今日の一曲 No.111:オフコース「生まれ来る子供たちのために」(アルバム「LIVE」より)

「今日の一曲」シリーズの第111回です。

西暦 2021年(令和3年)の今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、年明けからの正月三箇日の私は、敢えてのんびりと過ごすことを心掛けて、そうしておりました。と言っても、こんなときの私は、大抵の場合、殆んどの時間を読書に費やしてしまうのですけどね。その合間に、音楽を聴く、とまぁこんな感じでして。

そして、2021年の元旦、今年最初に、ふと、何とはなしに部屋のレコードラックから取り出した盤の、そのジャケットを眺めては、私は彼らが奏でる音楽をここ何年もの間聴いていなかったんだなぁ、とそう気付かされて一寸意外にも思ったのですが。同時に、この盤のここに収録されたある一曲を聴いては、元旦から、少しだけ、物事のあれこれを深く考える時間を与えてもらったような気がします。

そこで、今回は、久しく聴いていなかった彼らの音楽を、今年最初に手に取ったその盤から一曲をご紹介して、私めの2021年の抱負を含め、諸々語らせていただこうと思います。

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 《少し違う、2021年の元旦》

迎えた2021年の元旦。

例年であるなら、深夜2時半頃には自宅を出発して、御岳山山頂の御嶽神社(東京都青梅市)を目指すのだけれどねぇ。

が、今年は、初詣のそれも、初日の出を拝むこれも、“想像する”だけに留めた。

ぅん〜、いまは仕方ないよな。正月三箇日は、のんびりと過ごすことにした。

ところで、私めにとっての“のんびり”とは、大抵が、過ごす時間の殆んどを読書に費やすことで、これの他には先ず想い付くものがない。

それで、昨年末から少しずつ読み進めていた本・・・ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス(上巻・下巻)」(柴田裕之訳:河出書房新社)…のこれを、正月三箇日のうちに全て読み切ってしまおう、と決めた。

 

そんなわけで、私めの2021年は、読書で始まった。

いつも読書をしていては、1時間半~2時間くらいに一度は15分ほどの休憩を摂る。そして、一日中、朝から深夜まで読書を続けて過ごす場合には、その休憩も一回か二回は長めに1時間くらい摂ることもあって、こんなときに音楽を聴く。

 

「さて、何にしようか・・・な」

部屋のレコードラックとCDラックのその間を視線が行ったり来たり。暫くは100枚を超える盤が並ぶこれを見渡しながら、我が手が自然にどれかへと伸びていくまでを待つ。

が、今回は、割と早く、レコードラックに並ぶその一つに手が伸びた。

「ん? 久しく聴いてなかったかも」

と呟きながらだったように想う、手に触れたその盤をラックから取り出した。

手に取った盤のジャケットをあらためて眺めながら、いやぁホントに久しぶりの再会だね、といった気分になった。

早速、盤の上にレコードプレーヤーの針をそっと置いて、これを聴く。

聴こえてくる音たちを耳で愉しみながら、一方で目線はパソコン画面に映し出したあるリストを追った。いま、ここで聴いている彼らの音楽について確認したいことがあったのだ。

「おぉ、やっぱり、そうだったんだ」

「いやぁ、ちょっと意外だな」

と、そんなふうな独り言を小声で吐いた。

そのリストとは、これまでの「今日の一曲」シリーズについて記録したもので、曲名やアーティスト名、公開日等が、それぞれ一覧で確認できるようになっている。

すると、「今日の一曲」シリーズで、これまで、彼らの盤、彼らの楽曲を紹介したことは一度もないのだった。

ということはだよ、恐らく、少なくともこの4年半くらいの間、この盤も含めて、私は彼らの音楽をまったく聴いていなかったことになるではないだろうか。ん? でも、ラジオなどからなら・・・、いやいや、その可能性も低いかと。

どうやら私は、彼らが奏でる音楽をここ何年もの間聴いていなかった、らしい。ぃやね、一寸ばかり意外に思いながらそう気付いたのだった。

 

ってなわけで、「今日の一曲」シリーズの第111回、今回は、その彼らが奏でる音楽の一曲を、2021年の元旦、今年最初に手に取った盤からご紹介させていただきたく思う。

 

ところで、その“彼ら”とは?

