
「今日の一曲」シリーズの第86回です。今回で86枚目となる盤とそこに収録された一曲をご紹介しながら、またいつものように諸々書かせていただきます。第83・84・85回に書いた「夏」をテーマにした話題からは少し離れてしまいそうですが、前回の第85回からの続編的な内容でもあり、一応、今回ご紹介の盤を手にしたのもその年の夏のことでした。それは、ある人に、「あなたはブルックナーのような人だ」と言われたことが切っ掛けでした。では、そのあたりのことも含めて書かせていただこうかと思います。
-------------------------
(やはり、前回(第85回:2018/08/14記載)をお読みいただいた方が分かりやすい内容になってしまいそうで恐縮ですが、少しだけ前回からの流れも書かせていただくと・・・)
新しい仕事へ転職してそろそろ5年目、ある一つの部署のリーダーとして、職務遂行も人事もその全権が与えられてから2年が過ぎようとしていた。この2年間は、最高とも言えるチームで、現場として中身ある成果を上げることができているという確信をもちながら、会社の業績としてもかつてない最高の結果(業界で意味するところの)を出し続けていた。
・・・(当時はそう思っていた、現在は少し違う)
この結果に経営トップの社長や幹部もたいへん満足気で、こうして、1998年、少し春の気配も感じられる季節を迎えていた。
・・・・
まぁ〜、でも、想い上がっていたのだよ(苦笑)。
当時、"30歳代半ばの若きリーダー"と言われてたって、こういうところが「甘ちゃん」で「初心者」だったのだよ(前回も書いたけれど)。
・・・・
会社は、この前年に新しい部署を起ち上げていた。
傍目で冷ややかに眺めていた私が感じていた通り、案の定、その新しい部署の事業は苦戦していた。
(さて、ここでの様々な経緯は省略させていただくけれど・・・)
経営トップ側から人事異動が告げられた。
「まさか!」
2年間共にしてきた私が集めたメンバーとそのチームは解体されてしまった。
私には苦戦中の新しい部署のリーダーとして立て直しが命ぜられた。
この苦戦中の新しい部署は、その2年目にリーダーが変わるだけ。結果を出せていないメンバーはそのまま解体されずに残されていた。
今度は自分で採用して集めたメンバーではない。・・・何となくこのことが最大の難関に思えた。
異動が決まって、このメンバーたちの経歴などを確認させてもらうと・・・
「なんとご立派な学歴の方々」
ということだけが理解できた。
3月中旬、前年のリーダーからの引き継ぎを兼ねながら、実質、その苦戦中の新しい部署のリーダーに就いた。
早速、目にしたのは、チームワークの欠片もないということ・・・。メンバー誰もが「自分は頭脳明晰」であることを振りかざしながら互いに自己主張し合っている。
・・・
4月1日、正式に異動となったその初日、
「私は音楽好きで、クラシック音楽なども聴きます。オーケストラを指揮する指揮者には大きく分けて2つのタイプがいます。1つは、強力なカリスマ性を放って自分が意図するまま全てを指示するタイプ。もう一つは、メンバーがやろうとしている表現や意図を組み上げながらリハーサルを重ねてまとめ上げるタイプ。私は後者のタイプです。」
と、あいさつした。
既にこの日までの間に、メンバーの中には苛立っている者もいた。
「何の新しい方針も明確な指示も出てこないじゃないか」
などの言い分だった。
が、相手にしない。
私からは、
「前年を踏襲する形で構わないので、引き続き各自、各々で進められることをしておくように」
と、そのまま変えることなく指示を継続させた。
が、メンバーは皆、「自分は頭脳明晰」というプライドだけはあるらしく、結果が出ないということだけは避けたい様子で、前年よりも何か改良を加える工夫をし始めていた。
・・・<しめしめ(笑)>
肝心なこと、必要なことは何処で何をしようとも同じだ(具体的な重点は前回に記載)。これまでの経験から覚悟は決まっていた。
大切なことは、「チームワーク力」。
そのための最重要事項は、そうだ!
「職場にユーモアと笑顔があるか」
だ!
すべては、あの尊敬する人のもとで教わってきたことを繰り返し重ねていくことだ!
