今日の一曲 No.80:スッペ作曲「『詩人と農夫』序曲」(カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

「今日の一曲」シリーズの第80回です。

今回、80枚目にご紹介する盤とその一曲は、前回(第79回)の続編を兼ねて、再び私めが小学生だった頃の話とも併せてご紹介させていただきたく思います。

が、この曲、なかなか謎の多い曲だということを知ったのは高校生になってからでして。そこで今回は、高校生の頃に知った謎のそのあたりのことや、更にはご紹介する曲の「珍解釈」なども加えて、諸々語らせていただこうと思います。

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《イントロダクション》

~前回より、“妄想癖”~

前回(第80回:2018/03/28)のそこでも語らせていただいた通り、私が幼少の頃に聴いていた音楽のその殆どは、洋服職人である叔父からの影響が大で。こうして幼い頃から音楽を聴いていては、同時に、常に頭の中でその音楽のイメージを映像化(絵本化)することが徐々に癖になっていった。そして、このある種の“妄想癖”は、その後も、小学生の3・4年生頃になってからも尚も続けられ、誠に自惚れた感覚で申し上げれば、この癖はますます研かれていったように思う。アハハ。

 

《小3の小僧が想像したこと》

その小学3年生頃のことだ。私は叔父の家を訪ねては、まだ幼少だった頃のそれからも含めて、相変わらず、叔父が所有するレコード盤から、主には映画音楽やクラシック音楽など大凡これに類する音楽を色々と聴かせてもらっていた。

それで、この当時、特に好んで聴かせてもらっていたのが、オッフェンバックやスッペなど彼らが劇または喜歌劇のために書いた挿入曲、序曲だった。なかでも、「天国と地獄」、「軽騎兵序曲」や「怪盗団序曲」のこれらの楽曲に至ってはその喜歌劇のストーリーも明解かつ明快で、小3の小僧(=私)にとっては、音楽を聴きながらその曲のイメージを妄想とともに映像化していくという、これにもたいへん都合好く、恐らくこうしたことが余計に面白くて、それで当時においてはこのあたりの楽曲を好んで聴いていたのだろうと想う。

ところが、スッペ作曲の「『詩人と農夫』序曲」だけは少しばかり難解の部類だった。さすがの叔父も、この曲に関しては語ることが少なかった。いや、むしろ、お蔭で何の先入観もなくこの曲を聴くことができたのかも知れないな。

そして、当時、小3の小僧はこの曲をこんな風に聴いていた。・・・冒頭から少しして奏でられるチェロのソロ、4拍子のゆったりとしたテンポの中で静かに朗々と歌われるそのフレーズは、「もしもテンポを上げたら、『線路は続くよどこまでも』に聞こえてくるんじゃない?」なんてね。

で、実際に、チェロが演奏するそのフレーズに、自分でそっと歌詞をハメ込みながら、♪線路は続くよどこまでも〜・・・♪ と小声で口ずさんでみるのだった。

この試みを一度してからは、日を替えながらふとすると何度か試すその対象となったのだけれど。が、その度に、どこかヘンテコで可笑しな感じがして、当時は、これを、自分独りで笑っていただけで終えてしまっていた。ぅん~、いや、きっとこれだけで十分に愉快過ぎたのだ、と想うなぁ。

 

その「『詩人と農夫』序曲」は、先の、朗々と奏でられるチェロのソロの後は、一転して、激しくやや物々しい雰囲気の音からこれとともにウィーン風のマーチが繰り出され、次いで、やがて優雅で華やかさのあるワルツへと繋がれていく。終盤はウィーン風のマーチがまた再現されるのだけれど、今度は力強くも幾分か明るく晴れ晴れとした感じの音を放ちながら終演へと向かう。

これを、またしても、小3の小僧は、『詩人と農夫』という題名のこれを幾度となく確認しながら、その叔父のレコード盤で繰り返し聴くのだった。そう、“妄想”へと進むために。

そして自身の内では、・・・これには、当時においての、あまりにも未熟で無知であったがために存在していた偏見の、こうしたものも含んでのことにはなるのだけれど・・・、ゆっくりと農場の風景を眺めながら物事のあれこれを俯瞰している詩人の姿と、農作業の大変さや大自然がなす厳しさなどとも向き合い生活している農夫の姿の、その異なる両者を想像しつつ、様々に何通りもの映像化を試みていたはずなのだ。と、これは、いま現在の私が当時の記憶を辿っての、その言い方でしかないけどね。

兎にも角にも、「『詩人と農夫』序曲」という曲の印象から、小学3年生当時の私は、・・・19世紀のヨーロッパでは、詩人は少々ゆったりと構えた生活のなか自身が思い描いたそれを詩に書いて過ごし、比べて、農夫は何かと様々難しい苦労なども背負うなかで日々一日一日の生活と向き合いながら暮らしている・・・とそんなふうに想像してたわけなんだなぁ。

