今日の一曲No.117:ショスタコーヴィチ作曲「交響曲第5番 ニ短調 作品47」(佐渡裕&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団より)

「今日の一曲」シリーズの第117回です。

ご無沙汰しております。随分と間隔が空いてしまいましたけれど、実は私、2023年の年明けから一寸ありまして。

いやぁ、地球は回るのですねぇ。アハハ。

今回は、“ピンチに陥る”と、何故か私の内の何処かで勝手に現れ始める旋律の、ここに纏わる楽曲とこれを収録した盤についてご紹介させてもらいます。

これ、その我が内を“挑む気持ち”へと変換してくれる、そのような手助けまでしてくれているみたいで。このあたりの事とも絡めて、私の近況なんぞも併せてご報告させてもらいたく存じます。

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《“ピンチに陥る”と現れる旋律》

中学生の頃からだったか、それよりもう少し前からだったか、またそれはある種の妄想か、あるいは病なのか、その辺りのこともよく分からないのだけれども、いつからかこの私なる者は、自身が何らかのピンチに陥ると、いつの間にか、その私なる者の脳裏か胸裡かの何処かで或る決まった旋律が流れ始めて・・・自身でも知らぬ間にその旋律を想い浮べているといった具合なのだけれど・・・。

要は、中学生だった頃のそれくらいから、以来、ピンチに陥ると、どうにかしなくちゃ、といった思いと一緒に私の内の何処かではその旋律がしばしば勝手に現れ、鳴り響く、のだな。

殊、10代・20代の歳の頃は多かった気がする。

そして、60歳を少し越えた現在のここ昨今においてもまた再び、たまぁ~にだけれど、こうしたことがあるのだよね。

 

「ぅわ~キモ」なんて思ったりしないで、ここから先もお読みいただきたい。

 

で、この旋律を最初に耳にしたのはいつなのか、といったことについては明確なる記憶がなく、おぼろげながらにもその頼りない記憶を辿っては、小学5・6年生の頃であったのではないのかな、と想う。

が、この旋律が何であるのかについてきちんと認識したのは、高校生になってからだ。FMラジオのそこから流れてきた音楽のこれで、ようやく認識したのだ。

・・・・

あぁ、これこれ。

そうだったのか。ショスタコーヴィチ、だったんだな。

・・・・

ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」、第4楽章の冒頭、ティンパニが力強く鳴るそれとともに威勢よく奏でられるここでの主題の、その旋律だった。

 

ところで、“ピンチに陥る”とは・・・。

 

なんだな、小学生の頃から学校のお勉強というものが苦手だった私は、学校という場所のそこに居る限りはピンチの連続で、これが、中学生になってからは余計に自覚せざるを得ない状況が多くなって、以降、高校生のときも、大学生になってからも同様で、またそんなだからこんなふうに記憶に残っているのかも知れないけれど、更に想い起せば、社会人になってからも色々で、特に最初に務めた職場では自身の要領の悪さもあって激しい派閥争いのここに巻き込まれ、エライ目に。

ま、生きて、生活していれば多少のことあっても当然なのだけれど。それにしても、少しばかり度が過ぎる場面に遭遇すること度々の10代・20代であったように思う。

加えて、40歳代のほとんどは病気を抱えながらの生活でもあったし。

それで、きっと、いつからか癖のようになってしまったのだろうねぇ、遂には現在に至っても、“コロナ渦”というこれの影響あってなのだろうか、“気候や環境のその地球規模の危機的状況”にも“戦争やら紛争などが未だ止まない”そうしたもののせいだろうか、ここ最近も再び時折。

 

でも、こういうのって、自身であまり思い込み過ぎるのもヨクナイらしいね。

それでもだ、私の場合は、“ピンチに陥る”ことがあってもその度にこれを乗り越えようとそこへと“挑む気持ち”は、この旋律のお陰ではないかと、こうも思えていてね。つまりは、こんな私も、数々の“ピンチに陥る”を“挑む気持ち”へと変換して、どうにかこうにかピンチを乗り越えてきた・・・いまもまた乗り越えようとしている・・・わけで。それは、ショスタコーヴィチの、この旋律のお陰かも知れないのだ。少し大袈裟か?

