「今日の一曲」シリーズの第108回です。
すっかりご無沙汰しております。約4ヵ月も、間を空けてしまったのですね。
皆様、お元気でいらっしゃいますか?
私めは、こうして、なんとか生き延びております。
さて、1ヵ月ほど前のこと。
滅多に見ないテレビのその画面をたまたま眺めていましたら、オジさんには一寸ばかり懐かしい音楽が聴こえてまいりました。でも映像のそこには溌溂とした高校生たちの姿が。これを視聴しながら、暫くして気付くと、私、何故か、とは言え自然にであったように思うのですが、涙していたのです。
それで、そのあと直ぐに部屋のレコードラックを探ると、ありましたぁ!
今回、第108回としてその108枚目にご紹介する盤とそこに収録された一曲は、それ、ということになります。
では、“それ”に絡めて、また諸々語らせていただきます。
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《オジさんの目にも涙》
1ヵ月ほど前のこと。ん?もう少し前かな。
普段は、テレビというものをあまり視聴する方ではないのだけれど、その日の夜は、きっと、視たい番組があってテレビを点けていたように思う。「NHKEテレ」にチャンネルを合わせていた。
だから、そのお目当ての番組を視終えた後だったのだと思う。
そのまま何気なく、ボーっとテレビの画面を眺めていると、この“コロナ渦”ならではの企画なのだろう、ふと、高校生たち6校の吹奏楽部がリモートで合同演奏をするその姿とその音が、我が目と耳に飛び込んできた。(*あとで調べてみたら、「みんなでエール×沼にハマってきいてみた」というコラボ企画のその一つであったらしい。)
イントロの、パーカッションのリズムと最初の1フレーズの旋律を聴いただけで、
「ゥわぁ~、懐かしい~っ!」
と、思わず、それは小声であったかとは思うけれど、独りでそう呟いてしまった。
放送されていたリモートの映像とその音は、北海道・遠軽高校、福島県・岩城高校、新潟県・中越高校、千葉県・幕張総合高校、熊本県・玉名女子高校、沖縄県・那覇高校、この6校の吹奏楽部による演奏で、曲は、「宝島」。
活き活きと、伸び伸びと、しかし、何かに挑もうとするその真剣な眼差しの、これがテレビ画面を通してであるにもかかわらず、こうしたものが押し寄せる波のように伝わってきて、高校生たちが演奏するその溌溂とした姿と楽しくも力強い音たちに、一気に引き寄せられてしまった。
と知らぬ間に、オジさん、恥ずかしながら、目頭が、と何かを感じているうちに涙が溢れてきたのだよねぇ~。
いやぁ、よくわからないことが起こるものだ。
ただ、ここ最近、随分と長く味わっていなかったある種の感動からそうなっている、とそれだけは確かに思えた。それがどんな感動なのか、とまた問われると、それを上手い具合には説明できないけれど。
そして、
「イイねぇ、本当に好い」
と、続けて呟き、また心の内で反芻させながら、この演奏が終わるまでを視聴し続けた。
テレビの電源をOFFにするのとほぼ同時に、6校の吹奏楽部の皆さんに向けては、
「ありがとう」
と、そう小声で感謝した。
《無知だった、軽くみてた》
この直ぐ後、それはもう夜の遅い時刻になってはいたのだけれど、あまりの感動のその余韻もあって、私は部屋のレコードラックを探ってみる行動に出た(笑)。
「確か、持っていたはずだ」
「この辺りに・・・あるはずだけれど・・・」
と、またしても独り、そう呟いたような。
そして間もなく、
「あった、あった!」
そんなわけで、今回、「今日の一曲」シリーズの第108回としてその108枚目ご紹介する盤とそこに収録された一曲は、「ニュー・サウンズ・イン・ブラス ❜87」というタイトルが付いた、そのLPレコード盤から、「宝島」だ。
この盤、1987年の5月にリリースされたLPレコード盤で、当時においる流行のポピュラー・ミュージックなどを中心に、これを吹奏楽にアレンジした新譜で演奏したそれが全10曲に渡って収録されている。指揮者は岩井直溥氏、東京佼成ウインド・オーケストラによって演奏がされている。
