今日の一曲 No.76:来生たかお・来生えつこ「夢の途中」(来生たかお・アルバム「夢の途中」から)

「今日の一曲」シリーズの第76回です。

今回は、久し振りに、80年代の日本歌謡、ここからご紹介せていただきたく思います。

当時のLPレコード盤に収録された、ほんのり優しげな音たちの、が、色褪せないこれを、シリーズの76枚目の盤としてご紹介しつつ、いつものように、ここに収録された一曲を取り上げては、また諸々語らせていただこうと思います。

で、唐突ながら、私、3月の、この季節があまり好きでなくて、ですね。

ってな次第で、今回はこのあたりのことも絡めながら、話を進めさせていただきます。

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《かい…かん…》

私が高校生か大学生かだったその頃はまだ、映画館で上映される映画とこれを観るそれは、若者から年配者まで広く大衆の人気娯楽の一つとして、謂えば、いまよりもずっと活気に満ちた、ある種息づいた存在としてそこに在ったように思う。殊1980年代では「角川映画」なるものが勢いを見せてた気がする。十代や二十代の若者をターゲットに公開する劇場映画のこれらを次々とヒットさせていた。

そんな世相にあって、なかなか一緒になりそうもない二つの語をタイトル名にして並べた、あの映画もまた例外とならず大人気となった。

薬師丸ひろ子さん主演の映画、「セーラー服と機関銃」だ。

「かい…かん…(快感)」という、主人公が映画のワンシーンで放つその台詞までが話題となった。いや、“かい…かん…”だったのは角川映画の関係者たちの方だったろうになぁ~。

そして、この映画のテーマ曲として薬師丸ひろ子さんが歌った「セーラー服と機関銃」は、チャートで1位を獲得するなど、1981年当時を代表するヒット曲となった。

さよならは 別れの言葉じゃなくて 

再び逢うまでの遠い約束

夢のいた場所に 

未練残しても

心寒いだけさ

(*「セーラー服と機関銃」より)

♩ 

 

ところで、今回、ここで、私めが部屋のレコードラックから取り出してきた盤は、来生たかおのアルバム、いや、来生たかお、来生えつこ、という姉弟二人のセンスが前面に表れた…そう謂ってイイかと思うけれど…アルバム「夢の途中」、リリースされた当時のLPレコード盤だ。

ぃやね、この盤のB面の一曲目に収められた、アルバムタイトルと同じ名の「夢の途中」という曲を、そのなんだぁ、ふと聴きたくなって…。

で、この「夢の途中」、薬師丸ひろ子さんが歌った「セーラー服と機関銃」とまったく同じ、というか、歌詞のほんの僅か一部だけが違うだけなんだけれど…、これを、作曲者である来生たかお、彼が歌ってセルフカバーに近い格好でもってリリースした曲なのだ。

 

さよならは 別れの言葉じゃなくて

再び逢うまでの遠い約束

現在(いま)を嘆いても

胸を痛めても

ほんの夢の途中

このまま 何時間でも 抱いていたいけど

ただこのまま 冷たい頬を 暖めたいけど

・・・

 

薬師丸ひろ子さんが歌った「セーラー服と機関銃」もなかなか好いけど、来生たかおが歌った、幾分淡々とした感じの「夢の途中」のこれも、聴いていてはとっても心に浸みてきて、ぅん、好いのだなぁ~。

これはこれで、“かい…かん…(快感)”…なんちゃって。

 

《素養も無く》

さて、唐突ながら。私、3月の、この季節ってのがあまり好きでなくてね。

ぃや、好きでもあるのだけれど…。たまらなく寂しくなる、そうした機会が少し多い季節にも思えて…。ぅん~、なんだかねぇ。

去っていく人の背中を見送ったり、自身もまた見送られたり、それが門出を祝うような場合であるにしても、あるいは、その人自らの選択や決断でそうすることになった場合であるにしても、いずれにしても、こういった場のそこに居ては、やっぱり寂しくなる、よなぁ~。