 

《今回ご紹介する盤について》

ってなことで、今回は、ショスタコーヴィチ作曲「交響曲第5番 ニ短調 作品47」を。

で、ご紹介する盤を、どれにしようかと思ったのだけれど。

“ピンチに陥る”と併せて“挑む気持ち”をテーマとして掲げるならば、この盤の外にはないのでは、と思った次第で。

 「佐渡裕ベルリン・フィル・デビューLIVE」というタイトルが付いたCD(2011年5月にベルリンで開催された演奏会のライヴ録音CD)。

実は、この盤、第63回(2018/01/02 公開)で既にご紹介済み。

というのは、これ、2枚組のCDで。第63回では、武満徹の作品を収録したこちらの方の盤をご紹介させてもらったというわけなのだ。

そこで、今回は、もう一枚の、ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」が収録された方の盤を取り上げさせてもらうことに。

 

私、想うのだよねぇ。今回ご紹介の、この盤に収録された演奏を聴いてはその度に・・・。

私如き者の“ピンチに陥る”と“挑む気持ち”のこんなものは、きっとこのお二人がそれぞれに経験されてきた“ピンチに陥る”と“挑む気持ち”に比べたら小っちゃなモノなのだろうなぁ、と。私なんぞには想像もつかないくらい大変な“ピンチに陥る”を、計り仕切れないほどの“挑む気持ち”に変換して、事を成していったのだろうと。

 

もちろん、人各々が遭遇する“ピンチに陥る”も、人各々が志す“挑む気持ち”も、これを計って他者と比べるなんてことは、すべきではないし、できない、のだけれど。ま、こうしたことも前提の上で、先ずは、偉業を成したこのお二人について触れてみよう。

 

《ショスタコーヴィチの場合》

ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906~1975年:旧ソ連(ロシア))が交響曲第5番の創作に取り組んでいた頃、これより少し前から、彼は当時のソ連当局から弾圧を受けつつあって、その当局の監視の下に置かれながら創作活動をしていたらしい。

実際、交響曲第5番の前作にあたる交響曲第4番は当時において前衛的ともいえる作品だったのだけれど、発表公演直前まで進めていたところを彼自身の判断で公演を取り止めている・・・というよりも、取り止めざるを得なかったのだろうね・・・。その後、交響曲第4番は、25年ほど過ぎた1961年(スターリンが亡くなった年)まで演奏されることはなかったのだな。

 

そんな“ピンチに陥る”こととなった最中、彼は、当局もある程度は理解を示すであろう、古典的な手法・形式を用いながら交響曲第5番を創作することにした。こうした方法によって創作を続けることで、ショスタコーヴィチは“ピンチに陥る”を“挑む気持ち”へと変換する糸口を探ったのだと想う。

交響曲第5番の初演は、1937年、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団に依って行われ、大成功をおさめた。この初演の成功は、当時のソ連当局からも、またソ連の民衆らにも認められ、更には国際的にも広く高い評価を受けたという・・・それでもソ連当局はこの後も彼への監視を軟化させたり硬化させたりしながら、結局は、これを止めずに続けたのだよね・・・。

 

表面的にだけみれば、ショスタコーヴィチが自身の真意を曲げて、ソ連当局の意に則した恰好でもって交響曲第5番を創作・発表したように映るのだけれど、いやいや、どうしてどうして、この曲全体を通して、これを僅かにでも深く聴こうとするならば、ショスタコーヴィチなる人間のそこからしか表現されない音たちがあちらこちら随所にちりばめられていることに気付かされる。とまぁ、私個人の感想ながら実にそう思うのだ・・・尤も、クラシック音楽ファンの皆さん、プロの指揮者や演奏家の方々、他、専門に分析をされている方たちのなかにも、これと同様の意見・考えをもつ人は多い・・・。