 

「オフコース」のことだ。

 

《高校生時代の友人「Iくん」》

オフコースの音楽を最初に聴いたのは、というか、これを認識した最初は、高校生のときだった。

ラジオから聞こえてきたそれが最初かと思う。でも、何となく好いなぁ、とそう思っただけで、このときは大して気に留めようともしなかった。

それから半年くらい過ぎてからだったかも知れない。同じ高校に通う友人の一人に、少しばかりマニアックな? そういった音楽に詳しいヤツがいて。たまたまこの友人との会話の中で、「あぁ、それ、オフコース、『秋の気配』だよ」と教えてもらって。で、ようやく、私めは、ラジオで聴いたそれが「オフコース」であったことを認識するに至ったのだった。

 

友人の彼のことを、ここでは、「Iくん(仮称)」と呼ぶとしよう。

Iくんとは高校に入学してからの付き合いで、最初はクラスが違ったのだけれど、入学して間もなく、もう一人の友人を通じて知り合うと、何故か直ぐに気が合った。3年生のときにはクラスも同じになって、いっつも一緒に行動してた。遊ぶも勉強するも一緒だった。

Iくんの家とその通う高校とは徒歩で12~13分ほどの距離でしかなく、2年生の秋頃からかなぁ、私は学校帰りに、よくIくんの家にお邪魔させてもらっていた。特にクラスが同じになった3年生になってからは、何かそれがもう当然の流れであるかのように一日か二日おきに寄らせてもらっていた。

そこでは、Iくんが持っているレコード盤やカセットテープから、彼がその日に“これぞ”と思って選んだ音楽を、それを二人で聴きいて、またその音楽について様々語り合うのだった。が、毎回、二人で聴く音楽は、レコード盤ならLPレコード一枚、カセットテープなら46分テープ一本、と決めていた。その何か一枚を、あるいは一本を、最後まで聴き終えたら私は帰宅する、といったふうにね。だから、度々ではあったけれど、一回の滞在時間は1時間ほどであったはずだ。

あっ、いや、但し、Iくんがガールフレンドについての悩みを語り始めたときは、この限りではなかったカモ(笑)。

 

で、Iくん、ギターを弾くのを趣味にしてたせいか、幾分かマニアック寄りな音楽にも詳しく、オフコースについても彼が聴かせてくれるそれらの一つにあって、それで、私も、「オフコース」なるこれを認識するに至ったのだった。

あっ、念のため申し上げておくけど、この当時の「オフコース」(「ジ・オフ・コース」または「オフ・コース」)」は、広く世間に知られた存在ではなかった。が、当時においてもIくんは、オフコースがアコースティックギターを中心に奏でていたその頃の、フォーク調の感じがするそうした楽曲も含めて、色々と詳しく知っていた。まぁ、Iくんが最も関心を寄せていたのは「憂歌団」だったけれどね。

Iくんは、私の“音楽を聴く”その幅を拡げてくれた人と言っていい。世間でヒットするもの以外にもイイ音楽は沢山あるんだよ、と教えてくれた最初の人だ。何より、彼と音楽を聴き、彼と音楽の話をしているときが、面白くてならなかった。いま現在に至っては、有難い恩人のひとりだ。

そう言えば、当時の私はギターに疎かったので分からなかったけれど、いま想い返してみると、Iくんのギターの腕前は結構イケてたのではないだろうか。いまの私でも、きっと、当時のIくんほどには弾けないなぁ・・・。

 

