今日の一曲 No.81:アイリーン・キャラ(Irene Cara)「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング(FLASHDANCE…WHAT A FEELING)」

「今日の一曲」シリーズの第81回です。

今回、その81枚目にご紹介する盤とここに収録された一曲は、ある映画のサウンドトラック盤(LPレコード盤)からになります。

実は、この盤を手にしたのも、第12回(2016/12/17)以降、時折語らせていただいております、私が社会人としてスタートを切ったばかりの頃でして。すると、当時の、想わぬ目に遭った例のことも一緒に、どうしても想い出してしまうのですよね~。

そこで、今回は、ご紹介する盤と一曲のこれに絡めて、4月を迎えたところでもあり、新社会人の皆様へ贈るエールとしてのその意も込めて、諸々語らせていただこうと思います。

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《ピカピカの一年生》

春ですね~。

ということで、この時期、街中を・・・と言っても、東京の都心からは西方へとだいぶ離れた多摩地域のうちの一つ、田舎っぽい小さな街だけれど・・・、独りでのんびり歩いていると、そこでは、陽の光もそよ吹く風も、草花の香りや彩りも、これらがそれぞれに丁度好い具合に我が身へと届いて、併せて、これらすべてが街の風景の一部を成しているかのようにも感じられて・・・。私はこの季節が割と好きだ。

なんちゃってね、ナニ気取ってんだかぁ。アハハハハ。

が、少しばかり気取った、そんな気分で街中を歩きたくなるのもこの季節の仕業のように想える。

 

暫くすると、こうした街中の風景に加えて、如何にも“新社会人です”風な男女6~7人くらいの若者集団が、我が視界へと入ってきた。互いに似た服装の、そのスーツ姿の彼ら彼女らをそっと目で追いながら、私は、思わず、「頑張れ!」と小声に出して呟いてしまうのだった。誰にも聞かれていないはずだけれど、もしもその小声に気付いた人が居たとすれば、きっと、妙なオヤジだなぁ、と怪しく思ったことだろう。ただでさえ、見た目からして怪しいのに…ね。

 

First when there's nothing

But a slow glowing dream

That your fear seems to hide

Deep inside your mind

 

いやぁ、でも、遂、応援したくなってしまうのだよ。「どうか、かつての自分のような、そんな目には決して遭いませんように!」ってね。

そう、春の、もう一つの風景に現れるのは、こうした“ピカピカの一年生”たち。小学生、中学生、高校生、・・・などなど、色んなピカピカの一年生たちがあちらこちらでその初々しい姿を見せる。

が、私がその遂、どうしても応援したくなってしまうのは、社会人としてスタートを切ったばかりの彼ら彼女ら、だ。

 

何故って、私の社会人としての1年目は散々だったから・・・。

 

《なんて職場だ》

大学を卒業すると直ぐ、当時は私も世間で言うところの“人並みに”というこれに沿って、意気揚々と、社会人としてその1年目の生活をスタートさせたのだった。

大学在学中は、自分にはどんな職が向いているのだろうか、自分には何がやれるのだろうか、などと随分と悩みもした。どうしてイイのか分からなかったから、学内の事はもちろん、それだけでなく、あれやこれやと色々にアルバイトやインターンシップなどといった機会も活かしながら、自分を様々に試していった。こうした上で、結果、自身で選んだ、謂えば、ほぼその希望通りの職に就いたのだった。

が、勤めることになったその職場では、仕事に就いて、一週間、二週間と経過していくうちに、「ん? なんだろう」、「ん? この人はいま何を意図して私にこれを言ってきた?」、「あれ? 先輩方それぞれによって言うことが違うようだけど・・・」といったことが少しずつ増えていった。

なんとしたことだ。恐らく、外から眺めている限りは、ここでこんなことが起きているだなんて誰も気付かないのだろうけれど、この職場では、リーダーとされるその人は名ばかりのお飾り的な存在でしかなく、その直ぐ下に付く人たち・・・この職業に就いて10年ほど以上の経験をもつ人たち・・・によって、日々、熾烈なる派閥争いが繰り広げられているのだった。

 

All alone I have cried

Silent teats full of pride

In a world made of steel

Made of stone

 

