今日の一曲 No.95:アーロン・コープランド作曲「オルガン交響曲」(レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィルハーモニック&エドワード・パワー・ビッグス)

「今日の一曲」シリーズの第95回です。

今回、95枚目としてご紹介する盤のここに収録された一曲は、それは私にとって、聴きたいなぁ、と最初に望んでから35年以上もの間、どうにもこれを聴く機会には巡り会えずにいた、そうした作品であったのです。ところが、偶然に偶然が重なったとでも言いましょうか、ここ3ヶ月余りの間に急展開。1ヶ月ほど前には、遂に、この曲が収録された盤が我が手元に届いたのです。

今回は、こうして届いた盤のここに収録された一曲について、その事の成り行きも含めて、諸々語らせていただこうと思います。

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《テクノ時代の音たち》

木造モルタル造りのアパートの4畳半一間を借りて、大学生生活のこれもそれらしく送っていた、その頃のこと。

世間は、1980年代の「テクノ時代」とも呼ばれる時代の幕開けにあって、それは音楽界にも大いに影響を及ぼしていて、日本だけでなく、アメリカやヨーロッパ諸国をはじめ世界中の多くがそうで、歌謡曲もポップスも、ロックもジャズも、ディスコなどダンス・ミュージックも、そのありとあらゆるジャンルのここに関わるミュージシャンやアーティストたちが、それとサウンド・エンジニアたちが、コンピュータ技術のこれをどうにか駆使して活かそうと、様々な表現に挑み、これを模索して、それまでには無かった新しいものを次々と生み出していく、またこれらが良いとか悪いとか完成度の云々などといったことよりも、兎にも角にも、そんな力強く創造的なエネルギーに満ちた音たちに溢れていた。

 

おっと、冒頭から早速、興奮気味に書いてしまったような(汗)。

 

あぁ、でもそうだった。私個人のことを謂えば、当時は丁度多感とも言える年齢期と重なっていたから、恐らく、ただでさえ興奮状態にあった脳みそがこれらを聴いて余計にそう感じさせていたのだろう、とそう言えなくもない。

ただ、これを差し引いたとしても、・・・勿論、個々の作品やアーティストを指して言うのではなく、全般を眺めて申し上げる話として、しかしながらある意味で一方に対してたいへん失礼な言い方で申し上げるのなら、・・・その時代に溢れていた音たちというのはここ最近10~15年ほどの音楽とは比較にならないほどのエネルギーとパワーを以って“創造的変化”を成していた、そんな存在感を放っていたように思う。激しい時代のその時流にも確かな存在感を魅せつけて。

だからそれはどうしたって、所詮は広く浅くであったかも知れないけれど、“音楽”と感じるものを片っ端から聴きいてみたくもなって、何から何までアレモコレモ聴いてしまう、そうした日々の只中に居る他なかった。・・・あっ、いや、これは私という人間の性質がそうであった、というただの言い訳だ(笑)。

 

ところで、その当時においては、これらとは“やや違うところで?”興味を惹いた音楽があった。

それは、これまでの「今日の一曲」シリーズの中でもご紹介してきた20世紀以降のクラシック音楽作品で、少々乱暴に一括りにして言ってしまうと、「現代音楽」と称される音楽になる。

第5回と第68回で紹介したストラヴィンスキーの作品に刺激されたのが最初で、第23回と第45回で紹介した F・シュミットの作品、その他の回で紹介したヴィラ・ロボス、チャンス、ハーバー、シュワントナーなどの作品もそうで、第13回と第63回で紹介した武満徹の作品などは中でも特別な存在になっていった。

そのほとんどは18歳頃から20歳代前半にかけて出会った音楽たちで、この頃の私というのは、“クラシック音楽”とされる作品の中では少々偏り過ぎていたかも知れないほど、頻繁にこれらを好んで聴いていた。

が、現在に至って当時を振り返ると、これも、「テクノ時代」という時流に刺激されてのことであったように思う。

 

今回ご紹介するのは、その「現代音楽」の一つ。

アーロン・コープランド(Aaron Copland)、1900年~1990年を生きたアメリカを代表する現代音楽作曲家の一人、この人の作品だ。

 

《FMラジオと日曜日の朝》

さて、大学生だった当時の私にとって、巷に溢れ出る様々な音楽のこれらを知る手立てというと、4畳半一間の部屋に居る間は、もっぱらFMラジオから流れてくる音楽がその情報源だった。

