今日の一曲 No.87:アメリカ古謡「シェナンドー」(「キングズ・シンガーズ ポップス・コレクション(THE KING'S SINGERS ENCORE)」より)

「今日の一曲」シリーズの第87回です。

今回は、丁度1年前に載せた、第46回(2017/08/27記載)の続編として語らせていただこうかと。

もう30年くらい前のことです。今回ここでご紹介する盤に収録された、“懐かしくも美しい”その旋律をもった一曲に、当時、私はどんなにか癒されていたことでしょう。それは何んとも心地好く、自身の胸の内で騒めくそうしたものも一緒にこれによって度々鎮めてもらっていた、そんな感じがするのです。そして、またここ最近になって、ふと、部屋のレコードラックからこの盤を取り出してきては、時折、この曲を聴いているのですけれど・・・。

そんな次第で、第87回、今回は、“懐かしくも美しい”その旋律をもった一曲、これに絡めて諸々語らせていただきたく思います。

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《イントロダクション》

~第46回を簡単におさらい~

兎に角、あっという間に引き込まれてしまったのだった。

ステージ上では、蝶ネクタイ姿の男性6人がア・カペラで互いの声を重ね合い歌い上げている。が、コミカルな感じの彼らの演奏に、会場を埋め尽くした観客は、その誰もが笑いと拍手を繰り返して止まない。コンサート会場の端から端まで全てで大盛り上がりだ。

「えっ、何? なになに何?」

テレビのリモコンをいじって幾つかのチャンネルを探っているうちに、たまたまテレビ画面に映ったのがこれだった。

どうやら、コンサートも終盤で、客席からのアンコールに応えて3~4分ほどの短い曲を2つ3つと立て続けに演奏しているらしい。10分もすると、この様子を伝えてくれていたその音楽番組は終わってしまった。

「あぁ~、事前にチェックしておけばよかったぁ~」

と胸の内で呟きながら、このとき、とても残念がったことをよく憶えている。

ただし、番組が終わる直前、テレビ画面に表示されたテロップを決して見逃しはしなかった。

「キングズ・シンガーズ・・・かぁ」

と、彼らユニットの、その名を確りと記憶に留めた。

 

とまぁ、私が「キングズ・シンガーズ(THE KING'S SINGERS)」なる存在を知った最初は、こんなだった。いまから30年ほど前のことだ。

それで、早速、キングズ・シンガーズを目当てに近所のレコード店を幾つか当ってみたのだけれど、彼らのレコード盤やCDは、何故か、置かれていないのだった。

 

ちなみに、当時は、CDといったものが出始めた頃で、特に新作のポップスやロックはそれまでのレコード盤からCDへと逸早く替わりつつあった。ただ、街中のレコード店(この頃、CDショップといった言い方は無かった)では、クラシック音楽やジャズなども含めると、依然、アナログ・レコード盤の方が多かったように思う。

また、インターネットなるものも社会一般においては存在していないに等しかった。レコード盤の在庫や流通等の情報を知るにも、当時は、直接、レコード店へと足を運んで確認する方が早かった。インターネットを一般大衆が利用するようになる、そんな時代はこれより11~12年も後のことなのだよね。

 

そんなことで、

「キングズ・シンガーズのレコード、なんで無いんだ?」

「東京も、田舎(多摩の奥地)に居ては見つからないのか?」

などと独りで呟いては少々愚痴っていたと想う。で、仕事が休みの日には、都心寄りの多少賑わいのあるそうした街へも出掛けて行って、目ぼしきところを探し歩いたりもしたのだけれど。ぅん〜、どうも見つからない。

テレビで彼らの存在を知ったそれからは、もう3週間ほどが経過してしまっていた。

ふと、考えが過ぎった。

「もしかしたら・・・」

と。

そして次なる試みとしては、自宅最寄り駅より電車で約40分、先ずは三鷹を目指すのだった。もしも三鷹がダメなら吉祥寺、吉祥寺がダメなら下北沢だ。そう、中古レコード店を当ってみることにしたのだ。

三鷹の中古レコード店に着くと、直ぐ様さっと店内を見渡した。おおよそジャンルごとに分けられたラックのこれに見当をつけた上で、この辺かな? と思うその周辺へと進んだ。それからは目の前のラックに並ぶ盤の一枚一枚を素早く、かつ、丁寧に確認していった。

が、さほど時間が経たないうちに、

「やったぁ。はい、正解」

とその場で思わず、小声でそんなふうに発しては、ドヤ顔で居たかも。

キングズ・シンガーズのLPレコード盤を見つけた。 それも、2種類。

 

