように思う。

・・・って、やっぱり、未熟なガキだったのだなぁ〜(笑)。

 

で、すぐにでもLPレコード盤のアルバムで聴いてみたいと思ったのだったが、前回書いた通り、直ぐには難しいので、とりあえず、SP盤ならすぐにでも買いに行けるということで、またまた近所の物静かそうなオジさんが開いているレコード店へ。

 

店内の Carpenters のSP盤のラックで「Sing」というタイトルの盤が一番手前にあったのだと思う。それで、今日ご紹介の盤を買った。

現在なら、彼女に、少しは上手にCarpenters についての話などを聞いて、お薦めの曲も聞き出しただろうに・・・。当時は、何の情報もないままでレコード店に行ったのだね〜、この中学生は・・・(涙・汗)。

 

A面の「Sing」は聴きかじったことのある曲だった。それよりもB面の曲だ。

カレンの透明感溢れる歌声は低温域から高音域までが柔らかく温かい歌声でもあり、これと、リチャードが重ねるハーモニーとのミックスは、B面のこの曲の方がずうっと活かされている楽曲だと、生意気にもすぐに思ったのだった。

ちょっと寂し気な部分と力強い希望も感じられる部分が混在しているバラード風の曲に感じ取れた。

一度聴いただけで、この曲が好きになった。

 

「I won't last a day without you」

 

曲の最後1フレーズ、その歌詞がそのままこの曲のタイトルになっている。

だから、長い曲名だけど、すぐに覚えられた。

お勉強のできない中学1年生も、「without」という単語と和訳の意味を、この曲で覚えた(笑)。

 

歌詞のある洋楽への・・・はじめ一歩だった。

英語の歌詞から繰り出される英語独特の発音と響きも音楽の一部なのだと感じられた。洋楽のこの一曲から、当時、明らかに世界観が拡がったこは確かで、貴重で大切な一歩になった。

Carpenters(カーペンターズ)のSP盤より、「I won't last a day without you」を、「今日の一曲」としてご紹介させていただいた。

 

ちなみに、優秀なる彼女と、親しき友人のような間柄になる機会はとうとうなかった(笑)。

 

2017年

6月

04日

今日の一曲No.35:青い三角定規「太陽がくれた季節」

「今日の一曲」の第35回目。懐かし過ぎるSP盤レコードの1枚を紹介させていただこう。

第30回目(2017/05/04)では、ヴィセンテ・ゴメスの「禁じられた遊び」、第31回目(2017/05/09)では、ヴィクター・ヤングとシンギング・ストリングスの「エデンの東」と、叔父から借りたままになっている50年代後半〜60年代前半のSP盤を紹介した。今回はそこまで古くレアなものではないが・・・。

 

小学5年生のときだ。

両親からの月々のこづかいで、初めて自分だけでレコード店へ行って買ったレコード盤だ。

 

当時、クラシック音楽などのLPレコード盤は現在よりも全般的に高価だったので、ましてや小学生には高価過ぎる品でもあって、母の許可をもらってからでないと買えないルールになっていた。まあ、小学生の頃は大抵は母と一緒のときでないと買わせてもらえなかった。

が、SP盤は当時500円(この少し前は300円)で買えて、更に小学校の高学年にもなったこともあって、「レコードを買うよ」とだけ言っておきさえすれば、SP盤に限り、自分で買いに行って良いことにルールが改訂されたというわけだ。

とは言え、月々のこづかいも500円だったので、2〜3ヶ月分は貯めてから厳選して(笑)買いに行った。

 

で、その記念すべき初めて自分で買いに行ったSPレコード盤というのが、70年代前半のフォーク・ユニット「青い三角定規」の「太陽がくれた季節」だ(上の写真)。

 

まずは、特にお若い読者に向けて・・・「青い三角定規」について簡単にご紹介しておこう。

西口久美子(ジャケット中央)をメイン・ヴォーカルに、岩久茂(ジャケット左側)、高田真理(ジャケット右側)の3人で構成されたフォーク・ユニットだ。作曲家いずみたくのプロデュースによって1971年に結成。

このレコード盤に収録された「太陽がくれた季節」では、後々に知ったことだが、ミリオンセラーにもなって、1972年の日本レコード大賞・新人賞を受賞。同年末のNHKの紅白歌合戦にも出演したらしい。

 

今、ジャケットの裏面をあらためて眺めていたら、作曲がいずみたく、作詞が山川啓介、・・・で、驚いたことに、編曲が「松岡直也」とある!

たった今の今まで、知らなかったぁ〜!

前回、第34回目で、20歳過ぎた頃に出会った音楽として「松岡直也」の曲を紹介したばかりで、この偶然!

・・・イヤイヤ何だか少し恐いなぁ〜(笑・汗)。

 

さて、当時の小学5年生の選曲によって何故にこのSPレコード盤を買うに至ったかは・・・、これが記憶にないのだよ〜(汗)。

 

「太陽がくれた季節」はドラマ「飛び出せ青春」の主題歌でもあったので、それでなのか?・・・ん〜、でも、当時、タイムリーにこのドラマを観ていた記憶はない。再放送を観て、「このドラマの主題歌だったんだぁ〜」と思った記憶の方がある。

小学校のクラスなどで流行っていたということも明らかにない。

流行っていたのはローラー・スケートだけだ。男女問わずクラス全員がローラー・スケートを持っていた(スゴイ現象でしょ?)。

きっと、「初めて自分でレコード店へ行って買ったのだ」という記憶ばかりがあまりに大き過ぎて、他の記憶が吹っ飛んでしまったのだろう。40年以上前の出来事でもあり・・・(汗)。

 

ともかく、自宅から歩いて20分ほどの地元のレコード店に買いに行った。物静かそうなオジさんが一人で開いているレコード店だ。

 

レコード店から自宅に帰ってきて、早速、プレーヤーに盤を乗せて針を置いた。鳴り出した最初の瞬間から、その音に、ワクワクして興奮気味に聴いた記憶が鮮明によみがえってくる!

 

金額にしたら2〜3ヵ月で500円分だけのことなのだが、「大きな自由を獲得した」ような感覚がそこにはあって、「太陽をくれた季節」の歌詞の世界とも重なって、それで、ワクワク、興奮して聴いていたのかも知れない。

・・・ と、すれば、小学5年生のこの選曲も、なかなか好かったのではと納得できる(笑)。

 

年齢を重ねて大人になるにしたがって、手にしている自由や幸せにさえ鈍くなってはいないか?・・・と、ふと、考え直させられる。 

 

初めて自分で買ったレコード盤は「自由」を感じさせてくれた一枚なのだとも思う。当時の小学5年生に自覚はなくてもね(笑)。そんな青い三角定規の「太陽がくれた季節」を、「今日の一曲」としてご紹介させていただいた。

 

2017年

6月

01日

今日の一曲No.34:松岡直也「MIRAGE(見果てぬ夢)」

「今日の一曲」の第34回目。

前回までクラシック音楽が続いたので、異なるジャンルから・・・

今回は、松岡直也の「MIRAGE(見果てぬ夢)」をご紹介しつつ、出会った当時などを振り返りながら書かせていただこうかと・・・。

 

これまでも何度か登場シーンのあった船橋市と習志野市のちょうど境辺り、4畳半一間の部屋を借りて初めて一人暮らしをしていた頃のことだ。

 

そこから歩いて10分ほどの所(そこは習志野市)のレコード店に、目的もなく立ち寄ることが、そこで2年ほども生活しているうちに、もう習慣になっていた。

LPレコード盤を例のごとくの手さばきで、素早く安全に摘まみ上げてはジャケットを確認、また素早く安全に元に戻す。LPレコード盤の探索はこれだ(笑)。

 

松岡直也・・・、当時の情報源はFMラジオかFMラジオ関連の雑誌だったのだが、これらでこの名前は知っていた。その音楽も少しだけ聴いたとは思うが、このときにはまだ印象に残っているほどではなかった。

 

購入動機の半分以上は、お得意の「ジャケ買い」だ。

目に留まったジャケットのその街の風景は写真ではない。絵画(イラスト)だ(上の写真)。

これに惹かれたというわけだ。

なんか、すみません・・・って、なに謝っているのだろう(汗・笑)。

 

で、松岡直也の初のソロ・アルバム「FALL ON THE AVENUE(見知らぬ街で)」を買った(上の写真)。

部屋に戻って、レコード・プレーヤーに乗せて針を置く。

「ジャケ買い大成功!」だ。

期待以上の音楽が流れてくる。

このアルバムに収録された楽曲どれもが、ラテン系パーカッションの数々から繰り出されるリズムと、ポップな中に、少しジャズな感じであったり、少しロックな感じであったりするアレンジが、鍵盤奏者である松岡直也のシンプルで大人なロマンティックさを感じるメロディとともに奏でられるのだった。

 

A面の3曲目、アルバム・タイトルにもなっている「FALL ON THE AVENUE(見知らぬ街)」はテレビCMにも使われていたらしいのだが、私の部屋にはテレビが無かったために知らなかっただけのようだ。この曲も、最初に針を置いたときから好い感じの印象的な曲だった。

 

でも、個人的には、B面の1曲目の「MIRAGE(見果てぬ夢)」が一番に気に入った。

ラテン・パーカッションの情熱的なリズムに、時折、ベース・ラインがロックっぽさを覗かせたりするアレンジでありながら、あくまでも、松岡直也が奏でるアコースティック・ピアノはシンプルに淡々と、そして、どことなく寂し気で優しい大人なメロディを奏でる。

このリズム帯と鍵盤のメロディの温度差、この絶妙なバランスこそが、たまらなく感じる一曲だった。

・・・なんて、少し気取ってみて感想を説明したくなってしまう(笑)。

 

20歳を少し越えて、大人へと背伸びしてみせたいのと同時に、社会人として、大人して、先の将来や未来に漠然とした不安もあって聴いていたようにも、現在から振り返ってみると感じる。

何しろ10歳代からこの当時も、「夢」や「希望」などというものを持ち合わせていない・・・という自覚でいたからだ。

現在の私からは想像できないだろうけど、こんな若者だったのだよ。

 

ひょっとしたら、無意識にあった心の隙間を、松岡直也の「MIRAGE(見果てぬ夢)」で、ひと時でも埋め合わせていたのかも知れない。そんな「今日の一曲」をご紹介させていただいた。

2017年

5月

28日

今日の一曲 No.33:ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」

「今日の一曲」の第33回目。今回は、ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲第2番」にふれながら、あれこれと書かせていただく。

 

第2回目(2016年10月4日)で、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」を取り上げたときに、ヴァン・クライバーンのLPレコード盤とともに紹介した。この盤のB面には、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が、リッツ・ライナー指揮、シカゴ交響楽団、ピアノ演奏はもちろんヴァン・クライバーンのものが収録されている。実は、今回のラフマニノフもこの盤を紹介しながらと思ったりしたのだが、悩んでもみて(笑)、これとは違うもので・・・。

 

当時、中学1年生だった。

両親からの月々のこづかいを前借りしてクラシック音楽全集・全25巻を中学校のすぐ近くにあった本屋さんで注文。この話は第1回目に事の成り行きを詳しく書いたので、この程度に治めておこう。

今日、ご紹介のLPレコード盤はこの全集の中の1枚だ(上の写真)。

 

この盤も、A面がチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」で、B面にラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が収録されている。ラフマニノフの音楽を初めて聴いて知ったのは、この盤からだ。

 

チャイコフスキーの方は、インパクトある衝撃的な魅力を感じながらも全曲通して聴くまでには少し時が掛かった話を第2回で載せたが、対称的に、ラフマニノフは直ぐに身体が受け入れてくれたかのように、聴きやすかった。初めて聴いてからすぐに何度もこの盤に針を落として聴いていた記憶がある。

 

前回、ボロディンの旋律の美しさに触れたが、それとは明らかに異なる種類の美しさで、人間の心情・内面を揺るがすような美しさがラフマニノフの旋律からは感じるのだった。加えてアレンジだ。和音(コード)のその音の重なり具合が新鮮で、旋律とともに胸をキュンとさせられた。

・・・と、またまた、当時、中学生だったガキの感想を、現在の私が代弁してのことだ(笑)。

 

このLPレコード盤に収録されている演奏は、チェコの名門・名手の大集合ってところだろうか・・・、イールジー・ワルドハンス指揮、ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団、ピアノはミルカ・ポコルナの演奏のものだ。

 

中学生から後々も同曲のLPレコード盤やCDを何枚か手にしてきたが、この盤に収録された演奏がもっともテンポが様々に動く演奏に思える。

前に突っ込み過ぎるギリギリまでテンポが速くなっていく部分があったり、こんなにも後ろに引っ張るのかというギリギリまで間を保つ部分もあったりの演奏だ。女流ピアニストならではというのは多少語弊があるかも知れないが、このテンポの揺れ動きとともにあるピアノの音色と響きはとても愛らしく感じられて心地よい。

 

おそらく、最初に聴いたラフマニノフがこの演奏だったので、ラフマニノフの音楽が先に書いた通りの感じに余計に思えたのかも知れない。中学生時代にこれが耳に入ってきた音ならば、更に、その思春期の心情も余計に揺らしたのだろう。でも、繰り返すが、心地好かった。

たとえ、ろくでもない中学生のガキが聴いていたのだとしても(笑)。

 

冒頭にふれたヴァン・クライバーンのは、これよりも2年ほど後の中学3年だったか高校入学した頃だったかに自宅近所のレコード店で買ったものだ。まったく余計なものを削ぎ落としたような演奏で、あくまでも技巧的なものが際立つ演奏だ。これはこれで好さを十分に感じる。

 

ただ、こう思いたいのだよ。

ラフマニノフの音楽に触れる順番は、これでよかったのではないかと・・・ね。

 

人間の心情の揺れ動きを、その美しい旋律と音の重なり、愛らしい演奏で届けてくれたラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲第2番」、イールジー・ワルドハンス指揮、ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団、ピアノがミルカ・ポコルナの演奏のものを、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

2017年

5月

27日

ライヴ報告(新緑の季節ライヴ「Next Sunday」編)

昨夜、26日(金)は、東京・阿佐ヶ谷にある「ライヴ小屋 Next Sunday」さんに出演させていただいた。

 

好き(よき)一夜でしたよ〜!

 

同日出演者、よねくらみすず(Vocal&A.Guitar)さんとは初めまして・・・、ギター侍(Vocal&A.Guitar)さん、菅野忠則(Vocal&A.Guitar)さん、お二方とは何度も御一緒していて仲良くさせていただいている。が、少しばかり、お久しぶり・・・でした。

 

お三方によって、楽しく、少々ゆる〜い雰囲気の中、心地好い感じに音楽が、ライヴが、それぞれの出演者の個性と誠実さのある音楽・演奏も際立って進行していった。

 

そして、4番目にステージに立たせていただいた。

あまりに心地好い流れで進行してきていたので、妙な緊張もあったり、加えて、少々ゆる〜い雰囲気にメンタル面での置き所が意外と難しくはあったものの、愛間純人ならではの歌・演奏&トークのライヴはお届けできたかと・・・。

 

ようやく、長かった「トンネル」の出口から日の差す外へ出ることができた感触を得た。

特に、この日は、ギター侍さんと菅野忠則さんという親しくさせていただいている音楽仲間と一緒でもあり、P.A(音響)も安心して任せておける坂元さんが居てくれたり、初ライヴからご縁の深い「Next Sunday」さんでのライヴで、これらがステージ上の私を充実した心持ちにもしてくれて、「トンネル脱出」を手伝ってくれたように思う。

 

そう、独りでライヴをしているのでは決してないのだな。

独りではないのだな。

 

 同空間・同時間を過ごしていただいた皆様に心から感謝申し上げます。

ありがとうございました。

また、長々と「スランプ」、「トンネル」に入り込んでいた私めをご心配くださった方々、アドバイスや励ましの言葉を掛けてくださった皆様にも、感謝申し上げます。

ありがとうございました。

もう大丈夫です!きっと・・・(笑)。

 

さて、さて、個人的に・・・、

菅野さん、新作CD「ココロノササエ」をお買い上げくださり、ありがとうございました! 現在のところ、愛間純人のCDをすべて持っているミュージシャンはあなただけです(笑)!

 

この下の写真は、ライヴ後の出演者談義の風景・・・?

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2017年

5月

20日

ライヴ報告(新緑の季節ライヴ「日吉 Nap」編)

30分以上のライヴだけご報告させていただいている。

 

昨夜、19日(金)は、横浜・日吉にある「日吉 Nap」さんに出演させていただいた。

同日出演者は、ゆのみ(A・Guitar&T.Sax)さん、さくらいこうすけ(Vocal&E.Piano or E.Guitar&Rhythm.Track)さん、ひろし(Vocal&Synthe.Guitar)さん、それぞれがそれぞれの音楽やステージをその個性たっぷりに表現されたライヴに感じられた。

「音楽で表現して人に届けるとは何ぞや?」、「人は何故音楽を聴こうとする?」と考えさせられる一夜でもあった。

意味ありげ?(笑)。

 

さて、珍しくこの日は一番手として、40分間の枠をもらって出演させていただいた。

続けてブログをお読みいただいている方はご承知の通り、もう3ヶ月くらいになるか、厄介なトンネルから抜け出せずに心はポキポキ折れても、この足を停めずにライヴを続けている。

昨夜はようやくトンネルの出口に到達した感触があった。

ん・・・?

そう、まだトンネルの外に出られたわけではない・・・。

それでも、出口さえ見えなかった「スランプ状態」は脱したと宣言して良いかと思う。

 

ものの本によると、物事が上手く進まないときは何か間違った方向の思考や方法で行動をしているのだから、「立ち止まる勇気を持って静観せよ」と書いてあるものが多い。

 

私的な経験からくる思考だが、こと、音楽のライヴ活動に関しては、「痛みを何度も味わおうとも停めてはならない」だ。正解ではなくてもそうだ。

もちろん、工夫も練習もなく、やみくもにライヴ本番を重ねることではない。

「現在ある自分をもって日々最善を尽くす」

「丁寧な歌と演奏、ユーモアも含んだ精神でステージに立つ」

「お客様に常に誠意ある態度でそこに居続ける」

これを続ける。

 

だから、同時間、同空間を共に過ごしてくださった皆様に、常に感謝する。

昨夜もそうだ。「本当にありがとうございました。」

2017年

5月

14日

今日の一曲No.32:ボロディン「交響曲第2番(アンセルメとスイス・ロマンド・オーケストラ)」

「今日の一曲」の第32回目は、ボロディン作曲「交響曲第2番」。この曲を収めたLPレコード盤を中心にあれこれと語らせていただく。

 

ご紹介の盤は、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド・オーケストラの演奏で、1954年12月の録音のものを1982年に当時の新しい音響技術で復刻・再販したアナログLPレコード盤だ(上の写真)。

 

小学校の5年生か6年生頃だったと記憶するのだが、テレビのクラシック音楽番組で、ボロディン作曲、歌劇「イーゴリ公」第2幕「ダッタン人の踊り」を紹介していたのを視た。

最近もCMなどに用いらて広く多くの人に知られているこの曲の旋律を、このとき初めて知った。

ロシアでも中央アジア周辺寄りの風景が浮かんでくるような民俗的でありながら、美しく幻想的で穏やかなる旋律(メロディ)を。

 

小学生のガキが当時そこまで様々深く感じていたかは定かではないが(笑)、印象に残る美しい旋律と一緒に、ボロディンという作曲者の名前を覚えたことは確かだ。

 

で、この旋律は歌劇のストーリーに合わせて創り出されたわけだが、ボロディンという作曲家が創り出す美しい旋律は、ただそれだけではないと知ったのが、今日、ご紹介の「交響曲第2番」だ。

 

が、冒頭で説明した通り、この盤が出版されたのが82年ということだとすると、実際に手にしたのはこれよりも何年か後のはずだ。大学生活を終える間際だったと記憶する。

卒業研究の論文もほぼまとめ上げて、ほっとしていた頃のこと。この「今日の一曲」で以前から何度か登場している習志野市内のレコード店にふらっと立ち寄って、狙いもないまま、例のコツで、LPレコード盤を素早くめくり上げながらジャケットをチェック。

ふと、「ボロディンかぁ〜」と手を停めたのがこの盤だった。

これより数年前から何かの切っ掛けで少し興味をもっていた「スイス・ロマンド・オーケストラ」だというのも合わさって、迷いなく購入。

 

このLPレコード盤で、初めてボロディンの交響曲を聴いた。

楽曲の各所に、ロシア・中央アジアをイメージさせるような民俗的で美しい旋律が散りばめられていた。時に、浮かれ過ぎないような重々しい響きや、これと対称的に、変拍子の民族舞踊的な軽快なリズムを感じさせる部分もあったり。

それでも、楽曲全体的には、やはり、美しい旋律と優しさある響きのオーケストレーションが印象的な曲だ。

アンセルメの指揮とスイス・ロマンド・オーケストラの堅実で素朴さを感じる演奏も手伝ってのことかと。

 広く多くの人にも知られている「ダッタン人の踊り」の中でのあの美しい幻想的な旋律から決して裏切ることのないボロディンならではの旋律が堪能できる交響曲だった。

あくまでも私的な感想だけど・・・。

 

