今日の一曲 No.68:ストラヴィンスキー作曲 バレエ「春の祭典」(カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団より)

「今日の一曲」シリーズの第68回。

今日は節分、皆様は、豆まきをしたり、恵方巻を食べたりされるのでしょうか。

節分、そして、明日には立春を迎えます。私の中では、この一曲がそれと繋がってしまいます。それでは、今回も書かせていただきます。

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「鬼はぁ~そとぉ~!」

「福はぁうち、福はぁ~うちぃ!」

 

大きな声が東北なまりの独特のイントネーションで近所中にも響き渡る。一年に1度か2度くらいしか見られない父の笑顔とその姿だ。毎年、節分の日だけは穏やかに過ごせた。

 

山形県出身で塗装職人の父は、気性の激しい方の人だった。もっともこの当時、建築現場等で働く職人さんたちは皆こんな感じなのだろう・・・と、幼い日の私は勝手にそう理解することにしていた。

そんな日常は、何だか訳の分からないうちに大きな怒鳴り声とともに頭を小突かれたり、頬を平手で引っ叩かれたりで、特に夕食どきにお酒が入るとその確率は大いに高まった。

「何か気のさわることを口走ったのだろう」

と、幼い当時(4歳くらいから小学校2年生くらいまでの間)は、こうして納めるしかなかった。

5歳下の妹が生まれて妹が3歳くらいになると、父も普段から幾分穏やかになったようには感じられたけれど、父への恐怖は変わらないままで、節分の豆まきのときに何故かご機嫌な父の様子は反って奇妙にしか映っていなかった。それでも平穏が確保された日ではあった。

 

さて、1964年の2月に、それは録音された。

イーゴル・ストラヴィンスキー作曲、バレエ「春の祭典」、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だ。

残念なことに、所有しているのはその後リマスターされて1996年に再版されたCDだ。

同曲で、レナード・バーンスタイン指揮でイスラエル交響楽団が演奏したのを収録したLPレコード盤も持っていた。とてもお気に入りの盤だったのだけれど、いつの間にか見当たらなくなって(泣・汗)、それで、このCDを買った。

 

雪解けの地面の下では、目を覚ましたり、あるいは芽を伸ばそうと、動物も虫も植物も・・・、その生命たちが春という季節を待って準備を始める。やがて、ゆっくりと静かに、または、力強く勢いよく、その姿を現す。

が、大自然の営みに常にあるのは、「命を育む生のエネルギー」と、ときに災害をも招く「破壊と恐怖のエネルギー」の両面だ。

ストラヴィンスキーの「バーバリズム(民族主義的原始主義)」の音楽は、拍子の激しい入れ替わりを伴う強烈なリズム表現を中心に、加えて、管弦楽楽器の一つひとつの特性を重ねて創り上げた無調の音の響きで、大自然の生々しさを表現して迫ってくる。

バレエ「春の祭典」は、第1部に「大地礼讃」(序奏・春のきざしと乙女たちの踊り・誘拐・春の踊り・敵の都の人々の戯れ・賢人の行列・大地のくちづけ・大地の踊り)、第2部に「いけにえ」(序奏・乙女たちの神秘な集い・いけにえの賛美・祖先の呼び出し・祖先の儀式・いけにえの踊り)で構成されている。

 

・・・これが、私には、節分の「豆まき」と重なって想えてしまう。

 

このCDを手にした1996年頃というと、私も二人の子の父親になっていた。

長女が5歳、長男が3歳の頃だ。

節分の日の豆まき・・・夕食の時間を前に鬼のお面を被ってその役に徹する。二人の子どもたちは昼間のうちに保育園で豆まき会をしてきていて、場を盛り上げるのも上手だ(親バカも含んで:笑)。

鬼を恐がって部屋中を逃げ回ったり、一転して、幾粒かの豆を投げて反撃に出たり、その絶妙なバランス具合で、豆まきをなかなか終わらせようとはしない。

「鬼はぁ~、そとぉ~!」

姉弟の連携ぶりもアピールしながらお見事。

そこに鬼への反撃のときだけかぁ~?・・・夕食を支度していたはずの妻までが加わってきて・・・(笑)。

遂には、鬼は本当にヘバッテ、床に倒れて込んで、「降参、降参」となる。

「福はぁうち、福はぁ~うちぃ~!」 

子どもたちから元気よく発せられる掛け声のイントネーション、・・・それは不思議と誰かのと似ている(笑)。

 

日々、笑顔も笑い声も絶えなかった。

 

ちなみに、この頃、私の父は・・・、そう、孫たちから見れば、常に笑顔の「福の神」でしかなかった。