「今日の一曲」シリーズの第96回です。
約1ヶ月ぶりの投稿になりますが、理由はお分かりですね~。
さて、今回ご紹介する96枚目の盤とそこに収録された一曲は、第89回(2019/03/26公開)で、その最後の一行に記した「約束」を、これについては随分と長く放置してしまったこともあって、皆様も私も忘れないうちに、そろそろきちんと「約束」を果しておかなければなぁ、とそんな思いからご紹介する音楽です。
この「約束」、元々は、今年の春先に或る人からのご指摘を受けて、我が音楽活動のモデルとなる人物、あるいはメンターとなり得る存在を探すところから始まったのでした。
では、今回はそのあたりの話から、諸々語らせていただこうと思います。
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《イントロダクション》
先ずは、第89回(2019/03/26公開)のその最後の一行に記した「約束」について、その経緯から簡単にご説明させていただきたく思う。
恐縮ながら、私なる者は、これまで、我が音楽活動において、そのモデルとなる人物、あるいはメンターとなり得る存在を特に持たないままこれを続けてきた。
また結論から謂えば、現在もこのままそうしている、ということになる(汗)。あらまぁ~。
今年の春先のこと。
それは或る人からの、この人とはこのときが初対面ではあったものの、折角のご厚意に依るものなのだろうとそんなふうに感じて、また有難くもそうした他人様からのご指摘を受けてのことだったので、私としては念のためと思い、あらためて我が音楽活動のモデルとなる人物、あるいはメンターとなり得る存在を探してみることにしたのだった。
先ずは探ってみるだけでも、と、でも、どうせならば確りこれと向き合おう、と決めた。
それで、どうにかこうにか上がってきた人物というのが、「武満徹」と、もう一人は「忌野清志郎」で、そこから1ヵ月ほどの間は、彼らの演奏や音楽作品については勿論のこと、彼らが音楽以外の場で取り組んできたこと、如何なる考えや思考をもって行動してきた人であったのかも含めて、勉強と言っては大げさかも知れないけれど、二人の人物についてあれこれと調べていた。
このうち、「武満徹」については、これまでも「今日の一曲」シリーズの中であるなら、第89回(2019/03/26公開)のみならず、他にも数回に渡って関連する事柄について多少なりとも語らせていただいた憶えがある。
故に、その第89回の最後の一行に記した「約束」というのは、「忌野清志郎」について、ということなのだ。
ってなわけで、ここからは「忌野清志郎」なる人物と絡めた話として、これについて徐々に進めさせていただく。
《命の恩人Y氏とS女史》
さて、このモデルおよびメンター探しについては、ご指摘くださった方とは別に、私がよく知る人にも相談してみることにした。
その人は、私が「音楽活動を始めてみようかなぁ~」と考えていた頃に背中を押してくれた最初の人で、それより以前には私が病気を抱えて本当にどうにもならなくなったとき、多くの人達が私から離れていった中で、それは親族を含めても離れずに居てくれた人が片手で足りるくらいになったときでさえ、他人でありながら変わらず交友関係を続けてくれた人で、大げさではなく、「命の恩人」とも呼べる人なのだ。
この「命の恩人」のことを、ここでは「Y氏(仮称)」と呼ばせていただく。
そして、Y氏が尊敬している人物の一人が「忌野清志郎」というわけだ。
私が尊敬するY氏、そのY氏が尊敬する人物を辿ることは重要なヒントになり得るのではと。またこれが大切なことに思えた。
Y氏にその旨をメールにて送信、相談した。
Y氏からは、直ぐに返信があった。
おっとぉ、珍しい~。普段であるなら“馬の話”以外で直ぐに返信があることなど滅多にないのだけれどね~(笑)。
早速、Y氏のメールに書かれたその指示の通りに行動した。
先ずは、「忌野清志郎」並びに「RCサクセション」に関する動画を5本ほどチェック。
翌日には書店へ行って、忌野清志郎著「瀕死の双六問屋」を注文をした。
