今日の一曲 No.82:山下達郎「MAGIC WAYS」(サウンドトラック・アルバム「Big Wave」より)

「今日の一曲」シリーズの第82回です。

ところで、今年は、関東地方においては、例年よりも、本格的な夏、これを迎える時期が幾らか早いように感じます。そんなこともあってでしょうか、ふと、部屋のレコードラックから、何となく夏に相応しい、そうした盤を取り出したくなったようで。すると、取り出した、その盤に収められた曲を順に聴いているうちに、あぁ、想い出しました。社会人として働き始めたばかりのまだまだ未熟な若ぞうであった自分自身のこと、そして、右往左往しながら毎日を送っていたその頃のことを。が、当時のそんな私は、そのなかの一曲に、たいへん救われてもいたのでした。

そんなわけで、今回は、当時のそのあたりのことも含めて、諸々語らせていただきます。

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《海と山、どっち?》

夏は、海へ行く派? それとも、山へ行く派?

なぁ~んてね、そもそも、“海へ行く派”も“山へ行く派”も無い、こうした分けた見方これ自体がおかしく、妙な質問であるかも知れない。ま、でも、そんな質問をされれば、私の場合は、恐らく、「山」と応える方だ。

これには、生まれ育った所も、また現在住んでいる所もほぼ同地域に居続けている私が、そこの地域的環境や地理的環境に大いに影響されてきている、それがあってのことだと思う。とは言っても、私が小学生くらいまでの頃と現在とでは、その環境なるものも時代とともに様子はだいぶ違ってきてはいるのだけれど。それでも東京の都心などと比べれば、緑も多く、自然と共生しているふうな場所も多く残っていることは確かで。家々の隙間や道端のすぐそこでは、あるいは、野菜畑の脇やちょっとした空き地になっているような場所では、幾つもの種類の雑草や小さな花びら咲かせた花々たちが各々季節ごとに街の風景に彩りを添えてもくれて、これと一緒に、木々の葉や実の間からは鳥たちの囀りもまた色々にあちこちから聴こえてくる。ほんの少し遠くに視線を向けるなら、山々の穏やかな稜線が空の色と合わさって日ごと様々にコントラストを違えていく、そんな様までが眺め渡せる土地だ。

一方、“海”。これにお目にかかるためには、神奈川県の湘南方面か、そうでなければ、千葉県の房総方面へと向かうようになるのだけれど、これは些か遠い気がする。電車を乗り継いでなら、3時間以上は掛かるだろうか。ぅん~、つまりは、少々面倒くさい(汗)。

そんなわけで、普段から眺めている山々のそっち方面へと出掛けて行く方が私にとっては距離的にも近くて馴染みもある分、どうしても身も心もその方が楽なのだ。海へ行くことよりも、山へと行くことの方が多くなる。海が好き、山が好き、といった基準ではないというわけだ。まぁ、でも、実際にそれら近くの山々へと散策に出掛けて行って、山道のキツイ坂を登って歩いていたりしていては、我が体内の循環器系のすべてが簡単にヒイヒイ言い出すのだけれど、ねぇ。アハハハハ・・・。

では、更に続けて、これもおかしな質問ではあるのだけれど、少しだけ訊き方を変えて、海に憧れる派? それとも、山に憧れる派? といった具合の質問ならどうだろう。この場合には、私なら、「海も、山も、どちらもっ!」と応えるかな。海も山もこれらを前にしては、その不思議さと偉大さを感じずにはいられない。こんな感覚が私には心地好い。

ただここ最近は、何故か無性に、江の島周辺など、「海に行きたぁ~い!」という衝動に駆られることも多くなってきている。なんでだ? 年齢のせい? じゃないよねぇ~・・・。

 

The way you whisper in my ear, to make my troubles disappear

It's magic

The way you little fingertips, can make my heart do double flips

It's magic

(君に囁かれると、心配事なんか吹っ飛んでしまう)

(魔法だね)

(君の指先が触れると、僕の鼓動は倍の鼓動)

(魔法だね)

・・・・

 

《映画「Big Wave」に映る人々》

その“海”というワードで、ふと想い出したのだけれど、そう、1984年のことだ。サーフィンなど海を舞台に行われるスポーツの醍醐味を、ドキュメンタリー作品として映像にたっぷりと収めたそれが、劇場用映画「Big Wave」となって公開されたのが、当にその年の夏のそれより少し前のことだった(1984年6月2日)。