そも、ここが何を目的に社会へとその役割や責務を果たすべきところかは、大方、それは誰であっても答えられるくらい明らかなことのはずで・・・。まして、これを職にここに携わる者であるなら、わざわざあらためて問い直すなどしなくても普段からそれを理解した上で職務に就くというのが、むしろ当然であって・・・。“派閥争い”などといったこの職場で起きている陰険で馬鹿げた争い事が大人たちの身勝手な都合だけで生じていることは、更に暫くもすると、社会人1年目の私にも分るのだった。

つまりは、それはもう、職務上の方針や方法論を巡っての、建設的な意見ともなるそうした互いの考えを主張し合ってのことすらなくて、それぞれの立場や都合からの思惑でその好みだけをぶつけ合っている、単なる二項対立的な争いでしかないのだった。しかも、「キミはどっちの側に付くのかな? 」といったことを勤めている職員の一人ひとりにまで強要してくるのだから、何んとも質(たち)が悪い。

 (*尚、私が当時勤めていた職場とその業種については、この職業の業種上の特性と、当時この職場に関わりのあった個々人の名誉等を考慮に、その具体的な事柄・詳細に関しては伏せさせていただきます。とは言え、業種については大方見当がつくかと思いますが・・・。)

 

《ボロボロの一年生》

ってなわけで、職場がこんな状況にあるなかでは、私と同じ、新入社員として働く同期・同僚たちも時の経過とともに、徐々に、各自がそれぞれの立場や事情によって分かれていった。どちらかの派閥に属してはその派閥の一員として熱心に力を注ぐ者、どちらかの派閥に仕方なく属しながらもその活動の流れにそこそこ乗っかって行動する者、どちらの派閥にもご機嫌を取りながら上手く取り繕う者、といった具合に。ま、新入社員としては、これらどれかのパターンに収まってしまう方が無難で、半ばそうせざるを得ない状況にあったのだよね。

 

で、私と謂えば、どちらの派閥にも属さない、派閥争いのこれには一切加わらない、という立場をとった。・・・確かに、いまに至って当時を思い返せば、なんと融通の利かない若ぞうなのだろうと、そりゃぁ自分でも思うよ。

毎日、職場へと出勤しては、自身が取り組むべきこと、自身で出来るその限りの仕事をすること、先ずはこれに集中しようと考えた。が、実際は、仕事の進め方にしても特にその細かな要領といった部分ではまだまだ不慣れな面も多く、社会人1年目の私がこれらを独りで熟していくことは、そう容易ではなかった。しかも、余計な雑音ばかりが周り中で飛び交っているそんな中では、これを完全に自身の聴覚や視界から外すのも難しく、耳に届く怪しい噂や視界に入る醜い争い事のこれらに、遂、「これが大人がすること?」、「これがこの職に就いた者としてすべきこと?」 といったような反応をしてしまうことも度々で。こんなことの後には、自身のどこからか湧き上がってくるその怒りにも近い感情を決してそのまま外へと吐き出してしまわないように、と、これをどうにかこうにか自身の胸裏の内に抑え込むのだけれど。が、もうそれだけで、当時の私は精一杯だった。

そのうち徐々に、自身で進められるはずの仕事の、そのペースまでが狂い始めた。それまで、割と上手くやれている、と思っていた仕事のこうしたことまでがおかしな具合になってきたのだ。・・・ほら、言わないこっちゃない。

 

とまぁ、社会人1年目の、ピカピカの一年生だったはずの私は、この年の夏を迎えた頃には、どん底の、“ボロボロの一年生”とでも言った方が相応しい、そうした状態に陥っていたのだった。トホホ。

 

Well I hear the music

Close my eyes feel the rhythm

Wrapped around take your hold

Of my heart

 

《俺って単純すぎ?》

おっと、前置きが長くなってしまった。そろそろ本題へと入ろう。

丁度、私がそんなだった頃の、その年の夏だ。エイドリアン・ライン監督の、映画「フラッシュダンス」が日本でも公開されて、多くの話題を呼んでいた(日本での公開は1983年7月30日)。

プロのダンサーを目指す若き女性アレックス(ジェニファー・ビールズが演じる)を主人公に、夢を抱くことと様々な挫折とのその狭間に立たされながらもこれを藻掻き生き貫こうとする、そんな若者たちの姿を描いた映画だ。青春ストーリーとでも言ったらいいだろうか。・・・ってな具合に説明すると、よくありがちな“青春モノ”としか想えなくなってしまうかも知れないけど。でも、この映画、1983年のアメリカ映画ではその年の年間を通して、アメリカでも日本でも最もヒット(年間興行収入1位を記録)した人気の映画だったのだよね。