ショスタコーヴィチからすれば、自身の作品をなんとかして発表できる状況へともっていかなくちゃぁならない。家族の身も心配であったろうし、なんとしてでも音楽を創り続けたいと考えていただろうし、ね。当局に従う恰好となるのも仕方ない。が、それだけでは彼が彼自身の作品創りに納得がいかなくなる。表向きは当局に従いながらも、技法やら何やらを工夫して中身のそこかしこに自身が意図する音を散りばめて、ってなことは危険を覚悟しながらも、その覚悟や音楽への思いが本物であれば、そりゃぁするのだろうな。

 

こうして挑み続けた結果、弾圧を受けながらも、ショスタコーヴィチ自身は彼の心の内でニンマリと笑みを浮かべながら創作にあたっていたように想う。

まぁ、堂々と、「交響曲第5番」という、その作品を発表してみせたのだからね。しかも、大成功だ。

ショスタコーヴィチの交響曲第5番からは、“ピンチに陥る”その状況下に置かれながらも“挑む気持ち”を失わずに創作を続けてみせた、只ならぬ彼の凄み、只ならぬ彼の情熱、こうしたものを特別余計に感じる。

 

《佐渡裕の場合》

指揮者の佐渡裕は、遂に、幼き子どものときからの夢を叶えるチャンスを得た。そう、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演。ベルリン・フィルを相手に指揮を振り、共に音楽を奏でるという、夢だ。

 

が、初対面となったベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのリハーサルは、彼が覚悟していた以上に難航を窮めたものであったらしい。

楽譜に記されている以上のことの、例えば、この箇所はどんなふうにクレッシェンドをしていくのか、どんな意図があってそうするのか、アーティキュレーションや音符一つのニュアンスをめぐっても、彼とベルリン・フィルの楽団員との間の意思疎通はなかなか上手くいかないでいた。一時は、「これではCD用に録って残せる演奏は無理ではないのか」とまで関係者は思ったそうだ。

世界的にも超一流と言われる、そんな演奏家たち、そんな強者たちが揃い集まったオーケストラだものね。佐渡裕と言えども、ベルリン・フィルの楽団員たちから信頼を得るのは容易ではなかった。ま、夢を叶える目前で、“ピンチに陥る”これが待っていたというわけだ。

 

ベルリン・フィルの楽団員たちから彼(佐渡裕)に対しての疑問符が払拭されたのは、本番直前になってからだったそうだ。佐渡裕は、全身の全てを使って、時には指揮棒さえも置いて手指の先まで使ってゼスチャーをしながら楽団員たちに楽曲のニュアンスとその意図を伝える、そこまでするようになっていたらしい。

佐渡裕は“ピンチに陥る”その状況のなかで、必死に、全身のこれら全てを使い、彼の“挑む気持ち”をベルリン・フィルの楽団員たちに伝えていったのだろうね。もちろん、佐渡裕、彼が、彼の幼き日からもち続けていた夢も、その夢を必ず叶えるのだ、というこれを本物の志としてもっていたからこそで、これ在って、“ピンチに陥る”も“挑む気持ち”へと変換できたのではないのかな。

 

こうして、佐渡裕は、2011年5月20日の本番(公演1日目)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演の、その舞台に立った。

CDを聴いていても、佐渡裕とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の、その双方の緊張感と熱い思いが強烈に伝わってくる。幾らかばかりか前のめり過ぎるのでは?といった箇所もあるけれど、こんなところこそが演奏の迫力をも繊細さをも真っ直ぐに表しているように感じられて、むしろ聴いていては、佐渡裕とベルリン・フィルの“挑む気持ち”のこれがショスタコーヴィチのものとも一緒になって届いてくるようで、とても胸を打たれる。