事前にFMラジオ番組を紹介している雑誌(「FM-fan」など)でエアチェックをして狙いを定めて聴くこともあったけれど、大抵は曜日と時間帯に応じて自分好みの周波数にチューニングをするだけのことで、それはまた4畳半暮らしとともに無意識的に習慣化されてもいたから、それだけで聴きたい感じの音楽、あるいは聴いてみたいなぁと思っていた音楽がラジオからは流れてくるのだった。しかも当時はこうしたことが容易で、それほどまでに音楽は溢れていたし、ラジオもまた、音楽番組自体が多かったこともあるけれど、他にも、音楽が主というわけでなくても何等か音楽を挟み込みながら聴かせてくれる番組も色々とあって、これが時間帯を問わず、ほぼいつ何時においても放送されていたのだよね。

 

そして、習慣化されていたことの一つには、他にこんなのもあった。

それは平日のいつもの朝より3時間ほど遅れて、ぼんやりと目を覚ますところから始まる。

寝床のその布団に埋もれたまま、幾分うつ伏せ状態の身体から我が右腕をその布団から出しては身体に対して真横へと精一杯これをなんとか伸ばす。その手の先で触れたラジオのこの電源をONに。途端、ここから発せらるラジオパーソナリティのお喋りをBGM代わりに、ボーっとした頭を目覚めさせながら、これまたなんとか布団から脱出すると、モタモタしながらも先ずは部屋の掃除に取り掛かる。とは言っても、たった4畳半一間だけ、大したことは無いのだけれど。

でも、掃除を済ませた丁度好いタイミングのその清々しくもある気分のうちには、部屋のそのラジオから、クラシック音楽が流れてくるのだった。

そう、週に一度の習慣、“寝坊した日曜日の朝に聴くクラシック音楽”だ。

 

ところがだ、ある日曜日の朝にふと聴こえてきた音楽は、おおよそクラシック音楽らしいものではなかった。

中学生の頃に好んで観ていた60年代の西部劇映画の、例えば、「荒野の七人」(黒澤明監督の「七人の侍」をアメリカの西部劇にしてリメイクした映画で、ユル・ブリンナーやスティーブ・マックイーンが出演、音楽はエルマー・バーンスタイン)のテーマ曲のようなアメリカ映画音楽のポップス的な馴染みやすさとどこか少し懐かしさを感じる音楽だった。

それだけに、このとき聴こえてきた音楽がそれほどまでに貴重なものとは想いもせず、4畳半一間の部屋のその真ん中で大の字に寝転びながらの私は、FMラジオから流れてくる音楽のそれを、それ以上には何の注意も払わないまま、単に安心した気分だけで聴いていたのだった。だからなのだろう、このときの曲名も、演奏していた指揮者やオーケストラ名も、まったく記憶に残せていない。トホホ。

辛うじて、「(アーロン・)コープランド」という作曲者名だけを記憶したのだった。

いまから思うと、バレエ組曲の「アパラチアの春」などであったのかなぁ~?

 

《コープランドを追いかけては》

それから数日が経過してからだったように想う。

ラジオから流れてきたその作品が妙に気になりはじめた。それで、記憶した「コープランド」という名前を頼りに、音楽情報誌などを探ること以外にも、図書館へも行って様々調べてみることにした。

が、その当時はあまりにこれらに関する資料が少なく、頼りないものしかなかった。分かった事と言えば、アメリカを代表する現代音楽作曲家の一人で、アメリカ古謡やアメリカ文化を題材にした映画やバレエのための音楽、他には、協奏曲や管弦楽曲などの作品がある、といったことくらいだった。

でもこうして調べることは、さほど無駄とも言えなかった。新たに興味をそそる事柄を見つけることができた。

コープランドの初期の作品に「オルガン交響曲」というのがあることを知った。これによって、なんだか面白そうだなぁ、という印象が更に加わったことは確かで、コープランドへの好奇心はますます掻き立てられていくことになった。

そしてその後は、ラジオから流れてきた曲をもう一度聴きたい、という思いも依然あったものの、先ずは「オルガン交響曲」のこいつを聴いてみたい、という衝動の方が徐々に勝っていったのだった。 

 

