今日の一曲 No.85:大黒摩季「あぁ」(アルバム「POWER OF DREAMS」より)

「今日の一曲」シリーズの第85回です。

今回も、第83回と第84回のこれらに続いて、同様に、「夏」をテーマに語らせていただこうと思います。

その年の夏、当時の私は30歳代半ば。当時を振り返ると、チャレンジに満ちた充実した日々であった、とそう思う一方で、よくもこんな未熟な者(=私)が一人前の顔をしてそこに挑むことができたなぁ、と未熟さ故の無謀さと併せて、これも幸運(ラッキー)だったのだなぁ、と感じる次第で。そんな幸運を呼び寄せてくれた仲間たちと必死になって挑み続けていた夏の記憶は、丁度その夏にリリースされたCDアルバムの、ある一曲、これを聴く度に蘇ってもきて。

そんわけで、第85回、今回は、チャレンジに満ちた夏のそこにあった一曲とともに、これに絡めて諸々語らせていただきます。

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《転職して3年目のその年》

やっぱり 夢を 叶えたい

このまま終わりたくない

目の前の現実は厳しすぎるけど

もう一度だけ賭けてみよう

 

その年は、春から上の娘(長女)が小学校に入学して、妻は近所で午前中を中心に半日ほどパートをしながら、その娘の学校(P.T.Aなども含めて)のことなどで忙しくしていた。そうなのだよね、この頃は妻もまだ元気に動き回っていたのだった。病気を抱える以前の彼女は、むしろ“元気印”が身体中から溢れて出いるような人だったのだよ。

そして、この頃の私と謂えば、平日は、毎朝、下の息子(長男)を保育園へと送り届けてから、2時間近い時間を掛けて都心への通勤を繰り返していた。大学卒業後に11年間勤めた・・・度々話題にする例の色々とあった職場・・・そこを離れてからは、既に、3年が過ぎていた。

とまぁ、少々毎日が慌ただしくもあったけれど、家族4人、元気に過ごしていたのだった。

 

私は転職した先でも、11年間勤めたそれと比較的近い業種のところに就いた。経験を踏まえた上で、新たなに挑んでみたいことがあったからだ。おおよそ考えていた通り、11年間を掛けて培ってきた・・・いや、正確には、11年間のうち初めの2年間は問題だらけの職場だったから、その3年目に救世主の如く現れた“もの凄い上司”(これまでの「今日の一曲」でも度々登場している上司)と出会った以降に身に付けてきた9年分の経験と、その9年間で培ってきたこの業種・業界での様々なノウハウなど・・・現場での色々な経験が、転職先の新たな職場でも大いに役立つのだった。そんなことで、転職して2年目には重責を担う一人に、この年の前年の3年目からは、ある部署のリーダーとして業務遂行から人事までを含むそのほぼ全権が与えらる、そんな立場にいた。この新たに就いた会社の幹部からは、お前の好きなようにやってイイぞ、との指示だった。尤もそれが意味するところは、お前が全責任を負えよ、ということであったわけなのだけれど。おぉ、怖っ・・・(汗)。

 

《最高のチーム》

が、不思議なことに、こんなふうに少々窮地に追い込まれたときにこそ、私は“ラッキー”に恵まれる、のだった。それは現在に至ってこれまでを振り返ってみて感じていることの一つで、例えば、大学受験のときもそうだし、“もの凄い上司”と出会えたときもそうだったけれど、転職した先でリーダーを任されたこのときもまたそうだった。

私がリーダーを任されたその部署では、最高とも言えるようなメンバーが揃った。お蔭で、少々難しい状況に直面したときも、この最高とも言えるメンバーで、“最高のチーム”が形成されていく、それを日々実感しながらメンバーと共に前向きに仕事へと臨めるのだった。

