今日の一曲 No.79:グリーグ作曲「ペールギュント組曲(第1組曲作品46、第2組曲作品55)」(ノイマン&プラハ交響楽団、他)

「今日の一曲」シリーズの第79回です。

さて、私の、この音楽好きは、70歳を越えた今も現役の洋服職人であり続ける叔父あってのことでして。そのあたりのことは、これまでもこのシリーズを通じて幾度となく話題にしてきましたが、今回、第79回として、その79枚目にご紹介する盤とここに収録された一曲も、叔父からの影響を多分に受けた、そうした音楽の一つになります。

では、ご紹介する盤と一曲について、今回は、私が4歳〜7歳だった頃の“マイブーム”やその後に“妄想癖”を身に付けていった話のこれらとも絡めながら、諸々語らせていただきます。

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《イントロダクション》

~幼き頃のマイブーム~

この「今日の一曲」シリーズでこれまでにご紹介してきた音楽のうち、「禁じられた遊び」(第30回:2017/05/04)、「エデンの東」(第31回:2017/05/09)、「トロイメライ」(第47回:2017/09/01)、「ハンガリー狂詩曲 第2番」(第51回:2017/10/06)などのこれらは、私が幼少の頃(2歳~5歳の頃)に、洋服職人である叔父が家に遊びに来る度に大事そうに持って来てくれてはそのまま置いていってくれたレコードの、そのなかにあった音楽で。加えて申し上げるのなら、その幼少期から小学生の低学年だった頃の私にとっては、常にマイブームであり続けた音楽たちだ。

 

ぅん~確かに、“マイブーム”と呼ぶには、一寸ばかりその期間が長い気もするけど。でも、なんだ、現在までに半世紀あまり生きてきたオッさん(=私)からしてみると、ある期間に事が集中していたとの見方で謂えば、まぁ、ブームと言えなくもないかと、“マイブーム”であったのかと。はい。

 

ちなみに、小学生の3・4年生頃は、クラシック音楽の類であるならバレエ組曲や喜歌劇曲、ポピュラー音楽の類であるならGS。小学生の高学年の頃は、クラシック音楽の類ならチャイコフスキーやドヴォルザークなど所謂有名どころの交響曲やピアノ協奏曲、ポピュラー音楽の類ならフォーク系の音楽。中学生になると、クラシック音楽の類ならロシアや北欧の作曲家の作品(ロマン派・国民楽派の時代)、ポピュラー音楽の類なら洋楽のロックやポップス。高校生・大学生の頃は、クラシック音楽の類なら印象派と呼ばれる人たちの作品や20世紀以降の現代音楽作品、ポピュラー音楽の類ならフュージョン・ジャズやテクノ・ポップ。社会人になってからは、現代音楽作品と、他では、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの作品で、ポピュラー音楽の類ならもう何でも。とまぁ、“マイブーム”をざっくりと年齢に従って並べるとこんな具合かなぁ。

つまりは、幼少期から小学生の低学年だった頃のマイブームを、作品やジャンルなどで謂うのは難しく、結果として、今さっき上げた“ざっくりと年齢に従って並べたマイブーム”のこれらへといずれ繋がっていく、そうした音楽だったとしか言えない。ま、でも、敢えて記すなら、ピアノやヴァイオリンの小作品、バレエ組曲や喜歌劇の序曲うち比較的演奏時間が短いもの、あるいは、ギターやストリングス・アレンジを効かせた映画音楽、といったところだろうか。

 

《鮮やかな青色をした盤》

ってな次第で、こうした幼少期から小学生の低学年頃の間にあったマイブームは他にも・・・広く浅く?・・・様々あって、その中の一曲に・・・、が、叔父は、この曲が収録されたレコード盤だけは決して置いていってはくれなかった。鮮やかな青色をしたLPレコード盤のそれだけは・・・ね。

そんなこともあって、幼い頃の私は叔父の家(母の実家と隣接した部屋)へ遊びに行くと、先ずはこの鮮やかな青色をしたLPレコード盤が“眺め”たくて、よく叔父にせがんでは部屋の隅に置かれたレコードラックからその盤を出してもらっていた。そして、鮮やかな青色をした盤がプレーヤーの上で回転する様子に幾らかばかりか興奮しながら、ここに収録された音楽を“聴いた”のだった。

グリーグ作曲、「ペールギュント組曲」。

4~5歳くらいだったけれど、当時から、作曲者名と曲名を記憶することだけは優れていたようだ。あっ、いや、いまの私なんかよりもずっと優れていたな(笑)。

 

