今日の一曲 No.115:プロコフィエフ作曲「ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16」(ユジャ・ワン&グスターボ・ドゥダメル&シモン・ボリバル交響楽団より)

「今日の一曲」シリーズの第115回です。

今回は、恩田陸の小説「蜜蜂と遠雷」のなかに出てくる一曲と絡めて、諸々語らせてもらいます。

いゃね、この曲が、どんな曲だったか、どうにも想い出せなくて、小説に書かれていたイメージとも合うような演奏を収録した盤はないものかと、あちらこちら探したわけです。

で、ようやく見つけた、ライヴ録音のCD。今回はここからその一曲をご紹介させていただこうと思います。ただし、これに絡めての“前置き”が少しばかり長いので、お読みになる方は覚悟のほどを・・・なんて。

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《小説「蜜蜂と遠雷」を読みながら》

・・・本選へと進んだ栄伝亜夜。その彼女が本選で演奏する曲は・・・。ほぉ、この曲かぁ。なるほど、そういうことになるんだね。

5年くらい、いや、もう少し前のことだっただろうか、恩田陸の小説「蜜蜂と遠雷」を読みながらだった。が、そこに記されている曲名のこれが、どんな曲だったか、どうにも想い出せないでいた。

20代の頃にFMラジオをエアチェックして録音したカセットテープの、そのインデックスカードにはこの曲名を書いた記憶があるのだけれど、当時に録音したこれらカセットテープは、テープの劣化もあって・・・30年近く聴いて保管していたことになるからね・・・10年くらい前にその殆どを処分してしまった。

ところで、皆さんは、才能がある、とか、才能がない、とか謂うときの、“才能”っていったい何だ、なんて考えたりすることはあるだろうか?

というのはね、私、「蜜蜂と遠雷」を読みながら、久しぶりに、“才能”と謂うこれについて考えさせられたのだよ。この小説を読む前までは何十年もの間あまり考えたことなどなかったのに、私の何処かに在った何らかの心の持ち具合とこれを読むそれとのタイミングがたまたま合ってしまったというべきか、兎も角、この小説を読んだことをきっかけに、以来、時折、何とはなしに考えるようになってしまったのだな。

 

ってなことで、本題へと入る前に、“才能”、これについて少々語らせてもらおうかと。少々で済むのか、ちょっとアヤシイけど・・・。

 

《才能について(その1)》

~学校のお勉強は苦手だったけど~

いやぁ~、小学校に通うようになってからホント直ぐだった、中学校に通うようになってからもそうで、私なる者は、学校のお勉強のその大抵のものが嫌いで、つまりは、学校のお勉強は苦手、ということにもなってしまいがちで、そのまま高校2年生の秋頃まで過ごしてきたような奴なのだよ。

だから、この間の私は、学校のお勉強の色んな教科・科目の大抵ができるふうな級友や仲間を、すげぇ尊敬するワ、と思っていたし、恐らく、羨ましい、とも感じていたはずなのだ。あぁそうそう、運動会や球技大会などで活躍する友人たちのことも。

が、学校生活で見られるあれこれを“才能”ということと結び付けた記憶はない。人はそれぞれに色々に違って当然で、得手不得手があっても自然なことだと思っていた。尤も、こうした物事について深く考える術など当時の私はもっていなかったと想うけどね。

ま、学校で何でもできるふうな人たちも学校以外のところではどんなであるかは分からなかったし、お勉強の良くできる彼ら彼女らだって様々に工夫してそれ相当の時間を掛けて取り組んでいることは知っていたから、その成果なのだ、と思っていた。スポーツ・運動が目立ってできるような友人たちも、確かに、特別に勘がいい、身体的な何らかの感覚に優れている、という感じはしたけれど、やはり、身体をどう動かすのが合理的なのか、といったことをよく探っていたし、関連していそうな事柄について数々知ってもいた。家庭科の調理実習や手芸の時間になると途端に活き活きする人などもそうだった。広義的に謂えば(一般的に謂う、辞書などに書かれている意味からすれば)、これらも“才能”ってことなのだろうけれど。

