今日の一曲 No.88:バリー・マニロウ「Fools Get Lucky」(アルバム「IF I SHOULD LOVE AGAIN(愛は、あなただけ」より)

「今日の一曲」シリーズの第88回です。

さて、皆さんは、どんなときに“ラッキー”を感じますか?

謂ったなら、“なんてラッキーなんだろう”などと思えることはそうそうないことなのかも知れませんが。ただ、“ラッキー”を感じるその感度を鈍くさせてしまうことがないように、そう心掛けておくことも大切に思います。殊に、“人との出会い”や“人との繋がり”に依ってもたらされるラッキーについては。いや、これは、私が事あるごとに、私自身に向けて言い聞かせていることです。

今回、88枚目にご紹介する盤のここに収録された一曲は、些細な事も大切にしたいと思う、そんなラッキーをちゃんと感じさせてくれる、そうした音楽であるかと。

では、そのご紹介する盤とここに収録された一曲の“ラッキー”に絡めて、諸々語らせていただきます。

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《山あり谷ありも悪くない》

“人生は山あり谷あり”。生きていく上で、平坦な道を歩んでいられることなどそうそうない、というわけだ。

但しそれは、記憶というものの仕業であるかも知れない。どうしたって、平坦な道を歩んでいられる間は、遂、その有難みなどといったものに感度が鈍かったり無自覚であったりする。平坦な道を歩んでいられた間の様々な出来事もその有難みも、これを当たり前と思ってしまうせいか、記憶には残らない、あるいは、記憶には残しにくい、そんなことが割とありがちかと。それで、印象としては、山や谷ばかりを越えて歩んでいるかように思えてしまうのかと。

だから、自身の歩みや人生についてあれこれと振り返ってみるときは、“人生の山や谷のその高さや深さや多さ”も、記憶というものの仕業を考慮に、その分を少し差し引いて想うべきかも知れないのだ。

あっ、いや、これは、無知で未熟が過ぎる私に限ったことであるカモ。アハハハ。

 

が、やはり、これまで私が歩んできた人生というその道のりは、幾分かその山も高く谷も深い、といったことが多かったように思う。とは言え、その山や谷も決して悪いことばかりではなかった、とそう思っている。

というのも、私の場合、厄介な問題や最悪に思えるような出来事に遭遇したときにこそ、こうしたことの後に、不思議と、“なんてラッキーなんだろう”といったことに恵まれる、それもまた割合に多い気がして。しかも、その大抵が、“人との好き出会い”や“人との繋がり”に依ってもたらされる、何んともこの上なく有難い、そんなふうに思えるラッキーなのだ。

 

My life was once a high trapeze

You pulled me down and gave me peace

That's something no one else

Could ever do

 

《メンターを探せ、と言われても》

さて、少々話が飛ぶのだけれど。

10日ほど前のことだ。ある人から、思わぬご指摘を受けた。どうやら、この方、音楽業界をはじめとして、多方面に渡って様々にご活躍をされている、そうした人であるらしい。と些か曖昧なのは、他人伝手にたまたま紹介されて、私自身がこの方のことを以前より存じ上げていたというわけではないのだ。それで、この方とはこのときが初対面であったのだけれど、そんな経緯で、直接、お話しをさせていただく機会があって。ならばと、折角でもあるので、私自身が現在取り組んでいることでの課題などについてもお話をさせていただいたのだった。

すると、この方が言うには、

「あなたには、メンターとなる存在、あるいはその活動のモデルとなるような人がいますか?」

「あなたは、確りと、メンターやモデルとなり得る存在をもつ必要があります。そうしないことには、あなたの音楽活動も、また、現在そのやろうとしていることも、いずれ、少しも進まなくなると思いますよ」

と。

ガァーン!

そこで、私も、その場で直ぐに、色々と想い起こしてはみたのだけれど。ぅん~、音楽活動や昨年から取り組み始めた活動のこれに関しては、特別に意識する、特定できる、そういった人物は思い浮かばないのだった。

仕方なく、私は、

「いやぁ、特別な存在、メンターとなるような人は、一寸、いま直ぐには思い浮かばないですね・・・」

「人には大いに関心があるし、また出来事についても、広く色々と、何でも興味をもって知りたがる方ではあるのですけれど・・・」

などと返答した。

ご指摘くださったこの方には、苦笑いされてしまった。

恐らく、話にならないなぁ、といった感じであったのだろう。

 

で、こんな具合に、苦笑いされて終わってしまったものだから、何だか私も悔しいような気持ちになってしまって。こんなことがあってからは、知る限りの人を次々と想い浮かべながら、また、様々に考えてみてもいるのだけれど。いやいや、どうにもこうにも、依然として、メンターやモデルといった存在、これには辿り着ける感じがしない。

 

もちろん、メンターといったものの存在これ自体を否定しているわけではない。

20歳代から30歳代前半、社会に出て働き始めたばかりの頃は、社会人としてその仕事を通じて如何なる姿勢でそこに臨むべきか、そういったことを指し示してくれる人、そのメンター的な存在となる人物は、当時、私にもちゃんといた。