ジャケット裏に書いてある解説を読むと、この曲は、初演当時は不評で、後々になって、「この曲は、まったく新しい」と称賛されるのだが、時遅く、ボロディンが亡くなってからのことだったとある。

 

音楽家や作曲家の多くは現状維持ではなく革新的に新しい音を模索しながら作品にするものだから、音楽史上でも、現代でもまた、多々、こうした状況が起こることも致し方ないとは思う半面、やっぱり寂しいねぇ・・・。

創作した本人は作りたいものを創り出して世に送り出したのだから、妙に感傷的になることもないのかも知れないけれど・・・???。

現在は自身も創って演奏する側だからそうは思うのだが、聴く側の時もあるわけで、こうなると、聴くという行為も「可能な限り澄んだ想い」を努めて聴けるようでありたい・・・と思ってしまう。

 

さて、借りていたアパートの部屋も「そろそろ片付けるようだなぁ〜」などと思いながら聴いていたような・・・そんな当時の記憶もよみがえってきた。

 

民俗文化を背景に美しく幻想的な旋律で、非日常的な景色と内面の豊かさと澄み渡らせるような心情を届けてくれた「今日の一曲」、ボロディン作曲、「交響曲第2番」を紹介させていただいた。

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2017年

5月

09日

今日の一曲㉛:ヴィクター・ヤングとシンギング・ストリングスの「エデンの東」

「今日の一曲」の第31回目。話は、前回からの続きになる。

今回も、レアな45回転・SPレコード盤からの一曲を、当時のエピソードを交えて紹介させていただく。

もしも第30回目をお読みになられていなかったなら、チラっとでもお読みいただいた方が話の流れは分かりやすいかと・・・。

 

前回は3〜4歳頃のこと。今日ご紹介するのは、記憶の中では少しだけあとだったと思うのだが、きっと、4歳〜6歳頃のことだ。

 

洋服職人の叔父が遊びに来るたびに置いていってくれたレコード盤の中に、幼い当時の私が特に気に入って何度も繰り返し聴いていた盤が、もう1枚ある。

映画のテーマ曲「エデンの東」、「ヴィクター・ヤングとシンギング・ストリングス(Victor Young And His Singing Strings)」の演奏のもだ(上の写真)。

 

残念ながら、ジャケットは紛失してしまったらしく無いのだが、盤はきれいに保管してある。

 

おそらく、オーケストラ・アレンジの音楽を、自ら積極的に聴いた一番最初の曲がこのレコード盤の「エデンの東」だ。

 

映画はその後も観たことがない。大まかなストーリーだけは大学生くらいになってから知った。

幼い当時の私は、「エデンの東」というタイトルに疑問符が頭の中で一瞬だけ浮かんでは、そんなことより、この音楽の心地好いテンポ感、オーケストラの弦の響きと(特にチェロ)、そこに途中でピアノがメロディを奏で、穏やかで拡がりを感じるオーケストレーション・アレンジ・・・などなど、もちろん、これは現在の大人になった私が4〜5歳頃の私を代弁しての表現ではあるが、当時、伝わってくる音の総てから感覚的にこれらを感じて、聴くたびに感動していたことは確かだ。

 ホント、何度も何度も繰り返し聴いていたのだから・・・。

 

そう、この頃は自分でレコード・プレーヤーの針を慎重に、慎重に、緊張しながら盤に置くのだった。そして、回転しはじめた盤を眺めながら「正座」して聴くのが「慣わし」(笑)。

 

映画音楽として日本でも人気の高かった「エデンの東」は、私の成長過程でも、テレビやラジオ、他のアナログ・レコード盤やCDの時代に入っても、オーケストラで演奏されたもの、ジャズ風にアレンジされたもの、ピアノ独奏になったものなど、様々な演奏形態やアレンジで聴くことができた。

が、前回の「禁じられた遊び」同様に、幼き日に洗脳されているのだろう、ヴィクター・ヤングのこのオーケストラによる「エデンの東」を超える演奏には出会うことは決してない。

 

「エデンの東」を切っ掛けに、オーケストラ編成の奥行ある豊かな響きがもたらす楽しさや喜びを知ったことに間違いはなく、その後、リストの「ハンガリー狂詩曲 第2番(オーケストラ版)」やケテルビーの「ペルシャの市場」、グリークの「ペールギュント組曲」などのクラシック音楽といわれるオーケストラ編成の曲も、小学校の低学年の頃に掛けて自ら好んで聴くようになる。

ま、どれも、叔父が置いていってくれたレコード盤からだ。

 

前回紹介したヴィセンテ・ゴメスの「禁じられた遊び」と並んで、ヴィクター・ヤングとシンギング・ストリングスによる「エデンの東」も、一人の「音楽好き」のルーツなのだと感じる。

 

もう少し積極的な子どもだったら早くに何か楽器をはじめていたのかも知れないが、何せ、無口な内向きの性格の子どもだったのだよ。

現在の姿からは想像もつかないか(笑)。

もっとも、時代的にも、環境からしても、子どもが楽器を習えるなどということさえ知る機会もなかったな。

だから、音楽は聴くだけの側で居られることで、それで満足だった。

そう言えば、私がだいぶ成長してからだったが、母が言っていたことがあった。

「レコードを聴いているだけで喜んでいたからオモチャを買わなくても済んだよ」と・・・。

イヤイヤ、オモチャだってふつうに欲しかったとは思うけど・・・と、幼き日の自分に同情する(笑)。が、それほど、レコード・プレーヤーの前で「正座」して音楽を聴いていたのだろう。

 

ここで、補足(笑)。

前回も今回も、母とその弟である洋服職人の叔父が登場するが、父の登場シーンはない。父は、12歳から塗装職人一筋の人間で、当時は音楽に触れることなどなかった人だった。否定もされなかったけれど。

 

さて、こうして、お蔭様で「音楽好き」になれたことで、当時から35年〜40年後に失いかけそうになった人生さえもが救われる。なんとも有難い。この幸運を導いてくれた全てに、ただ、ただ、感謝、感謝だ。

 

前回から引き続き、今回の「今日の一曲」も、一人の音楽好き誕生のルーツとなる一曲、加えて、他にない拡がりある豊かな響きを届けてくれたオーケストラ・アレンジの一曲として、ヴィクター・ヤングとシンギング・ストリングスの「エデンの東」を紹介させていただいた。

 

*以下、このレコード盤のレーベル部分の写真を載せました。

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2017年

5月

04日

今日の一曲㉚:ヴィセンテ・ゴメスの「禁じられた遊び(愛のロマンス)」

「今日の一曲」の第30回目。

今日は、記憶もかすかな幼い頃に聴いていた音楽、とてもレアな盤とともに紹介しよう。

 

ここのところ、10代後半から20歳代前半の頃に手にしたLPレコード盤からの「今日の一曲」が続いた。

高校生・大学生にくらいにならないとアルバイトをしたり、社会人として仕事に就いてからでないと、自分で自由にレコード盤を買うことは難しかったから、どうしても紹介する曲やレコード盤もこの頃のものが多くなってしまう。年齢的にも多感な時期というのも重なって、これらにまつわるエピソードも多くなる。

 

さて、今日、30枚目に紹介する盤とその一曲は、ずうっと時代を遡って、3歳〜4歳の頃に耳にしていた音楽だ。自身も僅かな記憶でしかない。

が、この音楽は、どうやら身体に染み込んでいるようだ。

 

ギター奏者ヴィセンテ・ゴメス(Vicente Gomez)の演奏による「禁じられた遊び(愛のロマンス:ROMANCE DE AMOR)」だ。

45回転のドーナツ盤、アナログSPレコード盤だ。

もちろん、3歳の私がこの盤を買えるわけでもなく、母の弟にあたる洋服職人の叔父がもともとは所有するものだ。

 

私の音楽好きは、ここから始まった。

 

洋服職人の叔父は、年に3回ほどだったらしいのだが、私が幼き頃に住んでいた家に遊びに来るたびに、途中、レコード店に寄って、買った1枚を手にして訪れてくれた。

当時、家にあった小さなレコード・プレーヤーで、叔父は無言のまま静かに聴くものだから、幼い私も、それが慣わしなのだと思い込んでしまったのだろう、叔父の横に正座して、黙って静かに一緒に聴いていた。

ちなみに、「正座で」というのは幼き私が自らそうしていたということだ(母と叔父の証言によると(笑))。

 

映画「禁じられた遊び」のBGMに用いられたことで広くに知られるようになった「愛のロマンス」は、ギター独奏曲の定番のように、多くのギター奏者によって奏でられている。

後々もこの曲を聴くことになるが、他の演奏者のものは、きれい過ぎる、滑らか過ぎる、スマート過ぎる・・・などと感じて、どれも、もの足りない。

 

 ヴィセンテ・ゴメスの「禁じられた遊び(愛のロマンス)」は、弦に指が引っ掛かり過ぎていると感じるほどゴツゴツした粗さのある演奏だ。テンポも速く、激しく情熱的で悲しげだ。クラシック・ギターというよりはスペイン伝統のフラメンコ・ギターという印象だ。アレンジも特有なもので、他の演奏では聴いたことがない構成になっている。

もう、ヴィセンテ・ゴメスの演奏が刷り込まれて、すっかり洗脳されているのだろう(笑)。 

 

「愛のロマンス」という曲は、そのテーマ(旋律)は古いスペイン民謡から来たものをヴィセンテ・ゴメスがアレンジして映画「血と砂」でのBGMとして「ヴィセンテ・ゴメス・クインテッド」によって初めて演奏されたということだ(このレコード盤のジャケット裏面の解説書による)。

この盤のB面には映画「血と砂」のテーマ曲として用いられた「セヴィリャーナスとパナデロス」も収録されていて、これもまた、ギターの醍醐味を味わえる聴きごたえ充分の演奏だ。

 

叔父は、来るたびに買ってきたレコード盤を持ち帰らずに、そのまま置いていってくれた。それで、くり返し聴くことができたのは私だった。父も母も、特別に音楽好きということはなく、幼い私が「レコードを聴きたい」と言い出したときだけ母がレコード・プレーヤーの針を盤に乗せて聴けるようにしてくれた。が、4歳になって幼稚園に通うくらいのときには、自分自身でプレーヤーの針を慎重に慎重に、緊張しながらレコード盤に乗せていた記憶がはっきりとある。

 

 突然、現代に立ち戻るが、今年1月、自らがプロデュースした「ほっと楽しやBirthday ライヴ」で、ゲスト出演してくれた babaリズムさんが、偶然にも、しかもご本人も予定していたわけでもなく、たまたまライヴの流れで「愛のロマンス」を演奏披露。客席でそれを聴いて勝手に目頭が熱くなってくるのを感じた。

 「ああ、この曲から始まったんだなぁ〜」と、あらためて噛み締めていた。

 

本格的な音楽活動・ライヴ活動は、病気を経て49歳になってからの私だ。

が、色々な音楽を聴く耳を育ててくれて、音の様々を楽しむ耳を育んでくれた音楽好きのルーツは、このヴィセンテ・ゴメスの「禁じられた遊び(愛のロマンス)」にあると感じる。

 

私の命をも救ってくれた音楽、その始まりの音楽を「今日の一曲」として、紹介させていただいた。

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2017年

5月

03日

今日の一曲㉙:八神純子「I'm A Woman」

「今日の一曲」の第29回目。

今回は、八神純子の「I'm A Woman」を紹介しつつ、当時のエピソードを語らせていただく。このブログ初の「恋バナ」もあるかもよ?・・・(笑)。

 

私が高校生の頃は、この「今日の一曲」でも幾度となく説明している通り、ちょうど、日本も欧米もコンピュータ技術の目覚ましい発展に伴って、音楽はそのジャンルを問わず様々なサウンドを産み出し、試されもして、最も表現豊かにエネルギッシュに溢れていた時代だった。

そんな時代背景の中にあって、日本音楽界には加えてある妙な現象が起きた(私がそう感じただけかも知れないが)。「シンガー・ソングライター」という人たちが急激にクローズアップされるようになったことだ。そして、この人たちの楽曲が「ニュー・ミュージック」という言葉で一括りにされるようになった。

「ニュー・ミュージック」って、何とも大ざっぱでセンスのない言葉で一括りにされたものだと、当時から思っていた。馬鹿な高校生ではあったものの・・・。

『「ニュー・・・」はそのうち「ニュー・・・」でなくなるのになぁ〜』、『リズムやサウンド、メロディ・ラインがまったく違うのに、どれも「ニュー・ミュージック」ってなんだよ』などと・・・。

「ニュー・ミュージック」と称した日本の音楽関係者の方にはお詫び申し上げる。何十年も前の一人の馬鹿な高校生が、しかも気が弱いから心の中で叫んでいたことだ(汗・笑)。お許し願いたい。

 

 前置きが長くなってしまったが・・・本題へ・・・。

 

さて、八神純子も当時その一人として、しかも新進気鋭のシンガー・ソングライターとして登場。間もなく、ファースト・アルバム「思い出は美しすぎて」をリリース。バラード風の長いフレーズを伸びのある高音域の声を効かせて優し気に甘く歌い上げる楽曲が際立つ。

このアルバムを聴いたとき既に、国内の女性ヴォーカルとしては「最高なのでは?」と、素人なりというか高校生なりに感じていた。

 

で、今日紹介するのは、セカンド・アルバム「夢見る頃を過ぎても」の中に収録された「I'm A Woman」だ。 

もちろん、アナログのLPレコード盤だ(上の写真)。

私が20歳を過ぎたばかりの頃だ。

このセカンド・アルバム、ファースト・アルバムの印象を引き継ぎながらも、サウンドとしても、歌詞やメロディを含めた楽曲そのものも、新しい扉を開いて踏み出した印象をもった。

中でも、B面3曲目の「I'm A Woman」は 、ややアップテンポのロック調のサウンドに、そこに柔さとパワフルさの両面を併せ持った歌声が響き渡る。ファースト・アルバムまでの優し気で甘さのある歌声だけでなく、新たな力強さが加わり、もちろん、伸びやかな高音域の声は更に磨きがかかって「お見事!」と言うしかないと、当時、強烈な印象を受けた。

 

少々、軟弱な話にお付き合い願うことになるが(汗)・・・、

この頃だけ、少しだけだが何故か女性にモテた。いわゆる「モテキ」だったのかも知れない。あくまでも、私の人生の中での基準でだ。

が、「・・・八神純子も聴くよ・・・」といった話をもち出すと、決まって、幸運の女神にも感じられた彼女たちは去っていくのだった(苦笑)。

で、教訓、「女子の前で八神純子を話題に出してはならない」となったのだった。

・・・って、私がただ調子にのってイイ気になっていただけなのだとは思うが・・・、思慮深さも無くチャラいヤツだったのだろう、きっと。

八神純子のせいにしてはいけないな(笑)。

というわけで、「モテキ」はあっという間に過ぎていった。

ホントは「淡い恋バナ」も織り交ぜて書こうとしていたのだが、イイ歳コイて照れくさくなったので、今回は非公開。またの機会にしよう。・・・まぁ、誰も読みたくもないか(汗)。

 

話を戻そう。

「I'm A Woman」、このタイトルも、そして歌詞も、当時の私自身は深い意味に感じ取っていた。八神純子がご自身の歩むべき音楽人生その方向性を新たに選択をし、選択した道に踏み出した様を見せてくれているのだと・・・、その覚悟たる力強さ、豊かさ、自由さを・・・、あくまでも想像に過ぎないが、感じ得ずにはいられなかった。

「生きるとは覚悟ある選択をすることだ」と。

 

「国内最高の女性ヴォーカル」と感じさせた歌声が、軟弱なやさ男の若ぞうにカツを入れてくれたのかも知れない。

そんな「今日の一曲」として?(笑)、いや、「力強く生きる選択」を感じさせてくれた、八神純子「I'm A Woman」を紹介させていただいた。

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2017年

4月

30日

今日の一曲㉘:風「あいつ」

「今日の一曲」の第28回目、このジャンルの音楽をご紹介するは初めてだ。

 

あまり音楽を分類するのは好まないのだが、幾らかでも分かりやすく伝えるには・・・、

「70年代フォーク」と呼ぶことになるかと・・・、その一曲だ。

 「風」のファースト・アルバムに収録された「あいつ」という曲をご紹介しつつ、当時のエピソードを語らしていただく。

 

前回の第27回目に紹介した「バニー・マニロウ」や、以前に第何回目だったか?イギリスのロック・グループ、クイーンの曲を紹介させていただいたが、ほぼ同時期に聴いていた音楽だ。

中学生の頃のことだ。

もっぱらクラシック音楽を聴くのが中心だったが、徐々に歌謡曲、ロック、ポップス、ジャズ・・・なんでも興味あって聴くようになった。

 

平成生まれの方がこのブログを読まれることも増えつつあるので、「風」というユニットについて、ここで極簡単に解説。

「南こうせつとかぐや姫(後に「かぐや姫」)」という男性3人のフォーク・ユニットの一人「伊勢正三」と「猫」というユニットの中の一人「大久保一久」が組んだフォーク・デュオ・ユニットが「風」。

 

「南こうせつとかぐや姫」が「神田川」という曲で、「ガロ」というユニットが「学生街の喫茶店」という曲で、巷ではヒットを飛ばしていた。中学生である同級生の中には刺激されてギターを始める者もいた。が、これらの音楽を耳にしてはいたものの、自身はそこまでの強い興味を抱くほどではなかった。

が、少し経って、「かぐや姫」ファンになっていた友人が持っていたLPレコード盤を聴かせてもらった。その中に、伊勢正三をメイン・ヴォーカルに据えた「22歳の別れ」という曲があった。これには少々ハマったのだった。

イントロのあのギターの符点音符リズムのアルペジオ(分散和音)とリード・ギターの絡み合う音色と響きにハマった。

そこに、伊勢正三のどことなく頼りげなく甘い歌声が加わってくる感じが心地好かった。

同じようなハマり方をした人は多くいると思う。

 

で、この曲は、「かぐや姫」としてでなく、確か?「風」としてシングル・カットされて大ヒットする。この「22歳の別れ」を聴いている人はある年齢層の方なら多くいらっしゃることだろう。

 

それで、まもなく後に結成した「風」のファースト・アルバムであるこのLPレコード盤を貯めたおこづかいを注ぎこみ、地元の小さな(失礼か?)レコード店で買ったのだった(上の写真)。

 このアルバムには、これより更に数年後、「イルカ」が歌ってヒットした「海岸通」も収録されている。他、「東京1975」も収録されている。

 

でもやはり、B面の1曲目にある「あいつ」だ。

「22歳の別れ」とよく似たアコースティック・ギターのアレンジが心地好くも、哀しすぎて、寂しすぎる歌詞の世界観を、拡げて、深くいなざってくれているように感じる。

・・・と、これは現在聴くとそう感じる。当時の浅はかな中学生(私のことだよ)は、ただ、ギターの響きとそのアレンジに惚れ込んだだけだったと思う(汗)。

 

クラシック音楽を中心に音楽を聴いていたから、おそらく歌詞に耳が向く習慣がなかったのかも知れない。

自己弁護でもないが・・・(笑)。

 

それでも、浅はかな中学生も、この「風」のファースト・アルバムであるLPレコード盤を手にしてから、「フォーク」というジャンルの音楽にも聴き入ることになって、少しずつ歌詞のある世界観、その奥深さを感じられるようになっていったように、振り返ると感じる。

 

人の感情がそれほど単純なものではないことや、世の中や社会という場がそれほど甘くもなく、簡単に生きられるようなところではないかも知れないこと・・・そんなことを感じたり、自身がどう生きていこうとしているのかを認知したりする土台を創り上げていく一コマになったのだと思う。

 

しかも、「あいつ」って、フォークならではのタイトルかと・・・。

 魅力あるアコースティック・ギターのアレンジを切っ掛けに、薄っすらと歌詞の世界観を未熟な少年に刺激を与えてくれた音楽として、「風」のファースト・アルバムから「あいつ」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

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2017年

4月

29日

ライヴ報告(春&7周年ライヴ「Next Sunday」編)

30分以上のライヴだけに限ってではあるが、「ライヴ報告」をさせてもらっている。

昨夜、4月28日(金)は東京・阿佐ヶ谷の「ライヴ小屋 Next Sunday」に出演させていただいた。

 

週の後半は、ほぼ毎日、Cafe などで15分〜20分の時間をいただいて歌わせてもらっているが、音響の整ったライヴハウスでのライヴは2週間ぶりだ。

 

春を迎え、愛間純人としては、日吉でのライヴに続く、「7周年のライヴの第2弾」だったのだが、本当に様々な意味で、とても好き機会をいただいたライヴの夜で、意味多きライヴの一夜となった!

ともに、同時間と同空間を共有してくださった皆様に、皆様のその真心に感謝、感謝!ありがとうございました!!

