今日の一曲 No.91:バッハ作曲「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番」(ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn))

「今日の一曲」シリーズの第91回です。

今回ご紹介する91枚目の盤とそこに収録された一曲は、バッハの曲です。第89回でご紹介した武満徹のギター曲が収録された盤とともに、今回ご紹介する盤もまた、昨年の秋から今年1月末までの約4ヶ月間に及んだ資料作り・・・特にその執筆中には欠かせない音たちを届けてくれていたわけです。そこには天才と謳われるヴァイオリニストの名が記されていて、今回、このヴァイオリニストについても触れては、またしても少々時代を遡って語らせていただくことになろうかと思います・・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自身で探求してきた事柄とは言え、そうそう正解などあろうはずがないものについて整理をして書き綴っていくという資料作りであったので、それなりに覚悟はしていたのだけれど、実際に取り掛かると、難解なことも多々あって、形を整えるまでには当初の覚悟や予想などを遥かに超える作業量となって、併せて時間も大幅に予定を超過してしまった(・・・作成した資料は5/31(金)「教育を語りあおうよ音楽Cafe-Barで」などで配布される)。

 

それでも、部屋でこんな・・・机上に置かれたPCと雑多に並べられた書籍やノートの山を目の前に、地味~な作業を続けるときは、第89回(2019/03/26記載)で紹介した武満徹のギター曲を収録した盤と、その他にバッハの曲が・・・なかでも無伴奏曲はなかなかイイのだった(第15回(2016/12/29記載)で紹介したチェロの無伴奏曲も含めて)。

 

特に執筆作業中は元々足りない脳みそもフル回転させなければならないのだけれど、そんなときは、多彩な音が混じり合った多重感のある音ではなく、極々シンプルな音、もっと端的に言えば、一つの楽器と一人の演奏者だけから奏でられた音たちが程良い音量で耳に届くと、これを助けてくれる。

 

作業効率・学習効率と音楽の関係については、科学的に論じた書籍も幾つか読んだことがあるけれど、曲のテンポ、旋律の起伏と編曲による音の厚みや楽器編成、また調が何調であるかなどを、脳科学や心理学の分野の研究と併せて大抵が書かれていて、これらは面白みもあって、参考にもなる。

・・・が、私的見解としては、個々人が音楽と普段からどう関わっているか、あるいはどう関わってきたかで、個々人が置かれた状況によって様々な違いが生ずるのが実際で、あまり真に受けない方がいい。・・・結局は、その作業の場にどんな音楽を流すのか、あるいは音楽は流さない方がいい・・・などということは、その時々の個々の感覚を大切にした方がいい。・・・といったことも、この4ヶ月間で体感しながら体得したように思う(笑)。

 

だから、武満徹のギター曲も、バッハの無伴奏曲も、あくまでも私個人の感覚として、ここで経験した4ヶ月間の資料作りのなかでは、その作業効率を助けてくれた音楽であったよ~、盤であったよ~、ということであって、これが誰にでも、また、いつでも当てはまるとは言えない。 

 

前置きが長くなってしまったのだけれど・・・、

そこで、今回ご紹介する91枚目の盤は、バッハ作曲、無伴奏ヴァイオリンのための曲が3作品収録されたCDだ。

ヴァイオリン奏者は「ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)」。

 

ヒラリー・ハーンについては、詳細なるご紹介はここでは必要ないかと・・・。なので、簡単にだけ・・・。

アメリカ合衆国バージニア州レキシントンの生まれで、ボルティモア出身のヴァイオリニスト。1990年頃、10歳の頃から一流のオーケストラや指揮者と共演を重ねて、「天才少女」の呼び声も高く、日本のクラシック音楽ファンのなかにも早くから彼女の才能と演奏に注目していたファンは多かったのではないだろうか。

特に2000年頃からは世界各地でのリサイタルをはじめ、レコーディングにも数多く臨んで、更なる注目を集めながら現在に至るまでに、「数十年に一人の…」あるいは「百年に一人の・・・」といったプロ奏者のなかでも逸材と称されてきたヴァイオリニストであり、今なお進化し続けているヴァイオリニストである。

 

私個人がヒラリー・ハーンという若き才能溢れるヴァイオリニストの存在を認識したのは、彼女の初来日が2001年という記録があるから、これより数年前のおそらく1999年~2000年頃ということになる。

 

それで、「なるほど」・・・と、記憶を辿っていると辻褄が合うのだけれど、この当時は、第86回(2018/08/17)でブルックナーの話題とともに書いた・・・その職場を辞めて、新たな職場に身を置きはじめた頃になる。それは職場が変わろうとも相変わらずの「仕事人間」で、ただその仕事の成果として周囲から高く評価されているだけであるのに、自信満々に日々を送っていた頃だ。・・・愚かだね~、馬鹿者だね~(汗)。

 

で、その当時、何処でだったか、ふらっと寄ったCDショップで、ヒラリー・ハーンのCDが目に留まってジャケットや帯を眺めては、「若手で凄そうなヴァイオリニストが出てきたんだなぁ~」と、その手に取ったCDを元の位置に戻す前に「ヒラリー・ハーン」という名前だけは記憶に留めたのだけれど、結局は、このときも、この暫く後も一瞬手に取ったそのCDを買うことはなかった。