一つは、「キングズ・シンガーズ 10周年記念コンサート(1978年5月)」のライヴ・アルバム。コンサートの様子そのままを丸ごと収録したLPレコード盤2枚組のアルバムだ。これについては、既に、第46回(2017/08/27公開)でご紹介させていただいて、キングズ・シンガーズの歌声やハーモニーの素晴らしさ、ライヴの面白さ、これらに絡めて様々語らせていただいた。

そこで、今回は、もう一つの方を。

 

《もう一つのアルバム》

今回、「今日の一曲」シリーズの第87回としてご紹介する盤は、もう一つの方だ。

「キングズ・シンガーズ ポップス・コレクション(THE KING'S SINGERS ENCORE)」というタイトルが付いたアルバム、こちらについてご紹介させていただきたく思う。

このアルバム、1971年にイギリスで出版された盤を、日本のレコード会社が1979年に再版したものらしい。演奏は、いずれの曲も、1971年にロンドンのオリンピック・スタジオで収録されたものだ。

但し、私が中古レコード店で見つけたこの盤は、市販用に流通していた盤ではなく、元々はレコード店や販売ルート業者に配られていた見本盤であったようだ。

 

それにしてもだ、先の「キングズ・シンガーズ 10周年記念コンサート」のライヴ・アルバムも、この「キングズ・シンガーズ ポップス・コレクション(THE KING'S SINGERS ENCORE)」も、私が中古レコード店で見つけるより既に10年前には出されていたわけで・・・。そう考えると、私は、自分が彼らを知るまでに10年以上の遅れをとった、そんな感じがしてならなかった。こんなにも素晴らしい彼らの演奏を、何故これまで知らずにいたのだろう? と。

とは言え、中古レコード店で購入したアルバム2つを手にして、“キングズ・シンガーズ”という彼ら6人の歌声とハーモニーを、これでじっくりと味わえるなぁ、と胸を撫で下ろす幾分か安堵した思いにもなれたのだった。

 

アルバム「キングズ・シンガーズ ポップス・コレクション(THE KING'S SINGERS ENCORE)」には、このタイトルの通り、多くの人がきっと何処かで聴いたことがあるであろう、そうした曲が収録されている。「南京豆売り」、「サマータイム」、「タイム・ワズ」、「ワイヴズ・ランド・ラヴァーズ」、「スカボロー・フェア」といったところをはじめ、イングランドやスコットランド地方の、あるいはアメリカの、古謡やフォークソング、ラテンアメリカの名曲、(1960年代頃の)映画の主題歌など、全13曲が収録されている。

キングズ・シンガーズと言えば、何よりも先ずは、ア・カペラだ。が、このアルバムには、ザ・ゴードン・ラングフォード・トリオがバックの演奏に加わっている曲もあって、これらがまた、ア・カペラとは違うキングズ・シンガーズの魅力を引き出している。

実際、盤に針を乗せてこれを聴くと、キングズ・シンガーズの、メンバー個々の歌唱力、6人が奏でるハーモニーなどア・カペラの技術の高さ、演奏表現の豊かさ、加えて、アレンジの仕方やバックのトリオとの共演の面白さ、こういったものが13曲を通して色々に味わえる。

 

中古レコード店から自宅に戻ってこれらを聴いたときには、

「諦めずにあちらこちら探してみて、本当によかったぁ」

と胸の内で何度そう呟いたことか。きっと、レコード・ジャケットを眺めながら、独り、部屋で、いつまでもニンマリ過ごしていたと想う。ハハハハ・・・。

もっとも、購入したばかりの頃は、どちらかというと、「キングズ・シンガーズ 10周年記念コンサート」のライヴ・アルバムを聴くことの方が多かった。この「キングズ・シンガーズ ポップス・コレクション(THE KING'S SINGERS ENCORE)」は、これより1年ほど経ってからかなぁ、何度も繰り返して、じっくりと聴くようになったのは。

 

《ピンチに遭遇したときこそ》

当時の私めは、社会人7年目から8年目に掛けての頃。

大学を卒業して直ぐに勤めたその1~2年目は、この職場も何かと問題が多かった。いま現在に至って冷静に振り返ってみても、やはり、理不尽としか思えない、あってはならない、そんなことが毎日のように繰り返されていた。