佐渡裕は、この日、確かに、夢を叶えた、のだね。

 

《CDから届く第3楽章の威力》

今回ご紹介している盤(CD)に収められた演奏の、これ全体通しての印象は、先に申し上げた通りだ。私如き者の言い分ではあるけれど、率直な感想だ。

 

が、このところの数年の間で、ご紹介のCDを聴いていてあらためて思うことは、第3楽章のそこに宿る威力だ。

そして、次いでに、ということにはなるけれど、併せて思うのは、その中学生の頃から勝手に私の脳裏なり胸裡なりの何処かで鳴り響くようになった第4楽章の旋律も、直前の、第3楽章で奏でられる音たちの存在これ在ってこそで、実はこれこそが鍵になっていたのではないのかな、と。

 

いやぁ、分からないよ。小・中学生の頃の、その当時の明確な記憶は残っていないのだし、そも、記憶なんてものは現在に至ってのこの時点での私が勝手に創ってしまっていたり書き換えてしまっていたりしているものだろうからね。

ただ、第3楽章をまったく聴かずして、“ピンチに陥る”こととなったそのような場面で、中学生くらいだった当時の私なんぞのその脳裏か胸裡かの何処かで勝手に第4楽章冒頭の旋律が現れ鳴り響いたりするものだろうか。

 

第3楽章のそこから私が受ける印象は、こんな感じだ。

第3楽章で奏でられる音たちは“どこまでも深く哀しい、これに耐えている”・・・深い哀しみのなか、その哀しみを外に向けて訴えようとしても、また吐き出そうとしてもそれは叶わず、ただただ自身の内に納めてこれに耐えるしかない。これほどまでの哀しみを我が身に抱えたまま私は、この先いつまで耐え続けることができるだろうか・・・といった印象だ。いや、“耐えなくては。耐えてみせなくては”といった心具合も胸の内深くには秘めていて、そうしたある種の力強くもあるエネルギーを感じなくもないのだけれど。

 

それだから想うのだけれど、第4楽章冒頭の旋律が勝手に鳴り響くようになったそれより以前に、私は、恐らく・・・もちろん、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を全曲通して聴いて、第1楽章からも第2楽章からも暗雲が徐々に迫り来る、僅かながらの光をも覆い尽くしつつある、そんな想像を抱きながら聴いたのだとは想うけれど・・・、第3楽章からのこれを、殊、強烈な印象で以て受け止めたのではないかと。ところが、余りにも強烈過ぎて、第3楽章から感じ得た“どこまでも深く哀しい、これに耐えている”の印象を直ぐにでも打ち消したくなって、“ピンチに陥る”これよりも、ここから這い上がろうとするときの、その“挑む気持ち”を感じ得ることができる第4楽章冒頭の旋律の方を記憶に留めた。そのうちに我が脳裏か胸裡かの何処かで勝手に鳴り響くようになった、のではないかと。こんなふうに考えないと、“ピンチに陥る”を“挑む気持ち”へと変換する最適な音たちとして、第4楽章冒頭の旋律が勝手に鳴り響く、といったことにはならないように思うのだよね。

あれ? こんな話、どうでもよかったか?

ここでは私事の細かなあれこれなど、次いでの話、であったな。失礼しました。

 

ここで一番に申し上げたいことは、このところの数年の間でご紹介のCDを聴いていては、第3楽章にこそ、先に申し上げたショスタコーヴィチの、只ならぬ彼の凄み、只ならぬ彼の情熱、これらが詰まっているように感じるってこと。

併せて、佐渡裕とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団彼らの演奏からもショスタコーヴィチのこれらを体現してみせているような、只ならぬ音、只ならぬ響き、を感じるってことだ。

同曲を、他の演奏家たちで奏でたものを幾度となく幾つか聴いてもきたけれど、このCDから届く第3楽章の音の威力は、一寸ばかり特別に感じる。

 