「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」は、シリーズで1972年から毎年出版されていたらしく、この“ ❜87”で、15枚目ということのようだ。
現在、私の手元にあるレコード盤もその1987年当時に購入したものだ。
私はさほどこの事に詳しくないのだけれど、この両者、岩井直溥氏と東京佼成ウインド・オーケストラというこの組み合わせは、“これなくして、日本の吹奏楽が、またポピュラー音楽等を吹奏楽にアレンジしたこの方向のものが、発展、あるいは充実していくことは無かったであろう”というほどのことらしい。日本の吹奏楽において、岩井直溥氏と東京佼成ウインド・オーケストラの存在とその貢献は、たいへん大きなものと言えそうだ。
少々横道に逸れるかも知れないけれど、私が吹奏楽曲に関心をもったそもそもは、特に20歳前後の頃に、クラシック音楽の中でも所謂“現代音楽”に強く興味惹かれたのが始まりだ。そのうちに、現代音楽の邦人作品にも興味が向いて、その流れで吹奏楽曲にもこうした邦人作品が多いことを知って、それで吹奏楽曲も聴くようになった、とそうした経緯がある。当然、吹奏楽曲として創作されたそれを現代音楽作品の一部と捉えて、そのオリジナルの楽曲に強い関心をもったというわけだ。
それだけに一方の我が内の何処かでは、その当時、レコード店でこれを見かけたとき、正直、ポピュラー音楽のアレンジかぁ、といった感じがあった。それで、“ついでに聴いてみようかな”などといった調子で購入した記憶がある。
「宝島」は、この盤のA面の3曲目に収録されている。
他にも、当時、大好きでよく聴いていた、バリー・マニロウの「コパカバーナ」、ホイットニー・ヒューストンの「すべてをあなたに(Saving All My Love For You)」などが、また、カシオペアの「ハレ」なども吹奏楽にアレンジされて収められている。
だから、レコード店でこの盤を手にしたそのときに、そのジャケットを丁寧に眺めてみることもなく、もしもこれらの曲のタイトルが目に入っていなかったなら、恐らく、この盤がいま私の手元に在ることはなかった。
まぁ、当時はこれらを少し軽くみてた、のだね。
が、無知とはそんなものだ、少し知った感覚でいるときが最も危うく物事を知っていない。とそれもいまに至ってなら、幾らか分かる(汗)。って、これも怪しいなぁ、アハハハハ。
《このアレンジ、やるねぇっ!》
さて、「宝島」についてだ。
「宝島」というと、小学校の4・5年生頃に読んだ冒険小説(外国の児童文学作品)のことも想い出すけれど、これについては、今回は語らないで、音楽の「宝島」についてのその話だけにしよう。
私なんぞがご紹介する必要もないかとは思うけれど、一応。
原曲は、「THE SQUARE(ザ・スクェア:通称“スクェア”)」(現在の名称は「T-SQUARE」)と言って、フュージョン・ジャズ、あるいはフュージョン・ポップスと呼ばれるジャンルを主としたインストゥルメンタルバンドの楽曲。その“スクェア”が1986年の3月にリリースしたアルバム「S・P・O・R・T・S」の、ここに収録された一曲として、世に知れたのが最初かと思う。
当時のメンバーは、安藤まさひろ(Guitar)、伊東たけし(Sax(Wind-Synthe))、和泉宏隆(Keyboard)、田中豊雪(Bass)、則竹裕之(Drums)。
「TAKARAJIMA(宝島)」は和泉宏隆氏の作曲で、“スクェア”の代表曲の一つとなった。和泉氏はソロとしてもその後にこの曲を収録している。
私めとほぼ同年代に当たる人は、まして音楽好きは、その当時、大抵が耳にした楽曲かと思う。
ちなみに、私個人は、当時から気に入って、結構な頻度でこれを聴いていた方だ。
で、今回、ここで取り上げているのは、「TAKARAJIMA(宝島)」これではない。
真島俊夫編曲の、吹奏楽版の「宝島」だ。
(*以後、原曲の「THE SQUARE」のものを「TAKARAJIMA」、吹奏楽版のものを「宝島」、と表記させていただきます。)
レコード盤にプレーヤーの針をそっと乗せて、「宝島」、これを聴く。
原曲とは違う特徴は、先ずはリズム帯で、そのパーカッション群が“ラテンのサンバ風のリズム”を土台にアレンジがされているところだ。が、これが実に好い感じなのだ。