メンバーも私も、チームは、「“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”とはいったい何か?」を常に考えるようにしていた。明確な答えなど無いこれを最優先に追い求め、ここを目指して取り組んだ。そしてこれを道筋に、一つひとつを具現化していくに当っては、メンバー一人ひとりから次々と上がってくる提案や意見をメンバー皆で共有し合い、メンバー皆で検討・工夫を重ねながら物事を進めていった。トップダウン型ではなく、ボトムアップ的なチーム運営、更にはチームセルフリーダーシップ的なチーム運営、これが現実的に叶うチームだった。

(*当時の私は、「チームセルフリーダーシップ」という言葉があること自体知りませんでした。「チームセルフリーダーシップ」という発想が日本に徐々に広まり始めていったのは、早くても、西暦2000年以降のことかと思います。)

またそれは、経営トップに位置する、会社社長や幹部らが求める業績・・・“業界で度々重視される数字や指標=世間の多くが評価する数字や指標”・・・においても、“目に見える成果”をあげた。誰もが認めざるを得ない成績・業績だ。こうして私がリーダーを務める部署は、そのチームが結成して1年もすると社内で高く評価されていたのだった。

とこれもモノは謂いようで、“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”をある程度実感するその一方で、当然と謂えば当然のことながら、結局は、会社が求める“目に見える成果”も目指さざるを得ない、競争と成果主義の只中に身をおく外ない、それもまた現実だった。

 

やらなきゃいけないことだらけ

やりたいことつのるだけ

このままでいいのかな・・・

何もかも不安に変わるよ

 

さて、この年、“最高のチーム”で臨む2年目。会社から・・・というより、その当時は特にこの業界全体や社会の流れそれ自体がそうだったと言うべきなのだろうけど・・・1年目に高く評価された“目に見える成果”などというものは、あっという間に、単なる過去のデータの一つとして更なる高みを目指させるそのための“材料”としてしか価値のないものとなった。2年目に突入すると、会社からは、早速、1年目のこれを超える、それ以上の“目に見える成果”としての成績・業績が求めらるのだった。

この業界では、年度初めの春、3月下旬から4月末に掛けても重要なのだけれど、更に、夏を迎えると、これ以降に何かと大きく影響を及ぼすような・・・それは“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”という意味でも、また“目に見える成果”としてもで・・・そうした業務内容も多く、これら業務の一つひとつが重要な鍵を握る時期にあった。

 

《その年の夏:CDアルバム編》

そんな夏。私は、その夏に丁度リリースされたばかりのCDアルバムを頻繁に好んで聴いていた。

大黒摩季のアルバム「POWER OF DREAMS」だ。

実家近くの、例の物静かそうなオジさんが独りで営んでいるレコード店で、このアルバムを買った。その頃、私たち家族4人が暮らしていたアパートからは少し離れていたのだけれど、孫に夢中の、我が両親が住む実家には家族4人で行くことも度々で、そのついでに、そこのレコード店へも立ち寄っていたのだった。私が小学校高学年の頃から通い続けてきたレコード店の“物静かそうなオジさん”も、この頃はもうすっかり“物静かそうなおじいちゃん”といったふうだった。

 

ってなわけで、「今日の一曲」シリーズの第85回として、その85枚目ご紹介する盤は、大黒摩季のアルバム「POWER OF DREAMS」だ。

1997年の夏(8月6日)にリリースされたアルバム「POWER OF DREAMS」には、この前年に開かれたオリンピックに併せて某テレビ局のオリンピック放送番組のテーマ曲となった「熱くなれ(album version)」をはじめ、アルバムタイトルを単数形で表した「Power Of Dream」、アニメのエンディング主題歌にもなった「空」、他、「ゲンキダシテ」など、全14曲が収録され、“これぞ大黒摩季”といった楽曲が並んでいる。全体としては、ビートの効いた重厚なロック調のサウンドに大黒摩季のパワフルな歌声が前向きなイメージの歌詞たちとともに届く、そんな音楽が詰まったアルバムだ。

さて、「今日の一曲」としては、お約束通りに、一曲に絞ってご紹介しなければならないのだけれど。いやぁ、困った。本当を言えば、このアルバムに関しては14曲すべてを取り上げたいところなのだよ。(・・・前回もそうだった、ような?)

