今日の一曲 No.84:杏里「愛してるなんてとても言えない」(アルバム『ブギウギメインランド』より)

「今日の一曲」シリーズの第84回です。

さて、前々回と前回は「夏」をテーマに、これと何等か関連する“一曲”を取り上げてご紹介してきましたが、今回も同様に、「夏」と、更には、「恋愛」と「女性」がテーマとなっているアルバムを、当時のLPレコード盤のそこに収録された一曲とともにご紹介させていただきたく思います。

この盤を手にしたのは、1988年の夏。その年の夏は、結果として、「昭和」という時代の「最後の夏」となったわけで。とそんなこともあってか、レコードラックからこの盤を取り出してきては、その度に、当時の様々な記憶が少し複雑なる心境と一緒になって蘇ってきます。

そこで、今回は、ご紹介の一曲をその当時の出来事などとも絡めて、諸々語らせていただこうと思います。

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《似合わない?》

夜更けのどしゃぶり

ネオンサイン浮かべて流れてゆく

夏なのに震えて

きっとあなた来ない気がしていた

 

どうやら、それは、1988年の「夏」、ここに狙いを定めて制作されたアルバムであるらしい。

 

「今日の一曲」シリーズの第84回、今回、その84枚目にご紹介する盤は、杏里のアルバム「ブギウギメインランド」。いま、私が部屋のレコードラックから取り出してきたのは、このアルバムがリリースされた、その当時のLPレコード盤だ。

これには、アルバム全体を通して明確なコンセプトが示されている。全10曲のうち、A面に収録された5曲をそれぞれの曲名とは別に、まとめて「EPISODE」と題し、これに続けて、B面の5曲も「THERAPY」と題して配置している。A面とB面の5曲ずつそれぞれが、5人の女性を主人公にラヴ・ストーリーを描いている“ラヴ・ストーリー・アルバム”とでも言うべきか、当時、80年代に流行っていたトレンディドラマ風なイメージでアルバム全体が構成されている。また、作詞を吉元由美、作曲を杏里、アレンジを小倉泰治、とこの3人が全曲に渡って確りとタッグを組んでいるからなのだろう、そのコンセプトにブレがない。聴く側としては、このアルバムがもつその世界観が直接的に伝わってきて、そこへと簡単に入り込むことができる。

えっ、何? “ラヴ・ストーリー・アルバム”だなんて、「なんか似合わないね」、「おまえが聴いている姿が想像できないよ」って?  いまこれを読み始めて、そんなふうなことを思っている方も、少なからず、いらっしゃるかと。私自身、自分でそう思うくらいだからね。アハハハハ(笑)。

が、ジャンルを問わず、音楽であるなら何でも聴いちゃう聴けちゃう、というのが私の唯一の特技なわけで。

とは言え、20~30歳代の女性をターゲットにリリースしたであろうこのアルバムを、当時の私が何故に購入したのか、そのあたりの記憶がまるで残っていない、といったところも実際でして。はて・・・?

 

どんなルールも私たちに

色あせていた今夜までは

何故なの?それを越えられなくて

ひとりより淋しいわ

 

《浮かれていた、かも》

当時の私は、社会人としての1年目と2年目にその勤めていた職場で理不尽としか思えない目に遭いながらも(*“理不尽”の詳しいことについてはこれまでも何度か語ってきたので、今回は省略します)、これを何とか乗り越えて、3年目のその職場に救世主の如く現れた“もの凄い上司”のもと、色々とチャンスを得て、併せて、この業界で必要とされる様々なノウハウやスキルを叩き込んでもらいながら・・・それは厳しくもその度に心底有難いと感じる、そうした助言や、時には苦言もいただきながら・・・社会人6年目を迎えていた。その6年目、職場では、丁度、新たな業務が開始され、こうした仕事も任されるまでになった私は、この業界に携わる者としてのその職務において、真に大切な、そういった軸となり得る部分の色々も少しだけ分かり始めていた頃だった。

あっ、いや、そこまで分かりのイイ人間ではなかったな。いま現在に至って当時を振り返えると、周囲から「飛ぶ鳥を落とす勢い」などとも囁かれ、幾分、浮かれて調子に乗っていたところもあった、そんな若ぞうだったように思う。そう言えば、浮かれた心の内を逃さず見抜いて叱ってくれたのも、救世主の如く現れた“もの凄い上司”だった。自分自身だけでは気付けずに、よく叱られたっけなぁ〜。だけど、“もの凄い上司”この方は、いつも本人自らが気付くようにその機会をつくるために叱ってくれた、“本物の大人”だった。いままた更に、ホントに有難いことだったのだと、感謝する次第だ。

 

これが運命なの?

愛してると泣いたら結ばれるの?

