今日の一曲 No.92:井上陽水「飾りじゃないのよ涙は」(アルバム『9.5カラット』より)

「今日の一曲」シリーズの第92回です。

社会人としてスタートした当時のことを、それは今なら少しは冷静に振り返ることもできますが、それでも色々とあり過ぎた波乱に満ちた道のりを歩んでいたように感じます。そこで、今回、92枚目にご紹介する盤とそこに収録された一曲は、新社会人の皆さんへ贈るエールとしての意味も込めて取り上げてみようかと思います。当時はまだ社会人になりきれていなかった若ぞうだったのですね~(汗)。そんな若ぞうにも力を貸してくれた音たちです。では、今回もまた、その頃の時代へとタイムスリップして語らせていただくことに・・・。

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着ているスーツも、その手や肩から下げられているバッグやカバンも、・・・何故かその持ち主であるご本人の姿とは・・・、

「まぁ~、なんで、こうも似合わないんだろうなぁ~。」

と、思わず声にして感想を漏らしてしまいそうになるのだけれど・・・、

この季節特有の微笑ましくもあるそんな光景を眺めては、

「4月だねぇ~。」

と、これは僅かに独り言が声になって出てしまっているカモ。・・・我ながら明らかに怪しいオジさん化している。

 

「今日の一曲」シリーズをずうっとお読みいただいている方はきっとご理解くださっていることだろうと思っているのだけれど、・・・こうした光景を俯瞰的に眺めながらも決して冷ややかな態度ではなく、言うなれば初々しい彼ら彼女らを、心の底から、心配をし、応援をし、

「どうか、よき新人時代を築きますように!」

と、願っているのだよ。

 

私めの社会人スタートは・・・、

そこは、一端の大人たちが自分らにとって都合のいい主張だけをし合って、その仕事が果たすべき役割のためでもなければ目的のためでもなく、将来に向けて何の意味も成さないような、そんな身勝手な派閥争いをして日々明け暮れるような職場だった。しかも、どちらの派閥にも属することを嫌った若ぞう(私のことだ)を干して追い出してしまおうなどということを平気でするのだから、

「なんて世の中、理不尽なんだろう」、

「この業界で働く大人たちがこんなことをして許されるのだろうか・・・」

などと、怒り、馬鹿々々しさ、無力さ・・・、

もちろん、自身の未熟さもそこにはあることくらいは承知していても・・・、

悔し過ぎて、痛過ぎて、噴き出してしいましそうな感情を抑え込むための苦しさしかない・・・それだけの社会人1年目だった。その社会人1年目を終えたところでは本当に干されてしまい、2年目はアルバイトを3つ、時々4つを掛け持って生活を繋いだのだった。

(今回はこれでも極々簡単に語らせていただいている(汗)。「今日の一曲」では、この頃のことを、これまでも5~6回ほどに分けて詳細に書かせていただいているので、今回はこんくらいにしておこうと思う。)

 

飾りじゃないのよ涙は HAHAN

好きだと言ってるじゃないの HO HO

真珠じゃないのよ涙は HAHAN

きれいなだけならいいけど

ちょっと悲しすぎるのよ涙は HOHOHO

 

少しばかりそれまでの「アイドル」と呼ばれる歌手たちとは異なる路線を歩みはじめたのか、「中森明菜」なるアイドル歌手が、独創的かつ印象的な歌詞とフレーズ感で歌い上げている。・・・それが毎日のように、移動中のカー・ラジオから聴こえてくるようになったのは、アルバイトを3つ4つ掛け持ちながらの秋?、いや、もう冬に差し掛かっていたかも知れないなぁ~。

 

中森明菜、10枚目のシングル。作詞・作曲は、井上陽水。

彼女の歌声というよりもその声質に、元々、このだいぶ前から関心があった。

井上陽水によるこの曲を彼女が歌う前までは、素人が偉そうな音楽評論家のように、

「彼女の声にもっと合った楽曲があるはずだ」

などと、批評めいた感想を内に秘めながら(?笑)関心をもっていたのである。

 

私は泣いたことがない

灯りの消えた街角で

・・・・

私 泣いたりするのは違うと感じてた

 

 「飾りじゃないのよ涙は」というタイトルが付いたこの楽曲を聴いて、偉そうな勝手なるその音楽評論家は、中森明菜なる歌手の、その声質と歌声、彼女にあるエンターテイメント性を十分に発揮させ、更なる魅力を開花させた曲だ・・・そう思ったのだった。

そして、井上陽水・・・おそるべし・・・と(笑)。

 

その翌年の年末に、井上陽水がセルフカバー・アルバムとして出した「9.5カラット」が、レコード大賞・アルバム賞の大賞を受賞した。

今回、92枚目にご紹介する盤はこれだ。

もちろん、当時のアナログ・LPレコード盤だ。

 