 

《才能について(その2)》

~悩んでいたか迷っていた時期~

で、“才能”といったこれについて特別にわざわざ考えたのって、頼りない記憶を辿っては、高校卒業後の進路を考え始めた高2・高3の頃と、社会でどうやって生きていくのかを強く意識した大学生の頃だったのじゃぁないのかな。ぅん~、だから、自身の進路や自身の社会生活について、悩んでいたか、迷っていたかしていた時期だ。

“将来の夢”や“将来の目標”などといったものは子どもの時分からずうっと描いたことのない人間でね。もちろん、考えたことはあったよ。いや、考えさせられる機会は何度もあったのだけれど・・・学校の作文の時間とかにね・・・、が、何をしたらいいのか、全く具体的なものが浮かんでこないのだな。先ずは自身が遭遇した目の前の事に向かう、それだけだった。何をしたらいいのか分からなかったから、取り敢えず嫌いな学校のお勉強にも取り組んで大学へと進学した(大学に合格できたのは奇跡的な出来事だったけれど)。それだけに、大学の4年間では何かきっかけをつかもうと色んなことに挑んだ。それでも、何も出てこない、何をして生活していったらいいのかそのイメージすらも湧かないのだった。

そんなとき、世間が謂うところの、“才能”がある、“才能のある人”という、この人たちが初めて眩しく感じた。自身の能力を目一杯発揮しようと夢中になって取り組んでいる。遂、比べては、自分自身に向けて悲観的にもなって、「オレには、これだ、という何かを感じて見つけられる能力、こういった“才能”がないんだ」なんて思ってしまうのだった。所詮は、考える、に至っていなかったからだろう。

それで結局は、読者の皆様も大方ご存知かとは想うけれど(または同ホームページの「子どもたちを育む『自立と自律』」のページに記してある通り)、30数年間に渡って、10代の子どもたち(主に中学生・高校生)とともに過ごす、ここに関わる仕事に就くことになる。ちなみに、担当教科は数学。中学生の頃の私が一番苦手だった教科だ。

 

《才能について(その3)》

~この身、この肌で感じてきたこと~

なんだか不思議、未だによく分からない。何故この道を選び、30数年も続けてきたのか。

30年以上もの間、子どもたちと過ごす現場のそこに居続けてきては、そりゃぁ、様々なタイプの人間と出会ってきたわけで。もちろん、人間一人ひとり、その誰もがそれぞれに違って、その誰もがそれぞれに特徴的な何かをもっていることは当然でもあるのだけれど、色んな人間が様々な具合に存在することを、この身、この肌で、毎日のように感じてきたわけで。“教える”だなんてとんでもない、“教わる”ことばかりの毎日だった。“才能がある”とか“才能がない”とか、特に考えたことなどなかったのじゃぁないのかな。強いて謂えば、“才能はそれぞれの子どもに色々に在るのだ”ということ、その“それぞれに在る色々な才能の芽(可能性)を摘み取ってしまわないこと”、こういったことの方に自と注意を払っていたかと思う。・・・と、いま、「注意を払っていた」とここに書いたのには、知らず知らずのうちにも色々に在ったこれらの芽を摘んでしまっていたかも知れない、といったそんな反省が私の中に在るからだ。

30年余りに渡って子どもたちとともに過ごしてきたその現場でのあれこれは、好い(良い)も悪いもあって単純には言えないけれど、少々体裁よく言えば、少なくとも私にとっては、私に、生きる、生活する、といったことの実践なり経験なりをさせてくれた場であったと同時に、その実感を与えてくれた場であったかと思う。そして、こんなふうに過ごしていては、自身についての“才能”のことなど、いつの間にかすっかり視界から消えて無くなっていた。

 