 

お客様のお一人が、「ほんわか過ごして聴かせてもらいました」とおっしゃってくださった。少し心を痛めていたので、この一言は涙が溢れそうなくらい嬉しかった。

 

この夜の同日出演者で、「弥勒のマル」さんと「由弥」さんは、もう顔見知りであり、お互いの音楽とその姿勢を知り合う仲だ。大好きで大切な音楽仲間たちだ。お二人とも現状に甘んじることなくチャレンジしたステージだった。

まあ、私からはライヴ中のトークで「由弥」さんに冷たくもしたのだが、愛情表現の裏返しだったのだよ(笑)。気持ち悪いか・・・(笑)。でも、由弥さんには感謝しているぞ!

もう、お一人、「岩田亮」さんとは「初めまして」だったが、岩田さんのステージ姿が好き刺激を与えてくれた。それを有難くいただいた。岩田さんから「7月にまた再会できないか?」との言葉をいただいたので、みやこ店長にお願いをして帰宅の途についた。

 

まだ完全にトンネルから抜け出せてはいないが、少しずつ前には進み始めている。「立ち停まってみるべきか」、「ライヴ活動を一時的休止しようか」という考えも過ぎったこともあったが、多少の痛みを味わいながらも、日々、ライヴ活動を続けて積み重ねながらトンネルの出口を見出すことにした。

 

もう暫くだけ見守っていただけたら・・・と。

 

この夜のライヴ、有難く、忘れられないライヴの一夜として記憶に留まることになるかも知れない。

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2017年

4月

23日

今日の一曲㉗:バリー・マニロウ「悲しみをこえて(I made it through the rain)」

3月29日以来、久しぶりの「今日の一曲」は第27回目になる。

今回は、「バリー・マニロウ(Barry Manilow)」の「悲しみをこえて(I made it through the rain)」を紹介しながら、エピソードを・・・。

 

この曲と絡めた話は、昨年 7月3日のブログ「ただ今日一日を大切に」で、一度載せている。このときは、大切な友人が厄介そうな病気を抱えて苦しんでいるという連絡を受けた直後で、半ば、この友人を励ます意味で書かせてもらった。

 

では、あらためて、今日、ご紹介の曲について・・・

16歳頃から20歳代前半の頃の私を支えてくれた、いや、現在も時折かな?・・・支えてくれている一曲だ。

 

バリー・マニロウを知ったのは、たしか・・・中学3年生(2年生のときかも?)のとき、インフルエンザが流行して学校では学級閉鎖にもなって、仕方なく昼間の時間をFMラジオを聴きながらつぶしていた。その時に偶然流れてきた曲が、バリー・マニロウ、日本タイトルで「悲しみのマンデー」だった。

 

バラード風のゆったりしたテンポの曲を、あまり感情を入れ過ぎずに、決して熱くならずに、ただ、自身の声質と正確な音程、テンポを僅かに揺らす間と呼吸感だけで歌いあげている印象が、耳に残った。

 もう一つ、耳に残った理由として、学校のお勉強が苦手だった私にも、聴き取りやすい英語の発音と何となくでも和訳しやすい英単語が並べられた歌詞だったということだ。

 

ちなみに、この学級閉鎖期間に元気だった私は、その直後にインフルエンザにかかって期末テストが受けられなかった。こういうヤツいるでしょ(笑)。それで「悲しみのマンデー」か?

 

で、この時は、中学生のこずかいだけでは直ぐさまレコードを買うだけの経済力はなく、高校生になって、LPレコード盤でアルバム「Barry Ⅶ」がリリースされたのを知って、はじめて自身で購入して手にした(上の写真)。

 

このアルバムのA面の3曲目に、「悲しみをこえて(I made it through the rain)」はある。

この曲も、バラード風のゆったりしたテンポの曲で、英語力のない高校生が聴いても、直ぐに英語の歌詞が和訳可能な曲だった(汗・笑)。

私は雨の日々を切り抜けた

自分の世界を守りぬいたんだ

私は雨の日々を切り抜けた

自分の気持ちを持ち続けたんだ

私は雨の日を切り抜けた

誇りを見出してもらえたんだ

同じような苦しみ知る他の人たちから

・・・・

こんな感じだろう・・・か。愛間純人の和訳では・・・(汗)。

 *(付属の歌詞カードをどこかに失くしてしまったので・・・)

 

十代後半から二十代前半の年齢の当時も、少し、思うように物事が進められないことが続いたり、親しい人に何かよからぬことがあると、この曲を聴いた。

 

以前に紹介したシベリウスの「交響曲第2番」も、若き日の私を度々支えてくれた一曲として紹介したことがあるが、今日、紹介しているバリー・マニロウの「悲しみをこえて(I made it through the rain)」は、心を鎮めたまま、静寂な時間と空間の中で見守ってきてくれた曲だ。

 

ここ最近も、ブログでは、自身が陥ってしまっている「大スランプ」の話が続いた。「何か意味があると・・・」と解釈して、「もがき続ける」ことにしたのだが・・・、

1週間ほど前からのカフェなどでの20分程度の短いライヴ(生音演奏を含めて)計8本のステージでは、感触からすると、ひょっとしたら「大スラップから脱出」できたのかも知れない・・・という感覚も得られつつある。

I made it through the rain

I kept my world protected

I made it through the rain

I kept my point of view

I made it through the rain

And found myself respected

By the other who

Got rained on too

And made it through 

 

静かに、静かに、少しずつ、自信を取り戻す曲として、バリー・マニロウ「悲しみをこえて」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。 

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2017年

4月

15日

ライヴ報告(春&7周年ライヴ「日吉Nap」編)

新作CDアルバム「ココノササエ」は4月19日(水)から発売。これに向けての準備も重なって、「ライヴ報告」は、やはり30分以上のライヴだけで御勘弁願いたい。

 

昨夜、4月14日(金)は横浜・日吉にある「日吉Nap」さんに40分間のライヴで出演させていただいた。

意味のある良き一夜になりましたよ〜!

 

この春で、ライヴハウスやライヴカフェ等で、きちんと歌わせて(奏でて)いただくようになって、お陰様で、7周年を迎えた。

もう12〜13年ほど前になるか、「人生のすべてが終わったのかも・・・」と思えた時期もあった。そんなヤロウも人前で自作の音楽を披露させていただきながら、その前までよりは生きたいように生きて、それが、7年も続いているということだ。

 

さて、まずは、本ブログを継続的にお読みの方から、ご心配と励ましのメッセージも多数いただいております例の「スランプ」ですが、これからは脱し切れていない。

新たな挑みを重ねながら、少〜しずつ前には進んでいるようには感じられてはいるが、正直、悔しさと辛さで泣きたくなる一瞬を味わなけばならない日々は依然として続いている・・・。

 

それでも、昨夜のライヴも含めて各ライヴ会場では楽しく過ごさせていただいている!いや、救われている!

 

昨夜は特に、客席からは大きな拍手をいただいて盛り上げていただいた。熱心に聴いてくださる素敵なお客様方に恵まれて、次へと歩ませてもらっているのだと、あらためて自覚した一夜だった。

本当にありがたい。そう、「有難い」と心底感じた。

 

ブログを読んで励ましのメッセージをお寄せくれる方、ライヴ会場での素敵なお客様方、何件かある行きつけのカフェのマスターやママたち、「最近おかしいぞ」と思いながらも(今のところは)続けての出演を許してくださっているライヴハウスの店長さんたち、・・・、こうした人たちの「有難い」そして「支え」があって、愛間純人の音楽活動が続けられている。

 

昨夜のライヴ、同日出演者には出演順に、石井直樹(Vocal & A.Guitar:20分)さん、ゆのみ(Jazz Unit -T.Sax & A.Guitar:30分)さん、私を挟んで、ひろし(Vocal & Synthe.Guitar:50分)さん。音楽としてもステージ・スタイルとしても楽しい一夜でもあった。

御一緒した出演者の皆様にも感謝、感謝(上の写真:ひろしさん、石井直樹さん)。

 

こうして、昨夜のライヴもまた、様々に意味の濃い、好い(よい)一夜となったと思えていることが何よりの証ではないだろうか。

 

あっ、そうだ!

新作CDアルバム「ココロノササエ」のCDの盤がプレスされて昨日の朝に届いたので直ぐに10枚ほどだけ梱包して、昨夜のライヴで販売しちゃいました。

定価1800円(税別)だけど、ライヴ会場では、ぴったんこ1500円!

お買い上げ、ありがとうございました。

「これで生き延びれる〜(汗・笑)」

 

このアルバム「ココロノササエ」は、『自信作です!』・・・手前味噌で恐縮だが、良好な音で収録されてますよ!

 

早く「スランプ」脱出を・・・と思ってもしまうが、どうやらもう暫くは「もがき続けよ」と音楽の神様が言っているらしいので、もがいてみることにする。歩む足は停めない・・・。

 

*この下にも昨夜の写真をアップしてます。

(私の演奏中の写真は、石井直樹さんが撮影してくれました!)

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2017年

4月

01日

「心が折れそう」は貴重なチャンスに!

このブログでは、そのタイトル(表題)に関わらず「生き方のヒント」になればとの思いで、「物事の捉え方」、「思考や行動」と「その姿勢」も、ときにエッセンスとして盛り込ませてもらっている。

 

特に最近は、どうやら、19歳・20歳代前半の若い方たちにも読まれているようなのだ。

直接コメント欄には書きにくいらしく、「メールボックス」へ感想やら相談事をお寄せいただくケースが増えている。それも、何かに悩んでいたり、困っているときにお寄せいただいている場合が多いように感じる。

 

で、今回のブログは、最近になって多い相談事(特に19歳・20歳代〜30歳前半の方)にお応えするつもりで書かせていただく。

 

自身もこの2ヶ月ほどは経験したことのないような「大スランプ」に陥っていることを、このブログに記した。それでも、「どう受け止め」、日々を「どう過ごして」、ライヴなどCD製作など音楽活動を「どう挑んで」いるかも同時にブログに書き記している。

 

が、これらが、「ライヴ報告」にあったり、「今日の一曲」にあったりで、散りばめられているので一度には読みづらいらしい。

そこで、これらをまとめながら、お寄せいただいている相談事にお応えしよう。

 

人間、そりゃぁ失敗もするし、後悔してしまうようなこともしでかす。自身が予期しないような思い通りに進まないことにも出くわす。でも、これは、何かを前に進めようと思って行動を起こした人だけが「得られる貴重な体験」だとも言える。

確かに、「心が折れそう」な嫌な思いは誰もがしたくない。でも、私は、「その人に起こるべきして起こっている」と考える。

少々、残酷か。いや、愛情をもって言い表している。

 

現在の私も、「起こるべきして大スランプに陥っている」のだ。この2ヶ月ほどはライヴを終える毎日が「心折れそう」になって帰宅するのだ。先日の『ほっと楽しやハートライヴ(第10夜)』では少し前に進めた感もあって「小スランプ」くらいにはなった。ま、でも、スランプから脱したとは言い切れない。

9年半の病気で、2度社会から完全にリタイヤした時のことも「起こるべきして起こった」のだと感じている。これらと現在も向き合って日々を過ごしている。

 

お待たせ・・・以下、①〜⑧にまとめる。

 

①先ずは、何が起きているのか(何が起きたのか)を「静観して眺める」ことだ。冷静に物事を見つめる時間を一日に15分〜20分でも良いから作る。「マインドフルネス」(欧米化した瞑想のひとつ)も役立つようだ。

 

② ①で原因の分析をする必要がある場合もあるとは思うが、「原因」ばかりに囚われ過ぎないようにする。「原因」ばかりを探っても解決には至らないことを知っておこう。このことは、とても重要だ。

 

③あらためて、どう「なりたいのか」、どう「なる」ことを自身が望んでいるのか、自身に問い、「なる」べく「目標と姿勢」を明らかにする。

(何か紙に書き留めるのが良いと勧めている書籍が多くあるが、私も専用のノートに書き留めている。)

 

④ ③にむけて、日々一日一日、あるいはその瞬間、瞬間、「小さな行動を実行」する。

「小さな・・・」とは、「少しだけ高くしたハードル(課題)」を③より手前の目標として置いて「実行」するということだ。

簡単に言うと、「出来ることからやる!」ということだ。

(私は、日々の体調管理、歌やギターの練習時、ライヴ本番で、「少しだけ高くしたハードル」を必ず設定して、これを目標に「小さな行動を実行」することにしている。)

 

⑤ ①〜④を「決して慌てずに」丁寧に繰り返し続ける。そうすると必ず習慣化する。「慌てない」ことは、自身を責め過ぎずに「自分にやさしく」という意味もある。

物事を慌てず少しずつ進めることが「自分にやさしく」にも繋がる。

 

⑥ ①〜⑤での最大の注意がある。このとき、これだけに執着し過ぎてはいけない。「広い視野」を心掛けて、常に自分の「知らないこと」も少しずつ学ぼう。

ここでの「知らないこと」とは単なる情報ではなく「思考を学ぶ」ことだ。(現在の私なら、音楽のこともだが、一方で、心理学と行動科学、マーケティングを勉強中。でも少しずつだ。)

 

⑦「心が折れそう」は、「次へ進むための貴重なエネルギー」だと捉える。

 

⑧ 前へ進むとは、「また失敗を経験する」、「心が折れそうになる」という「貴重なエネルギーをもらうチャンスに出会える」ということだ。

だから、これを繰り返していれば「必ず進む」。「なりたい」目標へと「必ず近づく」。

 

「立ち止まる」ことは時として必要だと思う。が、「恐れて何もしなくなる」ことと一緒にしてはならない。「恐れて何もしなくなる」は、現状維持どころか後退するばかりだよ。これは私が経験・立証済みだ(笑・汗)。

 

以上、自分自身に日々言い聞かせていることを、「思考の整理」に役立てる意味でも、まとめさせていただいたというわけだ(笑)。

いくらかばかりでも御参考になれば、幸いです。

 

*追記:

しまった!一度このブログをアップしてから重要なことを書き忘れていたことに気が付いた(汗)。ゴメンなさい。⑨として追加する。

 

⑨「心が折れそうになる」という体験は、一旦は「痛み」に感じることであって、この「痛み」を感じることは悪いことではない。

が、一人で孤独にこの痛みを抱えてはならない。信頼のおける誰かに痛みの一部だけでも良いから話を聞いてもらうことだ。

他人に話を聞いてもらうことは、とても重要なことだ(ただし、他人に意見を求めたり、同意を求めたりはしてはならない)。

 

あらためて、好き(よき)人生を!

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2017年

3月

29日

今日の一曲㉖:渡辺貞夫「PETIT VALSE POUR SASAO」(アルバム「モーニング・アイランド」より)

「今日の一曲」の第26回目。今回は、渡辺貞夫、アルバム「モーニング・アイランド」から「PETIT VALSE POUR SADAO」を紹介しながらのお話。

 

紹介のアルバムは1979年に出されたLPレコード盤だ。

渡辺貞夫の音楽というと、親しみやすいメロディ・ラインとポップなリズムとアレンジで、ジャズ系・フュージョン系と呼ばれる音楽を日本の広く大衆に近づけてくれた、その入口を切り開いてくれた人かと、個人的には思う。

当時の日本で、アルト・サクスフォンやソプラニーノ(高音域のサクスフォン)を操るジャズ系のサクスフォン奏者と言えば渡辺貞夫だった。ただ、ライヴであったり、このアルバム「モーニング・アイランド」でもそうだが、フルートの楽曲にも手掛けて奏でみせるようになった。

 

ここからは私的な見解であって異論もあるかと思われる。そう思われた方には恐縮ながらご勘弁を願って書かせていただく。決して批判ではない。愛情表現だ。でなければ、「今日の一曲」として紹介しない。

渡辺貞夫は、やはりサクスフォン奏者だ。フルート奏者としての演奏そのもののクオリティは(当時)第一人者とまではなっていない。僅かにではあるものの、不安定さ、たどたどしい一面が演奏の中では覗かせる。

 

でも、今回ここで紹介する曲「PETIT VALSE POUR SADAO(サダオのための小さなワルツ)」はフルートで演奏した曲だ。

「ナベサダ(渡辺貞夫の愛称)」ファンからすれば、ラテン・パーカッションに乗せたサクスフォンの楽曲を好む人の方が多いかと思う。私も「ナベサダ」のこれらの楽曲が好きだ。

が、あえて・・・フルートとそのバックにアコースティック・ピアノ、薄っすらとストリングスが鳴るこの静かなスローテンポの曲を取り上げる。

 

以前、同じく「今日の一曲」で「ハーブ・アルパート」の曲を紹介したが、その頃とほぼ同時期に手にしたLPレコード盤だ。千葉県船橋市と習志野市の境辺りの四畳半一間のモルタル木造アパートに初めて一人暮らしを始めた頃のことだ(笑)。

やっぱり行きつけになった食堂の元気なオバチャンの姿が想い浮かんでしまう。どんなに励みになったか。

夜遅くに、四畳半一間の部屋で一人、ヘッドフォンをしてこのアルバムを聴きながらそのうちにB面に盤を反して、その2曲目を静寂を感じて聴いた記憶がよみがえる。少しだけ大人へ背伸びして魅せたような錯覚をもちながらであったかも知れない。今から振り返ると、そんな恥ずかしさにも笑える。

 

義務教育を含め10年半も学校のお勉強が苦手で背を向けていたヤツが、高2生の夏過ぎてから生き方を変えようとする中で大学受験の勉強にも必死で取り組んだ。奇蹟的に合格。が、入学すると、時間を掛けて身に着けてきた学力ではなかったためか、大学での内容がとても難しく感じて、「さっぱり解らない」という講義も少なくなかった。元々の劣等生には、「何とか出来るはず」という自信がまるでなかった。

 

が、私のラッキーは常に人間関係だ。

「もうダメかも・・・」というギリギリに追い込まれた時に、必ず支えてくれる人が現れる。あるいは、近くにいることだ。

当時の大学生活では、同級生で頭も良く人間的にも優れたヤツが友人と呼べる中に一人にいてくれた。もう一人、一つ上の先輩女子で時折り声を掛けてくれる親切な方がいて小柄な方だったが心の器の大きい人がいてくれた。当時の私には二人とも「救世主」か「女神」か、という存在だったと言える。

 

私は優秀な頭脳もないので、こうした「救世主」や「女神」にはなれないが(まぁ「女神」はどうにも無理か(笑))、せめて、他人の困り事や悩んでいること、心の騒めきを、少しでも耳を傾けて気付いてあげられるような人間になりたいと思ったのは、この頃だ。

「自分にして欲しいことは他人にしてあげたいと考える」ものかと・・・。

 

でだ・・・、「ナベサダ」に戻る。

「ナベサダ」というと、私の中では、静かなフルートの楽曲であるこの曲が一番深く印象にあるのだ。自分でも不思議だ。

音楽を聴いていると、その演奏テクニックや技量に惚れ込むこともあるが、「それだけではない」と感じることも多々ある。テクニックや技量だけに注目すればそれは僅かながら「不完全」に感じても、説明できない何かに魅力を感じ、引きつけられる音楽や演奏に出会うことがある。一つ言えるのは、「きっと、人の心に寄り添う音楽」だ。

 

渡辺貞夫の「PETIT VALSE POUR SADAO」は、そんな当時の私の心に寄り添ってくれていたのかも知れない。僅かながら不完全であるかも知れないが、それでも心に寄り添う音楽、そんな「今日の一曲」を紹介させていただいた。

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2017年

3月

27日

ライヴ報告(ほっと楽しやハートライヴ・第10夜)

一日空いての更新になってしましい恐縮です。

3月25日(土)、あたたか音楽空間『ほっと楽しやハートライヴ(第10夜)』は予定通りOpen。ライヴ会場はいつもの東京・阿佐ヶ谷の「ライヴ小屋 Next Sunday」さんにご協力いただいた。

 

2年前の3月から始めて約3ヶ月ごとに開いてきた自身の企画ライヴが、いろいろな人との繋がりで、お蔭様をもって10回目を迎えることができた。先ずはこのことに感謝。

(ライヴの主旨等は当ホームページの「プロフィール」にもあるので省略させていただく)

 

さて、今回の第10夜は、「少し異色な組み合わせにし過ぎたかな?」と想いつつも狙ってみてのことだったが、会場に足をお運びいただいたお客様が皆、好い時間・空間を過ごそうとされていて、素敵なお客様ばかりだった。こうした素敵なお客様にも恵まれ、とても好き(よき)ライヴの一夜になったかと思う。

 

ゲスト出演者には、ピアノ・インストゥルメンタルの「山西理彩」さん、ヴォーカル&エレクトリックギターの「弥勒のマル」さん、ヴォーカル&アコースティックギターの「ひらげエレキテル」さんをお招きして、出演していただいた。

毎回そうだが、大した打ち合わせもないのに、それぞれの出演者がライヴの主旨を理解してライヴを確りと繋いでくれる。この夜も、まったく異なるジャンルの音楽を奏でながらも、ステージは確りと繋いで次々へとバトンを渡してくれた。

 