 

さて、“ボロボロの一年生”と化した私は、1週間ほどあった夏の休業期間(お盆休み)を利用して、自身を、その心身全てをリフレッシュさせたい気分でいた。

そこで、当時はあまり映画の内容なども分かっていないまま、話題になっているらしい、というこれだけを頼りに、独り、新宿・歌舞伎町の映画館へと向かったのだった。・・・ちなみに、映画は独りで観に行くものだ。理由はここでは省かせていただくけれど。

実際にこの映画を観ては、ストーリーの流れそのものは、確かに、多少ありがちなものに思えた。が、スクリーンに映るそれを、映像シーンの一つひとつ、映像の色具合(トーン)、更にはバックに流れる音楽、と、これらも併せて追い続けていくうちには何んとも言い表せない不思議な魅力があって、自ずとそこへと惹き込まれていくのだった。

見所は何んと言っても、終盤のダンス・オーディション中のシーン、その大逆転劇だ!

そんな次第で、「俺って単純すぎ?」 と胸裏で呟きながらも、全く以ってその通りに、私はそのまま映画終盤の大逆転劇に感激しながらエンドロールが流れるそれも最後まで見届けて、この日は、ゆっくりと映画館を出た。

そして、映画館を出た後も、私は映画から受けた感激と爽快な気分のそれを、じっくりと味わい続けた。ほんの一時の間とは言え、ふうっと救われた気がしたと同時に、一寸だけ勇気をもらえた気がした。ホント単純だけど、元気にもなったかな。

 

What a feeling

Please believe it

I can have it all now I'm dancin'  for my life

Take your passion

And make it happen

You just come alive

You can dance right through your life

 

《すがるような思いで・・・》

夏の休業期間も明けると、生活は再び現実へと戻っていった。休業期間中にリフレッシュできたこともあって、仕事そのもののペースは少しずつ取り戻しつつあった。が、待ち構えていたそこでの現実は、私に決して甘くはなかった。

そりゃぁ、それぞれの派閥から持ち掛けられる話のそれに、相変わらずその思惑通りに行動しないのだから、両派閥のどちらもが私のことを面白く思わないのは当然で。やがて、そうした話は両派閥のどちらからも来なくなった。代わりに、“「不必要なヤツ」というレッテルが貼られた私”だけがあることないこと噂となって独り歩きし始めた。これが、私本人には気付かれないように、いや、薄々感じさせるように拡がっていくのだから…。更には、お飾り的な存在でしかない上司(現場のトップ)のところへも噂のこれだけは何故か確りと伝わっていくのだから…。まぁ、恐ろしいよね。ホント、コワイコワイ。

まさに世の中とは、“出る杭は打たれる”ではなく、“出る杭は『ぬかれる』”だ。

 

さて、職場で徐々にハブられていく私にも秋の気配のそのくらいは感じられていたその頃。私は、映画「フラッシュダンス」のサウンドトラック盤(LPレコード盤)を買いにレコード店へと向かった。映画を観たときのその爽快な気分をもう一度味わいたいとでも思ったのだろうか、ぅん〜、自分でもよく分からないけど・・・。いずれにせよ、サウンドトラック盤のそれをじっくりと聴きたいと思ったことだけは確かで。例の、自宅近所に在る、物静かそうなオジさんが独りで営むレコード店へと向かったのだった。

レコード店に着くと、私はいつものように、ラックに並べられた幾つもの盤のそのひと通りを静かに見渡した。間もなくして、お目当ての盤が置いてあるであろうそのラックの傍へと進んで、目の前の、その盤へと手を伸ばした。

と、これ以上のことは何も憶えていない。大抵、レコード盤やCDを買ったときのことについては、その一枚一枚について色々とよく憶えている方なのだけれど。ん~、何故だろう、このサウンドトラック盤を買いに行ったときことはあまり憶えていないのだよねぇ。もしかしたら、映画から受けた爽快な気分のそれだけではなくて、もう一方では、くだらない大人たちの雑音からこの身を守ってくれる音、独りでも確りと立ち続けられるそうしたエネルギーを与えてくれる音、そんな音たち・音楽を求めてこの盤を買ったのかも知れない。

と言うのも、この頃の私には余裕などいったものは全く無かった気がするのだ。ただただ毎日を生きる、これだけでやっとだったのではないかな。そうねぇ、もう、すがるような思いで、レコード店へと向かったのかも知れないなぁ…。