You love me

心を救う優しさは罪

 

《一気に惹きつけられた音》

とまぁ、社会人6年目の20歳代後半、そんな具合でもって毎日を過ごしていた、1988年の夏のある日、このアルバムを購入した。自宅近くの、例の、物静かそうなオジさんが独りで営んでいるそのレコード店で。

手に持ったLPレコード盤のジャケットを眺めながら、「似合わないなぁ〜」と思いつつ買ったそんな記憶が、いまこのブログを書いて語っているうちに、やはり、蘇ってきた。

部屋に戻ると、早速、買ったばかりのそのレコード盤にそっとプレーヤーの針を乗せて、これを聴いた。初めてこのアルバムを聴いたときの印象、それはその後も繰り返し何度も聴いたせいもあるとは想うけど、“何故にこのアルバム購入したかの記憶が残っていない”これとは真逆に、鮮明な記憶としていまも残っている。早い話、一気にこのアルバムの音に惹きつけられたのだった。

一気に惹きつけられた“アルバムの音”とは、・・・そのサウンド全体は、ギター、ベース、ドラムスに加えて、シンセサイザーなどによるデジタル・サウンドとともに、主にはビートの効いたダンス・ポップ・ミュージックといった印象だ。ただし、フォーンセクションやストリングスによる響きもここにはあって、デジタルの、あまり電子音的なこれの方ばかりに偏らない、謂うならば、程良くグルーヴ感のあるサウンドに仕上げられている。コンピュータやエレクトロニクスの急速な技術革新に伴って、この頃、80年代は、アーティストたちが、音楽の、特にサウンド面においては様々にチャレンジを試みていた時代だった。このアルバムも、そんな80年代独特のサウンド感がある。それもあって、サウンド全体はダンス・ポップ・ミュージックといった印象が強いのだけれど、全10曲の中には、そのビートやリズムが強調されたそうした音楽ばかりでなく、少し緩めのミディアムテンポとともにリズム帯のサウンドもやや落ち着かせ気味にアレンジがされた曲、ゆったりと身体を揺らし続けたくなるようなレゲエのリズムを基調とした曲、長めのフレーズをたっぷりと歌い上げるバラード風な旋律が用意された曲、と曲がもつその色合いもまた豊かで様々に並んでいる。が、10曲どの曲も、先ずは、杏里のヴォーカルが見事に映えて聴こえてくることだ。杏里の声質や声の伸びやかさと併せて、杏里独特の声の彩り具合がバックのサウンドと一体化しつつも際立って聴こえてきて、それがとても心地が好い。そしてこれら総合した響きが、当に「夏」という季節と、ここに相応しい“ラヴ・ストーリー”を表現・演出している。・・・と先に語ったアルバムのコンセプトそのままのイメージが真っ先に聴く側のもとへ飛び込んでくる、そんな音たちが詰め込まれているのだった。

 

知らない街角

肩を抱かれ歩くやるせなさよ

 

そんなわけで、この盤、このアルバム全体をお薦めしたくなる。そう、いつものお約束通りに、「今日の一曲」として一つの曲に絞って取り上げるのは非常に難しい、悩むところだ。・・・A面の1曲目は、アルバムタイトルにもなっている曲で、切れのあるリズムと躍動感あふれるサウンドのそれが“真にぴったり”といった感じの「BOOGIE WOOGIE MAINLAND」。A面の4曲目は、冒頭の歌詞のそこだけで時代(80年代)のトレンドすべてが見えてしまいそうな、が、これがさり気なく何ともイイ感じに伝わってくる「D.J.I LOVE YOU」。B面のラストは、しっとりと愛らしい旋律と抱擁に満ちた歌詞が併せてバラード風に響き渡る「SUMMER CANDLES」。・・・こうして書いているうちに、遂、10曲すべてを取り上げてしまいそうになる。

それでも、覚悟を決めて、ぅん~、敢えて一曲を挙げるなら、A面の3曲目、「愛してるなんてとても言えない」だ。

吉元由美の詞、杏里の曲、小倉泰治のアレンジが、そして、ヴォーカルとしての杏里の歌声が、そのどれもが少しも譲り合うことなく、これらそれぞれが主張するエネルギーが一緒くたになって胸の内に飛び込んでくる感じがする。そういった意味で選ぶのであれば、この一曲になるかと。

一寸意味ありげな、それこそ当時のトレンディドラマにもあったその恋愛ストーリー風な歌詞も、杏里の歌声を乗せたメロディもフレーズ感も、これらを支えるアレンジやサウンドも、どれもがストレートに響き合わさりながら届く。

 

あなたの家に車を停めて

窓の灯かりを数えながら

扉を叩く勇気のかけら

激しい雨に捨てよう

 

《最後の夏とバブルの終わり》

さて、1988年の夏とは、これが過ぎた後に4カ月ほども経つと、突然、特別なものとなった。まさか「昭和」という時代のこれが「最後の夏」になるんて、誰も思っていなかったはずだ。