 

《興奮した感情の一コマ》

さて、時は過ぎて、私が高校生だった頃へ。

このことは以前に語らせていただいた、第78回(2018/03/23)の「行進曲(マーチ)集」のところでの話とも多少重なるのだけれど。

高校2年生の夏を過ぎた頃のことだ。その頃、私のその自身の内側?とでも謂うのか、そこでは、それまでに蓄えられてきていたであろうあらゆるものが大きく変革を起こし始めていた。ある出来事がきっかけだったと、そう自覚しているのだけれど、これも何とも不思議としか言ようがなく・・・。が、高2生の夏を過ぎた頃からの私は、実にそんなだったのだ。ま、早い話、どうしようもなかった馬鹿者が少しまともになり始めた、んだね。

 

その変革を起こしていたことのうち、“音楽を聴く”というこれに関して謂えば、“幼少の頃に聴いていた音楽を高校生になった自分はどう聴くのか”だった。このことをあらためてじっくりと確認したいという思でいた。そんななか、先にも少しふれた「行進曲(マーチ)集」のLPレコード盤を買ったそれとほぼ同じ頃に、もう一つ、「スッペ序曲集」なるLPレコード盤を手にした。これも、例の、物静かそうなオジさんが独りで営んでいるレコード店へと行って購入した盤だ。

この盤、演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、1969年にベルリンのイエス・キリスト教会で収録したそれを、どうやら、日本のレコード会社が1977年に再版したLPレコード盤であるらしい。そしてここには、「『軽騎兵』序曲」、「『ウィーンの朝、昼、晩』序曲」、「『スペードの女王』序曲」、「『美しきガラテア』序曲」、「『怪盗団』序曲」、「『詩人と農夫』序曲」の全6曲が収録されている。

 

レコード店でこの盤を手にした瞬間は、「『軽騎兵』序曲」が収録されているこれが先ず目に入ってきたからで、大方まぁそれで購入を決めたわけだけれど。実際に部屋で、盤に針を乗せて何度か繰り返し聴いていると、徐々に、どうにも、「『詩人と農夫』序曲」という曲のその面白さに惹きつけられていった。もちろん、小学生の頃の記憶も少しあってのことだったと、思う。

すると、更に興味を惹くことが・・・。この購入した盤の付属の解説書に依るとだ、フラッツ・フォン・スッペ作曲「『詩人と農夫』序曲」は、カール・エルマーの劇の、そこに用いられた音楽の一つ、序曲だったらしい。が、劇の内容や進行も含めて、これが喜歌劇のための音楽だったのか、それとも劇の付随曲としての音楽だったのか、そういったことについては不明で、また創られた年代も不明だという。

こうなると、高2生の私としてはますます湧いてくる興味にじっとしていられなくて、当時は図書館などへも行ってあれこれ調べたりもしたのだった。ま、大したことはさほど分からなかったのだけどね。歴史の知る限りでは、序曲とされるその音楽だけが独り歩きしながら人々の間で継がれていった、というそのくらいことしか分からないようで。結局は、“謎だらけの音楽”なのだ、とのそれが確かめられた程度だった。

ただ、僅かに・・・、いや思い掛けずかも知れない、一寸ばかり興奮したくなるような収穫もあった。

それは、小学生の頃に、チェロが朗々と奏でるそのフレーズの部分を、♪線路は続くよどこまでも~・・・♪といった具合に歌ってみた当時の試みが、単に“笑って終えてしまう”ようなことではなくて、まさに、音楽史として追究がされているテーマであったということ!

ええっホントに!と思ったよ。でも同時に、「知識に頼るだけでなく、感覚的なところから始まるそんな発想も案外面白いのカモ」と思えて少し嬉しくなったんだ。このときの、このやや興奮した感情の一コマは、いまもよく憶えている。

 (*音楽史として追求がされているテーマの、その詳しいことについては、本文の後の《補足解説》で申し述べさせていただきます。)

 

《高2生の「珍解釈」?》

その“やや興奮した”高2生の私が、『詩人と農夫』と併せてふとイメージしたのは、「宮沢賢治」だった。というのも、中学生のときに3年間を通してずっと図書委員だった私は、昼休みの時間や放課後に図書室の受付けカウンターで当番をしながら、その合間に、「宮沢賢治」の作品ばかりをあさるかのように読んでいた時期があって、きっとそのせいなのだろうと思う。そんな次第で、高2生の私は、宮沢賢治についての色々を再び想い出しながら、『詩人と農夫』とその「宮沢賢治」とを結ぶ、妄想を始めたのだった。