《“さよなら”にならないように》

さて、高校卒業後の私は大学に進学。学校のお勉強というものがダメダメだった私にとって、それはまさに奇蹟だった。

これには、Iくんもその一人だけれど、私の高校時代というものは、それはそれは優秀なる友人たちの支えこれ無しでは語れないのだ。この奇蹟も、友人ら、彼ら彼女らの優しさと寛容さあってこそだった。

 

ところが、だ。ギリギリだったのだろうねぇ。大学に入学したのはいいけれど、講義の内容にまったくツイテいけない。

「うわぁ、ちっとも分かんないよぉ」

「ね、ねぇ、ここ教えてくんない?」

と、大学に入ってからも周囲の友人たちを頼るような状況だった。

が、そのうち、その度に何でもかんでも他人に聞くのも悪いような気になって・・・。それで、要領なども決して良くはなかったのだけれど、自分でも大学の図書館を利用するなどして色々と調べながら勉強するようになったんだ。

そりやぁね、なんだか“勉強のできないガリ勉ヤロウ”みたいで恰好悪いなぁ、とは思ったよ。だけど、高校時代に支えてくれた友人たちのことを想い出すと、もう、恰好なんてどうでもよかった。絶対に卒業しよう、というその気持ちだけだった。

 

もっとも、大学の先生というものは大概が“学者”であって、決して“教えるプロ”ではないのだよね。話の下手な先生もいたり、板書がめちゃくちゃな先生もいたりで。そうであるから、“教えてもらおう”なんていう気でいてはダメだったのだよね。自分から“学び取りにいく”ような気でないと。講義などというものは“いま何を学んだらいいのかを参考程度に示してくれるだけで、その程度のものでしかない”と考えておくべきだったのだ。私の場合、これに気付くのが遅かった。

おっと、これに関して、誤解のないように申し上げさせていただくと。現在は各大学ともに、それぞれ学生たちに向けて、先生たちも“教える”ことのこれには様々に工夫もしていて、かなり気を遣っているようだ。

とは言え、学生の側が受け身であってならないのは、変わらないかと。・・・ま、こんなだった私が言ったところで、説得力に欠けるだろうけれどね。エヘヘ。

 

で、大学1年生の冬、丁度、その後期試験の頃だ。

オフコースの「さよなら」が大ヒット!

「自分が“さよなら”にならないようにしないと」

なんて、呟いてたような。

で、必死に喰らい付いた。

お蔭様で、私は一つの単位も落とさず、大学生活の2年目を迎えることができた。

大学に“さよなら”しなければならない、そうはならずに済んだというわけだ。でも、A・B・Cといった成績の方は散々だったな。

ちなみに、3年生以降はこんな私も優秀なる成績を修めるようになる。ご心配なく。アハハハハ・・・。

(*このあたりの詳しい事は、第98回(2019/06/22 公開)に記載させていただきました。)

 

《やっぱり、買おう》

私めが大学2年生になったその頃になると、オフコースの人気はますます上り調子。ラジオからも、レコード店に立ち寄ればそこでも、商店街を歩いていても、いつでもどこからでも聴こえてくる、そんな勢いにあった。

高校生・大学生時代の私は、興味をもった音楽については大抵の場合、FMラジオ番組のこれを事前にエアチェックして、お目当てのその音楽をカセットテープに録音する、といった手段でこれを愉しむようにしていた。

それで、大学2年生となったその少し前までは、オフコースについてもそうであったのだけれど。が、もうそれだけでは十分に思えなくなっていた。彼らの音楽をレコード盤という形で手にしたい、と思うようになった。それも、「ここ最近の彼らの楽曲をまとめて聴けちゃうようなのがイイなぁ」なんてね。

私は、下宿アパートの4畳半一間の部屋で、

「やっぱり、レコードを買おう」

「オフコースのレコードを買いに行こう」

と、決心の言葉を述べた。・・・いや、これは確かな記憶とか事実ではない、イメージだよ(笑)。

それからは、例の、習志野市と船橋市の境くらいのところに在る、いつものレコード店へと向うだけだった。

そして上手い具合に、望んだその通りの盤を見つけた。

 

