今日の一曲 No.93:フィル・コリンズ(Phil Collins)「Only You Know And I Know」(アルバム『No Jacket Requied』より)

「今日の一曲」シリーズの第93回です。

今回、第93回として93枚目にご紹介する盤とそこに収録された一曲もまた、前回(第92回)同様、当時においては私もまだ社会人として駆け出しだった、その頃に出会った音楽になります。

それで、今回は前回からの続編として話を進めさせていただきたく存じます。

ですが、前回で語ったそれよりも時間軸的には更に1~2年ほど遡った頃のことに。

前回に語ったこれを再度申し上げれば、当時の私めは、勤めていた職場で理不尽としか思えない出来事のこれに痛い目に遭って、社会人としては早々にコケてしまったわけですが、その後、幸運にも何とか起き上がるチャンスをもらった、とそういった内容でした。

今回は、“何んとか起き上がる”まさにそのタイミングで聴いていたLPレコード盤とそこに収録された一曲をご紹介しながら、“新社会人の皆さんへ贈るエール”のこれも兼ねて、諸々語らせていただこうと思います。

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《“救世主”現る?》

では、早速、前回(第92回)に語ったこれの続編として、これとも若干重なるその頃へと時代を遡って、また話を続けさせていただきたく思う。

ということで、今回は、社会人としてスタートを切ったばかりのその職場で理不尽な目に遭った、その後の、社会人2年目からの話になる。

その社会人2年目は、アルバイトを3件、時には4件を掛け持って生活していた。

「どん底だなぁ~」

と、ため息混じりに、そんな言葉を何度吐き出したことだろう。

 

ところが、突然、風向きが変わり始めた。

社会人として3年目を迎える少し前のこと。

社会人の1年目に私が勤めていた職場では、その現場職員たちのリーダーでもある、現場トップの交代が噂され始めていた。しかも、モノ凄いやり手な人物が新たにその職責に就くという。

噂は現実となった。

すると、1年目のゴタゴタの最中もそっと蔭で支えてくれていた数少ない同僚・先輩たちが、このタイミングで、私を援護してくれた。お蔭で、私はその1年目に勤めていた元の職場に呼び戻される形となった。新しく着任した上司、そのリーダーの下での復帰が許されたのだった。

このことは、私にとって、“救世主”とも言える上司との出会いとなった。

そして、それは後になってから分かることだけれど、この出会いこそが、腐敗しきっていた職場をも生まれ変わらせてしまうその人物の仕事ぶりと姿勢を知る、我が人生においても貴重で幸運な日々であったと言える、その始まりとなった。

 

さて、こうして戻ったその職場は早々に次々と変化していった。

もちろん、この業種のその職場としてあるべき姿の、恐らくこれが好ましい在り方なのだろう、というその方向に。

職場全体が、職員一人ひとりが、日に日に、穏やかに、明るい雰囲気へと変わっていくのが感じ取れた。

そんな中では、無意味としか言えない派閥争いのこれを先頭になって仕掛けていた主犯格の何人かが一掃されるのも、また予想以上に早かった。どんな手を使ったのやら、と色んなふうに想像? いや、“妄想”を巡らしてみたりもしたけど、当時の若ぞうが知る由もない。おぉ、怖っ(汗)!

 

《ラッキーな説教タイム》

けれども、心を入れ替えましたぁ~!といったフリだけをしている、主犯格に継いで金魚の糞のようにこれにくっ付いていた連中が職場には残党の如くまだ何人か残って居た(言葉が雑で恐縮です、一種の感情表現です)。

この人間たちからしたら、出戻ってきた私のような若ぞうの存在は、それはそれは面白くなかったのだろうと想う。たとえ、それがミスなどと言えるものではないにしても、私が手掛けた仕事のこれに僅かにでもスキがあれば、連中は陰険なやり方でチクチクと攻撃してきた。連中のこれだけは相変わらずだった。

だから私個人は、社会人として3年目を迎えた後も暫らくは、依然、少しだけ妙な緊張感を抱えながらそこに居た。

「ぅん~、スキをつくってはならないな」

と、これを自身の心の内で呟いては、そう自分に言い聞かせ反芻していた。

 

現場のリーダーとして新しく着任したその上司は、“仕事”というものに対して非常に厳しい人で、仕事の成果(結果だけではなくて過程も含めて)それへの要求は常に高いものだった。“それがどんな意味をもつのか”が肝心だった。

それで、この上司が着任したばかりの最初の半年くらいの間は、よくこんなふうなことがあった。

例えば、私がその残党の如く居た数人から陰険な遣り口でチクチクと攻撃されているときも、上司はこれを見逃さずにいた。こうした様子を察知しては、その度ごとに直ぐさま私を、そう、私の方ばかりを、上司はその自身の執務室なる所へ呼び出すのだった。

周囲は、

「アイツ、また呼び出されてるよぉ」

「叱られてばかりだなぁ」

などと言って、私のことをそんなふうに眺めていたみたいだけれど。

ふぅ~ん、これが少し違うんだな。

“どうやってその業務を進めていれば、もっと、よりスムースに事を運ぶことができたのか?”

