今日の一曲 No.24:ビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」

「今日の一曲」シリーズもPCの不具合もあって少し間隔が空いてしまった。第24回目になる今回は、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」だ。

 

以前にも「今日の一曲」の中で、ずうっと学校のお勉強というものが嫌いで苦手で、加えて向上心も薄く、高校進学もどうにかこうにか。そんな馬鹿者も高校2年生の夏過ぎたくらいから「高校生活の全てを無駄にすまいと」決心して、学校のお勉強も熱心にするようになったと、書いた。

 

超馬鹿者だったくせに・・・?、いや、超馬鹿者だったから、メチャクチャ勉強したのだ。それで大学に進学する。それも、当時最先端を行く分野だ。統計学やコンピュータ・プログラミングによる解析を中心とする学科へと進んだ。

アハハ・・・、これは誰も知らなかったのでは?想像すらできない?

 

年中、何時も、学内も学外も一緒にいるような仲間も割とすぐにできた。その中の一人、「タツヤ」とは、特に何とも説明ができないのだが、とにかく波長が合った。

タツヤはギター(アコギ)が上手かった。

彼がギターを弾く姿に刺激されて、少しだけギターを触ってみたくなって、簡単なコードの押さえ方やシンプルに繰り返すだけのスーリー・フィンガーくらいを時々教えてもらった。

石川啄木の詩を愛していたりの文学的な青年かと思えば、まぁ、生活全体はゆるく、仲間どうしの約束に時間通りに現れたりはしないし、製図の課題は定規も使わずにフリーハンドで描いても平気だった。これもある意味文学的か(笑)。それでも、周囲の誰もがそんな彼に人間的な魅力を感じていた。

きっと、ただのお気楽屋ではなかったという面もあったからだと思う。世の中や自身に起こる様々に、常に、「なぜ?」、「どんな意味があって?」を抱いているような彼とは、人生のあんなこんなを、一緒に過ごす少しの時間にも語りあったものだった。親友というべき存在になっていった。

 

タツヤは岡林信康から吉田拓郎などの日本のフォーク音楽にも詳しく、彼の自宅に遊びに行くと、そのあたりのレコード盤を度々聴かせてくれた。

ある時、彼には珍しく1枚の洋楽のLPレコード盤ジャケットを私に差し出した。そして、それを聴かせてくれた。ビリー・ジョエルのアルバム「ニューヨーク52番街」だった。

「これは好い!」と言う。タツヤにしては珍しい言動だった。いつもなら聴かせておいてから、「どう?」と控えめに感想を聴くのが慣わしだったからだ。

既にアルバムが発売されてから2年近くは経過していた頃のことだ。耳にしたことがある曲も収録されていたが、手に入れようとまで思うことは確かにそれまでなかった。で、聴かせてもらったこの時も、正直ピンとはこなかった。

 

が、タツヤのこの時の珍しい言動がいつまでも頭の中に残っていたからだと思う。さらに2ケ月程過ぎてからだったか、自身でレコード店で購入した。

当時は、ディスコ・ミュージック、テクノ・ポップも含めて、シンセサイザーの発達で電子楽器を多用したサウンドが溢れはじめていた頃だったが、このアルバムに収録された音たちは、それらとは一線を隔していた。

さらに月日は経過する。熱を帯びることもなく繰り返して聴くだけだったがそのうちに、ようやく、そんなことを感じるようになった。「頑固なほど時代に流されることない存在感ある音」に、やっと気付かされたのだった。この瞬間から、お気に入りのLPレコード盤の1枚になった。

 

振り返ってのことだが、一人の親友の深い感性が「なぜ?」、「どんな意味あって?」を問いかけ続けてくれて、私の感性をも磨いてくれたように思える。

 

さて、大学を卒業してから1年くらいの間は彼との交流も続いていたのだったが、突然、その後はパッタリ・・・。タツヤの居場所さえ不明のまま。探したが見つからない。何があったのだろうか? それとも、彼の自由気ままな部分が優先されて何処かで勝手に過ごしたくなってのことだろうか?

まさか、ニューヨークに居るなんて・・・ことはないだろうな(笑)。

 

親友との想い出と共に存在感ある音のアルバム、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。