ところで、このことは後々、私が小学3年生くらいになってから知ったことだけれど、この、グリーグの「ペールギュント組曲」というのは、これだけの名一つで成立する楽曲ではなかったのだ。

ノルウェーの劇作家イプセンの詩劇『ペールギュント』の上演にあたって、同じノルウェーの、このときはまだ若き作曲家のひとりだったエドワルド・グリーグが、その劇の場面に合わせて23曲を用意したのが元々らしい。グリーグはこの後、これら23曲の中から演奏会用に4曲ずつ選んで2つの組曲を編んだ。「ペールギュント第1組曲 作品46」と「ペールギュント第2組曲 作品55」というのが、謂ったら、正式らしい。その第1組曲では、「朝」、「オーゼの死」、「アニトラの踊り」、「山の王の宮殿で」の4つの曲が、また、第2組曲では、「イングリッドの嘆き」、「アラビアの踊り」、「ペールギュントの帰郷」、「ソルヴェーグの歌」の4つの曲が、それぞれ組み入れられている。

 

このことを知った後、よくよくその叔父の鮮やかな青色をしたLPレコード盤とそのジャケットを併せて眺め直してみると、やはり、第1組曲と第2組曲とが続けて収録されていた。

つまり、私は小学3年生頃のそれまで、「ペールギュント組曲」という楽曲は、8つの場面をイメージさせるその8つの曲が並んだこれが一つの組曲なのだ、とそう思い込んでいたわけで。幼少期当時の私の中では、「ペールギュント組曲」は一つの楽曲という認識でしかなく。ところが、その幼少の頃に刷り込まれてしまった認識は、そうでないのだと知った後も、私の中の・・・何だろう、体感として得た記憶のそこいら辺なのか?・・・何処かでは、現在に至ってさえ尚もきちんとはアップデートされていないようで・・・。ぅん~、どうしても、“8つの曲に依って編まれた一つの組曲”といった感覚が残ったままであるようなのだよね~。

 

《ワクワクドキドキ》

当時の、その4~5歳だった頃の話に戻そう。

私が「ペールギュント組曲」を聴き始めると、叔父は洋服を仕立てるその手を休めて、幼い私とこれを一緒に聴きながら詩劇「ペールギュント」の物語についても語ってくれるのだった。

これも後々になって知るのだけれど、叔父が語ってくれていたそれはイプセンの作の通りではなく、当時の幼い私に合わせて、分かりやすく、面白く聞かせるために一部を改編して語ってくれていた、そうした物語だったようなのだ。

なかでも、第1組曲の「山の王の宮殿で」のところでの音楽と叔父が語るこれには、とてもワクワクドキドキさせられた憶えがある。

ここでは、音楽は、先ず、静かに怪しげな旋律を伴って始まる。暫くすると、この怪しげな旋律は徐々にこれを奏でる楽器群の数なども増やしながら徐々に音量を大きくし、併せてテンポも少しずつ速めて、怪しげな雰囲気とに加えて緊迫した感じのこれをも増大させていく。一方で物語りは、主人公のペールが森の奥、山の魔王の住む宮殿へと向かっていく様が語られる。途中、魔王の娘と出会ったり、怪しげな動物と遭遇したりするこれが、叔父の語るところでは面白くも少々可笑しくもあって。が、大きな木々に薄暗く覆われた森の中のその怪しげな雰囲気だけはずっとそのままに語られていくわけで、どうしたって聴いている子どもの側はワクワクドキドキさせられちゃうんだよね。

グリーグの音楽と叔父が語るこれとを聴きながら、当時の私は、絵本のページを少しずつ捲っていくような感覚でいたのだと想う。恐らく、自分自身でも幼いなりに想像力をフル回転させながらその両方を聴いていたのではないかな。そしてそれは、4歳頃から小学生の低学年頃までの間に回数を重ねていけば重ねていった分だけ想像する世界のこれも一緒に拡がって、ますます彩り豊かで繊細に描かれた絵本になっていった、とまぁ感覚的な記憶ではあるけれど、実際そうであったのではないかな。

 

《音楽を映像化する癖》

こうして、幼少の頃から音楽を聴いていては、これと同時に、常に頭の中で何かしらの映像を描くことが、遂には、いつの間にか癖になっていた。ぅん~、謂えば、ある種の妄想癖だね。