このときに買ったのが、オフコースのアルバム「LIVE」、2枚組のLPレコード盤だ。

 

「LIVE」は、オフコースが1980年5月5日にリリースしたアルバムで、タイトルの通り、実際のライヴでの演奏を、幾つかのライヴ会場で収録したそれらをもとに、編集がされている。

1980年2月3・4・5日の「新宿厚生年金会館」でのライヴを中心に、1979年6月20日の「広島郵便貯金会館」、1979年8月4日の「田園コロシアム」、1979年11月22日の「札幌厚生年金会館」、1980年1月11日の「横浜神奈川県民ホール」、これらを会場にしたライヴから収録されている。加えて、1977年9月25日の「九段会館:小さな部屋コンサート」からも。こうして集めた全18曲が2枚のLPレコード盤に収められている。

「さよなら」、「愛を止めないで」なども収録されている。

尚、当時のメンバーは、小田和正(keyboards)、鈴木康博(Guitars)、大間ジロー(Drums)、清水仁(E.Bass)、松尾一彦(Guitars)、以上の5人だ。

 

これを買って、部屋に戻ると、早速、盤に針を置いた。

ライヴ録音の盤をこうして自分で買って聴くのは、この盤が初めてだった。

客席からの拍手や声援も聞こえてくる。ライヴ録音っていうのも、好いなぁ~、と感じた。

 

ふと立ち止まらせる、その一曲》

2枚目のA面(SIDE3)、その4曲目に針が進んだ。

 

多くの過ちを僕もしたように

愛するこの国も戻れない もう戻れない

あの人がそのたびに許してきたように

僕はこの国の明日をまた想う

・・・

 

曲は、静かに、穏やかに始まる。

エレクトリックピアノが軟らかな音色を響かせているここに、この曲でメイン・ヴォーカルをとる小田和正の、その歌声が優しげに乗っかってくる。

 

ひろい空よ僕らは今どこにいる

頼るもの何もない

あの頃へ帰りたい

・・・

ひろい空よ僕らは今どこにいる

~生まれ来る子供たちのために何を語ろう~

何を語ろう

・・・

 

が、そのうち、その柔らかで優し気な歌声も、歌詞の言葉の一つひとつを発する度に、高らかに力強さを伴った声へと変わっていく。

更には、鈴木ら他のメンバーによるコーラス・ハーモニーも加わって、曲はその全体に拡がりを魅せる。

間奏では、ブルースハープの音と旋律がどこか哀し気だ。

時折さり気なく入るサスペンダーシンバルの響き、少しの間だけサウンドに厚みを与えるベースの音、これらもまた、歌詞に並べられた言葉それぞれに併せて丁寧に奏でられる。

 

君よ愛するひとを守り給え

大きく手を拡げて

子供たちを抱き給え

ひとりまたひとり 友は集まるだろう

ひとりまたひとり ひとりまたひとり

・・・

 

ぅん~、そうだね。いま、ここで語っているこの曲への印象は、2021年の元旦の、この時点で聴いているその感じ方に多分に影響されているかも知れない。あるいは、これまでに何度もこの曲を繰り返し聴いてきたこれらも混じっての感想なのかも知れない。確かに、最初に聴いたこのときの印象を正確に記憶から呼び戻すことはできないしね。

けれど、当時、初めてこの曲を聴いたときも、私は恐らくこれに限りなく近い感覚でもって、届いた音たちを感じ、その届いた音たちに反応したはずだ。

聴こえてくるのは、痛みと希望を伴った“祈りの声”だと。ほんの一瞬、バッハの音楽、これと併せて想像したはずだ。

 

その一曲は、大ヒットした「さよなら」の後に、18枚目のシングルとしてリリースされた曲だった。

(*1979年10月にリリースされたアルバム「Three and Two」から、1980年3月に、あらためてシングルカットされた曲です。)