“より高い成果を上げるためには、何が肝心で、どんなことが鍵であるのか?”

と、まぁ、それは厳しく、迫力をもった言葉で指摘される、ある意味では“説教タイム”だった。

が、その問いには、常に、具体的な対応策や実践的な方法のそのヒントともなり得る事柄、また物事一つひとつに対する思考の仕方や行動の取り方についても、これらを深く考えさせるものがあった。むしろ、丁寧に、親身に、私へ向けて諭すものに思えた。

“スキをつくらない”ということよりも、“どんな目的と如何なる意味があってそれに取り組むのか”を問い、考え、物事を進めること、真に仕事に向かう姿勢のここに目を向けさせようとしていたのだと思う。

そして、説教タイムの終わりには、

「そうは言ってもなぁ~、細かい事をいちいち気にするものでもないぞ」

「思いっきりやれ、若いんだ、思いっきりやるんだ」

と、上司自らが顔の表情を緩ませて、そう声を掛けてくれるのだった。

有難く、ラッキーな“説教タイム”だったというわけだ。

 

この上司には、厳しさ、迫力、これに加えて、温かさとユーモアがあった。

殊に、“ユーモア”は決して欠かさなかった。

 

社会人としての3年目も7~8ヵ月ほど経過すると。

“説教タイム”のそのかいあって、私が手掛けた“仕事”も、この頃からは、それは周囲からも一目置かれるくらい、その一つひとつを認めてもらえるようになっていった。そりゃぁ、絶対的な正解があるような仕事ではないから、完全だ、なんてことは何一つないのだけれどね。いまに至って当時を振り返れば、正確さ、緻密さ、分かりやすさ、といった点であるなら自負するものも少しずつ重ねられている、とそう感じていたのだと思う。

そして、その頃それは、私とほぼ同世代の同僚たちも同じで、職場では若ぞうどもが成果を上げ始めたものだから、先輩ら、あるいはベテラン組も含めて、互いが刺激し合って切磋琢磨していく空気が出来上がっていった。

こうして新しいリーダーの下、10カ月ほども経過すると、それは徐々に、残党の如くそこに居た人の中には、今度こそ本当に心を入れ替えました! といった具合に変容を見せる人も居て、また、そこまでほどには変わらない人間も、私など若ぞう連中を意地悪くチクチクと攻撃するようなことはなくなっていった。

 

《80年代の音とヴォーカリスト》

あぁ~、申し訳ない。これもいつものことで、些か前置きが長くなってしまったようだけれど。

今回、「今日の一曲」シリーズの第93回としてその93枚目にご紹介する盤は、“救世主”と出会ってまだ間もないその頃によく聴いていたLPレコード盤だ。1980年代を代表するアルバムと言ってもいいかと。

 

その1980年代において音楽は、一種特質とすべき時流があったように思う。

コンピュータをはじめ、デジタル化とエレクトロニクス技術の発達が目覚ましくもあったこの時代には、音楽もまた、特にシンセサイザーなどのその類が著しく進化を遂げていく中で、これがサウンド創りの前衛的かつ革新的手段になると考えられ始めた。当然、ほぼジャンルを問わす、音楽のここに関わる、ミュージシャンたち、アーティストたち、サウンドエンジニアたちが、様々にこれを試みて、これに挑み続けた。結果、この前後の時代にはない変化の仕方と速度で、創造的エネルギーに満ちた音楽が次々と生み出され、これが巷へと溢れていった。

音楽なるものこれを創造する側にも、またこれを受け止めようとする大衆などの側にも、そのどちらにもそれぞれにこの為のエネルギーが漲っていた、そんな時代が“80年代”だったように思う。

 

今回、ここでご紹介する盤も、1985年にリリースされたもので、試み、挑んだ、こうした創造的エネルギーに満ちたサウンドが目一杯詰め込まれている。

そして、ここに、私個人は、80年代のミュージシャンたち、アーティストたちが次々と生み出してきたエレクトロニクス・サウンドのそのうちの一つを愉しむ、ということの他に、これと併せて、そのエレクトロニクス・サウンドのここに見事にマッチした声の持ち主だなぁ~、といった感想までも抱く。

80年代における前衛的なサウンドとヴォーカリスト自らが放つ声の、その何とも言えないミックス具合がイイ。

 

ってわけで、ご紹介するのは、フィル・コリンズ(Phil Collins)の3枚目のアルバム「No Jacket Required(ノー・ジャケット・リクワイアド)」だ。