“軽くみてた”、それは初めてこれを聴いた途端、全くもって一瞬のうちに覆された。
ホントに無知であった、反省。
真島俊夫という人、こんなことを私が述べるのはたいへん畏れ多いのだけれど、吹奏楽の各楽器の特性を本当によく知っている!そして、本当に見事に活かしきっている!そう思う。
それは、この「宝島」のアレンジについてもだ。
先に述べたパーカッション群のリズムも一つ大きな特徴であるけれど、原曲の「TAKARAJIMA」が以っている、その爽快さ、高揚感や疾走感、それと品格、これらをきちんと保ちながらも、例えば、木管群と、またはホルンなどの中音域の楽器については、主旋律とは別に裏旋律やブリッジ(主旋律のフレーズとフレーズの間を繋ぐ旋律)を奏でる役割も所々に与えて、原曲にはない、吹奏楽ならではの厚みのあるサウンドをこれらに依って効かせて魅せている。他にもそうした音たちがあちらこちらから聴こえてくる。また、各楽器が主役となる場面がきちんと順々に用意されていて、こうしたアレンジの構成が聴いている側をいっそう楽しい気持ちにさせてくれる。
こう言っては何だけど、ワクワク感の度合からすると、この吹奏楽版「宝島」は、ある意味においては原曲を超えているかも知れない(私個人の感想として)。
創られてから、またアレンジがされてから30数年も経つ現在に至るまで、この間ずうっと、その時代その時代で、吹奏楽なる音楽のこれに取り組む中学生・高校生たちに、あるいは多くの若い人たちに、この曲「宝島」は、吹奏楽の定番の楽曲として親しまれ好まれ演奏され続けてきた。が、その理由はもう明らか、かと。
真島俊夫氏が作曲したオリジナルの吹奏楽曲については、「今日の一曲」ではその第62回(2018/01/01公開)で、「三つのジャポニスム」という曲をご紹介したけれど、総じてこの人の作品は、音が明るい、と個人的にはそう感じている。
このように言うのには、音に無理がない、音が活き活きとしている、ということの含みもあって、もう一言だけ加えるなら、この先の未来のその可能性を感じさせてくれる音、といったことになるだろうか。そしてそれは、先に述べた通り、吹奏楽の各楽器の特性を熟知して、常に活かし切っているからこそであるように思う。
私は、この「宝島」の編曲で、真島俊夫なる存在を初めてを知った。それ以来、私にとっては関心ある音楽家の一人となっている。もう少し大げさに謂えば、そう、真島俊夫は、“明るく活き活きとした世界を音で創ってくれる人”かな。(・・・あっ、いや、恐縮ながら申し述べてさせていただいております。)
《1986~1987、うわ〜っ責任重大》
「THE SQUARE」が「TAKARAJIMA」を発表した1986年、続いて、「ニュー・サウンズ・イン・ブラス❜87」に収録された真島俊夫編曲の「宝島」を最初に聴いた1987年の、その頃とは、私にしてみれば、社会人としてスタートした1年目と2年目に、それは現在に至って当時を振り返ってみても理不尽としか思えない、この業種のその職場では決してあってはならない、そんな出来事を経験したその後のことだ。詳しいことは、「今日の一曲」シリーズの他の回でもこれまで何度か書かせてもらってきているので、今回は省かせていただくけれど。(*比較的最近では、第107回(2020/07/29公開)、第100回(2019/07/23公開)の中でも語らせてもらっています。)
そんな職場が、でも、新しく赴任してきた現場責任者の“救世主”と呼びたくなるようなその素晴らしき人物によって、それはもう見違えるほどに改善が進み、よき状況へと様々な事が軌道に乗り始めた、その頃だった。私は社会人として4年目、そして5年目を迎えていた。
“救世主”は、仕事には厳しくあったけれど、職員の一人ひとりに実に丁寧に寄り添い、また若手職員の当時の私のような者には、仕事一つひとつのそれを行う意味を問い考えさせながら、職場のそこに居る皆を育ててくれる、そんな人だった。エネルギッシュでユーモアセンスにも溢れていた。
