今日の一曲 No.100:ハーブ・アルパート(Herb Alpert)「真実の告白(TRUE CONFESSIONS)」(アルバム「BLOW YOUR OWN HORN」より)

「今日の一曲」シリーズの第100回です。

さて、第100回として、その100枚目にご紹介する盤とそこに収録された100曲目となる一曲を何にするのか・・・、これには、正直なところ“100”という節目ともなり得るその数字を意識してしまった自分が居て、暫く迷っていたのです。そんな折、でも、ようやく、何となくレコードラックの中の一枚に手を伸ばすと、そこに収録されたある一曲がヒントをくれました。

「今日の一曲シリーズそのものについて語ってみたらどう?」

と。

そんなわけで、第100回となる今回は、このヒントをくれた盤とその一曲をご紹介するとともに、これまでの「今日の一曲」シリーズ全体を振り返って、ここに伏せてきた「真実」も含めて?・・・諸々語らせていただこうと思います。

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《きっかけ1:病から初ライヴへ》

第99回(2019/07/09公開)を書き終えたあと、

「次は第100回になるのかぁ~」

「まぁ、あまり関係ないか・・・」

と独りで呟いたと思う。

きっと、いつものように、適当なタイミングで、レコードラックやCDラックから取り出した盤のそこに収録された音楽たちを聴きながら、ここから受けるインスピレーションで自然と書きたくなる事柄について、これを大抵は我が身を振り返りつつ書くのだけれど、こうしたことをただ単に続けていくんだろうなぁ~、とそう想っていたのだった。

 

が、数日後、

「第100回かぁ~」

「何か節目になるような曲って・・・」

「ん?・・・」

「あれ?」

ふと、第100回の “100”という数字に囚われている自分に気付いた。

こうなると、“いつものように”といったそんな具合では、部屋のレコードラックにも、またCDラックにも手が伸ばせなくなってしまった。

 

「今日の一曲」シリーズは、音楽ディスクとそこに収録された楽曲またはアーティストをご紹介しながらも、音楽的な何か蘊蓄を深く語るといった類の、そうしたものでも決してない。

自身が所有する音楽ディスクを切っ掛けに、もちろん、楽曲やアーティストについてご紹介がてら、その歴史的あるいは社会的な背景にも触れて、耳に聴こえてくるここから受ける音楽の印象なども、それは私めなりに語らさせていただいてはいるけれど。それよりも、むしろ、自身が辿ってきた体験やら記憶やらを頼りに、それは「自伝的」に、かつ、大変恐縮ながら、また余計なお節介でもあるのだけれど、他人様に向けて何等か「啓発的」な内容を併せもった「エッセー」として、これを書かせていただいている。・・・まぁ、本人はそのつもりなのだ(汗・笑)。

 

どうして、このようなスタイルで書くことになったのか?

 

一つには、40歳代という年齢のそのほとんどを、少々厄介な病気を抱えながら過ごしてしまったことが大きく影響しているのだと思う。最悪の時期のほんの一歩先には「死」というものさえあった。ただ、幸運にも生き長らえることができた。

ホント、「幸運にも・・・」だ。

 

病床で創っていた歌詞と曲を引き下げてストリートライヴを始めたのは48歳のとき。

このストリートライヴを、月に2回、1年間続けて通せるだけの身体になったら、そしたらライヴハウスの出演にチャレンジしようと、そう考えていた。夏の暑さと真冬の寒さに耐えながら街中で歌い演奏するのは想像以上に厳しかったけれど、結局は、自身に課していたそれよりも長く、また多くの回数、月に2~3回をコンスタントに1年半近くに渡って続けることができた。

よし、ライヴハウス出演に向けてチャレンジしよう!