で、最後に、いつものことだが自身が出演する。だから、とても緊張してステージに立つのだよ。そうは見えないらしいが・・・(笑)。

しかも・・・少し前のブログに載せた通り、現在「大スランプ」で、直前まで、正直、ステージに立つのが恐くて仕方がないほどにまで陥っていた。こんな経験は初めてだ。が、「大スランプ」と向き合って準備してきた姿そのままも見て聴いていただこうと決心・覚悟した。なので、なんとか、どうにかこうにかステージに立っていたのだ(汗)。

 

本番、一つ音を奏でれば、目の前のお客様に、ただ、ただ、届けるだけだった。これは何も変わらなかった。客席は、本当に熱心に聴いてくださった。盛り立てていただいて、拍手もいただいて、感謝、感謝だ。

 

お客様の雰囲気と3人の出演者のライヴの流れから本番直前にある決断をした。本番のステージではリハーサルとは異なる曲目・曲順に変更して届けたのだった。これもよかったのかも知れない。

もちろん、PA(音響)担当がレコーディングでも一緒に組んでいる沢田さんだから出来たのだけれど・・・。ほらね、いろんな人に助けられいる。

 

ライヴを終えて、「大スランプ」から少し前に進めた気がした。

そう、またここへきて、「人生のよき学びをしている」と。

 

それと、嬉しい話を出演者のひとり「ひらげエレキテル」さんがしてくれた。この『ほっと楽しやハートライヴ』で知り合ったアーティストさんと一緒にライヴをやることになって、「Next Sunday」で開くことになったそうだ。両者とも、私がこの企画ライヴで「Next Sunday」に連れてきたので、この繋がりが拡がりをみせていることはとても嬉しく感じた。

 

この日、PA(音響)担当をしてくれた沢田さん、私の知り合いの妹というだけで受付を担当してくれたNさん、「Next Sunday」の、みやこ店長、スタッフの今中さん、出演者の皆さん、この一夜、時間・空間を共有していただいた皆様にあらためて感謝申し上げる。

本当にありがとうございました。

 

で、ライヴでは申し上げられなかったことを・・・

3ヵ月ごと開いてきた『ほっと楽しやハートライヴ』だが、しばらく間隔を空けることにした。次回の予定は現在のところない。第11夜が開けるようになったら「ライヴ・スケジュール」に載せます。またいつか、『ほっと楽しやハートライヴ』のライヴ会場で皆様と再会できればと存じます。

(*この下にも当日の写真をアップしてあるよ〜)

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2017年

3月

21日

ライヴを訪ねて「松濱正樹さんのライヴ」

右の写真がCDジャケットではあるけれど、「今日の一曲」ではないよ。タイトル通りの「ライヴを訪ねて」だ。

 

昨夜の20日(月・祝)もそうだが、先週、先々週から仲良くさせていただいている方々のライヴがあちらこちらで続け様にあった。昨夜については数人の方のライヴが重なってもいたり、自身のライヴ・スケジュールとも重なって、こうした方々のライヴを訪ねる機会が少なくなっていて、勝手ながら絞り込んで訪ねさせてもらっている。

ま、ライヴを訪ねなかったからと言って、嫉むような方は交流しているミュージシャンの中にはいない(笑)。

 

さて、昨夜は一つ訪ねることができた。

兵庫県を拠点に全国を廻りライヴ活動されている「松濱正樹」さんのライヴだ。半年ぶりに会った。

その半年前のときと同じ、国分寺市にある立ち呑み屋「立瓶」でのライヴを訪ねた。

安くて美味い一品逸品を口にしながら、正直、狭苦しい(立ち呑みだものな)カウンターに立って約1時間のライヴを堪能させてもらった。

 

正樹さんの声量からしたら、この広さ(狭さ)ならマイクも要らないのだが、一応、ギターもヴォーカルもマイクを通しての演奏だ。ただ、この店の音は前回も思ったことだが、とても良質に感じる。

前回の客たちは静かに聴こうという客ばかりだったが、むしろ、この方がこうした処では珍しいのだが、昨日は立ち呑み屋らしく適度にざわざわした中でのライヴになった。正樹さんの演奏は、そこにも上手に寄り添いながらも自身のスタイルを入れ込む。「お見事!」と感心させられた。

 

上の写真は、昨年12月にリリースされた正樹さんの新作アルバム「愛」だ(全14曲収録)。これをライヴ後の帰り間際に購入した。

「何としても一緒にライヴをしましょう」と、お互いに約束を交わして、この日は別れた。9月頃に実現したい。

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2017年

3月

19日

今日の一曲㉕:シベリウス「交響曲第2番」(カラヤン、フィルハーモニア・オーケストラより)

「今日の一曲」の第25回目。久し振りの更新になってしまった。2週間ぶりだね。

今回は、シベリウス作曲の「交響曲第2番」を紹介しながらになる。

手にしているLPレコード盤は、カラヤン指揮のフィルハーモニア管弦楽団(当時の名)演奏で、1960年録音のものを1977〜1978年当時の最新技術で再販したものだ。

 

十代後半から二十歳を迎える頃まで、何十回と、このレコード盤に針を落としたことだろうか。本当に随分とお世話になった。

 

これまでの「今日の一曲」にも書かせていただいたが、丁度この頃は、様々な音(サウンド)や楽曲・音楽スタイルが生み出されて、最も音楽が満ち溢れていた時代であった。若さもあってか、こうした進化・発展し続けるポップス、ロック、ジャズ、フュージョン、テクノ、・・・とあらゆる音たちを興味もって聴いていた。また、振り返ると、こうした音たちを聴くことができたことが、とても幸運に感じる。

 

が、何かと自身の精神に関わる出来事とともにあったのはクラシック音楽だったように思う。

中でも、今日紹介のシベリウスの「交響曲第2番」は一番にそうだった。

 

なぜ、「シベリウス」なのか?「交響曲第2番」なのか?この盤を購入したときのことは、まったく記憶にない。

確かに他にも北欧系の作曲家やその作品に少々の興味がある方ではあるけれど・・・。???

「今日の一曲」では、あまり楽曲についての蘊蓄などは語らないようにしているが少しだけ触れてみるよ。シベリウスは御存知かと思うがフィンランドの作曲家だ。最も代表的な作品は、交響詩「フィンランディア」。フィンランドの人々が「第2国歌」と称賛するほどの曲だ。

だが、この曲でもなく、今日紹介しているのは「交響曲第2番」だ。

「静けさ」と「優しさ」が徐々に拡がり、「大きさ」と「力強さ」へと、そのスケールの雄大さと、確固たるエネルギーを、この楽曲からは聴くたびに感じる。おそらく十代後半の私もそう感じていたに違いない。

 

さて、自身の想い描いた通りには必ずしも物事は進まない。今なら自身の「感情をコントロール」して、そうそう簡単には「心が折れたり」もせずに、「次へと進む」こともできるのだが、中学生、高校生の頃はまったくもって情けないほどに未熟だった。小学校入学以来、学校のお勉強が10年半の間お馬鹿であった私も、その後は人生を見直す出来事があって、「生きる日々の総てを無駄にしない」と決心して大学へも進学するが、なかなか生きるにはそうは簡単でもなかった。思考も精神もまだまだ未熟であったことは変わりなかった。

そんなでもあって多感な年齢の頃だ。「心が折れそう」、いや、「心が折れた」ということが度々起きていたように記憶している。

そんなとき、このLPレコード盤をレコード・プレーヤーに置き、ゆっくりと針を落とすのだった。

第1楽章と第2楽章は「まあ、静観して見つめ直せよ。」と。第3楽章は「はい、はい、顔を上げてそろそろ前を見ようか。」と。そして、第4楽章からは「少しずつ、でも力強く、確りと、歩き出しみろよ。」と言われているかのように感じるのだった。

カラヤンの指揮がやや速めのテンポでもあり、当時のフィルハーモニア管弦楽団の冷静かつ豊かな響きも加わって、余計にそう感じたかも知れない。

 

未熟な若き10代後半を、支えて前に歩ませてくれた一曲、シベリウス作曲、「交響曲第2番」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

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2017年

3月

16日

ライヴ報告(「日吉Nap」ありがとうの日)

30分以上のライヴだけでも何とか「ライヴ報告」を欠かさず載せたいと思っている。だが、1週間も過ぎての更新となってしまい、申し訳ない限りだ。

 

言い訳だが・・・新しいCDアルバムの制作が大詰めであったり、3曲ほど演奏のライヴが連日であったり、こちらが後回しになっている。まあ、音楽屋さんなのであってブロガーではないので、できればお許し願いたい(汗)。ダメ?

 

さて、ご報告のライヴは、3月9日(木)、「日吉 Nap」さんでの「ありがとうの日」と題してのライヴだ。これに出演させていただいた。

 

この日の出演者は出演順に、ヴォーカル&アコースティック・ギターで、「KAZ☆SINGING」さん、「葛西正志」さん、続いて、珍しい胡弓の演奏で、「与重安蕉」さん、そして4人目として私。

 

出演者それぞれ、ライヴのスタイルや演奏は勿論のこと違いもあって個性際立つライヴの一夜になった。が、それよりも、出演者どの方からも日頃からの音楽に対する真っすぐな向き合い方がステージ上で表れていて、自身の出番までの間に客席に居ながら、それらを感じ取れて、とても心地好い時間を過ごした。

 

最後の登場となった私めのライヴも、客席は熱心に耳を傾けていただいた御様子。皆様、ありがとうございました。

 

でも、自身では納得できる内容の演奏ではなかった。情けないが、そして、失礼ながら、「ごめんんさい」と言わざるを得ない。

もう、この1ヶ月ほど、自分の中では、これまでに経験したことないような不甲斐無い演奏をしてしまっている。「大スランプ」に陥っている。・・・そう思っている。まったくもって、自身に何が起きているのか見当がつかない状況なのだ。だから、「スランプ」なのだと思うのだが・・・。

この日のライヴ後は、他の出演者の方たちとも、あまり言葉を交わせないほどで、心折れながら、心で泣きながら、帰宅の途についた。

 

・・・と、男性がネット上にこうした内容を(泣き言等)載せると、さらに評価が下がるという研究データがあるそうだが(汗・笑)。

 

「大スランプ」も何か意味があって起こっていることなのだろう。

解決策が見当たらないのだから、とにかく日々、やれることを積み重ねるしかない。ただ、ただ、・・・だ。

練習も、ライヴ本番も、その他の時間を過ごす時も。

 

なんちゃって、心の奥底の何処かでは、「誰か助けてくださ〜い!」と、何かの映画ワンシーンのように叫んでもいるのだが・・・(汗・笑)。

 

3月25日(土)には、自身がプロデュースのライヴ『ほっと楽しやハートライヴ(第10夜)』もある。

「大スランプ」とも確りと向き合いつつ進むしかないな。

そう、逃げている暇はない。

「向き合って進む」のだ。

さあ、愛間純人、「大スランプ」と、どう向き合い乗り越えようとしているかの様を、よろしければ、お聴きいただきたく、ライヴ会場に足をお運びいただければと存じます。

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2017年

3月

05日

今日の一曲㉔:ビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」

「今日の一曲」シリーズもPCの不具合もあって少し間隔が空いてしまった。第24回目になる今回は、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」だ。

 

以前にも「今日の一曲」の中で、ずうっと学校のお勉強というものが嫌いで苦手で、加えて向上心も薄く、高校進学もどうにかこうにか。そんな馬鹿者も高校2年生の夏過ぎたくらいから「高校生活の全てを無駄にすまいと」決心して、学校のお勉強も熱心にするようになったと、書いた。

 

超馬鹿者だったくせに・・・?、いや、超馬鹿者だったから、メチャクチャ勉強したのだ。それで大学に進学する。それも、当時最先端を行く分野だ。統計学やコンピュータ・プログラミングによる解析を中心とする学科へと進んだ。

アハハ・・・、これは誰も知らなかったのでは?想像すらできない?

 

年中、何時も、学内も学外も一緒にいるような仲間も割とすぐにできた。その中の一人、「タツヤ」とは、特に何とも説明ができないのだが、とにかく波長が合った。

タツヤはギター(アコギ)が上手かった。

彼がギターを弾く姿に刺激されて、少しだけギターを触ってみたくなって、簡単なコードの押さえ方やシンプルに繰り返すだけのスーリー・フィンガーくらいを時々教えてもらった。

石川啄木の詩を愛していたりの文学的な青年かと思えば、まぁ、生活全体はゆるく、仲間どうしの約束に時間通りに現れたりはしないし、製図の課題は定規も使わずにフリーハンドで描いても平気だった。これもある意味文学的か(笑)。それでも、周囲の誰もがそんな彼に人間的な魅力を感じていた。

きっと、ただのお気楽屋ではなかったという面もあったからだと思う。世の中や自身に起こる様々に、常に、「なぜ?」、「どんな意味があって?」を抱いているような彼とは、人生のあんなこんなを、一緒に過ごす少しの時間にも語りあったものだった。親友というべき存在になっていった。

 

タツヤは岡林信康から吉田拓郎などの日本のフォーク音楽にも詳しく、彼の自宅に遊びに行くと、そのあたりのレコード盤を度々聴かせてくれた。

ある時、彼には珍しく1枚の洋楽のLPレコード盤ジャケットを私に差し出した。そして、それを聴かせてくれた。ビリー・ジョエルのアルバム「ニューヨーク52番街」だった。

「これは好い!」と言う。タツヤにしては珍しい言動だった。いつもなら聴かせておいてから、「どう?」と控えめに感想を聴くのが慣わしだったからだ。

既にアルバムが発売されてから2年近くは経過していた頃のことだ。耳にしたことがある曲も収録されていたが、手に入れようとまで思うことは確かにそれまでなかった。で、聴かせてもらったこの時も、正直ピンとはこなかった。

 

が、タツヤのこの時の珍しい言動がいつまでも頭の中に残っていたからだと思う。さらに2ケ月程過ぎてからだったか、自身でレコード店で購入した。

当時は、ディスコ・ミュージック、テクノ・ポップも含めて、シンセサイザーの発達で電子楽器を多用したサウンドが溢れはじめていた頃だったが、このアルバムに収録された音たちは、それらとは一線を隔していた。

さらに月日は経過する。熱を帯びることもなく繰り返して聴くだけだったがそのうちに、ようやく、そんなことを感じるようになった。「頑固なほど時代に流されることない存在感ある音」に、やっと気付かされたのだった。この瞬間から、お気に入りのLPレコード盤の1枚になった。

 

振り返ってのことだが、一人の親友の深い感性が「なぜ?」、「どんな意味あって?」を問いかけ続けてくれて、私の感性をも磨いてくれたように思える。

 

さて、大学を卒業してから1年くらいの間は彼との交流も続いていたのだったが、突然、その後はパッタリ・・・。タツヤの居場所さえ不明のまま。探したが見つからない。何があったのだろうか? それとも、彼の自由気ままな部分が優先されて何処かで勝手に過ごしたくなってのことだろうか?

まさか、ニューヨークに居るなんて・・・ことはないだろうな(笑)。

 

親友との想い出と共に存在感ある音のアルバム、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

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2017年

3月

02日

ライヴ報告(阿佐ヶ谷「Next Sunday」で)

続けて、あらためてお詫び申し上げます。PCの不具合もあってブログが更新できずに、「ライヴ報告」も大変遅くなってしまっている。

今回は、2月24日(金)のライヴ報告だ。

東京・阿佐ヶ谷にある「ライヴ小屋 Next Sunday」さんに出演させていただいた。

出演順に、「藤原雄二」さん、でもって私、次が「村松飛鳥」さん、「涼夏彩」さんという顔合わせでのライヴとなった。

 

前日の「日吉Nap」さんでのスリーマン・ライヴもそうであったが、この日も、ヴォーカル&アコースティック・ギターで奏でる4者ではあったが、これまた表現方法がまったく異なる面白さが際立ったライヴの一夜になった。

まぁ、前日よりは全体的に上品だったかな?・・・って、前日が下品で悪かったとも言っていない。前日分の「ライヴ報告」を読めばお分かりいただける。

で、この日はこの日で、大変、楽しゅうございましたよ(笑)。

 

自身のライヴ中も、他の出演者のライヴを客席で聴くも、とても楽しい一夜だった。

ライヴ後も、出演者どうしで様々と話題があちらこちらに飛びながらも、やはり音楽中心の話題で、「こいつら(おっと失礼)、よほど音楽が好きなんだな」と思いながら楽しく会話させてもらった。

 

が、自身のライヴについて、楽しくもライヴをさせてはもらったものの、自身の中では全くもって不出来な演奏であった。客席はそう感じなかったらしいのだが、なんとも自身の胸の内は穏やかではいられないような最悪とも言えるものであった。これが原因の掴み切れないような事でもあり、厄介なことに陥っているところだ。

 

・・・と、このように、弱みや、不甲斐無さ、泣き言等をネット上に載せると、女性が載せた場合は、フォローをする意見や前向きなアドバイスも得られてその後も周囲からのサポートが強化される。一方、男性が載せた場合は、周囲からの好感度や評価が下がってサポートする人間が離れていくという研究データが明らかになっているらしい。

実際、そうだと誰もが思うだろう。

 

なので、これ以上の中身は書かない(笑)。ま、愚痴にしかならないからね。

とにかく、翌日から早速、練習中も生活全体を通しても、技術的な面、マインド的な面、あらためて自身と向き合って再チェックし直して取り組めることから取り組んでいる。

 

何度も痛い目に遭いながら、これらを乗り越えてきたオジさんも、しばしばやってくる試練に心痛めて逃げ出しそうにもなるのだよ。

が、ただでは済まさない。

「一歩進んで二歩さがる」という感じも「進化」の一つと受け止めている。少々の楽観さは必要と考える。

 10分~15分の出演ライヴも含めると、日々、次々とライヴをこなす毎日だ。やれることは完全でなくてもやってみて、一歩でも半歩でも進むのだ。「前進、前進」、それだけだ!

 

この一夜も共に過ごしてくれた皆様にあらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。

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2017年

3月

02日

ライヴ報告(「日吉Nap」でスリーマン・ライヴ)

PCの不具合もあってブログへのアップが大変遅くなってしまった。

今回は2月23日(木)の「ライヴ報告」だ。

 

横浜は日吉にある「日吉Nap」さんに出演させていただいた。

出演順に、「夢路」さん、「あおいあお」さん、で、私と、スリーマン・ライヴとなった。

ヴォーカル&アコースティック・ギターで奏でる3人ではあるが、その表現方法、発信される音楽はまったく異なるもので、3人の個性が色濃く表れたライヴであったかと。

加えて、その人の姿勢であったり、覚悟みたいなものであったり、人となりなるものは、ステージ上で確りと表れるものだなぁ〜と印象付けられるライヴでもあったかと思う。

まぁ、とても、とても、楽しゅうございましたよ。

 

この日は、横浜方面は急に気温が20℃ほどまで上がったとか。自宅を出るときはコートにマフラーまでして出たのに、横浜方面に近づくほどにマフラーを外して更にコートも脱ぎたくなるくらいだったが、手元が荷物で増えてしまうので仕方なくコートは前側だけを開けるだけにして我慢した。

 

と、暖かな陽気でオジさんの身体全体は楽になるのだったが(笑)、僅かに花粉症の症状が・・・(汗)。喉のイガイガ感に加えて鼻水が出はじめた。

花粉症のこの時期、お客様側では歌声の違いもあまり感じないらしいが、歌う側は正直少々歌いにくい。が、この日のライヴは、そこまではにはならず、まずまずだったかな。

 

さて、ライヴ後も3人とマスターを交えて音楽談義。自身らの音楽活動経験やら、何故か80年代ころの音楽やミュージシャンを話題に、これもまた興味深い話題と共に楽しい交流の時間となった。

 

好い(よい)一夜になった。

この日に出会った全ての方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

(*この下にも写真があるよ)

(*続けて、2月24日(金)の「Next Sunday」さんでのライヴ報告を)

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2017年

2月

16日

今日の一曲㉓:F・シュミット作曲「ディオニソスの祭り」(パリ・ギャルドより)

「今日の一曲」の第23回目。『イチ推し』の一曲を紹介する。

 

紹介の音楽もその時代も、それにまつわるエピソードも、時系列に順序良くは並んでおらず、あちらこちらと飛び回りながらで恐縮ではあるが・・・、今回もそうなる(汗)。

 

第11回目では、指揮者ミュンシュとパリ管弦楽団から「フランスの音」について、第18回目では、現代音楽作曲家の作品への興味から「吹奏楽曲」を、第19回目では、「フランス式とドイツ式のクラリネット」に触れた。

 

これらのことが重なってのことかと思う。この曲と出会うべくして出会った感じさえする。大げさか・・・(笑)。

 

今回、第23回目では、フランスの吹奏楽曲として『イチ推し』の曲を紹介させていただく。

F・シュミット作曲、「ディオニソスの祭り」、通称「パリ・ギャルド」こと「ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団」の演奏のものだ。

作曲者と楽曲、演奏者、そのすべてが「フランス」だ。

 

吹奏楽ファンなら御存じの曲ではないだろうか。

 

20世紀初頭のフランスの作曲家フローラン・シュミットが、「パリ・ギャルド」による演奏を想定して書き上げた曲、それが、「ディオニソスの祭り」だ。

ギリシャ神話に登場する「酒の神・ディオニソス」の話をモチーフにしたらしいが、ユーモアさ、静寂さ、熱狂ぶりが描写された作品だ。まぁ、このあたりの蘊蓄は専門家に任せよう。