このアルバムについて後に確認したところ、リリースは1984年12月で、アルバム大賞の受賞は1985年の年末とあるので、実際に自分自身で手にしたのは大賞受賞を知ってからだったので、1986年の年明けか、春も間近な頃であったかも知れない。

それでも買った場所だけは確かで、例の自宅近所にあった物静かそうなオジさんが独りで営んでいるレコード店でだ。

 

当時はインターネットもなく、よほど自ら情報をつかみに行かないと知らないままであることも多かったのだけれど、アルバム「9.5カラット」を初めて手にしたところで、この曲も収録されていることを知ったのだった。

 

買ってきたLPレコード盤をレコード・プレーヤーの上に乗せて、そして針を置く。

B面の2曲目へと針が進むと、「飾りじゃないのよ涙は」が、もちろん井上陽水が歌うそれが、ナチュラルにすうっと耳に飛び込んでくるのだった。

 

飾りじゃないのよ涙は HAHAN

輝くだけならいいけど HO HO

ダイヤと違うの涙は HAHAN

さみしいだけならいいけど

ちょっと悲しすぎるのよ涙は

・・・・

 

それまで、独創的で印象的な歌詞とフレーズ感が際立って聴こえていたものが、まったく自然体のまま、当然のようで、・・・それだけに、またまた思ったのだった、・・・井上陽水・・・おそるべし・・・と(笑)。

 

井上陽水の音楽を少し熱心に聴くようになったのは、我が同年代の中ではかなり遅い方だ。

第69回(2018/02/08)に書いたけれど、学生時代に住処としていた4畳半アパートのすぐ近くにあった食堂のオバちゃんが井上陽水の大ファンだったことがきっかけだった。

 

さて、大学を卒業して社会人としてスタートすると、そんな訳で、すぐにスッ転んでしまって、転んだ身体をなんとか持ち上げようとしながら聴いていた・・・その中森明菜が歌う「飾りじゃないのよ涙は」は、彼女のもつ魅力をそれまでとは全く別の世界観から表現していて、楽曲とともに彼女自身が歌う姿もまた印象的であって衝撃的であって、独創的なものに感じられて、でもそれは、生きる逞しさを届けてくれて、抑え込むようにして抱えていた当時の、怒りも、悔しさも、痛みも、これらの感情を「吹き飛ばしてくれ~!」という想いに応えてくれているかのようで、・・・そんなふうに聴いていたように思う。

 

アルバム「9.5カラット」の盤をレコード・プレーヤーに乗せて針を置いた日は、社会人4年目を迎えようとしていた頃で、・・・それは、例の救世主のごとく現れた上司との出会いから1年が経過する頃でもあり、最初の元居た職場で次々に起こる一発逆転の奇蹟を体感しながら自身も充実した日々へと大きく変化していったときだった。

だからだろう、この盤から聴こえてくる井上陽水が歌う「飾りじゃないのよ涙は」は、失敗を恐れずに自然体なまま思いっきりチャレンジしてみようと悟する、その背中を押してくれているかのように感じられて、でも、経験した悔しさや、痛みを抱えて「くそったれぇ~負けねぇぞ!(下品な言葉で恐縮です)」みたいな、逆境から這い上がるようなエネルギーのその先にあっての今であることも忘れべからず・・・と、教えてくれているかのように思って聴くのだった。

 

更に数十年が経過した現在、地球上で半世紀を優に超える年数を生きてきたわけで、怪しいオジさん化も進んではいるのだけれど・・・(汗)、少しは冷静に当時を振り返ってみることもできて、あらためて思うことは、社会人1年目のときにどちらかの派閥に属してしまわないで本当に良かったなぁ~ということだ。

「長いモノに巻かれちゃいなよ・・・」

などの類のことを言ってくる人は何人もいた。

だけれど、そっと支えて応援してくれた人もそれは数人だけだったけれど、後々、その支えてくれた仲間のお蔭はとても大きかった。

ただその前提として、自分自身の奥深いところで、それは当時から未熟さもひ弱さもありはしたものの、自分自身で軸とすべき最低限の「物差し」は持っていたのかなぁ~と思う。その「物差し」だけは欠かさなかったように思う。

 

「飾りじゃないのよ涙は」の「涙」を、自分自身の奥深いところにあるその「物差し」に置きえて聴いていたのかも知れない。・・・その「物差し」だけは、「飾り」であってはならないと・・・ね。

 

新社会人の皆様へのエールとして、井上陽水作詞・作曲、「飾りじゃないのよ涙は」を、第92回の「今日の一曲」に想いを込めて語らせていただいた。・・・つもり(汗・笑)。

・・・「私のような嫌な目だけには遭わないよう、よき新人生活を!」と、ただただ願っております。