ライヴハウスやライヴカフェなる所には、以前から、それは20歳代の若い頃から聴き手側としてなら訪れることも度々あったので、出演するならここがイイなぁ~、とある程度の見当もつけていた。まぁ、応募する半年くらい前からもネットで調べたり、客として幾つかを巡りもしたけど。

で、先ずはデモテープ作りから。こんなときばかりは東京でも少々不便な田舎方面に住んでいる我が身をラッキーに感じた。部屋のドアや窓を完全に閉め切ってであるなら録音も可能だからだ(笑)。PC用のフリーソフトも利用して簡単に音のバランス等も整えてこれを作成した。

CDに焼いて作り上げたデモテープを都内2か所のライヴハウスに送ると、これも運よく、いずれからも出演の承諾をいただいた。

初ライヴは、2010年4月、49歳のときだ。

 

《きっかけ2:返答に困っても面白い》

こんなふうに音楽活動を始めてからだ、ライヴ会場などでお会いしたお客さんやミュージシャンの方などから、よく聞かれるようになったのは、

「普段はどんな音楽をご自身では聴くんですか?」

といった類の質問だ。

特に初対面である場合は大概の会話がこれから始まる。

当初、これが割と返答に困るのだった。

「色々ですけど(・・・ジャンルに拘って聴いたことなんてないんだけどなぁ~)」

「クラシック音楽とか(・・・クラシック音楽と言ったって色々あるんだよぉ~)」

「フォークやジャズ、Jポップやロックも(・・・年齢が年齢だもの時代的にも幅があるんだけれどね~)」

と。

50歳にもなるこの頃まで、自身が聴いてきた音楽を特別に意識することなどなかった。だからなのだろう、まず最初の一言を返答するのに、その一言の為の言葉がどうにも上手に並べられない。恐らく心証悪くもたれた方もいらしたのではないだろうか・・・。とまた、要領の得ない返答をしておきながらその私自身が心配になるのだった。

でも、こんな会話から、人それぞれの人となりが垣間見えて、音楽を通して人と人との出会いの面白みが深まる、それはどうやら確からしい、といったことも同時に知り得ることができた。ぅん~、面白い!

 

こんなことが少しずつ重なってだと思う、それで先ずは、自身が聴いてきた音楽について自分自身が自覚するために少しずつ整理してみようかと・・・。それを「ブログ」に載せて記録として残すことにしたらどうだろうかと・・・。

かと言って、これを読む側の人の立場になって考えると、音楽を紹介しているもの、作曲家やアーティストについて語っているものなら、現代に至っては世間のそこいらじゅうにある。しかも、評論として詳しく述べられているものも数多く、書き手自身の蘊蓄が丁寧に語られたクオリティとして高いものも少なくない。つまり、私がこれらと同様なものをわざわざ「ブログ」に載せる必要はない、というわけだ。

それでだ、無いアタマをもう少しだけ使って考えてみた(汗)。

自身が聴いてきた音楽のその確かな物証としてあるのは、自身が現在までに所有してきたアナログ・レコード盤とCDだ。ならばこれを基に、それぞれの盤に収録された音楽とともに、私自身がそこに何を感じていたのか、当時をどんなふうに過ごして歩んでいたのか、そしてこれらを自分自身できちんと見つめ直しがら素直に無理なく書くには、そうだ、「自伝的」な内容を中心に記していくのが好いのでは、と。

ただし、“いま現在を生きているその視点を大切にしたい”と思った。だから、過去から順に時系列に並べて書くのではなくて、いまの自分がその時にその場で聴きたくなった音楽の、その盤とそこに収録された一曲をきっかけにこれを基に書いていこう、と思ったのだ。その方が変に力まずに自然と書き続けて行けそうに想えた。

で、そうすることにした。

 

《想像もしていなかった変化》

第1回。これを書いて公開したのは、2016年7月20日。

「ドヴォルザーク作曲、交響曲第9番『新世界より』」について、これが収録されたアナログ・レコード盤とCDの幾つかを紹介しながら、もっとも想い出深いLPレコード盤に触れてこれにまつわるエピソードを、それは主には自身の小学生・中学生時代の頃のことを、いまある記憶を辿って当時の心情なども交えて書かせていただいた。また現在に至って振り返ってみて思うこともここに併せて書いた。