いま手元にあるのも、リリースされた1985年当時に購入した、LPレコード盤だ。

アルバムに収録された曲のうち、シングルカットされた「Sussudio(ススーディオ)」、「One More Night(ワン・モア・ナイト)」、「Take Me Home(テイク・ミー・ホーム)」は、全英、全米で大ヒットした曲で、日本でも大いに注目を浴びた。

 

まだこのレコード盤を買う以前だ。

ラジオか、あるいはテレビかで印象的に耳に飛び込んできたのは、やはり、「Sussudio」や「One More Night」だったように想う。

少し聴きかじった程度で、すう~っと、英語の歌詞が分かるほど語学が堪能であるという私ではないので、ホント、これら音楽のサウンドとフィル・コリンズの声質の印象だけで、聴き惚れたのだと想う。

加えて、社会人としてスタートした途端にあまりに多くのアレモコレモを経験したお蔭?で、ナチュラルな音よりも少々刺激的なサウンドを求めていた、その当時の心具合のこれも合わさって、これに惹かれていたかと想う。

まぁ、記憶を辿ってはそう想う。

 

それで、例の、物静かそうなオジさんが独りで営んでいるそのレコード店へ行って、この盤を買ったのだった。

 

早速、買ってきたレコード盤のその上に針を置いて、収録されたこれらの曲を聴く。

そこには、アナログ・レコード盤だからこその愉しみもあったかと思う。CDでもなく、インターネットも普及していないからこその。

一つには、シングルカットされていない、こうした曲のたちがとても新鮮に聴こえた。むしろ、これらの曲に惹きつけられることも多かった。

アナログ盤では、一つひとつの曲の全てを、盤上の針が進むまま、そのレコード盤に収録された通りに順番に聴いていくことが自然で、そうやって聴いていくうちには、

「おっ、これもイイねぇ~」

「いやっ、こっちもイイねぇ~」

と、先ずもって逃してしまうことがない。

自分にあらかじめ刷り込まれたその情報によって起こりそうになる選択も、一旦は放棄できるのだ。それも簡単に。

だから、どうかすると、A面と、B面と、盤を返し返し、また順番に繰り返し聴けば聴くほど、そのどの曲もが、面白いっ! となる。

あるいは、こんなことの確率は、アナログ盤で聴いていた時代の方が高かったかも知れない。

そして、買ったばかりのこのLPレコード盤も、たっぷりと、そうした愉しみを届けてくれた。

 

ん? 考えてみると、音楽のそのサウンドはコンピュータだのデジタルだのと進化著しくあったのに、我が身周辺はまだまだアナログだらけだったというわけだ。

当時は、こんなバランス具合(アンバランス具合)にも面白みや愉しみを感じていたのかも。

 

《勝手な英詞解釈》

さて、暫くして、歌詞カードをざっくりと眺めてから、あらためて一曲一曲を聴くようになると、まぁ~、軟弱な男の愚痴った感じの、そうした歌たちが並んでいることに気付くわけなのだけれど。

これついて、現在であるなら、ジョン・カーニーが脚本兼監督を務めた、確か数年前の映画の、その中で、“フィル・コリンズを聴くような男は女にモテないんだよ”といったそんな台詞があったことを想い出して、思わず、あぁ~なるほどぉ、といった調子で納得もする。

が、当時はこれらの歌詞に、正直、少々ガッカリした。

ただ、A面の2曲目に収録された曲だけは、こうした類のものとは少し違うかも知れない、とそう解釈をして聴いていた。

 

その曲の歌詞は、男女が口論を始めて、互いに皮肉めいた言葉でやり合い合う、こうした情景を想い浮かべさせるもので、ところがだよ、サビの部分だ、

Cause only you know and I know

The things we mean to say

Only you know and I know

The things we mean to say

といった具合にその前までの情景が一気にひっくり返される。

遠慮なく何でも言葉にし合える、深いところで信頼あっているからこそ好きに言い交わし合える、そんな間柄なのだと想わせてくれる歌詞へと。

が、これは、当時の私めの心境と私めの頼りない英語力に依る解釈で、本当はきっと違う(汗・笑)。

(*英語力のある方なら、恐らく、「俺たちが交わし合う言葉なんて、結局のところ、君が勝手に想ったようにしちゃうんだよね」のような、投げやりな感じの、そんなやり取りの解釈になるのかと。)

 

買ったそのLPレコード盤を通してこの曲を聴き始めた頃、職場は、その新しいリーダーの下、職場全体も、そこで仕事をする人たちも、それは見事と思えるほど色んなことが良い方向へと変わっていったのだけれど、そうは言っても、如何せん、物理的時間軸としては3~4ヵ月が経過した程度で、それは先に語ったように、残党の如く陰険なことをする連中も何人か残って居たし、そんな中では何やら燻っているものも感じながらで、そこからくる不安感や警戒心のこれを完全に解くにはまだまだ、だった。