この「今日の一曲」シリーズでも度々登場している“救世主とも言える偉大なる上司”がまさにそうだ。職場こそ変えることはあったけれど、私が30年余りに渡ってその業種・業界に携わってこれたのは、“救世主とも言える偉大なる上司”この人との出会いがあったからこそだ。20歳代から30歳代前半のこの頃に、この人から教わったことの一つひとつが、この人とともに取り組んできたことの一つひとつが、それはこの上司と別れてからも、私が40・50歳代となってからも、その続けてきた仕事を通じては、大人として、社会人として、物事にどう向き合い、自身の役割をどう果たしていくべきか、こうしたことを考えていく上で、また実際に行動にしていく上でも、それが常に“軸”となって在り続けた。

だから、メンターとなり得る人物のその存在が重要であることは、私にも十分に理解できる。

 

ちなみに、歴史上においてその名が登場するような人物であるなら、「勝海舟」かな。小学5年生頃に知ったのを切っ掛けに、中学生・高校生の頃には、勝海舟なる人のその生き方を熱心に追いかけたこともある。

 

ところが、例えば、音楽活動に関して言えば、演奏家やミュージシャン、作曲家や作詞家など、なかなか特定の人の名前を上げることができない。何度考えても浮かんでこない。

幼少期から50数年のこの間では、クラシック音楽をはじめ、フォーク、GS、ポップス、ロック、ジャズ、ダンスミュージック、ラテン、テクノ、現代音楽などなど、様々な音楽を耳にしてきた。そして、その楽曲・作品の一つひとつからは、常に何等かの感動を与えてもらってきた。ときには、聴こえてきた音楽が私の内側でその心の支えにもなって、どんなに助けられたか。それだけに、これら音楽を生み出した音楽家やミュージシャンたちに対しては、どんなにか尊敬し、どんなにか感謝しているか、それはもう計り知れないほどであるのだ。

言い方によっては、これまでに出会ってきた音楽の一つひとつが、これら音楽を生み出した音楽家やミュージシャンたち一人ひとりが、私にとっては、これ全てがメンターであり、モデルであるかも知れないのだ。そうであるから、この中のどれかに、あるいは誰かに、といった感じで特定しようなどとは決して思えないし、また特定して選ぶなどといったことも決してできない、とまぁ、そんな感覚なのだ。

 

When I see the good times shine

One this wayward life of mine

I tell the world

It's all because of you

 

それは、私自身の音楽活動・ライヴ活動においても、また同じだ。

その活動の場であるライヴハウスなどでは、各地で色んな人たちと出会う。ライヴハウスの店長さんやスタッフの皆さん、音響さん、ブッキングライヴで一緒になるミュージシャンたち、ライヴを愉しみにご来場くださったお客さんたち、こういった人たちの中にも尊敬すべき人、お手本にしたいと思う人は数多くいるわけで。

だってね、49歳になってからシンガー・ソングライターとして音楽活動を始めたこんなオジさんをだよ、こういった人たちは、いつも、どれほど温かく見守ってくれていることか、どんなに優しく接してくれていることか。またこれを感じて、オジさん(=私)の側も、これまでに、どれだけ救われてきたことか、何度勇気づけられてきたことか。

 

こんなふうに考えれば考えるほど、音楽活動においても、昨年から取り組み始めた活動に関しても、“メンターとなり得る存在”これを、特定するなどといったことは、なかなか、できそうにないのだけど、ねぇ~。

まして、いま現在、私が取り組んでいることは、音楽活動を含めて、どれもが、幾つかの山や谷に遭遇しながら感じ得てきた“なんてラッキーなんだろう”これを起点に、ここから始まったものばかりであるだけに・・・。

 

But fools get lucky

Fortune must like me

When people ask where you came from

I tell them

 

《ラッキーをきちんと感じる感度》

少々前置きが過ぎたかな。

ってなわけで、「今日の一曲」シリーズの第88回、今回は、ここまでに語ってきた事柄を象徴するような音楽を一つご紹介させていただきたく思う。

 

それは、バリー・マニロウ(Barry Manilow)のアルバム「If I Should Love Again(愛は、あなただけ)」に収録されている。

このアルバムは、バリー・マニロウの10枚目の記念アルバムとして1981年にリリースされたアルバムで、アルバムタイトルのその印象の通り、恋愛をテーマにした歌詞をもとに、バリー・マニロウが自身で作曲して歌い演奏した、これら全11曲が収録されている。

収録された11曲のうち、アルバムタイトルにもなっている「If I Should Love Again」と、もう一つ「I Haven't Changed The Room」は、歌詞もバリー・マニロウが書いている。

私が持っている盤は、その当時に購入したLPレコード盤だ。

 