それにしても、当時について言えば、頼りない情報のこれだけでというよりも、そりゃぁ、行きつけのレコード店も他の店も幾つも当ってはみたのだけれど、「オルガン交響曲」どころか、他の作品も、コープランドの「コ」の字も見かけないような状況にあった。恐らく、ではあるけれど、日本国内のレコード会社のどれもがこれらを流通させてはいなかったのだと思う。それで可能性があるとすれば海外からの輸入盤から探し出すという手段であったらしいのだけれど、それが一般向けとして国内に流通または持ち込まれることの可能性は非常に薄く、学生だった当時は購入をあきらめてしまった。

そんなわけで、またFMラジオで放送されることを期待して、エアチェックをしながら待ち構える準備もしてはいたのだけれど、アーロン・コープランドの楽曲が放送されることは、ここからの1年~2年の間、あるいは私が学生でいる間は、まったく無かったのではないかと思う。

こんな当時の出来事を想い出すと、現在の「インターネット社会」とは、いかに便利で開かれた社会であるかだ。かつ、驚異的な情報量と物流網によって支配がされている社会にいまこの時代は在るのだ、とあらためてそれも感じる。

 

《消えて無くなっていた頃》

その後は、・・・但しこれについては、こうして一旦あきらめてしまってからの記憶なのでたいへん大雑把になってしまうのだけれど、・・・日本国内でコープランドの作品が演奏されるようになったのは、それも僅かで、1990年前後になってからではないだろうか。またコープランド作品の何等かを収録した盤も、コープランドが亡くなった1990年を過ぎて数年してから、あるいは2000年を過ぎてから、ようやく、1950年代~1960年代に収録された演奏がCDにも収められるようになった程度で、しかもこれもまた輸入盤に限ってのことで、相変わらず日本国内ではそんな状況でしかなかった、とそう記憶している。それでも、それこそインターネットの普及が進み始めたこの頃(1990年代後半~2000年頃)からは、個人であっても熱心にこれを探し求めて、その気にさえなれば、海外から取り寄せることはできるようになっていたかと思う。

だから、コープランドの作品に強い興味と関心をもった人であるなら、「交響曲第3番」やバレエ組曲の「アパラチアの春」、「ビリー・ザ・キッド」、「エル・サロン・メヒコ」などの作品を収録した、それは先に記した通り、元々は少々これよりも以前に録音がされた演奏のその再版のCDであっても、このあたりの輸入盤を手に入れて楽しんでいたかと。更には、強烈にマニアックな人であるなら、アナログ・レコード盤も手に入れていたかも。

って、極めて他人事っぽいのは、社会人ともなったこの頃の私めは、ここ最近の「今日の一曲」のどこかにも書いたけれど、すっかり視野の狭い“仕事人間”になってしまっていて、CDショップの店頭にも並んでいない盤を、わざわざ注文したりするなどといった手間は面倒でしかなく、その音楽を何が何でも聴こうなどという思考は消えて無くなっていた。

そしてこの頃からそれ以降では、4年に1回くらい? コープランドの短いファンファーレ曲や交響曲の一部分だけを演奏したものがテレビだったかラジオでだったかで放送されたのを、たまたま視聴したときは、「おぉ~コープランドだぁ~!」とそれなりに感動もしたけれど、それ以上の何かを求めることは、やはり、もう消えて無くなっていた。

ただ、「そう言えば、オルガン交響曲って、どんなんだろうなぁ~」といったことくらいは、その度ごとに想い出していたと思う。

 

《オルガン交響曲だ!》

(そして、人生の転機とも思える経験を幾つも経て、また多くの時を経て)

・・・

それは、いまから3ヶ月と少し前のこと。

コープランドの音楽を初めて知ってからは、もう、35年以上もの時が経過していたのだけれど。

今年の1月下旬頃だったか、ふと、テレビ画面に目をやると、NHK交響楽団が「第1899回定期演奏会」(2018/11/24)で指揮者の広上淳一とオルガン奏者の鈴木優人を迎えてコープランドの「オルガン交響曲」を演奏した、それを放送する番組の、これがまさに始まろうとしていた。

普段ならその時間帯には部屋に居たりはしない、ましてやテレビを視聴したりすることは滅多にないのだけれど、その日はその時間にリモコンを手に持ってテレビの電源を入れた。