大海とそこに在る大自然とがそれぞれに織りなす様とともに、ダイナミックでスケール感の大きい、そして、色鮮やかな映像のそのなかに描かれていたのは、サーフィンやヨットなど海のスポーツそのものの魅力もだけれど、波のその迫力であったり風や潮の威力であったりと、そういった大自然の偉大さに挑みながらも併せてそこに共生しようとする人々の、姿勢なり覚悟だった。こうした一連の映像がこの映画を観た人たちに何らかの感動を抱かせたのか、当時、大いに話題となった映画だった。私自身は、特に、ここに映る人々の海や大自然と向き合おうとするその姿に心揺さぶられた。

そして、この映画の音楽を担当したのが、山下達郎。

今回、第82回の「今日の一曲」シリーズとしてご紹介する盤は、映画の公開とほぼ同時期に発売(1984年6月20日)された、その映画のサウンドトラック・アルバム「Big Wave」、当時のLPレコード盤だ。

A面にはアラン・オデイの歌詞(英詞)に山下達郎が作曲したオリジナル曲が6曲、B面にはビーチボーイズの曲を中心に山下達郎が選曲してアレンジ・カバーした曲が5曲、それぞれ収録されている(*加えて、B面のラストには、A面のオリジナル曲が1曲だけ、インストゥルメンタル曲として収録されています)。

ところで、恐縮ながら、私自身は、特段、山下達郎ファンということでもなく、更にはこのことを言い訳に、これはもしかしたら正確ではないかも知れないのだけれど・・・。この頃、巷では、このサウンドトラック・アルバムに収録された曲からは「JODY」と「YOUR EYES」の2曲が、テレビやラジオの音楽番組の、よく、ヒットチャートの上位の曲として紹介さていたように想う。だから、この2曲についてはアルバムを買うそれ以前から既に耳にしていたようにも想っているのだけれど。・・・??? いずれにしても、この2曲を含めて、山下達郎のこの頃の曲をじっくりと聴くようになったのは、私個人は、このサウンドトラック盤の「Big Wave」を手元に置いてからだった。

その、「JODY」からは、海とそこを渡る風とを身体ごと受け止めたくなるような爽快な感覚が、「YOUR EYES」からは、大海と空との境界を静かに見つめていたくなる陶酔境的な感覚が、それぞれ聴こえてくる音たちから心地好く感じられるのだった。当時はまったくお気楽な気分で、どちらの2曲からも、海へと憧れる、そうしたものだけを想像しながら聴いていた。いや、お気楽な気分で居たい、と自らが望んでいたからそうであったのかも知れない。この頃は私も、社会人2年目のまだまだアオい若ぞうだった。

 

And when you smile at me that way, well you can warm the coldest day

It's magic

And even when you're gone I find, I hear you laughing in my mind

It's magic

(君が微笑むと、寒い日もポカポカ)

(魔法だね)

(いなくなっても、僕には君の笑い声が聞こえるんだ)

(魔法だね)

・・・・

 

《早々に“学び直し”》

その社会人2年目の私だけれど・・・。事はその1年前に始まった。大学を卒業して社会人1年目の私は、日々の業務が派閥争いばかりで明け暮れていく、そんな職場に居合わせてしまった。そこでは、両派閥のどちらにも属さないでいた私だったのだけれど、そのうち、何んとまぁ、その両者ともから睨まれて、職場に居る限りは干されたような状況に。そして、2年目を迎えるその直前には、あろうことか、私が解雇を言い渡されてしまうハメになってしまった。ってなわけで、社会人2年目の私は、これを引きずって、少々苦い思いを抱えながら過ごしていたのだった。

この頃、私は、1年目に就いたそれとほぼ同種の仕事をアルバイトで3つ掛け持って、どうにかこうにか生活をやり繰りしていた。ただ、20歳代前半で、仕事の進め方や職場環境、また人間関係なども含めて、そのどれもが少しずつ違う3か所で、これをアルバイトとして掛け持っていくことは、身体的にというよりも心理的にと言ったらいいだろうか、思いの外、負担ではあった。