(*宮沢賢治作品を読むようになったきっかけについては、ちょっと憧れていた? 或る女子の存在もあったのだけれど。このあたりのことについては第69回(2018/02/08)で語らせていただいたので(笑・汗)、ここでは省かせていただきます。)

その妄想とは、“『詩人と農夫』を、宮沢賢治が歩んでいたと思われる人生のそれと重ねてみる”という、謂うならば、「新解釈」ならぬ「珍解釈」だ。

宮沢賢治は、・・・ご存知かとは思うけれど、・・・詩人・文芸作家でありながら、一方で、自らも農業を営むなか、農業技術の発展や農民たちの暮らしの向上にも尽力したとされる人だ。併せて、農業に携わる人々の精神などについても様々に考えを巡らしていた、そういった人物であったらしい。

(*宮沢賢治の詩や文学作品のこれらが世間に広く知られるようになったのは、賢治がこの世を去ってからことで。生前においての彼は、家業を継ぐには商売というこれに不向きで、教師をしたり、農業に勤しんだりといった生活の中、これらとも向き合い、詩や文学作品を書き続けていたと言われています。)

それで、妄想に依って描いた「珍解釈」とは、宮沢賢治のような人物がもしかしたらオーストリアにも居たのではないだろうか、宮沢賢治に似たそうした人物を題材に劇や音楽で表現しようとしたのが『詩人と農夫』、また「『詩人と農夫』序曲」ではないだろうか、というもので・・・。「ホッ、ホ~」などと声を上げながら飛び跳ねるように歩いていた宮沢賢治のことを周囲は面白がっていたという逸話もあるくらいなので、似たような人物が題材となるのであれば喜歌劇も有りかな、などと。まぁ、そんな妄想を拡げていったのだった。

ちなみに、実際の『詩人と農夫』の、そのストーリーとはだいぶ違うらしい。当然だ、ハハハハ・・・。

(*先述した通り、音楽史上、『詩人と農夫』については、そのストーリーの内容や進行などについても不明な点が多いとされています。とは言え、分かっている範囲で、その実際のストーリーと、高校2年生の私が妄想したこれとを比べた場合には、そも、中身がまったく違うようでして・・・、そんな次第です、残念ながら・・・。いや、当然ながら(笑)。)

 

もっと本気で妄想を

さてさて、2018年の現在、高2生だったそれからは約40年が経過したわけだけど。実は最近これらの音楽はあまり聴いていない。「『詩人と農夫』序曲」も、今回、久しぶりに部屋のレコードラックから引き出してきて、これを聴いている。

で、『詩人と農夫』の「珍解釈」についてだけど。これについては、高2生だった頃のそこからは、その後、未だ進みも深まりもしていない。謂ったら、『詩人と農夫』のこれだけでなく、どうやら、ああいった妄想は、高校生だった頃の、あのときのようにはなかなか膨らんでいかないみたいで。まして、小3の小僧だった頃のそれに比べたら、いまなんて、どんなに貧弱だろうか。

物事が分かった風な、そんな大人になればなったで、こうした想像力や発想力は貧しくなってしまうのか。一寸、少し寂しい気がするなぁ。

ぅん~、“物事が分かった風な”だからイケナイのだろうかな? その実は何も分かっていないのに分かったようなふりをしているからイケナイのだろうかな? こんな姿勢とか態度とかが、妄想もだけど、想像力や創造的思考力を乏しくさせるのかもね。分かっていないことをちゃんと分かっていないとならないのだろうな。それには難しいけれど、想像力や創造的思考力のこれらとはまた異なる“考える”を深く求めていく必要があるのだろうねぇ~・・・。

えっ、話がややこしい? そうか、今回はこのへんで止めておこう。

兎も角、こんなんじゃぁいけない。 もっともっと妄想しよう! それも、もっと本気で!

まぁ、少々可笑しな具合の大人が居てもいいじゃぁないか。ナンテね。

 

「今日の一曲」シリーズの第80回、今回は、フラッツ・フォン・スッペ作曲「『詩人と農夫』序曲」について、主には、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏を収録したLPレコード盤からこれをご紹介し、併せて、ここに絡めて諸々語らせていただいた。

 

《*補足解説》

音楽史における一つの説として、・・・スッペ作曲の「『詩人と農夫』序曲」に表れるチェロのソロが奏でるゆったりとした旋律のその部分は、後にオーストリアから多くの労働者がアメリカへ渡るようになると、この旋律がもつモチーフが当時のアメリカの労働者階級全体へも拡がって、アメリカの労働音楽のひとつとして、テンポ感のある、またリズムを強調したものへと変わっていった。それが、「線路は続くよどこまでも」という歌の原曲(民謡)、これを生み出すきっかけになったのではないだろうか。・・・とそう考える見方も、あるのだそうです。