《才能について(結論)》

~互いに感じ合えたなら~

そんな30数年に渡って辿ってきた道の、そこからそろそろ離れようかと思い始めていた頃だ、「蜜蜂と遠雷」を読んだ。

ざっくり私なりの解釈でこの小説の内容を申し上げれば、・・・若手ピアニストの登竜門的なコンテストの、そこに出場する、風間塵、栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの3人のコンテスタントを中心に、この3人が互いに影響し合いながら、コンテストの間にも成長していく姿と、併せて、同じくコンテスタントとして年齢制限ぎりぎりで出場した高島明石、栄伝亜夜と同じ音大に通う先輩(友人)浜崎奏、コンテストを取材するテレビ・ディレクター仁科雅美、コンテストの審査委員の一人である嵯峨三枝子など、こうした人たちもまたそれぞれの目線で3人を見守り眺めてはそこに触れながら自身と向き合っていく。・・・これらを描いた物語だ。

「・・・文字通り、彼は『ギフト』である。恐らくは、天から我々への。・・・彼を『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうかは、皆さん、いや、我々にかかっている。」

と、これは、物語中に登場する、ある人物がひとりのコンテスタントの推薦状として書いた文で、読み方よっては、この推薦状がキー(鍵)となって進行する物語、謂わば、“才能”について問う物語、とも言えるかも知れない。ま、でも、これはあくまでも私の解釈で、私の場合はそのあたりのことも探りながら読み進めていった次第だ。

 

読み終えると、自身でも、“才能”についてじっくりと考えてみたい、心境にあった。このときはそろそろ還暦(60歳)を迎えようかという頃でもあって、それで、あらためて、生活や仕事との向き合い方、どうしたって老いていく自分のこの先の生き方、これらについても考えていたのだ。・・・悩んでいたか、迷っていたかしていた、20代の頃とは違ってね。

そして、以来、ちょくちょく小説「蜜蜂と遠雷」のことを想い出しては、ふと気付くと、“才能”について考えている、そんな私めなる自分が居るわけなのだな。

 

結論的なことを申し上げよう・・・依然、浅はかな考えではあるかと思うけれど・・・。いま現在までのところにおいて、私の考えはここへと到達する。・・・物事のあれこれに取り組む本人自身は“才能”などといったことに囚われる必要はなく、ひたすら自身と向き合い、取り組むそれと向き合い考え、考えたこれに沿って偽りなく行動しては、反省する、そうする外ないのではないか。むしろ、気をつけるべきは周囲の者たちの側だ。安易に人が他人を評価することの、これの方が問題だ。何も、いけない、と言っているのではない。他人の才能を評価しては、誰それは天才だ、逆に、オマエには才能がない、などこの類の言動は決して軽々しくあってはならない。大いなる責任が伴うことをよくよく自覚しなければならない。加えて、誰かが評価したこれを鵜呑みにしては単に同調してしまう行為、自分自身で真に感じ得たものかの自覚もないまま他者が評価したこれに安易に同調するなども同じに気をつけなければならず、こうした行為にも大きな責任が伴う。これらの行為に依って、それこそ、他人のその才能の芽を摘み取ってしまうかも知れない。いまや、一部の人たちによって評価された“才能”が多額な金銭に絡むことしばしばだ。そして、これに大勢の人たちが平気になってしまうは、もっと恐ろしくはないか。金銭的な価値に結びつく能力だけが“才能”であるかのように。が、本来、“才能”とはそれぞれにこれ自体に価値があるもので、他者のこれに触れてはこれ自体に在る不思議を感じ、ときに併せて感動し、出来得れば、こうして、他者のこれを互いに感じ合うものなのではないだろうか。・・・なんてことをね、思うのだ。・・・(*本当は書き足らないのだけれど、このくらいにしておこう。)

 

《どうにも想い出せない》

さて、「前置き」はこのくらいにして・・・前置きが長過ぎましたな。申し訳ないです。・・・、本題へと入ろう。

 

栄伝亜夜が本選で演奏する曲、これがどんな曲だったか、どうにも想い出せないでいた私の、そんなところからが本題だ。

 

プロコフィエフ作曲「ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16」。

ぅん~、どんな曲だったか、どうにも想い出せない。

「第3番」であるなら、その一部、何カ所かのフレーズが頭に浮かんでくるのだけれど。

ネット上の何処かで聴くことはできるだろうか?