チャンネルを操作しながら、画面を何回か切り替えてはぼんやりとテレビ画面のそれを眺めた。すると、クラシック音楽番組が始まるところで、が、なんと、その画面には「コープランド」の文字が並んでいる。これに続けて直ぐにその画面上には、「オルガンと管弦楽のための交響曲」という楽曲名が紹介されるのだった。

一瞬で、テレビの前に釘付けとなった。

・・・・

テレビ画面の、その演奏にどれほど集中していただろうか。

「面白いっ!!」

このときは、ため息とともに独りでそう呟いたように想う。

だけれど、これまでに数年おきに少しずつ耳にしてきたアメリカ文化の匂いに加えてポップス要素を感じる、そう、初めて聴いたときに印象をもったその、60年代の西部劇映画のテーマ音楽やその後の80年代から90年代のジョン・ウィリアムズによるSF映画の映画音楽などのもしかしたらその土台になったのでは?と感じさせるような、そのコープランドの作品とはまるで違った。むしろそれは、ストラヴィンスキーからの影響を多分に受けている作品だと直感した。

「もう一度聴きたい!」

そう思ってしまったら、やはり、「オルガン交響曲」これが収録されたCDが欲しくなってしまった。

現在に至って、ここ最近も、CDショップの店頭で「コープランド」と書かれたものを見かけたことはなかった。

そうなのだよね~、ま、何かでCDショップに立ち寄ることがあれば、依然これを気にしていたというわけだ。

が、こんどこそは、と再び約35年ぶりに、自らが行動を起こす機会に感じた。

「もうこの時代だ、どうにかすれば、きっと、盤を探し出すことも、購入することも可能だろう」

「もしも無かったとしても、ネット上で聴くことくらいはできるだろう」

と心の内でその聴きたい音楽への思いを反芻させながら、早速インターネット上を探った

 

《有難く贈られ届いた盤》

今回、「今日の一曲」シリーズとしてその95枚目にご紹介する盤は、2018年8月に出されたCDだ。が、この盤も再版されたリマスター盤のCDだ。

そしてここにあるコープランド作品は、「交響曲第3番」と「オルガン交響曲」の2作品。

レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック、オルガン奏者エドワード・パワー・ビッグスによる、それぞれ1966年と1967年にニューヨーク・フィルハーモニック・ホールで録音したときの、その演奏が収められている。

 

「交響曲第3番」についても簡単にご紹介すると、・・・4つの楽章からなる作品で1946年に完成、初演されている。前述したように、60年代の西部劇映画のテーマ音楽やその後の80年代から90年代のジョン・ウィリアムズによる映画音楽などの土台になったのでは?と感じさせるようなそれは華やかでありながら優しくも力強くもあって、洗練されたオーケストレーションによる響きを十分に味い愉しむことができる作品と言える。広く多くの人々の耳に馴染みやすいポップス的な要素を含んだ音楽であるように思う。謂えば、これが一般的に言うところのコープランド作品のイメージかと。

 

対して、「オルガン交響曲」はこれとは全く異なる印象の音楽であることは先に書いた通りで、・・・3年間のパリ留学から戻ってきたばかりのコープランド24歳(1924年)のときの作品で、デビュー作とも言える最初期の作品のようだ。やはり想った通り、ストラヴィンスキーの影響を受けているという。

3つの楽章からなっていて・・・、

第1楽章・・・先ずは、ゆっくりとしたテンポでフルートが怪しげで不安定な感じの旋律を奏でると、その印象のまま、静かにこれが弦楽器などオーケストラ全体へと徐々に拡がっていき、引き続き不気味に薄っすらと音を響かせる。暫くすると、オルガンが高音域の音でその怪しげな旋律を引き継いでこれに乗っかってくる。が、やがて、続いてそのオルガンは低音域の音もここに静かに加えて、更なる怪しさと不気味さを強めてこれを奏でていく。

第2楽章・・・まさに、ストラヴィンスキー的だ。その激しく刻むリズムとやや変則的なアクセントがオーケストラの各楽器によって繰り返され、これが徐々に、しかし、ますます強調されていく。そしてオルガンが強烈な響きを伴って更にここに重なると、激しいリズムと変則的なアクセントのそれは、より増大され強調される。途中、一気に静まり返ってテンポもややゆっくりになる部分では、オルガンの演奏が主となって第1楽章とはまた別の怪しさを纏った旋律で異空間へと誘う。だけれど、それもつかの間、再び、激しく刻むリズムとそのアクセントが繰り返される。