 

私的には、楽曲が表現する音たちに、「フランス語言語の発音やリズム」、「フランスの文化」の匂いを感じる。

この楽曲を、フランスを代表する吹奏楽団「パリ・ギャルド」が演奏することで、特に、木管楽器群は、クラリネットもフランス式、低音木管楽器の一つもドイツ式のファゴットではなく、フランス伝統のバスーンで演奏されている。まさに、「フランスの音」が鳴り響いてくる音楽だ。

今、興奮して書いているのが分かるかな(笑)。

珍しく楽曲や演奏者の紹介が長めだぞ(笑)。

 

さて、この曲との出会いは、「今日の一曲」シリーズをここまで読まれてきた方は想像がつくかと思う。社会人1年目、2年目に痛い目に遭った後に廻ってきた幸運で、まだまだ若く未熟者ではあったものの、徐々に社会人として自信を持ち始めた頃だ。充実した日々が感じられるまでになっていた。

 

はじめは、吹奏楽コンクールで優秀な成績を受賞した学校や団体の演奏を収録した当時はLPレコード盤があって、その中で、「ディオニソスの祭り」という曲を知った。楽曲について調べると、なんと、「フランスもの」ではないか。当時までに培った音への興味と一致したのだった。

が、コンクール用に演奏されたものは、曲の一部をカットしたものだということを、少し経ってから知った。で、カットされていない全曲収録のものをレコード店をウロウロと探し廻るが、なかなか見つからない。現在のようにインターネットなるものがあれば、直ぐに、手が尽くせたであろうに・・・、残念。この時は手にすることができなかった。

ラジオで聴いたり、その後もコンクール演奏の「ディオニソスの祭り」を聴く機会はあったが、レコード盤を手に入れることはできなかった。

ただ、「パリ・ギャルド」の演奏のものがあることが調べて分かり、何がなんでも、これを聴きたいという想いだけは増していた。

 

時はあっという間に経過する。時折、レコード店に立ち寄る度にチェックはしていた。もう、そのほとんどは、LPレコード盤ではなくてCDが店頭に並ぶようになっていた。

お目当てのLPレコード盤ではなくその復刻版としてCDになった盤が2003年に出された。それを、ようやく手に入れた(上の写真)。10年以上が経過していたというわけだ(笑)。

 

2003年というと、病気はすでに発症していた。

暗くならないで欲しい。現在は元気なのだから。

何とか身体をごまかしながら新しい仕事にチャレンジしていた・・・つもりであったが、限界は目の前で、社会からの最初のリタイヤが待ち受けていた。

 

それでも当時、このCDを聴きながら(バッハの「トッカータとフーガ」なども収録されている)、そして、すべてがフランスの音で奏でられた「ディオニソス祭り」を聴いてはワクワク出来たように思う。

日々の充実感を感じながら若さに任せて仕事をしていた頃の記憶とも重ねていたのかも知れない。

このときに、自分自身にも、身近な周囲の人たちの想いにも、もう少し深く寄り添うようにしていたなら、厄介な病気を招くこともなかったのかも知れない。現在から振り返ると、そう感じる。

 

さらに時は進んで、現在。変わらずこの曲は、大のお気に入りの一曲だ。何度もクドイが(笑)、なんてたって、「フランスの音」が詰め込まれているのだから!

 「フランス」と「独創性」と「吹奏楽」を堪能するなら、『イチ推し』の一曲であることは間違いない!

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2017年

2月

11日

今日の一曲㉒:ビー・ジーズ「失われた愛の世界(Too Much Heaven)」

「今日の一曲」の第22回目。

前回(第21回目)からの流れそのままで、続けて洋楽を。

Bee Gees(ビー・ジーズ)の「Too Much Heaven(失われた愛の世界)」だ。

 

同級生の素敵な女子のお蔭で洋楽を聴くようになって音楽の世界が拡がった中学生も(前回の続きより)、どうにかこうにか高校に進学する(汗)。中学校を卒業して社会で働く覚悟など到底持ち合わせてもいなかったが、高校へ入学する然したる目的も本当のところはなかった。

・・・という自覚さえもなかったのかも知れない。こうするしかないという漠然とした高校生活が始まる。

 

「今日の一曲」では、これまで、矢野顕子、坂本龍一、山口美央子の音楽に触れて「テクノ・ポップ」について取り上げたことがあったが、その2〜3年前のことだ。日本でも、欧米でも、「ディスコ・ブーム」が湧き起こる。当然、音楽界は、「ディスコ・ミュージック」、「ディスコ・サウンド」で、にぎわっていた。

 

高校時代は、この頃だ。

 映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が上映ヒット。Bee Geesもアルバム「サタデー・ナイト・フィーバー」がサウンド・トラックのLPレコード盤としては異例の大ヒットに。

 

と、世間があまりに騒ぎ立てるものに直ぐには喰い付かない。当時から、この少々ひねくれた性質(性格)を身に着けていたらしい(笑)。

 

このLPレコード盤には手を出さずに、この後のBee Gees が音楽アルバムとしてスタジオ録音した「失われた愛の世界(日本タイトル)」(欧米タイトルは「SPRITS HAVING FLOWN」のようだ)を求めてレコード店へ(上の写真)。

 

アルバムに収録された曲は、それでもディスコ・サウンドのものが目立ってもいるが、これらのディスコ・サウンドの曲もご機嫌な楽曲であったせいか、むしろ、A面の2曲目に収録されたバラード風の曲に耳が奪われた。

「失われた愛の世界(Too Much Heaven)」だ。

 

このLPレコード盤を買って知ったことがあった。この曲は、国際児童年のユニセフ・コンサートの出演に併せて、この曲によって得られる印税をユニセフ基金に寄付するというものだった。

 

アホな高校生も(何度も書いてしまうが、ホント、アホだったのだよ(笑))、少しだけ社会や世界で起きていることに関心を向ける一つの切っ掛けになった。音楽が人々の精神に響いたりして影響を与えるだけでなく、ビジネスとして経済的にも社会貢献になる手段になり得るのだと・・・。

社会や世界で起きている色々な出来事に、そんなことを感じて考えるようにもなったのは、この曲の存在と役割りを知ったことに始まったと記憶している。

 

高校生時代に様々なことが目の前で繰り広げられることになるのだが、高校2年生の夏過ぎてからだ・・・。

高校生活を、「決して無駄にすることなく一生懸命に生きよう」と心に決めたのだった。まだまだ甘っちょろかったかも知れないが、学校の勉強も、部活動も、「自分ができることを精一杯」との思いの高校生へと変わっていくのだった。

詳しい事の成り行きは、今後また何かのときに触れることだろう。

 

16歳、17歳、まさに大人の階段を、誰もがこうして一段一段ずつ昇っていくのかと、今、「失われた愛の世界(Too Much Heaven)」をレコード・プレヤーの針を落として聴きながら、当時を振り返っている、・・・そんな「今日の一曲」を紹介させていただいた。

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2017年

2月

09日

今日の一曲㉑:クイーン「ボヘミアン ラプソディ」

「今日の一曲」の第21回目。

ここのところ、クラシック音楽(しかも古典もの)が続いたので、今回は、イギリスのロックを紹介させていただく。

 

もう多くの方がご存じであろうQueen(クイーン)の「BOHEMIAN RHAPSODY(ボヘミアン・ラプソディ)」だ。

Queenの4枚目のアルバム「A Night At The Opera(オペラ座の夜)」に収録された曲だ。CDになって復刻盤が出されてもいるが、正真正銘のLPレコード盤のものだ(上の写真)。何?少し偉そうにして・・・(笑)。

LPレコード盤ではB面の4曲目に、この曲はある。

 

皆様の多くがご存じなので、今更、Queenについても、「BOHEMIAN RHAPSODY」そのものについても語らないが、私的にはやはり外せない一曲になる。

 

中学生時代だ。

勉強もできて、運動もできて、美人で・・・というような女子が同級生にいて、少し憧れていた。その彼女が洋楽を好んで聴くということを、当時、クラス内で班日誌というのがあって、たまたま彼女と同じ班になったことから、その班日誌なるものに書いてあるのを読んで知った。特にカーペンターズが好きだったらしいのだが・・・。

 

中学生男子だ、わかるだろう。誰もが憧れるような存在の女子が洋楽を聴くとなれば、否が応でも好奇心はそちらに向かう。ホント、中学生男子なんて幼くてアホだなぁ〜。あっ、失礼、私がそうだったということだな。

で、洋楽を聴き始めた。

笑えるか・・・、当時の本人は真剣だ(笑)。

 

 

土曜日の昼過ぎと、もう一つは夜だったように思うが、洋楽のベストランキングなどを紹介するラジオ番組があった。当時だから、「ラジカセ」だ。

現在ならスマートフォンを親にせがんだりするのかも知れないが、当時は中学生になったら、「ラジカセ」だ。そのラジカセで、ほぼ毎週欠かさず聴いていた。

カーペンターズ、ジョンデンバー、ベイシティローラーズ、オリビアニュートンジョン、ジョンレノン、ポールマッカートニー、ビージーズ、エルトンジョン、イーグルス、少し後だが、キッス、アバ、スティービーワンダー・・・・などなど、沢山の音楽に触れることができた。

それまでは音楽を聴くとなれば、クラシック音楽ばかりが中心で、日本のフォークや歌謡曲を少し聴く程度だったので、当時のラジオからの洋楽探索は大いにそんな中学生を刺激してくれたと思う。

 

中でも、印象的であったし、刺激的であった音楽が、Queenの「BOHEMIAN RHAPSODY」だった。それまで聴いてきた音楽とは明らかに違って聴こえた。

「えっ?・・・これロック?」というような曲の冒頭部分に引きつけられて、やがて、「おお、ロックだ!」という後半に入る。新鮮だったのもあるが衝撃的に聴いた記憶がある。

 

ラジオでは何週にも渡って1位にランキングされていたが、曲が長めで一曲まるごとはなかなか聴けない。小遣いを貯めてから、ようやく手にしたのが、この曲が収録されたアルバム「A Night At The Opera(オペラ座の夜)」だった。

 

そのうちに、昼休みの校内放送でも、放送委員会が校内の音楽ランキングを流すような企画が設けられて、Queenのこのアルバムの中の曲も「BOHEMIAN RHAPSODY」をはじめ、校内に流れるようになった。

 

中学時代の学校のお勉強となると、音楽と美術の成績は良く、体育は種目によって良いときもあったが、他の教科は・・・えへへ(汗)。

そんなだったが、英語だけは少しでも勉強したいと思って授業中を過ごした。

洋楽のお蔭だ。

いや、違った、何もかも万能だった少し憧れた女子のお蔭だな。

 

どうだ、オジさんにも、ほのぼのとした中学生時代があったのだよ(笑)。

 

が、真面目な話だ。英語だけでも勉強したい気持ちで授業中を過ごそうと、中学校に通っていたことは、ある意味、幸運なことだったと振り返る。

人間、十代くらいの年齢だと大抵がただ安易な方に流れる。少し苦手だと感じるものがあれば簡単に逃げてしまうものだと思う。ほとんどの者はそんなものだ。

だから、小学校や中学校、もしかすると現代の社会では高校もだと感じるが、学校というところは、もっと、もっと、生徒と先生が意思を疎通させながら触れ合って学べる場であるべきだ。先生も事務作業に追われて忙しいらしいが・・・。生徒も、「生き方」の何らかを指し示す大人は周囲におらず、自らへの向上心が薄れているらしい。闇雲に生きている中学生・高校生が多いのでは・・・?

ここで、教育論を述べるつもりはないので、そろそろ止めておこう。

 

ま、学校の勉強はあまり好きではなかったが、中学時代、学校は居心地の悪い場ではなかったように思う。洋楽にも興味をもてたし・・・(笑:素敵な女子のお蔭だけど)、それで音楽の楽しみ方がずうっと拡がったわけだから。やはり、幸運だよ。

 さて、少しだけ甘酸っぱい感情と共に、刺激と衝撃を印象付けた音楽、Queenの「BOHEMIAN RHAPSODY」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

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2017年

2月

06日

今日の一曲⑳:ハイドン作曲「弦楽四重奏曲 作品64の5(ブダペスト弦楽四重奏団より)」

「今日の一曲」も第20回目になった。

 

さて、前回、第19回目の「今日の一曲」で、「クラシック音楽は様々聴くがモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンなどの古典のものはあまり好みではない・・・」というようなことを書いてしまったのだったが、「いやぁ〜、失敗した」と思った。

 

なぜなら、今回ご紹介するのはハイドンの曲だ(笑ってごまかすしかない)。

そう、大切なLPレコード盤の存在がここにあるのだった。

ハイドン作曲、「弦楽四重奏曲 ニ長調 作品64の5」で、ブダペスト弦楽四重奏団の演奏のものだ(上の写真)。

勤めていた職場の先輩から、この貴重な盤を、何んと、いただいた。

 

34歳のときだ。これまでの「今日一曲」に書いてきた例の職場だが、離れることを決断した。

 この職場でのことを読まれていない方は、「今日の一曲」の ⑫(12月17日)、⑬(12月27日)を、宜しければ覗いてみていただきたい。

 

結局、11年間勤めて離れることにした。

 

この3年前に、救世主でもあり、この業界で生きる為のあらゆるknow-howを叩き込んでくれた心から尊敬する例の人も、既に定年退職を迎えられて、既にここから離れていた。

現場の長が替わると、かつてほどではないが、またまた落ち着かないことには少しだけなっていた。が、社会人一年目の頃とは違って、お蔭で力を着けさせてもらって、そんなことの殆んど事は解決する力量も備わっていた。大した問題ではなかった。

 

この備わった力量を、少し違う環境で試したくなったのだ。

飛ぶ鳥落とす勢いの若ゾウが少々勘違いをして自惚れながら選択した「無謀なチャレンジ」というわけだ。

どうだ、馬鹿者としか言えないだろう?(笑)。

 

職場の皆と別れる数日前だった。

この先輩職員から「これ、あげますよ。」と、差し出されたのが、この貴重なLPレコード盤だった。

 

1947年の録音のものを、1990年頃に当時のCBSソニーが新技術で実際の音に近づけて復元させた言わば復刻盤のLPレコードだ。確かに、弦楽器の響きに古さを感じないで聴くことができる。ブダペスト弦楽四重奏団の名演がここに再現されていると言って良い思う。

 

ハイドンというと、お堅いイメージもあってあまり好まないのだが・・。お許しを、あくまでも個人的な感覚だ。

音の構成や構造を理論的に追及することを中心に置いて、作品を創り上げていたという。交響曲にしても、今回紹介する室内楽曲にしても、この理論に基づくアレンジ力は響きとしても完璧で見事に感じる。そのチャレンジ精神には情熱があってこそだとも思う。ハイドンという人の存在がなければ、その後のベートヴェンの名曲も、更にその後のアレンジ力・オーケストレーション力でもクラシック音楽の専門家やファンから評価の高いブラームスの作品も生み出されなかったであろう。

 

ハイドンの情熱と功績は認めつつも、そこに計算外の自由さと遊びが無く感じて、いまひとつ、なのだ。

 

が、交響曲などの大編成のものとは違って弦楽四重奏曲のような室内楽のアンサンブルとなると、この精密な音の構成力は、こんな偏見野郎にも心地好さを届けてくれることに気付かされた。当然、ブダペスト弦楽四重奏団のアンサンブル力による響きの良さも相まって心地好さが伝わってきたのだろう。

 

この盤のA面には。作品76-3、別名「皇帝」が収録されていて、これもまた心地好い。が更に、B面の作品64-5、別名「ひばり」とも称されるこの曲からは更なる豊かさを感じ得て心地好い。

 

なぜ、先輩が、これほどまでに貴重な盤をくれたのかは不思議でならない。この先輩、一年目の私が派閥争いを無視していたら干されてしまったときに、私を追い出そうと企んだ側にいた人であった。救世主の登場にその後、彼の心もすっかり入れ替わったのか、生き残るために外見の態度を転じただけだったのかが分からず疑い、あまり近づかなかった。親しくはできなかったのだ。

それがなぜ?・・・という謎は、現在もわからない。

ただ、先輩も、仕事自体には厳格な人で、この部分では学ぶ点は多々あった。ある意味、尊敬できる部分も感じられる人ではあった。

 

いずれにしても、当時の選択が「無謀なチャレンジ」だということは、周囲の人たちも当然思っていたことだろうが、勘違いと自惚れの若ゾウも心深いところでは分かっていたはずなのだ。その証拠に、不安だらけだったことも確りと記憶している。

 

ハイドンの淀みない精密な音の構成の上に成り立った「弦楽四重奏曲 ニ長調 作品64-5(別名:ひばり)」が、勢いだけに任せたチャレンジをしようとしていた若ゾウを、冷静に幾らかばかりか整えてくれようとしていたのかも知れない。そこにある不安も落ち着かせてくれたに違いない。残る記憶の中ではそうだ。

 

「さあ、足を確りと地に着けて、新たな一歩だ。」

と、仕事には厳格な先輩も、ハイドンのこの一曲も、そう伝えたかったのかも。

 

「今日の一曲」の第20回目は、ここまで。

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2017年

2月

04日

今日の一曲⑲:モーツアルト作曲「クラリネット協奏曲K.622(カール・ライスターより)」

「今日の一曲」の第19回目。クラシック音楽のLPレコード盤を取り上げての話は、これまでも割合として多めではあったが、古典の作品を紹介するのは今回が初めてだ。

 

実を申しますと(何あらたまってんの?)、クラシック音楽も様々聴いてはおりますが、モーツアルト、ハイドン、ベートーヴェン・・・は、あまり好むものがなく・・・。これらの音楽ファンの方は怒らないでもらいたい。音楽評論家でもなんでもない、ただのオヤジの好みなので。

 

さて、こんなオヤジにも若い時はあったわけで、高校生時代にさかのぼって紹介する曲は、モーツアルト作曲、「クラリネット協奏曲K.622」だ。

この曲も、LPレコード盤とCDとで合わせて4枚持っているが、ここで紹介するのは、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団、クラリネット奏者はカール・ライスターの演奏で、これを収録したLPレコード盤だ。

真にオールスター大集合という組み合わせの「クラリネット協奏曲」だ。

 が、興味をもったのは、クラリネットという楽器の音色だった。

 

このLPレコード盤を手に入れる少し前、高校生1年生のときだ。

当時住んでいた東京の田舎方面(笑)の自宅からであっても、在来線の電車で30分ほどで行けるところには少し大きなホールがあって、日本を代表するクラリネット奏者の村井祐児さんのリサイタルがあった。よくチケットが手に入ったものだ。記憶がない・・・チケット代はどうやって払ったのだろう?モーツアルトの「クラリネット五重奏曲」がプログラムのメインだったと思う。

このリサイタルが切っ掛けで、マイブームがクラリネットということになった。

 

なんだろうか。クラリネットの音って、何かをそっと包んでくれるような感じに思えた。それも、神経質にではなく、どこかユーモラスもあって。

高校時代、なんだか冷めてたからなぁ〜(笑)。心奥では何か欠如して求めていることが多々あったのかも知れない。

 

もちろん、マイブーム中に、モーツアルトの「クラリネット五重奏曲」をレコード店で買い求めたこともしたが、今日紹介のオールスター大集合のLPレコード盤で(上の写真)、当時の高校生は、更に、クラリネットの音色にハマっていった。

 

カラヤン指揮で、ダイナミックスのレンジが他のものとは一段階違うようにも思えたが、もっと惹かれたのは、カール・ライスターが演奏するクラリネットの音色だ。

明らかに、それまで聴いてきたものとは異なる。・・・って、16・17歳だ、たかが知れているのだが(笑)、そう思ったのだよ。生意気にも。

 

少し後になってから知ったことだが、クラリネットというのは、「フランス式」と「ドイツ式」の2種類があるということだ。

日本人のクラリネット奏者の多く、または、中学校や高校の吹奏楽部の人たちが吹いているのは「フランス式」。だから、どうしても日本では「フランス式」のクラリネットの音を耳にする場合が圧倒的に多いのだった。ところが、カール・ライスターが手にしているクラリネットは、「ドイツ式」だ。

 

より透明感と静寂感、温かみとほんの僅かに重厚な落着きと芯を感じる。「いやいや・・・これがクラリネットの音色かぁ!」と、一種のカルチャーショック的な衝撃を受けた憶えがある。

以来、カール・ライスターと「ドイツ式」クラリネットが、マイブームへと発展していったことは言うまでもない。

 

あれ?「フランス式」のクラリネットの音色も好きだよ。誤解なきように(笑)。現在は、「フランス式」のクラリネットの音色の好さも味わって聴いている。当時の高校生の馬鹿ガキの感じ方を再現しているので配慮なきことがあれば許してやって欲しい。

 