だからなのかも知れない。

ここから先で起こるであろう出来事に、きっと、期待やら希望を抱いてみたかったんだと想う。人と人とが心の底から信頼し合って、意見や考えを遠慮なく交わし合える様を。それで、そんな自身で描いた理想を、この曲のサビのフレーズに求めて、遂、そんなふうに勝手に解釈してしまったのかと。

まぁ、でも、当時の私というのは、人間としての経験的な年輪もロクに重ねられていない若ぞうだもの、そんな理想として描いた、もっともらしい解釈とは別に、男女間のそんな様子もイイなぁ~、などといったお気楽な妄想の方が先だったと思う(笑)。

 

《痛みも、希望も理想も》

この、フィル・コリンズのアルバム「No Jacket Required」のA面の2曲目に収録された「Only You Know And I Know」は、勿論、シンセサイザーやシンセドラムなどによるサウンドを前面に、これによって創り上げられている曲なのだけれど、ここに、切れ味鋭いホーン・セクションも加わって、スピード感と迫力がより一層強烈な威力となって響いてもくる、そうしたサウンドをもった曲と言える。更にはこのサウンドに相性抜群のフィル・コリンズのその歌声が乗っかって、これが少々乱暴なやり取りを想い浮かばせるAメロの歌詞にも、その後に続くサビの歌詞の(この歌詞をどう解釈したとしても)言葉それ自体がもつリズムにもピッタリと相まって、まさに疾風を抱いたような痛快さと爽快さを運んでくる。

そして、これについては、1985年当時も、いま現在に至っても、この曲を聴いていては同じだ。

 

私の場合、結局は社会人として、

「スタートラインに立てたぁっ~!」

と大声に出して言えるくらい、そんなふうにも感じられるようになったのは、こうした日々を送った社会人3年目の、それもようやく終盤になってからだった。

 

「最初が肝心」とか、「石の上にも3年」といった言葉があるけれど、これもまた私個人の解釈になるけれど、これらの言葉は、ただ単に、“最初を大切に”とか、“最初は丁寧に慎重に”とかではなく、また、ただ単に、“まずは3年間くらいは得られた場所で経験してみろ”ということではない気がする。

勿論、社会人としてスタートした早々に色々とあったその頃の自分を、いま現在に至って振り返ってみて、ということにはなるけれど、でも、当時あったことを、あらためて冷静に、丁寧にこれを捉えてみては、「最初こそ、芯(覚悟)をもって取り組まないと、勢いあるものに流されてしまうよ」、「最初こそ、誠意をもって何にも向き合っていかないと、意味のないことになってしまうよ」、「それまで、どんなに立派で優秀であっても、または、今は一見不出来に見える者であっても、そのいずれも、その場所で、真にスタートラインのそこに立てるのは3年が過ぎたくらいからで、そこからのその先をどうするかが大切だ」と、こうしたことを本当は言っているように思える。

ナンテね。

おっとぉ、何だか真面目に語ってみせたけど、読む側は“真面に読まないで”いただきたい。

アハハハハ。

 

でも、20歳代に出会ったその“救世主”から一番に感じたことは、ここに加えて更に欠かせないのが、「ユーモア」だと感じた。これは、とても大切かも。

ユーモアについては、また他の機会に詳しく語たることができたら、と思う。

 

当時、社会人として生きるそこへと足を踏み入れたばかりの頃は、人間関係のこれに痛みを感じることばかりで、しかしながら、その後に、“救世主”とも呼びたくなる上司・リーダーとの出会いによって、そこからは、信頼関係が育まれていくときの人の強さを目の当たりにして、ここに希望をもち、理想までを描くことができるようになった。

ほぼ同時期に、たまたま聴こえてきた音楽の、当時としては前衛的なサウンドとそこに見事までに融合したヴォーカリストの歌声、これに誘発されては、そこにも痛みは感じたけれど、でも併せて希望も理想も感じて、それは少々妄想的で自分勝手な解釈であったかも知れないけれど、その音楽、その一曲にも支えられた気がする。

 

「今日の一曲」シリーズの第93回、今回は、フィル・コリンズ(Phil Collins)のアルバム「No Jacket Required」から、「Only You Know And I Know」を、当時のLPレコード盤とともにご紹介させていただき、また諸々語らせてもらった。

 

新社会人の皆様、前回と重なりますが、あらためて、よきスタートを。

いまこそ確りと足を地に着けて、でも高い理想は描いて良いかと。

どうか、一歩ずつ、決して視野を狭くしてしまうことなく、自分の足で、が、ピンチな時は他人の手を借りても構わないから、瞬間その瞬間を生きて、前へと歩み続けていただきたい、そう願っております。

そして、社会を、仕事を、人生を、大いに面白くして、楽しんでいただきたく存じます。