 

Now I hear the music

Close my eyes I am rhythm

In a flash it takes hold of my heart

・・・・

 

《WHAT A FEELING!》

その「フラッシュダンス」のサウンドトラック盤を買ってから後は、早速これをカセットテープにダビングして毎日のように繰り返し聴いていた。

中でも、映画終盤の大逆転劇シーンで主人公のアレックスがオーディションの最中に踊る、そのダンスのバック・ミュージックとして流れる「ホワット・ア・フィーリング(WHAT A FEELING)」という曲は、私の沈みがちな気分を晴れやかにしてくれた。殊、アイリーン・キャラ(Irene Cara)の歌声からは、当時、力強く励まされる、そんなエネルギーを感じ取りながら聴いていたように想う。

(*曲名について:正しくは、「フラッシュダンス・・・ホワット・ア・フィーリング(FLASHDANCE・・・WHAT A FEELING)」のようです。所有のLPレコード盤のそのジャケットには、そう表記されています。)

この曲のアレンジおよびサウンドは、当に、80年代のダンス・ポップ・ミュージックの特徴そのままだ。コンピュータ等デジタル・テクノロジーが急速に発達した時代、音楽の世界では、シンセサイザーやシンセドラムなどを取り入れながら様々なサウンド色が試されていった。特に、ポップスやロック、加えて、フュージョン・ジャズやダンス・ミュージックと呼ばれるジャンルでは、これら音楽が、この時代の特徴的な音を創り出していた。

この曲「ホワット・ア・フィーリング」では、導入部での静かでゆったりとした曲想から中盤以降に一気にビートを効かせたサウンドへと切り替わるのだけれど、これがノリノリに踊ってみせる主人公のその大逆転劇となるシーンにこれ以上ないくらいピッタリとハマる“80年代のダンス・ポップ・ミュージック”が以つその特徴的なサウンドによって展開される。しかも、このサウンドに乗っかって、アイリーン・キャラの伸びのある溌溂とした歌声までもが我が鼓膜へと響いてくるのだから、もう、たまらん! となるのは当然なわけで。

映画「フラッシュダンス」を観た後もだったけれど、このサウンドトラック盤を買ってからも、そのA面の1曲目に収録された「ホワット・ア・フィーリング」という曲のこれには、聴く度に、どんなにか救われただろうか。たとえ、これが一時の現実逃避的なものでしかなかったとして、それでも当時の私はこれに救われたのだ。

 

・・・・

What a feeling (I can really have it all)

What a feeling (You just gotta laugh when I cry)

I can have it all(I can really have it all)

Have it all(You just gotta laugh when I cry)

 

さて、社会人として2年目を迎える1ヶ月ほど前になってだった。私は、突然、職場から解雇を言い渡された。

ん? 突然でもないかな。やはり、“出る杭は『ぬかれる』”だった、というわけだ。

そんなことで、社会人2年目の私は、アルバイトを3つ掛け持ちながらの些か厳しい生活を強いられることになるのだけれど。ところが、いやぁ、人生とはまったく以って何が起こるか分からない、というのは当然のことながらこの世の常でして。まさか…、ねぇ。

 

《“大逆転劇”の始まり》

ちなみに、私は、この後も社会人1年目のその当時と同じ職を、これを自身の仕事として30年余りに渡って続けていくことになる。職場を幾度か変えることはあったけれど、まぁ、人生とは不思議と謂えばこれもまた不思議で、社会人1年目の頃にこんなだった私が、どういうわけか、結局は、30数年間同じ業種・業界のその中に居ながら、そこでのあれやこれやと色々に向き合い続けるのだよね。

それで、そんな私が、いま、社会人1年目だった頃の当時を振り返って言えることは、先ず一つには、私が居たその職場で日々繰り広げられていた“派閥争い”などを含めたあれらのことは、“大人が、その職に就く者が、決してすべきことではなかった”ということだ。これに関しては、あらためて冷静に様々な事柄や場合について考え、こうして熟慮を重ねた上でも、そのように思うのだ。

それぞれの立場や都合からの思惑でその好みだけをぶつけ合っていた、そこの場において何の意味も成さない単なる二項対立的な争いのあれらのことは、当時、それは、ここに居た職員たちもだけれど、ユーザー(顧客に相当する人)として居合わせた人たちも含めて、ここに関わった人たち皆に対して、更には、本来成されるはずの物事全てに対して、どれほど多くの犠牲を強いていたことだろう。どれほど多くの可能性を奪っていたことだろう。これを考えては、やはり、あってはならないことが起きていた、異常な状態であった、と言わざるを得ないだろう。