この「瀕死の双六問屋」はY氏からのお薦めではCD付きの単行本の方だったのだけれど、残念ながら取り寄せることが出来ないという事実が判明、文庫本の方を注文した。
すると、書店へと寄ったその日の夜に、再びY氏からメールがあった。
おいおいこれまた珍しい~。今度は、Y氏とツレ添う「S女史(仮称)」からの伝言を伝えるメールだった。
実はS女史、「忌野清志郎」の熱烈なファンという程度では収まらないほどの、人生上の何やらすべてを超越した存在に「忌野清志郎」を認めていらっしゃる方で、ファン歴としてもY氏よりもさらに長いのだそうだ。
そして、Y氏のメールを通じて送信されてきたそのS女史からの伝言には、彼女が私へとお薦めするRCサクセションのアルバムの名が記されていた。併せてY氏からのメールの文にも、これに同意見である、とのことが書き添えられていた。
それで、そのS女史の助言にしたがい、数日の内にはCDショップへも足を運んだ。
《推薦のその理由にも感謝》
このときに購入したCDが、「今日の一曲」シリーズの第96回として、その96枚目にご紹介する盤だ。
「RCサクセション」のアルバムで、「COVERS」。
忌野清志郎およびRCサクセションが洋楽曲をカバーして、その全11曲を収録したアルバムだ。このアルバムは、1988年に紆余曲折を経て発売された盤としても有名であるけれど、私が購入した盤は最近再版された最新のリマスター盤CDだ。
Y氏とS女史が、この「COVERS」を私に推薦したその理由については、私の音楽に対する向き合い方、私の人生の歩み方、こうしたことへの思いも巡らして、様々に考えてくれた上でのことだったようだ。
“特定の誰かに、特定の物事に、影響されているところがないのが、愛間純人でしょ”って。
それで私への参考書とすべき盤は、“忌野清志郎自身から直接的に生まれた楽曲たちよりも、むしろ少し距離を置いたカバー曲を聴いてもらう方がいいのでは?”ということになったらしいのだ。
このY氏とS女史のお二人からの助言には、つくづく恐縮な思いにさせられた。併せて、深く深く感謝した。
で、“そうであるのなら”と思い、実は私、自己判断でもう一枚別のCDを追加で買った。
その話はまた次回にしよう。
あれ?また新たな約束をしてしまったなぁ~(笑)。
《尊厳と創造のエネルギー》
さてさて、「今日の一曲」シリーズの更新を約1ヶ月間にも渡って怠ってしまったのには、5月31日(金)の準備だけで精一杯だったこともあるのだけれど、「COVERS」の全11曲の中から、どの一曲に絞ってご紹介しようか、なかなか決められずにいたから、というのも実はあった。
「シークレット・エージェント・マン」、「ラヴ・ミー・テンダー」、「サマータイム・ブルース」、「イマジン」・・・などなど、どれもがメッセージ性と面白みに富んだカバーで。
またそれは、書籍「瀕死の双六問屋」を読み終えてからの心境で選ぶ方がいいのかなぁ~と考えていたことにも依る。
「瀕死の双六問屋」は注文してから約10日して届いた。面白過ぎて2日間で読み終えて、また再度2日間で読み返した。忌野清志郎ファンには叱られるかも知れないが、ある面、この「今日の一曲」シリーズと似た面もあるなぁ~と感じる本だった。
で、「瀕死の双六問屋」も読み終えたのではあるけれど、そしてこの間を含めてその後も「COVERS」全曲を何度も繰り返し聴いていたのだけれど、それでも一曲に絞り込むまでには至らず、「今日の一曲」においても他の盤と一曲を紹介しているうちに、5月31日(金)の準備に没頭せざるを得なくなったというわけだ。とまぁ、これは言い訳だな(汗)。
5月31日(金)のこれも終えて更に時が経過し始めてだった。
どういわけか、でも自然と徐々に、私めの頭の中ではあるフレーズが繰り返しぐるぐると巡ることが多くなった。そう、私の頭の中で、ちょっとばかり特別な感じで再生回数の増えていく曲が現れ始めたのだった。
♪
どれだけ遠くまで歩けば 大人になれるの?
どれだけ金を払えば 満足できるの?
どれだけミサイルが飛んだら 戦争が終わるの?
