今日の一曲 No.90:村下孝蔵「酔いしれて」(アルバム「汽笛がきこえる街」より)

「今日の一曲」の第90回です。

90枚目にご紹介する盤は、ライヴハウスなるところで音楽を聴く楽しみを知る切っ掛になったミュージシャンの盤です。この盤、実は第24回(2017/03/05)で紹介したビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」を薦めてくれた「タツヤ」が関係しています。もちろん、当時に買ったアナログ・LPレコード盤です。では、昭和の風景がまだまだ色濃くその匂いまでがぷんぷんする1980年頃にタイムスリップして語らせていただこうかと思います。

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なんと大学に合格してしまった・・・こんなのが(私のこと)。大丈夫か・・・?

<これまでの「今日の一曲」を幾つかお読みいただいた人は察しがつくかと・・・。>

<お読みになっていない方も想像はつくかと思います(汗・笑)。>

予感は的中!

まぁ、大学の講義というものに追いついていくのが、やっと、やっと、・・・。

それでも、世の中は、「仲間」なのだよォ~、

・・・ん?、当時の若ゾウのしていたことは、殆んど、ただの他力本願であったとは思うけれど・・・(汗)。

 

そりゃぁ大学の図書館で自分自身でも調べたりしたよ。

高校生のときもイイ奴が周囲に居てくれて、助けてもらって、励ましてもらって合格した大学だからね。ギリギリ引っ掛かって合格したのだろうなぁ~・・・ということも自覚していたから、大学生生活はホント無駄に過ごしてはいけないという気持ちは、それこそ、「こんなのが」であっても持ち合わせていた。

 

が、1年生の夏休み前の前期試験の結果は散々な結果だった。

当時通っていた大学では、1年生にだけは学生の窓口になる担任の先生がいたのだけれど、後期に入る前だったかに担任の先生に呼び出された。

「このままだと単位が取り切れないぞ」

みたいな注意を受けた憶えがある。

・・・あとで知ったけれど、呼び出される学生など滅多にはいなかったらしい。

これまでの「今日の一曲」でも度々書いてきているけれど、1年生の後期くらいになると、この頃に音楽について語り合うような仲間も増えて、それがこの連中のなかにはお勉強も優秀な者も多くて、加えて、何だか、優秀な先輩たちと知り合うこともできて、気取って格好つける必要もなく、講義でさっぱり分からないようなことも皆に教えてもらえるようになった。

<ほら、第88回にも書いたように、ピンチを迎えるとラッキーなことに恵まれるのだよ。>

こうして周囲の力を借りながらだったから、むしろ自分自身でも「せっかく教えてもらったんだから」と、また更に繰り返し勉強するようにもなるのだった。それでもって、大学生生活の「お勉強部門」は軌道に乗り始めた。

 

そんな音楽を語り合う仲間のなかでも最も親しくなったのが「タツヤ」だった。

当時、周囲に居る友人のなかでは一番にギター(アコギ)が上手かった人でもある。第24回で紹介したビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」の盤を薦めてくれたのも彼だ。が、彼は洋楽よりも、岡林信康や吉田拓郎など、いわゆる日本のフォークなどの方が好んでいたようで、その知識も豊富で詳しかった。

 

一つの単位も落とすことなく大学2年生になってからだった。

タツヤが、

「ライヴハウスに行ってみない?」

と誘ってきた。

それまでは生演奏を聴くとなると、クラシック音楽系のリサイタルなどに行くことの方が多くて、まぁ、南こうせつ、松任谷由美のコンサートにも行ったことはあったのだけれど、コンサートホールばかりだった。

ライヴハウスなるところへは、当時はまだ行ったことがなかった。

「村下孝蔵・・・」

とタツヤは言ながら同時に2枚のチケットを見せた。

絶対に断わるはずがないと思っていたらしい。

もちろん、チケット代はタツヤに支払った。

 

どこのライヴハウスだったかが憶えていない・・・ん~、新宿の西口方面に出たような・・・、50人も入ればいっぱいになるような、小さなハコだった。そこで、1ドリンクだけ注文して入って席に着いた。

 

と、このほんの数ヶ月前、タツヤが「村下孝蔵っていいかもよ」という話をしてきて、正直、少し乗せられて、村下孝蔵のファースト・アルバム(メジャーデビューしてからのもの)を買っていたのだった。当時のCBSソニーが開いていたコンテストで村下孝蔵というのが全国大会でグランプリを取った・・・というのもタツヤからの情報だった。

