今日の一曲 No.2 : チャイコフスキー作曲「ピアノ協奏曲第1番」

「今日の一曲」の第2回です。7月20日以来になってしまいましたぁ~(汗)。

第1回の冒頭でも前置きさせていただいたけれど、「今日の一曲」は、音楽の蘊蓄を語るようなことは出来るだけしないようにと思っています。むしろ、筆者がこれまでに歩んできた人生のなかで、所要するアナログ・レコード盤やCDから受けた影響だったり、そこにまつわる話しを絡めてのことを語らせていただく、というものにしたいと・・・。

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「今日の一曲」の第2回として、早速、語らせていただくことにする。

第1回に続いてクラシック音楽になるけれども(できればジャンル分けした表現は避けたいのだけれど、分かりやすく示すためには結局しばしば使用することになる(笑))、今回取り上げる楽曲とそれを収録した、あるアナログ・レコード(LPレコード盤)もまた心奥深くに刻まれている・・・。

 

それは小学校の5~6年生の頃だったと記憶する。テレビからクラシック音楽コンサートの案内がされていて、ある曲の冒頭部分が流れてきた。それは強烈な印象で、迫力、重厚さ、華やかさが一度に飛び込んできた感覚で、一瞬のうちに耳を奪われた。

「何ていう曲!?」

慌ててテレビ画面に喰い付いた。曲名と作曲者名を瞬間的に探し当てるために必死の行動でもあった。

 

チャイコフスキー作曲、「ピアノ協奏曲第1番」だった。

 

その後しばらくして・・・(数ヶ月くらいしてだったか?夏休み中かな?)、洋服職人の叔父の家に遊びに行ったときに・・・おそらく、その強烈な印象を叔父に伝えたのだろう、それで、その叔父が所有するアナログ・レコード盤で、この曲全体を通して聴かせてもらうことになった。

が、・・・曲の冒頭に喰らい付いた勢いの割には、そのうちに幾度となく繰り返し聴こえてくるチャイコフスキー独特の複雑さを感じるスケール(音階的旋律・音型)が、当時の小学生の耳には馴染まなかったようで、聴いているうちに結局のところ途中で飽きてしまうのだった。

それは、中学生になってからも、なかなか手ごわいものの一つで、チャイコフスキーは中学生のガキ(私個人のこと)には音楽でも難解な領域にあった。学校のお勉強もあまりヨロシクナイほうでもあり、精神的にも幼かったほうであったかと・・・(ん?現在もあまり変わらないって?(笑))・・・きっと、そうであったのかも知れないのだけれど、当時はまだ、この音楽の奥行の深さについていくことができなかったことは確かだ。

結局、チャイコフスキーとは、一旦、「サヨナラ~・・・」ということになってしまい、自ら聴くことはなくなった。

 

不出来な中学生も辛うじて高校に入学して、ここで様々な出来事と向き合わざるを得なくなって、多くを経験することになる(詳しいことは後日いずれ書くこともあると思う)。

すると・・・、

高校2年生くらいの頃から、少しは人並みに近づいてきたのか、人間関係に悩んでみたり、大人たちのやることにいちいち憤りを感じてみたり、それでも少しは自分も頑張って越えるべきものを越えようとしたり、人や社会がそうそう単純じゃないことに気付いたのだろうか・・・何故かその頃から再びチャイコフスキーの音楽に触れるようになった。むしろ、頻繁になっていった。

 

そう、幼少の頃から叔父の影響を受けながらクラシック音楽やら映画音楽やらを少しずつ耳にしてきて培われたきたものが、ようやく一気に開花するがごとく、様々な音楽を聴き入れる用意が備わってきたのだった。

 

それは、かつて、難解でついていくことができなかったチャイコフスキーの音楽も、その独特で複雑さを感じさせていたスケールも含めて、旋律であったり、また曲の構成であったり、チャイコフスキーが表現する音すべてが、真に自分の波長と相性のいい音楽にさえ思えてくるほどの変化をもたらしたのだった。

 

当然、「ピアノ協奏曲第1番」も・・・である。

曲全体を、全楽章を通して聴きたいと思うようになっていたし、聴けるようになっていた。

あの強烈な印象を植え付けた冒頭部分の響きが初めて耳に飛び込んできた小学生のときの、その興奮と感動でテレビ画面に喰い付いた瞬間が再び甦ってもきて、チャイコフスキーの作品のなかでも最も好んで聴く楽曲になった。 

 

以来、この曲を収録したレコード盤とCDも何枚か購入している。その中には第1回で紹介した中学生の頃に手にした「世界名曲全集」の盤もある。しかしながら、ここで敷いて挙げるのであれば、やはり高校生になってチャイコフスキーを確りと聴けるようになってから購入した1975年に出されたアナログ・LPレコード盤になろうかと思う。

 

この盤は、アナログ盤ではあるものの再版された盤で、実際に演奏が録音されたのは1960年前後のようだ。

ピアニストは、「ヴァン・クライバーン」。1958年のチャイコフスキー・コンクールで1位を受賞したピアノ奏者だ。

指揮は、「キリル・コンドラシン」。ショスタコーヴィチの作品を世に送り出すために大いに貢献したとして知られてもいる。

オーケストラは?・・・となると、なんと、ジャケットにもラベルにも何故か明記されていない?(プリントミス?)・・・のだけれど、年代を考慮すると、「モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団」であろう(おそらく間違いない)。

 

1960年前後の時代を感じさせる録音で何ともこれが心地好い。

演奏そのものは、余分な贅肉が付いていないといった感じだろうか、余計な抑揚もなく歯切れのいい正確かつ精密な演奏が進行されていく・・・そう個人的には感じる。

 

チャイコフスキーがこの曲を完成させた当時、ナンバー・ワンとされていたピアニストがこの曲を技術的に弾くことができなくて、世間に向けてこの作品とチャイコフスキーの才能を否定する発言をしたために、一度は作品もチャイコフスキーも窮地に追い込まれる。ところが、チャイコフスキーの友人であったピアニストがっ猛練習を積んで、この「ピアノ協奏曲第1番」は初演を迎えることができた。演奏を聴いた聴衆は皆、この作品とチャイコフスキーに盛大な喝采を贈った・・・という。

・・・そんなことを知ったのも高校2年生か3年生になってからだったように記憶している。

だからか、この曲に限っては、技巧的なものを耳が求めてしまうようなところがあって、ヴァン・クライバーンの技巧的な演奏テクニックがしっくりとくるのはそのあたりことが感覚としてあるのかも知れない。

 

思春期にあった高校生も、少しはまともな方向へと、それは人として成長していくなかで、ようやく目の前に起こる出来事にも受容していく力が備わってきて聴けるようになった音楽と言えそうだ。

 

そんな、人の成長のバロメータにもなり得た・・・チャイコフスキー作曲、「ピアノ協奏曲第1番」を、ヴァン・クライバーンのピアノ演奏と、キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を収録したLPレコード盤とともに、「今日の一曲 No.2」としてご紹介させていただいた。