その答えは風の中さ
風が知っているだけさ
・・・
♪
原曲は、ボブ・ディラン(Bob Dylan)の「BLOWIN' IN THE WIND」。
この曲、個人的にはPPM(Peter,Paul and Mary)(「今日の一曲」第74回に記載)の歌と演奏で聴いたのが最初で、小学生の頃だったと記憶している。
これを原曲に、忌野清志郎による日本語歌詞のアレンジ(和訳ではない)と、RCサクセション流のサウンド・アレンジが施されて、アルバム「COVERS」では「風に吹かれて」という表題で2曲目に収録されている。
ところで、アルバム全体について先ず述べさせていただくならば、このアルバム「COVERS」への私の関心事の初めは、「カバー」というものをどう捉えて演奏しているかだった。そして実際に聴いて思ったのは、原曲への尊厳や愛着を持ち合わせながらも忌野清志郎には忌野清志郎にしか生み出し得ない世界が常に存在しているってことだ。こんなこと、Y氏やS女史に言わせたら何んとも浅はかな感想でしかないのだろうけれど。
でもこれは、「武満徹」とも共通している。
「武満徹」は、オーケストラ曲も、ギターやフルートなどの器楽曲も、邦楽器を使用した曲も、合唱曲も、その作曲法や編曲方法についてのすべてを自身で独学で探って、これに挑んできた人だ。
「忌野清志郎」と「武満徹」の両者に言えることは、音楽への純粋なる尊厳を持ち合わせていることに加えて、その人にしか生み出し得ない世界とそれを創造するエネルギーが彼らのその内から湧き出ていて、作品または演奏の一つひとつにそれが常に表れて存在している、ということだ。
もしかしたら、そうした音楽への純粋なる尊厳や創造のエネルギーのこれらを真正面から受けて聴いてしまうのが、私の場合はこの「風に吹かれて」なのかも知れない、とそんなふうに思えてくる。
この曲の後半では、子どもたちのコーラスも加わってきて、これと清志郎のボーカルとが重なって聴こえてくると、何故だか目頭までが熱くなってきてしまう。・・・って、ん? これは単にオジさんになったせい?
♪
どれだけ強くなれたら 安心できるの?
どれだけ嘘をついたら 信用できるの?
いつまで傷つけ合ったら 仲良くできるの?
その答えは風の中さ
風が知っているだけさ
・・・
♪
《覚悟を決めて》
冒頭で述べた結論の通り、またY氏とS女史の見立ての通り、我が音楽活動におけるモデル、あるいはメンターとなる存在を見出すといったことには、結果、至らなかった。
ただそうであってもだ、「忌野清志郎」と「武満徹」の両者を辿ってみては、とは言えまだまだ奥深いところまでにはこれも至らないのだけれど、この両者に決して恥じない音楽活動を続けていこうと、それだけは強く思った。
特に自身でプロデュースしている「ほっと楽しやハートライヴ」と「教育を語りあおうよ音楽Cafe-Barで」については、これらを誠実に続けていくことの覚悟を強くした。
そりゃぁ~簡単じゃない。現状、これらのライヴや企画にこれまでご来場いただいた方には大いに満足してもらえている様子もありながら、一方で、世間様その多くとはまだまだ距離があるように思う。しかし、こうした現実も見つめて、自分自身ができることを一歩一歩、常に現時点で持ち合わせているもの総てを注ぎ込みながら挑み続けていくことを、勿論そうしたからと言って結果として目で見える限りものは所詮は僅かばかりのものであるかも知れないのだけれど、今回、「忌野清志郎」と「武満徹」の両者の生きざまに触れては、あらためて、こうしたことについて覚悟する決心がついた。
おおっと、大真面目に述べてしまったけれど、でもそういうことだ。
♫
どれだけ風が吹いたら 解決できるの?
どれだけ人が死んだら 悲しくなくなるの?
どれだけ子どもが飢えたら 何かができるの?
・・・
♫
この春からは、完全に音楽を専業に生きている。
結果、そんなターニングポイントに居るであろう私の現在にも寄り沿ってくれている、「忌野清志郎・RCサクセション」のアルバム「COVERS」より、「風に吹かれて」を、「今日の一曲」の第96回としてご紹介させていただいた。
ちなみに、今日は何月何日?何の日?
長文を最後までお読みくださいました皆様に、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
尚、「Y氏」と「S女史」夫妻には、この機会を与えてくださいましたこと、心より感謝申し上げます。
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Y氏より (水曜日, 12 6月 2019 12:08)
ロックの日にこれをUPするなンて,愛間純人,最高だぜ,ベイビー!!
愛間純人 (金曜日, 14 6月 2019 20:40)
>「Y氏」さん(笑)
あなたなら、そこに気づいてくれると思っていました!!
5月中には載せられないと思ったときから、6月9日には載せると決めていました。