今日の一曲 No.116:アーロン・コープランド作曲「クラリネット協奏曲」(カール・ライスター&アーロン・コープランド&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団より)

「今日の一曲」シリーズの第116回です。

今回ご紹介する一曲は、実は、読者の方からお寄せいただいたコメントのこれ在って知った楽曲でして。いやいや、お陰で、この曲にまんまとハマってしまいました。有り難い限りです。

ですが、この曲を収録した盤を選ぶここについは、私、少々迷い手間取りまして・・・。まぁ、結果、よき盤を手にしたと思えているので、全てヨシ、といったところではあるのですが。

今回は、こんな具合にして、読者の方からいただいたご縁より始まった一曲と盤をご紹介しつつ、また様々、諸々語らせてもらいます(またしても長文ですよ~)。

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《有り難い、ねぇ》

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コープランドのクラリネット協奏曲かぁ。いや、知らなかったなぁ。どんな曲だろ。

そこで、ご案内いただいた動画サイトを覗いてみることにした。

・・・

 

アーロン・コープランド(1900~1990年:アメリカ)の作品を「今日の一曲」シリーズでご紹介するのは今回が2作品目。第95回(2019/05/07)で「オルガン交響曲」取り上げた、それ以来だ。

今回ご紹介するコープランドの作品は、実は、読者の方から寄せられたコメントのそのお陰あって知った楽曲で、たいへん有り難い、そうした機会を経て聴くようになった作品の一つだ。

 

ホントホント、有り難い、よね。

だってね、私なんぞの、悪文が並ぶ、加えて長文ときている、このブログ「今日の一曲」をだよ、まぁ、辛抱強く最後まで読んでくださるのだろうね、それだけでも有り難い読者の皆様であるのに、まして、コメントまで好意的態度をもって丁寧に寄せてくださるのだから。いやぁ、そりゃぁ、たいへん有り難い、わけよ。

で、コメントとともにコープランドの作品をお教えくださったこの方の場合には、そのコメントから想像するに、第95回と併せて他の回も幾つかお読みになったらしく、私がコープランドや20世紀以降のクラシック音楽に興味をもっていること、クラシックだけでなく、ポップスやジャズなども含めて幅広く色んな音楽を聴いていること、またクラリネットという楽器を特別に好んでいること、こうしたことも承知してくれてのようだった。

「コープランドのクラリネット協奏曲はご存知ですか?」

といった具合のところから、そのコープランドのクラリネット協奏曲が視聴できる動画サイトまで丁寧にご案内くださってね。

 

ところで、これまでも「今日の一曲」では幾度となく記してきたことだけれど・・・、私の音楽の聴き方・関わり方って、どちらかと言うと、広く浅く、の方なのだよね。そりゃね、作曲家や演奏者の経歴、作品のスタイルや技法、創られた背景や時代といった音楽史的な事柄など、ある程度のことは知りたい、と思ってこれらを一応は追いかけるよ。ただ、何だろうね、音楽に在る音たちや響きの、ここから直接的に受けて感じるこれの方を優先したい、という気持ちの方が強いのかな? 色々と知識的なことを調べていても、そろそろこの辺で止めておこう、ってなってしまうのだな。自身のなかに在る何かしらが自然とそうさせるみたいでね。まぁ、こういうのを、中途半端、とも言うのだろうけれど。アハハハハ・・・。

 

そして、コープランドについて言えば・・・彼の作品のこれとの出会いは、私が20歳の頃だったのだけれど、このあたりのことについては第95回で割と詳しく語らせてもらったので、今回は省略させてもらう・・・、つまりは、コープランドについてもその当時に様々調べておきながら、クラリネット協奏曲のことは知らなかったし、聴いたことがなかった、という次第で。

言ったら、40年近くもの歳月を経て、読者の、この方から寄せていただいたコメントのお陰で、ようやく、アーロン・コープランド作曲「クラリネット協奏曲」へと辿り着いた、ということなのだな。

本当に、有り難い、ねぇ。

 

《ソロ奏者泣かせでは?》

早速、そのご案内いただいた動画サイトを覗いてみることにした。

おお!