《最近の私、の場合》

~近況報告も兼ねて~

 2023年の年明け、が、正月気分もそろそろ抜けようかという頃だ。救急車で病院に搬送される始末で・・・。あっ、ぃや、私のことなのだけれどね。

夕食後1時間ほどして、突然だった。地球がなんだか変な具合に回り始めちゃってね。

ま、激しいめまいと吐き気に襲われたってわけ。

搬送先の病院での検査・診察では、これといった原因は特定されず(*脳には異常なし、とのこと)。吐き気止めなどを投薬されて少し症状が収まってくると、この御時世・・・新型コロナウイルス感染者急増中の最中・・・だものね、入院ベッドにも空きが無いということで、深夜2時頃にも、タクシーで帰宅することに。少々危なかったけれど(途中、吐きそうで)、ドライバーさんに余計な迷惑を掛けることなく、無事に帰宅。

その後5日間くらいは身体がどうにもフワフワしている感じがあって、部屋で安静に。非常時用に保存してあった食料をちまちま食べては休養を摂った。

 

こんな具合であった間に、実は私、誕生日を迎えましてね。

六十云歳。←何故か微妙にゴマカス。

有り難いことに、SNS上では私如き者の誕生日を祝う、そうしたメッセージもいただいて。症状が落ち着き始めた頃から・・・誕生日からは4日くらい経過してしまっていたのだけれど・・・、少しずつ、メッセージをくださった方たち皆様に御礼を兼ねて返信させてもらった次第だ。

 

現在も病院(めまい&耳鼻科)で検査・診察を継続中。医者からは、暫くおとなしく過ごすように、と言われている。

(*2023年2月18日現在、原因は特定されていません。但し、耳石の破片?なるもの、ウイルス性のもの、これらが原因でないことは確からしいです。)

 

なもんで、3年半ほぼ休みなく続けてきたボイストレーニングも、いまはお休み中。

そろそろ再開させたいなぁ、と考えていたライヴ活動も、当然のことながら、当面の間は見送り。

トホホ、ふぇ~ん。

 

そもそもの原因は何か(身体的な原因とは別に)。

それは、私が自分で大凡分かっている気がする。

冒頭近くで述べた「“コロナ渦”というこれの影響あってなのだろうか、“気候や環境のその地球規模の危機的状況”にも“戦争やら紛争などが未だ止まない”そうしたもののせいだろうか」というこれは、恐らく半分くらいはこの通りである、と思う。

 

3年ほど前から続いている“コロナ渦”ってのは、私の生活においても随分と影響があった。

私の場合は、音楽活動のうちでも主としているライヴ活動のこれが全くできなくなってしまった・・・これには、“コロナ渦”でのライヴ活動の在り方やライヴ会場となる店側が自粛せざるを得なくなったことなども一つ要因ではあるけれど、こうしたこととは別にもう一つ、同居する高齢の母の、その体調が1年半前くらいからあまりヨロシクナイ状態となってしまい、母の体調を見守りながらの生活へとシフトせざるを得なくなったことも要因としては大きい・・・。

この3年間、ライヴ活動はほぼ休止状態だ。

情けない話だけれど、一時期(2年半前くらいかな)は、そこそこ蓄えてあったそういったものも止まることなく零(ゼロ)へと近づいていって、「もう生きていけないよぉ」の、ほんの一歩手前のところまでいった。

 

それでも、現在の私は(2年前くらいから)、現時点で可能な、自分に見合うスタイルの仕方で生活することができている・・・これには運のよさもあってね。以前にご縁のあった方の、そのお陰で現在に至っている(個人で、家庭教師みたいなこと(子どもたちが自立(自律)した姿勢で学習や探求に取り組んでいくことができるように相談・提案に応じている)をしながら、どうにかこうにか生計を立てていくことができている)・・・。

 

まぁ、ねぇ、音楽活動が想うようにできないことも、母の具合を日々気にしながらの生活も、心の内としては重いモノがのしかかっている感じがあって、それは、決して除けてはいないよ。