これが、ないのだなぁ。第3番は見つかったのだけれど、第2番はないみたいで・・・。

それならば、と、近くの・・・と言っても電車に乗って30分ほど掛かる・・・CDショップを訪ねる。

これまた、ないものだなぁ。

再びインターネットに頼る。ネットの通販サイト等を調べてみる。

あった。

が、ぅん~・・・。

幾つかあるCDのその演奏者たちを確認しては、何かしっくりとこない。

たぶん、「蜜蜂と遠雷」を読んだせいだな。栄伝亜夜が奏でている、きっとそうであろうイメージが決断を鈍らせているに違いないのだった。

一旦、CD購入は保留。

 

《購入を決めた盤》

 ってなうちに、月日が随分と経ってしまった。

昨年の秋のことだ。新型コロナウイルス感染拡大もやや収まっている頃、久しぶりに我が住む所から電車に乗って都心方面へと向かい出掛けた。CDショップへも立ち寄ってみた。

あっ、そういえば・・・。

ふと、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第2番」、この曲のことを思い出した。店内のCDラックを見渡し、大凡の見当をつけて探し始めると、なんと、在るではないか。CDを手に取って、演奏者や、いつ何処で録音されたものかをじっくりと確認する。

ピアノはユジャ・ワン、指揮者はグスターボ・ドゥダメル、オーケストラはシモン・ボリバル交響楽団。

2013年2月にカラカス(ベネズエラ)で開かれた演奏会の、これをライヴ録音したものだ。ただし、2021年7月に再版されたばかりの盤。ちなみに、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」も一緒に収録されている。

これなら若さ溢れる演奏が聴けるんじゃないの。ライヴ録音っていうのも好いなぁ。・・・なんて思ってね、併せて、栄伝亜夜の演奏をイメージするにも好いように感じて。はい、購入。

 

(*「シモン・ボリバル交響楽団(ベネズエラ)」について、ここでは詳しく説明しませんが、そもそもの活動目的などを知ると、このオーケストラが存在することの重要さも併せてご理解いただけるかと思います。)

 

《わくわく感が絶えない》

我が部屋へと戻って、早速、その買ったばかりのCDを聴いた。

あぁ(・・・そう、これだった)。

一気に記憶が蘇ってきた。部屋のスピーカーから聞こえてくるそれらの音たちが、ずうっと以前に聴いたそのときの印象も一緒に届けてくれるのだった。

 

セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953年)、20代前半の彼が続けざまに次々と作品を書き上げていた、その頃の作品だ。

殊、「ピアノ協奏曲第2番」という作品においては、プロコフィエフが自身から溢れ出てきた音たちのどれをも詰め込もうとしているようで、そのどれをも聴衆に聴いてもらうのだと、自身が試したあれもこれも全てを聴いてもらおうと、若さ漲る彼のそれがそのまま表面に現れ出ている感じがする。彼の人生のなかでも最も興奮していた時期の、当にその只中で創られた作品の一つではないだろうか。

1913年にロシア国内で初演されたこの曲は、すぐ後、翌年にはロンドンでも公演され、当時は、酷評する者とプロコフィエフの新しく急進的なスタイルを高く評価する者と、賛否両論、真二つに割れたそうだ。まぁ、相当なインパクトを与えたのだろうな。プロコフィエフにしてみれば、してやったり、であっただろう。ただし、初演した頃の当時の楽譜は、ロシア革命などの混乱のなかで散逸してしまったらしい。ピアノ協奏曲第2番のいま在る楽譜は、プロコフィエフが一度ロシアから離れてアメリカやヨーロッパを往き来しながらになってからのもので、「ピアノ協奏曲第3番」を完成させた後にプロコフィエフ自身の手で復元された版であるらしい。