さあ、一気に12・13年の月日が経過して、社会人にもなって仕事にも勝手に自信をもち始めていた30歳くらいのときだ。

カールライスターが来日。東京・上野で、円熟のカールライスターの演奏を、それも、生の演奏で、やっと堪能することができた。高揚しながらもどこか鎮めた心持ちで会場の席に居た。

「ああ、クラリネットの音色のような人になりたい」、少しおかしい(変)か?・・・でも、ようやく少し大人になり掛けた若ぞうは、そんなことを想った。

 

 結局、「今日の一曲⑲」は・・・、ん?・・・、モーツアルトにも、カラヤンにも、ベルリンフィルにも触れてない?そうかも知れない(笑)。

ドイツ式クラリネットとカールライスターが奏でるクラリネットの音色の話だけ・・・。

「クラリネットの音色のような人」とは、未だかけ離れた人が書いたブログでした。大変、失礼をした(汗)。

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2017年

2月

02日

今日の一曲⑱:J・シュワントナー作曲「・・・そして、どこにも山の姿はない・・・(武蔵野音楽大学ウィンドアンサンブルより)」

「今日の一曲」の第18回目。今回は初めて吹奏楽曲を紹介しよう。中でも少しマニアックなものになるかな・・・。

 

J・シュワントナー作曲、「・・・そして、どこにも山の姿はない・・・」という曲だ。これを、しかも、『武蔵野音楽大学ウィンドアンサンブル』の演奏で、1979年~1981年の定期公演からセレクションしたものがLPレコード盤に収録されたものだ(上の写真)。

 

このLPレコード盤を手に入れたのは、この「今日の一曲」の第12回目(昨年12月17日)で坂本龍一の「SELF PORTRAIT」、第13回目(昨年12月27日)で武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」を紹介したことがあるが、その頃ではあるのだが、その丁度間と言った方がより正確かも知れない。

これらを既に読まれた方は、社会人になりたての若ぞうがどんなことになっていたかを御存じかと思う。今なら、とても貴重な体験をしたと思える、その頃だ。

 

当時は若かったから、あの状況の中で、「どう生きていけば良いのか」、「どこに向かって歩んで行くべきか」、もう分からなくなっていた。ただただ、生活するために得られた機会を逃すまいというだけであったように思う。

3つのアルバイトを掛け持ちではあったが、それぞれ少しずつしか仕事がもらえなかったので、時間だけはあった。本を読み、仕事に繋がるかも知れない専門分野の勉強にほとんど費やした。が、やはり、こうしたことが役立つのかの確信はまるで持てないでいた。

 

幼少の頃からクラシック音楽(古典やロマン派)や洋楽・邦楽のポップス、中学生くらいからはロックやジャズ、フュージョン系音楽なども加えて聴いていたが、この頃から、徐々に現代音楽作曲家たちの作品に興味を持ち始めていた。そこで、現代音楽の色々を、幅広く手っ取り早く触れるのに好都合に思えたのが、吹奏楽曲だった。当時の私の感覚ではだよ(笑)。

 

今でこそ、全国コンクールなどで金賞を受賞するような高校の吹奏楽部がCDを出して販売もしているが、当時は、日本では唯一プロの吹奏楽団は「佼成ウィンドオーケストラ」だけで、アメリカの「イーストマン・ウィンドアンサンブル」、フランスの「パリ・ギャルド・ウィンドアンサンブル」くらいだった。しかも、海外のものはあまり入荷されていなかったのだと思う。手に入らなかった。

 

で、またまた「ジャケ買い」な感じでレコード店でのお得意の自分の手で行う検索作業だ(笑)。・・・意味不明なら、「今日の一曲⑰」をお読みいただきたい(笑)。

 

見つけ出したのが、「武蔵野音楽大学ウィンドアンサンブルVol.2」のレコード盤だ(上の写真)。そのB面の3曲目に収録されたのが、ジョセフ・シュワントナー作曲、「・・・そして、どこにも山の姿はない・・・」だ。

J.シュワントナーが「イーストマン・ウィンドアンサンブル」のために1977年に書いた楽曲。詩人キャロル・アドラーが書いた「アリオーソ」という詩をもとに作曲したとされている。

管楽器・打楽器の通常の吹奏楽編成に加えて、ピアノ、人の声や口笛、それと面白いのが、水をいれたクリスタル・グラスの淵を指でこすると音が鳴るは御存知かと思うが、音程の異なるクリスタル・グラスを7つ用いている。

神秘的な感じと、やや悲愴感が漂っている印象の楽曲だ。金管と打楽器群の大胆さと、クリスタル・グラスやピアノによる効果で冷淡な感じが繰り返される。吹奏楽曲ならではの響きが感じられる。

 

「悲愴感が漂っている」は、当時の心情がそう感じさせたことかも知れないが・・・。余計な情報だったか(笑)。

 

少々やり場のない想いで過ごしていた当時としては、この曲が妙に心地好く感じたのを記憶している。

「やり場がない想い」とか言いながら、こうして音楽から心地好さを感じながら過ごしていたのだと、今から振り返ってみれば、何て事はない。

 

悲観的に社会や人生を眺めていたときでも、とにかく目の前を歩むことだけは止めないで良かったと振り返る。

 

こうした心持ちの中であったからこそ、マスメディアに乗っかっている音楽や既成の音楽に飽きていたのだろう、現代音楽家の作品に何かを欲して求めていたように思う。お蔭で、吹奏楽曲や武満徹の音楽など新たな聴きなれない音楽たちと、この後、数々出会うことになる。

 

ネガティヴな感情に入り掛けながらも、辛うじてバランスを保ち救ってくれた音楽の一つであったと感じる。吹奏楽曲、J・シュワントナー作曲「・・・そして、どこにも山の姿はない・・・」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

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2017年

1月

29日

今日の一曲⑰:山口美央子「コードCの気分」

1月9日以来の久しぶりの「今日の一曲」だ。第17回目になる。

今回紹介する音楽は、おそらく御存じの方は少ないかと・・・。山口美央子のアルバム「Nirvana」から「コードCの気分」という曲だ。

 

第8回目(2016年11月26日)で紹介した矢野顕子の「いつか王子様が」とほぼ同時期に手にしたLPレコード盤だ。コンピュータの目覚ましい技術発展に伴って、テクノ・サウンド、エレクトロニクス・サウンドが音楽のあらゆるジャンルに渡って盛んに試みがなされていた80年代前半の頃だ。

 

当時、矢野顕子さんのことも断片的にしか知らず、ほとんど「ジャケ買い」だったと書いたはずだが、山口美央子さんについては、何の情報も入れないまま、100%の「ジャケ買い」だった。

ちなみに申し訳ないが、山口美央子さんについては未だに何者なのか存じ上げない。

 

さて、レコード店にフラ~っと入って、LPレコード盤ジャケット一枚一枚を、4本の指はジャケットの裏側に当てて親指の先とで軽く挟んで摘まみ、これを引き上げる。やさしく、素早くだ。そして、ひたすら繰り返す。

 

インターネット検索もなく、アナログ・レコード盤は視聴するわけにはいかない。そんな時代だ。音楽雑誌やテレビまたはラジオからあまり情報が得られないような音楽は、こうして自分の「直感」で探し当てる。

言ってみたら、自分の「直感」だけで選択した音楽を聴こうとするのに、2,000円〜3,000円のお金を出して買うのだからスリルこの上ない楽しみの一つなのだ。

 

これまでも書いてきたが、CDの時代以降、ましてや、ネット社会になってからは、こうした楽しみが無くなった。・・・と、またもや愚痴る(笑)。

 

で、山口美央子のアルバム「Nirvana」を手にした。

レコード・プレヤーに乗せて針を落とす。

『テクノ・ポップ&ロック&昭和歌謡』といったところだろうか。まあ、全体のサウンドは、80年代前半のテクノ・サウンドとロック・バンドが融合した音だ。収録された9曲が多彩で、ポップス、ロック、昭和歌謡・・・風な感じに、メロディ・ラインや歌詞が様々な色に変えて聴かせてくれるのだった。

 

中で、今日紹介する「コードCの気分」は、これらが丁度バランス良く総てをミックスしたようなテイストの楽曲だ。何色もの色が一曲の中に盛り込まれてバランスの良い配色が面白く楽しい曲だ。これが、A面の2曲目にある。

 

ここで、平成生まれの諸君、アナログ・レコード盤にはA面とB面があるのだ。この良さを理解できるか・・・(笑)。でも、最近は、わざわざアンログ・レコード盤で聴く人も増えているようだ。聴いたことのない方は、どうか一度お試しあれ。余談だったか・・・。

 

話を戻そう。

楽曲のアレンジやサウンド、メロディや歌詞にも面白みを感じるが、山口美央子のVocal が好い味を醸し出している。決して丁寧な歌い方には感じられないし、テクニックを感じるわけでもないが、ただノビノビと自由に感じたまま歌っている風に聴かせるのが上手い。声質は、森高千里さんに似ているかなぁ〜(森高千里さんの方がずっと後の時代に登場するのだが)。

 

「ジャケ買い」大成功!

・・・ということだ。

当時、これだけで喜んで聴いていたかも知れないが、そろそろ社会でどう生きるべきなのかを日々模索していたような頃でもあった。

心の奥底では自身の生き方と向き合うべく少々重苦しい想いを抱えていたが、この音楽が自由で前向きな想いも呼び起してくれたように感じていたに違いない。

そう「直感」も大切にして生きる!・・・とね。

 

100%の「ジャケ買い」でも前を向かせてくれた音楽、「直感」も大切な生きる手段なのだと。が、人生もより面白くするなら「バランス」は欠かせない。そんなことを思わせてくれた音楽として、山口美央子のアルバム「Nirvana」から「コードCの気分」を、今日の一曲として紹介させていただいた。

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2017年

1月

26日

ライヴを訪ねて「Next Sunday 9th Dan blelow」

数日経過してしまったが・・(汗)。

1月23日(月)、まったく表現方法の異なるというか、立ち位置の違う音楽表現をもっている方たちのライヴを訪ねてみた。

 

「Next Sunday 9th Dan blelow」というライヴが、東京・阿佐ヶ谷の「ライヴ小屋 Next Sunday」で開かれた。

エレクトロニクス・テクノロジーを取り入れたサウンドを活かしつつ生演奏・即興演奏するバンドであったり、ヨーロッパでも音楽活動されている方たちが出演のライヴだ(上の写真)。

 

まあ、切っ掛けは、レコーディング・CD等の制作で音響をいつもお願いしている沢田守秀さんこと「SAWADA」が出演するということではあったのだが、人付き合いだけで、ライヴや音楽を聴きに行ったりはしない。音楽に、ライヴに、そこに興味があって「訪問」する。最低限の礼儀だと思っている。

 

さてさて、この日のライヴで聴こえてきた音たちは、日頃取り組んでいる音楽とは対極的な位置にある音・演奏スタイルであったせいか、脳がイイ具合に刺激されながら、むしろ休まるような心地好さで、ライヴ会場に居させてもらった。

 

ライヴ後も出演者の何人かの方とお話をする機会も偶然得られて、自身の音楽活動も顧みながら刺激になる交流がもてた。

もちろん、スネアドラムからあらゆる想像の源を届けてくださった後の「SAWADA」さんともお話をさせていただいた。

「Takkiduda」のメンバーの「sao」さんには、熱心に私の方が話を聞いてもらってしまうほどだった。恐縮です(汗)。

 

ライヴ中もライヴ後も、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができたというわけだ。

いやぁ〜、楽し過ぎた!

 

こうしてライヴ会場に実際に足を運ぶと、必ず何かが自身に起こって、思いがけず与えてもらえる。ちょっとしたラッキーがそこに感じられる。今回のライヴも訪ねてよかったぁ〜。

 

(*下の写真は、帰り道、阿佐ヶ谷・中杉通りでの写真)

(デジカメが壊れて昨年終盤から先週くらいまでは、スマホのあまり性能の良くないカメラでの写真でした。今回は新しくデジカメ買ったよ〜。)

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2017年

1月

21日

ライヴ報告(菅野忠則さん企画「King’s Bar Vignette」で)

昨夜、20日(金)は、横浜・馬車道駅から直ぐ「King’s Bar Vignette」での菅野忠則さんによる企画ライヴに出演させていただいた。

 

志茂山裕紀さん、愛間純人、菅野忠則さんの順に3人で繋いだライヴとなった。

 

雪や雨になる予報もあったが、そんなことにはならなかったものの大寒らしい冷え込みの厳しい一日で、オジさんの身体には少し堪えて喉がなかなか温まらずに少々苦労した。それでも、なんとか愛間純人ならではのライヴを、ご披露はできたかと・・・。

 

志茂山さん、菅野さん、それぞれのライヴも、なるほど、「~らしい」ライヴをしてくれて(笑)、何やら、あたたか~な、穏やか~な、ほんわか、楽しいライヴの一夜になった。

 

場所が横浜・馬車道ということで、横浜在住の友人とも久しぶりの再会が叶った。お忙しいだろうに駆けつけてくださった様子。ありがたい。

足をお運びいただいたお客様が熱心に聴き入ってくだって、これもまた、本当にありがたい。

 

そう、「有難い」。

 

人も音楽も、昨日とは同じはなくて、今日のその人、今日の演奏・音楽があって、演奏する出演者側と聴く側のお客様が共にする時間と空間は奇蹟とも言うべく瞬間的な出会いだ。少し大げさか・・・。そんなことを、あらためて味わい感じさせてくれる一夜で、一種特殊な感じ方を憶える昨夜のライヴは心地好かった。

 

こんな愛おしいような空間を共に過ごしていただいた皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

(この下側にも写真(4枚)を載せたよ)

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2017年

1月

15日

ライヴ報告(ほっと楽しや Birthday Live 2017)

あたたか音楽空間『ほっと楽しやハートライヴ』の番外編として、『ほっと楽しや Birthday Live 2017』を、昨夜の1月14日(土)に企画・開催させていただいた。場所は、東京・阿佐ヶ谷の「ライヴ小屋 Next Sunday」。

ホント恐縮ながら、自らが「誕生日です!」と掲げてのライヴをさせてもらった。

 

ゲスト出演者は、まったりーフッカー(ex.一日一善松田一善)さん、babaリズムさん、カノミさん。まぁ、見事だ。いつものことながら、ゲスト出演者の方たちの予測を超える好演のライヴに、今回も大いに感激させられた。

これだけでも十分に楽しい一夜と思えたのだが、図々しくも、この好演のゲスト出演者のあとに出演させていただくのが企画した者の責任の取り方のようなので(笑)、例外なくそうさせていただいた。

 

ゲスト出演者3組それぞれの音楽は、音楽スタイルからしたら、まったく方向性が違う。が、それぞれのオリジナリティを発揮しながらも確りと繋がるのが、この『ほっと楽しや・・・』のライヴならではだと自負している。この日も、繋いでもらった流れに乗るだけで良いような雰囲気の中でステージに立たせていただいた。

客席からも盛り上げてもらった。

実年齢を遂に公表したり!・・・、

2番目に出演したbabaリズムさんがトークに混ぜて突然、「禁じられた遊び(ロマンス)」をこの日に使用していたガット・ギターで弾き始めたことに触れて、私のトークも予定外の話へと・・・、「音楽に救われた」、「生きていてよかった」という話となったり・・・これまでライヴでは直接的に話題にしなかったことも語った。

『ほっと楽しや・・・』のときだけにしか演奏しない約9分間の長い曲の「木漏れ日の願い」も確りと演奏を届け・・・、思いがけずアンコールまでいただき、「朝陽は空色を変えて」も演奏した。この先、この2曲を同じライヴで演奏することは、おそらく、2度と起こらないことだろう。

そして、そして、ケーキまでいただき、客席からは「ハッピーバースデー・トゥ・ユー~♫」を歌う声が聴こえて。こんなにも盛り上げてもらって良いのだろうかと思えるほど、楽しい一夜に、とても幸運な一夜に感じさせてもらった。

 

少し長く抱えた病気から復帰して始まった音楽活動だが、音楽を通じて知り合った人たちと、これほどまでに温かな時間を共有できるようになるとは、なんとも有難くて、喜びと感謝しかない。

 

これまで、応援・ご支援くださった皆様、この日のライヴを共に過ごしてくださった皆様に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

客席にも、ゲスト出演者にも、ライヴハウス関係者にも、もっと、もっと、恩返しができるようにならないとなぁ〜。・・・ということなども含めて、元旦の初詣で誓ったのだが、誕生日の誓いにもしよう。

 

(*この下にも写真を載せたよ。)

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2017年

1月

09日

今日の一曲⑯:ニューイヤー・コンサート2002「ラデツキー行進曲」

「今日の一曲」の16回目、新年を迎えたところでもあり、ヨハン・シュトラウス (Ⅰ 世)作曲、「ラデツキー行進曲」をと思う。

 

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団による元旦の「ニューイヤー・コンサート」、その恒例のアンコール曲も終演の曲が、「ラデツキー行進曲」だ。

・・・などいうことは、クラシック音楽ファンでなくても知る方は多いと思うが・・・一応。

 

2017年、ニューイヤー・コンサート史上、最年少35歳で指名を受けた指揮者はグスターボ・ドゥダメル。彼は常に楽し気な雰囲気で清々しい気持ちになる元旦のコンサートを届けてくれた。個人的に知る中ではとても好印象のニューイヤー・コンサートだった。

 

もう一つ、とても印象に残っているニューイヤー・コンサートがある。

2002年のだ。日本人の指揮者が初めて指名され、このステージに立った。指揮者、小澤征爾。

この日は、テレビの生放送を視聴した。

それ以前の数年間は年末・年始も忙しく何かをしていたりで、後から録画で視聴することもあったが、2002年はゆっくりと元旦を迎えていた。

 

そう、もう病気が発症し始めていたこともあってだ。通院して2ヶ月くらい経過していた。

 

小澤征爾なる指揮者がそれまでに痛い目にも遭いながらも、辛かった時期さえも、果敢に、日本人に西洋音楽の良さを伝えようと、日本人演奏家のレベルアップの為にあらゆる機会に挑んできたことを、勝手に想像しながら、ニューイヤー・コンサートのステージに立つその姿と演奏を視聴していたのだった。

 

お決まりのアンコール曲、まずは「美しく青きドナウ」。そして、もう1曲、終演の曲「ラデツキー行進曲」の演奏がはじまった。

 

小澤征爾のこの時の「ラデツキー行進曲」は、たっぷり目(遅め)のテンポだった。

会場客席の手拍子と共に、「確りと一歩一歩進むぞ!」と言っているかのように感じる演奏だった。

「少々厄介そうな病気を抱えたなぁ~」という思いで日々を過ごしていた私には、この「ラデツキー行進曲」の演奏はそうにしか聴こえなかった。心が晴れ晴れとしたのを最近のことのように憶えている。

 

CD(上の写真)が発売されて直ぐに買いに行った。購入後に、このCDをあまり聴きはしなかったのだが・・・。まぁ、テレビで視聴したときの演奏がよほど印象深かったか、そのときの感情を大切に閉まっておきたかったのか?ん〜、よくは分からないが・・・。

ただ、ここ3〜4年前くらいからは、新年を迎えて、その年のニューイヤー・コンサートをテレビで視聴したあとに、あらためてこのCDを聴くようになった。2017年もだ。

 

当時、病気を抱えた不安の中、「ゆっくりと確りとした一歩一歩」を届けてくれた、小沢征爾指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートから、「ラデツキー行進曲」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

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2016年

12月

29日

今日の一曲⑮:J・S・バッハ「無伴奏チェロ組曲 第1番」(ピエール・フルニエのチェロ)

「今日の一曲」の第15回、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007」を紹介する。

 

数日前(12月24日)のブログに、「静寂な時を過ごす~人生を豊かにするコツ~」と題して載せた。

同ブログの中では、早朝と就寝前に習慣にしている15~20分間の「瞑想のマネごと」もその一つの方法として書いた。

 が、もうほんの僅かに少しだけアクティヴさのある過ごし方も最近は取り入れている。

「瞑想のマネごと」にまで身体の動きを停めてしまうのではなく、部屋をゆっくりウロウロと歩いてみたり、手足をゆっくりと動かしたり、軽いストレッチをしてみたりなどもする。もちろん、座ってじっとすることもあり。つまりは、静かに身体を動かすことには制限をかけない。ただし、呼吸をしていることと、動かしている身体部分に意識を向けておくことは瞑想と同様だ。「動く瞑想」とでも言っておこう。やはり15分~20分程度だ。

「動く瞑想」と呼ぶことに、「ヨガ」や「マインド・フルネス」を専門にされている方からしたら御異論もあろうかと思うが、私的な表現だ、ご容赦願いたい。

 

で、この「動く瞑想」に入るときに先ず最初に、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV1007」を部屋に流して聴く。

ただし、ピエール・フルニエの演奏のものだ(上の写真)。

 

2ヶ月ほど前に手に入れたばかりの再盤のCDだ。

第1番の他にも、「第3番BWV1009」と「第5番BWV1011」が収録されていて、録音は、1960年12月と1961年2月、ハノーファー、ベートヴェンザールでのものだ。

 