そこを、ぅん~、敢えて一曲だけを挙げるなら、 「あぁ」という曲になる、かな。ミディアムテンポのこの曲はアルバムの4曲目に収録されている。ビートの効いた重厚なロック調のサウンドながら、アレンジとメロディ・ラインの一寸した加減なのだろう、爽やかさも感じる、幾分かポップス的要素も漂う曲だ。

 

あぁ 君のように輝いてみたい

冷たい風に吹かれても負けない君のように

あぁ 諦めないで 前だけ向いて歩いてみよう

寂しくても たとえ苦しくても

何かが見えるまで

 

《その年の夏:最高のチーム編》

先も少し語った通り、このアルバム「POWER OF DREAMS」を、この曲「あぁ」を頻繁に聴いていたその年の夏というのは、“最高のチーム”が挑む2年目の夏であったわけで。とは言え、それまでと同様、“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”を最優先に、その姿勢は1年目と変わらずブレずにここを目指して取り組んでいく、とそうチームのメンバー皆で決めていた。が、2年目ともなると、1年目の成果との比較が明らかな、会社が求める、あるいは世間様の多くが評価する、その“目に見える成果”が想っていた以上に大きなプレッシャーに感じるのだった。

もちろん、“目に見える成果”においても結果を出すこと、これをはじめから軽んじていたわけではない。・・・これはこれで結果として良好な結果を残すことは、“会社が”というよりも、元より、“この社会の仕組み”として決して無視できないのだから。これを無視しては、現実的に事業は継続的に進めていけないし、当然、“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”を考え目指しここに挑むこともできないのだから。・・・と、私もチームのメンバーたちもそんなふうな考えでいたわけで、“目に見える成果”を無暗に蔑ろにしていたわけでは決してない。

 

ただ、難しいのは、“目に見える成果”としての成績・業績のここに囚われて過ぎてしまうと、その目に見える明確な数字や指標に則った結果ばかりに気持ちをもっていかれて、どうしても視野の狭い思考に陥りやすくなることだ。“目に見える成果”のその結果は誰にとっても理解しやすい。だから、会社も、世間様もこれを求めるのだ。逆に言えば、周囲の誰からも承認を得るためには“目に見える成果”で結果を出すこと、これが何よりも手っ取り早い手段となる。

それならと、“この業界で度々重視される数字や指標”を基に“目に見える成果”においても結果を残そうと物事を進めていく。すると、一見して物事の一つひとつを明確に表していそうな“目に見える成果”に繋げるための、そういった情報ばかりが一々目や耳に入ってきて、知らぬ間に、“目に見える成果”のこれだけのために行動している、なんてことに。ふと気付くと、あれ?“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”なんてものはいつの間にか後回しに。こんなふうに視野の狭い思考になって、気付いてよくよく目の前で起きている物事に視線を向けたときには、その一つひとつが“おかしな具合”になっている。

とまぁ、短い間に一時的に一度か二度くらい、こんな経験をするのもこの業界に携わる者ならばイイのかも。ただし、“おかしな具合”のこれにも気付かなくなるまでその感覚を鈍らせてはならない。せめて、「何かおかしいぞ」とどこかのタイミングで気付くくらいでなければならない。「何かおかしいぞ」と思うその感覚が働けば、何かの拍子に再び視野が拡がる機会に恵まれる。そしてそれは大抵の場合、以前よりも広い視野で物事を見渡せるようになっているはずだ。もちろん、多少、現場は右往左往するだろうけれど。

 

きっかけがないと自分では

決められないことがある

何かに背中をグッと押されなきゃ

勇気もでないときがある

 