バリー・マニロウの音楽と最初に出会ったのは、中学2年生のとき。インフルエンザの流行で学校が学級閉鎖となっていたなか、元気だったガキ(=私)は勉強もせずにラジオばかり聴いていた。自作のラジオでもあったので気に入っていたのだ。ふと、ラジオから流れてきた歌声に耳を奪われた。何だかとても穏やかで心地好い。それが、バリー・マニロウだった。そして、バリー・マニロウのこれも、時に、私を励まし救ってくれる、そうした音楽の一つとなった。

 

レコード店でこのアルバムを手にしたとき、当時、私は大学生だった。以来、このアルバムにも度々励まされ救われてきた。中でも、B面の3曲目に収録されたこの一曲には随分と長きに渡ってお世話になってきた。この盤を買ったその大学生だった当時よりも、むしろ、社会人になってからの方がお世話になった、そんな気がする。また現在に至っても時折これを聴いては、イイ具合に元気をもらっている。

 

その一曲とは、「Fools Get Lucky」。

歌詞は、ジョン・ベティス(John Bettis)が書いている。カーペンターズのファンの方は、よくご存知かと。

 

私にとってこの曲「Fools Get Lucky」は、何等か岐路に立たされたとき、何やらピンチな状況に直面したとき、そんなときにも、きっと上手くいくさ!とこの背中を押して励ましてくれる、そんな一曲であるのだ。

そして、こうした難もこれを乗り越えられたときには、“なんてラッキーなんだろう”とまた思うのだけれど、併せて、共に歩んでくれた仲間や周囲の人たちに向けて、あるいは、その幸運をもたらしてくれた出来事に対して、これに心から感謝して、これに依って得た有難みを自身でじっくりと噛み締めようと思うときも、ここに心地好く寄り添ってくれる、そんな一曲であるのだ。

 

Fools get lucky

Destiny likes me

It must be of nature's rules

Love like yours

Should save the fools like me

 

歌詞だけを直訳的に眺めれば、目の前のラッキーさをただ単に幸運に思うだけの、都合のいい、楽観的過ぎる、そんな歌に想えてしまうかも知れないのだけど。が、ここに、バリー・マニロウが付けた、そのバラード風のゆったりとした感じのアレンジと旋律とを加えて、更には、彼の歌声とも合せてこれを聴くならば、そんな短絡的な意味だけで完結してしまう、そのような楽曲には決して聴こえてこない。少なくとも私には。

ここから聴こえてくる“なんてラッキーなんだろう”は、“人との好き出会い”や“人との繋がり”に依る、まさに、その“有難み”を感じさせてくれるラッキーで、こうしたラッキーをきちんと感じ取るための感度を我が身の深いところへも届けてくれる音楽、そう想うのだ。バリー・マニロウの深く拡がりのあるその歌声とともに、これが染み入ってくる感じがするのだ。

いまも、部屋のレコードラックからこの盤を取り出してくるときは、これを求めて聴くことが多い。

ん? 少々小難しいことを言い過ぎたカモ。

兎に角、“ラッキー”を感じながら、ふぅっと力が抜けて楽になれる、そうした曲だ。

 

《その有難み、忘れるなよ》

さてさて、私にメンターをもつことを薦めてくださったその方の言葉にも、これはこれで引き続き考えていこうと思っている。その方とのご縁も大切に、と思う。確かに、先にも申し上げた通り、メンターとなり得る存在を見出すことは無理にも想えるのだけれど、それはあくまでも私の主観的な感覚に依るものでしかない。だから、念のため、暫く、数ヶ月ほどはこれにつき合って、色々と探ってみるのもいいのではないだろうか、とそう考えている。

実は、この件については、ほんの数日前、私と長く付き合いのある友人ら何人かにも相談してみたところなのだ。

まぁ、この長く付き合いのある友人らからは、

「特定なものをもたない、それこそが愛間純人だろうと思うけど」

といったことも言われたのだけれど、友人らの誰もが私のその相談に親身に応じてくれた。

ここでもまた、“人の繋がり”のその“有難み”を感じることになった。

 

そんなわけで、正直なところ、メンターを探す、これに関しては些か懐疑的ではあるものの、いい機会であるようにも思っている。

実際、“メンター探し”を始めてからは、周囲の人たち、これまでに出会ってきた人たち、音楽活動を通じてお付き合いさせていただくようになった人たち、それぞれの人たち一人ひとりのことを、これまでになく、丁寧に振り返って考えてみるようになった。

よくよく考えてみれば、その誰もが、“なんてラッキーなんだろう”を私に届けてくれた人たちだ。

そして、いま、またもう一度、

「山や谷を越えていくときも、平坦な道を歩んでいるときも、人生というその道を進み行くなかでは、人との出会い、人との繋がりは大切だよ。その有難みを忘れるなよ」

と言われている気がする。柔らかく包み込んでくれるような、そのバリー・マニロウが歌う「Fools Get Lucky」という一曲に。・・・なんちゃって。

 

「今日の一曲 」シリーズの第88回、今回は、バリー・マニロウのアルバム「If Should Love Again(愛はあなただけ)」より「Fools Get Lucky」をご紹介しながら、これに絡めて諸々語らせていただいた。

 

長文を最後までお読みくださいました皆様に、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。