これが、「動く瞑想」時に最適というわけだ。

チェロ1本だけの無伴奏曲で音がシンプルで良い。が、フルニエの演奏は、静かな上品さだけでなくテンポが適度に動き揺らいで主張する力強さも時折感じさせる。こうした呼吸感や音量の変化は、身体を座らせていても軽く動き出すときも丁度良く感じられる。加えてフルニエのチェロの音色は落着きと奥行があって深い。この音色を確りと感じられる録音がなされているのも嬉しいが、身体の動きをゆるやかにもしてくれる音色に感じる。シンプルだが決して単調にならずにゆるやかな身体の動きを自然と導いてくれる音だ。それで、「動く瞑想」には最適というわけだ。

また、第1番の第1曲から第6曲まで聴くと約20分で時間的にも適当だ。

 

フルニエの無伴奏チェロを、このために探し求めていたわけではない。

ピエール・フルニエの演奏を純粋に求めて20年ほど前か、もっと前だったかもしれない、いろいろなところを当たって探し廻ったことがある。当時はとうとう見つけられなかった。LPレコード盤では販売されなかったのだろうか、ようやく、ここで出会えたというわけだ。

ま、CDではあるが・・・と、お決まりのように寂し気に書く(笑)。

でも、やはり出会えて良かった。

 

「動く瞑想」に入る前に聴いてみたのは単なる偶然だ。

ところが、こうしてみると、その直前までの思考と行動を切り替える切っ掛けになった。「動く瞑想」の時間に入り易くなったのだ。 3週間前くらいから始めた。

 

不思議に感じる。以前は探し廻っても見つからなかったのに、今になって難無く出会えて、これが、現在まさに自身で取り入れたい生活の時間の助けにもなっている。片想いの人にようやく出会えて会話を交わしているようだ。ん?例えが適当ではないか(笑)。

 

それよりも、「過去」・「未来」に囚われるのではなく「現在ここに在る」を感じる時間を導いてくれる音として、ピエール・フルニエが演奏するJ.S.バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV1007」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

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2016年

12月

28日

今日の一曲⑭:ELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)の「展覧会の絵」

「今日の一曲」の第14回は、「展覧会の絵」を紹介する。

クラシック音楽ファンなら、原曲(ピアノ演奏曲)を作曲したムソルグスキーやオーケストラ・アレンジをしたラヴェルの名前がすぐに出でくるところだろうが、今日、ここで紹介するのは、イギリスのロック・バンド「ELP」(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)のものだ(右の写真)。

 

Keith Emerson(キース・エマーソン)はシンセサイザー、キーボード奏者、Greg Lake(グレッグ・レイク)はヴォーカル、ギター、ベースの奏者、Carl Palmer(カール・パーマー)はドラム奏者で、略称「ELP」と呼ばれたこのバンドは、当時、「プログレッシブ・ロック」というくくりもあったが、これに留まらずロック・ミュージックを代表するバンドだ。私的な捉え方だが・・・。

「展覧会の絵」が収録されたこのLPレコード盤は、1971年3月26日、ニュー・キャッスル・シティホールでのライヴ録音とジャケットには記されている。

ライヴ録音にしては音がとてもクリアに感じる。

 

「展覧会の絵」という曲自体は、ムソルグスキーが作曲した原曲のピアノ演奏曲を、小学生の高学年くらいの時だったか、テレビで視聴して、ピアニストのテクニックとその迫力あるピアノの音に演奏終了と同時に「すげぇーっ!」と声を上げて感動した記憶がある。ん〜、誰の演奏だったかを覚えていないのが残念。気転の利くガキではなかったのでこんなものだ(笑)。

この後すぐに、ラヴェルによるオーケストラ・アレンジがあることも知ったのだったが、こずかいを貯めて、LPレコード盤を買いに行ったのは中学生になってからだ。カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のだ。

 

で、本題に入ろうか(笑)。・・・ホント、いつも前置きが長いな。

実は、この「ELPの展覧会の絵」は、高校1年のときに同クラスの友人からもらったものだ。 

彼は中学生時代からロックバンドを同級生らと組んでベースを弾いていた。クラシック音楽も好きだったらしいのだが、なかなか周囲にクラシック音楽を話題に話す者がいなかった。そこで、クラシック音楽の話相手として彼のお目に叶ったのが私であったのだろう、彼とは音楽の話しかしたことがない。

ある時、話の流れは想い出せないのだが、彼にチャイコフスキーの「1812年大序曲」を、FMラジオからエアチェックして録音したカセット・テープを貸したことがあった。ところが、彼はその録音されたテープの一部を誤って消去してしまったのだった。1秒間くらいだ。

彼は正直に打ち明けてくれて、私もやむを得ないことと受け止めた。が、彼は何度も何度も詫びるのであった。同時に差し出された1枚のレコード盤があった。それが、「ELPの展覧会の絵」。

「えっ?」

もちろん、テープを消去されたことにではない。差し出されたレコード盤のことだ。

テープが消去されたのはこちらにも若干の否はある。カセット・テープを知らない世代の方に説明は難しいが、カセット・テープの側面には小さなツメがあって、このツメを折っておけば消去されることはなかった。でも、彼はそんなことは一言も言い訳にしない。それと、このレコードが大切なものであることは彼の様子から明白だった。

「お前なら、この演奏をきっと楽しんでくれるだろうと思って」

 といった意味のことを言われた記憶がある。

あとはよくは憶えていないが、それ以来、このレコード盤を所有しているのは私なので、結局は受け取ったということだ。

 

現在もレコード盤の状態は良好だ。ご機嫌な音で聴くことができる。もちろん、演奏は面白すぎる!楽しすぎる!

 

当時のことだから、ギターケースを持って歩いていれば大抵の大人達は不良だと決めつけていたような時代だ。私に至っては当時少々素行に問題がなかったわけでもないが(笑)、彼は違う。ロックに狂っていたが決して不良ではない。不良なら、こんな風に詫びたりはしない。

 

ともかく、お蔭で、「展覧会の絵」を、原曲のピアノ演奏、オーケストラ・アレンジに、ロック・アレンジ・・・という具合に、順序良く聴くことにもなった。

彼が差し出してくれた1枚のレコードは、他人と誠実に心を通い合わせることの大切さも一緒に届けてくれたように思う。「今日の一曲⑭」は、そんな、ほろ苦くも温かい想い出とともに、「ELP」の「展覧会の絵」を紹介させていただいた。

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2016年

12月

27日

今日の一曲⑬:武満徹「ノヴェンバー・ステップス ~尺八、琵琶とオーケストラのための~」

「今日の一曲」の13回目、武満徹の音楽から「ノヴェンバー・ステップス~尺八、琵琶とオーケストラのための~」だ。

 

ところで、いつものことだが本題に入る前に・・・、

丁寧にブログをお読みいただいている方がいらっしゃる。ありがたい、恐縮の限りだ。

前回の「今日の一曲⑫」で、坂本龍一の「音楽図鑑よりSELF PORTRAIT」を紹介しながら、当時、職場の派閥争いに関わらないでいたら干されてしまったことを書いた。これに、「その後はどうされたのですか?」という心配をされて、「メール・ボックス」にメッセージをくれた方がいらした。

「今日の一曲」は、時系列で順に並べての紹介はしていないのだが、折角なので、今回に限っては12回目の続編として書かせていただく。

 

社会人として最初の職場はそんなことで次の年には3つほどアルバイトを掛け持ちしながらの生活になった。私に同情してくれたのであろう数人の同僚が同種に近いアルバイト先を紹介してくれてだった。同種と言っても当然のことながら職場が違えば方針やら仕事の進め方も人間関係のやり取りも違う。アルバイト先によって自身のスタンスを臨機応変に切り替えるのに苦労した憶えがある。あとは、ただ必死で生活することしか考えられなかったように思う。

 

ところが、これは時折感じるのだが、強運な面がある。

 

社会人3年目に入る前に連絡が入った。最初の職場の現場トップが交代。何やら派閥争いに終止符を打って改革するような「キレモノ」がやって来るらしい・・・となった。元同僚らが力になってくれたこともあってだと思うが再採用。どう、強運でしょ。

 

でも、これで済むような強運ではない。

「キレモノ」なる人物は単なる「キレモノ」ではなかった。人生において尊敬すべき大きな器をもった人と出会うことになったのだ。「行動力」、「決断力」、「思考・創造力」、「包容力」、そして、「ユーモア」、これら全て真に長けた人物だ。

この人から、社会人として、業界人として、更に言えば、大人として、その姿勢を一から叩き込まれることになる。何度叱られたか・・・。が、メキメキと力が着いてくるのが自覚できるほどだった。20歳代後半で主要な役にも就き、職責を担うまでになった。

 

お待たせした。いよいよ武満徹の音楽だ。

「飛ぶ鳥を落とす勢い」と周囲からも言われるような中で、タイミング良く諫めてくれる一声さえも掛けていただいた。お蔭で、物事を冷静に眺めながら事を進めることもできた。

それで、当時、心鎮めて聴いたのが、武満徹「ノヴェンバー・ステップス~尺八、琵琶とオーケストラのための~」だった。

 

日本を代表する現代音楽作曲家とも称させる武満徹の音楽、当時、それまでも耳にする機会はあった。「独特の音の重なりが心地よいなぁ~」とは感じてはいたものの、熱心に聴くまでではなかった。

指揮者の小澤征爾の師で斎藤秀雄氏の功績を知って、「サイトウ・キネン・オーケストラ」に興味をもったのが切っ掛けになった。併せて、邦楽器の尺八と琵琶、西洋楽器群のオーケストラ、両者が融合した音楽として再び武満徹の音楽が世界的に注目されるようになっていた背景もあって、それで紹介のCDを手にした(上の写真)。

 

そう、もうその頃は完全にCDの時代になっていた・・・。これに関しては敢えて残念そうに書いている(笑)。お分かりか・・・。

 

指揮が小澤征爾、「サイトウ・キネン・オーケストラ」、尺八が横山勝也、琵琶が鶴田錦史・・・とある。

同CDには、やはり邦楽器の笙を用いた楽曲「セレモニアル~オーケストラと笙のための~」も収録されている。

 

邦楽器が入ることで、独特の呼吸感と間が生じる。これを巧みに表現に入れ込み、西洋楽器の響きと融合させた音楽に感じる。

この呼吸感と間が心を鎮めさせてくれるのだろうか。鎮まる感覚が好くて、当時は、頻繁に聴いていた。もしかすると、そろそろ少し忙し過ぎるようにもなっていたのかも知れない。

 

人生で尊敬すべき人物との出会いがあって、未熟者が社会人としても大人としてもその姿勢を育てていただいた。エネルギッシュに充実感をも得ながら日々を過ごす中で、少し冷静さを取り戻す時間を作ってくれた音楽、現代音楽、武満徹の「ノヴェンバー・ステップス~尺八、琵琶とオーケストラのための~」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。

人との出会いは大きい。人との繋がりは大切だ。いつ何時、何処で、何が幸いするか・・・。

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2016年

12月

26日

ライヴ報告(ほっと楽しやハートライヴ・第9夜)

昨夜(12月25日(日))のライヴ報告。

 

自身でプロデュースしているライヴ、『ほっと楽しやハートライヴ(第9夜)』を終えた。

東京・阿佐ヶ谷にある「ライヴ小屋 Next Sunday」さんで、ゲスト出演には、ひらげエレキテルさん、五寸釘さん、菅野忠則さんを迎えた。お三方の後に、4番目の出演者として愛間純人もステージに上がらせていただいた。

各々の持ち味がステージ上で十分に表現尽くされ、確りと次々繋がれていったライヴの一夜になったかと思う。

事前にお約束した通り、新曲「木漏れ日の願い」も初披露させていただいた。やや長い曲(約8分間)であるのだが、熱心に聴いていただいた様子。

 

クリスマスの夜に最高の男性アーティストが集まっただけのことはあった・・・というのは嘘だ(笑)。

数日前のブログに載せた通り、クリスマス・ライヴには決してならなかった。あくまでも、『ほっと楽しやハートライヴ』を、お届けした。この意味では、最高のアーティストが集結した。おそらく・・・(笑)。

 

どんなライヴか・・・って?

本ホームページの「プロフィール」にも載せてあるが、手前味噌で恐縮だが、この貴重とも言えるアコースティック・ライヴを実際に体感していない方がまだまだいらっしゃるようだ。後々、伝説になるライヴだ・・ということに気付いていらっしゃらないのか(笑)?

そういった方へは次回こそお待ち申し上げているので、是非、是非、足をお運びいただきたく・・・、

なんて冗談だ。

評判だけを聞いて、義務的になられても音楽は楽しめない。

その時に、『ゆったり、まったり、クスッと笑えて、楽しく!』を期待される方に来ていただくのが一番良いのかと・・・。

 

昨夜、共に同空間を過ごしていただいた皆様には、深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

(この下にも写真を載せたよ〜)

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2016年

12月

17日

今日の一曲⑫:坂本龍一「音楽図鑑」よりSELF PORTRAIT

「今日の一曲」の12回目。今回は、坂本龍一のアルバム「音楽図鑑」の中から「SELF PORTRAIT」だ。

 

いまのところ、「今日の一曲」ではクラシック音楽かジャズ系の音楽の紹介が多くなってしまっている。意図もなく、その日その日で気ままに手に取ったレコード・ジャケットから想い出される記憶を綴っていたら、そうなった。自身でも意外である。もっと様々な音楽を紹介することになると思っていたからだ。物事は「non-judgmental(ノン・ジャッジメンタル)」、前もって勝手に決めつけないように心掛けたいものだ。

 

さて、前置きが長くなった(いつもだが・・)。

以前に載せた「今日の一曲⑧」では矢野顕子「いつか王子様が」を紹介して、テクノポップとその時代背景にも触れた。

 

ここから4~5年後、坂本龍一のアルバム「音楽図鑑」と出会う。もちろん、LPレコード盤だ。そろそろ念を押さないでもよいか(笑)。

2枚組のアルバムで、坂本龍一がYMOでの活動を経て直ぐ後に出したアルバムだ。このアルバムにもYMOのメンバーであった細野晴臣、高橋幸宏が参加している。が、テクノポップとは異なる。テクノ・サウンドを追求して実験し続けた時代を経て、その結果を活かして次なる試みを表現した音楽に感じる。テクノ・サウンドの要素に、生の弦楽器や管楽器、生のドラムなどの音も加わって、これらが融合している。おそらく、当時の坂本龍一が表現したかったものを純粋に作品に込めて創り上げた音と思える。決して世間へのウケ狙いなどというのではなく。いつものことだが、音楽評論家ではない。個人の感想だ。これも、もう念を押さなくてもよいか(笑)。

 

このアルバムを手にした当時、日常は「心ここに在らず」といった状態であった。

自分のしていることに、まったく自信の一欠片も感じられずにいた。懸命にやっているはずのことが何か空回りしている。ならば自身の心掛けが誤った方向を向いているのか?・・・などを問いかけても何もつかめずにいた。前へ進める気が徐々に失せていくようだった。

社会人として初めての職場は、派閥争いだけで明け暮れているような組織だった。頑固にも、どちらの派閥にも着かないでいたら、そのうち干されてしまった。

大人になりきれていない自分の薄さにも酷く応えたが、馬鹿げた大人社会を否定することも止まなかった。

そう、自身が薄っぺらいから視界はますます狭くなっていった。どっちを向いて、どう進めば良いのか、まったく見当のつかない日々が続く。そのうち、足掻くことさえしなくなっていた。辛かったとか苦しかったとか、そんな感覚はもう憶えてはいないが、決して好き(よき)記憶はない。

 

そんな頃に、ぼーっとしながら自宅近所にその頃はまだあったレコード店に足を運んだ。「音楽図鑑」はそこで手にしたLPレコード盤だ。発表されてから数年は過ぎていたと思うが・・・。

 

2枚組の1枚目(どちらが1枚目かは不明だが、たぶん・・・)、A面の4曲目にその曲は収録されている。

買ってきたそのLP盤を初めてレコード・プレーヤーに乗せて針を落とし、1枚目のA面から順に聴く。

4曲目、そのうちに勝手に涙が溢れて止まらない。

涙を拭いながらレコード・ジャケットを見渡し曲名を探した。

この時の情景は現在でもはっきりと記憶として再現が可能だ。

 

この日、このアルバムを2度ほどくり返し聴いたが、その後、何年もの間、このアルバムを聴くことはなかった。何故かは想い出せない。

おそらく、次に聴いたのは10年以上も過ぎてからだ。

 

「今から想えば」ということになってしまうが、まぁ、記憶とはそんなものだとも思うが・・・、

当時、溢れてきた涙によって何かが解けた感覚があったように想える。今も、この曲を聴くと泣きそうになる。

と、想像して笑いそうになって読んだあなたは私のことをよく知っている方だと思うが、オジさんも泣きそうにはなるのだよ(笑)。涙を流して泣きはしないのだが・・・。たまには心で泣くのだ。少しは知っていて欲しい。冗談だ、知らなくてよい(苦笑)。

 

こうした記憶と共にある音楽が、坂本龍一のアルバム「音楽図鑑」に収録されているということの話なのだが、曲のタイトルが「SELF PORTRAIT」であったことも、何か当時の涙を物語っているようにさえ思えてくる。

今回は、少々暗く重い「今日の一曲」に感じたかも知れない。

未熟者であることは相変わらずだが、オジさんだものな、これでも様々痛い目に遭いながら、それなりに年齢を重ねてきている(笑)。40歳を過ぎたらだったか、何歳だったか、「自分の顔に責任をもて」というような言葉もあるが、そんな年齢にもなったのか・・・。

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2016年

12月

16日

ライヴ報告(そろそろ年納めライヴ② Next Sunday)

前回の「ライヴ報告」にも書かせていただいたが、恐縮ながら、「ライヴ報告」は「ライヴ・スケジュール」に載せている30分以上のライヴだけに限らせていただている。全てを載せられずに申し訳ない。

 

昨夜、12月15日(木)、東京・阿佐ヶ谷の「ライヴ小屋 Next Sunday」さんに出演させていただいた。

ちょっとした面白いブッキングになって、出演者としても客席に居る間も確りと楽しい時を過ごさせてもらった。好き(よき)一夜だった。

 

山西理彩さんと伊藤悠紀さんはピアノのインストゥルメンタル、それをコトノハさんとギター弾き語りの二人で挟んだような出演順で繋いだライヴになった。

とは言っても、山西理彩さんと伊藤悠紀さんのピアノ演奏・楽曲のスタイルは違う。コトノハさんと愛間純人もギターで弾き語ってはいるが異なるスタイルの音楽だ。

結果、出演者4人がそれぞれ自身のライヴ・スタイルを確りと客席に届けあうことができたライヴ一夜であったと思うが、どうだろうか。

それでも、根底の深い部分では4人で共通している何かが存在したようにも感じた。ここでは、それは黙っておこう(笑)。

何故かって?・・・少々手前味噌的な自惚れめいた感覚も含むことを承知で言うならば、ライヴ会場に足を運んで4人の音楽に直接肌に触れた人だけが各々に感じられることだと想えるからだ。ブログなんぞに載せるのは、もったいない(笑)。何て言ったって、ライヴなのだから!

 

ま、それほど面白い、少し特殊な、特別感のあるブッキングライヴの一夜になったように感じる。これは、客席にいらしたお客様を含めて、ライヴハウスのスタッフの方たち、御一緒した出演者、共にライヴの空間に居合わせた皆で創り上げた時間だ。好き(よき)時間にしていただいたことを皆さんに感謝だ。

 

加えて、この日、とても、とても感激したことが起こった。

10月のライヴで山西理彩さんと御一緒したときに、「桜、夢色」のピアノ・アレンジをお願いしていた。快く引き受けてくださった。

それが完成した!それも丁寧に、楽譜と音源を一緒に手渡してくれた。宝物だ。

音楽活動を始めたからこそ、こうした喜びにも恵まれる。感謝しかない。山西理彩さんにも、音楽活動をお応援・ご支援くださっている皆様に、全ての人にだ。

音楽があってよかったぁ~と、実感もする。

 

さあ、こうした思いを前面に出してのライヴ、愛間純人Presents『ほっと楽しやハートライヴ(第9夜)』は、もうすぐ!