《 その年の夏:大切なこと編》

その年の夏、「何かおかしいぞ」と思うその感覚を鈍くさせてしまなわないように私を助けてくれていたのは、やはり、“最高のチーム”のメンバーたちだった。メンバーたちは皆、やるべき事の、これを見失ってしまわないように、常に互いに声を掛け合い、意見を交わし合い、業務を進めていってくれた。私も、職場でチームのメンバーと一緒に居る限りは、目指すところを見失わずに済んだ。

ただ、独りで残って作業をしていたり、通勤や帰宅途中に独りであれやこれやと考えていたりしていると、遂、“目に見える成果”としての成績・業績のここばかりに囚われている瞬間もあって、視野の狭い思考へと陥りそうにもなるのだった。そんなとき、「待てよ。何かおかしいぞ」とこれに気付かせてくれたのが、今回ここでご紹介している一曲、「あぁ」だ。その年の夏は、職場から帰宅した後の少しの間、身体を休ませながらこの曲を聴くことが、もう習慣のようになっていた。

「我々のチームは何を一番に優先に取り組んでいくはずだったっけ?」

「いま、私が、チームのメンバーと目指しているのは何だ?」

「いま、私が、チームのメンバーと成すべきことは何であるべき?」

「そもそも私は、何のためにここへと転職したの?」

とこうした問いを、「あぁ」を聴く度に、自身胸裏で反芻した。

会社や世間の多くが求める“目に見える成果”としての結果や数字も無視はできないけれど、それよりも、現場において成し遂げるべき内容や本当の意味で届けるべき中身、これには明確な答えや正解など無いのだけれど、それでも、“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”が先ずは大切なのだ、と。

こうした意味でも、ホント、こいつ(=「あぁ」)は丁度好いタイミングで現れてくれた。そして、心の内のどこかで感じる重圧やらストレスを、気持ち好いくらいに跳ね返してくれるのだった。

職場の“最高のチーム”のメンバーたちにも、この曲「あぁ」にも、随分と助けてもらった夏だった。

 

人はどちらにつくかで見方が変わってしまう

あれは 身を引いたのか

それとも 逃げ出したのか

・・・

あぁ 君のように貫いてみたい

どんなに遠回りしても迷わない君のように

あぁ もう逃げないで この今を乗り越えてみよう

正しくても 間違いだったとしても

いつか笑えるように

 

《チームワーク力、その重要な鍵》

その翌年の春先。“最高のチーム”は2年目としての取り組みをやり終えた。“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”を最優先にその時点で考えられる、出来る、すべてをやり尽くした。そして、会社や世間の多くが求める“目に見える成果”としての結果や数字においても1年目以上の成果を上げた。社内では、社長をはじめ幹部からも高く評価された。

チームのリーダーでありながら、私独りでは、職務として大切にすべき心掛けも、向き合うべき肝心なことも、取り組むべき行動も、きっと途中で見失っていたことだろう。

 

これは、就いた職・業種、あるいは置かれた立場で異なるのかも知れないけど。私が当時のこの頃までに関わってきた仕事で謂えば、その職務として重要な鍵は、哲学的・倫理的意味において『“何を成し遂げることが一番大切か”=“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”について考え、追求し続けること』これが何よりも最優先なのだと認識する、このことにあるように思う。

ところが、“何を成し遂げることが一番大切か”=“現場のニーズと信頼に応える上で真に意味のある成果”のこれには、明確な答えが無い。加えて、社会や世間様が評価する指標、あるいは会社が求める業績や数字=“目に見える成果”とも結び付くものでなければならない、といった非常に難しい課題とも向き合う必要がある。独りきりで考えてばかりいても実際に物事は前に進んでいかない、といったところが現実だ。