実は、最初にこれを聴いたときの私は、この曲がシングルとして出された曲であることを知らなかった。

そして、この曲を聴きながら、

「『生まれ来る子供たちのために』かぁ・・・」

と、それはややため息交じりにそう呟いたかと想う。

なんだろう、一寸ばかり調子づいていそうな若ぞう(=私)を、ふと立ち止まらせる、そんな一曲に感じたのだ。自分という人間は、物事の浅はかな部分しか見ていなくて、自分の身の周りで起きている出来事も、世の中にある様々な物事もどれも、大して深くは眺められていないのだと。

 

《重要なヒントだったのに・・・》

少しばかり話が飛ぶのだけれど・・・。これも、ほぼ同じ頃だったように想う。

その通っていた大学で、「日産スカイライン」の開発責任者・桜井眞一郎氏の講演があったのだ。

講演を聴くに当っては希望者のみだったように記憶している。

桜井眞一郎氏は、「日産スカイライン」の2代目~7代目に渡ってその開発に携わった人で、当時の日本において、自動車業界の一開発者であるその個人が注目を浴びることは非常に稀であったかと思う。桜井氏が開発に関わったなかでも、4代目の通称「ケンメリ」、高級スポーツ車として売り出された「GT-R」は、若者が憧れる人気車となった。この講演が行われたときは6代目が間もなく販売されるという頃だったけれど、桜井氏には、既に、7代目(=通称「7th:セブンス」)の構想があった。

この講演のなかで、私がよく憶えているのは、・・・この僅か1年くらいの間だけで、コンピュータ、エレクトロニクス、デジタルといった分野の進歩は目ざましく、これに伴って数年のうちには社会の状況もまた、その変化は、これ以前までの“3倍の速さ”となって加速していくだろう。自動車は、企画してから販売するまでに早くても3年を要するから、これまでは、その3~4年後を見据えて設計やデザインをしていた。けれども、“3倍の速さ”で世の中が変化していくのだと考えるのであれば、ここから先は、もう、9~10年後を想像しなくてはならない。さて、開発する側の人間もだけれど、人々はこの速さに追いついていけるだろうか。・・・とそんな話をされたのだ。

それは、当時の若ぞう(=私)が期待したものとは少し違った。と同時に、本当を言えば、理解できなかったのだ。

桜井氏は業界トップを突き進む“もの凄い人”だ。だから、業界や社会で活躍するためのこれに必要な“ノウハウ”や“秘訣”みたいなそういった話をもっと勢いよくエネルギッシュに語られるのかと思ったのだ。一部にはそういった話も聞けたけれど、桜井氏はこれをあまり強調せずに講演を終えた。

だから、講演の後も、

「えっ、人々が社会を形成しているんじゃないの?」

「人々が社会を形成しているそれよりも、社会が人々をコントロールしている力の方が圧倒的だってこと?」

「人は、社会に支配されるだけになってしまうのか?」

と、ここに付いた疑問符は、私の中で暫く残ることになった。

いま現在に至って思えば、21世紀の、日本で起こる、世界で起こる、地球で起こるこれに、人々がどう向き合うべきか、その重要なヒントだったのにねぇ。繰り返すけど、私は、人も社会も、人と社会とのあれもこれも、まったく分かっていなかったんだな。

 

話を戻そう。

恐らく、当時の私にとっては、オフコースの「生まれ来る子供たちのために」のそこから感じたものも、桜井氏の講演によって残った疑問符のこれも、その両方のどちらもが欠かせない、そういったものだったのだろう。それから1ヶ月後だったか2ヶ月後だったか、いつ、といったそれは明確ではないのだけれど、少し時が経過してからだったように想う。この両方が自分の中で重ね合わさってからは、『時には立ち止まって、物事の本質を確かな眼(まなこ)で見つめよ。そして、ここから先の未来に対して、いま、“何を語るべきか(=どんな考えをもって行動すべきか)”を見つめよ』といった自身に向けられたメッセージとして、これらを受け止めるようになった。ぅん~、受け止める、というところまでには達していなかったかも。“探る”だけで精一杯だったな。

 

西暦 2021年。あれから約41年が経過した。

この41年もの間、私は、世の中の物事を、どれくらい、ちゃんと見つめてこれただろうか。未来に対しても責任のもてる行いを、どれほどしてこれただろうか。

“あの頃へ帰りたい”などとは、ちっとも思わないけれど・・・。

まぁ、でも、ざまぁないな。

 

《2021年、現実的な抱負と想像的な抱負》

それでも、ここから先も生きていこうと思うわけで!

