今日の一曲 No.106:久保田利伸「Cymbals」(シングル盤8cmCDより)

「今日の一曲」シリーズの第106回です。

昨年末以来の久し振りの更新です(汗)。あまりにこのまま長く放置しておくと、「愛間のやつ、この世から居なくなったのでは?」と思う人もいるといけないので更新させていただいた次第です(笑)。

さて、1990年代後半、CDなるものが店頭に並び始めた頃、シングル盤というと大抵が8cmCDでした。今回、第106回としてご紹介するのは、その8cmCDに収められた一曲で、このCDがリリースされたその当時の話と、ここ最近の私めの近況報告も兼ねて、またいつものように諸々語らせていただこうと思います。

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《1.「8センチCD」》

今回、この第106回でご紹介するその一曲は、1997年2月21日にリリースされたシングル盤のCDからになる。

この頃、レコード店では、もう既にそれまでのアナログ・レコード盤は店内のラックから消えつつあって、替わりにCDが次々と並び置かれていく、そんな変化の只中にあった。いや、もっと進んでいたかな?・・・「CDショップ」といった言われ方の方が多くなっていたかも知れない。

当時は歌謡曲やポップス、ロックといった類の楽曲の、その中でいわゆるシングル盤としてリリースされるものは、直径が約8cmの現在一般に見られるCDよりも小さな盤に収録されていた。で、「8センチ(cm)CD」と言っていた。

そしてそのCDジャケットは、横幅はCDの直径より僅かに1cmくいらの余裕をもたせただけで、それが縦長に17cmほど伸びて、早い話、(よこ約9cm)×(たて約17cm)の長方形にデザインされた姿で店頭に並んだ。

こうして店頭に並んだCDジャケットを眺め見ては、特に「8センチCD」のこれを目にしたばかりの頃は、それまでの長きに渡って、その幼少期も青年期も更には社会人になってからもアナログ・レコード盤と共に歩んできた者の一人としては、この様に、遂、ジャケットへの親しみや愉しみを奪われたような気分にもなって、何とも寂し気な空虚な気持ちにさせられたのだった。いや、現在もだな。

 

さて、私めが現在所有する8cmCDは数えるほどしか残っていないのだけれど、その中から・・・、

 

いいさ いいよ ため息ついても

新しい呼吸が 始まる前に

好きな 好きな 懐かしい歌を

静かに ゆっくり 歌ってごらん

そっと明かり消した

窓は 宇宙と街のスクリーン

・・・・

 

そう、今回は、久保田利伸「Cymbals」をご紹介しつつこれに絡めた話を、でも、いつものように余計なことも含めて諸々語らせていただきたく思う。

 

《2.チームワークに必要不可欠なもの》

1995年~98年頃の当時のことについては、この「今日の一曲」シリーズの中であるなら、第85回(2018/08/14記載)と第86回(2018/08/17記載)など、他、何度か語らせていただいているので、今回はサラッと。えぇホントかな?

 

当時は社会人として比較的充実した日々を送っていた。

というより、少々調子に乗り過ぎていたようにも、現在に至って当時を振り返ってみては、そう想えてくる。

プライベートな面では、保育園に通う我が子二人も元気に成長していく姿を見せてくれていて、家族4人が揃えばそれは決まって何処であろうとも賑やか過ぎるほどで、これに関しては心穏やかな好き日々を送っていたと言えるかと思う。

一方で仕事の方は、例の色々とあった職場を11年間務めた後ここを離れて、転職して4年目を迎えようとしていた。そこでは転職して2年目で行き成りある部門のリーダーに任命されて、更に3年目のこの前年にはリーダーとして真に部門の全権を担うような立場になっていた。部門の全権を担う立場とは、部門メンバーの人事に対しても自分のほぼ希望通りに選抜・採用することが許されるほどで、当然、その分だけ責任の重い立場に身が置かれたことを意味した。そして、4年目を迎えようとしていたこの頃もほぼそうした状況に居た。周囲からは“飛ぶ鳥を落とす勢い”と囁かれもしたけど、まぁ、尖ったところの自分を、それもまた自ら見せなければならない場面も多々あった。

が、そんな中で、私がリーダーを務めた部門のそのチームは、有難く、幸運に恵まれたとしか思えない、そんな実感を与えてくれるチームになりつつあった。

 

職場を変えることはあったけれど、この頃も含めて30数年間に渡って同様な業種に就いてきては、この1996年4月~1998年3月に関わらせてもらったこのチームが、それは「チームの在り方として・・・」だけれど、「最高のチーム」であったと思う。

 