 

ところで、CDに収録されているユジャ・ワンのピアノは、私の記憶に残っていた音のイメージよりも、ぅん~何と言ったら好いか難しいのだけれど、僅かに、ほんの少しだけ明るく軽い?・・・もう少し重く渋みのある音を私は記憶とともにイメージしていたのだと想う・・・と最初に聴いたときはそう感じた。

尤も、ライヴ録音という、会場やら録音の仕方やらの、そっちの方の都合もあってのことかも知れない。が、これとは別に、栄伝亜夜をイメージするとこんなかも知れない、と実に勝手ながら自分独りで納得することもできて、聴いていると、徐々にユジャ・ワンが演奏するピアノの音にもまんまとハマっていった。

 

兎にも角にも先ず以てこちらへと届くのは、ピアノの、いかにも難しそうな奏法を幾つも盛り込んだこの作品の・・・、これを難なく弾きこなしている様子のユジャ・ワンの演奏テクニックの・・・、凄まじさ見事さ、だ。

曲全体は、協奏曲としては珍しく4つの楽章から成っている(大抵は3つの楽章によって構成される)。ピアノが常に先行していって、これに呼応するようにオーケストラが彩りを添えていく、そういったスタイルの協奏曲といえるだろう。

実際に聴いていると、ピアノの奏法とともに色んな様を表現した音たちが目一杯盛り込まれていて、あまりに盛り込まれ過ぎていて5つも6つも楽章が在るように感じてしまう。ピアノとオーケストラの関係性やその音の配合とバランス具合はどことなくラフマニノフの作品とも似たところがある。ただし、ラフマニノフのような甘くロマンティックな旋律が聞こえてくるわけではない。通して、どちらかというと、奇妙というか不気味というか、更にはスリルも感じられて。が、楽章ごとにその奇妙さや不気味さもまた異なる。ユジャ・ワンのピアノがそう想像させるのか、「不思議の国のアリス」の物語に現れる奇妙で不思議な世界のそこで起こる数々の奇怪な出来事をピアノ協奏曲で表現しているかのようでもあって、そんな作品、演奏に、聞こえてこなくもない。恐る恐るとした雰囲気が漂い続けるなか、わくわく感が絶えない、といった感じだ。

ちなみに、CDに収められた演奏の当時において、ユジャ・ワンは26歳、指揮者のドゥダメルは32歳。また、オーケストラのメンバーも大凡25歳から30歳代のはずだ。

ライヴ録音のCDとあって、終演直後の、この瞬間が待ちきれないでいた聴衆たちの、その客席からの歓声やら拍手やらが一斉に沸き起こる、これらも収録されている。大いに興奮した聴衆たちの感動の具合や会場の熱気までがこちら側へと伝わってくる感じだ。部屋で聴いている私までが一緒に拍手をしそうになる。

 

《まさに、この瞬間》

が、まさに、この瞬間なのだろう、と思う。作曲者に依って世に送り出された作品のこれを通して、ピアニスト、指揮者、オーケストラの奏者一人ひとり、演奏会場に居合わせた大勢の観客一人ひとり、その誰もが、他者の才能をそれぞれに感じ合っている瞬間だ。恐らく、だけど、観客の側にだって各々が育て上げてきた感性やらの一種才能が備わっていなければこの瞬間は生まれない。感じているこれ自体は、先ずは一人ひとりがそれぞれに感じているわけで、こうして感じている一人ひとりの感じ方はそれぞれに違うであろうに。それでも皆が理屈無しに、この機会を特別と確信して、互いを称え合い、互いに喜び合っている。幾つもの才能がそれぞれの才能をもってそれぞれの才能を感じ合っている。そこには居ない作曲者のその才能にも触れて、これを含めて感じ合っている。

 

先に、“才能”とは、そも、他者のこれ自体を感じるものだ、出来得れば、これ自体を互いに感じ合うものだ、と記したのには、こうした瞬間のことを指して申し上げたわけで、音楽でなくとも他の色々でも同様に思う。殊、音楽では、こうした瞬間が明確になりやすく、分かりやすい、というだけでね。