はいっ!

元旦に、「生まれ来る子供たちのために」を聴いたこの機会に、これも折角なので、西暦 2021年についても少し真面目に考えてみることにした。

 

先ずは、現況を踏まえて、“現実的な抱負”を、大雑把に三つ考えた。

ぅん、そう、大雑把に、だ。

 

その一つ目。

ここ3年に渡って、執筆、編さんしている資料は、現在、その「第3編」を仕上げているところにある。

(*「第1編」と「第2編」は、企画ライヴなどを通じて2018年より配布しています。詳しくは、同ホームページ「子どもたちを育む『自立と自律』」のページにてご確認いただきたく存じます。)

この「第3編」の執筆にあたっては、不謹慎かも知れないけれど、2020年からいまも続く“コロナ渦”の社会も、これを書き進めていく上では大変貴重な材料となった。それで、執筆作業としては予定していたよりも大幅に時間が掛かってしまったものの、昨年の10月頃にはこれを大方書き上げ、現在は資料全体としてもその9割方は整った状態にある。

ただ、一箇所、そこだけが自分でも確信がもてずにいる。これでいいのか、と未だ問い続けているのだ。そこで、いまはこれを一旦“寝かせた状態”にしてある。

“寝かせた状態”の間に、我が脳みそも一度クリアな状態にしよう、というわけ。忘却の期間を設けることによって、新たな発想が生まれることもあるらしい。それは珍しいことではなく、どうやら様々根拠があるのだそうだ。で、こんなことを何度か繰り返しながら、より一層の熟慮を重ねていけたらと思う。一寸だけ種明かしをすると、その一箇所とは、「入試制度および採用試験の仕組み」についてなのだけれどね。

でも、夏くらいまでには、この「第3編」も完成させたいなぁ。

 

二つ目。

さて、我が主となる企画、「ほっと楽しやハートライヴ」と「教育を語りあおうよ音楽CafeーBarで」についてだ。

これについては、できる時が来るのを、じっと待とうと思う。

ん~、リモート等、ネット配信でこれらを行う考えは現在のところない。・・・少し、柔軟さに欠けるだろうか?

が、機会が訪れたなら、いつでもできるようにその準備だけは整えている。

ボイストレーニング(フースラー・メソード)も毎日欠かさずしている。ギター練習も曲練習も、曲創りも続けている。

年齢で言えば、遂に、「再生」といった意味もあるその大台へと達してしまったわけだけれど(汗)、が、歌うための声は1~2年前に比べても更に自由にコントロールできるようになっている。・・・アハハ、自画自讃。

だから、皆様に早くこの歌声を披露して届けたい、という思いはあるよ。でも、この思いも、いまは、“寝かせた状態”にしておこう。焦らず、確りと力を蓄えておこう。

ところで、リモート等、ネット配信を利用して音楽を発信するのであれば、日本語の歌詞など入れない、インストゥルメンタル的(器楽曲的)な楽曲にするのがイイかなぁ、なんて思っている。

 

三つ目。

一方、生活それ自体は、86歳になる母の体調を見守りながらだ。

時々、家庭教師(中高生の自学自習のための相談、数学が苦手な子へのアドバイス)みたいなことも請け負って、現在はそれでどうにか生活も成り立っている。・・・余裕があるわけではないけどね。

が、中学生や高校生たちが、“自分自身で学ぶ価値を見出して、自ら学び取って、自ら考える”これは、いま、これまで以上に重要になってきているように思う。だから、現在関わっている子どもたちのことも見守りつつ、これも少しずつ拡げていけたらと考えている。