そのアルバイト3つを掛け持っていては、土曜日や日曜日も1つは必ず仕事が入っていて、どこかの曜日で一日全てが休日・フリーになることはなかった。深夜から早朝を除いて隙間時間と言えるものは、週に3日、平日の午前中または昼前後の3~4時間ほどで、この生活に慣れるまでの暫くはここを休息やリラックスする時間にしていた。が、その隙間時間も、昼間の時間帯にフラフラと散歩に出歩くなどのことは些か自身に抵抗感があって、結局は部屋に籠るだけのことも多くなっていた。

ならばと、この習慣にも身体が慣れてきた頃、夏を前にした6月の後半くらいからだったと想う、休息を摂るよりも、先々に繋がるであろう事を少しでも勉強しようと、幾分、生活のパターンを切り替えたのだった。それからは、隙間時間を、“学び直し”の時間として、これに当てた。社会人になったばかりの2年目にして、早々に“学び直し”だ。

ん? いやいや、真面目に過ごそう、などといったことではなくて・・・。何んと言うか、もう、“自分”というものへの、ただただ、危機感からでしかなかった。

確かに、職場での派閥争い云々については、そこで本来果たすべき職務としてもそれは全く無用のもので、私がどちらの派閥にも属さず、派閥争いのこれに加わらなかったことは間違ってはいなかったと、この事はいまに至って当時を振り返ってみてもこれでよかったのだと思う。が、自分の身に起きた出来事・・・干された状況に追い込まれたり、解雇を言い渡されるなど・・・については、やはり社会人としても、その業界の人間としても、自身の未熟さが招いた事態であったと、社会人2年目のこの頃には、自分自身でも冷静に少しは客観視してこれを振り返っていたのだった。

 

《気付いても、分からない》

小学生の頃からずうっと学校のお勉強というものが苦手だった私が、高校2年生のそれも後半になって急に、ある出来事をきっかけに、大学進学を決心。たまたま面倒見のいい友人たちのお蔭もあって、奇跡的にとでも言うべきか、目指していた大学の一つに合格した。それだけに、大学生生活は決して無駄にすることなく有意義に過ごすのだ、とそうした思いをもちながら過ごしたのだった。しかしながら、大学を卒業して実際に社会に出てみると、社会で生き抜いていくには私という人間は余りにひ弱である、と感じた。生き抜くための知識も実践的なスキルも、知恵をめぐらすための思考力も、まるでトレーニングされていない、と、社会に出て、ようやくこんな目に遭ってから気付いたのだった。

 

そして夏には、私が社会人1年目から仕事にしてきた職業の、その業界・分野に携わっていこうとする者にとっては割と重要な試験・・・その業界・分野での適性の度合が評価され、各社の採用においても有利にはたらくとされている・・・があって、私もこの試験を受けることにはしたのだけれど。が、所詮、・・・もちろん、軽んじてもいけないのだけれど・・・こうした類の試験に備えての勉強は、ここに必要とされるその既に分かり切っている知識を、記憶として、これが抜け落ちないように単に反復していればいいだけのことで、これを“学び直し”とは考えていなかった。

“学び直し”にあたっては、試験に備えてのそれよりも、いまのこの社会で起きていること、またこの社会はこれからどう変化していこうとしているのか、これを、歴史的な時代の流れから、金融や経済の動向を含めて身の回りのお金の面から、情報や科学分野などの見地から、あるいは、その社会のなかで生きる人々の関心や行動から、等々、こうした様々な分野の事柄を通じて、もっときちんと知っていかないとならない気がした。その上で、自分自身はどういった覚悟をもってここからを歩んでいくべきなのか、その答えを見出したいと思っていた。

 

だけれど、私が実際にしたことは、書店や図書館へ行って、自身でこれはっ!と思う本・・・でもそれは、大抵が、世間で話題や評判となっている本で、社会で活躍・成功している人が書いている本、書店員さんが薦めている本や書店でよく売れていそうな本、有名な誰とかが薦めていた本、こうしたものが殆んどだったかと・・・を見つけては、これらを購入したり借りたりしながら、そこに書かれた様々を兎に角にも読みあさっていく、といったことだった。そして、アルバイトをしている以外の隙間時間では、常にこれらの本に噛り付くようにして過ごした。