 

こうして、第2回、第3回・・・と、不定期ながら時間を見つけてはこれが許されるときに書き綴っていった。

 

それにしてもお恥ずかしい限りだ。

と言うのは、最初の頃に書いたものを、またいま現在になって読み返すと、まぁ、ひどく出来の悪い文章と構成で綴られている。修正を加えたくなる箇所が幾つもある(汗)。

いや、現在も褒められたものでは決してないけれど、少しはマシになってきているかと。

50歳代半ばを過ぎたオッサンも僅かながら成長しているのだ、とその過程は感じ取っていただけるかと。

ん?・・・そうでもないか(笑)?

 

実は、「今日の一曲」の一つの回を書き上げるのに約5~6時間ほど掛かっている。もちろん、これだけのために一日に5~6時間もの時間は割けない。3~4日間くらいに分けて少しずつ書いている。これほどまでに時間を割くことになろうとは、これもまた実は想像していなかったことだ。

これには取り組み始めてからこの身で起きている変化にある。「今日の一曲」を書き始める以前にはなかったことだ。

「今日の一曲」を書くようになってからは、レコードプレーヤーやCDプレーヤーを通して聴く音楽のその音たちが誘ってくれるものには、過去も現在も、色々な出来事を、様々な体験から感じ得た思いを、それ以前までよりもずうっと多く、また深く、我が身の奥にまであるこれらを呼び覚すかのような作用があると、そう感じてならない。

そしてその中では、この「今日の一曲」を書くために時を過去へとだいぶ遡ることもある。

そのような場合は、自身の記憶と盤やジャケットに記載された年月日等の記録を、そりゃぁね、念のため、「記憶」と「記録」とをすり合わせる作業もする。こうした事前準備にもそれ相当の時間を要することが多々ある。たまにだけれど、「ああ、記憶違いだったかぁ~」と、自身の記憶を整理し直すこともある。

そもそも「記憶」とは想い出すタイミングや想い出す時点での心情や心持ちによって、かなりの割合で「脚色されている」ものだと自覚させられる。脚色されたままに文章として書いた方がいい場合もあるけれど、冷静に脚色された部分を削いでから文章にすべき事柄もある。「脚色されたままに」と「脚色された部分を削いで」のこの使い分けは、回数を重ねて書き進めるほどにその慎重さも重要であることを、より強く自覚させられる。

そんなわけで、書く度に、呼び覚まされるものが多くなって、また深いところからでもあるように感じて、これらの作業が、それは我が身で起きている心情の変化も伴いながらで、時にはこれが厄介で、ますます時間を要するようになっている。最近では、もしかすると、全部で8~9時間ほど掛かって書いた回もあるかも知れない。

ま、でも、一々、時間を計りながら書きはしないよ(笑)。

 

《届くメッセージ、届けるメッセージ》

ところで、「今日の一曲」を始めてから1年ほど過ぎると、ときどき、ごく僅かながらではあるけれど、思いがけずメッセージをいただくようになった。また少しずつ増えてもいる。

「こんな出来事に遭いながら、このようにして歩んで乗り切ったのですね~」

「私も似たような経験がありますが、参考になりました」

「この音楽をこんなふうに感じて生活に活かしていけるのですね」

などといった感想だ。

私の方が恐縮な思いとともに、とても有難い気持ちにさせられる。

ホント、有難い。感謝だ。

 

いただいたメッセージがある意味刺激となって、また更に、記憶と記録を辿って書き続けていると、

「あの人は、いま、どうしているかな?」

「あいつ、いろいろと大変なことがあったみたいだけれど、その後、どうしているんだろう?」

「あれほどお世話になったのに、それっきりだなぁ~」

と、これもまた思いがけずと言っていいだろう、自分自身を振り返るばかりではなく、出会った人たち一人ひとりのことを思い浮かべて書くことも徐々に多くなった。

それで、時折、それとなく、さり気無くではあるけれど、ある特定の人に宛てたメッセージを忍ばせながら書いているときもある。

そんな回では、

「もしも、これを読んでくれたなら・・・」

と、願って、祈るような思いで書かせていただいている。

 