第3楽章・・・全体的にゆっくりとしたテンポで、はじめは第1楽章にあった旋律が弦楽器によって静かに再現されるのだけれど、オーケストラの各楽器群によって徐々に音の厚みとテンポが増して、やがて激しいまでの感じを印象付けると、また静まってみせる。これが数回に渡って繰り返される。と、こんどはここに、打楽器群とオルガンが加わって、それぞれが自らを主張すかのようにその音を響き渡らせながら、力強く、荒々しく、壮大な空間を創りあげていく。が、突如、そこにあった音たちの全てが停まって、終止符が打たれる。

 

ところで、このCD、自分自身で購入したものではない。今年の3月まで5年間に渡ってアルバイトをさせてもらってきた、その職場の皆さんから、有難くも、贈られ届いたものだ。

この職場、最初は“乗り掛かった舟”といった感じで手伝うことになったのだけれど、その役目も2年間ほどで果たし切って、ここ3年間は何となくそれまでの流れで続けさせてもらっていた、といった具合だった。でも、こんな状況で続けていることが良いのか、実は、迷い悩んでいた。

で、今年の3月末で辞めることにした。

そしたら、職場の皆さんから「何か贈らせて欲しい」というお話しをいただき、つまりはそれに甘えさせていただいて、図々しくも、ギターの弦と、そしてこのCDをお願いしたところ、少し経ってこれが我が手元に届いた、ということなのだ。

 

職場を変えることはあったけれど、大学を卒業してからの30数年間は同業種に就いてこれに取り組んできた。

その締めくくり、その記念に、とそんなふうにも思って、この業種・業界では最後となった職場の、その皆さんに、このCDをお願いした。

 

今年の4月からはまた新たな一歩を踏み出して、現在はその新たな一歩を踏み出したばかりの自分に挑んでいる、といったところだ。こうしていくことの決断をしたその瞬間のそのときの覚悟を、何度も何度も心に刻み入れるような思いで毎日を過ごしている。

そして、贈り届けられたこのCDを繰り返し聴きながら、ここから感じる音のエネルギーを、自身への新たなパワーに換えて、今日もまた歩ませてもらっている。

 

エヘ、なんだか真面目に語ってしまったなぁ。

 

「今日の一曲」シリーズの第95回、今回は、アーロン・コープランド作曲「オルガン交響曲」を、レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック、エドワード・パワー・ビッグス(オルガン)によって、1967年に録音されたその演奏を、最新のリマスター盤のCDからご紹介させていただき、これとともに諸々語らせてもらった。

 

いつものこととは言え、長文を最後までお読みくださいました皆様に心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

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コメント: 2
  • #1

    ななし (日曜日, 15 3月 2020 16:53)

    本日、貴殿のブログを初めて拝読させていただきました。クラシックからポップスまで幅広く、ご自分の体験を交えて熱く語っておられて、楽しく勉強?させていただきました。心から感謝いたします。
    コープランドとクラリネットがお好きでしたら、やはり彼のクラリネット協奏曲はお好きでしょうか?私は大好きです。
    私の好きな演奏は、ベタですが、ストルツマンです(下記32分20秒から)。
    https://www.youtube.com/watch?v=KuT-3UPLf0k
    今後の貴殿およびブログのさらなる発展を祈念いたします。

    本当に余計なことで書こうか書くまいか迷ったのですが、貴殿のおっしゃるSPはEPが正しいように思います。

  • #2

    愛間純人 (月曜日, 16 3月 2020 12:02)

    >ななし (上記コメントをご記載された方)様
     つたない文章・内容等のブログをお読みいたただき、恐縮ながら有難く存じます。感謝申し上げます。
     「SPではなくEPが正解」とのご指摘もありがとうございます。該当する箇所を少しずつ訂正していくことにします。
     「コープランドのクラリネット協奏曲」は知りませんでした。‥‥こんなところが私めの中途半端なところで「いま一つ」なところなのだろうと自覚しております。イイ歳してお恥ずかしい限りです。
     ストルツマンは盤は持っておりませんが、映像録画されたものを時折聴いて、好みの演奏の一つです。