だから、チームが必要なのだ。

メンバーの一人ひとりが個々に考えや意見を確りともつことを前提に、これをチーム内で常に交換し合って、メンバーそれぞれの考えや意見の同じも違うも共有し合い、広い視野のもと、おおよその道筋を立て、その上で物事を具現化していく、そんな“チームワーク力”が必要になる。

その“チームワーク力”について、一般によく重要視されるのは、“どんな特性をもったメンバーたちが集まっているのか”、“メンバーそれぞれの能力が発揮できるように適材適所の配置はできているのか”などを把握しておくことで、もちろん、こうしたことも至極当然であるのだけれど。もっと重要なことは、『そこ(その職場)に、工夫を繰り返す情熱と思考があるか』、更には、『ユーモアと笑顔があるか』だ。

80年代、90年代の、この頃というのは、カリスマ的リーダーが派手に取り上げられることの多い時代だった。その為、チーム運営は、どちらかというと、カリスマ的な威厳を放った力強いリーダーシップ力を発揮するリーダーのもと、トップダウン的なチーム運営をしていく方が好ましいのだ、とそんなイメージが社会全般に拡がっていた。しかしながら、私がリーダーとして務めたこの部署のチーム“最高のチーム”は、これと正反対のボトムアップ的な・・・、もう少し正確に言うと、チームセルフリーダーシップ的なチーム運営で成り立っていた。

チームのメンバー個々が自律的であることを前提に、チームのメンバー皆で考え合い、意見を出し合い、物事を進めていく、ここには、『工夫を繰り返す情熱と思考』と、これを継続させるための『ユーモアと笑顔」はどうしても必要で、そのための環境作りがリーダーに就いた者の最も大切な役割なのだと、そんなふうに考える。

 

《その一曲に重ね合わせていたもの》

って、私が、このようなチーム作りをしていたみたいに語っているけれど、実は、そうではない。アハハハハ・・・。

これらは全て、これの、前の職場でお世話になった、あの救世主の如く現れた“もの凄い上司”が常にしていたことで、これを真似た、というだけのことだ。

が、その年の夏を経て、体感してきたことの一つひとつが徐々に経験というものに置き換わってきたとき、真に、“チームワーク力”の重要さを身を以って知った感じがした。ぅん~、その年の夏の後1年もしてからだったかも知れないな。

 

あぁ 君のように輝いてみたい

冷たい風に吹かれても負けない君のように

あぁ 諦めないで 前だけ向いて歩いてみよう

寂しくても たとえ苦しくても

何かが見えるまで

・・・

胸の奥の夢だけ抱き締めて

今夜は眠ろう

 

30歳代半ば、私は、一家4人で暮らすその家族を養う者としても、勤める職場で、ある部署のリーダーを任された者としても、当時はきっと、必死に一人前の顔をしてこれを装っていたに違いない。いま現在から振り返れば、当時の私なんぞ、実際はまだまだアオかったものなぁ~。あっ、いや、未だにイイ歳こいてアオい、のだけれど(汗)。

が、それでも当時まだアオかった私が、毎日の生活の中にある色々を何とかやりこなしていくことができたのは、元気な家族と、職場でも心通わせられるチームのメンバーたち、こうした存在が近くに居てくれたからだ。

そして、大きなプレッシャーまでが我が身に圧し掛かってきていたその年の夏には、大黒摩季のアルバム「POWER OF DREAMS」と、ここに収録された「あぁ」という一曲にも、救われたのだった。

もしかすると、「あぁ」の歌詞にある“君”を、当時私は、ともに暮らす元気な家族や心通わせられるチームのメンバーたち、あるいは、かつての、あの救世主の如く現れた“もの凄い上司”の、その有難くも掛け替えのない存在に重ね合わせていたのかも。・・・なんてね。

 

「今日の一曲」シリーズの第85回、今回は、1997年8月6日にリリースされた大黒摩季のアルバム「POWER OF DREAMS」より、「あぁ」という一曲を取り上げて、諸々語らせていただいた。