ところで、久保田利伸の「Cymbals」がシングル・リリースされた頃の、97年2月末からその少し先の3月の頃というのは・・・、

 

星の合図に 君が色づく

風をぬすんだ 子供の笑顔で

街が急いで 君がうつむく

どこかで 響く そのシンフォニー

・・・・

 

そのソウルフルなビートと共に、ゆったりと、静かなところから徐々に伸びやかに歌い上げらていくこの曲を、私がとても気に入って何度も繰り返し聴いていた頃で、但し、「最高のチーム」になりつつあったそのチームにとっては1年目の成果が問われる、そんな時期でもあった。しかも、もう少しだけ正確に言うならば、そのタイミングとは、数字の上でも内容の上でも上司および社が厳密に評価を下す、といったこれの当に目前だった。

ここでの評価しだいではチームの解散もあり得る。

それは私が担当する部門だけでなく、各部門とも同じで、この時期にあっては、社内全体も職員の多くもが一種異様な緊張感に包まれていた。

ところが、私は、

「まったく心配することなどないさ」

といったやや傲慢なほどにその自信に満ちていた。

周囲からしたら、ちょっと嫌なヤツかも。

これには、このチームの結成後から、現場に関わるすべての人たちに好ましい現象が次々と湧き起こっていくその様子を目にしていたからで、これを自身で深く実感していたことが一番にあった。

が、でも、正直なところ、

「上司や社が評価する尺度などその一部に過ぎない」

と、そうも思っていた。

ほらね、調子に乗っているでしょ(笑)。

30歳代後半の私、ほんの僅かに社会を知ったくらいでその全てが分かっているかのような態度、またそれに気付いていない愚かな奴だったのだよ~(汗)。それでも、当時の上司や社内からはとても高い評価を受けた。だから余計に勘違いをしてしまっていたのだろう。

しかしながら、このときに既に、水面下では他部門からの“ねたみ”や“やっかみ”といったものも生じつつあって、当時の私はこれを見逃していた。そのため、更なる1年後にはそれ相当の手痛い目に遭う。アハハハハ・・・(苦笑)。

 

で、こんな未熟である私がチームリーダーを務めていたにも関わらず、この「最高のチーム」は何故に存在したのか?

 

そのあたりのことについては、第85回(2018/08/14記載)と第86回(2018/08/17記載)においてもこれと関連して「チームワーク力」について偉そうに語らせてもらったのだけれど(恐縮です(汗))、ここでは書き記さなかった・・・というよりも、ん〜、実は書き忘れた?・・・ということになるのだけれど、そんなことで、今回はこのことに触れさせていただきたく思う。

謂えば、“「チームワーク力」に欠かせないその前提となるもの”について、そして、“1996年4月~1998年3月に関わらせてもらったその「最高のチーム」のメンバーたちは、どんな様子でチーム・プロジェックに挑みこれに取り組んでいたのだろう”といったことについて、少々述べさせていただくとする。

 

先ず一つには、チームメンバーの各個人、その各人が自身で情報を見極める広い視野と教養をもち合わせていたことだ。ただここには、常に自分自身の考えを確りともちながらも、物事の進展や自身の成長のためであるなら更なる自身の行動に対しても現状のここから変容させていく努力を惜しまない、そんな姿勢もまたあったことを忘れてはならない。

加えてもう一つ、チームメンバーとして、その一人ひとりがチーム全体を常に見渡しながら、自身自らが個としての自分の力を高めていくことが自然とチーム全体の力にも繋がっていく、とこうした意識をもちながら行動してくれていたことだ。

要するに、各人、チームメンバーの一人ひとりが、チームリーダーであるかのような視点で考え行動する姿勢(「チームセルフリーダーシップ」という考え方)を備えもっていたことが大きいと言える。

だから、チームリーダーは私ではあったけれど、私からトップダウンで指示を出すことは何もなかった。メンバーの一人ひとりから湧き起こる提案や意見を、チームメンバー皆でこれを共有して、協調・協働を重ねながら物事の方向性を探り、決めていく、行動・実行していく、・・・こうしたフラットな関係でチームが成り立っていた。

私はその環境を常に維持することだけでよかった。

 