他にも幾つか演奏者の異なるもので同曲を演奏している動画を見つけたので、ついでにと、これらも覗いてみることにした。

 

幾つか聴いて・・・。なるほど、演奏は途切れることなく続くけれど、前半部と後半部の2つの楽章から構成されている曲なんだな、と気付いた。

前半部は大凡ゆったりとした流れに乗って曲が進行していく。そして、前半部と後半部とを繋ぐかのように、そこでソロ奏者に依るカデンツァがたっぷりと在って、そのまま続けて後半部へと移っていく。後半部は比較的速いテンポで、どちらかというとリズムが強調されて曲が進行していく。

 

と、作品を実際に聴けば、私だってもう一寸だけでもこれの背景を知りたくなるわけで。

しかも便利になったよね。インターネット、さまさま、だよ。20歳の頃のときとは大違いだ。

 

調べたことの概略を極簡単に記すと、・・・「クラリネット協奏曲」は、コープランドが47・48歳の頃に、当時、まさに、ジャズ・クラリネット奏者の第一人者とも言うべき、その、ベニー・グッドマンの委嘱で創られた曲である・・・らしいのだな。

ちなみに、初演は1950年11月、フリッツ・ライナー指揮でNBC交響楽団と、もちろん、クラリネット・ソロはベニー・グッドマンで、これらの人たちに依って演奏されたとのことだ。

 

へぇ~、ベニー・グッドマン!

ジャズ奏者からの依頼だったとは・・・。

で、まぁ、それで納得しなくもないのだけれど。それにしてもだ、こりゃぁ幾ら何でもソロ奏者・クラリネット奏者泣かせの曲では?と想うのだった。始めてこの曲を聴いた頃の感想だ。

併せて、先ずもって感じたのは、それほどまでに、クラリネットという楽器が奏でる音の面白さ、クラリネット奏者から発せられる妙技が愉しめる楽曲だ、ということ。

以来、コープランドの「クラリネット協奏曲」のこれに、ますます興味が湧いてくるのだった。

 

《やっぱり盤で聴きたい》

その便利なインターネット上で、こうして幾つかの演奏を拝聴することができるのだから、これでヨシ、とすれば済む話なのだよ。

ところが、オジさん(=現在60歳を少し越えたところの私)ってのは、幼少期から青年期までを多くのアナログ的なモノと共に過ごしてきたわけで、これに次ぐ青年期以降の、殊、社会人となってからはデジタルの時代を、更にはネットの時代へと移り変わっていくそのなかをここに食らい付きながら生きてきたわけで。なんて言うかなぁ、デジタルとかネットの便利さや効率の良さを頭で理解しつつも自身の何処か身の内深くではアナログ的要素の在るモノを欲してしまう、あるいは、アナログ的要素の在るモノによってその身の内深くが、ほっとする、のだよね。

例えば、アナログ録音によるアナログ・レコード盤のそこから聴く音なんてぇのも、私には贅沢のうちにあるのだけれど。

が、ここで申し上げたいのはまた一寸だけ違って。何が言いたいのか、っていうと、レコード盤でもCDでもイイのだよ。あの音楽もこの音楽もアナログのそれ的な音で聴こうなんてことは、現在に至っては到底無理なことだからね。そうではなく、音楽を聴こうかな、と想った(または思った)瞬間に、さて何を聴こうか、のこれを選択するときの話だ。

「さて、何か音楽を聴きたいなぁ。何を聴こうかな」というときに、自身の部屋に置いてあるレコードラックやCDラックのここを眺めて、選択したいのだな。

レコードラックにはシングル盤とLPを合せて約120枚、CDラックには約40枚ほどの盤が並んでいる。要は、合せて百何十枚もの盤が並んだラックのこれをざぁっと眺めて、ここから聴きたい音楽を選び取りたいのだな。