・・・・・・
こうして、少々時間を余計に費やしてしまったようにはなったけれど、職場の雰囲気も和やかになって徐々にチームワークらしい様子も見え始めてきていた。
そんな真夏の夜9時近くの職場・・・残っていたメンバーもそれぞれに帰宅しようというときだった。
メンバーの一人が声をかけてきた。
「あなたはブルックナーのような人だ」
と・・・。
<ん?>、<はて・・・?>
不思議そうな表情をその人に向けていたに違いない。が、その人はニンマリした表情で、
「お先に失礼・・・お疲れ様でした」
とだけ言って職場をあとに帰宅してしまった。
それから数日後の休日だったように想う。
「そう言えば、ブルックナーってあまり聴かないなぁ〜」
と、かけられた言葉を想い出しながら考えていた。
FMラジオでその作品の幾つかを聴いたことがある程度だった。実家のレコードラックに置いたままの100枚以上あるアナログ・レコード盤とCDの中にもブルックナーはない。
今回は、「例の物静かそうなオジさんが独りで営むレコード店」ではないCDショップへ行った(・・・その理由は想い出せない)。
CDショップの「ブルックナー」と書かれた表示の棚を探っていると、1998年の1月30日~2月1日の録音で、同年の8月に発売になったばかりのCD、しかも、当時86歳の巨匠・指揮者ギュンター・ヴァントに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団という取り合わせ・・・これが大いに目を惹いた。
次いで、「絶対音楽」を代表するようなブルックナーの交響曲にあって、「標題音楽的」だとされる「交響曲第4番『ロマンティック』」であったことも興味をそそられるのに十分な条件だった。
だから、CDケースを手に取ると、あまり迷うこなともなく購入した。
自宅でCDを聴く。・・・1ヵ月ほどの間に3回は繰り返して聴いた。
弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器と、これらを総合したオーケストラの響きを、純粋に音としてその醍醐味を様々なアプローチと手法で味わいさせてくれる・・・というのがブルックナーの「絶対音楽」であると、音楽史上一般に評されていることくらいは知ってはいたけれど、その印象は、当時、実際にこのCDからも感じられて、想っていた以上に心地好く聴いている自分がいることに気付かされた。
それと、ブルックナー自身で唯一付けたとされる『ロマンティック』という副題は「標題音楽的」とされる要因の一つらしいのだけれど、実際に聴いていると、旋律の中からやや甘く愛らしいフレーズが感じ取れる。「このことかなぁ〜」と勝手に自分なりの解釈で納得してみるのも、当時は新鮮に感じられた。
さらに、数か月経過して晩秋の休日だったと記憶している。
当時は小学校低学年だった娘が読みたいという(調べたいだったか?)本があって、一緒に図書館へ行くことになった。ついでに・・・ということもあって、「ブルックナーの伝記」らしき本を借りた。
詳しくは憶えていないのだけれど・・・、
借りてきた本からは、ブルックナーが、「音楽を論理的に探求し続けてきた人」、「一度完成させた曲を何度も訂正を加え、2稿、3稿と、納得する楽譜になるまでその力を注いだ人」であったことが強調されていたように想う。
『大枠となる枠組みや中心軸を決めておいて、枝葉の細かな訂正や付け加えを(メンバーまたは自身の)意図することや実態とを合わせながら何度も繰り返し修正を重ねていって、最終的な形(システム)に組み上げていく(現在もそうで、あまり要領のよい方ではないと自覚している)。』
・・・・
「こんな仕事のスタンスは似ているところもあるカモな」
などと、その時の自身ではそう解釈していた。
新しい部署のリーダーを受け継いで1年が経過した。
前年に比べて飛躍的に伸びた結果を出した・・・らしい(苦笑)。
「らしい」というのは、会社経営トップの幹部や周囲の職員たちの評価で、自身はまったく納得のいく内容ではなかったからだ。
ここを辞めることを決めていた。ほぼ1年前には・・・。
あの「最高のチーム」を突然解体されて何とも思わないほど「お人好し」ではない。家族を養わなければならないから動く先を探す必要もあったからだ。
他にも理由はあるけれど、ここに書いても、ただの愚痴になりそうだから止めておく・・・(笑)。
で、出勤最終日、
「あなたはブルックナーのような人だ」と言ったその人から、その方の直筆で書かれた手紙を手渡された。
帰宅途中の電車車内でその手紙を開いて読んだ。
その手紙には、<何んと!>その説明が書かれていた。説明は今回公表しないでおこう(笑)。
<へぇ~、そんなかぁ〜・・・>
<それなら悪くもなかったのかなぁ~>
<こちらこそ、ありがとうございました>
・・・・(涙・笑)。
*ご紹介のCDに収録された、ブルックナー作曲、交響曲第4番『ロマンティック』(ギュンター・ヴァント&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏)は、第1楽章~第3楽章は第2稿、第4楽章は第3稿の楽譜を基に(さらにハース版の楽譜にノーヴァク版の楽譜をところどころで採用)して演奏されているそうです。
コメントをお書きください