でも、こうした“私個人だけの事柄に限って”謂うのであれば、私自身が日々の生活のこれを実践して、この実践の一つひとつを積み重ねながら、より自身が望む方向へと進んで行けるように歩み、自身が本当に望むその機会を逃さず待つという姿勢で、また望むその機会も必ず訪れるように想えるから、自分でそうしていく外ないように思うのだ・・・時には他人様のお力を借りながらでもね・・・。要は、僅かながらでも、ここには“希望”が在るってこと。

 

これとは些か違って・・・。

地球全体にまで影響を及ぼしている気候やら環境やらの問題に地球人類は未だきちんと向き合わずに居ること、加えて、このような状況下においてもまだ戦争や紛争があちらこちらで続いていること、こうした事柄に対しての方が自分ではどうにも手に負えないように感じて、なんだろうね、自分の無力さとも重なってなのか、“ああ”・・・地球人類は、自分らが住む地球という星を自らの手で破壊していって、人類自らをも滅亡させていく方向へと進むのだなぁ・・・、などと思っちゃったりしてね。

当然、自分だけの偏った狭いモノの見方や考え方にならないようにと・・・むしろ、コロナ渦で、自分独りの時間も増えたので・・・、これまで以上に色々と書籍類なども読みあさりながら併せて考えているつもりなのだけれど。

ところがだ、あれこれと知れば知るほど、地球と、そこに現在生きる生物たち・人類は、危機的状況のその只中に居るのだと、にも関わらず、殊人類は破滅の方向へと手を染めそこへと進んでいるのだと、こんなふうに思わざるを得なくて。私がまだ小学生くらいだった子どもの頃にあったSF風な小説やテレビ番組の物語では、他の星から襲来する異星人(エイリアン)(?)が地球や地球人類を滅ぼしに来る、ってのが殆どだったけれど、まさか、地球人類が地球を壊していくなんてね。一方で、私自身もこれに対してどうにも抗えないままでいるのだと。

そう考えているうちに、なんだか自身から“希望”なるものがどんどん薄れて消えていくようで・・・。

子どもたちのこの先の未来なども思うと、更に・・・。

それでまた“ああ”などと思っちゃったりするわけなのだよなぁ。

 

まぁ、「第3楽章」ほどではないにしても・・・ね。

 

(ちょっと重い話になって、すみません(汗))

(が、もうチョビットだけ続けさせて)

 

こうなると、先の“私個人だけの事柄に限って”と謂っていた部分にも多分に影響があって、その反響が悪い具合に共鳴し合ってしまうのだな。

既に難しい状況にあったライヴ活動に加えて、更には音楽創作においても全くアイデアが浮かばなくなるのだよね。“希望”というものが薄れて消えていくなかでは、何をどう描いて、どんなふうに歌詞や音にして表現すればいいのか、どうにも全く浮かばなくなるのだよ。もっと言えば、アイデアを絞りだそうとするこれまでもが失せていってしまっているかのようで。ぅん~、もしかすると、ライヴ活動に対しての気持ちも、本当のところは、萎みつつあったのかも・・・。

先に述べた「現在の私は(2年前くらいから)、現時点で可能な、自分に見合うスタイルの仕方で生活することができている」も、“生計”を立てていくことができているというだけの話で、“生活”そのものは、自分でコントロール仕切れているわけではなかったのかも・・・。

 

特に、この1年くらいの間は、こんなで居ながらのまま、西暦2023年を迎えてしまったからね。

そりゃぁ年明け早々、地球だって変な具合に回るさ、というわけ。

 

《ショスタコーヴィチに叱られながら》

と、ここ十数年くらいの間、鳴りを潜めていた、あの音たちが現れ始めたのだよ。丁度1年くらい前から時折。

ショスタコーヴィチの交響曲第5番、第4楽章冒頭の旋律だ。

 