 

但し、もう一つ、当時の私自身にも目を向けて振り返れば、社会人1年目の若ゾウが、実際には、覚悟も足りないまま、視野の広さにも思慮深さにも欠けたまま、周囲で起こっているあれこれに無暗に抗っていただけだった、と言えなくもないかと。融通の利かない、正義感らしきものだけを匂わせた青二才だった、とも。

と言うのも、私自身は、“どちらの派閥にも属さない”、“派閥争いのこれには一切加わらない”というだけで、その実、これら争い事の根本へと切り込んで行けるだけの力、あるいは、問題だらけのその状況を変えるだけの力、といったここに必要な力・・・それは社会人として、また大人として、本来なら身に付けておかなければならなかった力であるとも言えるけれど・・・については、何一つ持ち合わせていなかったわけで。社会人の端くれとしてであれ、結局は何もできなかったというのが実際であって、その意味では、派閥争いなどといったものばかりに労力割いていた先輩や同僚たちと大して違いはなかった、と言える。要するに、私自身もまた、“本物の大人”からは掛け離れていたということだ。

 

・・・・

What a feeling(I can have it all)

Please believe it(Please believe it)

Take your passion

Make it happen (Make it happen)

What a feeling (What a feeling)

Please believe it

 

その後、社会人として2年目を迎えた私は、アルバイトを3つ掛け持ちながら、やがて弥が上にも自らがその自身の無知や無力さと向き合わざるを得なくなる。それは、ある面においてとても辛い日々を送ることにもなるのだけれど、先に述べた“人生とはまったく以って何が起こるか分からない”とは実にここから先ことであって・・・。辛く追い込まれていた日々の、このときの色々なことが徐々に自身の経験へと換わっていったとき、そこには、私の人生で、殊重大なターニングポイントとなる、そうした出来事が待ち受けているのだった。そう、私の“大逆転劇”は、ここから始まるのだった!

(*“大逆転劇”の、このあたりのことについては、次回、あるいは次回以降に語らせていただこうと思います。)

 

そして、更に2年3年と時が経過すると、私は、ふと、温かな日差しと優し気な風がこの身へと届く道の、そこを歩いていた。桜の花びらたちが陽光とともに眩しいくらいに輝いて映る、そんな春の風景のなかを、今度こそ、意気揚々とした気分で歩いているのだった。・・・あっ、いや、これは喩えだ、イメージだよ。

ひょっとすると、苦難の連続にも思えたその社会人1年目から2年目にかけての、当時の我が胸裏や脳裡の奥深くでは、映画「フラッシュダンス」のあの大逆転劇シーンと、そこに流れる、アイリーン・キャラが歌う「ホワット・ア・フィーリング」が常に繰り返されていて、これらが時を経ていくうちに私の内の何処かで、いつの間にか、その“大逆転劇”を呼び寄せるための原動力ともなる、そうしたものを少しずつ育んでいたのかも知れない。・・・なんちゃって。

 

とは言え、まぁ、それからも、私の歩みは決して順風満帆とばかりにはいかないのだけれど。

尤も、それ故に、人生とはその先に何が待ち受けているのか分からないからこそ人生なのだ、と感じる。だから、今というその目の前のこれを確りと歩んでいく、そう想って生きていく、それしかないように思うのだが。どうだろうか。

 

最後に、新社会人の皆様へ・・・

『社会人として好き(よき)スタートを、と願っております。何等か逆境に立たされることがあったときは、どうか、周囲のあれこれに右往左往するのではなくて、ご自身と丁寧に向き合っていただきたく存じます。立ち向かうもあり、逃げるもあり、です。が、ご自身と向き合う中で感じる、そのご自身がすべきことからは決して目を背けて欲しくない、そのように思います。ホント、好き歩みを、と心より願っております。』

 

「今日の一曲」シリーズの第81回、今回は、映画「フラッシュダンス」のサウンドトラック・アルバム「フラッシュダンス」より、アイリーン・キャラ(Irene Cara)が歌う「フラッシュダンス・・・ホワット・ア・フィーリング(FLASHDANCE・・・WHAT A FEELING)」を取り上げて、これに絡めて諸々語らせていただいた。