ただし、ヘタな宣伝はしない。これまで通り、ヒントを探している子どもが私の提案するこれを求めていたなら、そのときに、そこへと行って寄り添おうと思う。

 

ってなことで、いま上げた“現実的な三つの抱負”は、謂わば“行動面”での目標になるかな。

 

では、“内面的”には、2021年をどう過ごそうか・・・。

西暦 2021年(令和3年)においても、先を見通せること、予測可能なこと、そうした物事はもうほぼないわけで。

ならばだよ、これを、楽観的にも、悲観的にも、そいったことで眺めることはしないでおこうと思う。

また、善と悪、正解と不正解、といった二項対立的な見方、二者択一的な方法、こうしたことには陥らないようにしようと思う。

 

そこで、考えたテーマは、“ニュートラル”と“ユーモア”の、この2つだ。

 

でも、肝心なのは、“現時点での”自分自身の“軸”を常に感じておくことかと。

自身の“軸”を常に感じながらでないと、予測不可能な目の前で起こる物事に対して“どんなふうにでも反応できる”、そうはなれない気がするのだ。

“どうなふうにでも反応できる”そのためには、その“軸”を“ニュートラル”な位置で保っておく必要があるように思う。また、“軸”のこれによって生まれる思考と行動も、“ニュートラル”な位置を始点としてここから動き出すものであることが望ましいように思う。

ただし、この“軸”でさえ、状況によっては柔軟に置き換える、そういった覚悟が必要かも。それほど、いま、社会は、世界は、地球は、急速な変化の只中にある、と、このことは現実として踏まえておいた方が良さそうだからね。

そして、もう一つの“ユーモア”については、これまでの「今日の一曲」シリーズの中でも度々語らせてもらっている通り、そうしたことの意味で、今後も大切に持ち続けていこうと思う。

が、“軸”を“ニュートラル”な位置に保っておくためにも、思考と行動といったものが“ニュートラル”な位置を始点にここから“どんなふうにでも反応できる”そのためにも、“ユーモア”という潤滑油は自ずと欠かせなくなるかと。

 

とまぁ、謂わば、この2つのテーマ“ニュートラル”と“ユーモア”は、“想像的な抱負”であり、“内面的な目標”といったとこかな。

 

まとめると、ここで上げた、“現実的な三つの抱負”=“行動面の目標”と、“想像的な2つの抱負”=“内面的な目標”とを、どう併せていくかが、2021年(令和3年)における私めの課題かな。

 

何を言ってんだかって?

 

いやぁ、またしても理屈っぽくなったか。

ここのところ、理屈っぽくなってイケナイねぇ。

申し訳ない。

が、2021年の元旦は、こんなことを考えたのだった。

 

真白な帆を上げて

旅立つ船に乗り

力の続く限り

ふたりでも漕いでゆく

その力を与え給え

勇気を与え給え

 

さて、「生まれ来る子供たちのために」の歌詞のその全てを通して、これらについて、私がどう解釈しているかの詳細は語らないでおこうね。更なる長文ともなり兼ねないし、きっと、誰もそれを望んではいないだろう。ハハハハハ・・・。

 

そう言えば、ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」は、正月三箇日だけでは読み終えることができず、もう一日、1月4日まで通して読み終えた。

予定なんて、そんなものだ。

ん? 違うか。オフコースの、このアルバムを熱心に聴き過ぎた、からだね(笑)。

 

「今日の一曲」シリーズの第111回、今回は、オフコースのアルバム「LIVE」、その2枚組のLPレコード盤より、「生まれ来る子供たちのために」をご紹介しながら諸々語らせていただいた。

 

いつものことながら、長文をお読みいただき、誠にありがとうございます。

 

皆様お一人ひとりにとって、2021年(令和3年)が、よい年となりますように!

皆様、どうか、どうかお元気で。