「今日の一曲」シリーズの第73回です。
73枚目にご紹介する盤は、33年前の2月24~26日に、その演奏を録音したLPレコード盤です。この盤に収録された一曲とともに、またまた勝手に語らせていただこうかと・・・。それでは・・・・。
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中心街と言っても田舎町ではあるのだけれど、そこは中心街から少し離れたやや高台にある。
近所の小学生たちが集っては、走ったり飛び跳ねたり、それと高台にあるせいだろう、季節折々、日々様々に吹き抜けていく風を感じて・・というより、太陽の下、子どもたちは日の光と一緒に風も浴びるようにしながら、そこは遊び場には最高の『原っぱ』・・・草野球というか三角ベースをするくらいなら十分な広さのある・・・。
「遊び~まぁしょ~!」
小学校に入学すると直ぐ、近所の5・6年生のお兄さんやお姉さんたちが日替わりで順繰りに誘いに来る。それは、平日なら学校から帰ってきてからで、日曜日などの学校が休みの日は朝食を食べ終えた直ぐ後にも、そう、よほどの悪天候にならない限りは・・・。
一緒にその『原っぱ』まで行くと、お兄さん・お姉さんたちが、その日に集まった人数や顔ぶれを眺めながら遊ぶ種目を決める。常に12~13人が集まる(日曜日には17~18人くらいにもなった)。
・・・野球やソフトボールは低学年の子が打席に立つときだけはビニールボールの手打ち野球になったり、ドッヂボールも低学年から高学年まで男女も境なく全員が参加できる工夫をする。中でも、メイン・イベントは何と言っても「陣取り合戦(この説明はいずれまた)」ではあったのだけれど・・・。
半年も過ぎると、新入学生も含めて近所中の小学生は一定のルールを勝手に、でも互いに理解し合って、集まりそうな時間帯を自然に感知して『原っぱ』へと集まるようになる。無理強いもない。学校で約束をしてクラスの同級生たちと遊びたいときは遠慮もなくそっちへと出かける。場合によっては後から『原っぱ』へ合流することも。
小学5・6年生にもなると、こんどは自分たちが近所の小学生たちをリードする立場になるのだけれど、毎年、毎年、上の学年から徐々にそのノウハウは引き継がれて、『原っぱ』がそこにある限り、その伝統(?)も途絶えることはなかった。
念のため付け加えておくけれど、この『原っぱ』で遊ぶ小学生たちを大人が監視するような姿もまったくなかった。少々の問題が生じたときであっても(ちょっとした喧嘩やもめごと等)、小学生たちだけで問題を解決していった。
涼しい風、冷たい風、頬を柔らかくなでるような風、耐えてみせろと言わんばかりの強い風、高らかに笑う声を運ぶ風、喧嘩して泣きじゃくる声を運ぶ風、草木の匂いを運ぶ風、雨雲を予感させる風、・・・どれも戯れる動きに絡んでは過ぎていく風、風、風・・・。
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部屋のレコードラックから一枚のLPレコード盤を取り出すと、ジャケットには、1985年、2月24・25・26日の録音とある。汐澤安彦指揮、東京アカデミック・ウインド・オーケストラ演奏の盤だ。吹奏楽曲集だ。
<ああ想い出したぁ~>
そう、B面の1曲目に邦人作品が収録されている・・・ジャケット裏面に書いてあるそれが目を惹いて買った盤だった。社会人3年目くらいの頃のことだ。
保科洋作曲「パストラーレ」。
8分の6拍子、冒頭から木管楽器群の続けて並ぶ三つの8分音符が優し気に可愛らしく刻むフレーズは、葉の上から小さな水滴が零れ落ちるようなイメージで始まって、繰り返されながら曲の進行とともに少しずつ印象を変化させていく。同時に長めのフレーズ感のなだらかなメロディと分散和音がカノン風に次々と流れるように繰り出されては、所々重り合って、草原を吹き抜けていくような風を・・・これもまた、少しずつ表情を変えながら様々な風を感じさせてくれるように、木管楽器と金管楽器の響きはあくまでも豊かで福與かな音色で奏でられていく。打楽器群はこれら管楽器の音色を護りながら効果的な彩りだけを演出する。
が、突如、終演する。
作曲者の保科洋氏がイメージした「パストラーレ(田園風景・牧歌)」とは、きっと違うのだろうけれど、この曲を聴くと、小学生の頃に毎日のように遊んでいた・・・あの『原っぱ』で体感した色々が、身体の奥底に眠っていたものを目覚めさせたかのように湧いてきて想い出される。
だから、保科洋作曲の「パストラーレ」は、私には、やはり、小学生時代のあの『原っぱ』と訳すことになる。
中学生になって、『原っぱ』で小学生が遊ぶ姿を眺めながら近くを通るだけになった。間もなく、この『原っぱ』は消えてしまった。広い舗装された道路が通されたのだった・・・。
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