 

普段から、他者(作品やパフォーマンス等を含めて)と丁寧に向き合っている間には、その人の、人となりを感じる、こういったことと併せて、“才能”のこれ自体を感じる瞬間、あるいは、これ自体を互いに感じ合う瞬間が自然と在るように思う。

 

それと、もう一つ、“天才”と呼ぶべき者、についてだ。

恐らく、この世界に“天才”は実在するのであろう。ただし、誰が、誰を、“天才”だと見極めることができるのだろうかな。人が見極めることなんてできないのではないのかな。それこそ、人(人類)の理解や力など到底及ばない「天」の、その「天」にしか分からないのではないだろうか。いや、「天」に、分かるとか、分からないとかの、そういったことが在るのかも私には分からないのだけれどね。

(*ここでは、地球や星々の、宇宙の、生体や自然界の、緻密なる構造や規則性、あるいは仕組み等がどうしてこのようにして成り立っているのか、これを生み、これを成り立たせているもの、また、人類にはとても及ばない、とそう我々に感じさせているもの、そうしたものの存在が在るのだとすれば、これを想像したときに指す言葉として、「天」という言葉を用いています。)

 

とは言え、個人各々が自身のうち深くで「天才“的”だなぁ」と感じる、その感性は大切かと思う。

そんなわけで、“才能”については、各人が自身のこれについて悩んだり迷ったりする必要はなく、他者のこれ自体を感じる、あるいは、ただただこれ自体を互いに感じ合う、とするのが好いのではないだろうか。・・・って、何度も繰り返して言わないでもよかったかな。アハハハハ・・・。

が、他者の“才能”に触れ、これを感じ、あるいは、これを互いに感じ合う、このことに依ってもまた、それぞれの感性なり、それぞれの能力なりが、豊かに育まれていったり、研かれていったりすることは実際に確からしいように思う。

で、もしかすると、このような機会や影響を多くの“モノ”に“正しく”、更に併せて、“長き時”を経ても与え続けることができる者が居る(居た)のだとすれば、この者こそが、“天才”と呼ぶべき者、なのかも知れないね。なぁんて、私にはちっとも分からないよ。ふと思い書き記してみただけのことだ。

 

さあ、栄伝亜夜は、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を、いったい、どんなふうに演奏したのだろうか。

が、ユジャ・ワンと、ドゥダメルとシモン・ボリバル交響楽団の演奏から、これが想像しやすくなった。そして、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、というこの作品に宿る、溢れんばかりの、その少々無茶な感じの若々しさが、更に我が想像力を掻き立ててくれるのだよな。

ホント、好い盤に出会うことができたよ。

 

「今日の一曲」の第115回、今回は、プロコフィエフ作曲「ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16」のこれを、ユジャ・ワン(ピアノ)と、グスターボ・ドゥダメル(指揮)とシモン・ボリバル交響楽団に依る演奏(2013年2月にカラカス(ベネズエラ)で開かれた演奏会)のライヴ録音CD(ただし、2021年7月に再版された盤)よりご紹介させていただき、併せて諸々語らせてもらった。

 

*いつもの通り、というより、いつも以上に長文となりました今回のブログを、最後までお読みくださいました読者の皆様には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

*今回、「才能」について少々長々書かせていだきましたのには、私めが利用しているSNS上において、ご自身の才能について悩み記されている、そうした記述をたまたま続けて幾つか拝見したこともあったからで、恐縮ながら、また誠に浅はかではありますが、私なりにも感じ考えてきたことを今回のここに盛り込ませてもらいました。

ま、“才能”ってことよりも、“生きる”こと、このことの方を大切にされては、と感じます。

 

*尚、私に文章を書く才能があるとか無いとか、これについては、読者様各自の胸の内に閉まっておいていただきたく存じます。ハハハハハ・・・。