例えば、互いの関係性において、少々のわだかまりや不都合がそれまで過去にたとえあったにしてもだ、別れのその瞬間はやはり何やら寂しい気がするのだよね。まして、共感し合える時を数多く分かち合えた仲間との間で、別れの、これを迎えるなんてことがあった日には、そりゃぁどうしたって、我が内の何処か、胸裡とでも謂えばいいのか、そこにぽっかり空洞でもできてしまったような、そんな寂しい気持ちにまでさせられてしまう。

ってな次第で、自身の感情が別れのそこへと囚われる、これをつい思ってしまうと、どうも3月の頃のこの時期ついては、“この季節があまり好きでなくて”ということになるんだなぁ。

 

なんてことを言いながらも、80年代のその頃では学生か若ゾウでしかない私にとって、別れのそれは、鈍過ぎるくらいに何の感情も揺らす必要などない出来事のうちだった。

例えば、卒業式という場での私は、中学生のときも、高校生のときも、大学生のときもそうだった。瞼を熱くしていたり、頬を濡らしていたりしている級友たちを見ながら、その様子やら姿のそれは認めるものの、が、自身ではこれに深く共感できないでいた。

なぜ泣いている? なぜ涙をみせる? 何を惜しんでいる? と。

いや、恐らく分からなくはないのだ。ん? やはり分からないのか?

ただ、自身が次へと進んでいくその先ばかりを見つめていた、そうだったように想う。

それまでの間に共に一緒に過ごしてきた人たちやお世話になった人たちへの感謝の気持ち、これの他には、もう、次へのワクワクしかなかった気がする。体裁良く謂えば、「次の場でこそもっと確りと生きてみせる」とそんな“覚悟らしき”ことを自身に言い聞かせる、これしかなかったように想うのだ。

あら立派なこと?

違う違う。ずうっと、どうしようもないことばかりを繰り返してきたから。だから、いっつも「次こそちゃんとやろう」と心に誓うのだけれど、これがダメなんだなぁ。馬鹿というか、意志が弱いというか、いつまで経っても中途半端でね。アハハ。

つまり、20歳代前半くらいまでの私には、この季節に在る別れの寂しさを感情のそのままに受け止める、そういった素養がまるで無いのだった。

 

都会は 秒刻みの慌ただしさ

恋もコンクリートの籠の中

君がめぐり逢う

愛に疲れたら

きっと戻っておいで

愛した 男たちを 想い出に替えて

いつの日にか 僕のことを 想い出すがいい

ただ心の 片隅にでも 小さくメモして

・・・

 

《感度良好も、過ぎては》

ってなことで、別れのときの寂しさ、これを私がちゃんと感じるようになったのは、社会人になって暫くしてからだ。

恐らく、確りと責任を背負いながらその場に立ち続ける、このことをようやく本気で考えるようになって、またもう少しだけ覚悟するようになって、それからだったのではないのかな。

社会人として仕事に就いた途端に遭遇した…それはいまに至って当時を振り替えってみても…理不尽としか思えない職場での色々は、その大半が痛みを伴うことばかりであったわけだけれど、自身の考え方や行動の仕方を変えるそうした切っ掛けにもなった、これもまた実際にそうであったわけで。他者から受ける悪しき影響も好き影響も、結局は、自分自身で考えるこれが何処まで正しいそれに近づけるかにあるのだと、思うようになった。他者や周囲の環境これらのせいばかりにするのではなく、自分はいったいどうなのか? とね。“痛み”は、ときに、“気づき”を与え、“心の豊かさ”や“強い覚悟”をも育んでくれるのかも、と考えるようになった。

いや、ホントのところは、未だ以て分からないのだけれどね。

まぁ、社会人になってからあれやこれやと揉まれていくうちに、兎にも角にも、物事一つひとつとのふれあいや、他者一人ひとりとの関わりのそうしたものがあってこそ、またそこで起こる様々な出来事と遭遇してこそ、こうしたことこそが一々大切なのだと、こうしたことによって自分というこの者は生きていけるのだと、そう思うようになったのだねぇ~。

 

でこんな具合に、社会人としてあれやこれやと揉まれながら、別れと出会いのこれも幾度となく繰り返していると、そのうち、その度ごとに、"寂しさ”のこれに反応する我が心の内に在る針のそれの振れ方までが、だんだんと次第に大きくなっていった。

