今日の一曲 No.83:サミュエル・ハーバー作曲「夏の音楽 作品31」(レ・ヴァン・フランセ木管五重奏団)

「今日の一曲」の第83回です。

まずは、大阪北部を震源とした大地震で、また西日本の広い範囲・各地を襲った豪雨で、これら災害によって亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈り申し上げます。同時に、災害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

音楽活動を切っ掛けにライヴツアーなどを通じて、お知り合いなれて、お世話にまでなっている方たちが日本各地にいらっしゃいます。東京でも都心からは離れた地を住まいとしながらも、自身の身近な問題に感じて痛めております。

今回、ご紹介する83枚目の盤とその一曲は、第77回(2018/03/19)で紹介した2枚組CDのもう1枚の方からになります。フランスのスーパー木管五重奏団と20世紀以降の現代作曲家の作品たちとが融合した音が収録された盤です。この盤と出会ったのは自身がライヴ・ツアーをはじめたばかりの頃で、「夏のライヴツアー」に初めて挑んだ年でした。そう、「異常気象」とか「ゲリラ豪雨」という言葉を頻繁に聞くようになったのもこの頃からでは?・・・。では、はじめさせていただきます。

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フランスを拠点とするのスーパー木管五重奏団「レ・ヴァン・フランセ(Les Vents Francais)」について、また彼らを知ったきっかけ、この2枚組CD盤との出会いについては、第77回(2018/03/19)で書かせてもらっているので今回は省かせていただこうかと思う。

ゴメンm(__)m。

 

とは言え、ざぁ〜っと・・・

ライヴツアーを始めてまだ2年目。2度目の「冬から春へのライヴツアー(2012年2月末~4月上旬)」から戻って暫くしてこのCDを購入した。

2枚組のCDの1枚は第77回で紹介した「フランスの管楽作品」の盤、もう1枚が今回ご紹介の「20世紀の管楽作品」の盤だ。

 

2012年の夏。

3度目のツアー、でも初めての「夏のライヴツアー」に挑んでいた。

 

ロンドン・オリンピックが開催されていた時期とちょうど重なって、オリンピックの話題が気になってしょうがないのだけれど、そうそうテレビでオリンピック放送を視聴しながらツアーを巡るなどといった時間的余裕はなく、もちろんそんなご身分でもない。しかも当時はスマホを持っている人もまだ少なく、当然、時代の先をいく道具を持つような人間でもないから、たまたま街中を歩いている途中で電気店の前を通れば店頭に並んだテレビ画面を覗き見して、でなければ、電車車中のあの幅の狭い電子案内板に表示されるテロップ(?)などを眺めて、少しのオリンピック情報を知る程度で我慢していた・・・そんな「夏のライヴツアー」でもあった。

 

当時、ツアーを始めたばかりの頃、やや長い距離を電車で移動するときは、大抵はヘッドフォンをして携帯音楽プレーヤーで音楽を聴きながらだった(最近はしていない)。まぁ、知らぬ間に眠ってしまっていることも多かったのだけれど・・・。で、この携帯音楽プレーヤーに入れておいた音楽の殆んどがクラシック音楽または管楽・弦楽の現代音楽だった。

余計な思考を働かせないで済む

「楽(らく)~」

な感覚があって選曲していた。

 

初めての「夏のライヴツアー」を前に準備している時期、ちょうどその少し前に手にしていた「レ・ヴァン・フランセ」のこの2枚組CDを好んで繰り返し聴いていた。

2枚のうちの1枚、「20世紀の管楽作品」の盤に収録されている音楽もまたどれもが面白い。リゲティ、ヴェレシュ、ヒンデミットなどの現代音楽作曲家たちの作品が収録されている。

当然、ツアーに持ち歩く携帯音楽プレーヤーにも入れた。

 

いよいよ初めての「夏のライヴツアー」をスタートさせた。

東京で2か所、横浜へ、静岡へ、関西方面へと・・・移動中に繰り返し聴くことが自然と多くなっていった曲があった。それが、サミュエル・ハーバー作曲、「夏の音楽 作品31」だった。