ココ、敢えて繰り返すけれど・・・、

『各人が、自身で情報を見極める広い視野と教養をもち合わせている』

『各人が、常に自分自身の考えを確りともって行動している』

『各人ともに、物事の進展や自身の成長のためであるなら更なる自身の行動に対しても現状のここから変容(変化)させていく努力を惜しまない』

加えて、

『メンバーの一人ひとりが、チーム全体を常に見渡そうとする意識をもっている』

『メンバーの一人ひとり自らが、個としての自分の力を高めていくことが自然とチーム全体の力にも繋がっていくであろう、とそうした意識をもちながら行動している』

これら、

『そこに関わる誰もが「チームリーダーであるかのような視点」をもって、「考え」、「行動」する姿勢』

すなわち、

「チームセルフリーダーシップ」

を、各人、メンバー一人ひとりが備えもっていたこと、これが「最高のチーム」に繋がったと言える。

チームワークを形成するに当って、「チームセルフリーダーシップ」はその前提として重要な鍵となる。

 

そして、この最重要となる前提を活かすためにも必要不可欠なものが、第85回と第86回でも書いたけれど、

「ユーモアと笑顔」

だ。

どんなに調子に乗っていたとしても、そりゃぁ社会に居れば想いもよらない難しい場面に遭遇したりもするし、眉間にシワを寄せたくなることだってあるものだ。

そんなとき、数分でも数秒でもユーモアを想い起して笑顔になる時をもつ。これ、スゴク大切!

「Cymbals」の歌詞にあるように、幼い子供のような可愛らしいイタズラな目でユーモア・センスを呼び戻しては、クスッと笑ってみてよ!

きっと、あなた自身もあなたの周囲にいる人たちも、そのあなたが発した「ユーモアと笑顔」に救われるはず!

 

《3.近況報告》

さてさて、近況報告。

2020年の元旦に同ホームページのブログ「番外編:新年を迎えて~2020年~」で書かせていただいたように・・・、

1)

「フースラー・メソード」によるボイストレーニングとギターを含めた曲練習については、日々毎日、一日たりとも欠かさずに続けている。

2)

我がライヴ活動の軸である「ほっと楽しやハートライヴ」と「教育を語り合おうよ音楽Cafe-Barで」については、2020年に限り、年明けから夏くらいまでの間は休止と決めて、元々これを予定していた。そのため、今のところ大きな影響はない。

が、今後はヘタをすると影響を受ける可能性もあると、少し覚悟している。

3)

上の2)に記したように、何故に、軸となるライヴ活動を、既に2020年初めから休止すると決めていたのか?・・・これについては、教育関連の資料「子どもたちの自立力育成を探求して」のその「第3編」を執筆するに当ってここに集中するためで、それでそのように予定していた。このことの詳細は元旦のブログに記した通り。

この執筆作業、現在は、既存の書籍や資料と睨めっこをしながら、併せて、足りない我が知恵も何とか絞りつつ、慎重にこれを書き進めている、といったところだ。それ故、筆の進みも鈍く、やや苦戦中ではあるのだけれど、それでも諦めずに毎日少しずつ書いている。

まぁ、こんな状況から、ここ最近は、「今日の一曲」シリーズを含めてブログを更新する余裕がなかったのだよ~。

4)

ところで、本来ならば、「ほっと楽しやハートライヴ」と「教育を語りあおうよ音楽Cafe-Barで」を休止している間も、週後半の木・金・土・日曜日のカフェや喫茶店または居酒屋さん等での「生音ミニライヴ」だけは昨年と同様にほぼ毎週続けていこう、とそのつもりでいた。

しかし残念なことに、同ホームページの「ライヴ・スケジュール」「ホーム(トップ)」のぺージにも載せてある通り、現在は、『新型コロナウイルスの感染拡大を考慮に2020年2月14日よりライヴ活動の一切を休止』と、そうさせていただいている。

立場によってご意見は様々かと思うけれど、私の周囲を見渡すと、同居している84歳(4月で)になる母には持病があること、近隣には医療機器等を要して命を維持している子どもとその家族がいらっしゃること、これらからも自身が感染を拡大する側になることはあってはならない、それで「ライヴ活動の一切を休止」という判断に至った。

 

なので、練習は欠かさず重ねてはいるけれど、きっとライヴで演奏するその感覚は確実に鈍るだろう。ヤバイ!

 

そして、この2ヵ月間の収入は「0」である。

ん?「丸」ではないよ、「零(ゼロ)」円ということだ、エヘへ(汗)。

で、どうしているかというと、一昨年度まで5年間に渡って手伝っていたアルバイトで得た収入から預金していた分(決して多くないよ)を取り崩しながら現在は生活している。また、もともと自然災害時に備えて保存していた食料品を少しずつ開けて食いつないでいる。あとは、24時間営業のスーパーへと早朝に週1回だけ出掛けては、少しの食料品を買い足しているといった具合だ。

 