尤も、こんなふうに本を読みあさっていったところで、これが自身のこの身に本当に役立つものになるのか、何等確信はなかった。また、先々への不安が消えるわけでもなかった。が、当時の私では、こうして、本を読みあさっていく、という方法のこれ以外に、ひ弱な自分が社会で生き抜いていくだけの力を身に付けるにはどうすれば良いのか、どうしていくべきなのか、これすら、その“本当”が分からないでいたのだった。

 

とまぁ、そんなだった時期が、映画「Big Wave」の評判が世間に拡がり始めて、併せて、そのサウンドトラック・アルバム「Big Wave」が発売された頃・・・正確にはアルバムが発売されてから1週間か10日ほど経過していたかも知れない・・・と、丁度、タイミングとして重なっていたというわけだ。でもこれは、後から振り返ってみるとそうだったというだけの、たまたま偶然というやつで、当時の私にこういった認識はなかった。

 

 《海も山もない夏》

そんな具合に、“学び直し”を始めて少ししての頃。社会人2年目のこんな頼りない私の、それでも、その“内側”を、多少なりともバランス好く調整してくれていたのは、やはり、音楽だった。

この頃も、小学生時代から通い続けていた自宅近くの、例の・・・この「今日の一曲」シリーズのなかで度々登場する・・・物静かそうなオジさんが独りで営んでいるレコード店へは、時折でも、どうにか時間を作って立ち寄るようにしていた。

それで、この年の本格的な夏を迎える少し前、このレコード店へと立ち寄ったときに、店内のラックに幾つも並ぶレコード盤の中から、今回ここでご紹介しているサウンドトラック盤の「Big Wave」を選び、これを手に取ったというわけだ。

でも、このときは、はじめからこれを買うことを目的にここへと立ち寄ったわけではなかったはずだ。

私がこのレコード店へと立ち寄るというのは、それこそ小学5年生くらいのときからの習慣の一つで。そりゃぁたま~に、何かに狙いを定めて買いに行くこともあったけれど、大抵はそうではなく、ふっらと寄って、レコードラックに並べられたレコード盤を無作為にあれやこれやと探りながら、ふと手に取ったレコードジャケットを眺めてはそこに収められた音楽を想像してみる、など、先ずはそうして愉しむために立ち寄っていたのだった。

だから、映画の評判や、新しくそのサウンドトラック盤が発売された、といったその程度の情報だけで、直ちに、レコード店へとそれを買いに行こう、などということにはならない。

もしかしたら・・・だけど、その年は、私にとって、“海も山もない”そういう夏なんだと思っていたから・・・。だからなのかも知れない、この盤、「Big wave」に手が伸びたのかと。

とまぁ、こんな言い方になってしまうのは、この盤を買うに至った経緯について、私自身、殆んど記憶がないのだよね。とまた、こうして記憶を辿ってみると、やはり、少なくとも狙いを定めて買いに行った盤ではないのでは・・・、と想う。

ただ、この盤を買ってから後の、その年の本格的な夏を迎えてからは、レコード盤の上に針を置いて繰り返し聴いた一番に多かった盤がこれであった、とのその記憶に間違いはないかと。

 

And all I have to do is think of you, to make the music start to play

Then I dance down the street and the people I meet stop and say…hey hey

(君のことを考えるだけで、音楽が聴こえてくるんだ)

(そして通りで踊り出すと、通る人がみんなはやし立てるんだ)

・・・・

 

 《我が内側を覗く魔法》

なかでも特に、A面の4曲目に収録されているその曲は、私の“内側”へと入り込んで、その我が内側のバランスを確りと支え整えてもくれる一曲となった。

 

「『MAGIC WAYS』、魔法・・・ってことかぁ。こんな魔法にかけられるならイイかも」なんて、最初のうちはそんなことを想いながら聴いていた。

「MAGIC WAYS」というタイトルが付いたこの曲は、ミディアムテンポに自然と乗っかった符点音符の小気味いい弾んだリズムが一つの特徴だ。あとは、山下達郎この人ならではのアレンジとサウンド、彼の歌声、これについては、私がここで語る必要はないだろう。兎も角、アレンジからも、歌詞からも、歌声からも、とてもノリの好い感じが伝わってくる、謂えば、軽く身体を揺らしながら、あるいは、一寸だけ踊りたくもなるような、そんな音楽だ。

 

Magic ways My friend

You love the girl with magic ways, and its true

I might as well give in

You cast a spell on all my nights and days with your sweet magic ways

(魔法なんだよ)