最近は更に、ある立場や、ある状況に置かれた特定多数の人たちに向けてメッセージや願いを込めて書かせていただくこともある。言うなれば、これが、やや「啓発的」な部分であるかと思う。

確かに、私如き者が、他人様に向けてメッセージなどと、それは身勝手に過ぎないものかも知れない、余計なお節介なのかも知れない、それこそ、おこがましい行為であるのかも知れない。だけれど、「一人でも何等かヒントになり得るように!」という思いから、少なからず、書くことへの責任、公開することへの覚悟、あるいは丁寧に願いを込めて書くといった、こうした自覚にも繋がっているとこれには私なりの自負もあって、併せて、私自身への戒めにもなっている。またここには、前述した「記憶自体がもつ脚色」をそのままに活かすのか、どこまで削ぎ落とすのか、これを慎重に見極めるためのその判断を明確にしてくれる役割もあるように感じる。

なんだか、余計なことを語ってしまったようでもあるけれど、元来、お気楽人間である私には、こんくらいの自覚や自負と戒めが必要なのだよ、とそうご理解いただきたく思う(恐縮です)。

 

《3度目のハーブ・アルパート》

さてさて、今回このようなことを書かせている、そのきっかけをくれた一曲をご紹介しよう。もちろん、この曲を収録した盤とともに、「今日の一曲」シリーズの第100回としてこれをご紹介する。

ハーブ・アルパート(Herb Alpert)のアルバム「BLOW YOUR OWN HORN」(日本盤アルバムタイトルは「レッド・ホット」となっている)から、そのA面の2曲目に収録された「真実の告白(TRUE CONFESSIONS)」がそれだ。

そして、この曲のタイトルから受けるインスピレーションと、当然のことながらこの曲から聴こえてくるその音たちによって、いま私は、それは紛れもなく私の内面の何処かが揺り起こされたがためにこれを書いているのだけれど、1983年に発売された当時に購入したこのLPレコード盤を、今回、レコードラックから取り出してきて、レコードプレーヤーの針をそっとこの盤に置いたそこからは、「今日の一曲」の第100回となるこれを、どんな内容で書こうかなどいったことを決心するまでのそれには、大した時間は要らなかった。

 

ハーブ・アルパートの音楽との出会いについては、第10回(2016/12/12公開)でアルバム「ライズ」より「アランフェス」を、第70回(2018/02/11公開)でアルバム「マジックマン」より「マジックマン」をご紹介しながら、様々語らせていただいた。だから今回はこの点については省かせてもらいたい。 

ちなみに、ハーブ・アルパートなる人物は、1970年代後半から1990年頃にかけては、主にジャズあるいはフュージョン・ポップスと言われるジャンルのトランぺッター兼音楽プロデューサーとして活躍した人だ。その後は音楽教育を軸とした学校を自身の財を投げ売ってまで開校し、現在も尚、子どもたちの教育に尽力を注いでいる人だ。

ハーブ・アルパートの音楽を聴くようになったのには、自然と私の波長とたまたま相性が好かったことが始まりであったわけだけれど、教育の分野にも関心があったというのはまったくの偶然で、勝手ながら、彼と同じ匂いを感じているようで少し嬉しい。

 

《真実の告白》

さて、アルバム「BLOW YOUR OWN HORN」が発表された1983年当時というと(「今日の一曲」シリーズを何度かお読みになられた方ならご存知かとは思うけれど)、社会人1年目の私が勤めていたその職場ではあまりにも理不尽で馬鹿げた出来事が日々繰り返されていた、とそうこの「今日の一曲」でも度々触れさせていただいてきた、その年だ。

実は、その“理不尽で馬鹿げた出来事”とも関わる幾つかの事については明確に語らず伏せておいたことがある。ってなこともあって、ここからはこの曲のタイトルに倣って、「真実の告白」をさせていただくことに。ジャァーン!