12月25日(日)だ。同じく「ライヴ小屋 Next Sunday」さんがライヴ会場となる。ゲスト出演に、ひらげエレキテルさん、五寸釘さん、菅野忠則さんらも迎える。私も、約8分間ある長い曲の新曲を初披露する。

足をお運びいただけたらと・・・。

詳しくは、このホームページの「ライヴ・スケジュール」で御確認いただきますよう、お願い申し上げます。

 

(この下にも写真があるよ:音響の坂元さん、みやこ店長、スタッフの今中さん)

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2016年

12月

15日

今日の一曲⑪:ブラームス「交響曲第1番」~ミュンシュ、パリ管弦楽団~

「今日の一曲」の第11回、今回は、ブラームス作曲の「交響曲第1番」を紹介する。

と言っても、またもや曲自体よりも、ある1枚のLPレコード盤との出会いの話になるかな・・・。

 

幼少の頃だ。具体的に何歳だったかは憶えていない。夕方の6時前だったように記憶するが、NHKの「みんなのうた」という番組を視聴するのが習慣になっていた頃がある。

後々になって知ったことだったが、ブラームスの交響曲第1番の第4楽章に出てくるテーマ旋律に歌詞が付いて、おそらく合唱曲になっていたように思うが、これを聴いたのが最初だ。記憶に残る限りで。

 

でも、ここからブラームスの音楽に興味をもつことはなかった。

 

学生生活がもう終わる頃だった。大人がなんであるかも自覚できていない無知で無自覚なまま、社会人として生活する時だけが近づいていた気がする。そんな頃に、音楽指揮者の小澤征爾さんの著書で「ボクの音楽武者修行」を手にしていた。この本の中で、フランスのオーケストラの指揮者で、「ミュンシュ」という人物が紹介されている。

ドイツ、オーストリア、イギリス、ハンガリー、ロシア、アメリカ、日本・・・などのオーケストラの演奏は耳にしたことはあったが、当時はまだ、フランスのオーケストラの演奏をそれまでに聴いたことがなかった。

「ミュンシュかぁ〜」、「フランスの音かぁ〜」。

 

これまでの「今日の一曲」を読まれた方は、その後の行動を容易に御想像できるかと思う。

「ブラームス」というよりは、「ミュンシュ」、「フランス」とういうのがキー・ワードで、レコード店へ(笑)。

不思議にも感じる偶然という出来事の一つがここで起こる。入ったレコード店に目立つように置かれているではないか。

「ミュンシュ」、「パリ管弦楽団」、これじゃないか!(上の写真)

・・・ええっと、ブラームス?交響曲第1番?・・・。

 

レコード盤に針を落とす。

ミュンシュ、パリ管弦楽団、ブラームス、交響曲第1番、最高だ!

引き込まれる、引きずり込まれる音楽だった。

第4楽章に入ると、幼少時代の懐かしさも交差するのだった。

 

このLPレコード盤に収録された演奏は、クラシック音楽ファンならば誰もが知る「名演奏」と称される一つなのだそうだ。当時から更に後々知ることになる。

 

これを切っ掛けに、ブラームスにも暫くハマる。

サイトウ・キネン・オーケストラのブラームスも好む。が、ミュンシュ指揮、パリ管弦楽団のブラームス「交響曲第1番」を聴かなければ、ブラームスにハマることはなかった。

 

フランスの音への興味でブラームスにハマるなどとは、クラシック音楽ファンからしたら邪道のように思われるかも知れない。が、現在になってではあるが、「人生の偶然とは、こんなものかもよ・・・」ということで、「今日の一曲」は、ブラームスの交響曲第1番(ミュンシュ指揮・パリ管弦楽団)を紹介させていただいた。

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2016年

12月

12日

今日の一曲⑩:ハーブ・アルパート 「アランフェス」

「今日の一曲」の10回目は、ハーブ・アルパートの「アランフェス」。

 

大好きな音楽の最上位にあるはずのハーブ・アルパートの音楽を、これまで何故だろう?不思議なくらい「今日の一曲」では紹介する機会がなかったなぁ〜。

以前に、ブログ「ミュージック・ヒストリー(第1回~第8回)」の中では、「ライズ」というアルバムでハーブ・アルパートを紹介させていただいたことはあるのだが・・・読んでいただいたことは?・・・なくても構わない(涙・笑)。

 

ハーブ・アルパートはトランぺッター&音楽プロデューサーだ。「フュージョン系ジャズ」、「フュージョン・ポップ」と呼ばれるジャンルになるのだろか? 彼自身も年齢・時代と共にその音楽も変化・進化をし、決めつけるのもいかがなものかなとは思う。音楽のジャンル分けは「おおよそ、〇〇な感じの音楽」という便宜上だけのものだ。音の構成や時代背景などによってという分類も確かにあるが、明確に分類することは到底できない。

 ハーブ・アルパートの音楽を聴いたことがない方は、おおよそ、こんな感じでとイメージしていただきたい。聴いていただくのが一番だとは思うが強制はできない・・・よな(笑)。

 

さて、前置きが長過ぎた。失礼。

千葉県内、住所は船橋市だったが習志野市との境で、数歩で習志野市内という所に4畳半一間モルタル造りのアパートに部屋を借りていたときがある。一人暮らしをはじめたばかりの頃だ。

半年くらいしてからだったか、近所に住む少しだけ年上の音楽好きの方と知り合いになった。顔馴染みになり始めていた食堂のオバチャンが紹介してくれてだった。

知り合ったこの方から、「最近はハーブ・アルパートを聴いているんだ」という話を聞いたのが切っ掛けだ。その翌日には、そこはもう習志野市だったと思うが?レコード店へ行った。このとき手にしたのが、アルバム「ライズ」だ。LPレコード盤だ、念のため。

 

アルバム・タイトルにもなっている「ライズ」もお薦めな曲だが、ここでは、盤のB面最後に収録された「アランフェス」を紹介する。

 

クラシック・ギターやスペイン・ギター(フラメンコ)などにご興味のある方は御存じかと思うが、ロドリーゴ作曲「アラフェス協奏曲」というギター協奏曲がある。これが原曲だ。原曲は、少し悲し気であったり、儚さ気な雰囲気も漂わせながらもスペイン舞曲(フラメンコ)風のリズミックな力強さも要素に取り混ぜた音楽だ。

 

これを、ハーブ・アルパートがアレンジして演奏した。前面にエネルギッシュさが出ているアレンジだ。情熱的であるがそれだけではなく、何か抑えつけられたものから一気に弾け出そう、解放されよう・・・とするような力強さとしなやかさ、少しの楽観さを想わせてくれるアレンジになっている。

いつも断っていることだが、音楽評論家ではないので、あくまでも個人の感想だ。

 

生まれ育った土地から離れて、初めて一人暮らしをしながら新たな地に確りと足を着けて生活をしたり、社会と向き合っていけるのか、不安や期待を共に抱えながら暮らしていた頃だ。今になって想い出すと何て初々しい。こんな頃もあったのかと思う。書いていて恥ずかしい気持ちにもなってきた。そんな時代に出会った音楽の一つがハーブ・アルパートの音楽だった。

それで、想い出した!

4畳半一間の畳部屋では、レコード・プレーヤーにラジカセを繋いで聴いていた。決まって、LPレコードを最初に聴くときは同時にカセット・テープにダビングもしたのだった。普段はカセット・テープで聴いた。平成生まれの方には、もしかしたら想像などできない図柄か(汗)?

 

ハーブ・アルパートがアレンジ・演奏した「アランフェス」、解放されようとする力強さに楽観さが交じり溢れるこの音楽が、当時、慣れない地で、なんとも初々しく、大人らしい大人になるまでにはあまりに未熟であることを簡単に見透かされていたであろう青年の、その背中を幾度となく押してくれたに違いなかった。下腹の奥底から湧き出てくるような熱いものの存在を感じながら聴いた記憶がある。

今日の一曲、ハーブ・アルパートの「アランフェス」を紹介をさせていただいた。

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2016年

12月

10日

ライヴ報告(そろそろ年納めライヴ① 日吉Nap)

ときどきご指摘も受けるのだが、「ライヴ報告」は、本ホームページの「ライヴ・スケジュール」に載せている30分以上のライヴに限らせていただいている。申し訳なさは感じている。

「何故、出演している全てのライヴについて、ライヴ報告をしないのか?」ということなのだが・・・。

出演している全てのライヴについて、ライヴ後の度に、しかも、ライヴ報告となれば出来ればタイムリーにブログをアップしたい。が、ブログを書くことに、そこまでの時間的な制約を受けるわけにはいかない現状況があることをご理解いただけたらと。あくまでも音楽活動を優先にすると、それは出来ない。だから一定のルールを設けた。他にも思うところはあるのだが、こればかりで長くなるといけないので、このくらいでご勘弁願いたい。

 

12月8日(木)の夜、神奈川は日吉にある「日吉 Nap」さんに出演させていただいた。大げさかも知れないが、人が音楽を生み出し必要としたことが感じられる、そんな心地好い一夜を楽しんだよ〜!

 

この日は、出演者が5組で、最後の出演だったので出番までゆっくりと他の出演者のライヴを客席端で楽しませてもらった。

出演者それぞれの想いや表現方法が際立ったブッキング・ライヴだった。音楽たちの多様さと可能性、才能の無限さ、再現のないライヴならではの時間の貴重さ、これらを、あらためて感じずにはいられないブッキングで、楽し過ぎた(笑)。

 

出演者は、理沙さん、HIROCKOさん、小林涼さん、本橋早織さん、で、愛間純人という順でライヴを繋いだ。

 

この流れで、歌とギターの演奏、トークも含めて、楽しく、確りと届けたい想いを乗せたライヴを心掛けながらも自然にステージに立たせていただいた。

客席も、じっくりと耳を傾けてくれて、楽しんでくれているかのように感じた。ま、感じ方は色々だろうけど。いずれにしても、ステージ上でも好き(よき)思いで過ごさせてもらった。同空間で共に過ごしていただいた皆様に感謝、感謝。

 

それと、日吉に寄ったらここへという場所がある。この日も、サウンド・チェックの前後にそれぞれ、[Cafe ISSUI」さん、「珈琲屋いこい」さんに、寄らせていただいた。気持ち良く過ごさせてもらった。こちらへも感謝。

 

今回を含めて、「そろそろ年納めライヴ」をテーマにライヴが続く。未熟者がしていることなので何も納まりもしないのではあるが(笑)、「ほっこり、まったり・・・」と、生の音楽・演奏を楽しみたい気分になったら、ライヴ会場へと足をお運びいただけたらと思う。いや、お願い・・・だね(笑)。

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2016年

12月

05日

自分を救うのは感謝からはじまる自分(改訂版)

これは、2016年10月31日に載せたブログを所々改訂して載せたものになる。あらためてお読みいただけたら、幸いに思います。

 

年齢だけは増していくが、人間が出来ていないものだから、日々、迷ったり、悩んだり、諸々の課題がなかなか尽きない。つい、孤独感に襲われることもしばしば。どうやらそうは見えないらしいが・・・、まあ、滅多に見せたりもしないのだが・・・。

 

10日ほど前のライヴでだったか、ライヴ中のトークとして曲創りについて簡単に話をした。すると、続く同日の出演者も、それぞれの曲創りについて語ってくれた。

その中で、共通して語られていた曲創りのパターンの1つとして、

「あるとき、曲(または歌詞)が降りてくることがある。」

という話があった。

クリエイティブなお仕事や作業をする方は音楽やアート系でなくても、物創りされている方や様々な開発などに携わっている方も体感されるようなことかと思う。少しスピリチュアルっぽい話に感じられるかも知れないが、感覚的にはそうした感覚だ。

 

ここで、先日のブログ「歌う準備、ストレッチなどはしない」の終盤に書いたことにも触れさせてもらう。「人はそれぞれ違うのが自然だ」と書いた。表面に見える姿、表現方法、感じ方、物事への対処方などは、人それぞれ違うのが自然ではないだろうか。「普通の人」、「人並み」というのは無いと考える。

ところが、この表面のレベルで、「皆と一緒・同じ」ということを求めすぎる妙な集団心理が働きやすくなった時代にあるとも感じる。ここ約15年くらいのネット社会になってからは特に。ネット社会に人はまだまだ慣れていないのだ。慣れている振りをしている者も多いのではないか。だから、一時、あるいは瞬間的に、ここに入れなかった感じを抱いた者がここに囚われて、「人それぞれ違って良い」、「人それぞれ違うのが自然だ」ということを忘れて、勝手に孤独感に苛まれたり、もっと過ぎると孤立してしまう。こんなことに陥りやすくなっていることもあるのかも知れない。

 

勘違いしないでもらいたい。協調性や人々の共有を否定しているのでは決してない。むしろ、協調性、共有の意識は大切だと感じている。

 

「あるとき、曲(または歌詞)が降りてくることがある。」に話を戻そう。

曲創りには自ら絞り出すようにして形にする場合もある。だから、こうした感覚は別モノで、むしろ、特別な場合の感覚だ。

私はこの感覚を、こう受け止めている。

「とてつもなく大きな存在」からのメッセージを受け取っているのだと。「あなたにメッセージを届け預けるので、あなたの表現で他者に伝えて届けてみなさい。」と。やっぱりスピリチュアルな感じか、または何か宗教的な感じに思えてしまうか?そんなつもりはないが、感覚としてはこうなのだ。

気にせずに書き続けるが(ホントは少し気にしながら(汗))・・・、

 

自然現象、遺伝子情報、地球、宇宙の仕組みなどを想うと、決して人間の及ばない「とてつもなく大きな存在」があると思えてくる。

この「とてつもなく大きな存在」から発せられたメッセージを、例えば曲創りをしている者がメッセージの一部を分けてもらって、各自の表現方法で他者へ音楽・曲として伝え、届けているように思えてくる。決して、自身の力だけで音楽・曲ができたとは思えない感覚のときがあるということだ。

だから、こうして、曲・音楽が出来上がったときは、メッセージを分けてもらったことへの感謝の想いが同時に湧き起こってくる。

 

それで、想う(想像する)。

何もクリエイティブな作業をしている人だけでなく、人は誰も、深い深いところでは繋がりあって共有しているのだと。遺伝子、自然、地球、宇宙など・・・この深いレベルでの協調性や共有感を、本来、人は誰もが持ち合わせていると。

 

しかしながら、現在、こうした深いレベルでの協調性・共有感が急速に薄れつつあるように感じる。あらゆる問題が引き起こされているようにも感じる。

 

話が横道に外れそうでもあるが(一緒に毒も吐きそうだが・・・)、

例えば、行き過ぎた地球環境破壊であったり、それが更には異常気象をもたらしていたり、食料事情の悪化にまで影響して、人類は人類自らの首を絞めているかのようにも感じる。少し話を拡げ過ぎたか?

ならば、すぐ近くで起きている深刻な社会問題だ。人を人して扱わないような雇用の仕方をして利己だけを目的とした企業が「ブラック企業」、「グレー企業」と言われながらも、現実には多くがまかり通っている。「ワーキング・プア」さえも生み出しているこの時代・社会の深刻さ。

本来の深いレベルでの協調性・共有感の薄さからに思える。子育てや教育などにも様々な問題を引き起こしているように感じてならない。

やはり、少し話が飛躍し過ぎたか・・・。

 

繰り返すが、それでも本来は繋がっていると思えるのだ。こんな私にも「あるとき、曲(歌詞)が降りてくることがある。」のだから。

(実際、人々が深いレベルでの協調性・共有感をもつには、どうしたら良いのか・・・、で、この文章は無責任か?)

 

もしも、日々、悩み、迷い、ときに孤独に思える人(自身を含めて)が、このブログを読んでいるとしたなら、こう考えてはどうか?

 

表面上に目に見えるレベル(物事への感じ方なども含めて)は、他人と違っていても良い。姿などが同じようでなくても、必ずしも同じ考え方でなくても構わない。むしろ、人はそれぞれ違うのが自然だと。

 

ここで少しだけ念のため加えておくが、「ただし・・・」だ。他人との違いを表現する方法として、他人を傷つけるようなことが勿論あってはならない。深いところでの協調性・共有感が欠如していると他人を攻撃したりもする。が、こんなことはあってはならない。

 

話を戻す。

だけど、孤独感などに苛まれたり、孤立してくると、自分で自分のことが嫌いになってしまいがちで、世界を眺める視界まで狭くなってしまうことがある。

だから、まずは、自分の住んでいる地域にある景色や恵であったり、次に自然や地球、そして宇宙の営みへと、少しずつその視線先や視界を拡げてみる。その中で小さな一欠片が生かされているのだと。それらを含めて、深い深いレベルでは繋がっている意識や感謝をすることから、先ずは、はじめてはどうか?

 

感謝の想いは自分を好きになることも想い出させてくれる。そしたら、自分を好きでいられる時間を少しずつでも増やせるように、目の前を、感謝と共に、ただただ生きていくことだ。

それから、一人、二人であっても、たとえ陰ながらであっても、前へと歩もうとする人のことは誰かが必ず見ているものだ。その人達の存在に気付いたり、その人達への感謝も想い出させてくれるかも知れない。

 

①少しずつ視線先や視野を拡げて広く大きなものを対象に、感謝の想いをもつ。

②願わくば、その中のたった一欠片である自分を好きになる。愛おしく想う。

③目の前をただただ生きて、自分を好きでいられる時間を少ずつ増やせるように歩み続ける。

④一人、二人であっても、自分を見くれている存在や感謝する人は本当にいないのか、いま一度、見渡して想い起こしてみる。気付いたら感謝だ。

⑤まあ、なかなか簡単じゃない。だから、また自分が嫌いになったら、何回でも、いつでも繰り返しても良いと思っておく。

 

何も問題なく生きている人など何処にもいない。どうにか、こうにかであっても、目の前を生きることなのではないだろうか。それには、「感謝」は必要だ。

冒頭に書いたが、年齢を重ねてきているだけで人間が出来ていない。そんな者の現在のところでの思いだ。長々と書いてしまったが、参考にもならないか(笑)。

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2016年

12月

03日

今日の一曲⑨:マーラーの交響曲第2番「復活」

「今日の一曲」の9回目。今回は、マーラー作曲、交響曲第2番「復活」を紹介させていただく。

この曲にまつわる思い出話というより、この曲が収録されたあるLPレコード盤について語ってみようと思う。

 

もうだいぶ前の話だが、マーラーの交響曲が日本でもブームになったときがあった。クラシック音楽でブームになるというのは大概が「作曲者の生誕〇年を記念して・・・」ということを言って、クラシック音楽界全体で盛り上げるのだ。このときもそうだったかも知れない。申し訳ない、あまりよく憶えていない。ただ、普段あまりクラシック音楽を聴かないような人たちまでが、マーラーの交響曲をBGM的に部屋に流して過ごすといったことが流行の話題になったのを記憶している。だから、ちょっとしたブームであったことは確かだ。

ちょうどこの頃、レコード店にCDが置かれるようになった。CDとLPレコード盤とが同居して店に並んでいた。でも、まだまだLPレコード盤の方が多い。

 

きっと、マーラー・ブームにまんまと乗せられたのであろう、マーラーの交響曲を求めてレコード店に入った。

そこで、見つけたのが紹介するこの盤だ(上の写真)。

「スーパー・アナログ・ディスク」と称されたレコード盤だ。「究極のアナログ・サウンド」が謳い文句だ。

手にすると通常のLPレコード盤よりも明らかに2倍以上は重たい。ずっしりくる感じ。少々大げさか?いや、そうでもないな。盤がしっかりと分厚い。 

 ジャケットの中に「スーパー・アナログ・ディスク」の説明も書いてあって、どうやら、通常のLPレコード盤よりも細かな周波数の変化も再現できるらしい。

この目新しいレコード盤のキャッチにも乗せられたのかも知れない。実際に聴いてみると、ダイナミック・レンジ(音量の大小の幅)の広さを先ずは感じる。静かに鳴っている音の滑らかさと音量が上がった箇所での迫力に威力を発揮しているように感じる。

が、マーラーの交響曲第2番とはそういう曲でもある・・・ん〜、なんともなぁ(笑)。

CDに対抗して、「アナログ・レコードもこれだけ聴かせられるぞ!」という当時のレコード盤製作関係者の必死な思いが今になって伝わってくる。すみません、気付くのが遅過ぎました~(汗)。

 

さて、この究極の「スーパー・アナログ・ディスク」に収録された演奏、演奏そのものもとても気に入っている。よかったでしょ(笑)?

ズービン・メータ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団による演奏だ。1975年2月の録音と記されている。ジャケットに記されているのを確認すると、1986年に、この盤にして発売したということのようだが・・・。

 

で、お気に入りのこの演奏、私の勝手な感覚だが、演奏の最初から最後まで、また細部に渡るまで、最高のテンポ感だ。音楽評論家ではないので当てにしないように願いたい。あくまでも、個人の感想だ。・・・あれ?、何かのCMのようなフレーズになってしまったか。

とにかく、最高のテンポ感だ。というのは、このレコード盤を聴いていると、いつの間にか眠りに就いている。これが何よりの証拠だ(笑)。言い忘れたが、このレコードは2枚組で成り立っている。1枚目のA面、次にB面に盤を反してプレーヤーに置き鳴らすと、その後は大抵の場合、いつのまにか音が止っている。ウトウトと目を覚ます自分に気付く。やっと、2枚目の盤をジャケットから取り出す。2枚の盤を続けて通して聴くことは滅多にない。心地好いとは、こんな状況にもしてくれることがある。

 

マーラーの交響曲では、第5番や第8番も好みで聴く。が、この「スーパー・アナログ・ディスク」の存在のお蔭で、交響曲第2番「復活」をとても気に入って、これが切掛けで、これらも好きになったように思う。

 

当時、「マーラー・ブーム」と「スーパー・アナログ・ディスク」の両方に乗せられて手にしたのだが、好い(よい)音と演奏に出会えたと感じている。・・・というこで、「今日の一曲」は、マーラーの交響曲第2番「復活」を紹介させていただいた。

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