1年目~2年目の職場では干されてしまっていた私も、3年目からは、全てが逆転したかのように、それは急速に職場が改善されていくその変化とともに、次々と責任ある立場に就くようになっていった。少々、有頂天気味であったかも。
丁度、1986年だ。
職場では、それまでになかった、割と重要な、その仕組みを導入するか否かの検討が進められていた。重要なだけに、検討が進む間には真っ二つに意見が分かれてしまうそんな時期もあった。
が、会議では、争うことよりも、職員誰もが積極的に意見を述べ合う雰囲気が既に出来上がっていた。これもその以前と比べては大いに変化したことの一つだった。遠慮なく、私も私の意見を会議の度に述べた。
こうして、一定の結論を見出した上で、その新たな仕組みが導入されることとなった。そして、1987年には、実際にこの仕組みが起動された。
ところがだよ、私め、なんとまぁ、その新しい仕組みに直接的に関わる職務の、これを担当する一人として任されることになった。
「うわぁ~っ、責任重大」
などと、そんなことを言っていられたのはほんの一時の間で、兎にも角にも遂行する他なかった。
有頂天気味のそれも、否応なしにあらためて“無知を自覚する”こととなった。
思考しては、行動する、また思考しては、また行動する、失敗したら、やり直す、また失敗したら、また工夫をする、ただただ、これを繰り返した。
その“救世主”からは、時に叱られもしたけど、時に励まされもした。いつもそこに答えは無い、思考するためのヒントと、行動するためのヒント、それだけが与えられた。
だから、職場に居ては、毎日が緊張の連続で、時にはその責任の重大さが辛くもあったけれど、でもそれは理不尽な出来事が繰り返されていた頃とは全く性質の違うもので、むしろ、ワクワク感の方が優る、そのワクワク感が止まらない、そんな毎日を送ることができていた。
《ワクワクのエネルギー》
これもいま現在から思うと、ということにはなるけれど、1986年~1987年当時、「TAKARAJIMA」を聴いていては、また「宝島」を聴いていては、もしかしたら、自身自らが湧き起こさせていた“ワクワク”のここに加えて、更なる“ワクワク”を上乗せして増量させてもらっていたのかも。殊に、真島俊夫編曲の吹奏楽版「宝島」からは、より多くの“ワクワク”のエネルギーを受け取らせてもらっていたように思える。
そして、高校生たち6校の吹奏楽部がリモートで合同演奏したそれを聴いて、思わず涙したのには、高校生たちの若さ溢れるその姿とそこから奏でられる音のエネルギーが美しかったこともあるだろうけれど、併せて、その頃の、色々ありながらもこれを乗り越えさせてくれた、その当時の“ワクワク”を想い出してのことであったのかも知れない。
またそれは、いま現在の“コロナ渦”で起きている色々についてもで(今回は私めの現況は語らないでおくけれど)、これにも新たな“ワクワク”を以って臨もうと、そんな勇気をもらったからなのかも知れない。
きっと、そうだ。
1986年~1987年も、またこの2020年も、「宝島」を聴いたときのそこには、“ワクワク”に満ちたこの曲の、活き活きとした生きるためのそのエネルギーが宿っていて、それ時々の丁度好いタイミングで、私はそれを運好く分けてもらったのだ、とそんな気がする。
目指す“宝島”には、その“ワクワク”が待っているんだと。
謂えば、こんなふうに、常にここから先の未来を見つめながら、その“ワクワク”な未来を目指して、また一歩一歩、いま現在のこの瞬間を歩んでいくこが大切なのでは? とまぁ、この機会にふと、オジさんは思ったりしたのだよ。
ただし、“ワクワク”のこれには、“無知であることの自覚をもって”臨むのがイイかも。
ナンテね。
「今日の一曲」の第108回、今回は、「ニュー・サウンズ・イン・ブラス❜87」(岩井直溥&東京佼成ウインドオーケストラ)より、真島俊夫編曲「宝島」をご紹介しながら、諸々語らせていただいた。
長文を最後までお読みくださいました皆様に、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
皆様、どうか、どうかお元気で。
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