 

さて、その・・・小さ目なステージに登場したのは、アコースティック・ギター1本だけを持って現れた村下孝蔵だった。

アルバムを聴いて、声の深さ、声の伸びやかさ、歌の上手さが印象としてあった。歌詞や曲風は古き昭和のフォークというよりも歌謡曲風に聴こえて、当時20歳くらいのあさはかな若ゾウの耳には、時代にやや乗り遅れている曲風といった感じにも聴こえていたことは事実で・・・。が、それでもメロディと歌詞に素朴さがあってなのか耳に残る・・・何か心のより所になるような、具体的には言えないけれど何か胸のうちに入ってくる音楽に感じていたのも確かであった。

 

ライヴが始まった。

 

《うぉ~、まったく違う!》

《ギター、ギター、ギターだよ!》

《すっげえ、上手い!》・・・当時まったくと言っていいほどギターなんぞ弾けもしないクセにそう思ったのだ(笑)。

 

村下孝蔵の声の感じとギターから奏でられる音と響きがスッゲぇ~合っている・・・これが本来の村下孝蔵の音楽のように思えて感動しっぱなしだった。

 

ライヴはあっという間に終わってしまった気がする(90分くらいは聴いていたとは思うのだけれど・・・)。

帰りにタツヤとも、きっと、互いに興奮して語り合ったに違いないのだけれど何も憶えていない。

 

既にもっていた村下孝蔵のファースト・アルバム「汽笛がきこえる街」が、このライヴのあと、その聴こえてくるものが明らかに変わった。

ライヴで聴いたアコースティック・ギターから奏でられる音と歌声が源であり原点であるとの思いでいると、このアルバムにある音は様々にアレンジされて音数が足されてはいるけれど、原点があって、ここに、この音があると思ってイメージすると、その一曲一曲の、更にはフレーズごとに、より深く、歌詞と一緒に、その村下孝蔵の音楽の素朴さが伝わってくる感覚で聴くようになっていった。

 

このアルバムには、シングルカットされた曲では、シングルのA面曲「月あかり」と同じくB面曲「松山行きフェリー」も収録されている。

・・・が、個人的には、アルバムのB面の2曲目に収録された「酔いしれて」が、当時はもっとも長く頭の中でリピートされる曲になった。ライヴに行ってからは余計にそうなったかと・・・。

当時の20歳ほどの若ゾウには分かるはずもない、想像でしかない、大人がお酒に「酔いしれて」などの感覚を覗いてみたくなる、背伸びしてみたくなる・・・、自分にもこんな大人な気分を味わえる時がくるのか、・・・そんな想像と感覚が聴いていて心地いいと思った。・・・その頃はまだ、大人社会の複雑さに気付いていないからねぇ~(笑)。

 

この頃からアルバイトで貯めたお金に少し余裕が出ると、ちょこちょことライヴハウスに出掛けるようになった。もちろん、タツヤを誘ってだ。

行くたびに、

「これはライヴハウスでしか聴けない音、音楽だぁ~!」

というのを知るようになる。

社会人になってからは、更にその頻度は増えていった。

この村下孝蔵というミュージシャンのライヴハウスでの弾き語りのライヴ、そして彼のファースト・アルバム「汽笛がきこえる街」は、その両方の音の聴き方を教えてくれる切っ掛けになったと言っていい。

 

さてさて、結局、私めはアルコールには向かない体質だったようで、お酒をじっくりと味わうような大人にはなれなかった。「酔いしれて」は今なおもってしてもその感覚を味わったことがない。

たま~に、ビールで「乾杯!」なんてくらいはあるけれど・・・、ジョッキ半分くらいで十分だ。

日本酒や焼酎でじっくりと呑み味わいながら「酔いしれて」みたいものだ。

 

タツヤは、現在も変わらず行方知らずだ(第24回に書いた通り)。

だけれど、タツヤなら、「酔いしれて」を味わえている大人になってそうだなぁ~。そう、ときどきギターを奏でながら昭和のフォークを口ずさんでいるかも・・・(勝手な想像をして恐縮ではあるけれど)。

 

ライヴハウスで音楽を聴く面白さを教えてくれた、村下孝蔵、そのアルバム「汽笛がきこえる街」から「酔いしれて」を、「今日の一曲」でご紹介する90枚目の盤に収録された一曲として、語らせていただいた。

 

<追記>

 タツヤ様へ。どこかで、このブログのことを知ったらご連絡いただきたい。親友より。