「今日の一曲」の第57回目。
幼少のときから、この歌声を耳にしてきたことになる。
グラミー賞、その「女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞」を3回、「女性ベストR&Bヴォーカル賞」1回、エルトンジョンらと共演しての「ベスト・ポップグループ賞」1回を受賞。
バート・バカラック作の楽曲を歌うR&Bシンガーとして、1963年のデビュー以来、特に1970年頃の彼女の活躍ぶりは、やはり、幼き日の私に、よく、クラシック音楽や映画音楽のレコード盤を聴かせてくれた洋服職人の叔父からと、更に、塗装職人だった父の見習いで我が家に居候していたグループサウンズ好きの叔父から伝えられる情報の中にあった。
「ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)」。
その名前を小学校の2年生くらいのときには知っていた。
幼少期から小学5年生の頃までは、聴く音楽と言えばクラシック音楽が殆んどだった。少しずつ日本のポップスや歌謡曲を聴くようになって、それから、洋楽のポップスやロックなども自ら好奇心を抱いて積極的に聴くようになったのは中学生になってからだった(切っ掛けは第36回目(2017/06/08)に記載(笑))。が、このアホ中学生は、その名前を忘れてしまっていた(汗)。
高校生から大学生の頃にかけて、ビー・ジーズ(第22回目:2017/02/11に記載)やバリー・マニロウ(第27回目:2017/04/23に記載)も好んで聴くようになって、その延長線上に、ある日、懐かしさを憶えるその名前と歌声がFMラジオから甦ったかのように聴こえてきた。
「おおっ!そうだよ、ディオンヌ・ワーウィックだよ!」
4畳半一間の木造アパートの部屋、独りきりで居るだけなのに、吐き出した声は大き過ぎたかも・・・。
<これじゃヤバイ奴だよ(汗)>
と、胸裏で呟いたところで遅かった。
バニー・マニロウのプロデュースで、「涙の別れ道(I'll Never Love This Way Again)」という曲だった。この曲で9年振り3回目のグラミー賞を受賞。そして、更に数年後、ビー・ジーズのバリー・ギブのプロデュースで、「ハートブレイカー(Heatbreaker)」が、同名のアルバムとともにアメリカやヨーロッパでヒットして、日本でも知られるようになった。この情報もFMラジオから流れてきた歌声でだった。
ふところ具合と相談して、でも数日内には、LPレコード盤を買いに行った(上の写真)。
丁度この頃、足先から胸の辺りまでをすっぽり覆うゴム製の長靴を履く日が続いた。
いや、魚釣りではないよ(笑)。
25メートルプールよりは少し小さいのかな・・・、でも簡素な屋内プールといったところだろうか。
腰の高さほどの水を張って、あらかじめ、胸の高さくらいあるアクリル製で直径約50cmの円筒形構造物をその中央に固定させておく。指先ほどの小さな精密測定器を構造物の10ヵ所ほどに慎重に張り付けて、測定器から受信した信号を波形化して記録する装置へとつなぐ。プールの端には造波機が設備されていて、波長や波高をコントロールしてプール内にいろいろな波を起こすことができる。・・・大学内の施設、実験用の水槽だ。
環境条件をできるだけ同じにして多くのデータを集めたいので、3日間くらいを昼夜を通して、時には徹夜で作業をすることも。
大学生4人に同研究室の院生(博士課程)1人が付いて、「卒業研究」(文系学部・学科では「卒業論文」というらしいのだが)のための実験を重ねていた。
同じ実験データを使用するものの、私を含む大学生4人が書く「卒業研究」レポートは、それぞれ違うことをテーマに、異なるアプローチで仕上げるのだった。同学科内でも学生へのゼミ指導が最も厳しい研究室と言われていて敬遠する学生も少なくなかった。そのため幾分不人気な研究室に属していたのではあったが、「卒業研究」のために研究室の先生が提示してくれる題材は、どれも、一流大手企業であったり、最先端の技術開発をしている企業からの依頼を兼ねていて、第一線の研究・開発に関わっている充実感が大いにあった。
実験日の予定が具体的に決まると、その度ごとに(結果的には年4回に分けてになった)、実験中のBGM用にと、カセットテープを用意するのは私だった。自然の流れでというか、当然のように、同実験を共にする院生を含む4人から仰せつかったお役目だった。
・・・
「選曲は任せるからさぁ」
<勝手に好きに選んじゃおうっと>
「あっ、もしもできたら「・・・」っていう曲も入れておいて」
「それだったら、俺も、「・・・」っていう曲、入れられる?」
「私も、「・・・」を、お願いできるかな」
<なんだ、結局、けっこう注文あるじゃない~(苦笑)>
・・・
自分勝手にやるなら大して時間は掛からないのだけれど、他人の趣向も入れながらは割と難しい。自分好みの音楽と併せてリストアップして曲順を考える・・・これだけで数日間を掛ける。
リストを整えたら・・・、
一曲、一曲を、カセットテープに入れ込んでいくのだけれど、このダビングを開始する前に、曲ごとに数十秒間ほど聴きながら録音レベル(録音される音量)もチェックして、そして、つまみを調節する。
これで、ようやく1曲をダビング。
実験最中のBGMに使用するので、こんなときのカセットテープは普段は使用しない長めの90分テープ、これを3本。この他にも前々から作ってあったカセットテープから数本を選んで持参する。
<はい、OK!>
・・・
なんだか、実験日前に、すでに約1名だけが、もう事を成し遂げたような気分になっている(笑)。
ディオンヌ・ワーウィックの「ハートブレイカー」も、こうしてカセットテープにダビングした一曲だった。
バリー・ギブのプロデュースだけあって、アルバム全体が「ビー・ジーズ」っぽさが強い。
聴くときの気分やタイミングによっては、それが心地好いと感じたり、少し、「ビー・ジーズ」過ぎるかな、と、正直、邪魔に思えたりすることも。それでも、40歳を過ぎたディオンヌ・ワーウィックの、喉奥、声帯で確りと発せられた振動音が、骨格・身体に響き渡って鳴らされている、その歌声と歌唱の魅力は、決して歪められることがなくて・・・、最終的には、ディオンヌ・ワーウィックの芯とも言える何かが伝わってくる。
特に、アルバムタイトルにもなった「ハートブレイカー」からは、そんなディオンヌ・ワーウィックが一番に感じられる。
時代や世代の幾つかを越えながらも、やはり、「一流のR&Bヴォーカル!!」、ディオンヌ・ワーウィックだった。
さて、一流大手企業や最先端技術をいく企業の開発と研究にも役立つ「卒業研究」レポートを、その後、4人の大学生は仕上げることができたのでしょうか?
4人とも無事に卒業したのだから、きっと、それなりのものは書いて、発表もしたはずなのだけれど・・・(笑)。
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