この「職場」、これまでの「今日の一曲」では一般企業または営利優先の一般的な会社であるかのように書いてきた。しかしながら、ずうっと読まれてきた方はきっと途中からお気付きになったかと思うけれど、あるいは同ホームページの他のページ(項目)をご覧いただいてもお分かりかと思うけれど、社会人1年目のこの「職場」とは、或る「学校(公教育機関)」であるのだ。もう少しだけ明かせば、それは或る「高等学校」だ。非常に残念なことに・・・。

ついでに、その後に勤めた先も、本当のところは、大学受験対応の進学塾やオルタナティブスクール(公教育機関とは異なる独特の教育を実践する学校)などになる。あぁ~だから、私は“学校の先生”。クラス担任を受け持っていたこともあるし、進路カウンセラーなどの経験もある。でも通しては、30数年間ずうっと“数学の先生”をしていた。まぁ、こんなんでも。エヘヘ(笑)。

こうして、「決して良いとは思えない出来事」や「批判的に悪く捉えたような事柄」と絡む場合は特にだけれど、それでも、そこに関わった人たちや関係した団体に対しては名誉や尊厳といったこれに欠いてはならないし、しかも「職場」・「仕事」についてはこれが学校など教育機関および教育関連であるため、当時そこに通っていた子どもたちのことも思うと、あまりにリアルさをもって具体的に書いてしまっては多々問題があると考えて、これらに関しては、事実よりもあえて、それはむしろ「脚色」を加えて書いてきた。

 

が、2018年からは、30数年間に渡って取り組んできたこれら教育に関することも同ホームページやライヴを通じて公表しており、現在はそれと音楽活動とを相互に合せた活動もしていること。また、「今日の一曲」で取り上げてきたこうした職場もその後は徐々に改善が成されて、現在は社会一般において“良好な環境にある”と確かめることが出来たこと。これらの状況を踏まえて、今回、ここまでの範囲内であるなら、「真実の告白」も問題はないと判断した。それに、元々、これらの事実については可能な限り「脚色された部分を削いで」おくべきだと考えていた。ただし、これ以上の具体的な明示は問題が生じる可能性が依然としてあることから、今後も控えさせていただく。

 

他にも記憶を辿っていったその場面によっては、同様な意味合で、実際にあったシチュエーションに脚色を加えた部分もある。個人情報の保護もあるから、個人の誰であるかなどを特定されてしまうこともないように注意深く書かせていただいている。

例えば、その1983年の社会人1年目に私が勤めていたこの危機的な職場を救った「救世主とも言うべき現場の上司」と表現してきたこの人は、実際には、「新たに赴任してきた校長先生」のことだ。この方についても度々書いてきた通り、事実、それはリーダーシップにたいへん優れた人で、ユーモアなども絶やさない人間的にも豊かで、私自身も深く尊敬していて、その名を堂々と公表したいくらいの人である。しかしそれほどであってもだ、その他の関係者とその事柄を総じて考慮すれば、やはり公表するわけにはいかない。

 

ただ、これだけは読者の皆様に申し述べさせていただきたく思うのだけれど、記憶と記録と真実の狭間を行き交いながら、記憶にある脚色を「脚色されたままに」または「脚色された部分を削いで」これを書いた事にも、時に「やむを得ず自ら加えた脚色」を伴って書いた事にも、この「今日の一曲」シリーズで語り、ここで取り上げてきた出来事や事柄のその本質においては、自身がそこで感じたことも、悩み考えたことも、喜び勇んだことも、これらの体験が経験となって、更に時を経ていま現在に至って、自分が言えることも、伝えたいことも、書いて届けたいと思ったそこには、嘘、偽りは、まったくないと。