人間ってのは、百何十枚ものこれを僅かな間にざぁっと眺めるだけで、眺め渡すこの間だけで色んなことを処理している。これが当然でもありそうで、でも不思議で。その時々の、その瞬間の、自身の心のもち具合とラックに並ぶ百何十枚もの盤に収録されたその音楽との相性を、まあまあ然程時間を掛けずにすり合わせるのだからね。もちろん、直感的に短い間に決まるときもあれば、少し迷っては手元があちらこちらに伸びる場合もあって。が、何ともこの間がイイのだな。

更には、レコード盤をジャケットから取り出したり、CDをケースから取り出したり、取り出した盤をレコードプレーヤーに置いては針を乗せたり、CDプレーヤーに挿入してはトラックを選んだり、と、スピーカーから音が出される前までに自身の身体がその身体全体で聴く準備をしている感じで、この手間がイイのだな。

幾つかある行程を、わざわざこの身がそのうちの色んなところを用いては段階を踏み経ながら目的へと達する。このアナログ的要素の在るモノ(=「物」だけでなく、「思考」や「行動」を伴うものも含めて、物事の全般を指している)の、アナログ的な作業と時間が存在することの、こうしたこともまた我が身をほっとさせてくれるのだよ。

えぇ面倒じゃないの?って、そんなことはない。むしろ、心地好い、というのが“オジさん(=私)”だ。

つまりは、レコード盤かCDかで聴きたい、気に入った音楽は可能ならばレコード盤かCDかで自身の手元に置いておきたい、ってことなのだよ。・・・・なんだかんだ言いながら、体裁の良い、ただの言い訳だな。ハハハハハ・・・。

 

だから探す、レコード盤、または、CDを。

コープランドの「クラリネット協奏曲」を収録した好い盤はないものか、と。

 

《初のネット注文?》

ところがだ、コープランドの作品を収録したレコード盤やCDといったこれらは、中古レコード店やCDショップなどへ出向いて行っても店頭のそこに置かれていることはまずない。

私がコープランドを初めて知った頃なんていうのは当然の如くで、また4年ほど前に、「オルガン交響曲」並びに「交響曲第3番」が収録された盤を探し求めたときもそうだった。・・・このときは、ネット通販サイトで見つけた盤を、たまたまのタイミングで、私如き者の退職祝いにと、職場の同僚らから贈られたこれを頂戴する恰好となって手にしたのだった(第95回に詳しく記載)。

 

頼るのはインターネットだね。

ネット通販サイトで、「コープランド、クラリネット協奏曲」を検索してみる。

・・・・

ほぉ、幾つかあるんだな。

で、本家本元、ベニー・グッドマンのは?

と、これはさすがに無いみたいだなぁ~。

ん?

コープランド自身が指揮をしているの?

演奏はベルリンフィルで、クラリネット・ソロは、なんと、あの、カール・ライスターじゃないのっ!

いや待て待て。予め在ったイメージは、アメリカ国内のオーケストラとアメリカ国内出身のクラリネット奏者のもので聴きたいような、ぅん~、そんな気分だったんだよな。

それに、作曲者が指揮をしたからって、その作曲者が指揮者としても優れているなら好演でもあるだろうけれど。コープランドは指揮者としてはどうだったんだろうか?

・・・・

ということで、様々迷い始めてしまった私。

気が付けば迷い続けて3週間と、あっという間に時が過ぎていた。

が、決断した。

「注文確定」をクリック!