恐らく、“ピンチに陥る”ここに居るのだと、私に警鐘を鳴らしていたのだろうね。

にもかかわらず、私は、ちゃんとこれを受け止めていなかったのだな。

 

そして、1ヶ月ほど前からは少し多めに現れて・・・。

・・・・

「おまえさん、結果が出る前からあきらめる気か?この程度のことで“希望”が薄れていくなんて、おまえさんのそこに在った“希望”とか“志”とかはただの「空想」に依るものだったのか?本物の、そう「理想」を以てそれを描いているのであるなら、生きて、生活を実践しながらこれを貫け。むしろ、自ずと貫けるはずだ」

・・・・

と、時折ながら、私の脳裏か胸裡かの何処かでショスタコーヴィチの旋律が私に向けてこんなふうに叱ってくれているように聞こえてくるのだ。

 

ん?また、キモい、だなんて思わないでよ。

 

ならば、折角だものね、“挑む気持ち”へと変換していかなくちゃ。地球が変な具合に回り始めたこの機会に、あらためて、ゆっくりと、私は私の身体と心のこれらとも丁寧に向き合おうと思う。

そのなかで、先ずは、私自身が実践・行動すべき生活について、音楽活動の、そのライヴ活動や音楽創作について、また、子どもたちへの教育についても、もう一度、少しずつでも、きちんと感じ、考えたい。

 

そして、こうするからには、“分からない”と、“分からない”ことのそこに“面白い”を感じることが大切で、またこういったことが欠かせないように思う。

うん?些か唐突だったか?

サラッと、簡単にだけ謂っておくと、地球云々、戦争云々の、これについて“分かった”ふうになってしまっている現在の私こそが私自身から“面白い”を鈍くして“希望”を薄くさせているのだと思う。他の何かのせいではなくてね・・・もちろん、地球云々、戦争云々のこれらは深刻な問題だ。が、私の“希望”を薄くさせているこれ自体は、私、だろ・・・。

 

尤も、こんなふうにしてみたからって、地球規模にも及ぶ深刻な問題に私が本当に向き合い対峙することができるようになれるのか、“希望”とか“志”とかを私は「空想」ではなく「理想」を以て描けるようになれるのか、などについては不確かだけど。ま、このあたりのことはまた後の課題かと。但し、地球および地球人類が絶えてしまうより前に見出さないとならないね。

 

兎にも角にも、暫くは、ショスタコーヴィチに叱られながら、“分からない”と“面白い”を感知するための感度を研き直そうと思う。

そのためにも、これからも時々は、佐渡裕とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏する、このCDを聴くことになるのだろうな。

 

あとは、そうだなぁ。他者と直に対話する機会や、他者との繋がりを意識する、こうしたことをいま一度大切にすることかな。真面目な話ばかりでなくてイイ、それよりも、互いに笑い合えるような、そういったことを大切にね。

誰かと互いに笑い合っているうちには、地球も変な具合に回ったりはしないだろう。

 

「今日の一曲」の第117回、今回は、ショスタコーヴィチ作曲「交響曲第5番 ニ短調 作品47」を、佐渡裕とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に依る演奏のこれをライヴ録音したCD『佐渡裕、ベルリン・フィル・デビューLIVE』のここからご紹介させてもらい、併せて、諸々語らせてもらった。

 

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*今回はいつもにも増しての長文で、これをお読みくださった読者の皆様には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

*まったくもって、いまの私めは、暗いトンネルにでも入り込んでいるような、自分自身についても、物事の様々についても、少々見失っているところがあろうかと。そんなわけで、読者の皆様には、読み苦しい箇所が多々あったかと存じます。この点、深くお詫び申し上げます。

依然、時折、地球が変な具合に回りそうになる、このなかで少しずつ書き足していったブログなものでして・・・お許しを。

 

*皆様の身の上においては地球が変な具合に回るなどございませんように、お祈り申し上げます。