おっと、思わず力説してしまったけれど、これもそうご理解いただきたく思う(またしても恐縮です)。

 

《ハーブ・アルパートのこの一曲からは》

今回ご紹介のハーブ・アルパートの「真実の告白(TRUE CONFESSIONS)」は、ミディアムテンポを刻むドラムスとパーカッションのリズム帯に加えて、重厚感をより強調しながらも決して荒ぶることも揺らぐことのないベース(低音)群の旋律と響きがここに混じり合って、この曲がもつサウンドの基調となる音を作り上げている。この上に、キーボード、シンセサイザー、エレクトリック・ギターが乗っかって、これらがそれぞれの特性を放ちながら音の拡がりを演出しては、この音楽全体を引っ張っていっている感じがある。しかしながらこれはあくまでもバックに流れている音だ。主たるメロディは、やはり、ハーブ・アルパートのトランペットにある。それは、“ハーブ・アルパートらしさ”と簡単に言っては語弊があるように思うけれど、またこれが彼の格好良さでもあるのだけれど、ハーブ・アルパートは主たるその主張を幾分か抑えて演奏する。それは優しく憂いをもって語り掛けてくるかのように奏でる。たった後半の僅かな間だけ、少々熱を帯びながら胸の内に秘めていた思いを明かすかのような力強さのある音色でそれまでとは違った表情を覗かせるも、魅惑的でありながら冷静で紳士的なトランペットの音は終始保たれて聴こえてくる。ハーブ・アルパートの特徴的なテクニックと大人な魅力をもった、気品と情熱のバランスを決して崩さない、なんとも言えない包容に満ちた演奏だ。

 

「真実の告白(TRUE CONFESSIONS)」というこの曲を、1983年当時の私は、その演奏にもっと勢いや激しさを求めていて、やや物足りなさみたいなものを感じていたように想う。

これが、現在はまったく違って聴こえてくる。

そこには、単に力任せであったり、余計な装飾で飾り立てたりせずに、ただただ、信念を貫く内なる強さと情熱を秘めながら、他者へも気遣う慎重さと、曇りなき眼で物事を捉える純粋さと、偽りなく主張を通す冷静さと、これらを以ってこそ「真実の告白」であると、そう表現しているかのように聴こえる。

 

余談になるけれど、昨今、ニュース等で話題ともなる事件や出来事には、この「真実の告白」が歪められ、これが欠けていることが多過ぎるように思う。どうかすると、これを伝えるニュースや報道媒体にもそんなことがあるくらいだ。

 

さて、ご紹介していないアナログ・レコード盤やCDはまだまだあって、これらは部屋のレコードラックやCDラックに収納されている。そのそれぞれの盤に収録されている一曲一曲もまた、今後この「今日の一曲」シリーズのなかでご紹介できたらと思う。

そしてこれらの音たちから受けるインスピレーションを大切に、諸々語り、書き続けていくとこができればと思う、また自身そう願っている。

そのためにも、今回の第100回で語り書かせていただいた内容を、私自身が肝に銘じて続けていく必要があると感じる。

「今日の一曲」をお読みくださっている読者の皆様に、少しでも「よきもの」をお届けすることができるように、とあらためて心してこれに取り組んでいかなければと思う。

と言っても、私が述べ書き連ねる事柄など知れているとは思うけれど・・・。

でも誠実に、だね。

 

「今日の一曲」その第100回は、ハーブ・アルパート(Herb Alpert)のアルバム「BLOW YOUR OWN HORN」から、「真実の告白(TRUE CONFESSIONS)」をご紹介させていただいた。また、この曲を切っ掛けに、「今日の一曲」シリーズを書くその思いなども少々深いところまで語らせていただいた。そこには、これまで伏せていた「真実」についても・・・。

 

今回もまた長文をお読みいただき、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

<追記>

同アルバムで、ハーブ・アルパートのトランペットそのものだけを味わうのなら、B面の3曲目に収録された「ラテン・レディ(LATIN LADY)」もお薦めです。