他人の背中を見送る瞬間も、自分自身がそこの場を離れる瞬間も、これら瞬間を迎える度に、別れのこれがますます寂しく感じられるようになって、もうどうしようもないくらいに寂しく思うようになって…。特に最近は、オジさんともなると涙腺までもが緩くなってしまっているのか…。いやぁ、もう、社会人として経験してきたあれやこれやと自身の年齢を重ねてきては、別れのときの寂しさ、これに振れる感度が良すぎるくらいだ。

“感度良好”も、過ぎてはねぇ。ほどほどである方が好いかもなぁ。

 

スーツケース いっぱいにつめこんだ

希望という名の重い荷物を

君は軽々と

きっと持ち上げて

笑顔見せるだろう

愛した 男たちを かがやきに替えて

いつの日にか 僕のことを 想い出すがいい

ただ心の 片隅にでも 小さくメモして

 

《寂しさを他へ変換する手段》

で、たまらず、「夢の途中」っていうわけ。

この曲を、胸裡か脳裏かの、その自身の何処か内なる側で、そう、歌うのだよ。“寂しさ”のこれを確りと受け止めたなら、その後は、幾らかだけでもこれを“清々しい思い”へと変換しようと、ね。

あのやや単調気味な…単調気味なこれが何とも言えず好いのだけれど…分散和音で奏でるイントロを、その自身の内なる側で鳴らし始めたなら、こんどはこの曲の冒頭の歌詞をその自身の内なる側へと運んで並べていく。

「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束…」

と。

あぁそうだった、3コーラス目の歌詞のこれも好いのだよねぇ。

「スーツケースいっぱいにつめこんだ 希望という名の重い荷物を 君は軽々ときっと持ち上げて笑顔見せるだろう」

って、寂しい気持ちのこれにばかり囚われた自身の内側を、ほんのり、柔らかく解いてくれる感じがする。

 

謂ったら、「夢の途中」というこの曲だけでなくて、アルバム「夢の途中」これ全体がそんなであるかも知れない。

いやぁ聴いていると、自分に在る何処もそこも、ラクぅ~になる。

80年代は、コンピューターやエレクトロニクスなどのテクノロジーが急激に進んで、音楽では様々なサウンドやアレンジが盛んに試された時代でもあったけれど。このアルバム「夢の途中」にはそういった80年代特有のサウンドやアレンジは先ず以て目立って感じられない。あくまでも、アコースティックな音を土台にしたサウンドやアレンジに依って編まれている。

だからなのか、このアルバムがリリースされてからそろそろ40年近くが過ぎようとしている、いまここに至っても、その割に、未だ、色褪せた感じがしない。併せて、来生たかお、来生えつこ、二人の姉弟のそのセンスに依って創られた旋律や歌詞のこれらも、未だ、決して古びた感じがしない。“普遍的”と謂ってはまた大袈裟過ぎてしまうけれど、日本の歌謡・ポップスの類ではなかなかお目にかかれない、“色褪せたり古びたりしない”、そういった音楽が詰まったアルバムであるかも知れないね。

とすると、「夢の途中」というこの曲は、“色褪せたり古びたりしない”音楽の、その代表作品であるカモ。

 

といったことで、私めは少なくとも30年余りに渡って、「夢の途中」という曲のこれのお陰で、別れのときの寂しさを、清々しい思いのこれへと、変換してこれたんだな。

 

今年も3月の終わりの頃には、この季節ならではの“別れ”のこれがまた待っているらしい、のだけどな。が、きっと、そこでの“寂しさ”も、私はこれを例外とすることなく、“清々しい思い”へと変換することだろう。

もちろん、「夢の途中」、この曲を自身の何処か内なる側で歌って、ね。

って、おっと、気取った感じになっちゃった?

 

「今日の一曲」シリーズの第76回、今回は、来生たかお、来生えつこ、二人の姉弟によるアルバム「夢の途中」より、「夢の途中」をご紹介する一曲として取り上げて、諸々語らせていただいた。