(魔法が使える女の子を愛してしまった)

(もう降参した方が利口だね)

(素晴らしい魔法をかけられたから)

♬ 

 

この曲「MAGIC WAYS」も、先に触れた「JODY」や「YOUR EYES」と同様にこのアルバムを聴き始めたばかりの頃は、お気楽な気分、それだけで聴いていた。

だけど、「MAGIC WAYS」については、これを繰り返し聴いているうちに、社会に対してあまりにひ弱な自分、どうしていけば良いのか何も分かっていない自分、先々への不安が消せないままでいる自分、そんな自分がいまここに居ることを諭しているかのように、またそれを許してくれているかのように感じるのだった。

また更に時が経過すると、歌詞にある、自分でもどうしようもないほどに魅了されてしまう、そんな魔法を掛けたのは、ひょっとしたら、映画「Big Wave」の映像にも描かれているこの地球という星がもつ大自然なんじゃないかって、そんなふうにも想像できて。

すると、お気楽な気分というだけでなく、萎みかけていた自身の“内側(心の内)”が少しずつ拡がっていくような、解放されていくような、そうした感覚にもなって、

『構わずいろいろと本を読みあさってみる、それでいいじゃないか。その本の選び方も、その本の読み方や解釈の仕方も、もしかしたら間違っているかも知れないけれど、それでいいじゃないか。やろうと思い描いたことを実際にやってみようよ。自分の人生だもの、心の内のそれが思うがままに踊っちゃえば?』

といったことを、この曲が教えてくれているようにも聴こえてきて・・・。

 

いま現在に至って当時の自分を振り返ると、本を読む、これ自体はよかったように思うのだけれど、本の選び方も、本の読み方も解釈も、そして、どうにか社会で生き抜いてみせようとするそれも、自身の外側へと答えを求めにいってしまっていたのだよね。物事の一つひとつを丁寧に考える、またそれをより奥深いところへと辿って考える、そのためには、もっと自分の“内側”と向き合おうとする、併せて、物事の本質や根本を探ろうとする、そうした姿勢が先に必要だったように思う。明確な答えなどない、それら“生きること”のあれこれと向き合うためにも、ね。

アハハハハ・・・、なちゃって、現在に至っても、未だ、“生きること”のこれに関しては、決して何かが分かっているわけではないのだけれど。ただ、30数年前の当時の自分と比べれば、“自分のその分からなさ加減”と“自分のその分からなさ具合”くらいは、ほんの少しだけ、分かるようになったのかなぁ。

いずれにしても、当時、その「MAGIC WAYS」を聴いているうちに自身の内側を覗いてみることになった、このことは結果的に、知らぬ間に自身の外側へとばかり答えを求めていた私にとって、我が心持ちのそれを整える上では丁度好い機会になったのかと、そのように思う。これに依って当時の私はだいぶ救われたはずだ。ぅん〜ホント、いまにしてこそ、余計にそう思う。

 

さてさて、当時の、その年の夏から半年程過ぎた頃のこと。私は想わぬ形で“Big Wave”と出遭うことになる。そしてこれが、私のこれまでの人生のなかで、とても大きく大切な、掛け替えのないラッキーの一つとなる。

というのも、この“Big Wave”との出会いが切っ掛けで、私は、社会人の1年目から携わってきたその仕事をその後も30年余り続けていくにあたって、また人生を歩んでいく上でも、一種、“MAGIC WAYS”とも言える、それを知ることになる。

だけど、この後もまた更に経験する様々な事の一つひとつをあらためて思うと、その掛け替えのないラッキーも、兎に角にも本を読みあさっていったあの時期があったからこそ、ここへと繋がっていったように感じる。そうね、案外、無駄なことばかりでもなかったのかも知れない。

 

“掛け替えのないラッキー”の、その話については別の回で・・・。

 

ってなことで色々と想い出しているうちに、今年の、この夏については、何処か、海の景色が眺められるそんなところへと是非行ってみたい、“海へ行く派”の気分になってきた。ハハハハハ・・・。

 

「今日の一曲」シリーズの第82回、今回は、映画「Big Wave」のサウンドトラック・アルバム、同じく、「Big Wave」より「MAGIC WAYS」を取り上げて、諸々語らせていただいた。