今日の一曲 No.48:久保田早紀「碧の館」

「今日の一曲」の第48回目。

少し間が空いてしまったかな・・・。少々体調面を整える必要があって休養しておりました(汗)。

 

さて、ここのところ、クラシック音楽や現代音楽など、ややマニアック寄りの音楽紹介が続いたかも・・なので、今回は日本の大衆音楽の中から・・・。

と、言っても、「J-POP」という用語は使われていなかった頃のことで、当時、なんともザックリとした「ニューミュージック」と呼ばれた中にあった音楽だ。

 

1980年前後のこと。

79年、「異邦人」という曲でデビュー、アルバムに収録された各曲もそれまでとは少々テイストの違うメロディラインとアレンジ・・・、これが大衆を一気に引き寄せて関心を集めた。

インドから中央アジア?、西ヨーロッパの山奥地、南米の秘境?・・・、または、まったく別の次元の異空間?・・・などを想像させてくれる詞・曲とサウンド。

 

「久保田早紀」というシンガー・ソングライターの登場だった。

 

レコーディングに加わっているミュージシャンも、斉藤ノブ、羽田健太郎、芳野藤丸、島村英二、・・・そうそうたるメンバー。

中でも、久保田早紀の音楽を大いに引き出したのは、萩田光雄のアレンジだろう。

・・・あくまで個人の感想だよ。

 

1979年に、「異邦人」も収録されたファースト・アルバム「夢がたり」がリリース。すぐに買いに行った・・・この頃はこのブログで何度も登場している船橋市と習志野市の境くらいのところに部屋を借りていたときで、そこから徒歩15分ほどのレコード店。

翌年80年に、セカンド・アルバム「天界」がリリース。シングルカットされた曲としては、「25時」が収録されている。これもすぐに同じレコード店で買った(上の写真)。

一応、記しておくけれど、両盤ともLPレコード盤だ(笑)。

 

ファースト・アルバムも久保田早紀の音楽がそこに関わる人達の手によって、その世界が大いに表現されているアルバムに感じた。

が、セカンド・アルバムは、久保田早紀自身がより濃く表れているように思えた。シンガーとしての久保田早紀の歌声とその歌唱テクニックは魅力を増していた。盤を手にしてから直ぐに感じたことだった。

 

やさしくもあり、時折妖しげにも感じる声に、確かに響く歌声・・・。当時20歳頃の私めには魅力的である以外は何もなかった。間違いない。

 

そのセカンドアルバムに、「碧の館」という曲が収録されている。

アレンジの薄い曲だ。

杉本清志と吉川忠英のガットギター2本と斉藤ノブのパーカッションだけ。そこに、久保田早紀の歌声が乗る。

 

 20歳頃、音楽界は、世界も日本も、本当に後にも先にも無いほどの勢いで発展を遂げていたり、試されていたり、挑み続けられていて、ジャンルを問わず、とにかく賑わっていた。

そんな当時の社会現象にも触発されて、自身も、クラシック音楽、ジャズ、ロック、ポップス、フォーク、カントリー、吹奏楽曲、現代音楽・・・・様々な音楽を聴いた。

一つひとつの音楽は常に刺激を与えてくれた。

 

一方で、何んとか合格したのであろう大学に通いながらも、自信の無さや将来への不安は拭えていなかった。ただ幸運にも、多くはないけれど、周囲の友人や先輩たちに支てもらいながら生きていられた・・・(これらのことも以前に書いたけどね)。

 

気付くと、コレッ!と思う音楽はアレンジの薄いものが多い。

静かに耳をすませて、心鎮めてスピーカーから鳴る音を好んでいる。

 

えっ?暗い20歳?・・・(笑)。

いや、今思うと、あまりに急激に動き始めた世界や社会を、少し時を停めて静観したい気分だったのかなぁ~。

 

そんな気分を無意識に抱えたところに、久保田早紀のやさしくも時折妖しげな歌声をじっくりと聴いて味わえるのが、「碧の館」だったのかもしれない・・・。