「今日の一曲」の第52回目。
アニメ映画の音楽は初めて!
でも、我ながら思い入れの強い一曲で・・・(笑)。
久石譲作曲、「イメージ交響組曲『ハウルの動く城』」、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、2004年1月に出されたCD(右の写真)。
これ、映画のサウンド・トラック盤ではないよ。
宮崎駿監督のアニメ映画「ハウルの動く城」の公開は2004年の11月。
これより前に、どうやら、作曲家久石譲が純粋にオーケストラの音楽作品として、多くの人たちに届けたいとの想いがあって(そりゃ、関係者は映画の宣伝効果も狙ってのことだろうけど・・・)、世に送り出されたCDのようだ。
さて、ご存知の通り、ブログ「今日の一曲」は音楽の紹介だけではないのだけれど・・、そろそろこの頃のことについても・・・、自身、覚悟をもって、・・・でも、少しずつ、ここに書き残しておこうと思う。
体調の異変に気付いた2001年頃のことは以前に少し書かせてもらった(第39回目2017/06/20)。病院で診察と診断を受けたのは2002年の秋。その後は通院と薬を服用しながら仕事を続けていた。
職場を定時に帰宅させてもらえるようにはなったものの重責を担う立場からは逃れることができなかった。
・・・って、この場に及んで何やってるんだろうねぇ~と、現在なら私自身でもそう思うよ(汗・苦笑)。
でだ・・・、遂に、社会からリタイヤした。
・・・と言っても、このときは、この後の2度目のリタイヤからすればマシで(マシと言うのも決して適切な表現ではないけれど)、なぜなら、会社は休職を認めてくれたので、社会保険から(?)「傷病手当金(正式名称は違う)」として月々の給与の実質約7割程度の支給が認められた。2003年12月中旬から約4カ月間の休職。
この間、家族4人を支える家計も現実は考慮せざるを得ない。家計も自身の病状もギリギリのところを探りながら、もちろん、家族や主治医とも相談して、病院に通院しながら自宅療養することにした。
どんなに家族を不安にさせたかと思う。
こんな状況と状態の中で、理解したことの一つに・・・、
身体も精神も、どん底に近い状況下では、不安を感じても何をどうするかまでの思考はできなくなる。これまで大好きだった音楽さえ、まったく聴こうとはしない、聴きたくもなくなる・・・ということだった。
毎日、部屋で横になって寝ているだけになった。
間もなく、2004年の正月を迎え、また少しして誕生日も迎えた・・・はずだったが、当時のことは、まったく覚えていない。
きっと、家族が気遣って特別なことはしなかったのかも知れない。
ようやく回復の兆しを自覚するようになったのは3月中旬頃。
近所を軽く散歩する。軒先に咲く花々が目に映り、春の暖かい空気も感じられて救われるような想いにもなった。
4月、散歩の距離も徐々に伸びて・・・、というより、職場復帰を目指して体力回復を目的に意識的に散歩の距離を長くしたように思う。
こうして、世の中と接点のある場所へと最初に出掛けた先は、CDショップ。
・・・ホント、我ながら笑える(苦笑)。
少し身体が回復しただけで「音楽馬鹿」も復活するのだ。
これには、家族もあきれた様子だった。
そんな家族(妻、長女、長男)の誰が聴いても喜ぶかも・・・と勝手に想いながら手に取ったのが、今回、ご紹介のCDだ。
自宅に帰って、CDを聴く。
10作品の交響組曲が収録されている。
聴こえてくる作品の一つひとつが、久石譲らしいメロディ・ラインやコードをここそこに感じられるオーケストラ作品たちだった。
『ハウルの動く城』のアニメ映像を勝手に想像してしまうような・・・。
でも、これらより、もっと身体の奥深いところに染み渡ってくるようなものがあった。
「チェコ・フィルらしい厳かで深み渋みのある響きだぁ~」
という、真に、オーケストラそのものの響きだった。
特に、最後の10番目に収録された作品、「ケイヴ・オブ・マインド」・・・
冒頭のトランペット・ソロが決して華やかにではなく温かく、やがて静かに、そっと、オーケストラの楽器群が加わって、優しさと柔らかさが滲み溢れ出てくるように奏でられていく・・・同時に、確りと重厚な響きが力強く、でも、包容力をもって支えているようでもあり・・・、
「少しだけ未来を望んでも良いのかなぁ~・・・」
と思えた。
その年の11月末、休日の早朝(・・・と言っても8時頃だけど)。ひんやりとした空気も心地好いほどに晴天が拡がる。
映画館の受付でチケット購入と座席の予約を早々に済ませて、近くのファミレスで朝食を注文していた。
アニメ映画『ハウルの動く城』を観覧するのに備えてだ。
中学生にもなった長女が「一緒に観に行く!」と着いてきた。
いや、違う・・・な。
長女は、職場復帰して半年ほどの父親を思いやって、つき合ってくれたのだ・・・。
一緒に来れずに少し尖ってしまった長男は、少年野球チームでユニホームを砂埃だらけに汚している頃だった。
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