 

そんな次第で、自身初となるネットで注文したその盤は、アーロン・コープランド作曲「クラリネット協奏曲」、クラリネット・ソロはカール・ライスター、オーケストラはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、1970年9月30日に開かれたベルリンでの演奏会のライヴ録音CD(2018年にCDで再版された盤であるらしい)。

 

《不安》

CDが届くと、早速、封を開けて、これを聴いた。

全4曲が収録されていて、その1970年9月に開かれたベルリンでの演奏会のプログラム順通りに収められている。

1曲目:エリオット・カーター作曲「祝日序曲」

2曲目:チャールズ・アイヴス作曲「戦没将兵記念日」

3曲目:アーロン・コープランド作曲「クラリネット協奏曲」

4曲目:アーロン・コープランド作曲「交響曲第3番」

 

直ぐにもお目当ての3曲目へと、そのCDのトラックを選択したいところ、が、はやる気持ちを抑えて、愚直にも、曲順通りに、じっくりと聴くことにした。

 

1曲目と2曲目を聴いて、大凡ながら見当がついた。

恐らく・・・だけど、コープランドは指揮があまりお上手ではない、のだな。テンポの変わり目や、やや複雑なリズムが並ぶ箇所でベルリンフィルの奏者たちが時折迷ったふうなまま音を出している。それでもこれを演奏者どうしの意思疎通で補ってはどうにかアンサンブルを成立させている、そんな感じなのだ。

リハーサルもしただろうし、色々と確認もしたのだろうけれど、指揮者から発せられる指揮棒や腕や身体のこれ自体があまりに曖昧な動作をしてしまえば、その瞬間、どうしたって奏者の側は迷ってしまう。

指揮者は、自身で、奏でられるべき音のこれに明確なイメージをもつ、ここからが始まりなのだそうだ。が、その音のイメージを指揮棒や身体一連の動作へと移し替え、併せて、当然、イメージと動作とを精確に一致させなければならず、これを奏者に向けて発することが最低限の仕事で、そういうことなのだそうだよ。

バレリーナやダンサー、スポーツ選手などとも非常によく似ていて、自身で想い描いたイメージのそれをそのまま身体的動作へと移行することはたいへん重要で、そこへと到達するには十分なトレーニングを重ねていく必要があるわけで、指揮者もこれと同じ、ということなのだな。

コープランドは、先ずは作曲家だ。アメリカを代表する偉大な作曲家のひとりでもある。しかしながら、指揮者としては、十分ではなかったのかも知れないね(・・・あくまでも私個人の見解だ)。

 

一寸は覚悟してたけど、ぅん~、そうだったかぁ。

3曲目の「クラリネット協奏曲」も不安になってきた。

 

《緊張感と素晴らしき音たち》

いよいよ3曲目の「クラリネット協奏曲」だ。

私の勝手な不安感のせいだろう、曲の冒頭からその奏でられる音にも緊張感が余計に漂っているような、そんな気がしてしまうのだった。

第1楽章。オーケストラが奏でる静かで穏やかな音たちのなか、優しく、でも少しだけ不思議な感じのする旋律をクラリネット・ソロがそっと奏で始める。クラリネット・ソロが奏でる旋律は朗々と歌い上げられ、やがて、少しずつ力強さも加えられていく。この旋律、優しげに長いフレーズ感を保ちながらも音程の跳躍幅は割と激しい。クラリネット・ソロを奏でるカール・ライスターの妙技がこういったところでも発揮されている感じがする。お見事だ。これを支えるべくオーケストラが奏でる音も豊かで心地好い。ピアノとハープの音が所々で印象的だ。

中間部は、クラリネット・ソロのカデンツァ。テンポが徐々に上がっていく。小刻みに刻まれた音たちが分散和音の内ながらも激しく跳躍を繰り返しながら躍動感をもたらしていく。最もカール・ライスターの妙技が光る部分だ。