恐らく、一般的には「絶対音楽」よりも「標題音楽」の方が映像化するには容易で、特に幼い子どもにとっては大方そうであるように思う。私についても謂えば、幼少期は自ずと「標題音楽」を聴くことの方が多かったように想う。が、更に謂えば、私の場合には「標題音楽」も「絶対音楽」も・・・あまりにも無知だったからかも知れないけれど・・・元からそこに隔たりを感じたことがなく、幼少期を過ぎたその後も、どんな音楽の映像化も妄想も、ただそのままに、これを楽しむようになっていった。中学生・高校生になってからも、社会に出て働くようになってからも、また現在に至っても、音楽を聴きながら映像化するその妄想癖は常だ。ま、でも、幼少の頃の方がもっと自由で、その発想の仕方もずっと豊かであったかも知れないなぁ。

 

《素朴さと、優しさと》

さて、叔父が所有する鮮やかな青色をしたLPレコード盤に収録された「ペールギュント組曲」の演奏についてだけど、指揮者が誰で、どこのオーケストラに依るものなのか、といったこれに関しては迂闊にも私自身の記憶にはない。近いうちにでも叔父に確認してみようと思う。

現在、手元にある「ペールギュント組曲」は私が中学生のときに購入したLPレコード盤で、やはり、第1組曲と第2組曲とが順に並べられて収録されている。演奏は、ヴァーツラフ・ノイマン指揮、プラハ交響楽団。1960年代に録音がされたこれを、再販した盤のようだ。

指揮者ノイマンというと、この後にチェコ・フィルとともに何度か来日もしていて、またN響など日本のオーケストラとも共演を重ねてきていた指揮者であったことから、幸運にも、私自身にしても、映像などを通してではあるけれど、その指揮者であるノイマン氏の姿については度々に渡って観る機会があって。ここで、恐縮ながら、“指揮者ノイマン”の印象を私なりに申し述べさせていただくと、各楽器が奏でる動きの一つ一つを精確なるアンサンブルにして仕上げて聴かせてくれるという点では、これにたいへん適した明確・明瞭な指揮棒の見せ方をする、そうした指揮者に思える。何と言ったらいいだろうか、余計なものを一切除いて、ただただ精確なアンサンブルを丁寧に届けて聴かせてくれる、といった印象なのだ。もちろん、こう思うのには、先にも述べた通り、彼の指揮に依って生み出された演奏を幾つも耳にしてのことで、私自身、大好きな指揮者のひとりだ。いや、その、たいへん恐縮ながら・・・。

だからなのか、中学生のときからそれ以来聴いている、この、ノイマン指揮、プラハ交響楽団の演奏による「ペールギュント組曲」は、どこか素朴な感じがして、詩劇「ペールギュント」の物語までもが優しく語られていく、そんなふうに想える。

(*ノイマン氏については、第1回で、ドヴォルザークの「交響曲第9番」に触れたときも、同様に述べさせていただいたかと思います。)

 

今回、そのノイマン指揮でプラハ交響楽団演奏の「ペールギュント組曲」を、いままた、再び・・・実は久しぶりであるのだけれど・・・盤に針を乗せて聴いていると、作曲者グリーグの音楽が再現されていくとともに、どうしたって、私のなかではこれを映像化、妄想する、という作業が同時に開始されるわけで・・・。またそれは、幼少の頃と同じにように、絵本のページを捲るような感覚までもが再現されていく時間となって、いま在る私が、不思議にもこれを過ごすことになるわけで・・・。

独り、部屋で、

「あぁ〜、好い感じだぁ〜」

などと呟きながら心地好くしていると、間もなくして、私の胸裡では、幼き日の、あのワクワクドキドキも一緒に蘇ってくるのだった。ただ、どうも、この盤から浮かぶ「ペールギュント」の物語には、ほんのり素朴で優しい感じの映像や絵の方が似合いそうだ。

おっと、ガラにもなく、ちょっと気取った感じになってしまったかな。

 

ところで、“聴いている音楽を映像化・絵本化する妄想癖”のこれには、実は、もう少しだけ続きがある。そこで、このことについては、続編として、次回に申し述べさせていただきたく思う。但し、私めが約束を守れたなら、ということにはなるけど・・・ね。エヘヘ。

 

「今日の一曲」シリーズの第79回、今回は、エドワルド・グリーグ作曲「ペールギュント組曲(第1組曲作品46、第2組曲作品55)」(ノイマン指揮、プラハ交響楽団。他)を取り上げて、これに絡めて諸々語らせていただいた。