先も少し語ったように、私個人も高が社会人6年目くらいのその程度の経験で、自身を勝手に過大評価して、度々、少々浮かれ気味に調子に乗っていたわけなのだけれど。その当時というのは、日本の社会全体もまた身勝手な自信ばかりに浮かれていた、そんな時代・社会であったように思う。 もちろん、一部の人たちはこれを見誤ることなく、冷静に広い視野でもって、その日本の社会の脆弱さに警鐘を鳴らしてもいたのだけれど、これに真剣に耳を傾ける人など、おおよそ、いる様子はなかった。日本の社会もここに住む人々も多くが“バブル景気”に湧き立っていた。当時はまさにその“バブル”が弾け散る目前だった。

“バブル景気”やら“バブル経済”、また“バブル崩壊”などという言葉も、「昭和」という時代が終わった後に間もなくして、この浮かれた社会・時代が終わりを告げてから使われるようになった言葉だ。いまになって思うと、「昭和」という時代の終わりが、“バブル”に湧く日本の社会へいま一度警告し、その終わりさえも暗示していたかのように思えてくる。

 

これが運命なの?

愛してるなんてとても言えないわ

I love you

痛みは愛を追いかけた罰

 

足元の、そこにある実態や物事の本質を確かめようとも見ようともせずに、皆が浮足立ったまま、またその自覚すら無いまま、が、何故か自信満々に走り続けている、いや、なんの自信がなくても走ってしまっている、というのは、“バブル景気”に湧いていた当時もだけど、経済的・社会的格差がますます拡がりつつあるいま現在も、この社会と大衆にあっては、これと似た一面があるように感じる。

身勝手で独りよがりな自信、あるいは、単に他人任せにその流れに乗っかっているだけで良しとしてしまう思考無き姿の、これらは、遂、物事の本質や大切なところを感じる感覚を鈍くさせてしまう。更にはこれがあまりに過ぎると、無感覚にまでさせてしまう。

“バブル崩壊”を含め、幾つか痛い目に遭ったそうした経験をした後の現在であるなら、少しは自らを戒めることもできる、とそうも思いたいのだけれど。ぅん~、難しいのだろうね。その只中にあってはなかなか気付けないのが、人であり、人間社会(大衆社会)なのカモ。余程でない限り、また似たようなことを繰り返してしまうんだろうな、日本の社会も、私も。

 

《本物の大人》

おっと、話があまりに本題から逸れてしまいそうだ。話を戻そう。

が、今更ながら一寸だけ私が思うのは、80年代に流行ったトレンディドラマ風なラヴ・ストーリーも、一部は、そんな浮かれ過ぎた社会や若者たちを描きながらも、もしかすると深いところではこうした危うい一面を警告していたのかも知れない、ということだ。尤もその当時、視聴者や受け取る側がこれに気付けていたかどうか、と問えば、多くの人が、社会が装う表面的な潤いに酔っていたのと同じように、ストーリーのその流れだけを追って、これに酔いしれて、これに感情を揺らされていただけなのだろうけれど。

そして、こうした時代を背景に、これを、“夏”と“女性目線で描いたラヴ・ストーリー”とに置き換えて、思いっきり音楽で表現しようとしたのが、杏里のアルバム「ブギウギメインランド」であったのかと。

その中で、「愛してるなんてとても言えない」という曲について私が当時から感じるのは、胸の内を突いてくる鋭い何か・・・「おい、お前、そんなんでいいのかよ?」、「もしかして、周囲の雰囲気に躍らせれて酔っているだけなんじゃぁないの?」といった・・・心深くに迫ってくるようなエネルギーだ。私の場合これが、我が胸裏に深く問い質す、そういったものにも感じられて。

とは言え、当時・・・昭和の最後となった夏・・・のその頃の私は、これに対して何も応答することができなかった。突きつけられても尚も誤魔化し、むしろどこかしら少し浮かれた調子で聴いていたように想う。

それでも、ほんの僅かながらでも“我が胸裏に深く問い質す”それを感じることができたのは、職場に行けば常に“もの凄い上司”が見守って居てくれて、頼りなく簡単に浮かれそうになる我が心の内を、きちんと、その都度、正せるよう、確りとした目線からこれを促してくれていたからに違いない。そんな“本物の大人”が近くに居てくれたからだと思う。

 

そしてここ最近は、ふと、思うことがある。当時の“もの凄い上司”のその存在に本当に感謝をしているなら、私もそろそろ、それは年齢的に言っても、そういった“本物の大人”としての役割を担う責任があるのかも知れない、と。

いやいや、“もの凄い上司”のそれには人間的な器からして一生懸けても追いつきはしない、とそうも思うのだけれど、未だ至らないだらけのこんなオヤジでも、その少しでも担えれるのであれば、と思ったりして。

ま、はっきりとは自身でも分からないけれど、もしかしたらそんな心境と併せて、夏という季節をまたここで迎えて、それで今回、レコードラックからこの盤を取り出してきたのかも。ナンテね。

 

「今日の一曲」シリーズの第84回、今回は、杏里のアルバム「ブギウギメインランド」より、「愛してるなんてとても言えない」を取り上げて、これに絡めて諸々語らせていただいた。