3年目だった。そんなだった職場を救う、真に“救世主”と呼びたくなるような“もの凄い上司”が現れた。この上司は、現場を取り仕切るリーダーとして外部から赴任してきたのだったけれど、何んともまぁ、お見事!ってな具合に、数々あった問題を先頭に立って次々と解決していった。

私個人も、この上司からは叱られること度々だったけれど、仕事に向き合う姿勢、考え方とその行動の取り方、様々なことを教えてもらった。ん? 教えてもらった、というのとは少し違うかな? この上司のやり方というのは、必要なヒントだけを与えて本人自身に考えさせる、とそういったものだった。ユーモアもあって人間味に溢れた上司のその人柄だけで、職場全体が明るくなる、そんな感じさえした。だから、この上司に叱られると、むしろ、励みになるのだった。

“ピンチに遭遇したときこそ好き出会いがある”それは、不思議と、高校生の頃から私に訪れるようになった“ラッキー”であるのだけれど、この“もの凄い上司”との出会いも、そうした“ラッキー”の一つだった。

が、私が社会人7年目から8年目を迎えたその頃は、“もの凄い上司”が定年退職をされたばかりで、こう言っては悪いけど、何んとも頼りない感じの上司がその後を担っていた。

 

そして、それは成るべくしてなった、と言うべきなのか。リーダーが換わった途端、早速、この職場は少々厄介な事を抱えてしまった。しかも、私は、その少々厄介な事に真正面から対応しなければならない、そうした部署で、ある一つの重要なミッションを遂行するチームに就くことに。

それでも、この厄介さを、私は、悪いとばかりにも捉えてはいなかった。むしろ、厄介なそれにも挑む気満々だった。

「この厄介事を打破してみせることこそが、お世話になった上司(“もの凄い上司”)への恩返しになる」

と、かつてのその上司から受け取った幾つものヒントを自身の内で反芻しては、それを自分に言い聞かせた。いま思うと、些か自信過剰気味に楽観主義が過ぎてたかも知れないけど。

でも、こうした心境や覚悟に至るには、当然、一人では難しかった。

そうなのだよ、チームには“もの凄い上司”に鍛えられながら仕事を覚えてきた、私とほぼ同世代の若ゾウどもが、意気の合う同僚として、仲間として、他に3人居たのだ。

たった3人? ・・・いやいや、3人も!だ。

仲間と言える存在は、1人でもそれは居てくれるだけで大きい。2人であればそれは2倍にも3倍にも倍増する。まして、3人も居てくれたのだから。

私を含むこの4人は、いつも自然発生的に雑談でもするように、たとえ少しの時間も、互いにそれぞれが課題に思う問題を打ち明け合いその解決策を相談し合った。またそれを次々とミッション遂行のアイデアへと換えていった。見出したアイデアは先輩職員やベテラン職員にも提案して、アイデアの一つひとつを共有してもらうようにした。こうして、この部署のチームは着実にその成果を上げていった。何だか上手く行き過ぎて、当時の私は、少々図に乗っていたところもあったような。

でも違う、と時折、心落ち着かせて冷静に考えては、そう思った。“もの凄い上司”と出会えたその“ラッキー”が依然続いていたのだ、と。人を育てる、その重要さと意味を、心底実感するのだった。

そして、このときに経験した“人材育成”と“チームワーク力”は、更にこの後、私の仕事の仕方や生き方に大きな影響を及ぼすことになる。・・・今回は語らないでおくけど。

 

《懐かしくもある美しい旋律》

職場でこんな経験を重ねていた当にその頃。自分の部屋に帰ってから繰り返し聴いていた一つが、「キングズ・シンガーズ ポップス・コレクション(THE KING'S SINGERS ENCORE)」だった。

中でも、A面の2曲目に収録された「シェナンドー(Shenandoah)」は、何故か特別に心地好い、そんな想いで聴いていた。

 

ここに収録された「シェナンドー」は、意外にも、バッハの「目覚めよと呼ぶ声あり」の旋律がピアノによって奏でられる、これから始まる。そして、包容に満ちたウッドベースの低音の響きと、スネアドラムの皮を擦るブラシの小気味好いリズムとがここに加わって、が、そっと静かにピアノの旋律を支える。ジャズの匂いがほのかに香る、そんな感じだ。でもこれはバックの、ザ・ゴードン・ラングフォード・トリオが奏でる、伴奏のこと。

暫くすると、このジャズ風なアレンジがされた伴奏に乗っかって、 キングズ・シンガーズの何とも形容しがたい、ただただ美しく澱みない、その歌声とハーモニーが聴こえてくる。