きっと、簡単に題名にも影響されて、夏気分で聴いているという体を味わっていたいだけのその程度であったのかも知れない。それにしても2012年の夏、ホント繰り返しよく聴くようになった曲だった。

 

サミュエル・ハーバー(1910~1981年)はアメリカを代表する現代音楽作曲家のひとり。40歳代前半のときにデトロイト室内楽協会からの委嘱で「夏の音楽」を作曲して、1956年に初演された。

爽やかな夏というより、何んとも夏の厳しい暑さに気だるい憂鬱感たっぷりの曲だ。フルートからクラリネット、バスーン(フランス式)までもが、複雑で高度なテクニックが必要とされていそうな動きの速いスケールを繋ぎ奏でると、オーボエがアメリカ的なというかジャズっぽさの漂う主題を奏でる。背後でホルンがさらに夏の気だるさを演出するように鳴る。曲の中間部で一度、夏のキラキラした感じ・・・例えるなら、公園の噴水でもあるような所で幼い子どもが水遊びをして燥いで(はしゃいで)いるような風景を想わせる・・・そんな一面を覗かせてくれる。が、また再び夏の気だるい空気感が漂う。

でも不思議だ。曲を聴いているうちに、この気だるさが重過ぎずに嫌な感じに思えなくなってくる。常に心地好い気だるさへと・・・。

題名を知らなくても、夏の暑さに、じんわり汗ばむ汗を拭いながら、のんびりとサマーチェアにでも身を横たえて寛ぐ風景が浮かんでくるのでは?・・・。

 

2012年の夏、この頃からだ。夏になると、「ゲリラ豪雨」という言葉がよく聞かれるようになった。

この初の「夏のライヴツアー」中も、「ゲリラ豪雨」に出くわすことが何回かあった。ただラッキーだったと言ってよいだろう、「ゲリラ豪雨」との遭遇は移動中の電車車中にいるときか、そうでなければファミレスなどに入って食事兼休息中のときで、まさに「ゲリラ豪雨」をかいくぐるかのようにして、ギターケースをびしょ濡れにさせてしまうことなく全行程を無事にやり遂げることができた。

でも、たまたま・・・という感じだった。僅かな違いで下手をしたら目的地へ時間通りに移動できなかったかも知れない、ライヴができなかったかも知れない・・・と思えたケースもあったからだ。

以来、その後は夏ならではのツアー行程を考えてスケジュールをたてている。それでも、ここ最近の夏の不安定な気象に万全などあり得ない。だから、夏のツアーはますます難しくなってきている。

 

地球規模での「異常気象」や「環境問題」への対応は実際にはまったく進んでいない。それぞれの国やそれぞれの国の主だった立場にある人間の思惑ばかりが優先されているように思えてならない・・・。

日本国内も、「自然災害への警告」やら「減災への対応」は指摘されてはいても、国レベルでの対策や対応はその目標にまったく達していない。災害や大きな被害が起きてしまってからの後付けの対応ばかりだ。

市民レベルでの教育も立ち遅れているから日本の国民全体での認識も薄いように思えてならない。

この分では、異常気象による自然災害、その被害はますます増大するだろう。国は本気で守ってはくれなそうだ・・・そう感じる。

自分の身は自分で守るしかない?・・・でも、自分で、「できること」と「できないこと」があるでしょ・・・。

 

サミュエル・ハーバーが描いた「夏」、1950年頃から1960年頃の夏のような心地好い気だるさを感じられる夏は、現実、現在に至っては、地球上の何処にも存在し得ないのかも知れない。

 

2012年の夏、初の「夏のライヴツアー」中にハマったこの曲、さて、サミュエル・ハーバー自身は「夏の音楽 作品31」を、地球本来の夏をいつまでも感じていたくて創作したのだろうか?・・・、それとも、地球にいつか訪れる危機を察して創作したのだろうか?・・・。

なんてね・・・(汗)。