生活のためのお金は大切だ。

それでも、

「感染拡大の側になって他者の命を万が一でも奪う側にならないこと」

「健康保菌者(感染しているけれど無症状だから感染自覚がない人)になって行動(移動)してしまわないこと」

この2つのことを優先して過ごすことにした。

これには、一度、自分自身が厄介な病気を抱えて「死の淵」に立ったことの経験から、“現在私が生きていることは、ある意味でそれはもう奇蹟なのであって、むしろここ約10年間は思う存分に第二の人生を歩ませてもらっている”とそんな思いがあるからなのかも知れない。

預金額と保存食が底をついたら私めも終わりになるかも、だけれどね。

まあ、自分で選んだ生き方だ。

これで自分が生きていくことができなくなるのなら、自分の生き方の選択がこの現在の社会の仕組みにはそぐわなかったというこだろう、致し方ない。

 

*あくまでも余談として*

「様々な生き方を許容し合うことが可能な社会の仕組み」、「様々な人どうしが共生・協働・認識し合えるための思考と行動を養っていくための道筋」といったことも含めて、「子どもたちへの教育(特に公教育のあり方)」、「家庭での子育て」、「地域社会の仕組み」など、ここに潜む危機的状況とその問題解決について、私が探求していることを披露申し上げると同時に、こうした事柄について、“様々な立場の人どうし忌憚なく意見を述べ合い、話合い、考え合っていきましょう”といった主旨で多くの皆様に呼びかけているのが、上記の「子どもたちの自立力育成を探求して」という資料と、「教育を語りあおうよ音楽Cafe-Barで」という講演&相互対話&音楽ライヴの企画だ。(*詳しくは、同ホームページ「子どもたちを育む『自立と自律』」のページに掲載)

そして、これら資料を手に取ってくださった方や企画に来て体感された方からは有難くも好評いただくのだけれど、世間様全般においては、どうも、依然、ここに興味をもってこれについて真剣に考えようという人が少ないように感じる。

ところがその割にはだよ、自分自身に直接的に何か問題が降り掛かってきた時だけ、その問題だけを取り上げて、他者や国・社会に向けて、それを攻撃的に批判めいたことだけをおっしゃっているような方が、殊、最近に至っては多過ぎるように思いませんか?!(・・・おっと、この部分だけ文体が変わったけれど)

ま、それも人間というものの性なのかなぁ~とは感じるから、悪くは思わないけれど、良いとも思えない。

あぁ~愚痴ってしまった。同じ穴のムジナか(汗)。申し訳ない、ごめんなさい。

****

 

そんなわけで、いつか復活するかも知れないライヴ活動に備えて、ボイストレーニングと曲の練習、それと教育関連の資料「子どもたちの自立力育成を探求して(第3編)」の執筆、これらだけは欠かさず進めて、いまのところは生きている。

同ホームページの、そのどの項目のページもが3ヵ月以上更新されなくなったら、

「愛間純人のやつ、夜逃げか?」

または

「愛間純人のやつ、遂にこの世を去ったか?」

と、気付いて思っていただけたら幸いである。

まあ、逃げることはあっても簡単には死なないから。心配御無用(笑)。

 

ひとつ ふたつ 愛が壊れていく

迷いと ときめき 繰り返しながら

重い あの日の シンバル

じっとかまえた 夢中だった

・・・・

 

いまは、じっくりと、そっと息をひそめながら、静かに待とう。

でも、待ち望むそのときが訪れたなら、いつでも「シャーン!」と煌びやかな音を放って鳴らせる『シンバル』だけは心の奥底で“じっとかまえて”おこうと思う。

 

ってなわけで、「今日の一曲」の第106回は、1997年2月21日にリリースされた当時の8cmCDから、久保田利伸「Cymbals」をご紹介しつつ、諸々語らせていただいた。

 

長文を最後までお読みいただいた方、皆様お一人ひとりに、深く感謝申し上げます。

ありがとうございました。

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コメント: 2
  • #1

    吉浦隆司 (金曜日, 10 4月 2020 15:30)

    さすが!……相変わらず真面目ですねェ……でもご健在ぶりがわかってよかったです。
    ちょっとでも見習って頑張ります(^-^)v
    ホンマにまた会いまショ。
    その日までお互い達者で(^-^)/
    PEACE.

  • #2

    愛間純人 (金曜日, 10 4月 2020 20:45)

    >吉浦隆司さん
    ブログをお読みいただき、またコメントまでしていただき感謝申し上げます。
    実は、このブログを書く前日だったかに吉浦さんから届いたメッセージがヒントになって、
    「あぁ〜、久保田利伸のCymbalsだぁ~」
    と、ふと思い浮かんで書いたのですよ。
    きっかけをくれたのは、あなた・・・吉浦隆司さん、です(笑)!