ジャズの匂い香るトリオの演奏はあくまでもバックグラウンドだ。主役である彼らキングズ・シンガーズの歌声とハーモニーは完璧とも言うべく絶妙なバランスで、「シェナンドー」の美しい旋律をどこまでも優しく包み込むかのようにこれを聴く者へと届けてくれる。しかしながら、この主役たちは、バックグラウンドのその色彩さえも決して壊したりはしない。バックグラウンドがもつ色彩をちゃんと受け取りながら、互いが共鳴し合う音の魅力を、この「シェナンドー」という曲の美しさと共に聴かせてくれるのだった。

 

元々、「シェナンドー」という曲は、アメリカ古謡、船乗りの歌だったらしい。カナダの毛皮貿易商の船頭やミズーリ河で働く水夫たちが、船上での仕事の最中、荷下ろしなど力仕事の作業中に歌った労働歌であったらしいのだ。それにしても、どうしてこんなにも美しい旋律なのだろうか? と想う。力強く勇ましいような旋律にならずに。ちなみに、“シェナンドー”とはアメリカ原住民の酋長の名からきている、らしい。

 

この美しい旋律を聴くと、ふと、懐かしさを感じる。私の記憶に「シェナンドー」という曲の名が早くからあったわけではないけれど、恐らく、この旋律は幼い頃から聴いて知っていた、とそう想うのだ。これを、紆余曲折を経て社会人7~8年目を迎えたそのタイミングで手にした、キングズシンガーズのアルバムに収録された「シェナンドー」を聴いては、その美しくも懐かしくもある旋律が、ほんのひと時、この我が胸の内で騒めいている何かを鎮めてくれる、そうした音楽にも感じるのだった。ん~、何だろう、川沿いを吹き渡ってくる涼し気な風に頬をそっと撫でてもらっている、そんな感覚だ。この曲を聴く度に、身も心も奥深くから癒されている感じがするのだった。

もしかしたら、当時の若ゾウ(=私)にとっては、調子に乗り過ぎてしまいそうになる、そのやや逆上せあがった脳みそを丁度好い具合に冷ましてくれる、これに一番効き目のある一曲だったかも知れない。

ん? そう考えると、またふと、なるほど、などと想ってしまう。危険が伴う船上の作業では常に冷静な判断や注意力が求められるだろうから、船上で歌われた「シェナンドー」のそのテンポやリズムの調子は私が知るのと多少違うにしても、哀愁漂うその美しい旋律は、むしろ、船上でこそ必要不可欠であったのかも知れない、ナンテね。私の浅はかな想像だけど。アハハハハ。

それより、当時は、ただただホントに心地好くって、レコード盤の僅かな溝と溝との間のそこに何度もプレーヤーの針を戻しては、「シェナンドー」というこの曲を繰り返し聴いたのだった。

 

それがまたここ最近になって、あらためてこの「シェナンドー」を聴きたいと思ったのには、やはり、我が胸の内で騒めいている何かを鎮めてくれる、これを期待してのことかと。

実は、この夏、自身の「夏のライヴツアー」については、これを中止せざるを得なくなった。ツアーでは、是非とも再会を果たしたい人たちがいた。が、残念なことに、先頃、西日本および関西方面をおそった豪雨と大地震の影響によって、それは叶わなくなった。再会したいと思っていた人たちとも会えなくなってしまった。当分の間、おあずけ、だ。幸いにも、お会いしようと思っていた人たちは、皆、無事なようだ。とは言え、まだまだ後片付けなど色々と大変ではあるみたいで。先ずは、皆さんがどうかお元気でいてくれること、これを願うばかりなのだけれど。

まぁ、こんなこともあってなのだろう。部屋のレコードラックからキングズシンガーズのこのアルバムを取り出してきたのは。そして、いままた、この盤の「シェナンドー」を聴きいていては、聴こえてくる音の心地好さと一緒に、自分自身も元気にしていないとならないな、とそんな気持ちにさせられる。

そうだねぇ。今宵、キングズ・シンガーズの「シェナンドー」をもう一度だけ聴いたなら、さぁ、明日も一生懸命に生きよう。・・・ってな感じかな。はい。

 

「今日の一曲」シリーズの第87回、今回は、第46回に続いて、キングズ・シンガーズのアルバムより「キングズ・シンガーズ ポップス・コレクション(THE KING’S SINGERS ENCORE)」を、中でも、ここに収録された「シェナンドー(Shenandoah)」を取り上げて、諸々語らせていただいた。