今日の一曲 No.78:スーザ作曲「海を越えた握手」(BMC,フェアリー&フォーデン金管バンド)

「今日の一曲」シリーズの第78回です。

78枚目にご紹介する盤とその一曲は、約40年振りにプレーヤーの針を乗せてみたLPレコード盤(2枚組)、4面に23曲を収録した「マーチ集」からです。それはオペラや劇中用のではなくて一つの作品として創られた行進曲(マーチ)ばかり。高校生のときに、ふと思った「大切な思い」があって手にしたものです。では、このあたりから書かせていただこうかと・・・。

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小学校入学の少し前頃からずうっと・・・「行進曲(マーチ)」というジャンルの音楽に、あまりにも無自覚で、無認識のまま、聴き流してきたような気がして。もっと失礼な言い方をすれば、音楽という認識さえ欠けていたほどかも知れない。

・・・・などと、自分自身の中で色々なものが変化し始めていた高校2年生の秋に感じたのだった。

 

幼稚園に通う頃から頻繁に耳にするようになったジャンルであったのだけれど・・・、

「はい、真っすぐ前を向いて〜!」

「腕をちゃんと振るんだよ〜!」

・・・・

「○○ちゃん、下向かないの」

「××くん、背中も真っすぐね〜」

・・・・

言い方は少しずつ違ってはくるのだけれど、小学校の低学年から高学年へと、中学校、高校に入ってからも、このジャンルの音楽が園庭や校庭で鳴らされる限りは、いつも同じような意味をもつ言葉が同時に飛び交った。

運動会(体育祭)前の予行練習や本番当日は、きっと、このジャンルの曲は何曲も耳にしている。が、顔を正面に向けて、手と足をテキパキとリズムに合わせて動かすための音であって、曲が切り替わっても、そのための音でしかなく、違っては聞こえていたけれど異なる音楽などという認識は、まるで無かった。

とても幼い頃には、「ワクワク」、「はしゃぎたくなる」音楽に感じていた記憶が僅かにある。だけれど、徐々に、「威圧的」にも「抑圧的」にも感じて、このジャンルの一曲一曲を、わざわざ聴こうとも、楽しもうとも、そして、知ろうともしなかった。

 

(集団で行進をする行為自体が嫌だったとか、否定しているのではなくて・・・)

 

そう、幼い頃から未熟ながらも、それは薄っぺらで勘違いなプライドであったかも知れないけれど、色々な音楽を「楽しい」、「面白い」、「気持ち好い」・・・と感じられることが「歓び」にあるのが「自分」だと思える唯一の自覚であったのに・・・。

高校2年生の秋、体育祭を終えた後の頃にこんなことを、ふと、思ったりしたのだった。

 

それで、自宅近所の例の物静かそうなオジさんが独りで営んでいるレコード店へと向かった。

「おっ!発見!」

LPレコード盤、2枚組4面に行進曲(マーチ)ばかりが23曲も収録されている。

スーザ、バークレイ、タイケ、團伊玖磨らが作曲した行進曲が、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団(パリ・ギャルド)やロイヤル・マリーンズ・バンドなどの演奏で収録されている。レコード発明の1887年から100年を記念して編集された盤の一つらしい。

 

行進曲(マーチ)といのは歴史的にみても、軍隊の士気を高めるためであったり、鼓舞するため、あるいは、敵側を威圧する目的で生まれた音楽だ。だから軍楽隊で発展していった音楽ではあるので、そこに威圧的であったり、抑圧的なものを感じるというのは多かれ少なかれあるように感じる。

それでも、近代・現代では、祝賀的な目的で創られた曲、友好的な意味で創られた曲、楽しみを広く大衆で共有しようという曲は、このジャンルの中で多く創られるようにもなった。

何よりも、いずれの作曲者も一つひとつの曲に、聴く人々にとって、好きメロディ、好きハーモニー、好きリズム、好きアレンジを、試行錯誤、工夫・駆使して、それぞれに想いを込めて創り上げた「音楽」であることには違いないのだ・・・そう信じたい。

 

このLPレコード盤を買ってきて、2枚に収録された行進曲を順に聴いていった。曲とその曲のタイトルや作曲者名を初めて知ったり、初めて一致させたり・・・ができた。

やはり、それほど行進曲(マーチ)に疎かったということだ。

 

で、一曲(日本語のタイトルに訳されてではあるけれど)、ジョン・フィリップ・スーザ作曲、「海を越えた握手」という曲がある。

BMC(ブリティッシュ自動車)、フェアリー航空機、フォーデン自動車の各社が1950〜60年代当時に、イギリス国内に誇る金管バンドをもっていたらしく、この合同バンドの演奏で収録されている。

「海を越えた握手」は、1900年初頭、イギリスとアメリカの友好・親善を目的に創られた行進曲で、ロンドンで行われたエドワード7世御前の式典で演奏されて好評を博した曲だという。

 

高校2年生ながら私的には、「海を越えた握手」というタイトルが嬉しかった。何か「可能性」を感じられるようで・・・。

実際に曲も、小気味の好いスタカートで刻む連続的な音符に、スラーで結んだ音符が時折姿を覗かせながら旋律を担い、符点音符を配置しながら高音楽器群と中低音楽器群が掛け合いを見せるなど、耳になじみやすいアレンジで、明るく軽快で、思わず海のずうっと遠く先を眺めてみたくなる音楽だ。

演奏するイギリスの金管バンドは、打楽器の歯切れの良いリズム・タッチを土台にしながらも、金管楽器の音色は、トランペットではなくコルネットを多用しているらしく、鋭い音は決して無く、柔らかく包容力ある響きが前面に感じられる演奏で、僅か3分くらいの間だけれど、その「海を越えた握手」を表現して届けてくれる。

 

出会えて触れ合えた音楽の一つひとつを、丁寧に感じながら聴こうと、まだまだ青っ臭い高校生であっても、あらためてそう感じた頃のことだ。

 

それにしても40年振りというのは、またしても失礼だったか・・・(汗)。

 

当時を振り返って、いま、この盤を聴きながら・・・・、

「他人に対しても、それぞれの人の顔を、ちやんと見れているのかなぁ〜?」

と、思ったりもするのだった。