それから1~2年が経過していたと思う・・・彼女が初来日して開催したリサイタルが、日本の多くのクラシック音楽ファンを魅了したという様子をテレビの音楽番組か何かで視て、「ヒラリー・ハーン」という若きヴァイオリニストの才能と人気の凄さを再認識するものの、CDを手に入れようという行動までには、またしても至らないのだった。

 

・・・そうなのだよ。この経過を辿ってみても、重症なる「仕事人間」になってしまっていて、自身の本来の生き方から外れてしまっていて、自身の生きるペースも見失っていたにもかかわらず、まったく自身で気付いていない、気付こうともしていない。・・・部屋で音楽を聴くといった時間も知らず知らずのうちにめっきり少なくなっていたことも、新しく出されたCDなどへの好奇心も、それを買いたいと求めたりする意欲もすっかり薄れてきてしまっていたことも・・・、そんな我を振り返る必要などないのだと、大いに勘違いをした生き方をしていた。

 

・・・が、身体も心も、その奥深いところでは既に悲鳴をあげていたに違いないのだった。

 

そして、更に1年後には病気を発症、3年後に何もできなくなってしまうのだからね~。

(病気を抱えていた頃のことは、これまでも「今日の一曲」の中で何回か書いているので、今回は省かせていただく。)

 

さて、ご紹介する手にした盤は、1997年、ヒラリー・ハーンのデビューアルバムとして制作され、バッハ作曲のヴァイオリン無伴奏曲のうち3つの作品を収録したCD・・・それを新技術による高音質CDとして2016年に再版した盤である。ヒラリー・ハーン17歳のときの演奏で、ヒラリー・ハーン自身にとっては恩師ヤッシャ・ブロツキーを亡したばかりというなかでの録音であったと記されている。

 

収録されたヴァイオリン無伴奏曲は、「パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006」、「パルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004」、「ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005」。

3つの作品どれもから、若き天才のヒラリー・ハーンの・・・明瞭でエネルギーが満ち溢れているかのような音色と一瞬の乱れもない精密かつ揺るぎない演奏技術を感じることができる。

特に「パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004」は、今日あまりに有名にもなっている第5楽章「シャコンヌ」の冒頭のフレーズのせいもあるかも知れないけれど、恩師ブロツキーへ捧げる想いまでもが色濃く表れた演奏に感じる。・・・それは、ヒラリー・ハーンの演奏が精密かつ揺るぎないテクニックがただそれだけに偏ったものでは決してない、人間らしい心の在り方をも豊かに表現する技術であることを魅せてくれているように感じる。・・・それにしてもこれが17歳の演奏とは!

 

資料作り、執筆作業を助けてくれた・・・だなんて、これだけのための音楽としてご紹介なんてしようものなら、たいへんな失礼になる(汗)。

あれから十数年が経過して、ヒラリー・ハーンの最新の盤ではなくて先ずは再版されたこの盤を、と思ったのには・・・、

もしも、2000年頃の当時、最初に出された盤をCDショップの元あったラックに戻さずに自身で手にしてこの演奏を聴いていたなら、「仕事人間」のその視界の狭さに幾分かでも気付いて、我が姿を少しは見つめ直したかも知れない、・・・たとえそうでなくても、何にもできなくなって社会からリタイヤするまでにならずに済んだのでは・・・と、そりゃぁ実際には当時の状態からしたら、どうしたってあり得ないのだけれど、そうした想いが、ふとよぎって再版されたCDを手に取った・・・微かにだけれど、こうした感覚があったように想う。今度こそ、心鎮めてゆっくり味わって聴こうと・・・。

 

無伴奏ヴァイオリンのための曲、こうした一つの楽器を一人で演奏するシンプルさには、それによって奏で湧き起こる音たちにもシンプル過ぎるが故にそこに表れる全てが露わになる面を持ち合わせているように想える。

限りなく正確で精密な演奏技術も欠かせないけれど、人間的かつ大切な心の在り方をもった演奏表現もまた欠かせない・・・それが特別に他よりも少し余計に要求されるように想う。

 

前述したことの繰り返しにもなるけれど・・・、

ご紹介している91枚目の盤に収録された音たちから聴こえてくるものは、バッハの音楽の崇高さとともに、17歳の若き日のヒラリー・ハーンのヴァイオリンの、ある意味、無垢で純粋で余分なものが入り込む余地などないような揺るぎない演奏テクニックが確かに際立つのではあるが、しかし、亡くなった恩師への想いと一緒に、人間的な豊かな心持ちもそこには紛れもなく存在していて、特に「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004」という作品と彼女のヴァイオリン演奏が交差した瞬間には、これらが最大限に増幅されて、それが音となって表れているように感じる。

これらはまた時に、

・・・人間として真に大切なことを問うてくるかのようであり、

・・・2000年頃の「仕事人間」に染まり切った馬鹿者を戒めるかのようであり、

・・・資料作りの根本にあるテーマを問いかけ続けているようでもある。

 

ともかく、今またもう一度、ゆっくりと瞼を閉じて、心鎮めて、過去も、現在も、未来も、確りと感じながら聴いてみようと思う。

そんな「今日の一曲」を第91回として、ご紹介させていただいた。