カデンツァの躍動感に満ちたその流れのまま、曲は第2楽章へと移る。第1楽章とは対称的だ。テンポが比較的速いなか、クラリネット・ソロもオーケストラも小気味のいいリズムを以て奏でる。なんだか子どもたちが無邪気に飛び跳ね回っているかのようだ。特に、クラリネット・ソロは楽器が出せるその最低音から最高音まで(4オクターブ半ほどだろうか)を激しく往き来する。途中、何度か少しだけ僅かにテンポを緩くして落ち着かせることも。が、アチェルランド(少しずつテンポを上げること)されて再びテンポアップ。これが曲全体にスピード感を与えている。こういった箇所でもカール・ライスターが上手くリードして引っ張っていっている感じだ。そして、モーツァルトのクラリネット協奏曲や同じくクラリネット五重奏曲では絶対に聴けない、いつも冷静過ぎるほどのカール・ライスターのクラリネットの音色が、ここでは時折やや興奮気味に荒ぶるのだ。いや、こうした音までを引き出させているのは作曲者であるコープランドの方の見事さ、なのだろうなぁ。曲は、躍動感に満ち溢れたその勢いのまま、終演する。

客席からの拍手や歓声が一斉に沸き起こる、これも収録されている。ライヴ録音CDだからね。1曲目の後と2曲目の後の、客席からの反応とは明らかに違う。

 

3曲目に収録された「クラリネット協奏曲」は、たいへん心地好く、面白くもあった。カール・ライスターも、ベルリンフィルも、お見事!といった感想だ。もちろん、作曲家としてのコープランドにあらためて敬服するのだった。

ライヴ録音ならではの、そこから感じる緊張感のそれと一緒に、素晴らしき音たちが私のもとへと届いた約17分間だった。

もう、これだけで、このCDを購入してよかった、と思った。

ホント言って、少し、ほっとした。

 

さて、4曲目の「交響曲第3番」についてだけど、これについての感想等は、ここでは省かせてもらう。ま、やはり、コープランドは“作曲家”だよね。

(*個人的な好みで謂うならば、第95回でご紹介した盤に収録された「交響曲第3番」の方をお薦めします。あっ、いや、演奏自体のこれを指してではなく、あくまでもCD等で持っているならばという話で、申し上げています。)

 

《少しの“縁”も》

ある一人の読者の、その方から寄せられたコメントのお陰あって知った楽曲が、そう、寄せられたコメントの一つから、これがこんな具合にして私の日常にあれこれと彩りを添えていって、更には、様々に面白いことを生み出してくれるようになったわけで。とても有り難いこと、感謝しかない、とそういった気持ちだ。

これだけで、人って・・・いや、友人の少ない私の場合だからかも知れないけれど(汗・笑)・・・、随分と救われている気がする。他者とのほんの少しの“縁”も、これによって救われるのだ。

 

遂、先日(2022年11月6日)のことだ。新型コロナウイルス感染拡大があってからライヴ活動の一切を休止していた私に、約3年ぶりに出演のオファーがあった。少し迷ったけれど、出演することにした。

が、これもそうで、出演オファーのきっかけも、ライヴ当日に会場のそこに集まった人たちを前に演奏を聴いてもらう、ライヴ後にその人たちと互いに会話を交わし合う、など、どれもこれもが始まりはほんの少しの他者との縁で。多少なりとも何処かの時点でこれまでに在った少しの縁がその日の楽しいライヴの一夜のそこにまで導いてそこへと繋いでいってくれたわけで。このことがたいへん感慨深くもあり、とても印象付けられた日となった。この日また、私は救われた、と感じだ。

 

他者との縁、音楽との縁、私はこれによって何度どんなにか救われてきただろうか、と、あらためて思う。

少しであっても、“他者との縁”、“音楽との縁”のこれに、ちゃんと感謝しながら生きていかなければ、ね。

 

「今日の一曲」の第116回。今回は、アーロン・コープランド作曲「クラリネット協奏曲」を、カール・ライスター(クラリネット・ソロ)とアーロン・コープランド(指揮)とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のこれに依る演奏(1970年9月30日)のライヴ録音CDより取り上げて、諸々語らせてもらった。

 

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*今回もまた、恐縮ながら長文となりまして、これを最後までお読みいただいた読者の皆様には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

*読者の皆様にも“よきご縁”の在ることをお祈り申し上げます。